「楓! ちょっと楓ってば!」
「亜里沙……なに?」
私と亜里沙は理事長室を後にして、1人で帰宅途中の楓を捕まえた。
朝から様子がおかしいとは思っていたけど、先輩たちにあんな冷たい態度を取るなんて驚いたよ。楓はお調子者なので、普段から先輩たちにも容赦のない発言をしているけど、あからさまに不機嫌を前面に押し出したのはこれが初めてかもしれない。おふざけとお真面目の切り替えなんて、彼女ならしっかりできるはずなのに……。
「どうして歓迎会のライブに参加しないの? せっかく理事長さんから頼まれたのに……」
「別に強制じゃないって言ってたでしょ。私は興味ないの」
「そんな……去年はあれだけライブを楽しんでたのに?」
「昔は昔、今は今。昔は興味があったからって、今がそうだとは限らないでしょ」
「そ、それはそうだけど……」
「μ'sは解散したから、いつまでも過去の栄光に
「うっ……」
ダメだ、楓の正論に亜里沙が完全に押されている。楓にライブ不参加の理由を聞き出し、あわよくば説得しようと考えていた亜里沙の計画は崩壊してしまった。
でも、ここで逃げられる訳にはいかない。確かに楓の言っていることは正論だけど、だからって素直に納得できないのが人間というもの。私は知りたい、楓がどうしてその結論に至ったのかを。傍から見ればただのお節介かもしれないけど、ここで彼女の本音を聞き出しておかないと、どうも取り返しのつかないことになる気がする。私の直感がそう告げていた。
「ねぇ、楓。何か悩み事があるなら話して欲しい」
「は? どうしてあんたたちに……?」
「楓の様子を見ていると、ただ気分で不参加って言ってる気がしないから……。もしかしたら、何か理由があるんじゃないの? だから話して欲しんだ。まだ1年だけど、それでもクラスメイトとして、μ'sとして一緒に過ごしてきた友達だから」
「友達……か」
楓が私たちから顔を逸らした。
嫌な予感がする。自分から聞いたくせに、今すぐにでも耳を塞ぎたい。そんな衝動に駆られる。
そして、その瞬間はすぐに訪れた
「別に友達とは思ってないから、あんたたちのこと」
「「え……?」」
私も亜里沙は目を見開いて硬直する。一瞬、楓の言葉が理解できなかった。いや、脳が理解することを拒否している。その現実を受け入れたら、本当に取り返しのつかないことになりそうだったから。
でも、彼女の言葉は無残にも心の方に届いてしまった。それは亜里沙も同じようで、わなわなと震えているあたり、むしろ私よりも動揺が激しいみたい。そうやって亜里沙の状況を窺って冷静そうに見える私も、身体の水分が抜けきるほど嫌な汗が出ていた。
「ね、ねぇ、それってどういうこと……?」
亜里沙が声を震わせて楓に問いかける。
楓から突き付けられた言葉の意味は理解している。だけど、受け入れたくはない。だから亜里沙は聞き返したんだと思う。だって、私も同じ気持ちだったから――――
「最初から友達だなんて思ってなかったから。私の目的は既に達成されたしね」
「目的って……なに?」
「私がお兄ちゃんのことを大好きなのは知ってるでしょ? そのお兄ちゃんと恋人同士になれた。血の繋がった兄妹だけど、愛する恋人同士。これほど幸せなことはないよ」
「そ、それってつまりどういうこと!? 私、分からないよ!!」
「鈍いね亜里沙、相変わらず……。雪穂は分かってるでしょ?」
楓の冷たい笑みに、私は少し臆してしまう。彼女が私たちに何を伝えたかったのか、その意図が分かってしまったからこそ口に出したくない。言葉にしたら私たちの関係は二度と修復しないような気がするし、亜里沙を余計に絶望させてしまう。自分で言うのもおかしいけど、自分の察しのいい性格をこれほどまでに恨んだことはないよ。
しかし、このままでは楓は立ち去ってしまう。そうなったら、これからこうして3人で面と向かって話す機会は訪れないかもしれない。
つまり、楓を会心させるなら今しかない。最初にして最後のチャンスに、私は慎重に言葉を選ぶ。
「もうあなたにとって、私たちは不要とでもいいたいの……?」
「おぉ、意外と直球なんだね。そうだよ、私はお兄ちゃんと結ばれることができた。だからもう、私の人生の目的は達せられているんだよ」
「そう……。自分の目的を達成したから、私たちはもういらないと……」
「そういうこと。雪穂は物分かりが良くて助かるよ」
