東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第七十三話 妖羊跋扈

 乾き始めた空気と重く沈んだ気配が深くに満ちる夜。

 遠くを見れば明るく灯る電灯も、日々を暮らす人間達が奏でる喧騒もある。

 だというのに、今夜は特に暗暗(くらぐら)しい。もう直に満ちる月も高々浮かび、弱々しいが星々の煌めきすらも見え、季語に照らし合わせるなら良夜と言っても間違いではない今宵。変哲のない夜にそう感じてしまうのは、月下を行く者達の中に一際暗い力を湛えた女が混ざり込んでいるからだ。

 

 月の明かりに彩られ、赤みを増した紅葉樹の合間を抜けていく彼女。

 未だ彷徨い慣れない現代で足早に向かうのは眼下にきらめく町の灯り。

 あの後、若い二人の活気賑わう部屋を出て一人でどちらに向かったかといえばそれは山。つい今しがたまでは茂みを分け入ったすぐ辺りで赤銅色した木々と青さ弱まる雑草達をベッドに体を揺らしていたが、幾何かの時間が過ぎた今は過ごしていた山裾を離れたようだ。

 

「今頃は眠られたか、それとも語らい続けているのか」

 

 目的地などないはずなのに真っ直ぐ下山していく彼女、踏み締める足元も次第に柔らかな山土から敷き詰められた砂利、ひび割れたアスファルトに切り替わる。そうして山と町の境界線上を越えて間もない辺りに姿を見せると、ヒールに刺さった枯れ葉を払いサクリからカツンに足音が変わる。それを皮切りに彼女は立ち止まり、無表情なままに月を見上げて呟いた。

 それから一息、吐き慣れない落胆の息を吐き出すと、僅かに開いた口からは鮮度の良い血の香りとそれを運ぶ白んだモヤが見えたが、すぐに掻き消えていった。未だ凍えるほどの季節には至っておらず陽の光が降りる時間帯は薄着一枚でも過ごせる気候だが、日中に晴れ渡れば渡るほどその陽が陰ればよく冷える。今日のような空が高く澄んだ夜はよくよくに冷えて、おかげで一方的な話相手も夜に映える様子だ。

 

「どちらにせよ戻るには早いか」

 

 起伏のない声を夜風にのせて、時折腹部を擦りながらアイギスが町中を歩いていく。その呟きは出てきた部屋で過ごす二人、昔話に花が咲き、幼き頃を思い出すように同じベッドで寝たはずの女子高生達に向けてだろう。

 

「であればもう少し散策してもよろしいでしょうか、ついでにおかわりにありつければ上々‥‥と考えますが、ね」

 

 ほのかに顰む顔付から機嫌の悪さを振り払うように頭を軽く振り、そのまま首だけで振り返ると、来た道を眺む。案じる思いも視線と共に変わるが見返したところでなにもない、あるのは宵闇に染まった山肌とランダムに飛ぶ羽虫の飾りが目立つ街灯に閑静な通り。

 それと、起きてしまった事件の現場に向かっていく赤々しいサイレンの波ぐらい。

 

「……今晩はこれまでと致しましょう、これ以上はどうにも――」

 

 目立ってしまいますね、そう言い残して再度歩み始める。 

 山に向かって鳴り響くサイレンから遠ざかるように街灯並ぶ方面へと足を運び始めるが、なんでもない曲がり角にぶつかるとその足はまた止まった。意識する物などなかった交差点にひとつ、気になるものが出来たからだ。

 

「間食にもなりませんでしたね、困ったものです」

  

 アイギスの足を止めたのはカーブミラー。

 当然映っているのは見慣れた彼女自信だが、思わず見つめ直してしまうくらいに今の姿が気になってしまった。

 湾曲した鏡に映るその姿、それは随分と荒れている。昔から変わらない三つ揃いは無理矢理に剥がされたような跡が見え、頬や唇の端は赤く汚れている。長く続ける客商売の流れからこうした姿を見せることなど殆どない彼女なのだが、今のアイギスはらしくないくらいに乱れていた。

