東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第五十四話 ご贔屓先へのご機嫌伺い

 恵みの雨が振る日中、強くなり始めた日差しが照る朝。

 それが半々に見られるようになってきた昨今 。

 その二つの内、日差しが強かった日、その夜。

 幻想郷の住人達が更衣を済ませて落ち着いた頃合いの今に、少し騒がしい場所があった。もうすぐで日付が変わろうかという時間帯、真っ赤で大きな柱時計が目立つ廊下で騒ぐお屋敷の者達だ。その者達の中でも小さな体躯に透き通る羽を持つ者達、両手に炒った豆を持ち人影を見かけては全力でそれを放るメイド達は楽しそうに過ごしている。季節に似合う昆虫羽をキラキラと羽ばたかせ、館内のそこかしこに香ばしく香る豆をばら撒いていた。方方から飛ぶ豆があちこちへと散っていく様、これは後でメイド長が泣きを見ることになる、そう感じながらも、自身の手がけた今の惨状を眺める者が廊下を漂う。

 

「エリア制限を設けておいて正解だったわ、図書館内でこうされては掃除の音で集中できなくなっていたものね」

 

 今の騒ぎは屋敷内だけで行われている、そのように聞こえる言い草だったが実際その通りで、このイベントを仕掛けた者が管理する地下部分、大図書館内での豆撒きは一切禁止されていた。

 キャイキャイと騒がしい中静かな佇まいを見せる魔女、その華奢な背中や大きめの帽子にも妖精達の弾幕が向けられる事はあったが、声の主パチュリー・ノーレッジの体に触れる前に何かに阻まれ落ちていく。それは彼女の左手の平で浮かぶ小さなクリスタルが起こす現象、静かな水色が見られる魔女の石からは水の波動が絶えず放たれ薄い膜となっており、主の身体を包み込んでいた。

 

「想定以上に騒がしくなってしまったけれど、それでも結果は上々か」

 

 パチュリーを包み込む水の泡がふよんと豆を受け止め、ゆっくりとした動きで弾き返す。

 それを目にしたメイド妖精たちが魔女様だけズルい、当たらないなんてズルい、動けない大図書館め、などと言い始める。そういった大きな陰口は当然パチュリーの耳にも入っているが、彼女は全く気にしていない。気にしているのは同じ屋根を共にする友人と、その妹の事だけだった。

 

「その可能性もあるとは思っていたけど、本当に効くなんてね。言い伝え通り弱点ばかりの姉妹なんだから」 

 

 賑やかで紅暗い廊下を進んでいく。両足は投げ出し纏うローブを足先まで垂らして、僅かに浮かんで移動していく紅魔館の魔女。仕掛けた催し事が取り敢えずの成功を収めている絵を見た彼女が向かうは当然、自分のテリトリー。廊下を曲がった先の下り階段、そこかしこに書かれている魔法の言語を眺めながらユルユルと降っていく薄紫の少女『貸出不可・盗人進入禁止・黒白立入禁止』等と書かれているのを確かめながらゆっくりと地下へと戻る。

 しばし進んで、入り口の扉に手を掛けると何もせずに押し開いた。雰囲気からこの扉にも何か魔方が施され、立ち居入りを禁ずる者を追い返す仕掛けでもありそうだが今はなにもされてはいなかった。以前はしていた、が、そのせいで侵入される度の扉を破壊される事が多くなった為、鍵を掛けても掛けなくても侵入されるならもういらないといった魔女らしい合理性と、ある意味で魔女らしくない諦めの良さからこうなっている。 

 

「おかえり、上はどうだった?」

 

 書庫の主が戻ると掛けられる声、聞き慣れた友人の声がパチュリーを迎える。

 パチュリーがいつもいるはずの、厚い一枚天板が特徴的な机に座り足を組む上の主が問う。

 

「上々。メイドの中に鬼はいなかった、けど今戻ってはダメね、きっと焦げるわ」

「そう、ならもう少しこっちにいるわ」

 

 見聞してきた事を伝えると、机に戻り、大きな椅子に深く根を張る魔女本来の姿へと変わった。

 腰を降ろし左手のクリスタルが魔導書に戻ったのを確認すると、机から椅子の肘掛けへと飛び移り、そのまま書庫の主に返答を述べた屋敷の主レミリア・スカーレット。 

  

「いても構わないけれど静かにして頂戴。騒がしいのは上下だけで十分よ」

 

 右側の肘掛けに座ると足を組み、わざとらしく羽を羽ばたかせて微風を起こす友。悪戯なそよ風がページを数枚捲っていくと読んでいた項を進められた魔女は読書を諦め、天上と床それぞれを見てから述べる。 この友人に言ったところで聞きはしない、それはわかっているし、視線の先の者達も静かになどするわけがないとわかっているからだ。

