東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第六十五話 求め彷徨う旅人 ~下~

 上った月が止まったままの幻想郷。

 終わらない満月の夜は騒ぎの一夜となり、終わる兆しを見せず。

 異変の中心である屋敷も、月からこぼれ落ちる魔力が満ちる外も、どちらも未だ賑やかしい。

 屋敷内では弾幕が爆ぜる音が響き、外ではアテられ、我を忘れて暴れる者達が僅かながらに出始めてしまったようだ。が、異変の最中にいる者達は敵も味方もそれどころではなかった。

 この異変を解決しようと現れた者達は、紅い瞳に惑わされながらも少しずつ前に進む事を選び、前進を阻もうとする側は、行使される術式を守り通し、この永遠亭を侵略者から守ろうと必死に動く。

 

 そんな両者が争う最中にただ一人、酷く個人的な理由で屋敷を訪れ、最後を迎えた者が、残していた身体の一部を元に再誕しようと動きを見せる。

 

 カタリ、動くのは薄明かりの中で光る台の上。

 消毒された銀色、幻想郷ではまず見られないだろう金属で作られた作業台が月明かりを反射している。台の端には様々な器具や試験官などが並び、奥にある大小様々な機材には波形が揺れる立体映像が浮かんでいる。その中央。機材のセンサーが向けられている実験台の上で、残り僅かな血を滴らせ、消毒されたスペースを侵していく悪魔の腕が揺れる。

 銀の差し色となった赤が少しずつ広がり、端の方から黒いモヤとなりまた腕に戻る。その工程を繰り返し、前腕部から指先までしかないソレに集り、纏まっていく。

 

「そう、貴女はそうやって『戻る』のね。やはり私達とは違うモノだったわ」

 

 その動きを静かに見つめる者が一人、揺蕩う瘴気の流れを論じる。

 顔には明かりに似た笑みを貼り付けて、纏う雰囲気には、師と呼ぶ兎が放つ力に似た風合いを乗せて。音のない部屋の中で、たった一人だけの声が通る。

 

「このまま待っていればいずれは全身を取り戻すのでしょうね、あの狐もこんな風に復活を果たすのかしら?」

 

 ふと浮かんだ疑問を口にして、少しずつ体組織を延長していく黒い腕に語りかける。

 返事などないのはわかっている、過去何度も争っていたあの仙霊と関わりがないという事も、なんとなく察している。それでも語りかけてしまうのは、感じるモノ、誰かに対して向けられている『恨み』を元に成った者達が似ているからだろう。

 久しく現れなかった楽しい研究対象、月の頭脳と評され、知らぬものなど何もないような状態となって長いこの女、八意永琳。彼女が知らぬモノの在り方を目にし、実際に触れられる機会を得て、楽しそうな声色でブツブツと呟き続ける。

 

「本当ならもっとゆっくり見ていたいのだけれど、余裕がないのが惜しいわね。折角の機会でも研究に充てられる時間がないのでは意味がない」

 

 勿体無いわね。

 静かに再生を続ける黒羊の腕と、それを見続ける事が出来ない状況の二つに対し一言吐き捨てて、蠢く腕から別の物に視線を流す永琳。

 視界に入れた二本の試験管、それぞれが彼女の着込んでいる衣服のような赤と青の二色に染まり、管の内でゆっくりと微睡むように流れている。それらを手に取り、二つの中身を別の一本へと注ぐ。合わさる二色、一旦は混ざり合い赤みの強い紫色へと変じるが、持ち上げ軽く揺すられると、赤さが薄れ、深い青一色、となった。

 

「貴女の生まれた辺りだとazul oscuro(アスールオスクロ)とでも呼ぶのかしら? 羊だという話なのだし、この国の生まれではないのでしょう?」

 

 未だ腕だけ、それでも肘から二の腕にかけて復元し始めている悪魔の腕に向かい語りかける。

 返答などあるはずもない、意味のない行為だと自身でも理解している科学者ではあったが、こうして少しでも触れ合えば、薬での効果以外にも何か知る事が出来るかもしれない、そういったなんともない思い付きを不意に口にしてみただけであった。

 当然なんの結果も得られず、やはり無駄ね、と漏らしてから、口元を少し上げ元の作業に戻っていく。

 