 

「失敗しましたね、私としたことが浅はかでした‥‥」

 

 鏡を眺めながらやれやれと手を伸ばし、顔に添える。

 そのまますっと横に流すと頬や口端に残っていた鮮明な赤色は綺麗にするりと指先に移った。

 

「そもそもあの者を見習う事自体が間違いでしたか」

 

 指に乗る誰かの血液を舐めて、己の唾液で光る指に語りかけながら無理矢理に緩められた跡が見られるタイを直すと、そのままシャツのボタンにも手を伸ばした。けれどその手は動かず。見れば、きっちりと留められるはずのボタンは台衿から前立てまで千切れた跡だけを残して失われてており、開かれたシャツから覗く赤々しい手形の残るブラジャーや胸を隠すものはないようだ。

 

「衣服だけ乱され、満腹感も心地良さすらも味わえないとは」

 

 二度目の深い溜息を吐き出して破られたシャツや上着に自身の魔力を流し込む。出し惜しむようにゆっくりと身嗜みを整えると、彼女は最後の〆にタイを締め直す。

 さきほどまでの姿と今の物言いから鑑みれば『あの』とは紅い屋敷に住まう同族のことで、己が欲望に忠実な性悪小悪魔を習って堕とした人間(獲物)を今晩のディナーとしたらしい。淫魔に近い小悪魔と比べれば誘い下手なアイギスだが彼女も悪魔、人を堕とし喰らう者。食事と称して及んだ行為は過去にも経験しているし自分では得手の内としていたが‥‥久方ぶりに人を誘惑したせいか加減を間違えたらしく、惑わされた人間は己が発した色良い欲に振い立ったまま事切れてしまい、悪魔の腹を満たせるほど長持ち(・・・)しなかったようだ。

 

「どうしたものでしょうね」

 

 添えている手に隠された唇から思わず出た愚痴は、どうしたものか。

 呟やかれたそれは今後の食事に対する懸念。

 彼女が好み、欲するものといえば人の発する恐怖心だが、こちらの世界で食した人間からそういったものは得られておらず、饑さに悩む日々が続いているようだ。生まれた地や紅魔館で過ごしていた昔には、あの悪魔がまた暴れている、迂闊に関われば自分達も餌食にされると、そう考えて怯えた人間達が大勢いて、その連中から溢れる恐怖や畏怖を堪能出来ていた。そして、そんな食事法は幻想郷に移り住んでからも大して変わっておらず、現住する地底でも鬼や土蜘蛛相手に派手な喧嘩をしては、またあいつらが始めやがった・触らぬ悪魔になんとやらだ・クワバラクワバラだと、形こそ変わってものの地底の住人から溢れてくるご馳走を味わえてもいた。そういった経験からこちらの世界でもそのままのスタイルで食事にありつこうとしていたのだが、アイギスが襲ったところで化け物の存在を忘れて久しい人間達から化物に対する感情などは生まれず、散り際に光る恐怖の最中でさえも誰か他の人間に襲われたとしか思わない、思われなくなってしまった。

 

 故に得難く、彼女の計画とは裏腹にその腹が満ちることはない。

 その代案としての代用食、現代に生きる人間が昔と変わらずに持っている性欲を高ぶらせ、放たれる精を奪うことで日々を凌ごうと考えたらしいが、先のぼやきから鑑みればこちらの結果も同様なのだろう。仮にアイギスが好む他の楽しみ、血で血を洗えるお戯れでもあれば少なからず満足出来るところなのだろうが、生憎こちらの世界ではそれを味わうのは難しい。時間を忘れて立ち会える花の大妖怪や鬼、土蜘蛛といった喧嘩友達と並べる物がこの現世にいるとすればまた話は変わるのだろうが。

