東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第五十五話 立場を現す

 パサリ、開かれる封筒。

 紙の擦れる音が店内で響く、そうして取り出されるは文。

 折り目一枚を捲ると『謹啓、盛夏の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます」という書き出し。達筆ではないが書き慣れていて、大概の者が見れば見習いたいほどの字体で綴られた手紙、蛇腹に折られた和紙にはそう言った書き出しがなされていた。それを手に取り目を通すのは文章の盛夏を体現した肌の色、縦書きの手紙にも今では慣れた異国の羊である。

 1つ2つ、3つ4つ、ゆっくりと指先で折り目を追っていく。小さくなった氷が入るグラスを手に取り、時折りカランと鳴らしては中身を減らしていくアイギスが、朝一番にスキマから届けられた手紙を読み耽っているようだ。

 

「わざわざ私に依頼ですか、特に売り込みもしておりませんがどういった理由からでしょうね」

 

 グラスに向かって吐かれる独り言。

『お手隙の折にでも一度御来訪頂きたく存じます。 店主敬白』

 そう書かれた部分まで読み切るとグラスに残る麦茶を飲み干し、手紙を封筒にしまう。そうして部屋の奥辺りにある小さな書き物机の引き出しを開いて、何かメモ書きや帳簿に近い物が入る引き出しへと重ねた。

 

「まぁ……暇ですし、構いませんか」

 

 胡座をかき、着ている服の胸元を摘み、パタパタと風を送っての独り言。

 今は普段のシャツ姿ではなく、夏場らしい黒いホルターネックのチューブトップ一枚でいる彼女。下半身も隣の仕立屋で買ったらしい七分丈のカーゴパンツ姿のようだ。先日訪れた際に風見幽香に言われた辛辣なお言葉。変な物だとか、似合わないだとかを意外と気にした彼女が仕立屋の主に見繕って貰ったものだが、普段のスーツよりは股上も浅めで布地も汗を吸うものらしく、中々に涼しい物らしい。

 普段は見られない腹や肩などを晒した露出が高い姿だが、彼女は元々外国産で湿度の高い日本の夏には対応しきれておらず、この国に向かい砂漠を進んでいた頃のように、夏場だけは今のような素肌を晒す格好でいることが多いようだ。

 

「さて、形は違えども久しぶりの悪魔召喚、ここは着替えて行くべき‥‥いや、知らぬ相手でもなく暑さも厳しいものだ‥‥ならばこのままでもよい、か」

 

 誰もいない店舗内で、見慣れた木目の天上相手に語る。

 ぶつぶつと呟き己を納得させた後、着替えもせずそのままの格好で、ベルトループに緩く通していただけのベルトに仕事道具が収まる厚手の革製ベルトポーチを通すと、そこにノミや名刺等、ちょっとした手持ち道具を入れていく。

 

「午後に来てくれとしか書かれておりませんし必要ない気も致しますが、一応は仕事の依頼ですしね」

 

 道具数本程を揃え、ほとんど着の身着のままの状態で店を出る黒羊。

 アンクルストラップが複数見られる、どこぞの剣闘士のようなヒールサンダルに足を通し、ピシャリと引き戸を締めると、ぶら下がる判じ絵看板をひっくり返して、そのまま地獄の喧騒の中へと消えていった。

 消えていった先はここ旧都の中心部とは真逆、旧都の入り口である朱塗りの橋方面。

 額に僅かな汗を浮かべ進み、そこを根城にしている橋姫と橋の下を流れる川に足先を浸し、世間話という名目の時間潰しをしてから更に歩き進んでいく、どうやら目的地はここでもないらしい。その後も、地底では一番涼しい鍾乳洞辺りで汗を引かせてから、その先に繋がる大穴より、揺らぐ空気や強い日差しなど、見た目から暑いとわかる地上へと向かい飛び立った。 

 

~少女移動中~

 

 目的地へと向かう途中で元の住まいにも顔を出し、いつか文句を言われた花壇の様子も確認してから進んだようで、文面にあった午後、昼餉を楽しむくらいの時間帯に召喚先にお邪魔したアイギス。今は呼び出した相手を待つ為に入り口近くで佇んでいる。

 

「すみません、お呼び立てしておきながら待たせてしまって‥‥また随分とラフな格好ですね」

 