「想定上ではこれでいいはず、後は臨床実験をしてみればわかるわね」

 

 出来上がった物を眺める、思慮深さの宿る瞳を僅かに細めた。

 薬を手にする左手とは逆側の口角を僅かに釣り、試験官の中身を細長い実験器具、目盛りのないピペットで吸い取ると、広がる血溜まりに数滴垂らした。ポタリ、垂れ落ちた部分から霞んで生きていく紅い水溜り。

 予想では垂らした分だけで血溜まりを這い、本体にまで侵食する薬が腕を無に帰すはずである。そうはならなかった事に別の意味で目を細くし始めた八意永琳だったが、聞き慣れた銃撃音が遠くから近くへ移ってきている事に気づき、残りでどうにかする事とした。

 

「読み通りの作用とはならなかったけれど効かないわけではない、か……本当に、もう少しだけ時間があれば詰められるのに、厄介極まるわ」

 

 結果を見聞し、すぐに別の方法へと移行する。

 残る薬品を試験官と同サイズの注射器へと吸い、移す。無色透明な注射筒(シリンジ)が、美しくも冷たい紺色で染まっていく。全て吸い上げ押子(プランジャ)を押し込み、筒内に残った不純物である空気を放出すると、動脈と見られる辺りから投与した。

 針先が刺さる。同時に握りこまれる手の平。何かに反抗するように強く、指が折れ爪が手の平に収納されるくらいに握りこまれた後、拳の輪郭から静かに霧散し、消えていった。

 

「また会いましょう。縁があれば、ね」

 

 柄にもない別れの言葉、言われた相手は実験器具以外何もなくなった台。

 その盤上を指先だけで撫で、去る。

 薬の効果が想定通りなら、投与した相手があの月を狙う仙霊と同じ存在であるなら、今投与した試薬の効能によれば、この世で再誕する事などはなく存在自体を抹消する事が出来るはず。そこから最早再会する事は叶わないとわかっていながら、久しぶりに出会えた興味の対象に、縁があればと声をかけて部屋から消えた。

 自身は既に円環の理から離れた蓬莱人だというのに縁などと、ない願いを口にしたのは、今夜の月を浮かべた彼女自身も月に影響され、浮つきやすくなっているからだったのかもしれない。

 

 そうして騒ぎの舞台は動き、終幕へと進んでいく。

 幕引きは屋敷の奥、異変の元凶である彼女が少女達と出逢う事で〆られる。

 幻想の結界を支え、この地を司る二人の人妖を始めとしたコンビ。

 隙あらばこの屋敷からも知識を得ようと企んでいる、禁呪の詠を唱える魔法使い達。

 そして、現世と離れて久しいが、管理する幽冥の世が騒がしくなっては困るあの世の住人達。

 

 それぞれがらしく行動し、異変の解決に向けて争った今晩、永い一夜はもう時期に夜明けを迎えようとしていた。終わりとならず始まりとなってしまったのは、紅い屋敷から訪れていた二人くらいか。異変の解決よりも別の案件に向き直してしまった彼女達、紅魔の主従は夢幻の如く消えた誰かを呼び戻す事を第一とし、異変の場からは姿を消していた。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 厚い雲に隠れ気味の月を見上げ、飛ぶ少女。

 視線は薄明かりを浴びる地表や、そこから続く稜線を向いている。

 キョロキョロと辺りを見回して、何かを探すような仕草と表情を背負う七色の明かりに照らしながら、結界で区切られた夜空を一人彷徨う。

 あの賢者が箱庭だと評した地、世界と言うには狭く、彼女一人が手探りで物探しをするには十二分に広い地、幻想郷。

 飛び、動き、止まる。

 それを繰り返す姿を見るに、今夜も探し物は見つからないようだ。

 探しまわって飛ぶ最中、欠けた月が完全に雲に隠れる。それに気がつくと流星かと見まごう速度で空を駆ける子供。もうすぐにでも降り出すかもしれない今晩のような天気でも飛び立ち、必死な形相で少しずつ捜索範囲を広げる吸血鬼ではあったが流石に雨はマズい。どうにか降り出す前に住まいに戻ろうと足を速める。

 

