東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第六十八話 神、錆びた戦場にて

 それは彼女達からすればなんでもない一日だった。

 完全に暗くなりきれない夜が過ぎ、昔よりは霞がかって見えるようになった日が昇り、境内からは餌を食む小鳥の囀りが聞こえてくる朝、よくある朝。いつかの終わりを迎えるための一日が始まっただけのはずであった。

 

 そういったよくある朝を迎えた者。

 この建物の中で一番早く目覚める女が、寝床から起き上がる。

 気怠い半身をどうにか起こし、整った口を大きく開くと、神聖な白蛇のような指を添えてあくびを隠す。一緒に住む二人は未だ目覚めていない、それでも食事中の爬虫類みたいに開けた大口は少し下品だと考えていて、誰にも見られはしないが隠した。

 

「晴れたかね、いい天気だ」

 

 少し寝ぼけた眼を擦り、閉めきった障子を見る。

 透けて見える日差しは明るい。口にされた通り、外はいいお天気なんだろう。

 これならあの子も楽しんできそうだな、そんな事を頭に浮かべ、一人笑って起き出した。脳裏に誰かの笑顔を思うと、寝起きというのが嘘と言えるくらいの勢いで立ち上がる。それから着替え、朝の日差しのような金の御髪を緩く纏めて、気合を入れた。

 

「さて、ちゃっちゃと作るか」

 

 独り言を漏らし台所へと向かう彼女。その足は軽い。

 軽快に、それでも軋む廊下を気にして静かに進み、洗顔などの身支度を済ませると、年季の入った包丁片手に仁王立ちする少女。どうやらここが入れた気合の見せ場所らしい、長く垂らす袖を絞り腕まくりまでを流れで済ませ、テキパキ動き始めた。

 シンクの端で薄く浮かぶ錆など気にせず米を研ぎ、濡れる手を蛙の大きなアップリケが目立つエプロンで軽く拭く。炊飯ボタンを押すと同時、流れるように動いて、黄ばんだ冷蔵庫へ手を伸ばす。色あせたカエルのシールが多量に張られた扉を開き、数個並ぶ卵から2個取り出して溶くと、火加減を見もせずに綺麗な黄色で焼き上げた。

 サッと切り揃え、薄く湯気が立つ卵を眺め、小さなお弁当箱につめていく。 

 

「今日はどうするかな? この間は……なんだったっけか‥‥」

 

 作業中の独白。

 卵焼き二切れとプチトマト、彩り代わりの茹でたブロッコリーがちょっとだけ並ぶ弁当箱を見ての呟き。漏らしたのは何かを思い出すようなお小言だったが、残念ながら考えていた事は思い出せないようだ。

 その後も数分悩んでいたようだったが、悩む間でも時は進んでしまう事は思い出せたのか、すぐに動く。冷蔵庫から赤いウインナーを取り出して何も考えず切れ込みを入れ、さっと湯で上げて切れ目を花開かせると、チョコンと置いた。

 

「悩んだ時はこれだな、やっぱり」

 

 空いていたスペースに座るタコさんと一方的な会話。

 黒胡麻であしらわれたつぶらな瞳から間違いないという返事を聞くと一人頷き、愛用されている、柄でカエルさんが笑う小さなフォークを巾着に入れて微笑んだ。後は炊き上がった米でおむすびでも握って詰めればお終いだ、そのお米も後少しで炊きあがりだろうし、そろそろ二人を起こして朝餉にするかと、母のような姿で動き出す。

 来た廊下を戻って、先の角を曲がれば弁当箱の持ち主の部屋となる。丁度その辺りまで歩んだ彼女だったが、部屋の中から何か声が聞こえたのでふと立ち止まった。

 

「ほら起きな、早苗? 朝だよ」

「……ん‥‥さなえはも‥‥食べら‥‥お芋さんでお腹いっぱ……」

 

