東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第七十一話 神は悩みの風を吹かす

 少し角度を上げてみれば視界に収まる赤や黄色。

 ()れ始めた山木が魅せる秋の賑わい。

 よくよく見れば今はまだ力強い緑がところどころに残っているが、過ぎた季節の残滓はもうすぐにやってくる本格的な寒気に蹴落とされ次第に減っていくだろう。そうして緑がなくなると一瞬の隆盛にはしゃぐ暖かな葉が主役となるが、そうした紅葉(もの)も時を待たずしてはらはらと散っていく。

 

 大昔から続く景色の移ろい。

 それは遥か彼方、神代七代の時代に契を結んだ神が安定せず揺らめき続ける大地を穿ちこの国の元をお創りになられてから始まった事であり、そうした自然の営みは間もなく地に馴染み、文字通りごく自然的なものとなった。 

 昔も今も、この国に住まう者ならば誰でも、どこにいても感じられる物。文化の芽が華開いた現代社会においても大地の変化は常にあり、少し視点を定めれば美しい情景が見られるはずだが、今を生きる人間達の多くは一時の話題とするのみで心から愛でようと、感謝しようと考える者は本当に少なくなった。

 

 地は移り変わるもの、四季は巡って当然と考えられるようになった現代。

 向けられるべき自然への信仰心は薄れ、消えて。

 移ろう季節は天からの授かりものではなく、今やイベントの1つとしてしか捉えられなくなった昨今の人の世。

 

 そんな今世にて、情景も見ずに視線を落としている者、一人。

 かつては豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)を支えるように(そびえ)えていた大きな柱、今では境内の中で朽ちかけ自然に帰ろうとしているそれを遠くに背負い、本殿のその中央で信仰と共に消えかけている神の姿があった。

 

「万象一切紐付いて成る、か。また新たな(ことわり)が顔を出したようだね」

 

 冷える神殿の床から僅かに浮かび上がり、あぐら姿勢で手元の文字を追う。

 手にする文字群、昨日の学校帰りに娘が買ってきた新聞の記事を眺めてぼやくのはこの社に祀られる神、八坂神奈子。

 読み上げた文章は近年信憑性の増してきた学論の一つ。

 概要を語るなら、物質の最小単位は粒子ではなく一本の紐であると論じているか。

 人では認識出来ない須臾の世界に広がる紐たちが結びついたものが物質であり、それらはどのような力場においても一つの物として繋がり統一されるもの、されるべきものなのだ。と、そういった観点から論じられた解説文である。

 論自体はさほど目新しいものではなく過去の学者達も唱えていた説ではあったが、ここ数年の内にまた名前が上がるようになってきていて、今になり世間に再認知され始めたようだ。

 

「超統一物理学は新たな自然法則として受け入れられるか、ねぇ。これは論調からすれば発掘になるのかね?……どうにせよ人の進歩はめざましいものだな、このような論が世に通ずれば我らの肩身など益々失せてしまいそう‥‥」

 

 いや、既に殆どがないようなものだったね。

 そう言い切った後で小さく、軽く笑い、紙面から顔を背けるように寂しい独り言を呟いて、正面に見える参拝路へ視線を投げた。

 古くは名にし負う守谷の社と馳せたこの地も今は訪れる参拝者など殆どおらず、静かな境内では枯れ葉と小鳥が賑わいを見せるのみ。そうして音なき境内を儚げな表情で見つめた後に、今日も今日とて澄み渡り事もなく広がる空に至るよう、山の神が顔を上げた。

 

「今日は話し合いと言っていたか。文化祭の会合との事だが今日もそれだけで終われば良いが」

 

 神社の住居スペースに神奈子が聞き耳を立てる。

 うっすらと聞こえる生活音は台所方面から。リズミカルに何かを刻んでいる音と、コンロに掛けられているだろう鍋の湯が湧き、火が止められた音が薄く流れる。

 天を照らす太陽が登り少し経った今だ、これらは一人娘が学校へ出る前に毎日欠かさず行われている神事『日供祭(にっくさい)』もとい朝餉の準備の音だろう。

 火を止めて御御御付けの味噌を溶いて、後は器によそうだけになると敬愛する神を呼ぶ声が聴こえ、それに応えて社務所に向かうのが昨今の神奈子のお決まりであった。

 