楓は私たちの心が弱っていることにつけ込んで、必ず高圧的な態度で来ると思っていた。だからこっちも遠回しに会話をせず直球で攻めてみたけど、これで楓を会心させられるかは分からない。なんとか彼女のペースに飲まれないようにはしているけど、どう説得すればいいかなんて考えてすらいない。結局私も、亜里沙と同じく動揺に飲まれるだけだった。
「元々あんたたちもμ'sも、私の魅力をお兄ちゃんに知ってもらうための手段に過ぎなかったんだよ。だからお兄ちゃんと結ばれた今、もうお兄ちゃん以外は何も必要ないってわけ」
「楓らしいね。本当に、楓らしい……」
「でしょ? これで私がライブに出ない理由も分かってもらえただろうし、もう帰るね。お兄ちゃん、今日は大学から早く帰ってくるから、急いで昼食を作らないと」
楓は私たちに背を向けて帰路に立つ。
説得しようと思っていたのに、私はこれ以上何も言えなかった。ここで彼女と別れてはならなない。どんな言葉でもいいから引き止めなければならない。自分でもそう思っているはずなのに、立ち尽くすことしかできない。何を言っても今の彼女の心には届かないことは薄々察していたし、何よりこれ以上自分の心を傷付けたくなかった。ただでさえ辛いのに、そこへ更なる苦痛を感じたくはなかったんだ。
するとその時、私の隣にいた亜里沙が一歩前へ出る。
「だ、だったら、私たちが1年間築いてきた思い出はなんだったの!? 楓が私たちに向けてくれた笑顔も、全部嘘だったの!?」
一瞬、楓が歩を止めた。
だけど、すぐにまた歩き始める。
亜里沙は涙を流していた。自分の気持ちが楓に伝わらなかったからだろうか。それとも裏切らるような真似をされて悲しかったからだろうか。いや、どちらもだろう。私も同じ気持ちだから……。
私たちは、楓の背中を見つめることしかできなかった。
その背中が視界から消えてもなお、私たちは呆然としながらその場に佇んでいた。
~※~
しばらくして、私たちは音ノ木坂のアイドル研究部の部室に戻り、真姫ちゃんたちに事の
先輩たちも私たちと同じように、楓の気持ちを知って暗い表情になる。
「そう、楓は参加しないのね……」
「はい……。ゴメンなさい、私、楓を引き止めることができませんでした」
「亜里沙が謝ることじゃないわよ。あの子はあの子なりの考えがあって、今回のライブには不参加。ただそれだけのことだから……」
流石真姫ちゃんは大人だと言うべきか、既に楓のことは割り切っているようだった。でも、どこか寂しそうな雰囲気を醸し出しているあたり、先輩も楓と一緒にライブをしたいという気持ちはあったんだと思う。先輩にとっては私たちは初めての後輩で、そして1年間共にμ'sとして活動してきた仲間なんだから、そこで何も思わないはずがないだろう。
「楓ちゃんがやりたくないって言うのなら、仕方ないのかもね。理事長さんも言ってたけど、強制参加じゃないから……」
「そうだね。無理矢理に誘っても、楓ちゃんが笑顔でいられないのならライブは成功はしないし……。ちょっと残念だけど、凛もかよちんと真姫ちゃんの意見に賛成かな」
花陽ちゃんも凛ちゃんも、私と亜里沙が楓を連れ戻さなかったことに苦言を漏らしたりはしない。むしろ、5人でライブをするなら5人でやり通す意志を見せている。強い、先輩たちは強すぎるよ。私たちもここで心を切り替えて、新入生のために良いライブができるよう頑張らないといけない。そうしないといけないことは、自分でも良く分かっているんだけどね……。
「気になる? 楓が私たちと決別したこと」
「は、はい! むしろそれが気になって、連れ戻すことすらも忘れていたと言いますか……ゴメンなさい」
「だから、あなたが謝らなくてもいいわよ。あなたの心の痛みは、十分過ぎるほどに分かってるつもりだから……」
「凛たちもそういう経験、少し前にあったからね。あまり思い出したくはないけど……」
そういえば、零君から聞いたことがある。零君とお姉ちゃんたち9人の関係に亀裂が入り、地獄のような9日間を送ったことがあるって。その時の先輩たちは零君を手に入れたいがために、長年連れ添った仲間ですら決別した。最終的にその関係は修復されたけど、先輩たちが私たちの気持ちを汲み取れる理由はそこにあるんだ。仲間に、親友に、絆を断ち切られる辛さを知っているから。
そうか、今この瞬間も辛いのは私と亜里沙だけじゃない。先輩たちも同じ気持ちなんだ。さっきは強い人たちだと思ってたけど、恐らくそれは私たちを余計に心配させないようにしてくれているのだろう。自分たちが不安そうにしていたら、私たちをより落ち込ませてしまうから。
