東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第五十九話 奇想曲に惹かれ

 夜に生きる雀と夜に溶け込む羊が出会い、少々の小競り合いをしていた頃、別の場所も明るく、騒がしくなり始めた。地名で言えば迷いの竹林。幻想郷のほぼ中央に位置する魔法の森から少し南下した辺り。ここが今一番賑やかで、今晩一際美しい場所になっていた。

 いつもの夜であれば外部の者が寄り付くような場所ではないこの竹林。

 通常見られるのは地を駆けまわる兎や、それを束ねる兎の妖怪、後はこの地に住み着いているらしい白髪頭の少女くらいで、聞こえる音も竹の葉が鳴らす時雨音ぐらいしかないはずだが、今夜の竹林は迷いなく煩いと言い切れた。

 姦しい原因も夜空がきらびやかになる原因も両方が少女。

 紅白黒白の人間二人が、共に動く紫色のスキマや七色の人形遣いと肩を並べて争っている。

 その内の前者、巫女とスキマ妖怪が弾幕を放ち追いかける相手、それもまたツートンカラーの少女とその主人のようだ。丈の短い青白の給仕服と闇夜に目立つドレスを靡かせ、4人共に言葉と弾幕を放っていく。

 

「いい加減諦めたら? あんたらが動くたびに、時刻が止まっちゃって困るのよ」

「月を止めている妖怪を連れて言う事ではありませんわね」

 

 札も針もバラ撒いて敵に向かって迫る楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。

 その札を裂き払い、向かってくる針に対してはカチリと愛用の銀時計を鳴らし、一瞬で姿を消して避けていく紅魔館のメイド、十六夜咲夜。

 互いの弾幕が届かないとわかると、霊夢はお祓い棒を握り締め、咲夜は札を払ったナイフを握り直し、近接線へと移行していく。キンキンと、木の棒らしくない音を立てて咲夜のナイフを裁く霊夢、そのまま地面に降り立って、付かず離れずに受け攻めを繰り返す。気まぐれな争いの音をかき鳴らし、竹林の奥へ移動しながら剣戟を響かせ姿を消していった。

 

「あらあら、瀟洒なメイドさんだというのに理解されていませんのね、私は夜を動かなくしているだけですわ。それに、吸血鬼ならお月様が沈まないほうが嬉しいのではなくて?」

 

 争う二人の近くで睨み合う二体も同様に小競り合いを始めていた。

 直線で夜空を奔り、輪郭をぼやけさせる速度で動く吸血鬼の攻撃、夜を裂く勢いがある爪も溢れる魔力から撃たれる弾幕も、全てをスキマでいなしていく境目に潜む妖怪、八雲紫が先に口を開く。対する者が月の魔力に最も影響されると理解して、それが続けばどうなるのかもわかりながら争う相手に軽やかな口をきいている。

 

「普通の月夜であれば悪くないが、混じるモノのお陰で落ち着かなくなってしまった可哀想な妹がいてな。月にはそろそろ沈んでもらってこの夜にも終らってもらわんと……癇癪が酷いんだよ」

 

 言われた売り言葉に乗らず、一つの勢力を纏める当主らしい冷静さを見せながら言い返したのは紅い悪魔、レミリア・スカーレット。

 物の理を無視するような鋭角な飛行から、激しい連撃や血の色に似た無数の弾幕を放つも全ていなされている‥‥けれど頭は冷えたまま、手の平の上で踊らされている事がわかりながらもどうにか打破すべく、片手に現した天球儀を回しながら攻める。

 

「癇癪が酷いならあやして差し上げては? 異変には私達が当たります、引き上げて可愛い妹さんを構ってあげたら宜しいのですわ」

「いつかのように貴様があやしてくれても構わないのだがな、まかり間違えば壊されそうで怖いか?」

 

――今は子守をしてくれる相手もいないのだから――

――あいつとは違って貴様は壊れたら終わりだろう?――

 

