机上にて描く餅(短編集)   作:鳥語

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古都降る雪

 

 

 お使い。

 そういってしまうと何だかこどもっぽいが、漢字で表せば御使いにもなる。それも頭に『神の』と付ければ、多少はそれらしい感じにもなるだろう。

 暗い世界。

明るさの足りない焦げ茶色の地面の上、ある程度の高さを保って飛びながら、私はそんなことを考えていた。

 私に言いつけられた役割――いってしまえば、ただ手紙を届けるだけの、本当に子供のお使いのようなものなのだが……まあ、それでもそれはそれ。その書文は神の言葉を担う託宣とも言い換えられるものであり、その意志を伝えるための厳かな行為である。

 私が為すべき役割であり、神聖な儀式であるといってしまってもいい――多分、そのはずなのだ。そうでないと本当に何かテーマソングのようなものが聞こえてきてしまう。どこかのテレビ番組の、危なっかしい子供を見守るナレーションと共に。

 

「おっと」

 

 その妙な感覚をどうにか呑み込もうとしていたところに、視界を塞ぐ灰色の面。突き立つように聳える、天井からぶら下がった巨大な石柱。

鋭く尖ったその先は、これが映画じゃ何かであるならば、下を通ったとたんに、きっとぽきりと折れて落ちてくる……なんて映像が浮かんでしまう。

 流石にそんなことはないだろうけど。

 

「危ない危ない」

 

 そう呟きながら、速度を緩めた。

 風向きを変え、その柱の形を巻くようにして空を蹴る。

感覚的にはそこにある風の流れに対し、ただ身を寄せるだけといった感じ……勿論、その流れ自体を作り出しているのは私の能力であるのだから、それは確かに私が操ったものなのだが。

 

「ふーん、ふふーん」

 

 鼻歌交じりに、片手間でそれを操る。そうすることができる。

 昔はそうは振るう機会のなかった力が、こちらに来てからはその扱いにも随分と慣れてしまったものだ。

目立たぬよう、人目を憚って扱わなくてはならなかった外界……それとは違って、こちらではあけっぴろにそれを使うことができる。誰かに遠慮して、特別(それ)を我慢する必要もなく、存分にそれを発揮できるのだ。

それは、一つ枷が外れたような感じで……苦しいつもりはなかったけれど、それでもやはり、すっきりとした気分となった。

 

 空の中というのは心地よい。

 鳥の気持ちよさを味わえる。

 

 それを堂々と味わえる。

 

――まあ、そうはいっても。

 

 それは、私が特別ではなくなったということでもある。

 こちらでは、それくらいはできて当然といった人々が多く暮らしているのだから。

 

――本当に、不思議な世界……。

 

 この力――現人神として私が持つ特別なはずの力が、まるで特別なのだと感じられない。里の人々はともかく、私の周りの妖怪……人間も含めて、それくらいは簡単にやってのける者たちばかりがいる。その姿が簡単に思い浮かべられる。

 空を飛び、妖怪を退治し、弾幕を振りまき……それを日常とする。

そんな輩が、この幻想郷にはざらにいる。

 

私は遠慮する必要はない。

むしろ、そうしないとついていけないくらい。

 

――信仰を集めるにも工夫しないといけませんし。

 

 威光を示す。恩恵を下す。御利益を与える。

 その程度では……この世界で特別な力を持っているとはいえない。

いくら力が強くとも、同じように力を持つ者が他にも存在する――こちらより下でも、比較になるものがすぐ隣に存在する。同じ神が、妖怪が、人間が。

 こちら側に住む人々は、それらが身近にあるからこそ信心深い。けれど、それと同じように、だからこそ、その分そこに下される御利益というものに敏感で、何が得られるのかという選り好みをする。

 神様の利益にも――好みにもうるさいのだ。

 モビルスーツに詳しいからこそ、どのガンダムが好きなのか。どの武装、どの武器を使っているバージョンが好きなのか――そこにこだわるのと同じ。

 その気持ちは、私にもよく分かる。

 

 だから――

 

「私たちは、私たちのウリを見つけていかないと……」

 

 少し不信心かとも思うけれど、清いだけでは生き残れない。本当に人々に必要とされるからこそ、その存在は求められる特別なものと見做されるのだ。

 本物の信仰が存在する環境で、逆に俗にまみれてしまうなんて……なんだかおかしな話だとも思うが、案外、はるか昔もそういうものだったのかもしれない。

 神奈子様……諏訪子様の時代も。

 

「……と」

 

