東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第六十三話 求め彷徨う旅人 ~上~

 静かな屋敷での小競り合い。

 先立って一人侵入した羊、彼女が兎に問いかけていた時間帯。

 丁度そのくらいの時刻に、少し遅れて屋敷に侵入した四人。

 先頭を進むのは一番小さな体躯をしながら、一番態度の大きな幼女。和風な作りの屋敷にはそぐわない洒落たドレスを身に纏い、自身の背丈よりも広く大きい皮膜の翼を広げ、現れるうさ耳妖精に向かい魔力を放ち雑魚達を落としていく。 

 

 その後に続くのは先頭のお嬢様に仕えるメイド。

 こちらの者も格好は景色に似合わないが、立ち振舞は心から仕える士族のような姿勢が感じられ、列の先頭よりはまだ見られる姿で、撃ち漏らしのカバーに回っている。

 

 眼光の鋭いメイドの隣には、眼力では少し劣ってしまうが、背負う獲物の鋭さや動きの機敏さでは負けないくらいの少女がいる。あちこちに目配せしながら、後に続く者に向かう流れ弾を一刀のもとに切って捨てるを繰り返す。

 

 そんな三者の後に続くのは、一人だけ少し遅れて進み、前を行く三人全員を視界に捉えて動く亡霊の姫。張り詰めたモノが感じられる前者達とは違って、一人だけ緩い雰囲気を纏い、その空気に似た蝶々を一羽二羽放っては〆の弾幕としていくお姫様が、ポツリと呟いた。

 

「中々追いつけないわねぇ」

 

 誰に、と問われればきっと先にいるはずのお友達にだろう。

 別ルートで進み、誰かの残した右腕を見つけ奥を目指している友人の事を案じる。今頃は先に争って、戦う前から薄汚れている月の兎が気付け薬漬けとなり対峙してるはずの誰かを思う。

 だが、そんな事は口には出さず、抽象的なままで語る亡霊姫、西行寺幽々子。

 アチラを心配するよりは今この場にいる若手三人を見ている事に忙しいらしい。

 妖夢一人のカバーならなんという事もないが、他の二人は慣れない相手だ、従者の方は姿を見た事がある気がするが、主の方は今日が初対面である為、どういった手合なのか読み切れておらず、カバーするにも撃ち漏らしを殺す程度で留めていた。

 

「幽々子様が真面目に戦って下さればもう少し早く来れたのに」

「さっさとやられてくれても早く済んだ気がするわよ」

 

 三人の背中に向かって投げ掛けられた言葉であったが、返事は仕える者達からしか返ってこない。仕える主の言葉に対し先にぼやいたのは魂魄妖夢、そんなぼやきに対して、早く動きたかったのならさっさと負ければよかったのに、と返す十六夜咲夜。ここに至る前に起きた四人での弾幕ごっこの事をネタに返しつつ、雑魚妖精には弾幕を返していく二人。

 互いに一言ずつ口にすると、咲夜は左腿のキャットガーターで光るナイフに、妖夢は背負う一刀の柄に、と、それぞれが自身の愛用する獲物に手を伸ばす。

 そんな姿を見比べて一人微笑む最後尾。

 

「そうやってすぐにいがみ合うから先に進めないのよねぇ、困るわぁ」

 

 厭味のない笑い顔で二人に対して言い切る幽々子。

 語る内容は顔とは真逆で皮肉めいたものとしか聞き取れないものではあったが、そこにはまるで気が付いていないような、毒気の抜け切った顔を見せる。

 着ている和服のような着物はこの屋敷に一番似合うというのに、纏う雰囲気は四人の中で一番似合わない物、異変の最中だというのに真面目さが全く感じられない空気。

 その空気に耐えかねたのか、先頭で静かにふんぞり返っていたお嬢様が動きを見せた。

 が、動いたと言うよりは止まったに近いか。

 正面。

 真っ暗な廊下の奥。

 そこに佇む見慣れた相手を見つけ、声を掛ける前に異変に気が付いて、一瞬でふざけていた気分から真剣なやる気、殺気混じりのモノにアテられて、思わず立ち止まってしまった。

 

