東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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~出張する桶屋~
第六十六話 悪魔、召喚される


 暗い。光といったものが完全に遮断された空間。

 夜に生きる者でもなければ視界を得る事など出来そうにない空間に、何か動く影があった。

 カサリ、何かの物音を立てて、静寂を消しては動く何か。

 その何かが近くにあったのだろう蝋燭に火を灯す。

 ポワリと、揺れる灯りに照らされて浮かんだモノは人間、背格好から若い女のようだ。トレードマークらしい黒い帽子を目深に被り、どういった顔つきをしているのかは伺えない状態の女。

 それでも歩き方や立ち姿には若々しさが見られる辺り、彼女の事を少女と呼んでも差し障りはないだろう。が、肉体的に若いというだけで精神的には未だ幼いままかもしれない、蝋燭に照らし出される空間の一部分には、一つの物事に特化した書物が渦重なっていて、整理整頓とは無縁に思えるヤンチャっぷりがある。

 

 その本類の一冊、棚から取り出され机にばら撒かれてる内の一冊で、中途半端なページで開かれている物がある。中を読み取れば、それは古い古い書の一つらしく、書かれている文字は日常会話で話されているような見知った文字ではない。知る形に例えるならπや%といった物が近いだろうか、雰囲気から何処か、この国ではない場所の古い言語らしく思える。

 そういった文字が記載された書を手に、何やらブツブツと呟く少女。

 羽織っているマントを揺らし、表紙に六芒星の描かれた書物に向かって語りかけていた。

 

「ふむふむ‥‥」

 

 書かれた文字に指を這わせ、頷きながら室内をうろつく。

 十歩も歩かずに反転する様から、この部屋の狭さが伺えた。何度か左右に揺れ動き、また反転しようとした時にガツン、何かを蹴飛ばしたような音が響く。

 

「いっ!……」

 

 どうやら何かにぶつけたらしい彼女。

『い』だけを発声して、それからは叫び声の代わりに深い深い息が吐き出されるだけ。

 耐えられないのか小さく蹲ると、被っていた帽子が傾きパサリと落ちた。それでも痛みの方が重要らしく、火が立つ勢いで擦られる白魚のような足、その脛。履いているプリーツスカートから曝け出した瑞々しい肌には、一箇所だけ青くなってしまいそうな衝突跡が出来てしまった。

 

「あぁもう! 椅子を出しっぱにしたのは!……私か‥‥」

 

 暫くさすり続けた事で余裕が出来たのか、口悪く己を罵りかける。

 自分のせいで生まれてしまった誰かに向けたい怒りをぼやき、片足ケンケンで壁へと進む。

 パチン。スイッチひとつで暗闇が死に絶え、代わりにかけている眼鏡のフレームと同じ色になってしまった瞳から、薄っすらと雫が生まれた。

 

「あ~ぁ、雰囲気作りなんてするんじゃなかったわ、最悪」

 

 多少は引いたがまだ痛いらしく、ケンケン飛びからちょっとだけ引いて歩くような動き、その最中にまたも吐かれる愚痴。言ったところで返してくれる相手などいないというに。

 それでも凝りてはいないのか、すっかり明るくなった部屋の中で本の続きに目を通す。点った蛍光灯の灯りに照らされ随分と文字が追いやすくなり、足元も見えるようになったのだが、コチラについては懲りたのか、彷徨くことはやめたらしい。

 

「いよっし! 気を取り直していきましょ! 今回こそ封じられた秘密を暴くのよ!」 

 

 立ち止まり書を眺め、そのまま視線を周りに流す。

 周囲には『オカルト』や『神霊特集』『怪奇譚』など、ジャンルの偏った本が壁のように積まれていた。窓もある部屋のようだが、出入り口であるドア部分『倶楽部員大歓迎! 見学、体験いつでもどうぞ!』と書かれた引き戸以外には開閉しそうにない。

 その戸を背に、やる気を見せた少女が唱える。

 

「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり……いや、エロヒム(神様)じゃないはずだし、エコエコアザラクの方? う~ん、ラテン語で召喚ってなんて言うんだろ? 辞書も借りてくれば良かったかな?」

 

 読んでいたつもりの書に話しかける、開いている本は言われた通りラテン語で書かれており、現代に生きる彼女にはおいそれと読めるものではなかった。けれども彼女は諦めない、悩みながら別の、何処かで仕入れた呪文も取り敢えず試してみるらしい。

 赤みの引いた瞳を閉じて『タッカラプト ポッポルンガ プピリットパロ』と、両手を仰ぎ唱えたかと思えば『カイザード アルザード キ ・スク・ハンセ グロス・シルク』などと、何から知ったのかわからない呪文を口にし、片手で羽織るマントを翻らせた。