 遊びに集中し始めて聞く耳を持たなくなってしまった上の妖精メイドや、聞く耳も理解する頭もあり、理解した上で真っ向から断ってくる下の者相手にも言っている風だったが、今はレミリアだけに伝えているようだ。

 

「そう言うな、我が盟友。私はこれでも我慢している。メイドの粗相からドレスが少し焦げても睨むだけで済ませている、一回休みになるまで叱ってはいないわ」 

 

 上よりも下、金属音が鳴り響いてくる床面を長く見ていた魔女。

 それとは逆に上の騒ぎを気にしながら語るレミリア。

 パチュリーからすれば上は無害で下の者達が扱う炎の方が厄介なモノだが、レミリアから見れば下の二人は問題視はしていない、長い付き合いから自身では止められないと悟っている為、今更問題視してもしかたがないと開き直った状態であった。

 ちなみに、実際は上もそれほど気にはならない、触れたところで少々の火傷をする程度で、レミリアにとっては傷の内にも入らない‥‥ただメイド、それも妖精程度に傷つけられるのが面白くはないだけだ。

 

「そうね、確かに我慢しているわ‥‥全く、来ている時だけ大人びて見せて。上手く切り替えているようだけど、きっとバレているわよ?」

 

 図書館の床、書庫から続く地下への階段を進んだ先にある部屋、やたら騒がしくなり始めた辺りを見つめる魔女が、誰とは言わずに語り始める。今地下の妹と戯れている相手をダシに使えば大概は黙る、そう知っている悪魔の盟友が飛ばされなくなったページに視線を移す‥‥が、パチュリーの指が文字を追い始める前に悪戯な風がページを捲った。

 

「わかっているさ、こうしているのは切り替え出来ると見せているだけ。両方で見てくれるとわかったしね」

 

 以前の異変で見せた主としての態度、その後のデートで見せた昔の姿、口にされなかった誰かにどちらの姿を見せても否定されなかったレミリアが、今は気構えず自然にこうしていると語る。

 

「それならまたデートでもしてきたら?」

「今は妹がデートだ、水を指しては悪いだろう?」

 

「あ、そう。お優しいお姉様ね」

「そうさ、私は姉だもの。妹よりも我慢強いさ」

 

 図書館の天井を見上げていたレミリアがパチュリーと同じ床を見る、二人の視線が定まると静かな書庫内に響く声が増える。音もなく現れ、話しかけるよりも先に頭を垂れる屋敷の侍女長。上の騒ぎに少しだけ疲れているような、呆れているような顔はせず、瞑った瞼の奥だけに隠すメイドが急須片手に姿を見せる。

 

「申し付けていないわよ、咲夜。それに‥‥日本茶? そっちの黒い棒も、何?」

 

 幼く可愛い鼻をピクリとさせ、咲夜の右手から漂う嗅ぎ慣れない日本茶の香りを嗅ぐ。そうして左手の御盆に乗った黒い棒、色取り取りのナニかが巻かれたそれ、茶色や緑だけが巻かれた物もあるそれを問いかけるが従者からの返事はない、代わりに友が返事をしてみせた。

 

「私が用意させたのよ、言ったところで静かにはならないのだろうし、少々強引にでも静かになってもらおうと思って」

「パチェが? そうなの?」

「はい、パチュリー様から太巻きとリクエストがありましたので」

 

「太巻きって、なんでまた」

「節分に食べるそうよ、黙って食べれば縁起がいいとか。慣れない物を作らせて済まなかったわ」

「私こそ、時間がかかってしまい申し訳ありません」

 

 謝罪を述べる咲夜、その両手にはすでに漆器の御盆しかない。

 姿を見せた、用意された物はご用意しましたとパチュリーに見せてから、時を止めて配膳までを済ませていた完全で瀟洒な従者。御盆を左手に携えて頭を垂れると、右手でエプロンのポケットに軽く触れた。普段ならこのままスッといなくなるが、今日はそうなる前に主に引き止められた。 

 

「味の感想を聞いていかないのか?」

「それは完食された後にでも、上の掃除も済んではおりませんので」

「まだ騒ぎは続くわ、妖精メイドが飽きてから済ませた方が合理的よ」

 

 レミリアに止められても上に戻るつもりだった咲夜だが、パチュリーにまで止められしまい、この場から動く事は出来なくなってしまった。掃除などは言われる通り、全て終わった後にお仕置きを兼ねて行うつもりで、今はそれを理由に場を離れようとしただけであった。見透かされ逃げ場を失い、少し気まずい悪魔のメイド。