 また石柱。

 進路を変える。

 

――方向は見失わないようにしないと。

 

 吹き抜け、吹き溜まる地下の風――清涼とはほど遠い鬱屈とした感触のそれは、普段扱っているものよりも何だか重く、意志を伝えづらいように感じる。

 ある程度、余裕をもって動かないといけない。

 視界もあまりよくないのだから、しっかりと前を見据えて。

 

――……妖怪でも現れないかな。

 

 退屈でも、決してそんなことを思ってはいけない。

 それが私の任せられたこと、風祝としての大事な役目。

 

 なんて、思い込む。

 けれど――

 

「……はあ」

 

 それでも、息を吐いてしまう。

 気持ちの切り替えに失敗して、肩を落としてしまう。

 

「あーあ……」

 気合の入らない終え。

 

 辺りを見回して見えるのは、暗がりばかりのごつごつとした地面のみ。奥に潜んだおどろおどろしい何かに、僅かに見える灯りのような火のような、何だかよくわからないもの。

 怨霊、悪霊。亡霊、化け物。妖怪、妖精。

 すっかり慣れた、幻想の者たち。

 

 それが沸く暗い場所。

 そんなもので溢れた、暗い地穴の底。

 

「陰気臭いなぁ」

 

 あまり長居したくはない。

 そう思って、先を急ぐ。

 早く終わらせて帰ろう。

 そう思って速度を上げる。

 

 それでも、なんだか退屈してしまう。

 

「……地下に眠る超古代文明巨大ロボットでもいないかなぁ」

 絶対私が操縦してやるのに。

 

 

 

 そんなことを呟いて、気を紛らわす。

 

 

 

――――

 

 

 

「あ……」

 

  

 それは唐突に現れた。

 いや、落ちてきた。

 

 

「……」

 

 しばらく進んだ先。

 何か、ぽつぽつと建物のようなものが現れた辺りで、それは降ってきたのだ。

 白い塊。透明の粒。小さな結晶。

 それは――

 

「雪、だ……」

 

 しんしんと。まさに、そんな感じで降ってきた。

 果てしない空洞。けれど、確かにそこには天井はあって、空はないはずなのに……はらりはらりと、その白が。

 

――雲も、ないのに。

 

 天気雨……雪。

 真っ暗な空から、反射となって降り注ぐ結晶光。

 

 そして、それに沈んだ――

 

「ここが、旧都」

 

 古きい都が現れる。

 

 忌み嫌われたもの。この幻想郷でさえ、恐れ厭われた者たちが暮らす場所。

 古き世界――旧き地獄の名残が、そのままとそこに残っている。

 

「本当に、不思議な感じ……」

 

 瓦が並び、提灯が揺れ。

 障子が覗き、木戸が軋み。

 

――……。

 

 土の上に混ざり、石の畳に馴染む。

 焼かれた土は硬く染みず。積もらせ滑らせ、木枠の屋根の重みを除き、車など走るはずもなき人の道がまっさらと其の儘の白を晒して――古びた街がある。

 

 暗く、おどろおどろしくもあるけれど……それ以上に。

 

「きれい……」

 

 素直に、そう思えるもの。

 この世界では、それは当たり前にある光景なのかもしれないけれど――それでも、私はそれを見たことがなかったから。知らないものだったから。

 

 その本当()を見て、思わず、動きを止めた。

 

 

 

「――おや、お客さんかな」

 

 一つの点を見つけた。

 古き世界の色(光景)に見惚れていたところに声が響いた。

 芯のある、強い声が。 

 

「いつぞやと同じ……いや、服の色が違うか」

 

 気取ったものではない、柔らかな強さを持ったもの。

 女の人の、なんだか強そうな声。

 

「こんなところに訪れる物好きな人間も……案外、多いものなんだねぇ」

 地上の人間も変わったのかな。

 

 そういって、かっかっと響く。

 嫌みのないきっぷの良さがにじみ出た豪快な笑いが。

 

「……あなたは」

 

 そこにあるのは、白い地面。

 向こうに延びる一人分の足跡。

 

――あれは……。

 

 その真ん中に立つ――畏れ忌まれた強き者。

 堂々と塞いだ背の高い女性。

 

「どうだい、少し雨宿りでもしていかないかい?」

 

 

 朱色の大盃を片手にのせて、一本角が立っていた。

 鬼が笑って、そこにいた。

 

 

―――

 

 

 さくさくと、足跡が鳴る。

 地面に二対と続く。

 