「あ! 降り出しちゃった?‥‥でも、雨じゃない?」

 

 凛とした空気に心持ち冷やされ、赤く染まった頬に冷たいものが当たる。雨。苦手な流水が降り始めてしまったと少し焦る彼女だったが、灼けるような痛みは感じず、触れた部分がほんの少し熱いと感じ取れただけのよう。

 今頬に触れたのはどうやら雨ではないらしい。視界にチラチラと半透明な物が映り込み、それと同じ物が彼女の回りにも落ち始めた。

 

「雪、じゃない、(ひょう)?‥‥なら大丈夫だけど、でも……」

 

 見通しづらくなり始めた空の中止まる。

 気がつけば随分と進んでいたようで、先程まで見えていた湖畔は遠く小さく、逆に鬱蒼と茂る魔法の木々は大きくそそり立つように見える。

 このまま雹として降り続いてくれれば然程問題はない、帰宅した後で無茶をしてと叱られるだけ、最悪の場合は魔法の森に降りて雨宿りでもすればいい。迫る危険を無視するように、懸念部分についてはどうとも考えないようにした彼女。ポツポツと手の甲や首筋が熱いが、それよりも探したいと、雪解けの流水に焼かれる肌よりも内情を熱くする‥‥が、再度動き始める前に、迎えの者に見つかってしまう。

 

「やっと見つけた、こんなところにいましたか、妹様。さ、お天気も崩れてきましたし、今晩は私と帰りましょう」

「イヤ! まだ探すの! まだ大丈夫だもん!」

 

「お気持ちも、大丈夫だというのもわかりますが、今はまだ季節の変わり目を迎え始めたばかりです。今は雹ですが、いつ雨に変わってもおかしくないんですよ?」

「でも‥‥探すの!」

 

 迎えに来た従者。

 本来ならば屋敷の門から離れられない状態にある守護者が、傘を片手に主を諭す。

 探すのだと、口調強く言ってきた妹君に向かって参ったな、と呟き、少しだけ苦く、それでも包み込むような穏やかな笑みを浮かべて手を差し伸ばす。暫しその場で留まる二人だったが、荒れている気性を示すように、ランダムに輝く翼に酷く熱いモノが触れ、濡れると、嫌々ながらに手を取る吸血鬼であった。

 

 抱きかかえてゆっくりと、降り始めてしまった雨に濡れぬよう、大事な者を濡らさぬように、幼子の頬を寄せて抱える従者。抱かれる者も赤く長い髪と、揺れるおさげをそれぞれの手に握りしめて、雨に打たれてしまわぬように身を縮こませる。

 これで相手が黒髪の黒いスーツであれば抱えられる主が外に出て探しまわる事になどなっていないのだが、幼い吸血鬼の求める相手は、一月ほど前の異変で姿を消してから誰の目にも映らずにいた。

 

 自身の守る門へと降り立ち、そのまま正面玄関へと進む守衛。

 静かに開けると、中に仁王立ちする姉。

 

「フラン!! こんな天気にも出るだなんて! 今夜は降り出すとパチェも言っていたじゃない!」

 

 降ろされず抱かれたままの妹を叱る姉。無事に戻れたのだし今日は、とあやす美鈴の声を敢えて聞かず、強い口調でフランを叱る‥‥けれど何も返事はなかった、美鈴の肩に顔を埋め、無言のままでいるフランドール。

 

「お願いだから、屋敷で待っていて‥‥貴方にまで何かあったら私は‥‥」

 

 先とは一変した弱々しい声、不遜さや高慢さは何処かに置き忘れてきてしまった、そんな雰囲気にしか思えない紅魔の主の声色。それを聞いて顔を上げ、視線をレミリアに向けたフランドールが、姉の優しさに気が付きながらも言い返す。

 

「だって、みんなが探しに出ても見つからないんだもん!」

「だからといって雨の中に出るなんて、無茶し過ぎだって言っているの!」

 

 姉の声よりも大きな声で言い返したフランドールだったが、レミリアはそれすらもかき消すような声量で返していく。本気で怒っている、叱っているというのがわかる声で、表情で。