 歩んできた方向、妖怪の山がある方角の空を眺め、一度は枯れてしまった花壇がそれなりに整えられ、再度花壇としての役割を取り戻していた様子を思い出していたアイギスの背に声が掛かる。

 

「さすがに暑さには勝てませんので、今更日焼けも気になりませんし」

 

 振り向きながら返答を述べる褐色娘、その視界に声の主、大きく広がる長めのスカートに、細かな白レースが特徴的な、この季節では暑そうな格好の守護者が収まる。

 

「確かに暑くなりましたが‥‥いえ、取り敢えず向かいましょうか」

 

 里の入り口からは出ず、堺の門越しに話す上白沢慧音。

 アイギスを促すように右手を小さく差し出すと、その手に引かれるように丈夫な木造の門戸を潜り、里の中へと歩を進めた悪魔。そのまま慧音の横に立ち、少し回りを見渡した。

 

「この里も様変わり致しましたね、店舗も増えたように見られます」

「いつと比べているのかわかりますが、あれから100年以上は経っています。変わりもしますよ」

 

 まだマヨヒガに住んでいた頃、地上にいた間も、稀に来ては花の種などの買い出しに訪れてはいたアイギスだったが、それ以外に興味がなかった為か、今のようにゆっくりと回りを見るような事はなかった。

 それ故明確に覚えている景色は住まいを改造した質素な作りの店ばかりだった頃で、今のような、ぱっと見から商い中の店舗だとわかるような店は目新しく見えているようだ。そうやって、昔は生活するのに不便がない程度の商店しかなかったのに、と回りを見ている羊に少し説明がされた。

 

「今は店も、人も増えました。居酒屋や、最近出来たカフェーもそれなりに繁盛していますね」

 

 二人が見つめる先にある店舗、片方は『処飯 処酒』と書かれた大きな看板が目印となっている居酒屋。カフェーの方は通りが違うらしく今は見られないが、慧音が話す通り賑わっているようだ。若い男女が歩き去っていく先が少し騒がしい。

 

「100年程度で随分と変わるものですね」

 

 前を横切った男女の男と目が合い立ち止まる姿を見て、昔なら目が合ってもすぐに逸らすか足早に立ち去られたのに、住む人間達も変わったなと連れの女に手を引かれ歩く男を見て思う悪魔。

 八雲との契約が切れてすぐ地底に引っ込んで、地上の人を襲う姿を見せなくなったから逃げられなくなった、そんなところかと頷くアイギスの姿を、別の理由で頷いていると観た里の守護者。

 頷く羊にそれらしい事を話す。

 

「妖怪からすれば一瞬ですが、人間や建物には長い時間ですから。あの頃を知っている者も少なくなりましたし」

「上白沢様は兎も角、他にもあの頃から生きている者が?‥‥あぁ、香霖堂の店主殿がおられましたか」

 

「霖之助は元々里にはいませんよ、私以外だと阿求くらいですね」

「アキュウ様?」

 

「今日の待ち合わせ相手です、会えばわかりますよ、きっと」

 

 言い切り長いスカートを靡かせ、後に続けとわかるようにアイギスの数歩先を進む慧音。

 向かう先は里の端からでも見られる立派な黒松が見られる大邸、その邸宅内へと進んでいく里の守護者。守衛代わりの里の男と挨拶を済ませ、先に奥へと歩んでいく慧音の後を続いていくアイギスだったが、この屋敷に呼ばれる理由など何かあっただろうかと、歩きながら考えていた。

 歩く最中に庭を眺める、不意に感じた視線。

 慧音以外の誰か、人であって人でないような、歪な、普通の人間よりは少しだけ自分達(化け物)に近い者の感覚を察知したアイギスだったが、慧音に促されすぐに視線を戻した。そういえば幽香も来るような場所だった、ならば人外の視線を感じても当然と、すぐに思考を切り替えたようだ。

 そのまま何事も無く屋敷に上がり、真っ直ぐな外廊下を進む二人。

 年季と手入れから輝いて見える床を歩いていくと、慧音がとある部屋の前で立ち止まる。

 

「阿求、いるか? 入るぞ?」

「あ、慧音さん、どうぞ」

 