 語り合う二人の思考は別だが、ちらりと脳裏に浮かぶ相手は同じ。

 悪魔の妹が身に宿す『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を身に受けても終わりを迎えない悪魔、終われない羊の事を思考の端に浮かばせつつのガールズトーク。 

 それぞれが軽口を叩き合うと次には別のものが叩かれ、打ち鳴らされる。

 次の攻め手は紫からの手で始まる、開いていた扇を閉じて手の平をパチンと叩く。

 それを合図に周囲に大量のスキマが開かれ、内で蠢く瞳から無数のレーザーが照射された。

 高々と伸びる竹を横に、縦に、斜めに割いて、地面も割り進んでレミリアを包囲していく……が、妖気の光線がレミリアの身体を断ち切ると、分かたれた幼子の下半身が大量のコウモリに変化し、別の場所で元の姿へと戻った。

 紫への攻撃はスキマに阻まれ通らず、レミリアへの攻め手も空に上る満月のせいでほとんど無意味という状態。互いに攻撃しても無駄だとわかりながらも異変で出くわした者同士で、互いに解決に当たる二人だ、決着が着くまでは止まりそうもない。

 

「その程度だったか? 屋敷の地下を荒らしてくれた貴様の式の方がまだやり手だな」 

「小さな体とお口ですのに、あまり言い続ければ満月の吸血鬼といえど減って無くなる事もありましてよ? そうやって背伸びしたいなら誰かのようなヒールでも用意すべきね」

 

「フン! 貴様達とは違って500歳程度の若輩だ、無理して背伸びでもしないと年増に肩を並べられんのさ」

 

 倒せないなら別の部分で折るしかない、紫は当然として対峙するレミリアも舌戦に対応していく。力の差は当然にある。種族としては高い位置にいる吸血鬼ではあるが、レミリア自身が言う通りまだ500年生きた程度の若輩者で、何年生きているのかわからない大妖怪を相手取るにはまだまだ経験不足といえる彼女。

 紫からは背伸びと評されたがまさしくその通りで、実戦らしい実戦を経験していないレミリアである。身体に対して大きな翼を精一杯広げ、態度も口も大きく見せるが、笑ったままの紫には効くどころか逆効果で、それもすっぱりと返される。

 

「上を目指しての背伸びは良い、それでも中身が伴わなくては意味が無い、なんて言われそうね」

「グッ! わかったような口を聞くなぁ!」

 

 煽り負けたレミリア、自身でも理解していた部分を突かれ思わず吠える。

 その声を聞き、扇を閉じて笑む紫。

 わかりやすい、そしてそれが可愛い。

 友人が愛する部分はきっとこういう素直さなのだろうなと扇の奥で思案しながら、再度スキマから激しいレーザーを奔らせる。その流れに逆らい詰め寄る吸血鬼、霧に変じたりコウモリに姿を変えたりと、搦め手も出来るはずだが煽られそこまでは思い至らなかった。

 レミリア自身は持ちうる力とセンスでカバー出来ると考えているが、実際は埋めきれないほどの差がある二人。方や紫といえばレミリアが生まれる前から存在し、幾度と無く争い、そうして一つの世界を作り上げるまでになった古強者で、今では賢者と呼ばれる者だ。

 一方のレミリアとすれば、外の世界にいた頃、屋敷に狩りに来たヴァンパイア・ハンター達との戯れや門番・盾役との手合わせ、過去の二度の異変くらいしか経験実戦を積んでいない。

 強大な力や卓越したセンスがあり、そこからいくら背伸びをしようとも、圧倒的に経験値が足りていない彼女の爪は紫には届かなかった。

 それでも全力でぶつかる紅魔の現当主、離れて争う従者の姿を赤い瞳の端に映して、あちらは巫女といい勝負をしているのだから主として踏ん張りどころだと、気概でだけは負けないようにやる気を赤い槍と化して現し、正面を切った。