「あれは‥‥」

 

 よく知る相手、先の隙間戦では介入し、割って入ってきた相手がそこにはいた。

 道中に見られた赤い染み、弾幕ごっこではあまり嗅げないはずの匂いを纏う姿で佇む黒羊。レミリアの声を耳にすると、おぼろげな瞳に光を灯して、嗤った。

 

「アイ‥‥」

 

 飛行速度を少し上げ近寄ろうとしたレミリアだったが、羽ばたかせる為の翼は断ち切られた。

 引きずるように手にしていたアイギスのスコップが放られて、中程から切り分けたのだ。

 不意になくなった翼、グラリ、傾く吸血鬼の身体。

 唐突過ぎてなにがあったかわからないが、落ちる最中で考える。

 古くから知っている羊から攻撃された。それは当然わかる。

 けれど、問答無用で落とされたのは何故か?

 嗤ったまま、竹林で藍に見せたような笑顔のままで攻撃されたのは何故か?

 それらに引っかかり廊下の床を舐める寸前にまで落下していたレミリアを支え、翔ぶのは従者。

 

「お嬢様、油断召されてはなりません」

 

 左の腕で主を支え、右の指で挟んでいた銀のナイフを数本飛ばす咲夜。

 それら全てが再度手にしていたスコップに弾かれ、床に転がる。

 キンキンと剣戟に近い音が響くと、もう一人の従者も長い刀に手を構える。

 

「お前達、何を‥‥」

「何、とは? 見知った方ではありますが異変の場でお会いして、攻撃されたのですよ?」

「その通り、なんで攻撃されたのかはわかりませんがそこは‥‥斬って知ります」 

 

 どうやら思考の切り替えは従者組の方が早かったらしい、二人とも守るべき相手がすぐ近くにいるからか、攻撃された瞬間から視線を変えてアイギスを見る。

 普段覚える恐れも忘れ、青い瞳を僅かに赤らめさせる咲夜。手合わせの時のそれよりも冷たく、今構える楼観剣の切っ先にも負けない冷えた視線でアイギスを貫く妖夢。

 少女二人の見せた戦闘態勢、それを眺めて致し方なしと、断ち切られた翼を修復し槍を構えたレミリア、一瞬で姿を戻した事から操られた境界も既に元に戻っているらしい。

 

 若手三人がやる気を露わにすると、最後尾のお姫様が調子に乗って指揮を執る。

 畳んでいる扇を平手で軽く打ち鳴らし、それから敵対者、戦闘態勢の三者を見つめて嗤うアイギスに向けて指し、薄紅色のレーザーを放った。

 キッカケが宙を奔ると動き始める少女達。

 

「いざ!」

 

 主の上げた狼煙に続き、先陣を切ったのは妖夢。

 スペルカードを取り出して、宣言するとすぐに姿を消した。

 

――人符『現世斬』

 

 一瞬であれば天狗よりも早い、どこぞの烏天狗にそう言わしめた速度で迫り、低い姿勢から水平に薙ぐが‥‥いつ抜き放ったのかわからない、美しい桜の剣閃だけが見えるその居合は片腕を犠牲に止められる。

 左腕の先から二の腕までを裂き、止まってしまう楼観剣。

 ダラダラと垂れ流れるのもわからないのか、血を流す血管が浮き出すほどの力が裂かれた腕に込められ、食い込んだ位置から引きも押せもしなくなった刀。

 

「避けない!?‥‥なんで!?」

 

 切れぬものなどあんまりない剣術で断ち切れない上に避けられもしなかった、その事に憤り、思わず妖夢の声が漏れる。その声を耳にして嗤うアイギス、捉えきれないなら向こうから来るのを待つ、ただそれだけの事をして結果読み通り捕まえられた、そうして新たな獲物が手元に来てくれた事に喜び、嘲笑う。

 声の漏れない表情だけの笑いを見て、現時点で楼観剣をどうにかするのは諦めた妖夢。ならば、と、もう一刀に手を伸ばすが、手合わせでもない場で退治する相手が間合いにいる最中なのだ、アイギスが待ってくれる事などはない。白楼剣が抜かれる前に掲げ上げられたスコップが真っ直ぐに振り下ろされる。