 

 バサリ、跳ねたマントが重力に負ける。

 何かに期待する顔で書を眺め続ける彼女であったが、欲しい変化は書にはなく、背にした引き戸から訪れた。

 

「あ、やっぱり部室にいた。逃げないでくださいよ、おかげで先輩の仕事まで押し付けられたじゃないですか!」

 

 開け放たれた戸、そこに立つのは同じく少女、腕には実行委員という腕章をピンで止めて、表情はやや疲れ気味といった様子だ。先輩と呼んだ女の子と同じ、菫色でチェック柄の格好に身を包む女子が部屋へと入り、詰め寄っていく‥‥けれど、呼びかけられた側は拗ねたように返事をしない。

 

「もう! 逃げた上に無視までしないでくださいよ! ちょっとは先輩らしいとこ見せて下さいってば!」

「いつも言ってるでしょ、先輩って呼ばないでって。昔みたいに菫子ちゃんって呼んでよ」

 

 同じ制服の、マントや帽子などオプションパーツが搭載されている方が、言い寄る後輩に返す。

 疲労感の浮かぶ後輩とは真逆で朗らかな笑みを見せた。住まいが近く小中高と一緒の二人、それ故に年子の姉妹のような感覚でいる彼女達だったが、姉の方が中学校に入ってからは後輩の方から少し距離を取られていた。距離とは言ってもただ呼び方がかわっただけではあるが。

 それでも、仲良くランドセルを背負っていた頃は菫子ちゃんと呼び、何処に行くでもついて来たのに、と、少し昔を思い出し、それを語って話を濁した。

  

「それによ、私は逃げたりしてないわ。そもそも逃げなきゃならない事に覚えがないもん」

 

 濁した言葉に引っかかり、僅かながら勢いの弱まった追求。

 ここは畳み掛ける時だ、そんな顔で逃げたりしないと言って逃げようとする菫子だったが、それほど上手く事は運ばないようだ。昔ではなく今の話に戻ると、そこをつつかれる。

 

「何言ってるんですか、委員会放り出したくせに」

「委員会? って、なんだっけ?」

 

「……もしかして忘れてました?」

「なんかあったっけ?」

 

「はぁ……もういいです、話は決まったので」

 

 ガクリと落ちる少女の頭、飾っている蛙モチーフの髪飾りが揺れ動く。

 その頭頂部に先輩、宇佐美菫子の笑い声がぶつけられる。ニヘラと笑ってごめんごめん、謝りながら近づいた。そうして落とされた頭に手を置いて、軽やかに撫でくりながら、また高らかに話し始めた。

 

「しかしあれだね、早苗ちゃん、来てくれたって事はようやく入部する気になってくれたのね」

「入りません、先輩を探しに来ただけです。それに、クラブ活動する時間なんてないって知ってるじゃないですか」 

 

「忙しいって言うの? 家の手伝いで忙しいって言うほど人来ないじゃん、早苗んち」

「確かに参拝客は来ませんけど‥‥って、うちの事はいいんです、放っておいてください」

 

 これから忙しくなるのは先輩なんですし。

 言葉尻にそう付け加え、先輩、宇佐美菫子の全身を眺める後輩少女、早苗と呼ばれていたこの少女東風谷早苗が近寄り、マントの端を摘んだ。

 

「何よ?」

「忘れてたのに準備はしてたんだなって」

 

「準備ってなんの事?」

「あれ? このマントとかその帽子とか、文化祭の出し物用じゃないんですか? 先輩の出した企画、通りましたよ?」

 

「企画? って、そっか、委員会ってそれかぁ」

「ですです、自分で文化祭の企画出したんだから覚えててくださいよ。学校でハロウィンしたいって言い出したの、先輩なんですから」

 

 摘む布切れの端をヒラヒラとさせ、私は何の仮装をしようかな、といった顔つきの早苗。先程は叱るような表情で語っていたが、今は楽しそうで年齢よりも少し幼く見えるような笑顔。

 そんな笑みを眺め、菫子も微笑む。学校で会う事も多くある、放課後一緒に過ごすことも偶にある、それでも今のようなあどけない笑みを見るのは久しぶりで、それが年齢分だけ嬉しいようだ。

 

「早苗はあれでいいじゃん、ほら、あのあれ」

「なんです? あれとかあのとか」

 

「あの、ほら、早苗ん家の、蛙のお化けみたいなのいるじゃん」

「お化けって、諏訪子様はお化けじゃなくって神様ですし、お母さんでも蛙でもないですよ」

 

