東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第六十四話 求め彷徨う旅人 ~中~

 訪れる者などいないはずの迷いの竹林、その奥に構えられる日本屋敷、永遠亭。

 半刻前くらいまでは世界から切り離されたような静けさしかなかった邸内、聞こえても笹が風でこすれ合う音しかしないようなお屋敷内が、今は随分と騒がしい。が、ここ、屋敷の最奥は未だ静寂に包まれている。

 

 それほど広くはない和室、部屋の隅に誂えられた床の間に何か綺麗な、七色に輝くような盆栽が一鉢飾られているくらいで、それ以外は一箇所だけ空いた月見窓と、焚かれている和の香りだけが部屋の飾りとなっている。かつて屋敷の主が過ごしていた頃の流行り、42種類もの香りから選び自分にあった香りを炊いて、住まいも己も香らせるそれが部屋内に満ちていた。過去の流行りよろしく、ここで焚かれているものも数種類が混ざっているが、一番強く鼻に感じられるのは優美な香り。まるでこのお屋敷の主を表現するような、優美さで何もかもを隠してしまう雰囲気が、漂う香りからは感じられた。

 そういった雅な隠者の香りが満つる和室に、それぞれが佇んでいるだけで装飾となりそうな者二人が座り、語らっていた。

 

「入られちゃったわね、騒がしくなりそう」

 

 部屋の主らしい位置取りで座る者。

 両膝は部屋の正面を向いているが、そのまま仰け反り捻って、床の間に飾られている盆栽に手を伸ばしかけている黒髪の少女、話し相手であるもう一人とは視線を重ねずに語る。

 

「すぐに排除するわ。何も問題はない」

 

 後ろを向いたままの黒髪、状況から鑑みればあまりにも気楽過ぎる声色に向かって真剣な視線、空を切り裂く(やじり)を思わせる眼差しを向け、問題ないと返す女。その傍らには血で汚れた白衣と、何かを包んだような、白衣よりも少し黒ずんだ赤で濡れる風呂敷包みが見られた。

 

「ならいいけど、そういえばイナバは大丈夫? 結構な怪我をしたと聞いてるわよ?」

「それも問題ないわ、今頃は和らいだ痛みを我慢しながら走り回っているはずよ」

 

「治して、ではないのね」

「和らげて、よ」

 

 語らう二人、その内の艶かしさに満ちる黒髪を目立たせる方が返答を聞いて少し動く。

 忘れてと言われ、ソコに対して引っかかったようだ。立ち上がっても床についてしまいそうなほど長い髪をかき分ける。そうして上級の墨も霞む黒の内より美しい顔が垣間見えた。

 男が見れば一目で落ちるような、艶やかさと甘美さを備えた女が、軽やかに笑む。 

 

「弟子に対して冷たい言い草なんじゃない? 永琳?」

 

 見えた口元を袖で隠し、その裏からクスリ、漏れる声。

 潤んだ瞳を僅かに細め悪戯に嘲笑う美女、声と共に瞳からもどことなく意地悪さが漏れて見えるが、それすらも彼女の美貌を引き立てる物にしかならないくらい。

 差し込む月光を薄く浴びて、宵の輝きを放つ黒髪とお召し物。飾りなどない、必要ないほどに気品立つ女、屋敷の主である蓬莱山輝夜に対して、着衣から匂わせる薬品の匂いを流し言い返す相手、八意永琳。

 

「あの子はそう呼んでくれるけど弟子として取った覚えはないわ、それに、私や輝夜とは違ってあの子は唯の月兎だもの。変に治療するよりも動ける程度に処置するだけがいいのよ、痛みがあれば無理もしないだろうし、陽動程度で動いてくれた方が時間稼ぎにはいいわ」

 

「どうせなら麻痺させてあげればよかったのに」

「それでは痛みがわからない、引き時を誤りかねないわ」

 

 入れられた茶々にも淡々と返す永琳。

 輝夜、この永遠亭の主である蓬莱山輝夜から言われたように痛みを麻痺させれば和らげるよりも良い動きを見せてくれるだろう、あの元軍人はそうしてくれるくらいに屋敷に対して恩を感じている、それを知っている永琳だったがそうはせずにいたようだ。

 引き時と口にすると輝夜が微笑んだ。

 例えるなら小さな子どもが親に悪戯をしたような顔、引き際まで考えてあげるくらいに可愛がっているというのにそれでも素直に弟子とは言い切らない、そんな永琳が少し可笑しいらしい。

