東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第七十話 顕現するオカルティズム

 日の()りと夜の(はい)りが交差する時間。

 沈む太陽より発するオレンジ色の光が空の青と混ざり紫がかる色を見せる頃、陽光の暖かさよりも月光の冷やかさが目立ち始めた現世に少女が息を漏らす。

 小さな吐息、後一月もすれば白むだろう溜め息。僅かに開いた口と同じサイズの熱を帯びたこの吐息は少女の持つ電子機器にかかり、画面を曇らせて、すぐに晴れた。

 けれど、一瞬滲んだ液晶画面に反射している顔は晴れない。いつも明るく楽観的な面の強い少女らしくない、陰りのある顔。対面を走り抜けていく自動車のヘッドライトに照らされ、時折明るく見えるその顔は、今の時間帯を取り込んだように暗く、陰っていた。

 

 見つめる画面には彼女が唯一親しくしている相手の名前が表示されており、並んで文章も書かれているようだ。液晶から漏れる無機質な灯りを愛用メガネに反射させ、その文字列までもレンズに投影させて望む先。そこで鏡文字と化しているモノは暫く前に彼女が入力した『まだ残ってるの?』という問いかけと、横で表示されたままの『未読』という文字群。

 この文字列が彼女の溜め息の原因。学校の正門を過ぎてすぐ、部室で別れた後輩に宛てたメッセージは未だ相手に読まれていないらしく、眺めていてもその表示は消えないままで、スマートフォンの画面は暗くなるだけであった。

 

「まだ学校かな?‥‥あ」

 

 夕暮れ時を過ぎた今らしい雰囲気で画面を見つめていた彼女だったが、ピコン、機械音が鳴ると顔に一筋の光が差す。彼女を(とも)すのは電子機器が発した小さな(あか)り。青白い光とともに鳴った機械音もそのスマートフォンから発せられたようだ。暗みの強くなり始めた町並みの中、僅かに頬を緩ませる少女が画面をなぞると、明るく輝く液晶画面。

 宛がう中指一つ、横に流す。画面も同じく横に流れる。

 浮かび上がるのは未読の消えた画面、見たかった文字列の隣にはデカデカとしたカエルのスタンプが左から右に走っていく姿が映り、その勢いはあの子がよく見せてくれる勢いと似通っていて、それが少女の頬を緩くさせた。

 

「これから帰るのね、私達は先に帰ってるよっと」

 

 呟きに似た文章通りに少女が指を流すと、帰るカエルが(せわ)しいスタンプの斜め下に飾り気のない文字だけが追記された。いつもなら凝った返信、一目見て気に入りダウンロードしたパンダのスタンプを入れ込んで可愛らしく飾り立てたものを送っているが、今は手短に、伝えたいものだけを入力したようだ。

 暫くそのまま眺めていると新たに入力したメッセージの未読表示も消える、どうやら会話の相手もメッセージを確認したらしい。未読が消えたのを確認するとこの子も一度画面から目を離したが、何か忘れていたのかまだ光ったままの液晶に目線を戻し、指を這わせて操作し始めた。画面には明日の天気やメール・ニュースといった表示もあるが、彼女の用事はそれらではない。

 中指で画面を縦に弾く。開いたウェブサイトの一番上にある空欄に触れ、タップする。画面の端を今日のトピック・ニュースが流れていく中、その文字列が流れていく速度を追い越して空欄を埋める少女の指。

 

「まぁ、期待はしてないんだけど」

 

 緩めた頬を正し、真顔に近い表情で指を当てて弾く。

 スルスルと流れる画面には打ち込んだ検索ワードが色々と並び、そこに表示された結果を流し読みし始めたようだが、どれを読んでも彼女の表情に変化は現れなかった、望む答えは明記されていなかったらしい。画面の端に残る『人間 超能力』『人間 魔力』などの、常に表示される検索履歴を睨む目には冷ややかなモノがこもっている。

 

「引っ掛かるわけないよね、やっぱり。深く探るならちゃんとした物読まないとダメかなぁ‥‥いっその事コレ翻訳した方が早い?‥‥そうなるとまた出費が……今年の年末も早苗ちゃんとこでバイトするのはヤダなぁ」

 

 小さな愚痴をこぼしながら自身の脇、繋がる手元、手提げ鞄へ視線を投げていく。脳裏に浮かべたのは年始の頃。近くの神社の巫女装束を借りて纏う己の姿、唯一の友人と揃いの姿で少ない参拝客の相手をしていた自分の姿を思い出す。二人並んで微笑む姿を思い出せる事から、手伝う事自体は吝かではないようだが‥‥

 

「あの格好寒いんだよね、可愛いけど」

 

 バイトが嫌な原因を思い出し、呟く。

 そうして浮かんだ過去の自分を軽く笑い、それから現在見ている先へと考え事を変えていく。今見る鞄の中には部室で開いていた古い本と、そこより呼び出した悪魔の名刺が収まっていて、先程の調べ物もソコから繋がるものらしい。ブツブツとつぶやきながらも忙しなく、開いたウェブページを閉じてまた別の検索ワードを入力していく。

 次に表示されたるは今気になっているもう一つのワード『悪魔 羊』

 検索ボタンに触れる前、予測検索の段階で『もしかして 悪魔 山羊』と出てきたが、それは無視して一つに絞った言葉を検索エンジンに問い合わせてみるも、こちらも先と同じで望ましい結果は出てこない。