 外廊下に面する襖越しに慧音が声をかけると、中から落ち着きの感じられる幼子の声が返ってきた。その声に促され部屋へと入る悪魔と半獣、中にいたのは10歳位の人間少女。

 薄紫の髪に、桃色の山茶花の花飾りが目立つ九代目、稗田阿求。静々とした態度で座礼をすると、礼を受けたアイギスも丁寧な礼をしてみせる。

 

「お久しぶりですね、アイギスさん。格好も振る舞いもお変わりないようで」

 

 二人が訪れるまで向かっていたのだろう、少し低い長机の横で小さな身体を折りたたんで、久しぶりだと挨拶する九代目。亜弥として出会い転生してからは初めての顔合わせではあるが、知識としてはある程度覚えているらしく、何処か気安い雰囲気の挨拶がされる。

 が、アイギスからの返答はなく、代わりに少し考える表情が見られた。

 

「ご無沙汰しておりますと返答すべきなのか、初めましてとお伝えすべきなのか、悩ましいところですね」

 

 訪れる途中の話しぶりと着いた先から察してはいたが、姿をほとんど変えずに転生してきたという相手を実際に見て、人間にしてはやはり珍しいという思いと、身体が違うのなら初めましてなのではと、変なところで考える黒羊。

 最近は良く傾いている頭を見て、対面する阿求と隣の慧音が微笑み話す。

 

「どちらでも間違ってないんですけど、真面目に考えると変な感じですね」

「そうだな、私も久しぶりと言ったのだったか、言われればこれも変な感覚か」

 

 部屋で座る阿求が笑って話すと、続いて慧音も話に乗って自然流れで畳に腰を下ろす。一人立ちんぼとなったアイギスだったが、二人に見上げられると傾いだ頭を戻しながら少し遅れて座った。

 先に座っている二人は美しい正座だが、後から座った彼女は一人片膝立て。それなりにこの国の文化にも慣れた異国の羊だったが、長い時間の正座は辛いらしく、長話の雰囲気がある席では今のように片膝立てか、住まいで組んでいたような胡座が多い。

 単純に考えれば生まれた国の違いで、文化の違いというやつなのだが、その違いが種族の違いに思えた悪魔が、それならばと傾けていた頭で閃いた事を話す。

 

「では私からは初めましてと、そう伝えておく事とします。初めてのご挨拶という事ですし、宜しければ」

 

 途中で言葉を切ったアイギスがベルトポーチを少し弄る、仕事道具がこすれ合う小さな金属音がした後に取り出されたのはスペルカード。Bと書かれた表面を裏返し、羊の絵が書かれた面を見せて阿求に差し出すと、すんなりと受け取られた。

 

「桶を抱えた羊さん? ちょっと可愛いですね」

「判じ絵というモノだそうで、友人達が考えてくれたものですね、気に入っております」

「ふむ、判じ絵という事は看板、つまりは名刺か何かですか。スペルカードを名刺にするというのもおかしなものだ」

 

「なるほど、名刺代わりなら頂きます。スペルカードとしては使えませんけどね、私は飛べないし、遊び回れるほど丈夫な身体でもないので」

「スペルカードとして使うつもりはありませんので問題ないかと。元よりただの紙ですし、里にいる限りそれを使う事もありますまい」

「‥‥用意しておきながら弾幕ごっこには興じないと? 合いませんか?」

 

 渡された名刺を眺める阿求、描かれている羊と目が合うと子供らしい顔で笑った。ちょっと可愛いと褒められ悪くない気分のアイギスも僅かに頬を緩めるが、一人だけ硬い顔の慧音がアイギスの物言いに疑問を呈す。視線は阿求の手元に落として、本来なら弾幕ごっこで使われるモノ、生き死にから近くて遠い遊びで宣言されるはずのカードを見つめ、考えついた疑問を素直に問うた。

 

「私には合いませんね、見る分には楽しめますが争いというには物足りないと感じます」

「物足りない、ですか‥‥いつかのような場の方が好ましいという事で?」

 

 アイギスが返答を述べると表情と声に重たさを含ませた慧音が再度問いかける、今の彼女の脳裏には昔の、吸血鬼異変での事が浮かんでいた。ただ動いてただ命を奪っていったモノ、操られ動くだけだった者達。感情もなく操られる中慧音自身が再度葬った元人間達を思う。