 視線を二人から床に移し、また右手をポケット、その中に仕舞われている愛用の懐中時計に無意識のまま手を伸ばすと、二人にクスリと笑われた。

 

「まだ苦手? この間の異変では一緒になったのでしょう?」

「ご一緒致しましたし、苦手というわけでもないの‥‥」

「怖い?」

 

 先に話した書庫の主には冷静に返したが、後から聞かれた悪魔な主にはすぐに返せなかったメイド。それでもすぐに返答をしてみせようとしたけれど、ピクリと二本のおさげが揺れた事で再度微笑まれる。

 

「別に隠さなくてもいいのよ、アレが怖いのは私も同じだから」

 

 わざとらしくアレの部分を強調し語る吸血鬼、本人に対してそう言えば間違いなく叱られる。言いっぷりに対してではなく、主として、淑女としてそのような物言いはと言われそうな事を理解しつつも、悪戯顔で口にする。

 

「私以外は皆古い知人だと、美鈴からはそう聞いておりますが……」

 

 顔を上げた従者が静かに問う。

 咲夜がこの屋敷に来た夜、どこぞの妖怪に拉致され、選択肢なしに屋敷を襲わざるを得なかった晩からここにいた羊の悪魔。上手く侵入し吸血鬼を仕留めた、そう思っていた咲夜に対して、銀のナイフも、能力も効かないと魅せつけたお伽話の相手はレミリアに言われるまでもなく今でも当然として怖いモノのままであった。けれど慕う門番からはあの方は古い知人だと聞かされている事もあるし、異変では盾となってくれた姿も間近に見ている‥‥もう少し近寄ってもいいが、それでもと、戸惑いを隠せない屋敷唯一の人間。

 

「私や美鈴から見ればそうでしょうけど、レミィ達から見れば‥‥ちょっと乱暴なお隣のお姉さんってところでしょうね、今は」

 

 戸惑う紅魔の番犬をからかう魔女。

 レミリアに同じく、魔の者らしい悪戯心が含まれた声色で語る。この屋敷の者、身内であればそう怖がる事もないと、ちょっと乱暴などと可愛らしい比喩を使って話すが内心では咲夜の気持ちもわからなくもなかった。

 

「ちょっと、ですか?……ちょっと?」

「確かに、昔に比べればちょっと乱暴なだけで、今のほうが穏やかに思えるわね」

「外の世界で見ていた頃に比べれば、今のあの方は丸いわ」

 

「知りたい? 私が屋敷に来た日の事であれば教えてあげなくもないけれど、聞く?」

「宜しいのでしたら、是非」

 

 それならと、左手に魔法の光がぼんやりと灯る。数秒すると魔女の光に誘われるように、広い広い図書館の奥の方から一冊、逆五芒星が表紙に描かれた書物が漂ってきた。

 

「あら、書いたの?」

「違うわ、最近図書館に流れてきたのよ。文字も紙の質も懐かしいでしょう?」

 

 手元に届いたその書物、雰囲気からレミリア達が外にいた時代に書かれた物のようだが、いつの間にかこの図書館に流れ着いていたらしい。それに気が付いたここの主が目を通し、自身と黒羊の出会いが書かれている事に少し驚いたのは記憶に新しいようだ。

 指は使わず、勝手にペラペラとページを捲られる。

 

「あっちの文字は読めないだろうし、挿絵でも眺めながら聞くといいわ」

 

 トントンと、レミリアが座る逆の肘掛けをつつくパチュリー。

 咲夜がその横に寄り添う、と、突いた指を軽く振ってふわりと従者の足が掬われる。そうして不意に浮かんだ咲夜が肘掛けに尻を乗せる形で降ろされた。主の友人に向かって失礼な態度、これはさすがにと視線で語るが、何も言われず魔女の読み聞かせは始まってしまった。

 いたたまれない顔でいる咲夜に微笑み掛ける語り部。屋敷に来た頃は碌な知識もなかった彼女、野良犬と変わらなかった頃の咲夜に教養や知識といった部分、美鈴では見きれない部分を躾けたのはパチュリーであった‥‥美鈴とは少し違うがそれに近い感情がなくもない魔女、読み聞かせるその声には、昔を懐かしむような雰囲気も感じられた。

 

~魔女朗読中~

 

 図書館で朗読会が始まった頃、地下でも似たような事が行われていた。

 話し手は部屋の主、右手に持ったスペルカードを読み上げて、それを放ちながら聞き手に向かって放っている。目に見える荒々しい会話は今で三枚目、二枚目と三枚目が同時に使われている為2.5枚目と言っていいかもしれない。