 そんな都合があったからこそアイギスの行動が大胆に、昨今のニュースで賑わうくらいになってしまったのだが、TV画面を賑やかにしている要因はアイギスだけではなく、別の誰かが関わっている形跡も僅かだが見られる。地元ニュースでは一様に被害者と流していたがそれはニュースらしい誇張が強い、彼らを正しく報道するのであれば行方不明者と伝えるのが正解となる。忽然と消えてしまった彼らの数はアイギスが手を付けた以上に増えていて、この地の神はそれら全てを羊の仕業と考えていたようだが‥‥この続きは後ほどにしよう、暫し足を止め考えていたアイギスがまた歩みを戻し始めた、どうせ頭を回すなら別の方向にと、諦めと共に思い出した別件へと動くようだ。

 

 ミラーに写った悪魔の背中が明るい輝きへと向かっていく。

 満たされない彼女が腹を撫で擦りながら通りを巡り、角を曲がると少しずつ変わっていく景色。舗装された山路からそこへと続く路地、路地より伸びる人の営みへと街並みが変化していく‥‥が、その途中、繁華街へと通じる道端に出ると彼女は足を止めてしまう。見つめている方面、歩む先から伸びてくる何者かの影に懐かしい匂いを感じたからだ。 

 

「気ままにお出かけとは、私達が考えていたよりも満喫されているようで」

 

 立ち止まったアイギスに届く声、それは聞き慣れたものであった。

 落ち着きと色気の両方が同居する、例えるならばそんな声色の誰かが恐れもなく声をかける。 

 

「……おや、何方に声をかけられたのかと思えば。普段着に感じられる冴えもよいですがそのような柔らかな洋装もとてもお似合いで、美しさに磨きがかかって見えますね」

 

 声の主を懐かしみ、その姿をも懐かしむようにアイギスは語り、歩み寄る。

 二人が並ぶと際立つ違い。細身のパンツスーツを着込むアイギスと比べれば華奢で柔らかなイメージが見受けられるもう一人。彼女が着ているのは季節の感じられるニット素材のワンピース、魅惑的な足をさらけ出す丈の短さや腰に回した太いレザーベルト、肩から斜めにかけた小さなショルダーバッグがその体の凹凸をより強調して見せている。

 

「お褒めに預かり光栄ですがこの姿に大した意味はありませんよ、あちらの普段着では目立ちますので少々化けているだけです」

 

 本人はあまり気に入っていないのか、谷間を通り鞄に繋がる細い紐やベルトのバックルを指でなぞり、褒め称えたアイギスの視線を遮りながら片腕の肘にそっと手を添える話し相手。

 目を引く体を隠すような楚々たる立ち姿で言い返したのは、あるはずの耳を隠し、本体よりも目立つ九つの尾までも隠した幻想の郷の民、九尾の狐、八雲藍であった。

 

「ご謙遜を、よい着こなしかと存じます」

「それは紫様の見立てが良かったからで‥‥」

 

「その物言い。お姿に変化はございますが藍様もお変わりないようで」

「アイギス殿も変わりませんね」

 

 一時は同じ主に仕えた二人が軽口混じりに久しぶりの再開を交わす。

 深々と下がる羊の頭を眺めほんの少しだけ目を細める藍。そこにあるはずの大きな角がないことに一瞬訝しんだようだが自身も目立たぬように見た目に細工をしていることからアイギスも同じと考えたのだろう、納得したような声で言い返す式。

 これは余談になるが、先には狐として化かしているのだと藍は主張したがそれは嘘だ。使いを命じた主が『あちらに出るなら時代に即した格好をすべきね、少しは御粧しをしましょう』と、予め用意していた着替えを強引に押しつけて、困り顔の藍を愛でながら自ら着せ替え人形のように遊んで送り出したというのが真実である。

 拒否する姿勢を見せるも脱がされ、着替えさせられた藍が苦笑いしている間もずっと式の式を抱っこしつつ笑っていたスキマ妖怪。片腕は橙の腹を撫でつつスキマから洋服や小物のあれこれを取り出して、可愛い手駒の唇に紅を引いたり目元に色を注してみたりと、結構楽しんでいたらしい。異変では真剣な姿を見せたあの妖怪の賢者も何事もなければ案外暇な生活、もとい時間に余裕のある暮らしをしている。

