東方穿孔羊   作:ほりごたつ

56 / 77
~営業活動に逸る~
第五十三話 茶を楽しむ


 桜が舞う中露雨が降る曖昧な季節、それは曖昧さを好む妖怪が弾幕ごっこで撃墜されると共に過ぎ、流れていった。異変から始まった歪な季節の景色を洗い流すように降るのは、しっとりとした雨。暦の通りに漂うようになった梅雨曇からはほとんど毎日雨が降り、幻想の大地を潤していくようになった。その潤いを浴びスクスクと成長してみせる木々達、葉もすっかりと深緑で、曖昧さは何処にも見られなくなった。花々も木に同じく、茎の色を濃くさせ地に根を伸ばしている、もう直になれば地上の太陽となるだろう花達が綺麗に並ぶ花畑。

 今は見えないお天道様を探し天を仰ぐようになった、いずれ太陽の花となる者達。その花を眺める誰かも、花に習って愛用品を雨に濡らしている。

 

「クドいわ」

 

 雨用ではない日傘を濡らし、会話相手に背を向ける女が話す。視線を愛する花達に向け、回りで開花を待つその向日葵達からも見られている女が、相手を小馬鹿にするような声色で語っている。

 

「以前にも言われましたね、あの時はそれで納得も致しましたが、どうしても?」

 

 話はするが見てくれない花の妖怪、風見幽香に向かって語りかけるのは未だ緑一色な太陽の丘で目立つ色合いの女。今のような姿になる前は花や草を食み、己の糧としていた黒い羊が珍しく乞うような声色で返す。

 

「ダメ、約束したのだから守りなさいな」

「ですから、守るためにこうして春の先にある季節に‥‥」

「ダメよ、我慢なさい」

 

 悪魔として約束を破れない、それを知っている幽香がソレを盾にし再度の断りを述べる。対してどうにかこじつけようと『春先』という、約束した季節をねじ曲げて語るアイギス。

 察しの良い者ならばすぐに分かるだろう、アイギスの来訪理由。春雪異変の最中に幽香の自宅を訪れてその際に取り交わした約束、楽しく好ましい恒例のじゃれ合いをしようと、意気揚々と訪れたようだ‥‥が、幽香にまるで相手にされない状態が半刻ほど続いていた。

 

「ですが‥‥」

「来るのが遅いのよ、春になった瞬間に来ればよかったのに、もう梅雨時期よ。約束していた春は過ぎてしまったわ」

 

 自分でも暴論で屁理屈にもならない、それを理解しているアイギスの声が段々と小さくなると、その声を散らすように断り続ける理由が語られる。

 全て言い切ると一度傘を回して雨露を飛ばす幽香、ピッと飛んだ雫が回りの向日葵にかかった。

 

「もう一度だけ言ってあげるわ、クドいのはダメ‥‥理解した?」 

「むぅ……理解致しました」

 

 静かな、闘争の気配などまるでない幽香、寧ろ真逆で平和を好むような優しい笑みでいる彼女。3度までという仏でもない、寧ろその対極にいそうな花の大妖怪。見たくない、存在してほしくない、人間達からそう恐れられてこの地に来た幽香が述べるには随分と穏やかな言い方で、なんともちぐはぐに思えるが、今の彼女は穏やかであった。

 それもそのはず、もう直自分が待ち望む季節が来るのだ。花の全てを愛する妖怪が最も好んでいる花、それが向日葵であり、それがこの地でもう直に花開こうとしている季節となるのだ。アイギスとじゃれ合い血腥くなる事も好ましいが、それ以上に好ましい者達がもうすぐ太陽のような笑顔を見せる。それを待つだけで今の幽香は幸せだった。

 

「そうね‥‥次はこの子達が咲き誇った後の季節ね、その頃に会えれば遊んであげるわ」

 

 今まで羊に見せていた背を花達に向け、くるりと回る花。

 緩やかに回ると日傘の雫とともに華々しい香りを辺り一面に振り撒く。その香りも顔に似通った穏やかな香りで、普段の彼女を知らない男が今の彼女を見たとすれば、片膝を付いてダンスに誘ってもおかしくはない様相であった。

 向日葵よりも先に笑顔の花を開かせた幽香、それを目にしたアイギスも同じように笑む。

 