 唯一気になったのは予測に現れた『羊 従順 神のシンボル』という検索候補くらいだが、この検索結果は一瞬開かれた後すぐに画面から流れていった。態々開いて見たのは少し気にかかっただけで、現状を打破するものにはなり得ないとわかったからだろう。

 

 興味が惹かれない。参考にならない。

 どれも使えない。役に立たない。

 色々と含む顔で次の検索ワードを考える彼女だったが、操作するスマートフォンのタッチ音以外が不意に耳に届いたせいで、今の今まで軽やかに滑っていた指は完全に止まってしまう。

 

「歩かれるのでしたら前を見て歩かれた方がよろしいのでは?」

 

 画面を見つめたままの少女、その後頭部に声がかかる。

 少女の指を止めたのはこの声、聞き馴染みはないがやたらと耳に馴染む、馴染んでしまう声。

 女性にしては低め、そして人にしてはひどく暖かで甘く、馴れ馴れしい。取り上げるならそういったものが含まれる声色。

 

「先程から手元を見つめたまま、何をされておいでで?」

 

 話しかけてきたのは人ならぬ者。

 歩きスマホで進む女子高生の裏手より現れ、手元を覗きながら問うている。

 口にされた内容こそ至ってよく在るものではあるが、声質だけに注視し聞き取ればその甘さや温かみに溺れたくなるような、素直に聞き入れば簡単に誘われてしまいそうな甘美な悪魔の囁きが少女の背中側から届くが‥‥

 

「なんでもない、気にしないで」

「ですが――」

「いいから、他の人だって同じように歩いてるでしょ、こっちじゃこれで普通なの」

 

 甘さを払うように辛口を被せて返す女子高生。

 振り向きもせず、ほら、とスマートフォンの角で促した。

 確かに、彼女が言うように周りを歩む者達の中にも同じく画面を見つめて歩く者が多くいる。

 そんな人間達を一瞥し、手元だけを見て歩くとは暫く見ないうちに人間は器用になったのか、それとも種族毎そう出来るような力にでも目覚めたのかと頭を傾ける悪魔だったが、自分達が向かう先、並ぶ予定のバス待ちの列に他の誰かがぶつかっていくのを目にし、そんな事はない、何も変わりはなさそうだと思い直していた。

 そうやって周囲、見慣れないビル群や周りを見ていた羊に声が掛かる。いつまでも余所見していないでこっちを見ろと。自ら促しておきながらあちらではなくこちらと我が儘であるが、その言いっぷりには現代の女子高生らしい奔放さも伺える。

 

「あとさ、その話し方もどうにかなんない? 学校の先生みたいでなんかヤなんだけど。ていうか貴方って外国の出なんでしょ? なんでそんな硬っ苦しい感じなの?」

 

 外国人ならもっとフランクにいこうよ、その方が私が楽なんだから。

 校舎を離れてから初めて見る召喚者の顔にはこう書いてある。

 けれど人ではないアイギスからの返事はこうである。

 

「努力はしてみますが、地元でもこちらの国でもこの口調のまま永く過ごしておりますので、その願いが叶うかはわかりかねますね」

 

 バスを待つ行列の最後尾に並び話す現代人、気安く語る相手は隣に立つ古い悪魔。並ぶ姿と聞ける言葉を見れば大人と学生が話し合うだけと映り、違和を感じる事もないが、列を成す他の人間達からは二人の会話を少しだけ気にしている様子も感じられる。

 二人の見方を変えれば、褐色に赤眼で流暢な日本語を話す外国人に対してズケズケ言い放つ高校生といったところ。発展した大都市でもないこの街ではこの絵面が目立って見えるらしい。それでも、横目で見るだけで何かを言ってくるような気配はない、そうしてその部分が気になる悪魔。

 

「こちらに住まう者達は他人に関心を持たれない方が多いようで。なんとも、面白くない」

「同意するわ、お陰で過ごしやすくもあるんだけどね」

 

 周囲に聞こえる声量で話す二人だが、聞かれても何を言われるでもなかった。

 周りの人間達からすれば態々言い返すような事でもないのだろう、列に並ぶ者達の中に悪酔いしているものでもいれば変わったのだろうが、学校や仕事場から出てきたばかりの者達しか見られない列の中にそういった者はいなかった。

 それでも無言の視線は発せられているようだ。

 皆の目線は特に背の高い方に向けて。

 小麦色の肌自体はこちらの世界でも珍しくない、だというのに感じる視線。

 

「ジロジロ見なくたっていいのにね」

 

 見られている悪魔の顔から他所へ目を流し話す菫子。夜の帳に薄く灯るアイギスの灼眼、悪目立ちしてしまうソレから目線を逸らし、一人なんでもない事だと語る。

 カラーコンタクトレンズにしては鮮明に光る瞳は気にされても致し方ないかもしれないが、アイギスを見やる横目は目が合う側から逸らされるばかり。

 確かにこれでは面白くないだろう、どうせなら彼女の最も目立つ物、頭部で主張しているはずの角でも見ていればアイギスが気にする事もなかったのだろうが、こちらは既に対策されていた。

『ソレ、目立つからさ、ついてくるならどうにかして』と、部室を出る前に少女から注文を受けていたようで、今はアイギス自身が角を穿つ事で見えなくなっているようだ。

 学内では幸いにも気にされなかった、というより部室のある旧校舎に残る人自体が少なかったため菫子自身気が付かなかったが、誰かの視線を浴びたくない女子高生らしい先手は他者と絡まないせいか読みが浅く、配慮は少しばかり足りなかったらしい。

 

「なんだっけ、所変われば品変わるって言うんだっけ? その程度の事なのにね。あ、So many countries so many customsって言えば貴方にも伝わる?」