 

「……余計な冗談はやめて、取り敢えず貴女は部屋から出ないように」

 

 聞こえる小さな笑い声を消すように、同じく小さな咳払いをして、話の筋を変えると伝えた師と仰がれる者。

 言い切ると荷物を両手それぞれに抱え立ち上がる、が、その背中に声をかけられる。

 

「変ね、始まる前よりピリピリしてるわ」

 

 長い銀髪を纏めたおさげが揺れた。

 輝夜の言葉を受けて思わず止まる。

 

「想定外が少し、ね」

「それの事ね、血腥いけど……なにかしら?」

 

 足を止めた従者が握っている荷物を揺らしてみせた、先に揺れた髪とは別に揺れるソレ。

 揺れたからなのか、少しだけ匂いが漏れると、ツンとした鼻先を鳴らし、中身を言い当てるように見つめた輝夜姫。何かに興味を持つと手に入れたくなるのが彼女であり、それは物だけとは限らない、こうなると理解されるまではしつこいと知っている従者、仕方がないといった顔で荷を解き、答えを見せた。

 

「腕? イナバの物にしては‥‥」

「侵入者の腕よ、優曇華をあんな風にしてくれた相手の落し物」

 

「ふぅん、そんな物を拾ってきてどうするのよ?」

「気になる事があるのよ」

 

「気になる事、ねぇ。それって興味を持ったという事よね?……珍しい事もあるのね」

 

 楽しげに笑うお姫様。

 この地に隠れ住み始めてからこれほど楽しげに笑うことなど数えるくらいしかなかった、一度目は竹林の主と出会い、その性格の悪さを体感したことで楽しげに笑んだ時。そして二度目は月から逃げてきたという脱走兵を匿うと決めた時だ。

 一度目も二度目も、過去の行いから輝夜と自身以外に興味を持たずにいた八意永琳が、珍しく他者を受け入れ引き入れるという事態に出くわす場面となったのだけれど‥‥そういった、ある種人間らしい変化を見せる事が、輝夜には面白く、同時に少し嬉しいものでもあった。 

 

「興味といっても研究対象としてよ? 研究も0からではなく応用から入れそうだから、それほど難しくもないわ」

「応用……『ソレ』って私達と同じような存在の腕でしょう? 永琳自身から得られたモノを応用するとでも?」

 

 輝夜の視線が同居人の顔から手に、開かれている包みへと映る。

 一目見たから気がついたのか、感じられる力から感づいたのか、はたまた永琳が興味を持った事からなんとなく察したのか。どれにせよ、その腕の持ち主が自分たちと近い在り方、終わりを迎える事が出来ない存在だという事はわかったようだ。

 輝夜からの問いかけに少しだけ感心し、小さく頷いてから返答を述べる、月では頭脳そのものだと言わしめた者。

 

「確かに近い存在なのだろうけど、正確には私達じゃないわ。どちらかと言えばそう、あの仙霊に近いのよ」

「あの? ……あぁ、しつこく月の都を攻めてきていたあれ?」

 

「そうよ、何度退けても滅ぼせず、きっと今でも狙っているだろうあの狐さん……この腕から感じるモノは私達蓬莱人よりもあの女に近いわ」

「ふぅん、という事はその腕の持ち主も?」

 

「当然そういった手合でしょうね。月を離れて随分と経つけれど、今更似た物を相手取るなんて、厄介極まるわ」

 

 それでも何かあるんでしょう、そう言いたげな笑顔の輝夜に、当然だと言わしめん表情を見せ、和室を離れていく永琳。ピシャリ、襖が閉められると今の今迄過ごしていた部屋が遠くへ、何処までも続いていくような廊下の果てへと消えていく。

 物理的に離れたわけではなく、あの兎の能力により波長が乱れそう見えているだけだが、彼女が健在である限り、死んで能力を解除でもしない限り、その実情を知らぬものは惑わされ続ける事になる。故に師は弟子の引き際を考え、主はその身を心配するような素振りを見せていた。

 

「在り方が似ているのなら試すにはちょうどいいわね」

 

 血塗れの白衣と包を手に、一人歩く永琳のボヤキ、誰でもない自分に向けての言葉。

 指を折りブツブツと、化学式のような、薬品の配列を述べる組成式のような文言を口にし、笑う。その雰囲気からは弟子を処置した医者というよりも研究者、昔から考え試そうとしていた新薬をついに試せる機会を得た事に喜ぶ笑みに思えた。

