篠を突く雨が降る初冬の夜。
住人たちが好む血のような色をしたお屋敷から少し離れ、更に少し上った小高い丘にある二つの墓標、その墓標の前に一人瞳を瞑り佇んでいる者がいた。
欧州の短い時間だけ降る冷たい雨から身を守るよう、寒の時期にはレインコート代わりに偶に着ている、着丈が長くケープとコートを合わせたようなデザインの黒いコートに袖を通し墓前で黙する黒羊。
吸血鬼の弱点である流水、その一種である雨の中。
姿を晒す事叶わない今の雇い主達に代わり、一人で墓標に向かい静かに黙祷を捧げていた。
先代の主達が亡くなられてから百余年ほどが過ぎて、遺された姉妹達も以前より随分と成長し、アイギスが長女から引き受けた依頼ももうすぐ完遂できそうになってきた頃合い。
無事に成長されていますと、アイギス自身が埋めた、誰もいないとわかっている墓標に向かい小さく会釈をして姉妹の成長の報告をしていた。
墓標の回りに並び立っている巨木が雨を遮ってくれてはいるが、時偶にアイギスの着ている黒のインバネスコートにも雨が落ちて、黒い生地を更に濃い黒へと濡らし始めていた。
ポツポツと巨木の葉をぬって落ちてくる雨粒、誰かが泣いているような雰囲気を見せる雨の夜だったが、墓標に向かっているアイギスの褐色の頬には濡れた筋のような物は浮かばない。
スカーレット一族という上客。
唯の付き合いのある客と呼ぶには少しばかり近づき過ぎていた、いもしない身内のような変な居心地の良さが感じられていた吸血鬼の家族。
その家族に対して見せたアイギスの甘さから、親殺しという取り返しの付かない結果になった過去を忘れられず…涙も見せず悲しむような事もしないようにしていた。
「そろそろ戻りませんと、妹君が騒いでしまいそうですね」
雨の中一人で亡くなった者達の元を訪れて、次には今現在の雇い主の事を懸念するアイギス。
特別な思いを持っていた者達の墓参りをした後だというのに、どこか事務的な空気を纏う佇まいと態度で、偲ぶ者達に後ろ髪引かれるような事もなく直ぐに墓標に背を向けた。
情け深い人が見れば切り替えが早すぎてあまりに冷たい態度だと思われるが、成り立ちや種族、職業柄といった物を鑑みれば仕方がないと思えるだろう。
何もわからぬまま勘違いで捧げられ、悪魔として成り果てたアイギス。
知らぬ場所で首を落とされ死する瞬間まで自身に何があったのか、理解も出来ぬままに死んだ黒い羊が彼女の本質なのだ。
儀式の最中、首に刃を入れられて最後を迎えるまでに彼女が覚えた感情は、何故私がという疑問と儀式を執り行った者達への強い怨恨。
そんな黒い感情を持ったまま死んだアイギスが、誰か、特定の他者に対して情愛や慈愛といった感情を持つ事も見せる事も、本来であれば少なかった。
かった、などと過去形なのは、今は商売人として長く過ごしたお陰で、他者に対しての気遣いや心象をよく見せる方法も心得ているアイギス。
仕事を通し温情や贔屓というモノも多少は覚え、今現在のように上客の忘れ形見に対して、少しだけ仕事内容以上をする事も気紛れであるようだ。
月命日に肉親の代理で墓参りを済ませた墓守。
アイギス本人は生前贔屓にしてくれた主達に対するアフターケアだと言葉を濁すが、今日の代理墓参りは吸血鬼の姉妹から頼まれた事ではなく、自発的に墓を訪れているようだ。
あくまでもビジネスライクなお付き合いだと今の雇い主達には主張しているアイギスだが、先代に見せた老婆心や幼い姉妹に見せる優しい笑みは、ビジネスパートナーに見せる以上の何かが感じられる笑みであった。
「お屋敷の方が少し騒がしいような、また狩人が狩られに来ているのでしょうか?」
遠くに見える紅いお屋敷の方へと耳を傾けるアイギス。
回りの木々や水溜りに落ちる雨音に邪魔をされて音は聞こえず、垂れ流される吸血鬼姉妹の魔力が騒がしくなった事だけを肌で感じているようだ。
普段の手ほどきでアイギスが身に受ける魔力が二つ、屋敷の中で奔っている。
その二つが追い掛け回しているのは、矮小な力で態度だけがデカイ吸血鬼貴族の誰かだろうか?