「個人の参加不参加は自由だけど、新入生の歓迎会でライブをするのも自由だって理事長は言ってたでしょ? あなたたちがその調子だと、ライブをしたとしても新入生たちを感動させることはできない。それならいっそのこと、μ'sとして参加すること自体を止めた方がいいかもしれないわね」
「そんなのダメです!! 私、6人でライブがしたいです!!」
「亜里沙……」
亜里沙は楓と別れてから初めて大きな声で感情を吐露した。さっきまで必死に抑えていただろう涙腺は崩壊し、頬に涙が垂れている。あれから少し時間も経ってようやく心の整理もできていたと思った矢先、真姫ちゃんの決断に亜里沙の心は再び揺らいだのだろう。もちろん真姫ちゃんが失言をしたとは思っておらず、むしろ英断だと思うけど、どこか納得がいっていないのは私も同じで、それは苦い表情している先輩たちも同じようだった。
「私、もう一度楓を説得してみます! 楓は親友ですから、私たちの気持ちもきっと伝わるはずです!」
「あ、亜里沙ちゃん落ち着いて……ね? 湧き上がってくる感情だけを押し付けても、相手に何も伝わらないよ」
「花陽ちゃん……。でも!!」
「亜里沙ちゃんの気持ちは分かるけど、楓ちゃんの気持ちも考えてみてね? 親友で近くにいるからこそ、相手の気持ちって気付きにくいものなんだよ。親友だからきっとこうだろうと思い込んでたら、本当に大切なことは伝わらないと思うな」
「そ、そうですね……」
花陽ちゃんの優しい助言に、亜里沙は少し落ち着きを取り戻しつつある。それでも荒れに荒れた心は収まっていないようで、またちょっとでも刺激すれば今度はさっき以上に暴走してしまうだろう。彼女にとってはそれくらい楓が大好きなんだ。どう説得するかは考えていないだろうけど、楓のことをどれだけ大切に想っているのかは十分に伝わってきた。
だけど、私は――――――
「凛、気になってることがあるんだけど、どうして楓ちゃんは急に冷め切っちゃったのかな?」
「そういえば確かに……。亜里沙ちゃんたちから聞いた話のインパクトが強すぎて、根本的なことを忘れちゃってたね」
「そうそう。零くんと恋人同士になれて目的を達成したっていうのは分かるんだけど、それで凛たちと離れ離れになるのはどういう関係があるのかなぁって」
「2人の話では私たちはもう用済み扱いらしいけど、どうしてそこまでしてあっさり関係を断ち切れるのかは疑問ね」
言われてみればその通りだ。私も亜里沙も楓に拒絶されたと思い、彼女の言葉をそのまま受け止めて絶望していた。
だけど、楓がここまで冷酷になるのは何か理由がある。そう先輩たちは言った。楓と1年間一緒にいた私たちなら分かる。確かに彼女は人を小馬鹿にしたり、先輩にすら傲慢な態度を取る子だ。でも、優しい子であることも事実。だからこそ、私たちとの関係を断ち切ったことにも何か理由があるはずなんだ。
そう考えると、僅かだけど曇っていた気持ちが晴れてきた。
私は亜里沙とは違って諦めていたのかもしれない、楓を説得することを。彼女は賢くて頑固で芯が強いから、私から何を言っても彼女の決意を変えることはできないだろうと思い込んでいたんだ。元の関係に戻りたいと思いつつも、説得なんてできないだろうって半ば諦めていた。亜里沙はずっと足掻いて足掻いてこの状況を好転させようと考えていたのに、情けないなぁ私って……。
「楓は、ただ私たちとの関係を断ち切った訳じゃないんですね。だとしたら、やっぱり何か悩み事があるのかも」
「うん。私たちで解決してあげられるのなら、してあげたい。楓には絶対に余計なお世話だって言われるけど、私はそれでもいい。親友を見捨てることなんて、絶対にできないから」
力になれるかどうかは、楓の抱く悩みを聞かないと分からない。もしかしたら、手を差し伸べることすらできないかもしれない。
だけど、それは私と亜里沙が何もしない理由にはならない。私はただ、傷付いている親友を見過ごせないだけだ。それは結局何もしないってことだと思われるかもしれないけど、ここで立ち止まる訳にはいかないから。
「雪穂。もう1回、楓と話し合ってみよ? そもそも話を聞き出せるかも怪しいけど、ここで落ち込んでばかりじゃいられないよ」
「そうだね。行ってみよう、楓のところへ」