 耳に痛い音が周囲にこだまする、抜き放つ事は叶わなかったが、刀身を半分ほど引き抜けた白楼剣がスコップを受け、その金属音が場を掻き鳴らす。

 

「ぐ、ぬ‥‥厳し‥‥」

 

 両者の獲物に力が込められる。

 数秒は拮抗してみせたが、ろくに保たずに膝を折り始める剣士。

 多少の加減をしていた暇つぶし(稽古)なら兎も角、今のアイギスは術中に落ちたままの状態だ、言うなれば箍のない吹っ切れてしまったような状態。そんな相手の押し合いに付き合えるほどこの半分幽霊はたくましくはなかった。

 みるみると折りたたまれる妖夢、跳ね除ける事も、その場から脱する事も出来なくなり、後は押し切られるだけとなると、横槍が入ってきた。

 

「上出来だ、魂魄妖夢」

 

 割って入ったのはレミリア、灼灼とした赤を左手にし、大きく振りかぶった。

 

――悪魔『レミリアストレッチ』

 

 考えただけで今はまだスペルカードとしては用意していないけれど、足を止めている相手に対して放つのなら絶好だと、長いタメの後、その手を大きく薙ぎ払う。

 妖夢が起こした音よりも数段喧しい衝突音が鳴り響き、アイギスを刻んだ音にしては大きすぎる音が暗い廊下を通り過ぎていく。

 それは羊の角と悪魔の爪の衝突音。

 アイギス相手に長期戦は不利、ならば早々に決着を、それこそエレガントさを捨てでても。と、溜め込んだ魔力に勢いを乗せた爪を奔らせるが、角を欠けさせただけで安々と弾かれ、衝撃から身体を大きく開いてしまう。そこに飛ばされるのもまたアイギスの角、一瞬にして数本が現れ、回る。

 空気を裂く金切声が響くスコップが、弾かれた吸血鬼に向かって放たれる。後退しながらソレをさばくレミリアだったが、その爪は回転する刃を弾く度に欠け、折れていく。こちらもアイギス相手に本気の戦いなどはした事がない。手合わせと称して稽古をつけてくれていた頃はどれほど加減されていたのか、それがすぐに理解出来るくらいの勢いで月夜にある吸血鬼の爪を折り、捌ききれなくなったレミリアを両断する。

 

「お嬢様!?」

 

 真っ二つの主に寄り添い、時を止めて一度離れる咲夜。

 また獲物が奪われる、それはたまったものではないとアイギスが追う姿勢を見せたが、意識がレミリアに向いたからか、妖夢の受けるスコップに僅かに緩みが生まれた。

 ソコを逃しはしない剣士。

 

――転生剣『円心流転斬』

 

 視線を外したアイギスを見上げて妖夢の二枚目のスペル宣言。

 宣言後、低い体制のままで白楼剣を更に低く構える、そしてその位置から円軌道を描いて切り上げる、はずであったが、そのスペルは不発に終わる。

 力業で振られたスコップが、妖夢の足元をぶち抜いたのだ。

 踏ん張る床が吹き飛ぶ。当然爆心地にいる妖夢にも、アイギスにもその被害は及ぶ。

 飛び散る床の破片を避けるように一瞬だけ目を瞑る剣士、隙を突いたはずが立場が逆転する。作ってしまった僅かな隙、その刹那の時間に、破片など気にも留めないアイギスから手酷い一撃が放たれた。左腕を軽く引いて妖夢の身体を寄せる、そうして肉も骨も絶たせた上で捕まえて、腹を蹴り上げそのまま壁に押し付け、めり込ませていく。

 

 

 深々と刺ささる踵、そこに深い息と逆流してきた胃液を吹きかける妖夢は見ないまま、別の辺りというか、どこを見ているかわからない、ぼやけた瞳のまま上の空を眺め口を開く。

 何も語らないアイギス、二人を相手取り楽しいのか、姿を見せて初めて口から吐き出したのは高らかな笑い声であった。呻吟(しんぎん)する妖夢の声にミシリと、ナニかが軋む音が混ざると、次には正しく言葉を吐いた。