 輝夜に珍しいと評された雰囲気を白衣と共に纏い、歩を進め、自身の私室と呼べるような部屋へと向かう。永い廊下だというに、ろくに歩かずに着いたそこは色様々な薬品が並び部屋。あの黒羊が憎む匂いが充る一室だった。その薬品類が並ぶ棚を眺め、一つ頷くと、鈴仙と共に回収した腕を抱え、数種類の薬品を白衣のポッケに乱雑に詰め込んだ。そうしてそのまま奥へと進む月の頭脳、暗い屋敷の中、更に暗い部屋の奥へと、その薄笑いを溶けこませていった。

 

~新薬配合中~ 

 

 静かなる奥屋敷とは別に、正面玄関から繋がる廊下は随分と賑やか。

 静寂に包まれていた屋敷の雰囲気を壊した原因、それは3つ。

 1つは奥へと進む巫女と賢者のコンビが屋敷の兎と争う音。

 激しくばら撒かれる銃弾型の弾幕を緩く避け、お返しと言わんばかりに針を放り返す巫女。

 それに続いて、使役する式を操り、主従でのじゅうたん弾幕を放ってカバーに入る賢者。

 二人の猛追が激しく、少しずつ下がりながら、師匠に案じられた身体を、少し無理をして動かし、徹底抗戦の構えを解かない元軍人兎、それらが争う音が響く。

 一箇所目の騒乱はそうやって少しずつ動いている、が、それに続く別の騒ぎは一つ(ところ)から全く動かなかった。屋敷の奥へと消えていく銃撃戦の音と重なり、消すように、屋敷の別の方から掻き鳴らされる剣戟の声が耳に痛い。

 

 繰り出され、打ち鳴らされる槍撃。

 赤々と輝く刃先が迸り、容赦のない勢いで石突きが穿たれる。

 無数と言える攻防が争う二人の間で奔り回っていた。

 残像が残る程の速度で動く吸血鬼と、それを歪な姿で迎え撃つ黒羊、二人の争いが止まらない。

 

 傷つき戦線から下がった庭師、それを抱え引いたメイド、二人を守るように前線との間に身を置く亡霊の姫が、手を出せずに見守る事しか出来ない状況の中、苛烈に攻める側が動く。 

 愛用の槍を振り回しては、全力で投擲し、再度成す等、考えられる全ての攻め手を披露していくレミリア。時には身体を霧と化して晦まし死角から詰め寄り、時には実態のまま突貫して攻め抜くも、効いているのかいないのかわからない、朧げで、笑んだままで受け、捌き切って見せるアイギス。そんな二人の争い、本気で仕留める勢いで躍るように戦う者達を、同行する者達が見つめ続ける景色が暫くの間続いていた。

 

「いつまでも呆けているなよ、アイギス!」

 

 それらの視線を浴びて再度翼を翻す吸血鬼が小さな(なり)に似合わぬ声量で叫ぶ。

 声と共に槍を放り、その後ろから自身も翔ぶ。

 全てを貫き通す勢いを見せる槍がアイギスに迫る。されど何事でもないように静かに、構えているスコップを軽く傾けるだけの羊。二人の得物が一瞬触れ合うと直ぐ様に片方が突き抜けていった。なんという事はない、アイギスが刃先のアールを利用して向かう先を僅かに逸らしたのだ。吸血鬼の全力を受けず、方向を少し変えるだけで安々となかった事にした黒羊、こういった小さく、無駄のない躱し方は単純な場数の差からくるのだろう。

 

 しかし追随するレミリアの勢いも死ななかった。 

 安々と防がれたレミリアの一撃だったが、追撃してみせるレミリアは速度を緩めず、表情に焦りの色もないが、その顔は翼によって隠された。対する相手に向かって一直線に宙を駆け抜け、身体を捻る。大きな翼で身を包むと、激しく回転した。

 大きな弾丸、高速できりもみ回転する吸血鬼は最早一つの弾丸と化したが、それすらもアイギスに受けられてしまう‥‥が、受けたスコップから弾かれる事も、回転を止められる事もないままにレミリアがアイギスを押し始め、受け止める相手毎、上昇し続ける。

 

――夜王『ドラキュラクレイドル』

 

 未だ名付けても、カードを用意してもいない(わざ)だが、レミリアが名付けたとしたならこうなるだろう。全身からぶつかり、受け止められた幼き赤き弾丸がスコップを押していく。