感じられる魔力が小さく、急ぎ戻らずとも姉妹達だけで十分に相手取ることが出来る手合だと感じているアイギス。
いつもの笑みよりも口角を尖らせて笑みを浮かべ、畏怖され続ける悪魔らしい顔つきで、もうすぐ子守も終わりかと、嬉しそうな少しだけ寂しそうな雰囲気を纏い雨降る夜の山道を一人下っていった。
~少女移動中~
亡き主達の墓参りから数日した頃、屋敷のダンスホールの端にアイギスの姿があった。
上着を脱いだシャツにベストの姿で、両手を背に回して腰の辺りで組んで、ダンスホール全体が見渡せるように端に寄り壁に背を預けてホール内のあちこちへと視線を流していた。
アイギスの見つめる先には真っ赤な槍を振るう者と、炎を纏う杖のような歪な剣を力尽くで振り回す者が映っている。
槍と剣がぶつかり合い綺羅びやかな火花を発し散らしていく姉妹、互いに全力とまではいかないが相手の四肢を飛ばす勢いで携える獲物を振るい争っていた。
一見派手な殺し合いに見えてしまい、唯眺めているだけでいいのかと問いたくなる光景だが、ぶつかり合う度に話している内容がアイギスには駄々を捏ねる妹が姉に我儘を言っている程度にしか聞こえず、わざわざ止める必要もなさそうだと見守るだけとなっていた。
「なんで駄目なの!」
「どうしてもよ! まだ早いって言っているの!」
一撃振るっては互いに受けて、その度に一言交わしては窘めている吸血鬼姉妹の姉、レミリア・スカーレット。
愛する妹の我儘をその身と槍で受けながら、貴方にはまだ早いと窘めてはほんの少しぐらついている。フランドールの剣戟を受けてぐらつくレミリアの姿から、純粋な膂力や腕力といったモノは妹君の方が上かもしれないなと感じているアイギス。
魔力の扱い方や頭を使った戦法はレミリアに軍配が上がるが、身に宿す特殊な能力も加味すれば物理的な破壊では後々アイギス以上になるかもしれないと、姉を小さく弾く力を見せ始めたフランドールに期待の眼差しを向けていた。
「お姉様のおバカ! 分からず屋!」
「わからず屋って…私はフランの為を思って!」
剣戟ごっこに飽き始めたフランドールが炎の魔剣を投げ捨ててレミリアに向けて手の平を見せる、手の平の中に瞳の方陣を成していき、その悪魔の瞳の瞼が少しずつ開き始めた。 一方フランドールの手の平を向けられているレミリアも、妹と同じ様に手の平を開き大袈裟にフランドールに向かって開き腕を伸ばした。
レミリアの手のに浮かぶのは妹の掌に浮かぶ瞳の方陣と同じ色をした真っ赤なナニカ、複数の大きさの違う輪が掌の上でゆっくりと回っている。
物として例えるならば天球儀、その台座のない球体部分だけがレミリアの手に収まっているように見える。丸い大小の輪が幾重にも折り重なり、中央にある一つの球体を囲っている、先代や先々代は脳裏に映像として浮かばせた運命を見ていたがレミリアの場合は少し違うようだ。
複雑に絡まり動いている運命の輪を顕現させて、それらを自身の思い通りに動かし始めるレミリア。
「間に合えば宜しいのですか、はてさて」
最悪の場合はすぐに止められるようにと、指と指を合わせて姉妹の掌を注視しするアイギス。
赤黒い瞳で見つめる先の片方、天球儀、その多重の輪とそれを支える何本ものスポークのようなモノがレミリアの掌の上でグルグルと回る。
大外の輪は右回り、内の輪は左回りに回転しギュリギュリと回った後、中央の球体に向けてスポークの先端がピタリと止まりするりと刺さる。
レミリアの掌の上で一つの指針を示した天球儀が動きを止めると、フランドールの掌の上で開きかけていた瞳が閉じ方陣が霧散していった。
「お見事、上手に操るように成られました」
合わせていた指を離し両手を胸の前で組見なおしたアイギス。
フランドールの身に宿る『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』から発現し握り潰そうとしていた瞳が、レミリアの発現させた『運命を操る程度の能力』によって無に帰されて、何もない掌を数度握っては悔しがってみせるフランドール。