 四人に増えた妹が四本の炎の杖を振るい、対面する悪魔に斬りかかるが、受け手の盾を崩しきれてはいない。

 

「硬いの!」

「守ってばっかりなんてヤダ!」

「ズルいの!」

「そうよ、攻めてもらわないと練習にならないわ!」

 

 四人のフランドールが同じような顔つきで文句を垂れる、それぞれが言いたい放題に言って弾幕ごっこ用に調整されたレーヴァテインを振るっているが、両手に炎の盾を携えたアイギスには斬撃が届いていなかった。

 

「そう仰られましても、これ以外のスペルカードは考えておりませんので。私には弾幕ごっこ用の攻め手がないのですよ」

 

 斬撃を捌き切るアイギスが眉尻を下げて笑い語る、攻撃の代わりに少しの口撃をしてみせるが、それでもフランドールは面白くないらしい。受け続ける盾目掛けて、二対で組んで突撃をかます。

 炎の刀身を4本、真っ直ぐに構えて、吸血鬼の膂力と勢いに任せて突き進む。過ぎる瞬間に躱せばなんという事もないが真っ向から向かってくるのは好ましい攻め手であり、それを放つのは愛おしい吸血鬼だ。ヒールを床に刺し、その場から引かない姿勢を見せた黒羊。

 両者がぶつかると、甲高い金属音に炎の猛る音が混ざる。

 

「おぉ!? 刺さった!?」

「守ってバッカリだカラソウなるノヨ!」

「刺さったの!」

「このままいくよ!!」

 

 フランドール達の切っ先がアイギスの盾に刺さる、ダメージとしては皆無、髪とネクタイが燃えてしまい、少しだけアイギスの服装が乱れた程度だ‥‥が、それでも嬉しいのか、俄然力が入っていく一人吸血鬼姉妹。

 

「これは中々に重い、受け切るには億劫ですね」

 

 勢いが増し始めたフランドールに向かって感心し、足元を気にする素振り。

 切っ先が刺さっただけで割れも、ヒビが入るような事もなく、盾としては問題ないが、アイギスの身体とフランドールの膂力を受け切るには床が一番脆いようだ。突き刺したヒールの部分からひび割れが伸び始め、片足の蹄から順に自由を得てしまう。

 そうして支えが一本になると俄然辛くなる、アイギスの顔に苦笑と満足感が見えるとフランドールが再度気合を入れ、床ごとアイギスを押し始めたが、それでも引かない黒羊が床を踏抜き、自身の両足を楔として耐えしのぐ。

 

「イケるの!?」

「初めて勝テル!?」

「イケそうなの!」

「勝てるんじゃなくて勝つの!!」

 

 四人の妹が嬉々とした顔で確信を得る、が、それではまだ甘いとアイギスが嗤う。

 構えていた盾の先を床に刺す、元がスコップなのだから地を穿つのは得意な盾だ、当然のようにフランドール毎その場に留めた。それでも持って数秒だろう、床の強度は変わらないのだから。

 その数秒間の内にアイギスがスーツの内ポケットに手を伸ばした、表面は緑の下地にBと書かれた物、裏面は白で桶を抱える羊が描かれているスペルカード。名刺代わりにしたらしいそれを手に取り、宣言してみせた。

 

――責苦『終わりなき苦悩の果実』

 

 宣言と同時にフランドールが盾毎突っ込んでくる、それを迎え撃つアイギスが宣言した通りのスペルを見せた。またしても巨大なスコップを手に取り、フランドールに向かって切っ先を向けると、刃を水平に構え片目を瞑って狙いを付ける。四人が纏まり並んで見える位置をざっくり読んでアタリをつけると、そこに向かって真っ直ぐに投擲した。自身の盾を貫いて突進してくる四人の身体の中程辺り、4つの点が線と繋がる部分に刃先が達するとアイギスが指を鳴らす。それを合図に切っ先がバクンと開いた。逆刃の鋏が開くようにスコップの刃が割れて、キレの悪い刃が生生しい音を立てながら四人の体にめり込んでいく。

 

「なにこ‥‥!」

「騙しタ!?」

「ちょっと待ってほしいの!」

「ちょっと! ズルいわ!!」

 

 ブチンという肉断つ音とガキンという金属音、それらが同時に鳴り響く。盾と鋏にされたスコップと四人がそれぞれ刃に断たれるが、それでもフランドールの勢いは断たれない。上半身だけになった者や、右と左が残るだけのフランドール達ががむしゃらに突っ込む。変に勢いだけがあるせいで既に止まりようにも止まれない状態であったし、それならこのままと、死にはしないが決死の突貫を決めた。