 

「それも背伸びかしら? 爪といい槍といい荒々しいです事。威嚇に頑張る小熊(ミーシャ)のようね」

「小熊でも今時期は怖いものだ、冬眠するなら知っているだろう?」

 

 そうね、という紫の呟き。

 それを聞いたのか、聞かれなかったのか、分からないが言い切られると動き始める吸血鬼。真っ赤な槍を頭上で回し、赤い輪の軌跡を描いてから紫に向かって突貫する。話している間に他の攻め手も思いついたレミリアだったが、自身が一番得意とする、一番最初に褒められた手で対峙する大妖に向かい突き進む。

 動きを見ている紫の方も、動きまで誰かさんのようだと笑い、笑みを扇で隠して待つ。無軌道で飛び回り、槍の色合いを夜空の線として進むレミリア、一度高度上げて突っ込む。狙いは紫が余裕から広げたままの傘、スキマ妖怪から見れば当然死角となる辺りから肉薄する。集中、研ぎ澄ませて槍を振るうが、ソレは唐突に横から現れた紫の傘で阻まれた。

 二本目、弾幕ごっこ用ではなく本腰での戦闘に耐える傘を携える者は紫の式、無言で現れ主を守る忠実な九尾の狐が攻め手を阻む。

 

「本当に! この地にある傘は何なんだ!」

「さて、何の話でしょう? 藍は知っていて?」

「私にも覚えがありません」

 

「ッチ!主従でからかうな!」

 

 両手で握り締め振るった神の槍、それ容易く受ける八雲藍。

 あの花の日傘といい、このスキマの傘といい、自分の槍を軽々と受け止めてしまう幻想郷の傘に向かってなんなんだと、当然の愚痴を吐くレミリア。

 言いたくなるのもわからなくもないが、レミリアの争った相手が二人共規格外なだけで、実際は普通の傘もあるし、然程強くもない傘の妖怪もこの地にはいる。

 

「さぁ、いつまでも構っていられませんし、こちらは終わりにしましょう」

 

 ギリギリと傘に押され始めたレミリアと、奥で争う相棒を見比べてこちらの終いを告げた紫。

 呼んでいない藍が姿を自分から見せた、それは何かしらあったという事だと推測し、遊んでいる暇はなくなったと結論づけたようだが‥‥藍自身は竹林以外の場所はそれぞれ問題がない、そして抑えに使う予定だった相手は間接的にだが動いてくれている、といった報告をしに来たついでだ。普段の紫であればそこも理解出来そうなものだが、時間が惜しいせいか、少し結論を焦っていた。

 

「藍」

「御意」

 

 受けていた傘の角度を変え、射ち合っている槍を滑らせるように誘導する藍だったが、槍の切っ先が傘から離れる寸前にレミリアが槍ごと回り、藍を弾く。

 藍の手は以前に白玉楼で見せた黒羊の手、あの時対峙していた剣客には通じなかったが、実戦経験の少ないレミリアであれば十分に仕える捌き方だと選んだようだったが‥‥レミリア自身もこれは体感して覚えていた、幾度と無く捌かれた動き、しかも相手はもっと酷い、笑ったままで行ってくる相手。冷めた面で捌けると考える藍よりも、ゴリ押しで捌いてくるアレよりはやりやすいと、当然のように捌き返した。

 が、あの時とは違って戦う相手は一人ではないと、すぐに思い知ることになった。

 弾かれ離れた藍の影、そこで笑むはスキマの主。声なく、瞳だけで笑い存在を思い出させると、レミリアの身体を縦に裂くようにスキマを開く。

 

「先ほどで落ちておけば楽が出来ましたのに。今は急ぎなの、御免遊ばせ」

 