「それはこれからだろ? 早く起きないとお芋掘りに遅れちゃうよ?」

 

 聞こえてくるのはこんな声。

 起こす側の声色は穏やかで優しい。

 大昔、この地に攻め入って来た頃は太く逞しい力強さばかりが目立っていた声の主、八坂神奈子だというのに、一時期は気に入らなかったこの社の御柱のような存在だったというのに‥‥今発している声からは包み込むような包容力くらいしか感じられない。

 

「誰に似たのか、あの子も寝起きが悪いからねぇ。うちの祭神様でも苦戦するか」

 

 そういったやりとりを聞いて一仕事終えた彼女、洩矢諏訪子がケロケロ笑う。

 昨晩は一緒に寝た部屋の二人。寝る前からテンションが上がりきっていて、すんなり寝付く気配がなかった早苗をどうにか神奈子が(なだ)めて寝かしつけたようだ。夢に落ちる間際まで、明日雨が振ったらどうしよう、一緒にてるてる坊主を作ってください、そんな風に騒ぐ声が諏訪子の耳にも届いていた。

 暫く賑やかだったけれど、私がどうにかしてあげるから大丈夫、という祭神の神託を切っ掛けにはしゃぐ子供は眠りについたらしい。それでも早苗を宥めるのは中々に大変だったらしく、寝かしつけた神奈子もそのまま一緒に寝てしまったのだった。

 そんな昨晩を知る諏訪子の軽い笑い声が朝の社を抜けていくと、頑張って夢の中から堀り起こそうとしている神奈子から、諏訪子助けて~、なんて声が返ってきた。

 

「やっぱり手に負えないのか、先が楽しみな子だよ、本当に」

 

 聞こえてきた救助の声も笑って、この社の祟り神が起きない娘を起こしにいった。

 

 

~少女起床中~

 

 

「では、やさか様、すわこ様。さなえはいってまいります!」

 

 炊きたてのご飯をたらふく食って米にも負けないツヤツヤ顔の子供。この春に小学校に上がったばかりの早苗が言うにはおおよそ子供らしくない、丁寧な挨拶が狭い勝手口内で響く。

 (なり)に合わない言葉遣いと感じられるけれど、コレは同居する神からこう言えと仕込まれたわけではなく、極偶に訪れる歳を召した参拝者の言葉遣いを覚えそれを真似ているだけだ。

 他人の真似事などして、と、親がいるなら躾けるべきなのだろうが、親代わりとなっている二柱は気にしておらず、寧ろ綺麗な言葉遣いを正す事はなくそのままにして愛でているくらいだ‥‥見ようによっては幼子らしい背伸びとも取れるので、ここは放っておいても差し障り無いだろう。

 

 事実、背伸びをしているのは言葉遣いだけで動きの方はまんま子供である。

 幼い手に握られた可愛い巾着は詰められた弁当の重みで揺れていて、その揺れに小さな身体は負けているし、挨拶を言い切って駆け出す姿は風の子と呼べる勢いがある。挨拶と同時に下がる頭。勢い良くペコリ。出掛けに見せた頭頂部の後ろには真っ赤なランドセルが見えたが、今日はそれは要らないだろうと言われリュックを手渡されると、はにかみながら背負うものを入れ替えた。それからすぐガラッと勝手口を開け放ち、少し走り出して、何かに気がついたのか一旦戻って戸を閉める幼女。

 

「慌てないで、気をつけて行っといで」

「土産はいいから、楽しんできなよ」

 

 戸にはまる磨り硝子越しに見える姿、それから届く、は~い!