「八坂様~! 諏訪子様~! 朝ご飯ですよ~!!」

 

 噂をすれば届く声、毎朝変わりなく呼ばれる二柱の神名(みな)。幾分後者の名前が強く呼ばれるも返事を返すのは先に呼ばれた神のみで、もう一柱からの反応はなかった。

 けれどお声掛けした娘に気にした素振りはなく、慣れた調子で卓に皿を並べていくのみ。

 今は声を返してくださらないが消えてしまったわけではない、深い眠りの中にいて気がついていないだけ、日によっては時間をずらして目覚めてくる事もあった為諏訪子の分も欠かさず用意し呼ぶようにもしている、これが早苗の朝の決め事らしい。

 事実諏訪子は顕在で未だ神としてこの社に存在はしている、だがその姿はここ数日の間誰にも見られていない。と、こちらを掘り下げて語りたいが今は他の面を見ていこう、この間に食事の準備も出来たようだ。

 

「おはようございます! 八坂様!」

「おはよう早苗」

 

 朝らしい食事が並ぶ卓に祭神が鎮座すると元気の良い挨拶が始まる。

 これから向かうだろう学校の制服にエプロン姿の早苗が笑顔と共に語りかけると、穏やかな声と尊顔を見せる神奈子。二人で着くには少し大きな卓に腰を下ろして、今日の天気予報を知らせていたTVを一旦消すと神眼を閉じ、唱和し始めた。

 

「鎮座、一拝一拍手‥‥たなつもの」

「たなつもの」

 

(もも)木草(きぐさ)も天照す 日の大神の めぐみえてこそ。さ、頂こうか」

「はい、頂きます」

 

 神の唱和に合わせて顎が引かれ、柏手が打たれる。

 そうして続いた一節が静かな食卓で流れた後、消されたTVが点り楽しげな地元の催し物の知らせが流れ始まると、社の日供祭(あさごはん)が始まった。暫し無言で食べ進め、ある程度満ちた頃神の眼が液晶に向かう。合わせられている局はこの地方限定のローカル局らしく、今時期のこの地域で一番の賑わいを見せる場所をレポーターが歩いていた。

 

「あぁ、もうそんな時期なのかい」

「明日みたいですよ、駅前の通りも賑やかでした」

 

 流れる画面を見る二人がそれぞれ感想を述べる。

 それはこの街で数年前から始まった人間の催し物で、通りに並んで商う酒屋が日を揃えて騒ぐイベントが開かれる。画面にはその準備に追われる店の者達や街道で見物する人らの賑わいが映し出されていた。

 

「プリンで良ければまた買ってきますよ」

「諏訪子が喜んだあれか、そうだね、よろしく頼むよ。出来れば酒も願いたいところだけど」

 

「今は売ってくれなくなっちゃいましたからねぇ」

「そうだねぇ、正月の奉納品を一人で空けるだけが私の楽しみになってしまったなぁ……早苗が小さかった頃は頼めたのにねぇ。家の買い出しすら気軽に出来なくなるとは、本当に世知辛くなったものだ」

 

 見つめる先を同じにした二人の会話。

 早苗は丁度写り込んだ酒蔵が仕込む人気商品を話題に、神奈子の方はそれを踏まえての語り。

 まだ早苗が幼かった頃はメモ帳片手に店に行き四合の酒を買う事も出来たけれど、早苗の見た目が大人と見紛うくらいになった今はそういった買い物を気楽に頼む事も出来なくなっていた。

 昨今の情勢や新たに敷かれた法の元生きているこの世界、そこに住む者としては致し方ないと感じつつも、少しのボヤキは出てしまう神。

 

「お正月ならちょっとくらいは……後5年くらい待っててもらえればお相手出来るようになりますから、それまで我慢してくださいね」

「ほぅ、私の相手を早苗がねぇ、お猪口一杯で酔ってしまうようでは相手とは言えないよ?」

 

「それはその‥‥精進します! はい!」

 

 お屠蘇の一口で顔を真赤にする娘、彼女を見つめて微笑む親。

 日常を笑い合う二人の会話は親の目線の先にあるものにより終わる。 

 

「まぁ、期待しないで待っているさ。それより時間は大丈夫かい? 今日は早く出るんじゃなかったのか?」

「あ! 本当だ!」

 