 

 態とらしく声を張る菫子、アイギスだけに目配せしてからサラリと口にした。少しの間を置いてから得意気な顔でunderstand? と言い放ち、小声で、こういう時ってall right? だったっけかな、まぁいいやと、拙い口調で発する少女。

 彼女が一言発するだけで周囲の視線はなくなった。二人の会話から聞こえた地元や国、それとスーツ姿の褐色女の見た目から、なんだそういう事でそんな相手だったのかと、周りが推測したらしい。気になる視線が連れから剥がれるとまたスマートフォンに目線を落とし、電子の世界へ潜っていく女子高生。

 

「……よくわからない御方だ」

 

 見られている感覚が消えてすぐ、柔らかく瞼を閉じる羊、そうして声なき声で漏らす。

 口にされたのは少女の評価、少しの言葉で場の雰囲気を流して有耶無耶にする手口を褒め、同時に浅い読みに対して評し、瞼の奥には別の紫色を纏う者の姿を描く。

 姿形がまるで違うあの妖怪少女と眼前にいる人間少女を同列に見る事など有り得ない。

 あの隙間妖怪に同じく、菫子からも得体の知れない何かの力を感じるが、この女子高生から感じられるのは力の片鱗程度、比べるに値しないと理解出来ている。

 けれど、二人のどちらともこの悪魔から見れば雇い主や召喚主という仕えるべき立場にある者だ、(なり)や力は気にせずやり口だけを見れば少しは似通って見えてしまう事もあるようで、故に気にかけてしまっても不思議ではないのかもしれない。

 

「あ、来た来た、あれ(バス)に乗るわよ。切符の買い方は教えた通りね、大丈夫?」

「はい、ご心配なく」

 

 二つ返事で答える羊。

 素直に返す仕草は検索結果に出てきた従順な姿にも見えるが、そうは言ってもだ、主とはいえ相手は人間、アイギスにしては少し気安さが強く感じられる。けれど似合わないわけでもない、仕える相手に大して口で言い返す事はあるが従順な姿も見せる彼女なのだ、それに今の彼女は菫子の中にもう一つ気に入る面を見つけてしまい、存外悪くない気分にあるのだから。

 バスの乗り方についてもそうだが、先に話されている文言『話しかけるな』『気にするな』といった言いっぷりをアイギスはいたく気に入っていた。自らが召喚した畏怖すべき悪魔に対して気軽に言葉を吐く、それが存外面白いらしく悪魔の琴線に触れてしまったらしい。

 過去に私を召喚した人間の中でこれほどまでに気軽な者はいなかった。それぞれが己の野望や欲のために過剰な力や叡智を授けろと願ってくる事はあったが、先のような、呼び出した側に対して口調を変えろといった可愛い願いや心配などを口にした者はいなかった。

 自己紹介代わりに別の世界や過去の話を少し聞かせても、恐れも見せず逆に興味を持ったような素振りすら見せる人間。話を信じられていないわけではないが真に受けている様子もしない、それ故によくわからないと、思ったままに口にしたらしい。

 

 なんの為に私を呼び出したのか?

 悪魔を呼び出しておきながら力も叡智も求めず、他愛もない話にだけ気乗りしてくる召喚者に少しの興味を持ち始めた彼女。この人間は何を狙っているのかと、求められない事に大して少しの不満を募らせながら、底を見せないように頑張る少女を追って、その姿を車内に溶け込ませていく。

 

 

~少女達移動中~

 

 

 閑静な町並みを抜けた辺り、長い坂の続く静かな街の外れ。

 バスを降りた二人が歩くのはそんな道、日の落ち切った宵の道。

 歩む通りをそのまま山側に向かえば廃れた神社が見える往來を、偶に通る車の音や、近くの民家から聞こえる少さな生活音をBGMにしながら二人歩き、立ち止まる。

 足を止めたのは集合住宅の前、慣れた仕草の少女が共同ホールに入り、タイミング早く開いた自動ドアを抜け進んでいく。少女が角を曲がると、見慣れない建物内を眺める悪魔もその後を追いかけていった。

 

「ただいまっと」

 

 6Fで止まったエレベーターを降りてすぐ。近くの玄関扉をくぐり抜け帰宅を知らせるが、おかえりの声は聞こえない。けれど声の主は気にせず進むだけで、ローファーを脱ぐとそのまま歩み手をかざした。数度の点滅の後に暗かった室内に光が指す、菫子の手が感応式のセンサースイッチに触れたのだろうか、無機質で飾り気のない灯りが二人を嫌味に照らす。

 

「入って構わないよ」

 

 光沢のあるローファーを脱ぎ散らかした少女が、進んできた廊下方面に声をかける。

 緩い癖のある髪を纏めたリボンを解き、振り向きもしないまま背後に語りかけるが、その声は相手に届いていないらしい。

 家主の招待に乗らなかったに羊の目は廊下を進んでいく少女の背中を過ぎて、見慣れない家屋の中に配られているようだ。シンプルな作りのシューズケースに少しの小物があるだけの狭い玄関、取り立てて述べるような物のない中でアイギスが視界に収めているのは壁や今し方菫子が脱いだローファー付近のようだが‥‥

 

「器用な御方、でもないか。靴は直されないのだから‥‥しかし、様相こそかわりましたが土地は変わらないのでした、であれば様式も変かわらぬままで当然ですよね」

 