「それは、幽香からのお誘いと、約束だと考えても?」

 

 花開かせる相手に微笑みかけ、問いかけるアイギス。

 今のような、期日がしっかりとした、約束に近い言葉を幽香から言われるのは初めての事であり、アイギスからではなく幽香からそういった話を約束として貰えるのが非常に嬉しいらしい。

 彼女から仕込まれた土いじり、花壇の世話や庭木の手入れなどもそれなりに楽しく思っていたが、幽香と時を共にするならばやはり争い事が一番だという思いを、その表情で表している。

 

「しつこいけれど、そのしつこさも好ましい部分なのよね。難儀だわ」

「そこを好ましいと言ってくれるのは幽香くらいですね、ヤマメや星熊様もしつこいと、本来の意味合いで仰ってくれる事ばかりですので」

 

「ヤマメって‥‥あぁ、あの土蜘蛛。そうよね、今は地底に引っ込んでいるのだし、面識くらいはあって当然ね」

「ヤマメも幽香の事を知っておりましたね、彼女とも私と同じような事を?」

 

 土蜘蛛と初めて会った日の会話を思い、あの時に幽香を例えに『えらいの』などと言われたなと、差す傘の取手部分で揺れる羊の編みぐるみを見ながら思い出す。

 頭を抱え何やら悲しそうな顔の羊、これも店の看板と同じくヤマメと地霊殿に住む妹から送られたものらしい、ヘアースタイルを変える前までは湿気で広がりでかくなっていたアイギスの頭、それを真似て妹がヤマメの糸で編んだらしい。

 

「偶に変な物を持っているわね、それとか、夏場の格好みたいな物だとか。今の髪型と違って似合いとは言えないわよ?」

 

 質問には答えない花、今この場にいる相手の事だけを語る、あの土蜘蛛とも同じような事はしていたけれど、今視界に入っていない者の事はどうとも思わないらしい。

 代わりに語るのはアイギスとの出会いの事。初めて出会った時には今のようなスーツ姿、そのすぐ後に争った際にも同じ格好で、シュッとした姿にデカイ頭と同じくデカイ角というのが幽香の第一印象だったようだが、夏場に不意に訪れて庭いじりをしているアイギスを見た時は思わず笑っていた。角が邪魔でそのままでは被れず、左右の形を変形させて被っていた麦わら帽子に白いタンクトップ、下には膝丈に切ったもんぺのハーフパンツという、何処か農婦に近い格好のアイギスを見れば笑いたくなるのもわからなくもない。

 

「どこか変でしょうか? 私は良く見ているなとしか思いませんが?」

 

 そんな姿を思い出し頬を緩める幽香に変でもないと、前下りに切りそろえられたボブカットの一番長い部分、頬を隠すように内に入るサイドヘアーを撫でつつ反論する。

 姿形やその時の心情などを間違いないままに形にした編みぐるみ、そういった勘違い要素のないものは、見た目は兎も角としてアイギスにとって好ましいモノである。看板も編みぐるみも、文句も言わず受け取り感謝した姿をもし幽香に見られていたら、また笑われていただろう。

 

「本人がいいなら何も言わないけれど、それで、この後の予定は?」

「特にありません、幽香にも振られてしまいましたし、未定ですね」

 

 にも、の部分で小さく傘を揺らした花。

 また私以外を見ていたのかと、瞳が少し怖くなるが、すぐにどうでも良くなっていた。私も向日葵を見ていたし、今時期ならそれもいいかと機嫌を傾けず、代わりに日傘を傾ける。ツゥっと雫が流れると、止まった会話も流れていく。

 

「暇って事ね、それなら‥‥そうね、今は気分もいいから私の代わりを紹介してあげるわ」

「代わり? 幽香の代わりと申しますと‥‥そういった相手をご紹介頂ける、そのように捉えて宜しいのですね?」

 

「さぁ? 付き合ってくれるかは知らないわ。でも、付き合ってくれたら楽しいかもしれないわね、あれもそれなりに力のある者だから」

「それはそれは、期待できそうなお話ですね、その方はどちらに?」

 

「そう逸らないの、焦らなくとも逃げはしないわ。偶に来たのだからお茶でもして話しましょう、今日は冷める前に味わって貰えそうで、振る舞い甲斐があるわ」

 