 

 話を戻す。

 そうして返事が返ってくるとアイギスも頭を上げた。

 気恥ずかしさが伺える狐と視線が合うとニコリ、日々の商売で培った営業スマイルよりも柔らかな顔を浮かべる羊。幻想郷の竹林で別れ別の世界で顔を合わせた彼女達、最後の会話は互いに愛する者達を賭けた交渉に近い脅迫だったはずだが顔を見合わす両者ともにわだかまる素振りは見られない、それどころかアイギスも藍も柔らかな表情のままに会話を続ける。

 

「こちらの世界でお見かけするとは思っておりませんでしたね。して、何用で?」

「使いを二三仰せつかっておりまして、買い物と各地を周りながら勧誘を少々」

 

 親しげな顔で語らう二人だったが内容は少々、いや随分と黒い。

 藍からの『使い』に浅い頷きで答えるアイギス、こちらで見かけることなど考えていなかったと何食わぬ顔で述べたがそこが黒い部分、日々の食事に困りながらも焦りを見せない理由がこの出会いであった。正確な時期までは考えあぐねていたがそのうちに八雲の誰かとは出会えるだろう、アイギスはそう踏んでいた。過去の付き合いから現世に赴き神隠しの名を借りて食料調達をしていると知っていた、ならばソレに似た行為を真似ていれば補充のついでに様子見しようとこちらにも来るのだろうと、その時に遭遇すればよいと読んでいた。そうした考えの元で過ごす中に見かけた隙間、早苗が開いた冷蔵庫の隙間に見慣れたスキマを見かけ、出張ったのが今宵のアイギスの動きである。

 ここに付け加えるならば、幽々子の起こした異変や月の異変でアイギスに売掛ばかりを重ねている紫だ、借り受けているものを何かしらの形で支払わなければ今後アイギスを使いにくいと理解しているはずで、いつまでもそのままにしておくつもりはないはずだ。そこで今の状況、アイギスにしてみればアクシデントに近い状態の今に恩を売れば積み上がる借金も楽に返上できる。その上そうした支払い方をすれば後腐れもないし断られることもないはずと紫ならすぐに思いつく。友人と呼びあう仲だからこそ考えつく互いの動き、どちらも打算的な面が強く感じられる気もするが方や商売人でもう一方は買った側だ、こうした動きも勘定のうちにあって然るべきであろう。

 

 対して藍のほうだが、彼女も彼女でやはり黒だ。

 勧誘と耳聞こえの良い物言いをしたが彼女に下されている命は人攫いのそれである。間近に起きた月の異変。幻想の結界を守護するコンビを筆頭に禁呪の魔法に長けた者達や幽冥の地より現れた者らの活躍により解決された永夜の異変だったが、あれは一夜の出来事で済んだとはいえ解決までそれなりに時間もかかっており、その間に人も妖怪も月の灯りを浴びる事になった。

 見上げるに美しい大きなお月様、人からすればその程度であったが、夜に生きる者達の、特に弱々しい連中にとっては浸るに甘い月の魔力が心を躍らせるのに十分な毒となったらしく、衝動に耐え兼ねた者は人も妖怪も無関係に襲ってしまい人間側にとってはそれなりの被害となってしまった。幸いな事に影響があったのは小者ばかりで幻想郷の人間達が滅するような騒動とまではならなかったようだが、中には腹が満たされようと襲う事をやめなかった者もいて、そういった月に酔わされた者達のせいで幻想郷に生きる人の数もそれなりに減ってしまっていたのだ。