 昔は一方的に押し付けるだけだった姉が、妹の動きを認めソレがダメだと叱る姿。以前に比べれば随分と姉妹らしい姿にも見られる。フランドールに対して真っ向から感情を露わにするレミリアが珍しい、そんな事を考えていた美鈴だったが、そこから気が抜けて力が緩むと、肩から飛び立ち、玄関ホールで翻るフラン。

 

「言ったんだもん‥‥私が泣いたらすぐに来るって言ったのに! 部屋で泣いてても来てくれないんだもん! お姉様は待ってるだけで探しにも行かないくせに! そうやって偉そうな事だけ言って何にもしないくせに!」

 

 いつも以上に赤く見える目、その端には苦手な流水を貯めて、言いたい事を吐き出してから、フランドールは屋敷の奥へと飛び消えた。

 先ほどの流れ、妹を想って然りつけた優しい姉という姿からすれば、ここは追いかけあやす、というのが運命だと思えるけれど、言い切られたレミリアはフランドールを追いかける事はなかった。否、追えなかった。

 

「ご苦労だった美鈴、また無断で出てしまった時には頼む」 

「それは言われなくとも‥‥お嬢様こそ、ご無理をなさらないでくださいよ、今喧嘩したらどうなるかわかってます?」

 

「わかってるわ、それでも私はあの子の姉なの。余計な事はいいから持ち場に戻って瞑想するか‥‥目を盗んで探しに出るかしなさい」

 

 何処かに置いていた高慢さを拾い上げ、身に纏ってから臣下に命ずる屋敷の主。

 言い切ってからゆっくりと壁に手を付き歩き去る。小さな手をこすり、広げている翼は飾りだと言わんばかりに二つの足で地下へと向かう。その背を見送る美鈴だったが、今日は姉妹喧嘩にならないで良かったと、たわわな胸を撫で下ろした。

 前回の異変で羊に穿たれ、掘り起こされた部分は、埋め戻される事がないままに消えていかれてしまった。それ故今のレミリアはポカリと穴が空いたままだ、表面上は普段と変わらない幼女姿だが、中身は穿たれ空洞のような状態。穿たれて彫掘り抜かれた魔力も当然戻りはせず、掘り返した本人が埋めない限りは今のような弱々しいままでいるしかなかった。

 レミリアが穿孔跡を地力でどうにか出来るくらいに育てば手はある、と屋敷の魔女は言っていたが、そうなるまでに何千年かかるのか‥‥あの悪魔が絡むと毎度賑やかだなという考えの裏で、好まない賑やかさはいらないと、いない誰かに対して悪態をつき、言われた通りに探しに出る美鈴だった。

 

~門番警ら中~ 

 

 静かに泣く妹が自室にこもった頃、その道すがらにある大図書館でも湿っぽい話がされている。

 会話の場にいるのは三人。だが、一人は静かに佇み、話し合う二人を見つめる形。

 その口や指を動かしている側、重く大きな一枚天板が目立つ机に腰を下ろし、そこに開かれている書物に目を通す屋敷の主と書庫の主。地下の主はキチンと椅子に腰掛け難しい顔で読み読み耽っているが、上の主は前述通りの姿で文章を追いかけている。

 

「未だに呼び出せないとは、どういう事なの? パチェ?」

 

 机を尻に敷く者が、書庫の主に問いかける。

 座り位置通りに上から、何故出来ないのかと聞いているが、それが聞こえていないように流して書を読む七曜の魔女。ペラリ、ページを捲っては関連する部分を暗唱していた。 

 

「まだ待っていろと? 随分待たされている気がするんだけど?」

 

 レミリアの視線が本から図書館の奥へ、何かが置かれた床板部分へと流れる。

 紅魔館でも赤い部分が少なく、色とりどりな書物の背表紙や、本棚の焦げたような茶が多く見られる空間の中で、新たな色合いとなっているそれは黒い棺。作りこそ簡素なものだが、蓋に六芒星が描かれ、継ぎ目からはやたらと紅魔館らしさを放っていた。漂ってくる匂いも材料となった木の匂いよりは紅魔の赤、縁や継ぎ目より漏れる血が、書庫内で香っている。

 

「私にもわからないのよ。何故呼び出せないのか? 供物も手順も間違っていないはず、だというのに召喚に応じて下さらないとは‥‥」

 