「よし、あそこでいいだろう」

 彼女は何だか寒そうな――なんだか、体育の授業を思い出してしまうような姿で、その袖から覗く肌色の腕を持ち上げた。

 

――寒くないのかな。

 

 微妙に首を傾げながら、その手の先を見る。

 誘われるまま――何だか、その誘いを断る気にもなれずに、その後についてきてしまった。そうして、到着したのはどうやら本当に雪宿りできるていどのもの。他のものより大きめの屋敷の、その軒先。

 振り込まない程度に張り出された屋根の下に木組の縁台が置かれている。辺りには、ぼんやりとした灯りの提灯が等々とつり下げられており、ある程度の光量を保っている。

 彼女は、その一番近い位置にあったものに手を伸ばして、それを外した。

 あんなものをどうするのだろう、場違いにそんなことを考えながらそれを眺める――――ちょっと背伸びをしただけでそれを取ってしまうなんて、やっぱりと背が高い。

 

「ちょっと暗いが……これでも地獄の残り火だ。暖をとるには丁度いいよ」

 

 そういって彼女はそれを縁台の真ん中に置いた。

そして、どっかりと胡座をかいてそこに座りこみ、ちょいちょいっと指で示して、それを挟んだ反対隣に座るように私を促す。

 片手には、既に並々と酒が注がれた盃。

 文字通り、ここで腰を落ち着ける、という意味合い。

 

――……。

 

 一瞬迷う。

 

「どうした。座らないのかい?」

 

 邪気のなく――けれど、なんだかつまらなさそうに。

 こんなもんかと、侮るように。

 

「……」

 

意を決す。

 

「――どういう、つもりですか?」

 

 問いながら、こちらもどっかりと。

 胡座はかかないけれど、しっかりとそこに腰を置く。

 真ん中に置かれた提灯の向こう……確かに、暖かい炎を挟んだ向こう側へきっとした視線を向けて――。

 

「拐かしというなら……相手が悪いといっておきますよ」

 

 威勢を示すよう、強気に言い放った。

私は守矢神社の使い。侮られるわけにはいかない。

 そう力を込めて――相手の酒盃に対抗するため、懐から取り出した水筒(ステンレス製)から蓋にお茶を注ぐ。

そして、精一杯豪快に……ぐいっと一気に飲み干して。

 

「……ひやっ!?」

 

 びっくりした。

 そうだった。地下の方は暑いだろうからって神奈子が持たせてくれた、井戸水でよく冷やしたものだった。

こんなに寒いというのに――どうしてこんなものを。

 

 思わず、ぶるりと身震いし、両手で腕を擦りあわせる。

 身体が冷える。中から冷えてしまう。こんな寒さでは死んでしまうじゃないか。

 ただでさえ、かなりの薄着でここにきてしまったのに。

 

 寒さで頭が一杯になって――

 

「……」

 

 ぶるぶると震える私。

そんな、寒さに縮こまった現人神()の姿に、鬼はきょとんと目を丸くした。

 そして、思いっきり。

 

「は、はははっ!」

 

 吹き出した。

 膝をたたいて、腹を抱えて――それでも、片手の盃はなんとかこぼさないように耐えながら、ぶるぶると。

 

 楽しそうに、思いっきり笑う。

 

「いやいや、おもしろい人間だねぇ。こりゃ傑作だ」

 鬼をこんなに笑わせるなんて。

 

 なんて、目尻に涙を溜めるほど。

 その鋭い犬歯を晒しながら私を笑う。

 

「……」

 

 別に笑いを取りにいってもいないのに。

 無様を晒してしまったようで、恥ずかしさに頬が熱くなる。微妙に身体が暖かくなるが、そんなもの足しにもならない。もしかしたら、それが狙いだったのだとしても……許さない。それが神奈子様であったとしても、決して。

 

 そんなふうに、八つ当たりたくの想いが込む。

 なんだか罰が当たりそうだけれど。

 

「まったく、地上の巫女ってのはこんなのばっかりなのかね」

 

 楽しそうに。

 毒気を抜かれる様に笑う。

 

 そして、もう少しだけ近づく灯り。

 温かい提灯を、こちらに寄せてくれた――鬼の片手。

 

――……。

 

 目が丸くなった。

 

 すっと、何気なく行われたその行為。

 私を気遣っている様子の――彼女の親切。

 

 それに、何だか気が抜けそうになって――

 

 

――ゆらりと、その紅い切っ先が揺れた。

 

「……あ、っと」

 

 思い出す。今、目の前にいる相手が何なのか。

 