 アイギスからの問いかけを聞き流すと、花の香りがするりと流れる。

 周囲の花達もその動きに合わせて、首をユルユルと横に向けていく。向日葵達の動きが落ち着くと、そこに開いたゆらぎの中へ消えていく二人。少ししてから聞こえる声。夢と現の境にある幽香の屋敷の中で静かに語らう声、その声を開花を待つ向日葵が雨音と共に聞いていた。

 

~少女歓談中~

 

 花と羊が出会ったというのに語らいだけで済んだ、そんな少ない安寧の日から丸一日過ぎた今日。アイギスの姿は再度地上で見られていた、歩く場所は着こむスーツやそれを纏う肌が溶けこんでしまいそうな暗がり。彼女が復活する際に見られる黒い瘴気、それに近い空気を漂わせる場所を歩いていた。サクサクと、高いヒールに偶に刺さる枯れ葉を気にせずに歩く黒羊。暗がりでうっすらと光って見える赤黒い瞳には少しの期待が見られる、表情も穏やかに笑むいつもの顔で、何かに期待をしながら進んでいるのが見て取れた。

 背の高い木々が日光も、雨も遮ってくれるおかげで梅雨の雨降りだというのに傘も刺さずに歩ける場所。ここに入るまで差していた傘は水気を切って閉じられている、傘の取手に下がる羊が数回揺れ、振り子の動きを見せた後、その軌道が落ち着くか落ち着かないかという頃に、一度立ち止まる悪魔な羊。

 

「悪くない場所ですね、森林浴するのに好ましい空気です」

 

 立ち止まり、見えない空を拝む。そのまま目を瞑り、両手を伸ばして深く呼吸をしている悪魔。

 回りの木々の根本に生える茸群が時偶放つモノ、ただの人間が吸い込めば良くてむせ返り普通で昏睡、悪ければそのまま永遠に眠れそうな成分を持つ瘴気を体の隅々へと吸い込んでいく。2度、3度と深呼吸を済ませ両手も伸ばしていると、高い位置に来た編みぐるみの視線の先に、今日の来訪先が見えた。

 ポツリと一軒だけ立つ小さな家、ここ魔法の森の木々よりもほんの少しだけ高い円形の建屋と、それと並んで建つ、何処か西洋文化の雰囲気が見られる白レンガの壁が目立つ建物。その庭先にあるテーブルには大きくて歪んだ帽子を被った人形と、長い耳に三日月型の三連ピアスをした兎の人形、三対のコウモリ羽を背に生やす女の人形が置かれていた。

 

「あそこでしょうか‥‥なるほど、聞いた通りの住まいのようだ」

 

――アイギス好みの空気が満ちる場所、そこに建つ家に変わり者がいるわ。

――その編みぐるみみたいに変な‥‥可愛い人形が卓を囲んでいるのが目印よ、目立つから行けばわかるはずね。

 

 ここを紹介してくれた者はそう言うだけで、それ以上の詳しい場所などは聞けなかったアイギスだったが、実際に建物を目にしてみるとあの説明だけで十分だったなと、小馬鹿にされた編みぐるみを撫でてから頷いていた。

 

「とりあえずはそうですね、いらっしゃるのか伺ってみましょうか」

 

 見つめるだけだったアイギスが数歩進む、するとテーブルについていた人形達の首だけがくるりと回って目を合わせてきた。焦点の合わない、何処から見ても視線が合うような人工的な瞳に見られても彼女は然程気にしない、先日の花畑でも似たような光景を眺めているし、形だけは生き物に近いモノから見られたところで気になることはないようだ。 

 アイギスの動きに合わせ動くソレを眺めつつ正面玄関に立つ、誂えられているドアノックを優しく摘んで4度鳴らすと、建物内で何かの動く音がした。ガチャリと音が立つと薄く開かれる扉、そこから顔を出したのは、またしても人形だった。

 

「ここの主殿、ではないですね。独りでに動く人形とは……ポルターガイストでしょうか?」

 

 話かけてもドアノブに両手をかけている小さな人形から返事はない、金色の絹糸を()り編んだような、しなやかさの見られる金髪を揺らし見上げているだけだ。問掛けに返事がない事でポルターガイストのような相手ではないとわかり、それではここの主はと、物言わぬ相手に少し傾いで態度で問うていた。