 相対する黒羊は沈黙したままでそれを受け、押される中で少しずつ身体を斜にずらしていく。力業、普段見せる真正面から蹂躙するような争い方ではなく、無駄のない動きで再度躱そうとするも、そうはさせないレミリアが動く標的の芯から外れない。

 暫くの拮抗の後、受け続けていた側の得物が限界を迎え、貫かれた。

 

 いい加減に目を覚ませ、スコップをぶち抜いた弾丸から衝突音よりも大きな声が発せられる。

 怒りと呆れが混ざった幼女の叫びが、衝撃とともにアイギスに届く。

 届けた先は角、固い羊のアモン角目掛けて一意専心と突き進んだレミリア。

 空気を震わせる、甲高い振動が辺りに響く。

 打たれた頭から吹き飛び、奥の襖を抜いていく黒羊。

 立ち上った埃がレミリアの螺旋運動に巻かれ大きく渦を巻き、中心部に集まると、尖らせていた、先端の千切れた翼を広げ、空中で静止した吸血鬼に散らされた。

 

「やった、のでしょうか?」

「あれくらいで仕留め切れるなら、紫が頼りになんてしないわ」

 

 激しく舞い上がった埃が消え、飛び散る屋敷の破片も地に落ちた頃、一部始終を見つめていた咲夜がポツリ呟く。独り言のつもりであったが、同じく隣で眺めていた幽々子からあの程度で終わるはずがないと、全否定の言葉が返された。

 それを肯定するように飛んでくる、緋色のスコップ。

 空を裂く回転ノコギリが箍の外れた熱量を帯び、赤さよりも白さが目立つ状態となってレミリアに向かい放られた。

 それを中空で、アイギスの姿を待っていたレミリアが捌き、受け流す。

 一本二本、四本八本と、倍々で飛んで来る猛炎。

 数の少ないうちは現した槍で捌く事は容易だった。

 寧ろ余裕すらあり、耳に痛い金属音を無視して、そのまま前進する姿勢を見せたレミリアであったが、十数本から数十本ともなると流石に弾ききれず、押し返され、炎の中へと身を沈めていく。

 

「お嬢様!? 今参り‥‥」

「邪魔をするな! 手を出すくらいなら先に行け!」

 

 姿を消した主、さすがにこれはと呼び掛けるメイド。すると声だけがどうにか返ってきた、激しく揺らめく火中から言われた『待て』と『進め』その声に向かい一歩踏み出した紅魔の忠犬だったが、再度邪魔だから離れろと命ぜられ、否応なしに足先を別に向け、飛んだ。

 僅かな時間立ち止まり、隣に並ぶ幽々子を一瞥してから先へと進む瀟洒な従者。

 自分にも迫る鈍い刃物を睨み、銀時計の竜頭(ステム)を押しこむ。

 当然訪れる咲夜だけの世界。

 止まった時の中を進み、一人先へと飛び消えていく。

 忽然と消えた身内の匂いを嗅ぎ、この場から逃がす事には成功したと少々の安堵が見えるレミリア、彼女の言う通り寄れば邪魔、というわけではない。

 吸血鬼を包囲する炎は悪魔の燈火だ。それも気が触れているような、加減などまるで感じられない勢いで燃え輝く炎なのだ。そんな物に近づき、長く当たり続ければ肉体だけは只の人間である咲夜など保つはずもない。来るなと言い切った吸血鬼自身、月夜の魔力を迸らせて焼けていく身体を修復・復元し続けなければ、日光を浴びた時と同じように灰燼に帰すかもしれない‥‥それでも長時間触れていれば、いずれは焼け落ちてしまうだろう。

 この炎の壁から抜けるには?

 打開する策を案じ周囲を炎の壁を見渡すが、視界に映る火勢は衰えるどころか増していくばかり。このままでは自分もマズイが、今も気に入らない(つら)でいるだろうアイギスを放置し逃げるなど、偉大なる夜王としてのプライドが許さない。

 ならば‥‥抗う事は叶わなくとも、あの黒羊を普段の姿に戻すにはどうすべきか?