――いけない。

 

 抜けかけた気概――それを、深く息を吸うことで取り戻す。

 落ち着けて、向き直る。

 

「ありがとうございます」

 

 丁寧な――ふとすれば、冷たくも聞こえてしまうかもしれない慇懃なありがとう。

 少し、嫌味なことをしているようにも思えたけれど――でも。

 

――そうだ。

 

 それでも、彼女は鬼なのだ。

 鬼という……外の世界でも、酒好きに喧嘩好きとして有名な、悪逆非道を行う存在としての代名詞。諺などにもよくでてくる、これぞ妖怪というべき歴とした大悪党。

 歴史に刻まれ、なお外界での薄れぬ逸話を数多く持つ大妖怪なのである。

 

 それを忘れてはいけない。

 

「それで……何で私に声をかけたんです?」

 

 油断したら、どうなってしまうか。

気を引き締め直して、それをしっかりと見返す。

 人の隙間につけ込むのが妖怪というもの――そう、諏訪子さまも言っていた。時にそれは、神以上の力を持ち、それ以上の祟りをもたらす存在もいる、と。

 ここは地底の世界。昔、この幻想郷の中ですら切り離された者たちが暮らす場所。

なら、気を抜いていいはずがない。

 その恐ろしさは――まだ知らないけれど、確かにここは私がわからないもので出来上がっている世界なのだ。

 

「……これでも、守矢神社の風祝。それなりに闘えるんですよ」

 

 彼女は鬼だ。

 私もよく知っている鬼という存在と同じであるならば、多分、それが目的なのだろう。

 戦うことか、食らうことか。

 襲うということ自体か。

 

 それが妖怪ほとんどの気性というものだ。

それは山で出会う妖怪たちでよく知っている。

 

「――おや、相手してくれるのかい? あの……命名決闘法だったか」

 やはりと、笑みが変わる。

 獰猛な、恐ろしい顔が覗く。

 

 僅かに怯み――それでも、返す。

 

「ええ、どうしてもというのなら――受けて立ちます」

 

 片手に幣を伸ばしながら、そう答える。

 そう、あれ(・・)なら争い事に慣れていない私にも勝ち目がある。

 

 弾幕ごっこ。女の子の遊び。

 そういってしまうには少し物騒なものではあるが、確かにあれは人と妖怪とが対等に戦うことのできるルール。勝手も負けても、それ以上は追撃しないという安全性も、それなりにはある。

 

――結構、楽しいし……。

 

 ちょっとしたゲームをやっている気分で……以前なら霊夢さんや魔理沙さんに遅れをとっていたが、あのときよりもずっと力を使うことに慣れている。

 ここらで一丁、大物退治というのもいいだろう。鬼退治の逸話がある神社なんて、信仰を集めるのにはもってこい。

鬼退治は昔話の基本……妖怪退治は博麗神社の専売特許ではないのだと示すにも、絶好の機会でもある。

 

 だから、受けてたつ。そう覚悟を決めている。

 

 

 そうだった――のだけれど。

 

「ま、それもいいんだけどね」

 

 するり、それはつんのめった。

 覚悟の決意は、軽くうっちゃられてすり抜けた。

 

 それどころか――

 

「今日は、喧嘩するような気分じゃないんだ」

 

 喧嘩好き()にそんなことをいわれたしまった。

 ぽかんと、口が開く。

 

「なんだいその顔は、私たち()が年柄年中喧嘩ばっかりやっているってのかい?」

 

 

 私の驚きように「いや、間違っちゃいないけどね」なんていいながら、鬼はからからとおかしそうに笑った。

何だか笑ってばかりで……笑われてばかりで。

 

 流石に少し、むっとした。

 

「――それじゃ、いったい何なんですか」

 

 ぐっと、眉間に皺が寄る。

 一応、これでも神のお使い。はるばるこんなところまでその役目を果たすためにやってきたのだ。こんなに笑われてまでここに留まっている意味はない。暇もない。

私だって、早くこんなところから帰りたい。面倒くさい。早く帰りたい。

 

――ああ、もう。

 

 折角どうにか保っていた気分が崩れてしまった。

 様々な鬱憤が溢れて、八つ当たりのようにそこに相手に向かう。睨みとなって、私より頭一つ分高い位置にあるその顔へ――そんな視線に、「悪い悪い」と片手を上げて、彼女はその紅い盃を顔の位置まで持ち上げた。

 少し、申し訳なさそうな声で。

 