 鼠や兎ほど旺盛ではないが放っておけば伴侶を見つけて勝手に増える人間達、暫く待てばまた元の数くらいまで戻るのだが今回は妖怪側にも人側にも傷ついた者が多く、人が産めよ増やせよと過ごしても元通りになるまでに結構な時間を必要とする。管理側としてはそれなりの早さでそれなりに増えてくれてないと傷ついた妖怪の癒やしにもならないが時間がそうと許さない為に、色々と懸念した管理人がテコ入れ策として弄したのが藍の動き、外の世界での人攫いになる。

 

 山深い自殺の名所や人の臭いのしない自然の奥底・最近では大都会の片隅や小さな駅のホームなど、こちらの世界で生きる事に疲れた者や誰かと関わる事に疲れ果ててしまった者達が身を投げ込みやすい場所に開かれたスキマ、紫が張り巡らせた罠と言うべきか、それに掛かった者の回収や場合によっては藍自らを餌にして得物を(ぎょ)すなどをして、急ごしらえだが人妖のバランスを取ろうと試みていたのがこちらの世界の行方不明騒ぎの一つでもある。やり過ぎれば不審が募るが今は紫に変わって犯人になってくれている誰かがいるため、然程気にせずに攫うことができているようだ。

 

「お一人で‥‥藍様がこちらにいらっしゃるのなら紫様もご一緒するものと考えていましたが」

「平時であればそうですね、私が毎回のウィンドウショッピングに慣れるくらいには紫様もお見えになります‥‥ですが今は手が離せず、代わりに私だけが出て参りました」

 

 平静な往来で語らう妖かし達、片方は一瞬だけ呆れも見せたが平然さは変わらない。

 呼び出された悪魔ならともかく、今や存在を否定された妖怪が現世に現れて問題ないのか?

 アイギスからの問いにはこうした部分も含まれていて幻想郷を知る者ならば当然に浮かぶ問題だが、この九尾、八雲藍ならば問題ないと言えよう。彼女は高名な大妖、暗躍するスキマの式であると同時に藍自身が大国を傾け封じられた文献が残るような金毛九尾の妖狐だ。そうした逸話も封じられたという現物も未だこの世で語り継がれており、本人が姿を消していたとしても簡単に忘れられるはずがない。

 仮定の話になるが現れたのが藍ではなくとも、ある程度の自力を持った妖怪であれば問題には成り得ないだろう。化物を忘れた概念に満ちる現世に否定されようと真っ向から抗える者、己を個としていられるだけの力がある者、存在の否定を否定出来るだけの力を宿した者達であれば幻想郷の外でも妖かしとして活動することが出来るはずだ。

 

「代理、ですか?」

「紫様御本人が騒ぎの場に姿を見せていまして手が離せぬと、それだけの事ですよ。紫様は異変の最中におられますので」

 

「では前回に続いて妖怪が異変の解決に動いていると。月の異変から連続となりますと、何かルールの改定でもされましたか?」

 

 頭を傾げ、問いかけるアイギス。

 紫が認めて巫女の敷いた命名決闘法案には妖怪が騒ぎを起こし人が解決するものだと記載されている。けれど前回に続き今回も妖怪、それも八雲紫自身が動いている事が約束に煩い者として引っかかったようだ。

 あのルールは紅魔館が広め冥界の姫が更に流行らせた、その結果幻想郷で人妖が争うルールとして正しく広まり、終わりのない夜が続く異変でも破られはしなかった。元凶こそ紫に知られぬまま過ごしていた者達ではあったが、舞台となった竹林自体は以前より存在していて隠れ住む彼女達も過ごす土地で根付き始めたルール自体は兎を通して知っていた、そうしてそれに則り異変で争った。騒ぎの渦中には幻想郷の危機と受け止め特別ルールとして人妖交えての動きとなってしまった紫達だったが、解決された今に思えば人と妖怪が組む異例こそ両者の間にある完全な実力差を否定するものとなり、互いに美しさと思念を競う事になったのだとも言えるのかもしれない。

 