 

 一本の炎の鏃となった四人組が体ごと特攻し、アイギスと共に炎の中に消えていく。

 数分間の炎上の後で赤い勢いが収まると、一端は静かになる部屋。 

 その部屋の静寂を先に破壊したのは……

 

「勝ったの?」

「みたい?」

 

 崩れた壁から現れたのは二人のフランドール。一人は右の肩から下腹の辺りを切り落とされ、もう一人はどうにか身体をねじったらしく、腿から下がないだけの一人吸血鬼コンビ。

 アイギスよりも先に姿を現す事が出来たからか、今日は勝てたと楽しげに笑い始めるが、瓦礫の奥から投擲されたスコップによりその会話は両断された。

 

「驚きました、お上手になられたものです、私が不覚を取るとは」

 

 放られた羊の角がフランドール達の間を割るように突き刺さる。声を発して存在感だけ見せ姿は現さない羊、声に乗せた歓喜の色を隠さずにフランドールを褒め称えると、ガラリと崩れた壁の奥に姿を見せるが、埋まる上半身を見せるだけでその場から動かない。というより動けないようだ。どうやら楔代わりに埋めた足は床下部分に残っているらしい。

 足も体も埋めたアイギス、彼女もフランドールに同じく五体満足で残ってはいなかった。

 

「! まだ元気なの」

「そうね、まだ勝ってなかった!」

 

 まだ倒しきれていなかった、そう認識すると二人で見つめ合い、ハイタッチでやる気を表したフランドール達、幼子の手からパチンという音が立つ。相対する悪魔の鳴らす静かな指の音とは違った若さが弾ける音が部屋で響くと、両足の脛から下がねじ切れているアイギスがふわりと浮いて、妹達の側に寄る。

 

「いえ、ここまでに致しましょう」

「え! 終わり!?」

「まだ元気そうなの」

 

 気合を入れたところを止められ、両手を合わせたままの妹達が同時に首を傾ける。左右にいる二人が右と左、それぞれの側頭部がくっつくような形で傾いだ。まるで双子がおどけるような仕草。表情まで似通っていて本当に双子のようだが実際は一人だ、紛らわしいが。

 そんな状態で止まっている双子の吸血鬼、それぞれを見てから薄く微笑むアイギス。何故笑われたのか、何故止められたのか、両方の疑問を表情に浮かべフランドール達が見上げる。 

 

「体力は十分ですが、私には手札が残されておりませんので」

「スペルカードがないからって事なの?」

「今みたいなヤツでいいじゃん! 早く思いついて!」

 

「そう言われましても、先程のはなんとなく思いついたものでして、そうすぐには」

 

 やや鼻息の荒い二人に語りながら右手の平を見せつけ、左手はスーツの上着を摘んで中を覗かせる。手の内にも内ポケットにも残っている種がない、そう伝えてみせると、プクリと膨らむ幼女の頬。物足りない、キッチリと勝負を決めないと気がすまない、書ける面積が増えた顔にはそう書いてあるように見える。フランドールの勝ちを認め、敗者が素直に負けを認めたというのに、このしつこさは誰に似たのだろうか?

 

「ほら! 早く! 次は?」

「そう、次を見せるの!」

「ですからもう手札が‥‥」

 

 折れないフランドールが手首を折る、ペシペシと、我儘なお嬢様が従者を呼びつけるように空気を叩く。怒りや悲しみといった感情を忘れるくらいに我を抑える事が出来る、そう出来るようになった引きこもりにしては随分と我儘で言いたい放題だが、こんな姿を見せるのは屋敷の者やアイギスくらいだろう。

 こうなってしまうと静かにさせるか、何か別の方法で気を逸らすくらいしかやりようがない、ならばと騒ぐ二人の肩を抱き、双子の間に身を埋めてはっきりと言い直した。 

 

「私の負けです」

 

 二人の妹にそう伝えると、同じ高さにあった片手がすっと下がっていく。勝ったの! と、勝利を喜んでいた分身体が本体に戻ったようで、残る一人は静かに、それでも瞳に初勝利の喜びを浮かべ見上げていた。

 

「もう一回! もう一回言って!!」

 

 一人に戻り飛び回る妹蝙蝠、綺羅びやかな羽の一粒一粒をも輝かせ、窓のない部屋の中を七色の光で満たしていく。目に痛いくらいに明るくなる部屋の中、明るさを灯した者の表情も声色も部屋と同じかそれ以上に(まばゆ)い。