「ちょっと酒の……話の相手が欲しくなってね」

 丁度良かったからさ。

 

 なんてことを、空を見上げながらのたまった。

 降り落ちる、その白の粒が揺れる世界を眺めながら、飄々と。

 

――そんなことで。

 

 呼び止めたのかと。

確かに雨宿りとはいっていたけれど、本当にそれだけなのかと。

 

 そう文句をいいそうになったけれど。

 

「あ……」

 

 それは、ふっと散った。

 その姿に、溶けて消えた。

 

「……ああ、悪かったね」

 

 しみじみと言われた言葉。

 見上げながら、懐かしむように呟かれた、その雰囲気に。

 

 私の言葉が止まる。

 

「……」

 

 鬼の少女も、少しの間黙り込んだ。

 片手に朱染めの盃をのせ、人間以上の、その整った顔をふわりと緩ませて――綺麗な、その長い髪が風に靡く。その間から、強い瞳が空に向かう。

 

 そして。

 

「――あんたは、雪が溶けたら何になると思う?」

 

 彼女はそういった。

 吸い込んだ息を、その幻想的な空気の中に混ぜ込むようにして深く吐いて、そのさらに遠くを見通すように目を細めて――そんな問いを放った。

 

「……?」

 

 私は惑う。

 その鬼という呼ぶにはらしくない態度に……何故だか、絵になっていると思わされてしまう、その姿に。

 

 空っぽのまま、答えを口にする。 

 

「水に、なります」

 

当たり前の答え。

 何の雅もない答えを言ってしまって――鬼は、その言葉にまた息を吐いて肩を落とす。

 

「……えらく、つまんない答えだ」

 

 ふっと吐いて、彼女は近づいてきた雪片を散らした。

 それから、何か思い出すようにして何かを語る――私に語っているようで、その実、己に語っているようで。

 

「この雪――地の底に降る、旧き雪」

 

 空を見上げて、角が天を向く。

 金の御髪が揺れて、白い息が昇る。

 

「――それじゃ、この雪はどこからきたのか」

 

 自問の言葉。

 自らに問うように――どこかへ投げられる。

 

 それは何かと重ねられるように紡がれる。

 

「溶けた雪は何処へ流れ、何処へ消えていくのか」

「……」

 

 降り積もる雪。

 触れれば溶けて消える白。

 

 溶けた雪は水となり、水は地に染みて、地下に流れるものと重なって、木々や草花に引き上げられながら浄化して、また大地の流れへと合流し――何度も何度も繰り返しては、世界に満ちる。

 すべてが繋がり、システムとして整理されている。

 それはただの自然現象。既に科学的説明もなされ、解明された一つの摂理――けれど、この世界では、この旧き場所でそれは。

 

「この雪は、忘れられたもの」

 

 違うのかもしれない。

 

 雪は溶けるのではなく、消えて、どこかへいってしまう。大地に落ちて、いつの間にか姿を消して、水を遺してどこかへ消える。

 すり抜けて、さらにその下まで。消えて死んで、再びと輪廻の前に降り注ぐ。

 

 どこかへいってから――また帰る。

 

「どこかへ行ってしまった、姿を消した先にあるもの」

 

 彼女は語る。

 古を語る。

 

 この幻想郷という場所――旧き都に残った幻想を。

 

「それが落ちる――溜まって、いつかまた姿を現せるのかどうかを想いながら、ここに降り積もっている」

 

 何かと重ねているように。

 

 そこあるのは、それだけなのか。

降り積もっているのは、本当にそれだけなのだろうか。

 

「……」

 

 妙な疑問がこみ上げた。

 なんだかぽかんとした気持ちで、私も空を見上げた。

 

 暗い天井から落ちる雪。雲がちぎれて落ちて、さらに下へと落ちたもの。

 

 それは――何だったのだろう。

 

 雪が水と。

 溶けて消えるものでなく、土に染みて巡るものとして――ただの現象だと、説明できてしまう事象なのだと、皆がそう思った時、一緒にどこかへいってしまったもの。

 私が、知らない。

私の常識から外れた、囚われない答え。

 

「なんてね」

 

 冗談っぽくいって、(古の者)は笑った。

 少し微睡んだだけだというように、再び、その強い姿を見せて――

 

「少し呑みすぎたかな――いや、呑み足りないのか」

 

 ぐびぐびと、盃を傾けて――飲み干した。

 

 すっかりと、そこには赤ら顔。ちゃんと鬼らしき顔がそこに。

 酒臭い息が、白く曇る。

 