 明るくなった玄関の壁には灯りのスイッチらしきもの、目を流しながらソコも気にしつつ、後半は別物、上がり框のない廊下について述べる。

 脱ぎたてで、ハの字に並ぶ焦げ茶色のローファー。

 可愛いリボンがポイントの、年頃の娘が履くようなミュール。

 膝を隠す長さで、足を通せば暖かそうな少し踵のある革のブーツなど。

 足元にはそういった女性用の靴が並び、そうした履物を見て、街並みや人の姿に変化はあったけれどやはり靴は脱ぐのだなと、廊下の床に感想を吐いていた。

 作りこそ和風建築ではない住まいだが文化面では洋式になっていない現代の日本家屋、和と洋が混ざったある意味で曖昧な仕様に見えるけれど、その混ざり具合が両方の国で長らく暮らした者にすれば案外楽しいものとして映るのかもしれない。

 そんな、少し楽しげな悪魔の呟きは家主にも聞こえたらしく、入るならお邪魔しますくらい言ったら、と、新たな光源の灯る部屋から声だけが届かせた。

 

「あ、やらかしたかも」

 

 片足立ちで靴下を脱ぐ女子高生が、あ、と振り返った。

 指定ソックスを摘まみ、愛用している帽子や鞄も流れで放りながらやらかした先を眺める。

 振り向くタイミングに合わせてファサリ、三人掛のソファーに置かれた鞄の上へ、狙ったように帽子が着地した。手慣れた流れで放られた荷物が柔らかなL字型のソファーを僅かに沈ませると、少女から問いかけが浮かび上がる。

 

「ちょっとぉ? ねぇ、私鍵閉めたっけ?」

 

 菫色のベストに並ぶ三つボタンを外し、喉元のループタイを緩めながら聞く。

 逆さのベルに十字架が連なるような、どこか宗教めいた形のタイを緩めつつ廊下に向かって話す少女、どうやら玄関の鍵を閉め忘れたらしい。

 

「どの部分を確認すればよろしいのでしょう? 錠前も閂も見当たりませんで、わかりかねます」

 

 願われた施錠確認を叶えようとする声が玄関より聞こえたが、その願いは叶いそうにない。返答しながら鍵を探しているようだが、アイギスにこの家の鍵を見つける事は出来ないだろう。

 彼女が知る鍵といえば長く過ごした吸血鬼のお屋敷で見られる閂や、一時の雇い主となった妖怪が提供した充住まいで使われる蝦錠、他には経営する店舗に置いてあるだけの心張り棒くらいで、今の時世には似合わない古い形ばかりだ、取っ手の上にある小さなツマミが指示された鍵だとは気がつかない。 

 暫く探すがやはり見つからないらしく、仕方なしと玄関横のシューズケースに手を伸ばす。扉を物で抑えるのも施錠の一つではあるはずだが、流石にそれが動かされる前に住人が動くようだ。ガタ、と、玄関先の物音を聞いて一つため息をする少女。眼鏡の奥に面倒臭さを湛えて戻ると、仄かに灯る赤黒い瞳と目が合った。

 

「なにやってんの? それよ、取っ手の上とその上のやつ。摘んで、横に倒して」

「こちらですね、畏まりました」

 

「チェーンも掛けておいてね」

「それはなんとなくわかります、ここに通せば宜しいのですね」

 

 家主が目配せするとカチャ、カチャ、カシャン。リズムよく施錠される。

 戸締まりが済むとリビングルームへ戻る菫子。

 シュルリ解いたループタイを片手に、そのままブラウスの袖口と襟元にあるボタンも外して軽い伸びをした。定められた煩わしい姿から開放された事を示すように両手を軽く上げ、その姿勢のまま振り向くと、玄関先で立ち止まったままの客を見つけた。

 

「上がらないの? あぁ、靴は脱いでよ?」

 

 声がかかると動き出すアイギス、では失礼と断りつつ高いヒールを揃えて上がり込んだ。

 普段であればカツカツと、蹄のような足音を立てて歩く彼女だが今は素足、木目調の廊下からヒタヒタ鳴らして姿を見せる。

 

「ようこそ我が家へって言っておくわ、一応ね」

「あらためまして、歓迎ありがとうございます」

 

 二人で対面する形になると、家の住人から言葉だけの歓迎が伝えられた。口にされた一切の心が篭っていない歓迎に対して、普段よりも軽い頭を深々下げて感謝を述べる。

 形だけの挨拶が済むと、『後は好きにして、目立つ頭のやつ()も戻していいよ』と、そう言い残し菫子は隣部屋へと歩いていってしまった。

 すぐに戻ってはきたものの、手には大小二つのタオルと着替えらしい服が見られ、その手荷物を持ったまま彼女は廊下へ歩き去る。向かう先にあるのは水回り、荷物から察するにまずは汗を流す事にしたようだ。バタンと、軽金属の折り戸が軋む音がした。

 

「好きにと仰られましても、ね‥‥」

 

 家主が消えた先を見つめてつぶやく。

 ない角を撫でるように手を伸ばしそのまま下げ、揺らす黒髪に手櫛を通して悩む黒羊。

 好きにしろと言われたが何をするつもりもなさそうな表情、というよりも初めて訪れた家で周りには見慣れない電化製品が並んでいる空間では何に触ればどうなるのかもわからないようで、下手に動いたり触れたりする気にならないらしい。

 暫く佇み待つが菫子が戻ってくる気配は感じられず、僅かに聞こえる鼻歌からは手早いシャワーではなくゆっくりとしたバスタイムの雰囲気だけが伝わってきた。致し方なしとリビングルームの壁際に並ぶ本棚の前で佇む。