暴力という意味ではフランドールに分があるが、身に授かった能力を操る事は数年だけ長く生きているレミリアが勝ったようだ。
未だ能力に振り回されて、ただの姉妹喧嘩であっても気が昂ぶると直ぐに我を忘れかけるフランドールでは、レミリアの操る力に抗えないらしい…今は。
「本日もレミリア御嬢様の勝ち、フランドール御嬢様お一人での狩りはまた後日、レミリア御嬢様のお許しが出てからという事で宜しいですね?」
「う~…アイギスが指パッチンしようとするから気が散ったの! なんでいっつも私だけパッチンされなきゃならないの!?」
アイギスに向かい素早く飛んで、勢い良く抱きつくフランドール。
アイギスが先ほどまで合わせていた親指と中指を見つめながら、強くアイギスを抱きしめて負けた鬱憤を体全体で露わにしている。齢100歳を過ぎた今でも、人間で言えば6才児程度しかない小さな体の吸血鬼を両手で抱き上げるアイギス。
不機嫌そうに頬を膨らませるフランドールと抱き上げたアイギスの視線が同じくらいの高さになると、隣に喧嘩の勝者が舞い降りてきた。
「フランドール御嬢様は壊すのが下手ですので、もっと上手に、好きに壊せるようになられるまでは、アイギスの指パッチンが止まる事はありません」
「下手ってひどい! なんでも壊せるのに!」
アイギスに抱かれ頬が触れ合う距離でプリプリと怒るフランドール。
自身に宿る能力の扱い方が下手だと言い切られて、なんでも壊せるとアイギスのお説教を壊そうと返答をし始める。
けれどその程度では壊れることなく、更に叱り言葉を追加していくアイギス。
「なんでも壊せるのは当たり前なのです、そういった御力なのですから。壊れないように壊すなど、応用出来るようになりませんと」
「おうよう?」
フランドールを窘めながら指を鳴らして壁から伸びる燭台の付け根を穿つアイギス。
付け根だけが穿たれて蝋燭が乗る台座部分が空中だけに残るという異様な光景がフランドールの視界に収まる、おぉと小さく呟くフランドール。
何故台座が落ちないのか不思議そうだが、アイギスが自身の『なんでも穿つ程度の能力』を応用し台座の付け根が『見える』という常識だけを穿ち見えなくなっただけらしい。
「後で触れて確認されると宜しいかと、多分見えない台座の付け根に触れられるはずです」
「後でなの?」
「そうやって甘やかすから我儘が治らないの!」
「仕方がないのです、喧嘩をして負けてしまった時にはお小言から私を守って、そういう狡い言われ方をされておりまして…それよりも、お客様がいらしたようですよ」
淑やかな笑みでレミリアとフランドールを見比べてそう述べるアイギス。
アイギスの笑みに笑みで返してから、レミリアに向かい口を横に伸ばして葉を噛み合わせ不機嫌さをアピールするフランドール。
フランドールの表情を見上げていたレミリアの眉間が狭くなった時、閉じられていたはずの紅魔館のダンスホールから外へと続く扉が開かれた。
久方ぶりに訪れた招かれざる夜のお客様、昼間に偶に来る吸血鬼退治の専門業者とは少し様子が違う誰かが扉の奥から歩んでくる。
「不用心ですね、正面から入ってみればダンスホールで楽しく歓談とは」
ホールの扉の方へと目を細めて見やるアイギスへと声を発するお客人。
正面から不法侵入し声をかけてきたのは腰まである長い赤髪を濡らし、側頭部は編みこんでリボンを付けて垂らしている誰か。
夜に目立つ髪といい絞まった声色といい、いつだったか聞いた声のような、以前にもここで同じ様に間違われたようなと、思い出そうとしている素振りを見せるアイギス。
赤い髪の者と同じく、しっとりと濡れた黒髪を額から掻きあげて、邪魔な前髪を後ろへと流した右手が視線に入るとどうやら思い出したようだ。