 

「逃がさない‥‥私の‥‥」

 

 それは小さな独り言。

 両断されたレミリアや、自分の方が騒がしい妖夢には聞こえていない声‥‥ではあったが、主が修復するまでのカバーに回ろうと、銀の短剣を逆手にし、迫っていた咲夜には聞こえていたらしい。屋敷で聞く声色とは違った、何かが混ざったような濁声を耳にしながら、カチリと時計の竜頭(ステム)を押す。銀時計の蓋、ハンターケースがパカリ開くと訪れる、咲夜一人だけの時間。

 

「私の?‥‥なに?」

 

 一人の世界で僅かな思考。

 聞けた言葉は何だったのか?

 疑問に近い物言いにも聞き取れたが、それは何故か?

 まるで相対する相手が誰かわかっていないかの言い様だが、こうなっている原因までは今の咲夜にはわからない。

 思案する間に閉じていく愛用時計のハンターケース、これが閉じ切れば止めた針が動き出す。考えは纏まらなかったが主の為ここは一旦距離を取る、そう結論付けた従者が止まる世界にあらん限りのナイフをバラ巻き、静止する銀世界を敷いた。

 同時に咲夜だけの世界が終わる。

 

「お嬢様、今は御身体を」

 

 時が流れ始めるに同じく、アイギスの姿が黒から銀一色に変わっていく。

 その最中、2つに分かたれた主にまずは修復を、と咲夜が促した。

 それに対し、両断された身体をようやく戻し始め少しだけ縦にズレた唇で、この程度、と、減らず口を吐いているレミリアだったが、屋敷に入る前にはあのスキマに続いて亡霊姫と争ったのだ、それなりに消耗しているらしく、再度銀時計が開くの見ている事しか出来なかった。

 止まった時間の中で放ったナイフを多少回収し、主の背中に取り付くメイド。静止した世界からの帰還と同じタイミングで主の身体を押しのけて、敵対するアイギスには靭やかな足を蹴りこんでいく。狙う先は未だ刺さったままにある楼観剣の柄頭、白い房が汚れるのも気にせず蹴り飛ばし、刀を捻じってアイギスの腕を、身体を捻る。

 

「う‥‥ぁ‥‥」 

「邪魔だ! 半人前!」

 

 少し緩み、開放された妖夢が力なく前に揺れる、と、姿を取り戻したレミリアが拾い上げた。

 急場の共闘者が主に拾われ、揃って下がっていく音を背中に一人残り攻めるメイド。

 回収出来た分のナイフを投げ放ち、暗い空間にナイフの檻を作り上げる。

 そうして囲いに追われた羊に向かい、逃げ場を潰してからカードを一枚取り出し、放った。

 

――傷符『インスクライブレッドソウル』

 

 逆手のナイフを強く握り、軌道がわからないくらいの速度で振り、刻む。

 目にも留まらぬ速度で切り刻まれる黒羊、盛大にアチラコチラを切り開かれて褐色よりも赤い部分が多くなる。まるで咲夜が見ていた挿絵の姿、紅魔館での読み聞かせで眺めていた赤い羊の姿が目に映る。そうして思い出すのは挿絵だけではなく、その時語られた内容。

 殺さなかったではなく生かしていた、そんな話の内容と、今の争いの場を思い出す。

 相手が終わらない悪魔相手だから気にかけていなかったが、これも一応は弾幕ごっこ。であればキッチリとしたトドメを刺すのは‥‥ましてや相手は主の大事な方で、今は何かおかしな雰囲気でもある。

 それなら動けない程度に傷つけ時間を稼ぐか、そうして甘さを見せた咲夜にしっぺ返しが向けられた。

 

 身を散らしながら動くアイギス。

 傷が広がるのも見えないような動きで片腕を上げ、スコップを真っ直ぐに咲夜に向けて切っ先を向ける。ナイフを奔らせた勢いからか、僅かに浮いて、次の手に移る前に一瞬のラグがあるメイドに向かいそのスコップを真っ直ぐに突いた。が、細い身体を翻し突きはどうにか躱される‥‥が、次の手は読めていなかった。