 返事は少し離れた位置から聞こえた。今朝も変わらず元気に出て行ったな、と、お出かけの挨拶を済ませて走り出していた早苗の背に向かい、神奈子が手持ちを打ち鳴らす。

 迎えに来ているはずの近所に住む眼鏡っ子と早苗の背中、今頃は手でも繋いで歩いているだろう方面を向いてカチカチ、両手に持った火打ち石から小さな火花を飛ばすと、これも諏訪子に笑われていた。

 

「見せたくないならやらなきゃいいのに」

「安全祈願だ、やらんわけにはいかん」

 

「それならちゃんと教えたらいいのさ、あの子ならわかりましたって言ってくれるよ?」

 

 面の祭神の手に収まる石、使い古された瑪瑙(めのう)を見つつ笑う裏の祭神。朗らかな一笑いを済ませ悪戯な舌を覗かせると、笑われた方は少しだけ気まずそうな顔で言い返す。

 

「そうしたら早苗もやるって言うだろう? 火遊びするにはまだ早いよ」

「確かにそうだろうけどさ‥‥過保護だねぇ」

 

「気合入れて弁当作る誰かに言われたくないなぁ」

 

 互いに軽口叩き合う二柱。

 言うだけ言ってから顔を見合わせて笑む。今見せている顔も朝と同じく穏やかだが、早苗が住まいを離れた今は、どこか達観しているような笑みにも思える。

 

「しかし火遊びか、そんな事を覚えて、叱って‥‥叱るような頃までいられるかねぇ」

「いられるさ、孫を見るまで私は消えん」

 

「お、強気だねぇ諏訪子……孫なぁ、何年先になるのやら」

「なに、すぐだよ。早けりゃ後十年、遅くても二十年先には見られる。それくらい、私達にとっちゃ待つうちに入らないだろ?」

 

 だから大丈夫。自分に言い聞かせるようにそう言って、先に奥へ戻る諏訪子。

 自問自答に近い質問を投げつつ振り返り、背を見せると小さなあくびをしながら住まいの影へと戻っていった。早くから台所仕事で動いていたから眠いというわけではない、神社として、神としてうらぶれて久しいこの者達と場所である。ここを訪れて信仰心を届ける人間がめっきり減った現在では彼女は長く起きていられない。人に想われて力を得るのが彼女達『神』あり、今のように殆ど忘れられてしまった状態では常に現世に留まるような事は出来ない、が、早苗がいる間だけは過去の貯金を切り崩し、はっきりとした姿を見せているらしい。

 

「違いないが、貰い手がいないって事は考えないのかい? 泣かせるような変な男に捕まる事もあるかもしれないよ?」

 

 神奈子が消えた姿に返答をする。

 身内可愛さが多分に混ざる親神から見ても早苗は可愛い。春の陽気に透ける髪も、夏の日差しに汗ばむ顔も、秋の日暮れに見せる寂しい後ろ姿も、冬の寒気に吐く弱々しい息も、その全てが愛らしいと言えるほどで、そこから先を思えば貰い手がいないなんて事は考えられない。

 けれどあの子は素直すぎて‥‥その素直さを忘れず今のまま成長すればいずれ誰かに騙される、そうなった時の相手が恋中の男で、泣かされるような事があれば、と、まだまだ心配するには早過ぎる事を口にする八坂の祭神ではあったが‥‥

 

「そんな男が来たら全霊で以て祟ってやるさ、うちの子を泣かした己を恨むがいいってな」

 

 余計な心配を推し進める神社の顔に、消えた裏の顔から返事が届く。送り出した子がいた間には聞かれなかった、とても落ち着いて、酷く冷め切った声色で語られるお返事。

 推測だが、神奈子が考えた通りの状態となれば諏訪子も今言った通りの行いをする事だろう。あの子が泣くのならその原因をどうにかする、諏訪子が諏訪子らしい力でもって、全力で相手に対してナニカを行うだろう。けれどそうなるまで後何年もあるのだからと、今の二人はこの会話を冗談と捉え、笑って流していた。

 

 そうせねばならなくなる夜が、今晩訪れる事など知らずに。

 

~二柱談義中~ 

 