「そういうわけでもありませんが‥‥失礼、言葉が足りませんでしたね。異変とは言いましたが今回は宴に近い状態になっていまして。なに、寂しがりな元凶が連日酒宴を開き騒いでいるのですよ。その者と親しい関係にある紫様もその場に混ざっておりまして、今頃はその酒宴の為の酒を集めながら皆を誘い歩いておられるはずです」

 

 返事を待つアイギスに藍からの回答が語られる。

 紫は結構な人数に声を掛けた。

 呼びつけておいて酒が足りなくなると格好がつかない。

 だから藍が買い物に出された。

 少しだけ苦笑して語った藍の話を要約するとこうなる。話を聞くだけでは異変というよりも祭りに近い状態になっているようだが、話していた藍の顔には異変を危惧する素振りもなく、幻想郷の管理者が言う通り異変の形を借りた荒々しくも賑やかな催事程度と見られているのだろう。

 

「なるほど、その騒ぎで振る舞う酒の仕入れにいらしたわけか‥‥異変も、首謀者はあの鬼で凝りもせずまた萃めていると、今回の流れはそうしたものですね」

「鼻の良さは健在ですね。はい、以前は地底の者を集めるだけでしたが今回は人妖怪関わらず集めている様子」

 

「二度目は正しい異変となりましたか、なんとなくですがあの鬼のらしさが感じらますね」

「嘘を嫌う鬼らしくない姑息な面も見られますがあれも正真正銘の鬼ですからね、素直な一面も持ち合わせているのですよ」

 

 手段が気に入らず一度は争った相手だが喧嘩の場では良き手合いとなってくれた。

 その部分では伊吹萃香に感謝している黒羊、今は素直に褒めていく。

 

「でしょうね、あの種族の拳は愚かなほどに真っ直ぐで好ましく感じられますれば。しかしあの紫様が遊びの場に混ざるとは珍しい事もあるものだ‥‥何か狙いが?」

「さて、そこは分かりかねます、知っての通り思慮深い御方なものですから」

 

 私では読み切れない、そう言いたげな藍だけれど言わないのは慕ってやまない主人だから。

 事実藍は何も聞かされていない、紫が語る状況や溢す土産話からある程度察することは出来てそこを元手に話すこともあるにはあるが、紫の考える先と藍の考える先が100%重なる事はほとんどないと言っていい。常に数歩先を歩かれて先で振り向き微笑んでいる主、それを追いかけていくのが藍の現状だ。但し主の方はゆくゆくはそうなってほしいと考えている節もあり、いつだったかインタビューしてきた天狗に対していかに藍を愛しているか目をかけているかを話していた事もあるくらいだ‥‥残念ながらその天狗記者は愛のある教育の為の鞭ではなくただの折檻、動物虐待としか記載しなかったようで、その記事を鵜呑みにする輩も少なくはないが。

 話が逸れたので戻そう、折檻の被害者からの物言いを少し考えた後でアイギスが頷き、それを切っ掛けに話も進んでいくようだ。

 

「前回の異変では少々危うい状況になりましたので、ただ集まって騒ぐだけの今回は良い息抜きになると仰られておりますね」

「であればなにより。やたらに永く感じたあの夜は私も楽しむ事が出来ました、西行寺様やレミリア御嬢様と争い、ましてや討たれるなどとは考えておりませんでしたがね……しかしそのおかげでお嬢様や妖夢殿の成長を感じ取れるいい夜にもなりました」

 

「憎からず思う者達に滅ぼされて尚楽しかったと言われるか。やはり貴女も読みにくいな」

「何方と比べられているのかは問いませんが私は単純ですよ? 幼き頃より見守ってきた子の成長を目で見て体感出来るなど滅多になきこと。いつまでも子供だと思っていた者達に抜かれ、越されていく瞬間を味わうのも存外に楽しいものです」

 

 沈まない月が登り続けたあの夜、永夜異変と呼ばれるようになったあの頃を思い出すアイギス、さも楽しかったお戯れを語るかのように述べ、その目になにかの気持ちをこめる。

 

「それは‥‥そうですね、あの子も無事にやり遂げてくれましたし、わからなくもない」

 