 スコップの刃先が左右に開く、いつかフランドールの身体を両断したように、酒場の鋏のように両側に開いて躱した咲夜の身体に伸びていく。

 再度懐中時計の竜頭に親指を掛けた咲夜だったが、指が押し切る前にアイギスの指が視界に入る。重なって見える親指と中指、押すのが早いのか、弾かれるのが早いか、悩んでいる間に四色の蝶の群れが羊の身体を押し流した。

 群れの放たれた方向へ引いていくメイド、扇を開き口元に添えている幽々子と合流すると、幽々子が片目を素早く瞑り開き、見る相手を変えた。

 広い廊下の一角を埋めた蝶の群れが、乾いた指の音と共にかき消される。

 その音の奥から現れるのは当然アイギス、妖夢に裂かれた腕や、咲夜に刻まれた傷口から血と瘴気を漏らし、それでも倒れずに立ったままの彼女が幽々子の目に映る。 

 

「聞いてはいたけど、本当にタフなのね‥‥参るわ」

 

 賞賛ではなく呆れ、妖忌や妖夢との手合わせを何度となく見ていた西行寺のお姫様だったが、実戦でアイギスと睨み合うのはこれが初めてだ。紫や藍からは愚直で真っ直ぐ、そしてやたらとタフで頼りにはなる、そうは聞いていたけれど、いざ敵対するとそのタフさが厄介だと呆れ、気を入れ替えた。

 今迄見せなかった真剣な表情、亡霊らしい冷えきった顔で、友人であるアイギスを睨む。と、傷を戻しきれていないアイギスが何かを口にする。

 

「‥‥邪魔……何の邪魔を……奪われ……奪ったのは……ダレ?」

 

 ブツブツと、焦点の合わさらない目で呟く悪魔。

 反魂の蝶に蹂躙され、身体の部分部分に終わりを迎えているアイギスが、ダレに対してなのかわからない事を口にして、頭も体も歪に傾いたままで、最後に話したダレカの姿を探す。

 先ほど両断した者。その後にすぐに修復し槍を構え直した者。

 血の色をしたエモノを片手に、腹を抑えて苦痛に顔を歪ませた、アイギスの獲物を抱えたままのレミリアを正面に捉える。

 

――奪ったのはアレ――

――憎むべき敵はアレ――

 

 何かを口にしては完全に死んだ左腕を強引に引き抜き、襖や壁に赤い放物線を描く黒羊。

 断ち切った部分からは黒い瘴気を垂れ流し、それを纏っては少しずつ腕や欠けた角を戻して、目の前にいる相手を見つめた。

 

――この匂いは、あの槍は――

――今、目の前にいるのは――

――あの姿は‥‥

 

 言葉にならない声、読唇術が使える者でも読み取れないくらいにしか動かされなかった口で言った言葉、それを吐き捨て失った部位を取り戻すとふらつくアイギス、重たい角が戻ったからか、頭も体も揺らして佇む。

 普段であればこの程度なんという事はない、障害にもならない程度であるが、今ばかりはいつも以上に復元能力が低い状態にあった。それもそのはずだ、こうしてくれた相手は死を操る幽々子だ。終われない悪魔に対して放った反魂蝶、それに宿るのは全てを等しく終わらせる力。

 何度死んでも蘇る相手、一見する限り生死の堺がないようなアイギス相手であろうと、この場にいて生きている者、生命活動をしている生き物であれば、幽々子の能力は有無を言わさずにソレを殺す。

 それでも死なず未だ健在なのは、死にもせず生きもしないまま彷徨う矛盾を内包した存在故だろう。そんな矛盾した悪魔が愛すべき者を傾いだ視界に入れ、足りない何かを求めるように狭い廊下を彷徨い歩く。

 

「どうした? 何を言っている?」

 

 立ち止まるアイギスに向かって問いながら、片手に持った荷物を投げるレミリア。

 放られた荷物が漂う半身に回収されると、幼さの残る瞳を細め、別のナニカを見ているアイギスに問う。

 今し方漏らした独白はしっかりと聞こえた、奪ったとはなんだ、目の前にいるのが誰なのか、と、言われた事に対して問い返すが、アイギスからの返事はない。

 出合い頭の攻撃からして明らかにおかしい。手ほどきではない、実戦で彼女と退治する事はレミリアも初体験ではある、が、今のアイギスには妙な違和感を覚えて仕方がなかった。