「ちがうの? 見えてた時はいつもそんな格好でいたじゃん」

 

 菫子の冗談にむぅと膨れる早苗の頬、綻んでいたかと思えば今度は丸くなった。

 言われた神様らしい蛙のように膨らませた頬で、ケロケロと笑う菫子を睨む。

 蛙ではないと否定しながら、それでもソレらしい姿を見せる早苗だが、彼女は実際に蛙に似た神様、正確には古い祟り神だがそこは割愛するとして、その祭神様の遠い遠い子孫なのだ、血筋を鑑みれば多少は似ても仕方がないのかもしれない。 

 

「確かに、今も起きた時にはカエル座りでいらっしゃる事が多いんですけどね‥‥」

「最近起きてこないんだっけ? 私には随分前から蛙っぽい姿が見えなくなっちゃったんだけど、まだ健在なんでしょ?」

 

 丸かった頬が萎むと、早苗の雰囲気も若干萎む。

 早苗が住む神社の祭神がバカにされたから、話のネタにされたから気落ちしたという感じではなく、それよりももっと暗い、深刻といった雰囲気が少しずつ顔に浮かんできていた。

 それを払拭しようと、明るく、冗談めかして問う菫子だったが言った彼女自身も多少気にはしているようだ。子供の頃、早苗の住む守矢神社の境内で遊んでいた頃は今よりも純粋無垢に神様やお化けの存在を信じていた、そしてあの頃は菫子にも守矢の祭神が見えていた‥‥が、成長し常識を身につけ始めてからは段々と見えなくなり、今では完全に見えないようだ。

 それでもまだいると、健在で消えてはいないのだろうと、期待も込めて問うが‥‥ 

 

「偶に起きてご飯って言ってきますよ」

「なんだ、元気なんじゃない」

 

「でも、偶になんです。昔みたいに毎日起きておはようって言ってくれなくなりました」

 

 意気消沈。そうにしか見えない早苗。これは大失敗だったと、浮かばせていた苦笑いを引きつらせる菫子。なんとも気難しい空気が部室内を流れる、このまま無言が続けば更に気が滅入る、そんな事くらいはわかるこの部室の主、秘封倶楽部初代会長兼唯一の倶楽部員だが‥‥こういった時になんと言えば流れを変えられるか、まだ若い彼女にはちょっとだけ難しい問題だった。

 そんな静かな空間にパチン、手を打つ音が響く。柏手を打ったのは神社住まいの女の子、すっかり暗くなってしまった空気を打ち払うように鳴らし、話題を明るい物に切り替える。

 

「うん、忙しくなるし考え事はやめましょう! それでです、先輩、後は何をするんです?」

「何って? 何?」

 

「え? 仮装して、それから何かするんじゃないんですか?」

「いや、そこまでは考えて‥‥ただ皆で仮装して練り歩いたら面白んじゃないかなって思っただけで。ハロウィンってそういう行事でしょ?」

 

 元を正せばその年の収穫を祝ってみたり、その地の悪霊を追い出すなど宗教的な意味合いが強い行事であったのだが、彼女達が生きる現代においては子供たちが魔女やお化けの格好に扮して各家庭を周り、お菓子をねだるという、宗教色の薄れたお祭りめいた行事となっている。

 菫子の考えていた物はそのうちの後者である。壁を埋める本棚、更にその棚を埋める本のどれかに載っていた百鬼夜行、京都の蓮台野にあるという冥界の入口から連なり出てくる怪異の行列を真似た事がしたいという、言うなればただの思い付きであった。それ故に練り歩ければそれでよく、寧ろそれ以上の考えなどこの女子高生の頭にはあるべくもなかった。

 

「あの、本当になんにもないんです?」

「ないわ、ほんとに、なんにも」

 

「企画、通っちゃいましたよ?」

「そうみたいね、どうしよっか? 喫茶店でもやる?」

 

「文化祭だからって、そんな安直な」

「いいじゃん、コスプレ喫茶だよ? きっとお客さんいっぱい来るよ?」

 

 それでも首を縦に振らない早苗。

 出された案が気に入らないという感じは見受けられないが、ここで素直に受け入れればこの女はまた忘れたり、逃げたりしそうだと、昔から知る姉代わりの事を考え敢えて納得しないでいた。

 

「とりあえずです、これから実行委員の会合があるんで行きますよ」

「私も?」

 

「当然です! 企画だけ出して投げっぱなしとか絶対に許しません!」

 