 自分に対しても、レミリアに対しても言い放つ。

 藍に負け、素直に落ちていれば境界を操られる事無く撃墜されるだけだった、けれど愛する式を捌いた事により紫の対応が変わった。ちょっと遊んで、構って終わる幼子から、自分の式を弾き返せる敵、紫自身が手を汚してもいい敵だと、そう認識してしまった事で、静かに開かれたスキマがレミリアを両断した。

 竹の音と誰かの遠吠えを背に落ちていく吸血鬼。過去の異変で上手く立ちまわってくれた礼もある、それ故殺しはしない‥‥が、今はただの邪魔者で、好きに動かれては困るくらいの相手だ、動けない程度にキツ目の折檻をしてみせた。

 

「藍、報告を‥‥」

 

 対戦相手が沈むと同時、すぐに従者を呼びかける。

 遠くで争う巫女達から届く奇想的な剣戟音と、別の場所で打ち鳴らされる刀の音、それくらいしか聞こえなくなった竹林で紫が静かに口を開く。弾かれた藍に向かいスキマを開いて距離を寄せようと、余裕のある優雅な動きで左手をかざしてピンクのリボンを2つ浮かばせた――瞬間、その手が赤い槍によって貫かれ、切断される。

 

「確かに仕留めた、そう思っていたのだけれど……やはり月夜は元気なのね」

 

 切り飛ばされた左腕をスキマで回収し、そのまま繋げて何事もなかったように振る舞う。二度ほど握りこんで切り飛ばした相手、先に地上へ落ちていった上半身だけで残るレミリアに、冷ややかな目線を落として語る妖怪の賢者。

 

「月下の吸血鬼を舐めないでもらいたいな‥‥」

 

 紫から発せられる冷たい視線だけで並みの妖怪なら動けなくなるというに、動かなくなるどころか饒舌に言い返して血を吐く夜の王。先ほど争っていたのはレーザーで裂かれた半身だけだったらしく、こちらは戻さずに敢えて残していたようだ、手元で回していた天球儀もこちらの動きを悟られない運命を掴むための物であった。幼いながらも夜を統べるノスフェラトゥ、その力もセンスもやはり偉大であった。

 

「紫様、ここは私が抑えます、先を急がれては」

「後顧の憂いがないように、ね。手段は任せます」

 

 隣に寄せた藍の進言。尾を揺らして主の頬に触れ合わせ、そこから現状の報告を済ませると、この場は任せて先へ進もうと判断した紫。

 それに向かって手を伸ばすレミリア。残る半身にスキマで絶たれた箇所以外の身体を集め、再度姿を成し、対峙する藍を置き去りにしようと翼を開いて夜に舞う。けれど、広げられた九尾に妨げられてその視界は埋まってしまった。

 

「邪魔をするか狐、貴様は主の命だけ聞いていろ、忠実な下僕なのだろう?」

「後顧の憂いを断てと仰せつかったばかりだ。それにだ、時には主に進言するも家臣の努めだろう? そういった臣下はいないようだな、紅魔の主殿」 

 

「‥‥負けた私はなんと言われようと構わんが、身内まで小馬鹿にされては癪だ! その口、この場で閉ざしてやろう、雌狐!」

 

 槍を回して構える吸血鬼、その切っ先は僅かにブレている。

 身体に違和感は感じないが、この震えはなんだろうか?

 自問自答する中で、一つ気が付いた物があったが、そこに辿り着く前に藍の執拗な攻撃が始まる。伸ばされた九尾を鞭のように奔らせ、時には狐火をバラ撒いて、槍で尾を裁くレミリアを焼いては、焔を払う吸血鬼を打ち据える。

 再度地に落とされる夜王、この地に来てからは傘持ちに泥を付けられてばかりだと内心で悪態をつき、槍を支えに立ち上がる。

 

「どうした? 先ほどのは武者震いではなかったのか?‥‥操られた身体を戻したのは悪手だったな、レミリア嬢」

 