 そして、それは亡霊の友人も感じていたようだ、レミリアの呟きに答えるように、扇の奥から言葉が返ってきた。

 

「今日は無口ね、何か嫌な事でもあったのかしら?」

 

 幽々子の口から一言漏れる、レミリアの感じている違和感もこれであった。

 一度始まった争い、だというのにあまりにも静か、あまりにも消極的なアイギスがレミリアにもおかしな状態にあると写っていたようだ。先程の幽々子の物言いも、対峙する黒羊にも聞こえるよう言ったはずなのに何の反応もない。

 倒すべき敵、蹂躙しようとする相手であろうと淑やかに笑み、会話を返すのがレミリアの知るアイギスだ、だというのに今の彼女は何も言ってはこない。いや、語るどころか、何も聞こえていない、見えていないといった状態で近寄る相手に手を伸ばすのみだ。 

 

「気に入らん」

 

 一言吐き捨て現す神鎗、石突きを床に打ち立てて、大きな音を鳴らすと共に、レミリアが胸を張る。小さな身体を精一杯伸ばして、色々と込められた槍を握り締めると、向かってくる相手、今までは守るべき相手としか見てくれなかったが、今現在は自分を見てもくれない相手に言い切った。

 

「何があったのか、本人に問おうか」

「お話出来る雰囲気じゃないわよ?」

「亡霊姫の話す通りかと存じますが、お嬢様?」

 

 レミリアが槍を構えると、残る二人も構えて見せた。

 けれど、そのナイフや扇の前に真っ赤な槍が突き出され、横槍を入れるなと示される。

 

「雰囲気など知った事か、私が聞くと言えば聞くんだよ。私に傲慢であれ、不遜であれと言ってくれたのはアイギスだ、ならばそうするだけだ!」

 

 半歩後ろにいる二人の前で、大きな翼を開き、吠える。

 小さく鋭い牙を見せ、見慣れない姿でいる羊を睨む。

 この変わり様はなんだ?

 何かをされた程度でこうまで在り方を変えるなど、らしくない。

 誰に対しても我を貫き通すのがお前だろうと、手にした槍を握りこむ。

 饒舌に語り、瀟洒に笑んだまま他者を蹂躙していくのがお前だったはずだ、常に変わらぬ姿でいたのに‥‥私にはそう言ってくれたのに、今の己の体たらくぶりはなんだ、この場にいながら何処か違うところを見ているような、虚ろに彷徨っているなさけない姿はなんだと、握る神鎗に憤りや怒りを込め、攻める。

 

「らしくないな! 普段の姿は何処に置き忘れてきた? 貴様は今何処にいる? 誰の前に立っている?」

 

 振われる槍に、言われる問いかけ。

 それを受けきるスコップ持ちは無言、そして無心に近い。

 心ここにあらずといった様子で、雑に、力業だけで動き払う黒羊。そこには普段の姿はなく、見られるのはないモノを探し求めて彷徨う旅人のような姿だけ。

 そんなアイギスの姿がよほど気に入らないらしいレミリア、耳に痛い剣戟音を振るう槍からかき鳴らし、衝撃から飛び散る魔力の火花で目にも痛い閃光が立つ。

 赤々としたレミリアの槍と、黒々としたアイギスのスコップから爆ぜるように流れ出す魔力。両者共に本気で殺すつもりで獲物を振るい切り結ぶ、そうした中で一度離れ、飛び立つ吸血鬼。

 開いた翼に紅魔の主のプライドを乗せ、携える槍には憤怒を湛えて、全力で宙を奔ると、壁や床から伸びる白い線と化した。他者の入る余地が無い程の動き、咲夜が手を出そうと時を止めても、全周囲に伸びる線として止まってしまいそうな速度で駆けるレミリア。

 翻弄し、アイギスの視界からその姿を振り切ったと確信した吸血鬼が頭上、屋敷の天井を強く蹴り、今、迫る。


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