 朝餉よりも話題に注視していたからか、早苗が考えていたよりも時計の針は進んでいた。

 神奈子がそれを示すと、風もないのに髪を左右に靡かせる早苗。

 時計とテレビ画面、それから卓の食器を見つめて、大急ぎで残りの食事をかきこんでから手を合わせると食器を片付けるつもりで立ち上がるが、それは私がやっておくから早く出なさいと、対面の神より託宣を受け手を向ける先を変えた。

 揃えて置かれた箸や米粒一つ残っていないお茶碗から食卓の側に立て掛けておいた学生鞄を見つめる早苗、一瞬考えた後で脱いだエプロンを雑に畳んで茶箪笥の上に置くと、鞄を手に取り立ち上がった。

 

「焦らず、気をつけてな」

「は、はい! すみません! いってきます!!」

 

「いってらっしゃい」

 

 神奈子の送り言葉を背に早苗は駆け出す。

 老朽化が目立ってきた廊下をドタバタと軋ませて、姿が見えなくなってすぐに、今日はちょっとだけ遅くなるかもしれませんと言い残して、ぴしゃんと戸を鳴らし出ていった。

 

 その騒ぎを聞き届けて一人微笑む八坂の神。娘が出ていった廊下から目線を変えるとよく見る姿勢、片膝立ちの堂に入る姿で一人画面を睨む。

 そうして見る先が変われば思考も表情も変わる。

 先程まで浮かべていた秋空のような顔から冬場の曇り空のような、少しだけ陰りのついた御尊顔に色を染め直し、別の何かを案じる様子が浮かばせた。

 難しい顔で眺めるのは、清々しい空をバックにリポートしていた映像から昨今のニュースに切り替わったテレビジョン、明るい話題を垂れ流していた音声は神奈子の雰囲気に同じく、内容を暗いものへ変えていた。

 

 映像を見ながら一人娘のシルエットを思う。

 見送った時の口調こそ画面に映る空を降ろしたようなゆったりとしたものだったが、今の表情やそこに含まれる心情の方はそれほど緩やかでもなく。藍天を司る神様にしては暗い空気、ハレ渡るお天気だというに、纏う雰囲気はケの模様。

 

「さぁて。思い過ごしとなればよいが、ね」

 

 テレビ相手に語らい、注視する。

 今流れているのは地方ニュース。

 常であればこの周辺の出来事を小さく纏めた記事が多く先のような土地の催事について触れられるだけであるが、この数日は別の話題で埋まっており、それも神悩む原因の一つ。

 

『また一人増える被害者、彼らに接点はなし』

『住民の中には人らしき姿を引きずり歩く不審な女を見たとの証言も』

『一人で行動しない事、もし不審者を見かけたら避難して逐一情報を』

 

 情報を取り上げ述べるならこのような物になるか。

 インタビューされる者の中には、この地で祀られている古い祟り神の災厄が云々と語る者もいるにはいるが、その部分を聞いた神奈子は今更に過ぎると失笑し、膝に置いた片腕の拳を固くするだけであった。

 

「早苗から聞く限り害為す相手ではない、態度や姿勢は寧ろ好意的だったと言ってはいたが、なぁ」

 

 なぁと同時に動く神の御手、ゆるり伸ばされた腕は隣にいる親しい誰かに向けたように穏やかさがあるが、差し出されたその腕と声に返してくれる者はいない。

 ここは神社の敷地内、彼女達を祀り奉る神殿の内であり返答をくれるもう一柱も現存されているはずだが、今ばかりは独言として流れ、液晶の中に浮かぶ小さな雲と共にどこぞへ消えていった。

 

「あからさまに怪しい者だったのならば早苗も危険視したのだろうが‥‥見た目好意的な相手、親しみやすい姿で近寄ってくる者ほど危ないものだと気が付いたり……しないのだろうな」

 

 続く独言は娘の事。

 保護者達の育て方が良かったのか、住まう環境が良かったのか、或いはその全てが良かったのか。八坂の神が心を配る少女は誰に対しても素直さを見せる事が多い。極々稀に訪れる迷い子や、この時期に採れる山の恵みを摘みに来て道に迷ってしまった者でもいれば、住まう神社に祀られる二柱について説明しながら麓へ送る事もある。未だ残る少ない信者達と顔を合わせれば自ら挨拶し、お茶でも出して語らう事もあるようだ。