 

「そうやって待っていても返答はないわよ、アイギパーン‥‥いえ、弄ぶ墓守とでも呼ぶべき?」

 

 人形の体の分だけ開いているスキマ、その奥から冷たい声色が聞こえる。

 そうしてその声色、ではなく言ってきた内容に引っかかったアイギスがその声の主らしい相手を思うと、人形と瓜二つの髪を持つ少女が扉を更に開いた。声色に似合う冷たい蒼の、袖のないワンピースを着た、人形を美しく成長させたような少女がアイギスの視界に映る。

 

「後半は覚えがないのでわかりませんが、その名で呼ばれるのも懐かしいですね、魔女殿に呼ばれて以来でしょうか? 私を呼ぶのならアイギスとお呼びくださいまし、死の少女殿」

「私をそう呼ぶのも昔を知る連中だけよ、貴女とは初顔合わせのはずよね」

 

 誰から聞いてきたのか? そういった疑問を含んだ言葉尻で語る少女だったが、聞かずとも誰からの入れ知恵なのかわかっていた。幻想郷で彼女の事を『死の少女』と呼ぶの者は少ない。過去ストーキングされ、魔法を教えるまでしつこく付きまとってきた花の女か、今はどこにいるのかわからない幽霊くらいしかいなかった。

 その内の前者、彼女が何をどう断っても、どう逃げても離れなかった花の香、嗅ぎ飽きる程に知っているその匂いが、今目の前にいる悪魔からも漂ってきていて‥‥こいつからもきっと逃げ切れないのだろうと早々に諦めた少女が指を動かす。ドアノブに掛かる人形に向かってしなやかな指先を向けると、その蒼い瞳に魔力が灯る。一瞬だけ行使した力の影響なのか、同じく一瞬だけ瞳の色が緩くウェーブがかる髪に近い色合いになる。

 

「仰りようと御力から魔法使いとお見受け致します、レディ?」

「今は人形遣いを名乗っているわ、アリスよ。アリス・マーガトロイド。呼び方は好きにして」

 

 門口で互いの紹介を済ませる二人。

 呼ばれ方と一瞬見たアリスの力から種族魔法使いだと断定し言い切ったアイギス、それに対して否定しない形で肯定してみせたアリス・マーガトロイドという人形遣い。両者がそれぞれに話を終えると家の中へと戻っていくアリス、テーブルと揃いの白い椅子に腰を降ろし、アイギスと視線を合わせた。

 

「招かないと入れない? そんな種族ではなかったと記憶しているけど?」

「御名前の通りで好ましい御方のようですね、突然の来訪にも関わらず迎え入れて頂けるとは。その御厚意に感謝致します、人形遣い殿」

 

 名も姓も聞いていながら二つ名でアリスを呼ぶ、普段であれば姓で相手を呼ぶことが多いアイギスには珍しいが、彼女が生まれた地の近隣国ではマーガトロイドは姓というよりも立場という物に近い為、そちらでは呼ばない事にしたようだ。

 マーガトロイド、郷紳(きょうしん)というそれは、話に出た種族である吸血鬼の姉妹が生まれた頃に使われていた地主の総称だ。言うなれば男爵や公爵といった貴族階級の下に属するモノで、アイギスが姓と認識し呼ぶには少し違和感のあるモノであった。急な来訪でも迎え入れてくれた種族魔法使い、外の世界でしか知られていなかった自分の呼び名を知る相手を、上流階級に位置するとはいっても下級な部類で呼ぶのは気が引けるらしい。

 人形遣いと呼びかけて粛々と頭を垂れるアイギス、頭を上げ住まいに入る前に上着を脱ぐと玄関脇に備えられた、白いケープの掛かるコートハンガーに掛け中へと入った。

 

「立っていないでかけたら? お茶ぐらい出すわよ」

 

 アリスがわざとらしく指を鳴らし、隣に浮かぶ人形とは別の人形を動かす。邸内のそこかしこに置いてある人形の数体がそれを合図に行動を開始した、音無く動く人形たちがカチャカチャと陶器らしい音を鳴らし歓待の準備に動く。その音を聞きながら客が主の正面に座ると、磨かれた食器類が配膳され始めた。