 出来れば二度と味わいたくない手の感触、あれから結構な時が過ぎたが今でも残る切った感触と、すぐに思い出せる髪や身体に纏わりついた腐肉の匂い‥‥言葉を言い切った後、はらりと広がるメッシュの髪先を無意識の内に撫でていた慧音、浮かない顔をしている彼女に、あの夜を共にした羊から答えが伝えられた。

 

「はい、あぁいった血生臭い場こそ争いと存じます」 

「言い切るんですね‥‥私は遠慮したいです」

 

 淡々と吐かれた言葉、慧音が否定したい事を真っ向から肯定する物言いの黒羊、そんな彼女を否定したのは慧音ではなく阿求だった。

 

「遠慮など、あの頃のように里が襲われる事などないのでしょうし、守護者たる上白沢様もいらっしゃいます。考える事すら無用な心配事では?」

「そうですね、心配はしてません」

「……二人でからかわないでもらいたいな、バツが悪い」

 

「からかってなんかいませんよ、ね、アイギスさん」

「はい、からかうなど滅相もございません。今日まで守り通した実績もあるのですし、あの夜の上白沢様は気高く感じられました、それを誇り胸を張っても宜しいかと」

 

 慧音に比べれば明るい物言いの阿求。亜弥だった頃にあの異変は体感している、が、あの晩に彼女の姿を見てはいない。屋敷の中で囲われてそのまま騒ぎが収まった為、外に出る事はなかった当時の八代目、あの時の汚れた慧音の姿を見ていないからこそ今のような素直な明るさがあった。

 そんな明るい幼子と特に気にかけていないアイギスにからかいにも似た褒め言葉を言われ、少しだけ明るさを取り戻す慧音。今更考えたところで致し方ないし、アイギスが言うように里が危機に瀕する事などそうはないだろうと考えを改めたようだ。

 雰囲気が変わると話題もそれに伴うらしい、ふと思い出したように、わざわざ地底から呼ばれた者が話し始めた。

 

「さて、ご挨拶も済んだところで今日の本題に入りたいのですが、依頼とはどのような?」

「あ~‥‥実は特に何も、というか今の場が出来ただけで十分というか」

 

 アイギスが今日の本題を口にすると、歯切れの悪い感じの阿求。

 依頼用の手紙には出来れば会って話したいと記載されていたため、直接会って話すようなことかと考えていた桶屋だったが、呼び出した人間の雰囲気からはそういった事は感じられなかった。

 どういった事かと再度傾いでいく羊の角、その角が床に対して平行に近づいていくと、両手の指先を遊ばせながら阿求が話し始めた。

 

「ちょっとした面談をしてみたいなと思っただけなんですよ、種族や立場が違う相手と話す機会が欲しかったんです」

 

 慧音をからかうような事を言っていた先程よりも小さな声、ちょっと言いにくいとわかるような声量で今日の呼び出し理由を語り始める阿求。九代目となった事で何か記念のような事、幻想郷縁起の編纂以外でも何かしら形に残したくて動いたのが今日らしい。

 何の為だとか、話した結果どうなるだとか、そういった事は真っ白の状態で、ただ形だけを成して見たかったと、考えなしの事を語る九代目のサヴァン。

 

「まだ案にもなってないんですけど、後々にはキチンと、出来れば会談として形にして書に記すつもりです。その練習というか‥‥ダメでした?」

「ダメとは言いませんが、私を選んだ理由くらいは聞きたいですね」

 

 語られた事は兎も角として、何故自分が選ばれたのかを気にする黒羊、彼女の成り立ちを鑑みれば気になる部分ではあるのだろう。利用されるも利用するも然程気にせず好きな様にしている彼女だが、やたら拘るのがこういった部分である。

 不機嫌ではないが真剣な問いだとわかるような、少し強い語り口で問うと、阿求ではなく慧音から返事が届いた。

 

「それは、私が推してみたんです」

「上白沢様が? 何故に私などを? 推して頂けるほど私は里に近くはありませんし、今の人里で知られているとも思えないのですが?」

 

 思ったままの疑問を述べるアイギス、彼女が全て言い切ると少し静かになる部屋の中。待ってみても二人からの返答が無いため、呼び出した本人である阿求を赤黒い瞳に収める羊。