 わからなくもないでしょう? そうした思いが籠もる視線をアイギスが投げかけると、藍も数拍置いた後で同意の返事をしてみせた。

 藍と最後に交わした会話こそ交渉となってしまったがあの場での事は互いに納得済みだ、捕らえた者と預かっていた者、二人共に大事に想う者らは正しく人質の交換として纏まっていて、あれについてアイギスが蟠るなどはない。そうして藍も、結果はともかく経過としては子守りをすると約束し橙の事を見てくれていたアイギスに対して憎むような感情はない、寧ろ読みにくい相手を信用しすぎた己に否があると考えるくらいで、溝となることもないようであった。

 あの夜は参りました、少しだけ苦みの薫る表情で話し、橙についての礼も述べる藍。話題と共に頭を下げる側が変わると更に話が進んでいく。

 

「そのお嬢様ですが彼女にも鬼からの招待状が届いているようですよ、残念ながら楽しんでの参加となってはいないようですがね」

 

 頭は上げたが少しだけ目を伏せて、笑みに僅かな怪しさを含ませた藍が楽しめてはいないという吸血鬼の表情を皮肉るような顔色をアイギスに見せつけ、その手を流す。形とした招待状などはない、萃香が能力を用いて萃めているだけなのだから当然だ。けれど藍は敢えて仕草をしてみせた。

 蝋で封じられた手紙を開封するようにゆっくりと手元を動かして、大事な書状を開くが如き仕草を取りアイギスの興味を惹いてみせる。これから紫が誘いに向かう先がその屋敷だと知っていて、それに連なる命も課せられているから、ここぞとばかりに気を引いていく。

 

「何か懸念すべき事でも?‥‥私が掘り起こした魔力は私の死と共に効力を失ったはず、であれば鬼を相手にしたパーティーでも遅れを取る事などないように考えられますが」

 

 わざとらしい誘いにアイギスが乗り問うていく。

 質問内容は現在のお嬢様について。

 散り際には自我を取り戻していた黒羊、彼女が最後に見た光景は片膝立ちのレミリアの姿で、あの争いでレミリアの魔力は確かに掘り返されていた。アイギスの能力により真っ向から綺麗にくり抜かれて失いはしたがその効果はあの場でのことだけ、完全になかった事とされたソレはアイギスの消滅と共に効果がなくなったはずだった。

 それでも後々まで引きずってしまったのはレミリアがそうと知らなかったから、それだけのはずであった。自身の力が戻っている事に気が付かないなどよほどの間抜けくらいと思えるが、あの晩から暫くの間レミリアは呆けていたし、己のことよりも考えるべきもの、考えなければならないことと対面していた為致し方なかった。それに、永く過ごし共に見合ってきた相手、死ぬはずなどないと考えていたアイギスが眼前より消えていく光景はレミリアの中では月のそれよりも大きな異変となり、大きなショックでもあったのだ。

 

「今は魔力も戻っていますね、誘い自体には気乗りしているようで従えるメイドや幽々子様を相手にダンスも踊っています‥‥リハビリに逸りすぎたのか、少々の疲れも伺えますがね」

「それは致し方ないのでしょうね、あの鬼や西行寺様を相手に踊っておられるのでしょう?」

 

「踊り疲れているわけでもなく‥‥私が見る限りですが心を配る事に疲れている様子で、聞き及んでいる話であればお伝えするのも吝かではないのですが……」

 

 話す最中に雰囲気が逆転していく二人。

 穏やかに聞き入っていたアイギスは少しずつ苦々しく、けれど苦しさよりも何か別の物が混じった笑みに。藍は主と組んでからかってくることが多い相手を逆にからかえることが喜ばしいような、そんな表情へと変わっていく。吝かではないから続く藍のお話、それは永遠に幼い赤い月よりも更に幼く部分的に赤くしてしまっている者が

、姿を消してしまった者を探そうと奮闘しているというお話であった。


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