 でも、私今ちょっと忙しいんだけど。

 最後に言ったその言葉は聞かれず、制服の襟首を掴まれた菫子。亜麻色の後ろ髪に隠れた襟を握られて、そのまま引きずられるように部室から連れ出されていく。けれど素直に出て行く倶楽部会長ではないようで、少しの抵抗代わりにわざと帽子を落としてみせた‥‥が、その手は早苗には通じなかった。

 落し物をした、そういった言い訳も先と同じく寝耳に水。キッチリと外に連れ出され、部室のある校舎の別棟から、文化祭実行委員会用に充てがわれた本棟の教室に移動した後で、私が代わりに取って来ますと、早苗一人部室へと戻るのであった。

 

~少女移動中~

 

 二人が賑やかに移動した後、静かになった部室内。

 主である人間が部屋を去り、その際に点けられた蛍光灯は消され、すっかり暗さも取り戻していた、はずであったが‥‥消えた灯りとは別の光が小さな物音と共に室内に現れ始めていた。

 見える明るさは赤、血の色合いよりも黒く、それでも赤色だとわかる濁った紅の色が、机に出しっぱなしにされていた物から漏れ出る。それは書物。ラテン語で書かれた本の表紙が、描かれた模様そのままに薄く輝き、揺れ動いていた。

 それから静かな部屋に一つだけ灯る赤と振動音、それらが段々と大きくなる中、この部屋に荷物を取りに戻ってきた者が近寄ってきていた。

 

「全く、ホント忘れっぽいんだから困っちゃうわ、菫子ちゃんには」 

 

 廊下の奥、曲がった先辺りで言われた独り言。

 本当に困っているというには明るくて、少しだけ楽しそうな声色がゆっくりと戻ってくる。このまま戻れば部室内で起きている異変と出くわすだろう、が、それほど綺麗に事は運ばない。

 進み、部室に手を掛けて一度動きを止める早苗、何やらポケットを弄り探す仕草を見せて、声は出さずに『あ』と、可愛い唇を小さく開いて来た道を戻っていった。鍵を預かってくるのを忘れてしまったらしい。

 踵を返し戻る早苗。

 戸一枚隔てた中では魔力の満ちる黒い瘴気が巻いていて、もし吸い込めば体調を崩すなり、場合によっては死に至る事もあったかもしれないが、ここで入らずに済んだのは偶然か、それとも持ち得る人外(奇跡)の力故なのか、誰にもわからない事だろう。

 

 そんな奇跡的なすれ違いを他所に、誰もいない部屋で、渦巻くモヤが形を成す。

 まずは高い位置にある頭から形取られ、本来反射する陽光すら吸い込んでしまいそうな黒髪からは、大きな大きな巻き角が生え伸びた。続いて褐色色の肌が見え、その小麦色が真っ黒なスーツ姿を纏っていく。

 全身が見慣れた姿、あの永遠の屋敷で消えた者の姿となると、最後に顕現された高いヒールがコトリと響く‥‥同時に扉からも似た音が鳴り、閉ざされた入り口がガラリ開かれた。

 

「帽子、どこだ‥‥ろ……?」

 

 引き戸を開けながらのボヤキ、独り言のつもりだった早苗が、部屋の中央に立つ何かに気がつく。

 落し物を探すように床を見ていた緑の強い瞳、その端には黒いスーツの裾と、やたら高いピンヒールが見えた。

 

「お呼びいただき恐悦至極、ですが‥‥お呼び下さった方ではないように感じられますね、それにココは一体どちらでしょう?」

 

 低めの声色で交わされた挨拶、それに含まれるのは召喚者は何処かという問い。

 ついでに場所も聞かれているが、一度に多数の質問は今の早苗には答えられないらしい、床の板目を見ていた視線は見知らぬ誰かの顔に向いているが、色々と考える事が出来てしまったようで、質問に答えるどころではないらしい。

 

 鍵はしていたはず、誰?

 呼ぶって何?

 見た目日本人じゃないし、ALTの先生かな?

 でも、日本語上手だし、角付いてるし‥‥あ、角ってハロウィン?

 それなら菫子ちゃんの知り合いかな?

 

 今の早苗の頭の中を書き起こすならこんな状態。

 どうにか理解しようと、よくわからない事を言ってきたこの外国人を見つめ考えているが、いくら考えても答えは出ない。当然だろう、早苗の考えられる答えの内にはこの者、書から呼び出された黒い羊の悪魔、アイギスはいないのだから。

 固まり考える女子高生、それを眺め返事を待つスーツの麗人。

 幻想の地で一度滅し、現代に呼び出された悪魔と、後に幻想の地にて異変を解決して動く風祝が、なんとも言えない微妙な形で出会いを果たした瞬間だった。


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