 それでもなにかが返ってくるような事はなかった、少し陰り始めた部屋の空気、それに伴い再度アイギスに向けて発せられる視線のような、気配のような何か。阿求の座る位置の奥にある襖、隣にあるあろう部屋の辺りから感じられるソレを見るように、黒羊の視線が流れると、その気を逸らすタイミングで推薦者が話し始めた。 

 

「貴女は間違いなく妖怪で人の敵と言える方だ。それでも里を救ってくれた実績もありますし、こうして話に耳を傾けてくれる事も知っています。ですので他の誰かよりは安全かなと思った次第で‥‥利用され、幻滅されたというなら謝ります」

「いえ、特に思うところはございません。強いて訂正するならば敵ではないという部分ですかね」

 

 静寂を破ると、落ち着いた雰囲気でスラスラ話し始める里の守護者。人里で教師をしている者らしく、他者に向けてわかりやすく聞き取りやすい口調や風合いで語り、最後には利用したアイギスに対して謝罪まで述べてみせた。

 けれど言われた方は全く気にしておらず、それどころか敵という妖怪の立ち位置部分を訂正すると、慧音に負けない勢いでスラスラと言い返した。こう返ってくるのは慧音も阿求にも予想外だったらしく、どういった意味合いかと、深く思案するように腕を組んだり、机の天板を指先で叩いたりしている。

 そんな悩ましい二人を嘲るように、普段見せる瀟洒な笑みを浮かべた悪魔が言葉を増やす。

 

「勿論味方などとは申しませんよ? 人間は私の糧、言うなれば敵ではなくただの餌です。敵と認識してはおりませんし、その部分は揺るぎませんので、謝罪も否定もいりません」

 

 態度も口調も何も変わらない状態、話した通りのゆらぎの見えない姿ですっぱりと告げる地底の悪魔。敵の部分を訂正した事で少し近寄ったかもしれない、そのような感覚を受けていた里住まいの二人が悩みを忘れ、ただ引いた。座る位置や顔色といった見て取れる部分も多少は引いたようだが、二人はそれ以上に内面で引いたようだ。

 穏やかな物腰で笑い、再会の挨拶から会話までもする悪魔。今の言葉を言わなければ、頭の角がなければ背の高い丁寧な人という様子も見られるアイギスだったが、普段通りのままで餌と言い切った彼女はやはり別の種族で、敵対する間柄なのだと慧音や阿求‥‥そして近くにいるらしい誰かにも映ったようだ。屋敷の奥で聞き耳を立てているだろう誰か、燃え上がってしまいそうなほど暖かなモノをアイギスに、そうした鬼気迫るモノとは別の視線を隣に慧音に向けて放っている誰か、屋敷の中で唯一明確な敵意を発しているその者に向けて、残りの言葉をの述べる黒羊。

 

「それでも以前にお伝えした通り、里の中では襲わないと再度述べておきましょう‥‥さて、そろそろお暇致します。依頼は済んだようですし、それならば長居する理由もありません」

 

 好ましいモノ、暖かで真っ向から浴びたい殺気を感じ取り、このまま長くいるときっと我慢するハメになる。以前のような欲求不満になる前にさっさと帰ろうと、アイギスが立ち上がる。

 静かになった里の二人と、姿の見えないもう一人に向かって変わらない口調で語り、返事を待たずに動き始めた。引き止める事もなく、部屋にいる二人の視線は釣られて上がるだけ、そのまま外廊下へ続く襖へと移ると、わざとらしく襖の敷居を踏む黒羊。

 そうする事が非礼だとこの場の誰もが知っているが、止められる事も、失礼と詫びるような事もなかった。そうして外に出ると、すぐに正面玄関へと一人歩んで消えていった。

 残された阿求と慧音が、遠くなる足音を聞きながら小さなため息をつく。

 二人の吐息が漏れるとソレを合図に奥から出てきた白髪の少女、慧音から話を聞いてもしもの場合があればと潜んでいた元退治屋の少女が、何も言わずに姿を見せた。

 無言のままに間を抜けて開かれたままの襖に手をかけた。

 動きの悪かったその襖がするりと動く。

 触れた誰かが平らに穿った三七溝、均すように穿たれた溝に沿って、静かに仕切りが閉まった。


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