 藍が口にしたのがレミリアの身体の答えのようだ。

 歪とはいえど魔を帯びる満月、その力を授かりほぼ無敵の身体となっている今のレミリアだったが、あの時操られたのは単純な身体の繋がりだけではなく、吸血鬼としての『今』の月との結びつきを断たれた部分もあった。つい先程までは浴びる月光から無尽蔵に得ていた魔力、それに任せて全力全開で力を振るっていたが、今空に浮かんで止まっている月からは何の恩恵も感じられない。そうして使った分の魔力も取り戻せず、焼かれ打たれて消耗していく。

 手にしているモノも、先ほど紫に投擲した槍や、今現している獲物の分で最後くらい。月との繋がりを断たれるなど未だかつてなかった事で、それ故調節など出来ようもない吸血鬼、ふらふらと立ち上がるだけで精一杯な姿を見せてしまう。

 

「もう寝ていろ。紫様の腕を落とした力は評価してやる。今後もこの期待に応えてみせろ」

「褒められたらしいが‥‥完全に上からで気に入らんな!」

 

「ならばどうする? 抗うか? その気概ごと堕としてしまっても構わんのだぞ?」

 

 無音で蠢く四本の尾がレミリアの四肢や首を捕らえる、ギュッと、地が止まるくらいの勢いでそれぞれが縛り上げられると、重さを感じないような動きで持ち上げられた。

 そうして残りの尾でレミリアの頬や内腿を薄く撫で這わせた後裂いて、金色の瞳が満月のように輝かせるとソレを指で取り咥えた。先に伝えた言葉と今の姿勢からレミリアが想像するモノ、ソレはいつか小悪魔から聞いた甘美で淫猥な話。思い出すだけで頬を染め自分の身体を抱きしめた小悪魔の顔を思い出し、主として手篭めにされてなるものかと藍に向かって血反吐を吐く。

 その血が藍の帽子に掛かる前に、静かな竹林で聞けなかったパチンという音が聞こえた。

 忽然と消える四尾。唐突に自由を与えられたレミリアが落ちかけるが、残りの尾で拾い上げ再度拘束する八雲の式。聞き慣れた音がする方向へ輝く瞳を向けると、こことは逆の方向へ向かったはずの者が、枯れた竹の葉を踏み鳴らす音がした。左手には式の式を、右手には先ほど拾った帽子を携えた悪魔。髪も角も穿たれ変に欠けた姿、頬には目から続く血の跡を残したアイギスが陰りの奥から姿を見せる。

 

「好ましい匂いに釣られて来てみれば、どういった状況なのでしょうね。ご説明頂けますか?」

 

 耳を跳ねさせてから鼻を引くつかせた彼女、普段使いの変わりない声色問いかけた。藍がいるらしい方向へ顔を向け、藍とは違って一切の光が見られない瞳を向けて、この場にいる二人に問う。

 

「……妖怪の山に向かったはずでは?」

「向かっていたはずなのですが、見知らぬ方に襲われてしまいまして。さすがにこの状態で天狗と小競り合いは手間がかかりますれば」

 

 この状態と、戻していない自身の身体を見せる。

 甲から先のない足や、夜雀の爪が僅かに届いていたらしい縦に裂けた襟元などを強調し、最後に全く汚れていない上着、それを着ている橙を少し持ち上げて見せた。景気良く暴れた後にしては綺麗だが、さすがに手伝いの件までは忘れていない。

 

「それでもどうやってここに? 入ったら迷ってしまうらしいが?」

「彷徨う事には慣れておりますので、さしたる苦労もございませんでした。それに目印代わりの匂いもありましたので、それを頼りに向かってみたのですよ、慣れ親しんだ匂いなら追うのも容易いだろうと考えまして‥‥読み通り、どうにかお会い出来ましたね」

 

 二人からの返事に答え、持っていた帽子を指先で回して放る。

 厚く積もる枯れ葉に投げられ乾いた音を鳴らして落ちる羽飾りの付いた帽子。

 それはレミリアとアイギスには見覚えのない物だったが、藍には覚えがあるようだ。

 