「貴女様は…レミリア御嬢様のお披露目会で私の手を取ってくださった方、でしょうか?」
「覚えられていたとは光栄ですね」
特に身構える事もなく自然体で佇む異国の妖かし。
お披露目会で見た両足の見えるドレスよりも、動きやすさを重視しているような、緑色の異国の服を身に纏う武人。
本来なら屋敷の盾として会話などせずに排除し、ホールの中で先ほどまで楽しくはしゃいでいた、アイギスが守るべき二人から侵入者を遠ざけるののが正しい仕事の姿勢だと考えたが、少しだけこの武人に興味を示したらしい。
彼女が荒事の最中に腕を取られる事などあまりなく、いくら本気でなかったとはいえ安々と手を取って一言進言してきた武人。
色々と聞きたいことがある武人に対して、フランドールを優しく下ろし、下がっていろと瞳と雰囲気だけで促している。
手ほどきでも容赦しないアイギスが問答無用の姿勢を示したとわかると、静かに下がっていく吸血鬼の姉妹。
二人が武人の纏う気の制空権内から離れた事を確認すると、執事のように右腕を胸元に上げて小さく会釈をするアイギス。
「あの場では申し訳ございませんでした、良いところを見せようと張り切っておりましたので…して、何故今頃? 御嬢様方を狙うのであればもっとお急ぎになられた方が楽に済んだのでは?」
「貴女が雇われていると聞きまして、仕事を終えていなくなる時期を見ていたんですが無駄だったようですね」
あのお披露目会にいたのだから、御嬢様方の命を狙う誰かしらが放ってきた刺客という事はわかりきっていた。
刺客に対して会話を求めるなど盾として無駄な行為ではあるが、それでも少しだけの会話を続けるアイギス。
「時期が過ぎれば私は去りますが代わりに御嬢様方が力を得る、力を増した御嬢様方を仕留めるには貴方様では力不足。最初から様子見する意味が無いと思われますが」
「貴女と争うよりは、成長し始めた御息女二人を相手取る方が先が明るい、そう考えたのですがどうやらまだ仕事中のようで…今、困っています」
「早いとわかりながら引きもせず請いもしない、武人としての誇りでしょうか?」
「そう捉えて頂けると気が楽になりますね」
話を聞くべきではなかったと苦笑するアイギス。
仕える先の主すら凌駕するかもしれない雰囲気、覚悟を身に纏い矜持を見せる古強者といったこの手合、こういった手合はしつこくて最後まで折れないから面倒だと、小さく溜息をつくアイギスであった。
立場は違えども仕事に対する姿勢を見せる時がどんな時なのか、商売人として依頼を完遂する事を心がけそれに少しのプライドを見せるアイギスにも、武人の見せた誇りが何を意味しているのか理解できた。
自身の思考を殺して主の望む動きをする、確実に折れないだろうこの武人を面倒事だと認識したアイギスであった。
「そういったプライドを見せるのですし、それに対する私の返答もおわかりなのでしょう?」
「えぇ…このままでは帰る先もない、お手合わせ願います」
「お付き合いするつもりはなかったのですが、フランドールお嬢様にはまだあの時のような教育をしておりませんでしたね…お手合わせ、了承致します」
淑やかさを薄めて外法者らしい底意地悪い顔になるアイギス。
表情が変わったことで武人に少しの緊張が走るが、顔色を変えただけで何かをするという動きは見えない。
けれどこのまま対峙し続けていてもどうなるという事でもない、どちらも折れる気配がないと察した武人が先に動きを見せた。
小さく息を吐いて瞬時に姿を消した武人、音もなく動いて瞬時にアイギスの正面に迫る。
少し低く構えて疾っと言葉を吐きながらアイギスの顎に向かい、空間を裂くほどの勢いで鋭い掌底を放つ。
赤い髪を振り乱して放たれた右の掌底がアイギスの顎先へと届きかける瞬間――アイギスの顎先が遠くなる感覚を覚える武を誇る者。