 そういった人としての優しさ・甘さは人間としての美徳であり、将来成り上がれたはずの神として人心を得る為の術と成り得るけれど、今はそれが悩みの種になっているらしい。

 

「諏訪子が黒と言い切った手合。今はうちの子(早苗)ではなくあの娘(菫子)に取り憑いていると聞くが……彼の者が現れてから巷が賑やかだねぇ」

 

 痕跡を残しながらも尻尾を掴ませない相手を評す。

 そうして、この者も神隠しを嗜むとでも言うのかい?

 どうなんだい?

 と、見据える部屋に問う山坂の神。

 されども返事は返ってこない、何かしらの言葉を返してくれる諏訪子は数日前に目を覚まし苦い思い出を語らってすぐ、また深い眠りの淵へと沈んでしまっているようだ。

 

「今日もだんまりか‥‥戦の最中に出会った相手ながらこうして姿が見えなくなると存外、寂しいものだねぇ。表と裏、話し合って決めたあの日からいつかはこうなるのかもしれないと予見する事もあったが実際目の当たりにすると中々‥‥くるものがあるよ」

 

 娘を按じる母の顔でいた神奈子に一抹の侘しさが灯る。

 話しぶりから守矢の裏の祭神は既に消えてしまった、そう聞こえてしまうかもしれないが今はまだ消えてはいない。それでも、かろうじて廃れずにいるだけで殆ど消えかけていると言っても間違いではないだろう。

 あの胡散臭いスキマ妖怪が現れた十年前、あの日を皮切りに諏訪子は一気に弱まってしまった、それこそ守谷の神域内である社や湖ですら姿を顕せなくなるほどに。

 どうにか神としての在り方を維持出来ている神奈子が神の終わりを危惧してしまうほどに。

 

「懸念材料を知りながら気に病む事しか出来なくなってしまったか、私も焼きが回ってきたのかねぇ」

 

 不安材料は既に仕入れている、けれどそれを取り除けない。

 そんな己を叱責するよう、膝小僧を強めに小突く。

 もう少しだけ、ほんの少しだけでも神としての力が残っていたのならすぐに動いて払った、愛娘に降りかかりそうな火の粉は今まで払ってきた。だが現在の神奈子は己の神域を守り、領域内で神として在るのが精一杯に近い‥‥故に感じる焦燥感だが、今朝は他にも案じる材料があるようだ。

 

「‥‥この地で得られる信仰も僅か、今や雀の涙にすら劣るようになってきた。いよいよもって終わりも近い」

 

 懸念するは後の神上がりか、娘の今か、それとも黒と断じた誰かの事か。

 変わりやすい秋の空によろしく、乾を司る神が一人顔色を変えていく。母かと思えば次は祭神、そうしてまた保護者の顔へと、コロコロと表情を変え忙しい神奈子。思い出したくなかった話の中にふと出てきた会話を偲び、湯呑みに残る茶へ視線を落とす。

 漂わせる雰囲気からは荒々しい風神としての姿は見られず、およそ神奈子らしくない、似合いもしない老弱さが垣間見えるがそうなっても当然ではある。諏訪子にはほど近い終わりが見えているが、こちらの神も同じ神社の祭神で諏訪子と共に信仰を得る事が出来なくなってしまった者だ、弱っている事には変わりない。それが姿として現れているか内面に出てしまっているか、その違いがあるだけなのだから。

 

「火遊びして叱って、それから生まれた孫を抱いて。その頃までは現役でおらねばならんが、僅かに残る信者が()なくなれば我らも遠からず神上がりとなろうな……」

 

 思わず入る拳の力、再度叩かれる膝。

 そうして湯呑みの中にいる己を見つめ、ぼやき、短かな沈黙の時間が流れる。

 薄緑色の水面を見つめる神奈子。

 早苗が雑に閉めた戸から僅かな隙間風が吹き抜けていくと、それに合わせたように小さな水面に輪郭のぼやけた自身の顔が映った。それはまるで今現在の在り方を表しているように揺らぐ姿。