 弾幕ごっことアイギス、未だ勝利を収めた事がなかったモノで同時に勝てたというのが嬉しい、語らなくとも姿だけでわかる状態となるフランドール。その光を浴びる悪魔が眩しさともう一つの理由から目を細め、再度伝える。

 

「はい。参りました、フランドールお嬢様の勝ちにございます」

「……!!!勝ったぁ!!!!」

 

 参りましたと穏やかな口調で話される、それを聞いてから数秒して宝石羽がフルフルと揺れる、地震かと思えるほどに揺れ動いてからそのまま敗者に飛び掛かる吸血鬼。勝者から敗者に向けての追い打ち、力いっぱいで羽交い締めするように飛びついた。

 ギリギリ、ミシミシと音がする羊の体、それでも顔は笑んだまま。負けた上に締められて嗤うなどおかしなものだが、それ以上に妹の成長が嬉しいようだ、暫くそのままの形で過ごす二人だったが満足した妹が自慢すると騒ぎ始めた。

 

「アイギス! 上に行こ! 皆に自慢しなくっちゃ!」

「畏まりました、では向かいましょうか」

 

 体から離れないままよじ登り、頬を触れ合わせる形になるとはしゃぐ妹様。言われた側の羊も無言で立ち上がる。修復途中の裸足のままで、愛用のハイヒールを戻しきれていない姿でペタペタと歩む。

『敗者は語るな』アイギスと争い、破れた門番にそう伝え配下に置いた姉の姿、それを思い出しつつ返事だけをしてフランドールを抱き進む階段。明るい地上へと向かう上り階段を、勝者を手にしつつ静かに登り始めた。

 

~妹様移動中~

 

「と、この本には記述されているわ」

 

 舞台が再度戻ると、丁度読み終え、視線を上げる魔女が見られた。

 喘息持ちだとは思えない饒舌さで語った魔女、その昔話に聞き入っていた吸血鬼と人間だったが、二人の顔色は真逆の色合いだった。該当部分を全て読み上げて咲夜の顔を見るパチュリー、こんな出会いだったと再度懐かしんで話し、感想を求めるが、先に口を開いたのは吸血鬼の方だった。

 

「ふぅん、屋敷に来る前にそんな事があったのね」

「そうよ。私は必死だったというのに、あの方はなんでもない事とされたわ」

 

 レミリアが感想を述べるとパチュリーが苦笑し話す。僅かに顔を上げながら、丁度大図書館の灯りが灯っている辺りを見つめ、あれくらいの角度で何人か浮かされてもがいていたなと、挿絵を撫でて軽く笑った。当時は焦燥しきった顔でいたが、それに近い感情は、今は従者に移っている。

 

「あの、この挿絵の通りだったのでしょうか?」

 

 話してくれたパチュリーの指、軽く握られ人差し指だけが伸ばされている辺りを眺め、感想よりも先に問いかける。指の辺りには丁度真っ赤な羊が嗤う姿。黒い槍のような物を左手に、右手には咲夜には見慣れない器具を持った悪魔、頭の先から足先までベッタリとした赤色で染め上げられ、恍惚とした表情で血を舐め嗤う赤い羊の挿絵がこの書物には描かれていた。

 

「まさか、これはイメージよ。回りは挿絵の通りに真っ赤で煩かったけれど、あの方はほとんど汚れていなかった」

「‥‥そうですか」

 

 ほんの少しだけ深い息を吐く、安堵とまではいかないがそれでも少しは恐怖心が拭えた咲夜‥‥ではあったのだが、咲夜の顔から察した魔女が追加を述べる事で、考えを改める事となった。

 

「勘違いしていそうね。それを知られると叱られそうだから、少し訂正してあげるわ」

「勘違い、ですか?」

 

「泣き叫ぶ人間達、それを蹂躙するあの方。そんな風に考えたのでしょう?」

「パチュリー様のお話からはそのように感じました、その絵も近いイメージですし、シャベルもそのまま描かれているように思えます」

 

 視線の位置を変えない咲夜、目を細め、諭すような態度を見せている相手、敬うべき主の友人は見ずにその指先を注視したままで返答していく。返事が返ってくると魔女の指先が動き、嗤う羊の顔から手、血に染まる何かが描かれている辺りへスライドしていく。

 

「煩かったのは悲鳴ではなかった、呻き声で騒がしかったのよ」

「呻き声?」

 

「そう。挿絵(これ)だけでは惨殺されてお終いと思えるけれど、あの場で五体満足だった者は皆ギリギリで生かされていたの」

 