両者並び立つと高いハイヒールの分だけアイギスの方が背が高いが、それでも相手との距離を見誤るような、生半な拳を放つような者ではないと感じられる、そういった気迫があった…のだが掌底は届かずに空を切った。
端から見ていた者にはよくわかる事をアイギスは何の動作もせずに行っただけであった、単純な話、アイギスの顎に掌底が迫る瞬間に、ヒールのつま先から前方向へと武人の足元を穿ち床の高さを狂わせただけであった。
アイギスの眼前で空気を割いて天を突いた掌底、避けられずに避けられるなど武人の想定外で完全に伸ばし切った武人の左腕。
ほんの一瞬だが完全に動きを止めた武人、その隙を見逃すアイギスではなく小さく指を鳴らした。
けれど音が響いた時には武人が動きを見せ始めており、狙い通りの体の中心、心の臓を穿つ事はかなわず、武人が体を右に逃した事で左腕から脇腹の部分までを穿つだけに留まり、この場から削る取るまでには至らなかったようだ。
再度両手の指を鳴らすアイギスだが、武人が避けるであろう先、武人の傾いた体の先を穿つが何もない空間と天井から下がった灯りの端を穿ち削りとるだけで、逃げずに屈んだ武人を穿つことはなかった。
一度屈んで足に力を蓄えた武人の足がアイギスの足を払うように横に一閃と奔るが、勢い良く飛び上がるだけで難なく回避するアイギス。
飛んだ事で一瞬だけ無防備になるが、勢いを殺さずに天井に向かいそのまま体を反転させるアイギス、そのまま気にせずに天井にハイヒールを打ち込んで体を支える楔となし、武人と一旦距離を取る形となった。
「避けずに居直るとは、少々侮っておりました」
「引かずに攻めた結果避けられたというだけです、不可視の攻撃がこうもやりにくいとは…音が鳴らずともこう出来るとは思ってませんでしたね」
通常の床よりも階段二段分ほど下がっている位置からアイギスを見上げる武人。
上下逆さまな状態でも気にせずにいるアイギスに向かい、穿たれて低くなった床を足裏で擦り素直に感心する姿勢を示す、命のやり取りをしている二人にしては悠長な会話に思えるが、互いに何度も死線を潜っているような手練である。
多少の会話も互いの情報を引き出す事として使える、だからこそ相手の言葉をよく聞いて己の中で噛み砕いているのだろう。
過去、一度武人に見せた発動方法以外もあると知らしめたアイギス。
それに対して感心してしまい、腕を失い片腹と肺までを穿たれてヒューヒューという呼吸音で身構える武人。
どちらが上でどちらが下なのか、立ち位置通りに見てわかる状況となっていた。
「御身体がそうなってもお元気なのには何かタネがありそうですが、まぁいいですね…お名前を伺っても? 名無しでは後々で困りますので」
「紅美鈴と彫って頂けるとありがたいです」
「フォン・メイリン? ファーストネームはないのでしょうか?」
「失礼、ホン、ですね。この辺りに習って言うのならメイリン=ホンといった感じです」
天井から下がったまま畏まりましたと瀟洒に返答するアイギス。
その場から動かずに愛用のスコップを顕現させて、頭の巻角と同じ色合いの持ち手を擦り刃の先に炎を宿していく。
アイギスの隣から下がる灯り以上に明るく、けたたましい音を立てながら燃え盛る黒いスコップを軽く振りかぶり美鈴に投げつける。
空気を焼きながら飛んでいくスコップを怒号のような大きな『発』という言葉を発して弾く美鈴、動くよりも何か魔力のような物を発して弾く事で回避してみせた。
けれど直ぐに逃げ回る羽目になったようだ、一本目のスコップを弾いた後、すぐに二本目三本目という燃え盛る切れない刃が美鈴の視界に飛び込んできた。
美鈴の逃げるだろう先や足を下ろす予定の場所に先んじて刺さっていく何本もの黒い刃、体を翻したり急制動を掛けてみたり緩急をつけて逃げる美鈴。
そんな逃げ一辺倒な美鈴に対して天井から動かぬままで自身の周囲にスコップを顕現させてはそれを燃やし、美鈴に向かい投げ込んだり蹴りこんだりしていくアイギス。