「夜雀か、襲われたのならば‥‥今は見えていないのですね?」

「仰る通りで。夜雀という種族の方でしたか、ウップンを晴らすと襲ってきてくれましてね、中々に素敵な方でした」

「見えない? どういう事だ、雌狐」

 

「そういった力があるというだけだ、無駄口を叩くな」

 

 キュと閉まる首の拘束、声にならない声と吐息を漏らすレミリアだったが、その尾もすぐに穿ち断たれる。見えていないという割に狙い通りの部分を穿つアイギス、鼻と耳は健在で、ある程度の狙いは付けられるようだが、この辺だろうといった大凡の場所しか狙えず、その証拠にレミリアの方翼も尾と同時に穿たれ消えた。

 

「私は答えましたが、ご説明しては頂けないのでしょうか?」

「異変解決に当たる中遭遇して、今し方……負けたところよ」

「御当主の話す通りです、紫様の邪魔となった為私が‥‥」

「潔く負けを認めたのであれば勝負はついたように思えますが……開放しては頂けませんか?」

 

「それは……出来ません」

「出来ない‥‥そこに繋がる事でも仰せつかったと考えますが、それで宜しいでしょうか?」

 

 アイギスからの問い掛けに頷く藍。

 内容は聞かない、場合によっては聞いても答えてはくれないか、答えられても飲めない命を受けている場合もある為、何かしらの命を受けたのかどうか、そこだけを確認したようだ。

 こうなると頑なで、紫の言葉以外は聞かない忠実な下僕とる。欲求を満たす為抱くか、または抱かれてもいいと思えるくらいの友人でもあり、臣下のあり方としても褒め称えていい相手だが、対立すると面倒な手合である‥‥が、今はアイギスにも手札があった。左腕で抱きかかえる橙を持ち直し、両手を掴む形で釣り上げて、自身の顔の側に身体を持ち上げる。

 

「ふむ、では交換致しませんか?」

「交換? それは‥‥」

 

 語りながら空いている手を身体に這わせる黒羊、橙に着せていた自分のジャケットを開けさせると、あらわになるのは虫食いだらけで素肌の見え隠れしている黒猫の身体。

 その開いている脇腹に口を添え、右手は内腿からスカートの中へと進ませる。

 

「邪魔だと仰る藍様と同じく、私にも邪魔な者がおりまして。この者がいるせいで片手がふさがってしまい‥‥邪魔なのですよ」

 

 瞳に少しの怒りと動揺を宿すが話さない藍。

 今の今まで大事に預かっていてくれた式、毒気に倒れた姿は見たが一緒なら大丈夫だろうと預けた相手のはずが、今になって正しく人質として使われてしまう。

 ここで放っておけばどうなるかわかる、自身がそうしてきた事がある故にすぐに理解は出来たが、口にはしたくない傾国の美女。

 

「趣味が悪い言い方をするな、アイギス」

 

 藍に代わり宙吊り仲間のレミリアが何かに気が付いて問いかける。

 わざわざ言葉にしなくとも三人共理解している事、放っておけばこの後でどうなっていくのかわかる内容をわざとらしく嗤い、二人、特に藍に向かって語る悪魔。

 

「趣味が悪いとは酷いお言葉にございます、こういった相手を好む吸血鬼が何を仰るのでしょうか。つれない事をおっしゃらないで下さいまし」

 

 本心で楽しんでいる、そんな声色で語りながら虫食い部分を穿ち広げ、曝け出された小さな小山と薄ピンクへ向けて舌を這わせる。

 舌先が僅かに触れるか触れないかすると、アイギスの吐息が先端にかかる。

 うなされる橙が小さく揺れた。

 その位置で一旦動きを止めて、淀んだ瞳と耳を藍のいる辺りに向ける。交渉に乗ってこないのならこれから正しく進めていく、そのような事でも言いたそうに、先端から僅かに外れた部分を舐めた。