正直、上手く楓の気持ちに向き合えるかは不安だ。だけど、亜里沙と一緒ならできる気がする。さっきまで意気消沈していた私たちじゃない。2人で力を合わせて、親友の心にかかった曇りを晴らしてあげるんだ。
「そう。それなら、楓のことはあなたたちに任せるわ。ライブに参加するかどうかは後回しでいい。まずはあなたたちの関係を取り戻しなさい」
「「はいっ!」」
真姫ちゃんに激励され、私たちは再び音ノ木坂を後にした。
待っててね、楓。
~※~
そう息巻いて音ノ木坂を飛び出したものの、何の策もなく楓と会っても追い返されるだけだろう。
私と亜里沙は、どうやって話を切り込むかを神崎家へ向かう道を歩きながら喋っていた。
「楓、家に入れてくれるかな?」
「あそこまできっぱりと決別されちゃったから、そもそも私たちと取り合ってくれなさそうだよね……」
「う~ん、もう少し先輩たちの知恵を借りれば良かったなぁ……」
「そうしたかったのは私もだけど、楓を救ってあげるって言ったのは私たちなんだし、あまり先輩たちには頼れないよ」
先輩たちには助言を貰っただけでもありがたいのに、これ以上甘えることはできない。楓の本当の気持ちに向き合うためにも、私たちが成すべきことを自分たちで考えないと。
「少なくとも、楓の様子が冷たくなった理由さえ分かればいいのになぁ~」
「それが分かったら苦労しないよ。ていうか、それが私たちの考えるべき全てだと思うんだけど……」
「う~ん、やっぱり学校の環境が変わってストレスが溜まってる……とか?」
「私もそうだと思ったけど、学年が上がっただけで楓がストレスを感じるとは思えないんだよね。だってほら、大舞台のライブですら緊張しないんだよ?」
「そっかぁ~確かに。だから余計に気になるよね、楓の心境が……」
こればっかりは、本人に直接聞かなきゃ分からないのかも……。そもそも取り合ってくれるかも怪しいから、できるなら事前に事情が分かればこっちも話しやすいんだけどね。
「春休み中に会った時は何ともなかったよね? むしろ先輩になったら後輩をこき使えるって喜んでたし」
「それはそれで問題な気もするけど……。まぁ、それがいつもの楓だからね。いつもみたいに暴走されると調子狂うけど、あれだけテンションを下げられたら更に調子が狂うよ」
「雪穂は楓と言い争いをしている時、いっつも楽しそうだもんね。調子がおかしくなっちゃうのも無理ないよ」
「ちょっと亜里沙……? 別に楽しくはないから。楓の発言に呆れてるだけだし……」
「それが楽しそうなんだよ♪」
「そ、そう見えるのかなぁ……」
彼女の傲慢な発言といい、下品な発言といい、それを受け流すのが私の役目になっている。亜里沙は天然過ぎて、どんな言葉でも素直に受け入れちゃうからね。楓もそれが分かっているから、根も葉もない話を私に振ってくる。私としてもそれが楽しい……か。
確かに言われてみれば、そんな関係にももう慣れた。流石に1年間同じコミュニティにいたら、会話におけるそれぞれのポジションも明確になっている。2人のぶっ飛んだ会話には時折追いつけなくなるし、なんなら最初から追いつくことを諦めているくらいだけど、そこが自分の居場所と考えるととても落ち着く。もうこの3人でなければ私が私じゃないような気がしてならない。いつかは1人立ちをしなければならないって分かってるけど、せめて高校だけはこの3人で一緒に――――――
「1人……?」
「雪穂? どうしたの……?」
分かったかもしれない、楓の悩み事が。
でも、当たっている保証はない。もし間違えていたら、楓をより傷付けてしまうかも……。
すると、俯きながら歩いていた私たちに影がかかった。
顔を上げてみると、そこには――――――
「雪穂、亜里沙?」
「「零くん……?」」
なんていうか、相変わらずいいところで現れるよね、この人は……。
To Be Continued……
別にシリアスモノが好きな訳ではありませんが、たまにはこういった話を描いた方が文章にメリハリがついて、いつもより短時間で描き終えることができます。
逆に言えば、今回のシスターズ編を完結した後に頭が悪いギャグ話を描くことを何より楽しみにしている自分がいます(笑)
それにしても、執筆している自分が言うのもアレですが、雪穂も亜里沙も健気でとても可愛いです!(笑)
次回は楓視点の話からスタートです。
まだ少し暗いお話が続きますが、あの男がでてきたのでなんか安心できますね(笑)