 

「オカルト・都市伝説・魔導関連に聖書の写本、他には方々の神々が載る書物と、やはりそういった物がお好きなようで。小説や雑誌を除けばあの部屋と変わらないラインアップですが‥‥ESPとはどういったものでしょう?」

 

――触れずに灯りを点けるだけとは思えませんが――

 菫子が見せた僅かな力から勘ぐりつつ部屋内を見回すアイギス。

 呟きながら、いつの間にか消えていた玄関の灯りからリビングルームまでを見やり、再度本棚に視線を落とす。部屋の主役になっている大きな棚には床から天井までが書物で埋められついて、並ぶ種類は部室で積み上げられていた物と同じジャンルばかり。違いがあったのはESP、人の操る密なる力について纏められたファイルが日本書紀や古事記といった、この国の神を記した書物と同じ棚に数点混ざっているくらいか。

 

「‥‥千里眼、透視に念写。この記載からしますと山の白狼天狗に似た力?‥‥よいか、戻られたら伺ってみましょう」

 

 不意に目についたファイルを取り、中身をざっと読み解く。

 内容は一人の女性について。千里眼だと持て囃された誰かを菫子が調べ纏めたものがファイリングされていたが、そのファイルはすぐに閉じられた。聞き慣れない力の名称が気になっただけで中身についてはそれほどらしい。

 そうして目線を戻し、並ぶ背表紙に指を這わせ、流し見て、一つの棚を注視する。視線の先には飾りの小物代わりにでも置いてあるような、封切られ、開いたままの箱からこぼれるカードの類。

 

「数年ぶりに目にしますね、幻想郷で見かける事は殆どありませんでしたし‥‥いえ、こちらで使われ続けているからこそ見なかったのか」

 

 おもむろに手を伸ばし、懐かしむ顔つきを見せる。

 全く見なかったわけではない、紅魔館に住まう魔女が幼いメイド見習いをあやすのに遊びと称して占って見せていた事はある。が、見たのはそこくらいで他の場所で見かける事はなかった、幻想郷で(ぼく)なる占術といえば易や風水が主流であるし、直接話して御神託を頂戴できる神々もおわすのだから、流行る事などはなかった。 

 

「丸柄やバツ柄も混じっているようですし、これらは新しく追加されたアルカナ‥‥いえ、そこよりも、これらに残るモノは‥‥」

 

 手にしているのは運命の輪や悪魔といった見覚えのあるタロットと別の種類。

 それら見慣れたタロットカードに混ざる、丸やバツ、波模様の描かれたカードには菫子より発せられる力と同質のモノが残っている。魔力や妖力といった見知った力とは違うソレは異能な物に違いないはずだが、アイギスから見てもこの力の残滓(ざんし)に思い当たるものはなかった。

 けれど長考はせず、こちらも主に問えばよいかと、手放したタロットと共に意識も別の者へと向けた。思考を改めると視点も変えて、手にしたままのファイルを捲り始めた。

 

 

 風呂に読書に二人が向かい、空いてしまった僅かな時間。

 この隙間な時間を利用し、少し振り返っておくとしよう。

 それは少し話を遡る事になる。

 菫子が会長を務める倶楽部『秘封倶楽部』の部室で顔を合わせた二人、本当に呼び出せるとは思っていなかった女子高生と呼び出された黒羊。会話のスタートこそあんな呪文で出てくるな! という文句から始まったものだったが、言いたいことを全て言い放ち肩で息する菫子が落ち着く頃には穏やかなガールズトークとなったようだ。

 話の内容としては互いに情報交換をすませた程度だが、それだけでも存外悪くない語らいとなったらしい。菫子は知りたかった事、この世ならざる者が本当に存在する事を知り、アイギスは得るべき今現在の状況などを仕入れて、各々が一つ納得出来た頃合いに、そろそろ放校の時間だからと帰路についたのが今までの成り行きである。

 このタイミングでアイギスから自身の在り方、主に悪魔としての契約云々も話題として出されているが、今はまだ仮契約、契約書に判を押す前で止まっているようだ。

 アイギスの場合は魂を代償とする固い契約というよりも、互いに納得して結ぶ商取引に近い形だと話されてはいるが、流石に信用されないらしく、呼び出した手前同伴は許したがそれ以上の関係性にはなっていないらしい。

 

 さて、足早に語ったせいで細かな部分を割愛したがその辺りを語るのはまた後程になりそうだ。洗面所方面から一度聞いた軽やかな戸の音がした、軽合金で出来た風呂場のドアが開いたのだろう。となれば風呂上がりの娘が戻ってくるはずだ、二人が顔を合わせればまた何かしらの会話が始まるのだろう、今はそちらに耳を傾けるべきだ。

 

「あっつぅ、水浴びてから出てくればよかった」

 

 火照る菫子が大きめのタオルを被り、羽織る予定にあった薄手のパーカーと眼鏡を両手に戻る。

 季節は秋を迎えているが日の差す時間帯はそれなりに暖かだった今日、日中誰も居らず締め切られたままの家は昼間の名残を内包したままで、火照った身体にはすこしばかり暑いのだろう。着ているキャミソールからはみ出した素肌には淡い赤みと薄い汗が見え、柔らかそうな生地のショートパンツより伸びる足にも健康的な色味が浮かぶ。湯上がりでトレードマークこそかけていないが、今かければレンズが曇りそうな雰囲気である。 

 

「なんで立ち読みしてんの? その辺に座ったらいいのに」

 