 今までは気にしていなかった、否、覚悟を決めて受け入れていた終わりだが、今朝の神奈子には何故か受け止められず、無意識の内に風を抑え、水面から目を逸らした……

 

「昔のように、いや、昔ほどではなくとも信仰を得られれば或いは‥‥」

 

 逸らしはしたが一度は揺らいでしまった心、それは平静とはならず。

 早苗が触れた相手のせいで苦々しい昔を思い出してしまったせいか、何もせずに放っておけば愛する一人娘の今後に何かあるかもしれないと、諏訪子のように存在が危ぶまれるような事になるかもしれないと。であればこのまま指を咥えるだけではマズイのかもしれないと、未だ顔すらわからない誰かの影が、過去に諏訪子と交わした覚悟を揺らす切っ掛けとなりかけていた。

 

「消えていく者達の楽園、もはや保たなくなった者達の最後の拠り所だったか‥‥幻想郷と言っていたな。妖々(スキマ)共が跋扈するかような地であれば我らも昔のように‥‥いやいや、何を考えているんだ私は……」

 

 これ以上揺らぐ姿を晒していては諏訪子に笑われてしまう。

 なればコレ以上はやめておこう。

 弱い姿を晒していたがすぐに気を入れ替える祭神。

 日ノ本の一柱としてこれではかっこうがつかんと、落としていた視線を上げ再度天井を仰ぎ右手を軽く延ばすと、再度口を開いた。

 

「朝よいに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思え世の人。ご馳走様でした」

 

 食後の奏上を唄い、立ち上がる。

 下の句だけを僅かに強く捧げた後、己の背を押すように強く風を吹かせると、前髪を揺らし、そのまま表情を隠して厨へ姿を消していった。

 

 

~祭神祈願中~

 

 

 神が吹かせた風は山を下り、黄昏迫る町へ届く。

 そうして何かに呼ばれたように少女が秋空を見やる。

 靡く後ろ髪と巻いたマフラーを気にするように首元に片手を添えて、小気味よく鳴らしていたローファーを止め、自身の住まい方面を見上げた彼女。風に揺れ頬を撫ぜる髪をかきあげながら仰ぎ見るも、八坂の社で神が願われた(がん)になぞ気がつく事はなく、なにか空耳が聞こえたようなと、少しだけ考えるような素振りをしただけ。

 気のせいかな、すぐに考え直した少女は少しずつ見られなくなっていく木々の葉と似た、若芽のような長髪を揺らし、また歩み始めた。

 

 磨かれた爪先の向く方面には地元のスーパーマーケット。

 通っている高校での会議、近く始まる文化祭についての話し合いを終えた女子高生は今そこへ向かっている。それ程大きな店ではないけれどこれから向かう予定にある友達の住まいからも実家からも一番近くて、彼女が食料品や生活必需品を買う際によく利用してる店だ。

 

「あ、玉ねぎ安い、帰りに残ってたら買っていこっと」

 

 店舗前のワゴンセールに引っかかる女子高生。

 立ち姿も若々しく見た目こそ学校帰りの制服姿だが口振りは主婦のそれのようで、(から)の買い物かごを肘にかけ、手はその延長の顎にある。そうして品を眺めていると店内からたまに見かける相手、今も数少なく残る神社の参拝客を見かけ、小さな会釈をした。

 それから互いに会話なくそのまますれ違う、つもりが相手の体は止まったまま。老婆の目線は少女が下げた頭に向いていて、何か見慣れぬものでも見ているように感じられるが見られる側は気にもせず、自動で開いたドアを抜け中へと進む。

 

「う~ん、何がいいかな? お粥作るならとりあえずご飯と卵と、風邪なら葱が効くんだっけ? まいっか、後は……果物かなぁ?」

 

 まだ埋まらぬ買い物かご片手に、もう一方には学校指定の鞄を下げて、訪れた店内で暫し悩む。

 葉物野菜の棚と季節の果実の棚を行き来すると、使い込んだ跡の宿る取っ手の留め具部分で、実家で配布している御守りが揺れた。

 

「何がいいかな、バナナ? 柿とか美味しいんだけど自分で剥いたりしないだろうしなぁ」

 

 自動ドアを抜けてそこから中々進めない。

 みずみずしい野菜と並列する果物達の前であれこれと目移りさせて、並んでいる食料を手に取っては戻していて、どうやら決めあぐねている様子。

 