 それを探る運命の輪が、レミリアの手中で回り、ほんの少しの未来(さき)を見せた。

 

「そうか、先ばかり気にしていたが‥‥年寄りは昔の事の方が気になるものだったな」

 

 焼かれ、千切れる翼で身を包み、顔や身体だけは守る幼女の独白。

 幼い手の平の中で回る輪が写したモノ、それは未来ではなく過去の姿。

 レミリアがまだ生まれて間もなかった頃の映像、姿形こそ今とそれほど差がないが、輪に浮かんで見えるビジョンには、現在よりもほんの少し幼稚さが強い自分。必死な形相でか細い愛槍に振り回されているレミリアと、彼女をあやすように槍を受け、笑んでいる黒羊の姿が映る。

 あの頃も今のように弾かれていた。

 床に這い蹲り睨む度に微笑まれ、その攻め方ではなりませんと窘められていた。あの時も今のように一対一で争い、傷つけられては手を伸ばされた‥‥であれば。

 余裕などない状況にも関わらず緩む頬。思わず見せた刃のような歯。楽しげにチャンバラを繰り広げる自分を見て、そこから一つ思いついた事があったようだ。

 炎の内より漏れ出る幼女の高笑い、大きく禍々しい夜の王の魔力。

 

「今までの借りを返すぞ、血は飲まないでやるからさっさと帰ってこい!」

 

 今夜一番の鬨の声。 

 身を焼く炎を押し返す勢いが、声にも、溢れ出る魔力からも感じられる。

 両手を広げ身を焦がす羊の焔を払い、そのまま紅い魔力を垂れ流し、レミリアの周囲が一瞬で鎮火していく。

 露わになった吸血鬼の姿。

 焼け焦げ、美しいとは正反対の身形に思えるが、自身の血で赤く染まった白いドレスも、白い皮膜の翼も、白い肌やドレスに映えて不気味な美しさを醸し出していた。

 そんな肢体を伸ばし切る、全身がバネ、そう表現できるほどに身体を逸し、広げた両手を奥で立ち止まる黒羊に向け、払い抜く。振り切った勢いに乗り猛然と奔り出す吸血鬼の力。赤く煌めく運命の鎖。それが廻るアイギスの得物を捉え無力化しながら、その場ごと縛り上げていく。

 

「捉えた!」

 

 相対する黒羊の姿が見えなくなるくらいに広がった鎖が、声と同時にレミリアの左手が握られると、一瞬で収束し、中心にいる相手を拘束する。

 確かな感覚を手の平に覚え、握りつぶさんばかりに力を込める。捕縛されたアイギスの四肢が血飛沫となってもおかしくないくらいに締まった。レミリアの鎖に巻かれ、露出している頭部以外を紅く染める黒羊。これで止めきれなければ自分には無理だなと、後先など考えず、最後の一手をここで投じた。

 血を滲ませる左手は固く結んだまま、右手にも血の色合いの槍を手にし、再度大きく反り返る。

 か細い幼子の腕からミシリ、筋組織が断ち切れるような音がすると、全身全霊の一撃が投擲された。 

 

――必殺『ハートブレイク』

 

 空気を巻いて、縛り上げる鎖をも貫き進むグングニル。

 切っ先が狙い通りの場所に触れると、一瞬で穿ち、抜いていく。

 アイギスの硬い角を削り取り、何処までも続いて見える廊下の奥へと消えた槍。

 込められた魔力が紅い線となり、視界から消えると、捕縛している鎖が絶たれる。

 それを機に時間差で揺れる二人。 

 

「く……ぉ」

 

 先に声を上げたのは優勢に見えた側、凌ぎきり、反撃してみせたレミリアであった。

 伏せる最中に見えたのは穿たれ、綺麗に風穴空けられる幼子の胴体。

 角を抜き、頭の半分を射抜く事に成功するも、捕縛が解けた瞬間、アイギスからのカウンターが打ち鳴らされていたらしい。

 しかしレミリア自体にダメージ事態はそれほどない。彼女自身が何度も見て、幾度も体感している穿たれる能力なのだ、この穿孔を傷だと認識すれば死に至る可能性もあるかもしれないが、穴が空いただけと意識すればそれは唯の穴、身体の一部が欠損しただけである。

 それを知っている故に肉体へのダメージとは成り得ていない、が、別の部分ではショックが大きかった。自分では届かなかった、見定めた運命には辿り着けなかったと、フラつきながらも未だ倒れずにいる黒羊を睨みながら、膝から沈む。

 

「アイギス相手に立派な姿だったけど、どうやらここまでね、紅魔の主。戻りそうにも、止められそうにもないし‥‥仕方がないわ」

 