 静かに頷くパチュリーと、静かになる咲夜。

 あの場で生殺与奪を持っていた黒羊、当然のように蹂躙したが、ギリギリで生かし残す事で、少しのおやつと悪名を得ようとも考えていたようだ。

 

「殺されなかった、ではなく生かされていた‥‥そういう事なのでしょうか?」

「そういう事よ、だからレミィは怖いと言ったの」

 

「パチュリー様は恐ろしくはない、と?」

「怖いわ、私を追ってきた者を路傍の石とも思わない方だったもの」

 

 正直に言えば昔ほどの恐れはないが、それは話さない魔女。

 恐れが消えれば力が弱まる、それを知っている彼女。

 手を取りここに連れて来てくれた恩も、親から譲り受けた信仰心も持ったままの彼女が今届ける心は別の恐れだ。アイギスに消えてもらっては私も、屋敷の友人達にもいい感情はないだろう、そういった怖さも信仰心に混ぜてある。

 ふと見つめる自身の手元、護衛役として引いてくれた手を見つめ、あの場から去った過去を思い出す。背中側、アイギスの営んでいた店先から聞こえてきていた人間達の声、責苦に耐えるだけで言葉にならない怨嗟の声を思い出しつつ語る魔女。

 

「これは、本当なら私に使われるはずだったのよ」

 

 挿絵の羊の右手にある物『苦悩の梨』という拷問器具、その用途を少しだけ話し、あの店に逃げこむのがもうちょっと遅かったらどうなっていたのか、それを教えるように握っていた魔女の指がすっと広がる。

 言葉にしないのはパチュリーなりの優しさだ、まだ十代で、そういった事は知らない咲夜に話すには別の意味で刺激的だろうと、敢えて仕草だけで語っていたが‥‥太巻きを味わいつつ見ていたもう一人が余計な口を挟む。

 

「挿れて広げるだけか、単純な作りね、それ」

「‥‥全く、貴女はもう少しデリカシーを持ったほうがいいわね。それに、その太巻きは完食するまで話してはダメなのよ?」

 

「そうなの?」

「そうなの、無言で食す事で祈りを表すという話らしいわ」

 

 屋敷の主がぶっちゃけると書庫の主がため息をつく、二人の顔を見比べてどういう事なのでしょうと問いかけるメイド。話の流れで気が付けない初い娘だと、窘められても凝りないレミリアが動く。ひらりと肘掛けから飛び立ち、こういう事よと咲夜のスカートに手を伸ばす。

 

「レミィ、やめておきなさい。拒否出来ない相手にすべきではないわ」

「私が私の物に手を出して何か悪いの? ダメだと言うなら止めるか逃げるかしてみせればいいだけよ、そうは思わない? 咲夜?」

 

 夏場仕様の短めなスカートがペラリと捲られると、少し揺れる銀のおさげ。

 それでも無言のままで抵抗はしない。

 相手は自身が仕える主であり吸血鬼だ、今までにもこうやってからかわれているし、今日もそうした内の一つだろう。そう考えるが‥‥今日の主の雰囲気から少しマズイ気もしていた。

 ゆっくりと時間を掛け腿を伝い登ってくる幼女の指、向かってくる先はまだ誰にも触れられていない場所‥‥緑のリボンで結った髪がまた揺れる。それを合図に、そのくらいにしておきなさいと、パチュリーが近くの魔導書をクリスタルに変えていくと、同時に何処からかパチンという音。

 

「従者相手に何をされているのでしょうか、レミリアお嬢様?」

 

 魔女の赤いクリスタル、咲夜の握っている銀時計、それらが力を見せる前に鳴り響いたのはアイギスの指。屋敷の者であれば聞き慣れている指の音、静かな書庫内を通る軽やかな音が当主の腕を穿ち、肘から先を消し飛ばす。

 首に手を回す妹を片手で抱く、いつもの姿で階段を登ってきた羊。普段であればカツカツと足音が鳴らされてその音で気がつけるが、今はヒールも足も修復中で素足のままだ。それが幸いしたのか、咲夜に手を伸ばすレミリアには接近がわからなかった。

 

「どうしようと構いませんが、生娘相手と考えますと少々品性に欠ける行いに思えますね」

「不器用なんだから咲夜が壊れちゃうわ、やめた方がいいよ? お姉様」

 

 僅かな呆れが感じられる声と、ざまあみろという雰囲気を纏う声。両者を知っている相手ならば誰が聞いても作り声だとわかる声色だが、今のレミリアにはそこは関係ないようだ。背中側から掛けられた声に対して振り向かない、振り向けないレミリアが、穿たれ短くなった腕を戻して弁解を述べる。

 