 リビングに戻ったほてり娘、帰り道に立ち寄ったコンビニエンスの袋に手を伸ばすとペットボトルを取り出しキャップをひねる。片手を腰に当て、歩きながら飲みつつ、そのまま流れで窓を開けると、吹き込む柔らかな夜風を身に浴びた。年頃の少女が油断した格好で窓辺に立つなど不用心だが、見られる景色は山の湖へ向かう上り坂があるくらいだ、特に問題もないのだろう。

 そうして首や肩に張り付く濡れ髪を被ったタオルで纏め、見た目からリラックスした様子を見せると、気だるげにソファーへ向かい横になった。

 湯あがり娘が落ち着くと、促されたアイギスも同じソファーに腰を下ろすが二人とも座るだけ、揃いはしたものの何も話しはしない。方や火照る身体を冷ますように摘まむ胸元をパタパタさせ、もう一人は開いたままのファイルに視線を落としている。

 

「興味あるの?」

 

 この静けさを破ったのは菫子の声。

 ペットボトルの飲み口を唇に添えたまま、纏う雰囲気通りの素振りで問う。

 

「この人間自体にはさしたる興味もありませんよ、貴方様がお調べになる理由には惹かれますが」

 

 尋ねられたがアイギスは顔を上げない。

 菫子の視線がアイギスではなくその手元のファイルに向かっていると気づいているのだろう、話題にだけ切り返し、そのまま会話は続いていく。

 

「気がついてないフリしなくてもいいよ、別に隠してないし、隠してもムダっぽいしね」

 

 くつろぐ少女が目を細め、テーブルのビニール袋を睨むと、一瞬の間を置いて袋が動く。

 弱々しく動き、下がり、中に入っていた今夜の夕食がチラ見えした。僅かな動きではあるが念じた物を動かした菫子、人間が操るには異質な力なれども、その力はか細く弱い。が、今の彼女にはこれが精一杯、薄く軽いビニール袋を動かしたり、放った帽子の軌道を誘導したり出来る程度のようだ。

 

「ねぇ、これってやっぱり魔法なの?」

「結果だけ見れば近いのでしょう、ですが我々が操る力とはまた別の御力にございますね」

 

「その……我々ってさ……」

「作用については同義となりましょうが、そうですね、詳しく分類するならば我々に宿る魔力や妖力とは違ったモノにございます。言うなれば人の内より湧く力、我々に宿るように、人にも宿る超常なる御力といったところでしょうね‥‥御学友から感じられた神力とも違った御力にございますよ」

 

 濁した質問ではあったが返事の中に正解はあった。

 淡々としたアイギスからの返答、その中の『我々』に含まれて欲しかった後半部分を聞いて、菫子は小さく頷く反応をしてみせる。

 

「そっか、やっぱり早苗ちゃんのやつとも別なのか」

「あの方からは神が操る力と同質のモノを感じました、ですがマスターから感じられるものはまた別、私にも覚えのないものにございますね……仲良くお揃いがよろしかったので?」

 

「別にそういうんじゃ‥‥ただ、同じだったら色々聞けたのかなって思っただけ」

 

 言い流しながらアイギスの手元で閉じられているファイル、そのページが勝手に捲られた。手元の覚束ない赤子がつまんだような動きで数枚、パラパラ動き、止まる。

 菫子が己に宿った神秘なる力を操ったようだ。

 開かれたのは羊が立ち読みしていたページ、アイギスが再度目線を落とすと菫子が口を開いた。

 

「百年くらい前の話よ、些細な催眠術を切っ掛けになにかに目覚めたって人がいたの。そのスーパーな力でお姉さんのお手伝いをしている時だったかな? 世間に目をつけられてさ、色々話が膨らんで、一躍時の人になったんだって」

 

 菫子が話すのはファイルに閉じられた誰かの秘密。

 切っ掛けからその後までを話しているが、空で語れるほど熱を入れ込んでいるのだろう、アイギスが指を這わせる文章を掻い摘んで語れば今のような物言いになる。

 

「病気になった人の病巣を透視したり、手をかざして治療してみせたりしてね、結構当たったし治ったりもしたんだって。で、そんな評判はすぐに広まって、最初はスゴイと持て囃されてさ‥‥でも、最後には世間から叩かれて……」

 

 寝そべったままの菫子が語る。

 見慣れた天上を見つめ、片手をそっと視線の先へ、もう片方は力なくソファーの縁より垂れ下げて。その姿は諦めを覚えた者が持つ雰囲気。もうどうにでもしてくれと、生きる事を放棄した実験動物のようにも見えてしまう。

 

「叩かれて、死にましたか」

 

 言い淀んだ部分を含み、代弁するアイギス。

 記事を追っていた指を止め一言述べると、アイギスの手元から見慣れた天井へと視点を変えていた菫子が、伸ばしている左手の指を重ね、弾いた。

 

「そ、自殺しちゃったんだって」

 

 灯る電灯を眺めていた菫子。

 素っ気無い声で答えを語りながら、体毎横を向き、背中を丸めた。

 開け放ったままの窓からそよいでいる夜風に少し冷やされたのもあるにはあるが、今冷えているのは肉体よりも内面だろう。僅かではあるが自分にも超常的な力がある。それはまだ弱々しい力ではあるが、これがファイルの女性のように広まれば、広まってしまえばどうなるか、そうなった時の私は何が出来るのか、どうされるのかと、近頃考えるようになったらしい。

 今の時代に不思議な力など在り得ない、信じられるはずもない。公になったとしてもネットの隅で一時の話題になるだけでそれほど恐れる事もないはず、危ぶむ事もないはずだと感じる心もあるけれど、いざ己の事となると深刻に考えざるを得ないようだ。