 どういう事か、そんな顔のパチェ。言い噤みレミリアの見つめる先を追う。

 二人の視線が重なる場所には、手順通りに置かれた物。あの黒羊が長く取り扱い組んでいたような棺が横たわり、中には少し前まで生物として動いていた羊の生首が落とされ収められていた。

 

「本当は焦らしているだけなんじゃないの? それとも私が頭を下げる姿を眺めていたいとか思ってる?」

 

 パチュリー自身も彼女を崇める側の者だ、焦らすなど心にもない事だとレミリアにもわかっている、それはわかってはいるが‥‥騒がしかった竹林から戻り一月弱が過ぎた今、妹の事も自身の事もあり、僅かながらに焦れていた。

 わざとらしく皮肉を言って、下げ慣れた頭から帽子がズレ、落ちる。屋敷に戻った翌日から今のように誰か、幻想郷では見られない贄の羊を外から得る為に、外の世界からモノを引き入れる事が出来る相手に頭を下げていた。

 

「当たらないでくれる? 私にもわからない事くらいあるの」

「当たってなんて‥‥いるわね。すまなかったわ」

 

 主からの謝罪に対し、謝るくらいなら最初から質問だけ言ってくればいいのよ、と、皮肉交じりで言い返す魔女。

 数百年を共に過ごす友人らしい会話をし、その流れで会話も進む。

 

「で、頼んだ事についてはわかった? そちらもパチェにはわからない事ってやつに含まれるの?」

 

 全て語らずとも伝わる、そうなるくらいに会話し、時を過ごしてきている二人。

 そのうちの質問者、机に座る偉そうな幼女の側から、今現在でわかっている事はなんだと冗談めかして問いかける。どうやらレミリアは再召喚の他にも別の事を調べさせていたらしい、その調べ物の進捗状況はと、動かない大図書館の主に問う。

 

「これらがそうなった理由よ、客観的に見ればなるほどと思えたわ」

 

 トントン、指を机につく。少しの仕草で開かれていた本が浮かぶ、いつかパチュリーが咲夜に読み聞かせていた書物が、生き物のように羽ばたき書棚へと独りでに戻っていった。

 あの本はいつの間にかこの大図書館に流れついてきていたらしいが、その本が何に関わるのか?

 欲しかった答えとは結び付かない返事に、目を細めるレミリア。

 夜に輝く赤眼が細まると、述べた側がついていた指を動かし、折る。

 手招きのように、不健康な指先を折って見せると、奥の棚から一冊の本が追加された。

 

「正確にはこの本が原因ね、もっと詳しく話すのであれば本に記載されている内容に問題があった、という事でしょうね」

「記載とは? 回りくどいのはやめて、万全でもないんだから」  

 

「あぁ、本調子ではなかったのよね、悪かったわ。簡単な話よ? さっきのあれは外の本で、あの方の有り様もらしく記載されているけれど‥‥こちらの『幻想郷縁起』にはあの方の正しい在り方は記載されていないの」

 

 ペラペラと捲れるページ。

 パチュリーが中空を摘み、払う仕草をすると、あの胡散臭い妖怪や屋敷の外を彷徨いている闇の妖怪などのページを飛ばし、話題となった黒羊の記載部分が開かれる。

 そのまま指先を払いレミリアの前に移動される紹介本。パチュリーの動きを見ていたレミリアに、この辺りを読んでみなさいと、文章の上に薄い発光系魔法をかけ、促す。

 

「何度か死んだ、が、異国人らしいジョークだろう、ね……これは、笑い話にされてしまえばそれは実状ではなくなる、という事でいいの?」

「推測だけど、そういう事なのだと考えられるわ」

 

「‥‥しかし、本当にこれだけ? その程度の事であっさり死ぬようになると思う?」

「ねぇレミィ? 『その程度』と言うけれど、貴女も小雨が降れば出られないし、ちょっと日を浴びれば火傷もするでしょう? 種族が変われば色々と変わるわ、雨に濡れ、日光を浴びるなんて私からすれば『それだけ』の事よ? あの方に例えるならそうね、そうあれかしと崇められればそうなる、記載された部分が真実だと認知され、そのように思われればそうなるものなのよ、きっとね」

 