 

 

「……」

 

 

 それでも、私は想う。

 そこにある何かに、何かを考える。

 

 そして

 

 

―――

 

 

 

「ああ……そういえば」

 

 一つの言葉が浮かんだ。

 一つの答えを思い出した。

 

「うん?」

 

 鬼がこちらに顔を向ける。

 首を傾げて私を見つめる。

 

 私は、それに少し微笑んで――手を伸ばし、その幻想の欠片を優しく握りこんだ。

 冷たく広がり、消えていく。水と流れて、なくなっている。

 

 その感触。

 

「雪が溶けたら――」

 

 その後に残るもの。

 見えない答え。

 

 それは――

 

「春になる」

 

 広げた掌。

 暖かく濡れる掌。

 

「そう、いいます」

 

 季節は巡る。

 時間は移ろう。

 

 そして、再びやってくる。

 

――ああ、そうだった。

 

 何かで読んだのだったか。誰かに聞いたのだったか。

 それは忘れてしまったけれど。

 

――私は……。

 

 その言葉が好きだった。

 忘れていたけれど、確かに好きだったのだ。

 

 それを思い出した――想いを、知った。

 改めて。

 

「……」

 

 少しの沈黙。

 雪の積もる音。

 炎の揺らす風。

 

「そりゃあ、随分……」

 

 答えを噛み砕いて、鬼が口端を持ち上げる。

 はにかんで――呑み込んで。

 

「陳腐な表現だ」

 

 そういって笑った。

 

 そんなことを言いながら、まったくそんなことを感じていなさそうな顔をして、その大盃を掲げ、降り落ちる雪を掴まえて――嬉しそうに顔を綻ばせて。

 

 そして――

 

「なら、これも一種の花見酒――ということかねぇ」

 

 なんてことをのたまった。

 

 ひらひらと散る白の花片。溶けて消えて春の訪れ。

 それを、一緒に飲み干して。

 

「……」

 

 豪気で、男勝りな鬼女。

 恐ろしい――けれど、どこか美しい。

 

 雪の、冬の散り際を掴まえて、微笑む鬼の姿。

 

「――これも、風物詩っていうんでしょうか」

「うん?」

 

 首を傾げた鬼の姿。

 そこに浮かんだのは、昔話を読んだとき、思い浮かべた世界の話。

 見たことのない、古き時代のお姫様――それにしては、いささか豪快すぎるが、それでも、そんな姿を連想する……幻想してしまう、絵になった光景。

 

 昔――あの二柱の神が流れた原風景の、その頃を。

 

「なんでも、ありません」

 

 目を瞑って、幻と想う。今、目の前にあるそれと重ねる

 私がこれからずっと付き合っていくのだろう世界に――ふっと、綻ぶ。

 

 

「――私も、少しいただいてもいいですか?」

 

 口は勝手動いて、それを聞いていた。

 

「おや、いける口かい」

 

 訝しげに片目を閉じてから、彼女はそういった。

 

「鬼の酒はきついもんだよ」

 

そういって、気さくに笑う。

 対して私は――腕を組み、勝ち気に宣う。

 

「大丈夫です。これでも、小さな頃から御神酒を扱わないといけない立場でしたから」

 

 冗談っぽくと、けれど本気で。

 本当は、あちらでは口を付ける程度にしか触れることがなかったのだけれど。

 

――それでも、呑んでみたい。

 

 そう思ったから。

 

 それが、この世界への仲間入りなのだと。

 ここで暮らしていくことの、始まりなのだと。

 

 そう想ったから。

 

「それじゃ、一献」

「はい」

 

 隣に置いていたそれを拾い上げ、両手で包んで差し出す。

とくとくと、気持ちの良い音を立てて、水筒の蓋に透明が満ちる。

 酔いの香りが綻び、映りこんだ灯りが揺れる

 

 そして仕上げに――

 

「では――」

 

 手を伸ばす。

 雪を掬って水とする。

 

 もうすぐだ、もうすぐだと。

 冬を溶かして、春を想って。

 

 それを願って――祝いの水を。

 

「乾杯」

 

 

 ぶつけ合った杯。

 

 きーんと、きれいな音がした。

 

 

 

 

 









 そうして、きっと、次の日に後悔する。
 それがお酒というもの――ということで。

 呑みすぎ注意。無理矢理禁止。
 お酒は愉しく、楽しみながら呑みましょう。
 呑めなくても、その雰囲気を飲みながら笑えるように。


 そんな話だったっけな……
 

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