「な、なんの事? 私はちょっとした教育をしていただけで、その‥‥ね、ねぇ、パチェ?」

「私はデリカシーを持つべきだと、やめておけとも伝えたわ。それでもやめなかったのは当主様よ、ねぇ、咲夜?」

「……私は‥‥飼われ、お仕えしている身ですので何も……」

 

 慌てた口調で同意を求める主だったが、話を振った親友も、ようやくそういった用途に使うと気が付いた咲夜にも、首を横に振られてしまう。けれどこれでは折れない吸血鬼、パチュリーには否定されたが咲夜には否定まではされていない。そこを利用し、調子づく。

 

「ほら! 咲夜もこう言ってるわ! 誰がここの主だと‥‥」

「当主であらせられると同時に淑女でもあらねばなりませぬ、だというのに‥‥誘うならベッドで誘われては? 方法も強引にではなく、リードして差し上げるのが年長者の務めではないかと」

 

「で、でも、嫌よ嫌よも好きのうちとか言うでしょ!」

「好き嫌いの判断も出来ぬ相手に使う格言ではございません」

 

 苦しくなり始めたレミリアがそれらしい文言を吐くが、紅魔館の者達よりは長くこちらにいる異国人には通じないらしい。カツカツと足音を鳴らし近寄ると、主の首根っこを押さえ、そのまま引っこ抜く。

 右腕で妹を抱き、左の脇腹には姉を抱える形になると、その右側のお嬢様が残る二人に忘れていた自慢をし始めた。

 

「そうだ! 見て見て! 私が勝ったの!」

「それはアイギス様の、妹様が取得されたのですね。おめでとうございます」

 

 緑一色に白抜き文字でBと書かれたカード、いつぞやの異変でアイギスが見せ、白玉楼の庭師に預けた物と同じ物が今フランドールの手の中にある。身形に似合った声色で咲夜とパチュリーに自慢する先の勝者だったが‥‥一通り自慢してから咲夜に手招きをしてみせた。

 呼ばれると左側の主、捕まり喚くレミリアを気にしつつ、カードから妹の顔へ視線を移す従者。目と目が合うとその間にスペルカードを割り入れた。

 

「それ、咲夜にあげる!」

「私に? 初勝利の記念品なのでは?」

 

「私はまた勝つからいいの! これで巫女にも勝てるよ!」

「霊夢をそう見てはおりませんが‥‥」

 

 声に続いては雰囲気までも姿に合うものにしたフランドール、アイギスの腕から身を乗り出して、遠慮する咲夜のエプロンに向かって手を伸ばす。その動きに合わせてアイギスが身体を傾けると、咲夜の顔にアイギスの顔が近づいた。

 フランドールがカードを押し付ける間の僅かな時間だったが、頬が触れるか振れないかという距離まで近寄った時、咲夜にだけ聞こえるように囁いた。

 

「別件でも優しく手解き致します故、どうぞ、ご贔屓に」

 

 甘く優しい声で囁くと、またも揺れる咲夜のおさげ。ピクッと揺れアイギスの首筋を薄く撫でるが、(くすぐ)ったさとは別の意味合いでクスリと笑って、すぐに離れる堕とす者。伝えた売り文句の返事は聞かず、姉妹を抱えたままで地下への階段を戻っていった。

 これからリベンジかとはしゃぐ妹、下でお叱りが待っていると察して、うーと嘆く姉、二人と共に一歩ずつ下がり消えていく羊、その頭を眺めるメイド。

 

「やめておきなさい、小悪魔みたいになるわよ」

「さすがにそう考えては……私が見ていたのは別ですわ、味の感想を聞きそびれてしまったと思いまして」

 

「あぁ、そういえばそうね‥‥納豆巻が気に入ったみたいよ」

 

 どうやら聞こえていたらしい魔女、咲夜の視線を追いかけながら忠告を述べるが、咲夜からの返答を受けて当初の思惑を思い出していた。強大な力を有していながらやたらと弱点の多い友人、流水や日光に弱いと伝わる吸血鬼‥‥という割に風呂も平気で日傘があれば日中も動ける者達。

 弱点というには少し雑なあり方に疑問を覚え、どれがわざと流された弱点でどれが隠したい、カモフラージュしたい弱点なのかと探る意味合いもあったようだ。倒すとか、屋敷を乗っ取るだとか、そういった意味合いからの調査ではなく、あくまで友人の弱点をカバーしてあげようという考えで探り始めたパチュリーだったのだが、連れ去られていく友を見て、一番の弱点対策が出来ないし、考えても無駄かもしれない。と、唯一完食されていた納豆巻を眺め微笑んだ。


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