 それでも腑に落ちないのは、昔から死なず終わらずの姿を見ていたからだろうか、パチュリーの答えに対し頭を傾げて返すレミリア。

 理解出来ていないわけではないが、些か信じ切れていないという様子の吸血鬼。普段のレミリア、穿たれ弱っていない状態の彼女であればこれくらいで理解するはずだが‥‥思考力まで落ちているのか、もしくは信じたくないのかと、魔女が更に気を回す。

『例えるなら、貴女に取って天気雨の中傘も差さずにいる事と同義になる』と、わかりやすい例えを述べ聞かせる。すると、暫し黙った後で納得するように、させるように青白い顔を少しだけ前傾させた。 

 

 そうして落とした肩に気も乗せて、言い分はわかったから後は頼むと語るレミリア。

 返事は待たずにそのまま地下へと降りていく。

 寝ると言いながら妹の部屋に向かうなど今まででは考えられなかった事だが、引きこもりの妹が誰にも告げずに部屋を抜ける事が増えてしまった為に、監視という名目を立て、一緒に眠る事が増えていた。

 妹の小さな泣き声が聞こえてくる地下に消えた姉、それを見送り再度思案する魔女。文字を追っていた指を本の挿絵に伸ばし、描かれる悪魔の姿を一度撫でてから、深くため息をつく。

 

「外に出るようになった、姉らしくもなった。いなくなった後でというのが皮肉に思えるけれど、本当はそういった姿を見ていたかったのではないのですか?」

 

 表紙に描かれる六芒星を見つめ漏らした声。

 引きこもり(フランドール)は外に、無理をしてでも探しに出るようになった。

 そんな妹を、今まで過保護に囲うだけだった我儘な姉(レミリア)は窘め、姉として、目上の者として接するようになった。どちらも良い変化と言える。けれどそれを眺めて褒める相手はいない。

 

「何処で何をされているのでしょうね」

 

 不意に聞こえたメイドの声。

 使える主は眠りにつき、この場を去っても良い状態だがそうはせず、パチュリーの独り言に対して返答のような事を述べる。

 

「……なるほど、そういう事もあるかもしれないわね」

 

 世間話やその場の流れを組んだ質問、咲夜が話した事といえばそのようなものだろう。

 空気を読んで主の友人へと返した、それくらいの事だったのかもしれないが、深く考えずに言われた言葉からパチュリーには別の考えが浮かぶ。手元にある本から奥、連なる本棚へと流てる魔女の瞳。見つめる先には何があるのか?

 

「そういう事、とはどういった事です?」

「他で召喚され現世に姿を現しているかもしれない、そういう事よ。別の場所に既にいる、そう考えれば召喚に応じない理由にもなる」

 

「呼ばれているという事は伝わらないのでしょうか?」

「伝わらない事もないのでしょうけど、実際どう伝わっているのかわからないからなんとも言えないわ。それでも何かしらのアクションは届いているはず、だというのに何のリアクションもない‥‥出来ない、もしくはしているが目に映らない、といった場合も……」

 

 視線の先にいるだろう相手、姿こそ見られないが書庫内の何処かで整理という名のサボりをしている小悪魔を脳裏に描き、別の相手の事を論じる。

 これも独り言の一貫ではあるが、思い浮かべた疑問を口に出し、己に言い聞かせることでそういった可能性も考えるべきだと、知を貪る種族らしく一人で思考の海へと潜行していくパチュリー。色々と案を浮かべては直ぐ様否定し、ああでもないこうでもないと愚痴だけを吐き出していく。

 そんな愚痴が聞こえたのか、遠くにいたはずの司書が、主の視界に入り込んでくる。

 目の上のたんこぶが消え、気が浮く程に楽しい。それを姿で見せるように揺れる二対の羽。

 屋敷の主を筆頭に、普段賑やかな紅魔館(我が家)が余計に騒がしい今。

 このままの状況が続くようでは静かに本の世界に浸る事も難しい。

 姉妹にしろこの使いっ走りの悪魔にしろ、窘めてくれる相手がいないと悪い意味で煩いままだ。

 やはり戻ってもらわねば困る。

 静寂を欲する書庫の主は一人ため息をつき、手元にある素敵な幻想郷ライフを、という見出しに目を落とした。

 


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