「私なら桃缶で決まりなんだけど‥‥あ、あれでいいかな」

 

 幼かった自分が病気で寝込んだ時は大概桃の缶詰だった。普段穏やかな保護者達が少しばかり慌てて、それでも優しい表情でパカンと開けて一つ口に運んでくれた。

 そんな微笑ましい昔を思い出しながら見つけたカットフルーツと、並んで置かれたキウイフルーツに手を伸ばす。意識せずに手前の鮮やかな緑の果肉が瑞々しいものに手を伸ばした彼女だったが、昔を思い出したせいか、最近はあまり姿を見せてくれなくなった神の御髪に近い果肉の物を籠に入れた。

 

「こっちのが甘そうだし、菫子ちゃんでも半分に割るぐらいは出来るよね」

 

 これから会う予定、いや押しかける相手の顔を思い小さく口角を上げた。

 風邪を感染(うつ)すから治るまで来なくていいよ、菫子からは事前に連絡を貰っている早苗ではあったが、ただの風邪で態々連絡までしてくれる事自体が珍しい為今回は余計に気になってしまい、抜き打ちでの押しかけ看病とするようだ。

 菫子が独り暮らしを始めてからまともな食事をしていない、と言ってしまうのは些かあの娘に失礼か。それでも出来合いの弁当やお惣菜ばかりを買い食いしている事は早苗も知っている、そうして今行けば『来なくていいのに、早苗ちゃんは心配性だなぁ』と、照れながら言われ、部屋に上がる前に押し返される事もなんとなくわかってはいる、だが……

 

「大きくなってからお部屋に入れてくれなくなっちゃったけど、さすがにね」

 

――友達が何日も休んだら心配くらいするよね

 追い返されるとわかっていながら向かう理由はこれだ。

 今日より数日前の週頭、霊能サークルと銘打たれたあの部室の入り口で別れてから週末の今日まで、菫子は学校を休んだままにいる。

 休み始めた初日に本人から風邪を引いたという連絡はあった。普段使いの軽いメッセージで教えてくれたから早苗も気にしていなかった、季節の変わり目を迎える今時期だ、早苗自身経験している事でもあるし風邪くらい誰だって引くものでそれだけなら心配などしないが、流石に週の頭から終わりまで休み続けたのなら、友人として多少の心配くらいはするだろう。

 実際の菫子は風邪の熱に浮かされておらず、別の理由、それこそ風邪(ふうじゃ)よりも厄介な者の仕業で浮いていたりして、それ故休まざるを得ない状況なのだが、早苗がそれを知る由もない。

 

「そうだ、あれから一緒に帰ったって言ってたけど今も一緒なのかな? それなら看病とかしてくれてるかな? してくれてるといいなぁ」

 

 あの人なら我儘な菫子ちゃんでも抑えてくれるだろう、少しの会話しかしていないがなんとなくそんな気がする。と、今菫子とともに過ごす誰かに向けて早苗が小さな願いを唱える。

 そうやって一度思い出すと更に出てくる今週の出来事、別れたあの日に聞いたあの悪魔の事も気になってくる。今も一緒にいるのなら多少の看病くらいはあるかもしれない、そんな考えを巡らせ願も掛けたが、冷静に考えればそんなはずはないと言い切れるだろう。

 相手は人外で人に仇なす事ばかりが知られていた羊の悪魔だ、人を堕とし邪へと誘う者が看るはずはない。常人なればそう考えて当然だというのに早苗が前向きに考えてしまうのは彼女自身が祟り神に看病され、愛されて育った故か。他の者達から見れば畏怖すべき存在である神社の祭神だったが、早苗からすれば愛してくれる母のようなもの、そういった相手に育てられれば今のような発想に至る事もあるのかもしれない。

 

「羊さんは何食べるんだろ? コーヒーは飲んでたから私達と変わらないのかな?‥‥草? レタスとか好きかな?」

 

 最後にそう言って売り場を離れていく早苗。他に必要だろう物を求めて、一瞬思い出した昔話の中で嗅いだ香り、レジ近くから漂ってきた甘く香ばしいお芋の香りに釣られるように歩きながら、見舞いの品を集めていく。

 

~少女物色中~


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