 

「世間のバッシングに耐えられなかったって説もあるし、金銭的なトラブルが理由だって言う人もいるわ‥‥」

「よくある事、昔から変わらずある事にございますね‥‥浮かない顔色から愚察致します所、主様も同じ道を選んでしまうかもしれないと、そのように案じておられるので?」

 

「そんな事は……彼女の行動自体はどうでもいいのよ、彼女は彼女で私とは違うんだから」

 

 菫子からすれば調べ上げた過去の歴史、紐解いた歴史から考え浮かんだ悩みだが、アイギスから見れば過去に見てきた人の行いとそう変わらない。一時は持て囃された、その部分に多少の違いはあるものの、菫子が危惧するものはアイギスがいつか眺め蹂躙した魔女狩りとなんら変わりのない事に聞こえる。

 そうしてその後、魔女として狩られ焼かれていった者とファイルの中の彼女を擬えて悪魔から問いかける。

 

「左様にございます、否定され死を選んだ彼女と貴方様には違いがございます」

「言い切るのね‥‥その違いってなに?」

 

「なに単純なお話です、彼女の傍にはソレを理解出来る者がいなかった。ですが貴方様のお側には私がおります」

 

 語りながらパチン。

 アイギスが指を鳴らすとその音に惹かれたのか、何かをしたのが気になったのか、菫子は身体を起こす。と、同時にもう一度聞こえる指の音。

 軽々しい音がリビングに一瞬響いて掻き消えた。

 惹かれたその音を探すように菫子が目配せすると、すぐにその元凶と視線が重なった。眼と眼が合うと笑うアイギス、出会いから浮かべていた営業スマイルよりも幾許か悪戯な雰囲気の混ざる笑みを見せた。

 

「披露しておりませんでしたが、私にもそういった力がありまして」

「でしょうね、本から出てくるようなファンタジーな世界の住人なんだし、なんかあっても不思議じゃないわ」

 

「丁度いい話題となりましたし、そのファンタジーな力を少しだけお見せ致しましょう」

 

 態とらしく掲げられた手先、さながら営業マンが自社の推しを知らせるように伸ばした手指には少女の視線が注がれる。菫子の気を引くための動きはその効果を表したようで、アイギスの思惑通りに目線を奪う事が出来た。そうしてここから魅せるのは口にした通りの事、アイギス自身が持ち得る力。

 

「え…‥え?」

 

 けれど何事も起こらない、アイギスも掲げた指を弾くのみでそれ以降の動きは見せない。

 見せると言った割に何事もない、それについて問いかけようと菫子が一歩踏み出し、何もおきないじゃない‥‥と話す前に何かが起きた。つい先程まで見つめていたファイル、アイギスの手元で開かれていたファイルが蝶々のように羽ばたき、菫子の周りを飛び始めたのだ。

 

「 なにしたの!?」

「大した事は何も、それでも答えろとおっしゃるのならばそうですね、タロットにある私の姿らしい事をしたとお答え致しましょう」

 

 間の抜けた声を上げ、目を泳がす菫子と、一点本棚を見るアイギス。

 慌てる少女、右へ左へ忙しく流すその目には複数の本が浮かびそれぞれ舞うように動き回る光景が映っていて、アイギスの視線を追うどころではないようだが、アイギスは答えた通りの行いをしてみせただけである。

 棚の上に置かれたタロットカード、その中に見つけた悪魔の絵柄は逆さまに置かれていた。逆位置の悪魔が意味するものは『誘惑・束縛・悩みからの解放』といったもの。現状とソレをなぞらえば、己の内にあるモノを思い悩む菫子を開放させようとした、と、そうも見られるが‥‥先のファイルを切っ掛けにして他の物も色々と動き始めた今、書物に続いては置いてある小物、カードの類がリビング内で広がり、冷蔵庫や廊下との仕切りドアやらが音を立て始めた今は、気が晴れるどころか、慌てて騒ぐ少女の姿しか見られない。

 

「これが貴方の力? ならわかったから、散らかるからやめて、やめてってば!」

「やめろとは? 何を仰られるのやら、この現象についてでしたら私は何もしておりませんよ?」

 

 軽快に開閉する扉を眺めながらやめろと、語気荒くする菫子だったが、その姿はキッチンの蛇口から溢れた水流に阻まれ見えなくなる。

 それでも漂うのは水だ、声は問題なく通り聞こえるはず、そのはずだがもう一度やめろと命じる菫子の声にもアイギスは応えない。悪戯な笑みを浮かべ召喚者を見守るだけ、巻く水流と軽やかに舞うカードの渦に飲まれるマスターを眺め声なく笑みを見せるだけであった。

 

 初めて見る態度、商売人が客に見せる営業用の顔ではない、魔の者らしい嫌味さが多分に含まれた笑顔に苛つきを覚えた菫子がアイギスを睨む。

 すると渦を巻くカードや水の流れに別の指向性が生まれた、少女の回りで緩い渦を描いていた者達が鋭い螺旋に変わり、その刺々しい先端が微笑む悪魔に向いたのだ。

 そうなってから漸く動く黒羊、悪感情が逆巻く水の槍に右手をかざし、指を鳴らす‥‥途端に消え失せる玉散る刃。

 

「私が操る力はこのようなものにございますれば。今見られる現象は私の手によるものではございませんよ」

「ならこれは――」

「覚えがございませんか? そのような事はないはずです、ご自身でも理解されておいででしょう? この場で起きている全ては貴方様ご自身の御力によるものだと」

「……私? 私の? でも、それでも‥‥」

 