ドカドカと刺さっては刃先が刺さる床が穿たれて高低差の酷い、まともに踊れる事は無理だと思える姿になっていくダンスホールの床。
片足のヒールだけを天井に穿ち、両手と片足だけで踊るように自身の獲物を放っていくアイギスが、逃げるために急制動を掛けた美鈴の足に向けて小さく指を鳴らした。
フランドールの言う指パッチンの音がホールに響き渡ると、制動するために出した足が失くなり勢いを殺せなくなった美鈴がホールの赤い壁に向かい大きな音を立てて突っ込んだ。
ガラガラと音を立てて埋まっていく緑色の武人、赤い瓦礫で埋まる辺りに向けて笑みを浮かべて指を向けるアイギスだったが、今まで静観していた幼い吸血鬼の声で動きを止められた。
「そこまでにして頂戴、アイギス」
「構いませんが宜しいので?」
「手合わせなんでしょう? それなら決着はついたわ」
言葉の綾だとは思うが雇い主が止めるなら、と天井から床へと降り立つアイギス。
ボコボコの床の上をカツカツと音を立てて歩み、瓦礫の前へと近寄っていく、大きな瓦礫を雑に掴んで数個ほど取り除いていった。
取り除いた先で壁にめり込む形で止まっている美鈴、見る限り方は動いていてまだ生きていると感じられた、思った通りしつこい手合だと珍しくクスリと声を出して笑むアイギス。
アイギスの声で気が付いたメイリンが半身を埋めたままで、手合わせの終いを告げたレミリアに向かい吠えた。
「邪魔を…!」
「お前は使えそうだ、このままでは帰る先がないらしいな…帰らなくていい、私が使ってやる」
埋まりながらも乞うような素振りの見られない美鈴。
瓦礫に埋まる腕を引き抜いて、片足で器用に立ちながら使ってやると言い放ったレミリアに対して片腕で構えるような仕草をしてみせた。
対面するレミリアに対して言葉ではなく拳で抗う姿勢を示すが、レミリアの掌に赤々と輝く槍が顕現し、いつでも美鈴を刺し貫く事が出来るというような余裕のある態度、傲慢さの見える態度で翼を翻し再度紅魔館の主らしい姿勢を示すレミリア。
「敗者が語るな、聞かれた事だけを答えろ」
「お披露目会で見ていた時はもっと弱気な…いえ、なんでもありません、選択肢はないようですし今日より貴方様にお仕え致します」
「それでいい…では美鈴、先ほどの、声だけでスコップを弾いたアレ…どうやったの? 教えなさいよ」
不遜な態度で敗者を拾い上げたレミリアに一瞬関心を示したアイギスだったが、その後目を輝かせて教えなさいと言った長女の顔を見て感心した事を忘れることにしたようだ。
輝く赤い瞳で緑色の敗者に向かい何かの言葉を発しているレミリア、仕事が終わったのならもういいと踵を返すともう一人の輝く赤い瞳を持つ妹がアイギスを見つめながら飛びついていた。
「お終い? あの人生きてるよ?」
「お姉様が終わりだと仰られたので終いです、後はお任せしましょう」
何かを話し始めた美鈴とレミリアに対して背を向けるアイギス。
正面からアイギスに飛びついたフランドールにはアイギスの背中側の景色が見えていて、フランドールの瞳には姉が敵対者に向けて手を差し伸べている姿が見えていた。
「あの人、メイリンだっけ? うちに住むんだって」
抱きつきながら後ろの光景を実況してくれるフランドール。
フランドールの視界の先にいる姉を真似たように、色とりどりの宝石がぶら下がる翼を大きく開いて姉の態度を真似ている。
アイギスの片腕で抱き上げるには少し大きな体となった妹と、妹が真似るような大きな態度を言われずとも取れるようになった姉。
二人とも立派に育ち力も得た、頼りになりそうな従者も得て、後は生涯の友でも得られれば主としては十分だろう、そうなればもう盾は必要ない、そんな事を考えるアイギス。
先日姉妹の親の墓前で報告した通り、吸血鬼姉妹の確かな成長を感じている。
後々でホールの床と美鈴をゆっくりと埋め立てて元に戻し、心残りを失くして今回の依頼の完遂と成そうと決めたのだった。