 烏が鳴き出し、朝出た童子が戻った夜半。

『早苗は頑張りました、それで甘い香りのお姉さんに褒められました』

『でも菫子ちゃんはもっと頑張っていて、先生でも抜けなかったお芋さんの弦を引っこ抜いてました、ちょっと触っただけなのにどうやったんだろう?』

 なんて、一人娘が持ち帰った土産話を夕餉と共に楽しんだ後。

 夕食を作った誰かと、芋を食い過ぎてやや胸焼け気味な誰かが、本殿から正面に伸びる廊下に腰を下ろして話し込んでいた。聞く限り、今晩の話題は食事時に話された事のようだ。

 

「楽しんできたようで。朝から頑張った甲斐があったね、諏訪子」

「そうだね、いつも思うが空っぽの弁当箱が返ってくるってのは気持ちがいいもんだ」

 

 代わりにリュックは重たかったね、そういう神奈子が苦笑する。

 ただいま帰りました! 戻ってきた早苗の顔は土一度で汚れて洗ったような顔をしていて、鼻の頭にはトランプ柄の絆創膏が貼られているくらいだった。背負うリュックはパンパンで、本人から何も聞かなくとも頑張って、楽しんできたのがわかる姿だったようだ。

 帰ってきて夕餉を食べ、土産を話して風呂に入り、夜の帳と共に寝た、元気で愛しい子を想う二柱。

 

「それにしてもあの眼鏡っ子だね、ただの近所の子だと思っていたが早苗が驚くような力があったとはね」

「素養があっただけで表立つ事もなかったんだろうよ。年中早苗を見てくれている子だ、強まり始めた早苗の力に引っ張られて表に出てきたのかもしれん‥‥今迄のようにまた遠ざけるのかい?」

 

 山坂の神が少し真面目な顔を見せ、問う。

 遠ざけるというのは物理的に距離を取らせるという意味だ。直接産んだわけではないが早苗は諏訪子の子孫に当たる、言うなれば神の血を引く者で、成長の仕方を間違わなければ現人神となり、人心を纏め崇められる存在にもなれる。なれるはずだった。

 けれど今現在そんな流れにはなっていなかった、二柱がそうしようと考えていなかったのだ。神が神として必要とされなくなった現代において、愛する娘を態々生きにくい立場にするつもりがなかったからだ。今の早苗は人として暮らし、人として笑っている。その姿は幸せな姿に見えて、それを壊してしまう事を二柱は恐れ、避けていた。

 それでも回りからの影響は大きなモノがあり、中には早苗が触れ合えば神としての御力に目覚める切っ掛けになり得てしまう事もあった。そういった超常めいたナニカを見つけては、早苗と関わる前に祟りの御業を用いて遠ざけてきた諏訪子だったようだが。

 

「そうするには遅すぎる、今更そんな事をすれば早苗が泣きやまなくなるからね。それにだ、あの子一人にならないとわかったんだ、それならそれでいいさ」

「菫子といったか、あの子まで神として成り上がるとは思えんが‥‥気がつけなかった私達が語る事ではないね」

 

「そうだよ、神さびた私達では読み切れない事も多くある、多くあるようになってきたんだ。なら後は若者次第って事にしてもいいじゃないか」

「然もありなん。神さびたと言えばだ、他の連中の話も聞けて思い掛けずいい土産話だったねぇ」

 

「あぁ、意外としぶとかったみたいだね」

 

 美味しいご飯を頬にくっつけながら楽しそうに話し、今では同じく楽しい夢の中にいるだろう早苗の顔を思い出し笑っていた二柱であったが、話題の中心が愛娘から土産話の方へとズレると少しだけ表情を変える。

 いい話だったと語った諏訪子は昔を思うような顔に、聞いた神奈子は誰かを思い出すような、昔を懐かしむような顔になっていく。

 

「ふむ、諏訪子もそう考えるか」

「早苗が見た者だ、間違いはないさ。それでも未だ健在だったとは‥‥秋のは意外と信仰されているのかもしれんな」

 