 でも、と言い掛けた菫子だが、そこから続く言葉はない。

 何か否定する言葉を言うつもりだった、けれど何も言えなかった。

 アイギスに言われずとも頭の何処かで理解してはいた、今目の前で起こっている現象が己の持ち得る力、いつからか芽生えていた超能力によって引き起こされたのだという事も、今までよりも高い理解度によって感づく事が出来ていた。

 

 しかし頭が回るおかげで腑に落ちない事にも気がついた。

 それでも、と納得出来ないのは自身の力にしては強すぎると理解してしまったからだ。私の力では壁のスイッチに触れずに電気を点けられる程度、薄いファイルのページを捲りあげられる程度だったはず、小さく軽い物を動かすくらいなら兎も角思考速度をあげる事など出来ないのだと、別の部分で己の力量を知っているからだ。

 そうやって納得出来ない部分について悩みかけた菫子だったが‥‥

 

「先のお話の最中に一つ思いつきまして、紹介ついでに出会いの記念品を送らせて頂きましたが、お気に召しませんでしたか?」

「貴方の魔力を押し付けた‥‥ってわけじゃないわね、これは私の力で動いているんだから」

 

 気に入らない顔つきはしていない、その年頃の女の子にしてはおおよそらしくない、落ち着き払った気配すら見せて言い返す菫子。

 アイギスから送られた記念品、それは些細な切っ掛け。お話の流れから察した悪魔が自身の力に悩む現代人の枷を穿ち、力を発するリミッターを失きものとしたようだ。菫子の心にあった枷、神秘なる力を恐れ、開ける事を戸惑って深く沈めていた扉は、今強引に開け放たれた。いや、穿たれ、大穴を開けられたというのが正しいか。

 アイギス自身がこの国を訪れた際にもプレゼントを押し付けられた、それを真似て小さな記念品代わりに門戸を開いてみせたようだが、この少女はアイギスのように受け入れられるのだろうか?‥‥その答えはすぐに話された。

 

「それでもいきなり過ぎて――」

「唐突な事など何もありませぬ、今の状態は在るべきモノが在るべくように成ったまでの事。そもそも悩む必要などないのですよ、貴方様はその御力を受け入れておりました、自然に、生活の流れの中で表すほどに受け入れていたのです。であれば思い悩む事など何もないのですよ」

 

 菫子の言い掛けた文句はアイギスに遮られた。

 そして続く悪魔の持論はこう、考える必要などないといった内容。そも、受け入れるという問題ではないものであった。

 それもそうだろう、アイギスから見れば悩む事でもない。既に手している力、自身の思うままに操れる力について惑うなど有り得ない、気に病み、深く案じるまでもない事だからだ。

 身に余るような大きな力があればこまねく事くらいはあろう、事実アイギスが愛する吸血鬼は自身の能力を操りきれず、産み落としてくれる母親を破壊して世に生まれた、凄惨な生誕を迎えた妹はそれをトラウマに抱え生きていた頃もあった。

 だが菫子の場合は悩むまでもない、誰に影響を与える事も出来ない弱々しい力しかなかったのだから悩むに値しない、というのが語らなかったアイギスの本心である‥‥故に先のような行いをしてみせた。悩むのならば真っ直ぐ悩めるように、身に宿る全てを知り考える事が出来るようにと。そんな考えで見えていなかった、否、見えていたが開ける事を恐れていた扉を強引に開け放ったのであった。

 

「だからって! こん‥‥ぁ……」

 

 アイギス相手に冷静さを見せた菫子でも流石に興奮したのか、詰め寄り手を伸ばした‥‥瞬間に女子高生の鼻から赤い筋が一筋漏れ、そのまま前に倒れ込むが、テーブルに顔面から突っ込んでしまう前にアイギスに支えられる。

 そうして意識を失う少女、悪魔の腕で静かに眠る姿は約定により魂を奪われ息絶えたようにも見えらるが、今は気を失い倒れただけ、突然溢れ出した自分の力に飲まれる前にストッパーが働いただけである。

 こうなったのも唐突に感じられるが、つい先程までは只の人間に毛の生えた程度の存在だったのだ、そんな女子高生がなんの構えもないまま(たが)を外されれば制御する事など出来ようもない。けれども力に飲まれ暴走したりはしない、アイギスが外したリミッターは彼女の能力にかかる部分に作用するものだ。今動いた別のリミッターは彼女の生命に関わる枷だろう、慣れない超能力に任せていれば自身の命が危ないと、菫子が人として持つリミッターがそのように感知、作用して意識を失ったのだろう。

 

「上手く扱えるようになるか、潰れて死に絶えてしまうのか、それは貴方様次第。出来るならば前者となり、我が期待に応えて頂きたいものですね」

 

 抱く少女に語りかけるアイギス。

 主の顔を汚した血を指で拭い、赤く染まった人差し指を舐める。

 仕える主の味をみて穏やかに微笑むその姿は非常に胡散臭い。例えるならば、かつてアイギスに言語のプレゼントを押し付けた妖怪が得意とする表情に近いが、あの隙間ほど器用でも奸計に長けているわけでもない羊は笑みの奥に企みなどはない。

 彼女の腹にあるのは、腕で眠った人間が見せてくれるはずの今後。

 燻ぶる現状を打破し、案じた未来に向けて思い切った行動をして欲しいと、召喚者の力の目覚めを早めた逆位置の悪魔は想う。


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