 従者である庭師も、多少の縁から連れ添っている吸血鬼も戦闘続行出来るかといえば苦しい姿。彼女に連なるメイドも、劣勢にある主から命ぜられ、普段見せない慌てたような姿を見せてこの場から消えていった。残るは幽々子ただ一人、それ故の『ここまで』という物言いだが‥‥この言葉は負けや諦めを意味してはいない。

 

「恨みには慣れているって言っていた気もするし、私を恨んでくれてもいい。後でごめんなさいするから、許してね?」

 

 フラフラと、少し歩いては触れる部分を穿ち、自身の掘り返した穴に躓いてふらついているアイギスに、冷ややかな声と目で語る幽々子。背には大きな扇を背負い、今は本気で動くと示す。

 自分が起こした異変の最後で見せた大きな扇、反魂の蝶で形取られたソレを背負い、幽々子の肌に似た青白い弾幕を全周囲にバラ撒いて、ふわりと浮かび前へと進む。見た目からはそれほど勢いを感じられない弾幕、派手さもなく、威力も同様に見受けられない、けれどその静けさこそがこのスペルの怖さでもあった。 

 

――死符『酔人の生、死の夢幻』

 

 酔っぱらった者が生きながら夢を見ているように曖昧なままで死ぬ。

 語源となった『酔生夢死』という四字熟語の意味に幽々子の持ちうる能力を宛てがい、特に何もしないまま死を迎える事になるスペルカードがこれだ。

 無論弾幕ごっことして遊ぶ場合は内包されている死出の力は込められていないが、今ばかりは話が別である。殺らなければ殺られる、幽冥の住人たる自分達は既に死の先の住人だが、若い二人は未だ浮世を生きる者だ、彼女達を守りアイギスを止めるには、一度滅してしまうのが手っ取り早い。

 全員を無事な姿で、生かしたままアイギスを止める。

 それは最早無理だと察した幽々子が、そう出来ないなら得意な分野で止めると、本気で仕留める方向に思考を切り替えたようだ。一度死ねば今のような、おかしな姿でいる友人も頭を冷やして目を覚ますだろう。半分以上は願いに近い考えも思考の端にあるようだが、手段を選んでいられるような状況や、相手でもない事も、幽々子にはわかっていた。

 

 放たれる弾丸が触れる。

 触れた回転物、飛んできていたスコップの勢いが死ぬ。

 次々と落ち、止まる。そうして邪魔な浮遊物は死に、代わりに別のモノが空間を支配した。

 場を埋めるは蝶。

 幽々子の背負う扇が割れて、そこから無数の蝶が飛び立ったのだ。

 羽ばたきには眩い鱗粉を、その鱗粉には静かなる死を乗せて飛ぶ蝶の群れ。

 放たれた紅色の蝶がゆらりと舞い、それに続くは夥しい数の金色の蝶。動き方はゆっくりと、それでも捉えた標的を外す事なく円軌道で揺れ飛び進み、終わりを告げる蝶の群れが終われない羊の悪魔を飲み込んでいく。

 

 群れに埋もれ沈むアイギス。ゆっくりと飛び交う蝶に誘われ、指先や足先など、身体の末端から黒い瘴気を漏らし、薄れ散り始めた。

 終われない悪魔の一時の終わり。

 滅多な事では死に切れない悪魔が死ぬ瞬間、それを冷えきった瞳で見つめる幽々子と、槍を支えに片膝立ちでいるレミリアが見届ける。

 

「アイギス‥‥」

 

 漏れ出た瘴気が消える寸前、不意にレミリアの口から漏れた名前。

 それに反応したのか、消えていく腕を、崩れていく指先を、名を呼んでくれた相手に向かい伸ばすアイギス。事切れる瞬間を迎え、あの兎から与えられた狂気も瘴気とともに霧散したようだ、朧げだった瞳にはよく見る落ち着きが灯っている‥‥が、その灯りは存在と共にどこへなりとも散っていった。今までの彼女からすればあまりにもあっけない散り際に、死を届けた幽々子自身、あの程度で消滅するなど、と、眉根を寄せる‥‥が、消えたアイギスがその場に姿を見せる事は二度となかった。

 一度消え失せても、誰かに想われ、呼び出される限りは何度となく蘇る悪魔ではあったが、肉体自体はレミリア達とそう変わらない。許容範囲を超えれば一旦は消えるのが必然ではあるのだが、初めて目にする黒羊の最後に、もう遅いとわかっていても手を伸ばし、ナニカを引きとめようとせずにいられなかったレミリアであった。 


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