「社はないと聞いているが……この国は今でも農耕が盛んだし、もしかすると今の私達よりも信仰されているかもしれないね」

「それはないんじゃないかな? 気がついたらすぐ消えたという話だ、 強く信仰されたままだってのならもう少し違った現れ方をするもんじゃないかね?」

 

「かもしれんが無事ならそれで十分な事さ‥‥姉も健在なのかねぇ?」

 

 真面目な顔になると口される内容も顔つきに似たものになる。

 静かに語られるのは他の神様についてのようだ。

 早苗が見たというのは秋を司る豊穣の神の事だろう、芋掘りなんてまさにあの妹の為にある行事なのだから。そんな催し物に早苗のような人よりも神に近い者が混ざっていれば気にならないわけもない。もう一人くらい人外に近い力を宿した者もいた遠足だったのだし、信仰という力を失い、消えかけている神様が釣られて顔を出してもおかしな事ではない。

 

「だといいねぇ。今朝も思ったが最近はこんな事を考えてばかりになったなぁ、切辛い世になったものだ」

「この地を奪っておいて世知辛いなんて、どの口が言うんだか」

 

「然もありなんだ。諏訪子に窘められるとは、私も焼きが回ったか」

 

 全くだ、頷く諏訪子と苦笑いの神奈子。

 それでも今朝の話を思い出して破顔する。まだまだ終わるつもりはない、暮らしにくくなってしまったけれど、あの子の成長を見届けるまではこの世で頑張るつもりの二人だった。だったのだが、唐突に声が増える。 

 

「でしたらもう一度世渡りされては如何でしょう? 今なら招待状付きでご案内致しますわ」

 

 増えた誰かの第一声。 

 忽然。そのようにしか言えないタイミングで聞こえたその声は今のような景色、背の高いビルから漏れる灯りのせいで夜になりきれない夜に似合いの、非常に曖昧で胡散臭い声に思えた。

 そんな声の主は二人の視界の中にいない。姿は見せず誘いの言葉だけをかけているようだ。

 

「姿も見せず盗み聞きか、趣味が悪いな」

「我の社に入り込む者、誰ぞ?」

 

 誰かの誘いが聞こえても動かない二柱。

 縁側に腰を降ろしたまま、それでも態度だけは変えて。柔らかだった今までが嘘のように、大昔恐れられ敬われて頃の声で見えない何者かに語る。

 

「こんばんは、そして初めまして。まずは夜分に訪れた事をお詫びいたしますわ、明るい時間帯は苦手でして」

 

 神からの問に答え、姿を見せる。

 正面、二柱の視界に入っている鳥居に腰掛けて、立ち位置だけは上にいるよう場所で脚組みしている女。長く伸ばした金髪は今晩の月明かりに似ているが、照らされる格好の方は不吉な朝焼けを思わせる紫色のドレスに、朝の日差しを避ける為の傘を差すといった様相で、明るい時間が苦手なんて言葉を否定しつつも肯定するような、朝と夜両方が感じられる姿。

 それでも口振りは穏やかで、相手の事を考える気遣いまで伺える‥‥ように見える。

 

「詫びなぞいらん、我の社に何用か?」

 

 夜のご挨拶を受けた者、この神社の主である神が返す。

 丁寧さの見える初対面の挨拶に対して完全に上から目線で言い返していく。実際に天上におわした経験のある彼女だ、突然訪れた女に見下す目線で語っても当然ではある。

 

「何用と仰られましても、すでにお伝えしておりますのに」

 

 薄笑い、そんな顔のままで返事をした女。

 力強い腕を組み、目を細めている社の祭神からの問いかけに対してもう言ったと返す。その物腰は柔らかだが、言葉に含まれる物には非常に嫌らしい味がしそうだ。

 