 

「そう鳴らしていただかなくとも、私を知っているというのは察する事が出来ましたので」

 

 話しながら指を鳴らす黒羊。紅茶を注いでくれる人形に指を向けてパチンと、乾いた指の音を鳴らしてみせると、指の先にいた人形がアイギスの顔を見上げた。音が響いても穿たれる事がなかった人形が操る者に代わって見上げると、少し微笑む羊の悪魔。

 

「何か気に触った? そうしてくれなくとも、話してくれれば理解出来るわ」

「貴女様がそうなさって下さったので、私もソレを見習っただけですよ、他意はございません」

 

 再度弾かれるアイギスの指。今度はアリス本人に向けて指の先が向けられている。隣に浮かぶ人形、他のモノ達よりも二回りほど大きくて丁寧な仕事が見える人形が二人の間を遮るように動くが、気にせずに鳴らされる羊の指先。それでも何も起こりはしない‥‥が、アリスの内心では何か起こっていたようだ。その表情を見逃さなかった悪魔の瞳、種族として持ち得る悪戯好きな心がその部分を軽く突く。

 

「暖かな視線を感じますが、何か思うところでも?」

「知識としては知っていても、実態を知る事が出来なかった相手と話せているの、さっきのは聞くだけだった相手を実際に見られた興奮から出てしまった、それくらいに思ってほしいわね。粗相をしたと言うのなら謝るわ」

 

 淡々とした口調で謝罪を述べる人形遣いに動揺などは見られない、言葉だけの謝罪と聞こえるかもしれないが決して言葉だけではない。今の流れでアイギスが能力を行使していればアリスは人形と一緒に穿たれ消えていただろう、知識として知る悪魔ならばそう出来るという事を、かつて人間だった彼女は知っていた。

 伝承の中の存在としてアイギスを知るアリス。彼女が幻想郷に来る前にいた世界、外の世界とはまた別の世界で人間として暮らしていた頃に、魔法使いとしての力を教え導いてくれた育ての母のような存在から、別の世界にはこんなのがいて、関わると手間だからと聞かされていたようだ。

 どのように手間なのか、問掛けても教えてくれなかった師匠兼母、いつも微笑むだけの母が語りながら自身の頬や腕を擦って苦笑する姿は、幼い彼女の記憶に強く残っていた。

 

「粗相など何もございません。それに、先ほどのように私の手段を知っていると見せて下さらなくとも、今は何も致しませんよ?」

「それは上着を脱いでいるから、そんな認識でいい?」

 

 アイギスの言った事は質問ではなかったが、話したことに対する答え、のようなモノを話してくるアリス。仕事中、というか荒事に向かう際は身形を整えてから動いていた血溜まり好きの悪魔。アイギスとしてはその方がなんとなくやる気が出るからそうしていただけで、脱いでいるから襲わないという事はない‥‥なかったのだが、アリスが知るものではそういった事となっているらしい。在り方が何か別の形で伝わっている、が、強ち間違いでもないなと、頭が傾く黒羊。

 アリスからの返答を聞いて数秒経った後、脱いだ上着を横目にしている悪魔が語る。

 

「当たらずとも遠からず、といったところでしょうか」

 

 笑む悪魔が答えを語る、けれど人形遣いは腑に落ちないといった表情。紅魔のメイドとなった人間と出会い、民間伝承と言われた時にも感じたことを再度考える、語り話として残る悪魔。

 私はどのように語られるようになったのか?

 また勘違いされているのか、それならば少しは訂正しなければ‥‥そうなれば上着を着なければならないのだろうかと、色々と思案するような表情を見せる。

 

「曖昧ね。でも、その口ぶりからすると聞いている話とは違う部分もある、という事か」

 

 注がれた紅茶を楽しみつつ語る二人、その内の招いた者、真顔でアイギスを見つめるアリスがポツリと発した独り言。今まで記憶していた事に対して今の返答を宛てがい、同時に先ほど鳴らされた指の事を考えている。聞かされていたモノとは違う部分がある、聞いていたよりも、そう、会話の出来る相手だと言うのが新たに得られた悪魔の知識らしい。蒼の瞳に真剣さを込めて思いに耽る姿、それを眺め、視線を重ねていた黒羊が思わず笑んだ。