 

「見ていていいのか? 私よりも楽に堕ちるぞ? 破瓜もまだなんだろう? 覚えて癖になっても知らんぞ?」

 

 人質でありながら饒舌に、偉そうに語り煽る500歳児。語る己も同じような子供だが、彼女も悪魔で堕とす側の者である。そういった事に対しては橙よりも知識も耐性も持ちえている、それ故の余裕とそれ故の煽りであった。

 

「‥‥分かりました、応じます」

 

 語りながら、尾を動かしてレミリアを差し出す。アイギスの手元にまで動かされるとゆるりと捕縛が解かれた、そのまま橙に向かい尾を伸ばすが、交渉相手に渡す前に自分の上着の前を止め、晒していた部分を隠してから返す羊。

 そうして抱く相手を入れ替えると、藍に向かって口を開く。

 

「橙様を回収されてから行えば宜しかったのに、藍様にしては迂闊な動きでしたね」

 

 言うに事をかいて、といった顔で見上げるレミリアだったが、それは言わずに唾きを飲み込むだけであった。橙に舌を這わせていた時よりも酷い笑顔、紅魔館内では瀟洒に笑う事しかなかったアイギスが、レミリア達には見せなかった悪魔らしい笑みで友人に向かって嗤いかけている姿。もし彼女の言う通り橙が先に回収され交渉する術がなかったらどうなったのか、この笑顔からは確実に血腥い事になっていたのだろうとレミリアは確信する。

 長い付き合いのある八雲よりも自分を取る、それはありがたいとは思う。けれどそうなった場合に最後はどうなるのか、そこまで考えると少しだけ恐れを覚える吸血鬼。そういった事を覚えたのは橙を預かった者も同じらしい、苛立ちを瞳に込め直して見つめ、いや、ほとんど睨みつけるような形で顔を合わせ語り合う。

 

「貴女は‥‥本当にわからない方だ」

「わからないなどと、子守も今も本心ですよ? 単純な理屈です、物事には優先順位というものがあるのですよ。気まぐれで手伝いを申し出たわけではございません」

 

 藍に問われ返答する中、レミリアを抱く力が強くなる。

 普段は妹ばかりを甘やかし、姉に対しては然程関わらない彼女ではあるが、万一が感じられる場合となれば誰を敵に回しても取り返し、今の様に抱き上げるのだろう。例え相手が気を許す友人や、笑いあえるような相手だとしても天秤にかけるまでもなくこの吸血鬼を選ぶ黒羊。本人達にそうされる事を拒否されてもきっと強引に抱き上げるはずだ、それこそ死に続けても。

 

 藍が命よりも式を選んだ事ですんなりと終わった人質交換、そうこうしている間に人間同士の小競り合いも終わったようで、互いに傷だらけになりながら、何やら仲良さそうに文句を言いつつ近寄ってくる二人、と一体。

 二人よりも先に藍と合流した紫が、その場の三人それぞれに向かい口を開いた。

 

「困るわね。どうにか扱えていると、そう聞いたはずなのだけれど?‥‥藍?」

「見込み違いでございました、返す言葉もございません」

 

 藍は見込み違いと語ったが、紫の中ではまだ予定の内にあった。

 異変と知れば解決には動かないアイギス。

 頑なに紫の定めたルールを守り、素直に依頼を出しても断られるのは承知の上で、それでも異変の最中には引っ張りだして置きたかった、そこから思案しての対吸血鬼戦であった。

 本来なら共闘できる相手のレミリア、争わなくとも済む相手と敢えて争い、アイギスの想う者をそれなりに傷つければ絶対に姿を見せるというわかりやすい読み。一度スキマから姿を確認させ、紫自身も動かざるを得ない大きな異変ともなれば何かしらで関わってくる‥‥そうしてその後に荒事の雰囲気と月の高揚感があれば、気まぐれで他の邪魔者と戯れる事もあるだろう、それが露払いにでもなれば事が早い、というのが今晩の賢者の狙いらしい。