「神を煽るなど不届きな輩であるな、神罰を恐れていないと見える」

「怖い事などありませんもの、罰せられる事など何一つしておりませんし。今はまだ」

「‥‥大根役者だねぇ、わざとらしさが見えすぎてあからさまに胡散臭いよ? 妖怪ならもう少し化かすなりするか、芝居でも習うかしちゃあどうだい?」

 

「そう言われる事にも慣れておりますので必要ありませんわ。後半も身内で間に合いますわね」

「身内ね‥‥そうか、貴様が」

 

 誰か、言い切る前に怪しい女が動く。

 組んでいた足を組み直し、左足から右足を上にしながら愛用の扇を取り出した。そうしてそこから当然の流れで口元に持っていき開く。座る二柱の視線から丁度瞳だけが見えるよう、普段よりも少し低い鼻の辺りを隠して笑う女、八雲紫。

 

「あらあら、二柱に存知上げられているとは嬉しい限りです事。宜しければどういった知られ方なのか、お話頂きたく思いますわ」

「狐を連れた雌狐。一介の妖怪の身の上で神の御業(神隠し)を自分の行いだと言い切る輩。夜の帳に隠れて笑う者。なんにせよ胡散臭さが纏わり付いて離れないと聞いてるよ、八雲紫」

 

「お名前まで、感激ですわ。ですがその前の部分が酷くて、傷ついてしまいそう」

 

 言い切って俯く紫。

 大袈裟な動きで目元に手を寄せる。それから白い手袋を嵌めた指先を添えて静かに泣いているような仕草をしてみせるも、顔を合わせている二柱には全くと言っていいほど効果がなかった。

 それどころかコレも煽りと見られたようだが、実際扇の後ろでは整った口を歪め、口角を上げているのだから間違いなく煽りで正しい。神さびたとは言っても神は神、見る目は濁っていないようだ。

 

「本当に趣味が悪いな、下手な芝居はいらんと言っただろう? 本当に何をしに来た、神を隠しにでも来たか?‥‥だというのならソレらしく歓迎してやるぞ?」

 

 話し合うだけだった三人の中で先に噛み付いたのは諏訪子。

 神奈子に諌められつつも手を払って立ち上がり、鳥居を睨むと、薄く透けた大きな大きな手と足を地面から生やし、伸ばしていく。朧げな輪郭から黒く濁った陰気を漏らす手足。

 そんな大きな肢体を眺め、この程度造作では、と、笑みを変えない紫。

 今まさに襲わようとしているのに笑ったままなのは余裕の表れからか、それとも。

 

長脚長臂(ちょうきゃくちょうひ)、久しぶりに見ますわね」

 

 目を細め、貼り付けた笑みを更に胡散臭い物に変えて紫が語る。

 笑顔を絶やさなかった理由は今見えている手や足、これらに対してであった。古くは、山に棲み人を襲っては喰らい海を進んでは波間を行く船を襲っていた怪異だとされる手長足長様、別名長脚長臂ではあるが、時が流れた今では手名椎・足名椎(てなづち・あしなづち)という神と混同されている事もある曖昧な存在である。 

 それを人に崇められ神社に祀られ今では忘れられた神が操り、人に恐れられ疎まれながらも未だ現役で生きる妖怪に差し向ける事が愉快で堪らないようだった。曖昧な自分に放つのが曖昧なモノ、これは思っていた以上に冗談の通じる神だと、皮肉まで利かせる事の出来る敏い相手だと、嫌味な顔で妖怪の賢者は笑う。

 

「残念ながらそっちじゃないね」

「どちらも同じでしょうに、曖昧なモノを呼び出しますのね」

 

「そういった噂の絶えないお前に見せるには悪くない‥‥だろ!」

 

 語気強い神の手がパァンと鳴る。

 夜の静寂を切るような柏手が打たれると同時、荒々しい神遊びが守矢神社の境内で始まる。


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