 さすがに藍の式を犯される可能性までは考えなかったが、仮にそうなると思いついても実行しただろう。それくらいに今晩は真面目な異変で、紫ですら犯人が読み切れていない異変なのだから。

 

「そう言うなスキマの、式風情で扱えるならこの場でこうしていないだろう?」

 

 扇の奥で嗤う賢者、頭を垂れる従者、八雲の二人がこの場の状況を話しあう中、腕の中の幼子が横槍を入れる。月との繋がりは断たれたがさすがに深夜、もう暫くすれば自身で動ける程度には回復するはずだが、強い拘束から逃げるにはまだ力が戻りきっておらず、抱かれたままで二人を煽る。

 

「大事そうに抱き上げられて言う事ではありませんわ、本当に口の減らないお子様だこと。アイギスもそうは思わない?」

「思いませんね、そういった背伸び具合まで好ましいのですよ。この気持ち、わからなくもないでしょう?」

 

 右腕だけで抱いていたレミリアの後頭部に左手も回し、自身の身体に押し付ける。

 扱い方から大事な者だとわかるようにして、こうする気持ちもわかるだろうと九尾の揺り籠にいる橙と尾の主を眺めてから、スキマの主人を見つめる。

 視線に促され自分の従者を見る紫、表情や態度こそ冷静さを見せたままだが、そうする事で動揺を隠しているのだろうと察する事も出来た。良き友人だが腹の読みにくい悪魔、そんな相手をまるっきり信用して預けるからこうなる、と、藍が下げたままの頭に手を置いて軽く撫でた。

 

「そうね、わからなくもないわ。藍、まずはその子の治療を‥‥その後は一緒においでなさい」

「畏まりました」

「であれば我が家を使って下さいまし、ヤマメに声を掛ければ手助けもしてくれましょう。私からのお願いと伝えてくだされば、吹っ掛けられる事もありますまい」

 

 スキマを開いて指示を出し、素直に従う八雲の主従。

 沈んでいくその身体にアイギスからの気遣いがかかる、先ほど脅しに使った相手を気遣うなどおかしな話だが、事が済んで役割を終えた者、良い手札となってくれた橙にはそれなりに感謝しているらしい。

 藍からすればたまったものではないが、ソレが手っ取り早いとわかる上にスキマの先もどうやら桶屋、彼女には選択肢などなかった。

 

「……お気遣い感謝、では」

 

 息遣いの荒い式を抱き、表情見せずにスキマを潜るもう一人の式。

 二人が消えていったのを見送ってからレミリアの頬に自身の頬をすり寄せ、小さく、無事で何よりだったと呟くアイギス。声色は先ほどと同じだが、表情は見慣れた淑やかさのあるもので、だからこそソレが少しコワイと感じた吸血鬼。

 吸血鬼の感情を腹に感じて、怖がる余裕が出来たならいいかと地に降ろした。幼い吸血鬼を手放すと、小さな手に別れの口吻を済ませ、人間組が合流する前に再度闇夜に消えていく黒い悪魔。

 皆の視界から消える途中、耳元で開いた小さなスキマより『放っておけばその目もあの(レミリア)もすぐに戻る、そしてあまりからかってくれるな』と助言と苦言を同時に聞いて、あれは本心でからかってなどいないのに、そう考え一人口角を釣り上げ進む。

 足を運ぶは竹林の奥。

 未だ剣戟と魔砲の照射音が聞こえる場所へ、死の匂いまでも感じられる場所へと笑んだまま消えていく。次なる相手は誰か、次こそは好ましい争いをと、関わらないと考えていた事は忘れた彼女。近くで感じられる血湧き肉踊る雰囲気に惹かれ、期待しながら闇に溶けていく。


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