 

「何故微笑んだの?」

「知っている内容と、新たに知り得た情報を摺り合わせる御姿が好ましいものでしたので、つい」

 

 互いに一言ずつ話すと、二人共再度紅茶を含む。

 また間違った認識をされているのなら修正を、そう考えていたアイギスであったが、何も言わずとも自身で思考し修正していく者、知識を貪る種族に対して、少し様子見をする事とした。

 熱心な研究にでも当たるような目つきで羊を見る人形遣い、その熱視線に向かい研究対象が問いかける。

 

「人形遣い殿」

「なに?」

 

「答え合わせが終わりましたら結論を教えて戴けませんか?」

 

 カップを手放し、両手の指を組み問いかける。

 既に知られている穿つ能力、ソレを用いて力業で聞き出す。そうする事は楽に出来るが、そういった事はしないと指を組んでみせるアイギスだが、触れるだけでもその力は発現できる。その部分が伝承として残りアリスが知っていればなんの意味もない仕草となるが、どうやらそちらは伝わっていないらしい。

 見ていた顔から組まれた手に視線を落とし、問いに返事をしてみせた。

 

「断る、と言いたいけど条件次第ね」

 

 同じく指を組み返す、これにも対して意味は無いように見える。ただなんとなく組んだだけ、アイギスが組み、それを見ていたからそうしただけの事だったが‥‥この仕草が、形だけは対等に話そう、そういったモノとしてこの場では映った。

 悪くない交渉相手、アリスをそう捉えた黒羊が一つ咳払いをして返す。

 

「条件とは? 飲めるものでしたらお応え致しますが、どういったモノになるのでしょうか?」

 

 興味本位の、唯の世間話であったモノが思いがけない形で楽しい交渉事となった。そう捉えた地獄の商売人が仕事に当たるような、瀟洒な姿勢でアリスに述べる。

 悪戯心の混ざっていた声から冷静な声色へと雰囲気まで変える、テーブルに肘をつき少し前かがみだった姿勢も真っ直ぐな見慣れた姿にしていくと、顧客予定が視線を上げながらその条件を口にした。

 

「そうね、簡単な事なんだけど、今日の来訪理由が聞きたいのよ。聞きそびれていたし、内容如何によっては話さない方がいいと判断できるかもしれないし」

「仰る通り、簡単な事にございますよ。出自がこの国ではない方がいると聞きましたので、お会いして少し親睦でも。と、考えただけにございます」

 

 話だけを聞いていた相手、それと出会い少しの興味を覚えていたアリス。母が語っていた相手はもっと悪魔らしい、傲慢で残虐な、狂気に染まる者というイメージがあった‥‥けれど今の相手は会話だけで済まそうとしてくれている、であれば自分も会話から判断しよう、そういった心算で条件を提示した。

 因みにアリスの母が語ったのは体験談である。アイギスがまだ若く今よりもやんちゃではっちゃけていた頃、自身の出自を探し正しく彷徨っていた頃に出会っていたようだ、顔を合わせどうなったかはアリスがイメージしていた通りで、娘にアレとは関わるなと言われるような出会いだった。

 

「その言葉に偽りないと、約束してもらえる?」

「お約束致しましょう、して、私の問いへの返答は?」

 

 アリスの問掛けに言い切る悪魔。普段の淑やかさがみられない笑み、ニィっとした気味の悪い笑顔で返事を述べた。その笑みを見たアリスが一瞬止まる。

 

「羊という割に、店主ではなく猫みたいね」

「私は羊で店主ですよ、猫はまた別の方がいらっしゃいますね」

 

「今のは独り言、気にしないでくれる? 返答はまた後日、考えを纏めてから伝えるわ」

 

 小さな呟きを拾われるが言い返し、そのまま席を立つアリス。奥の部屋へと消えていくと、何か水音と缶を開けるような音を立て始めた。その姿を追わず、座ったまま音だけを聞いている黒羊が冷めた紅茶を口に含む。

 カップに残る少しの琥珀色には先ほどの顔が映り込んだ。

 顧客の帰りを待ちつつ、水面に映る自分と、答えの決まった自問自答をする。

 争い事を求めて訪れたというのに、今のような約束をして問題はないのか?

 親睦方法の指定まではされていない。

 私の好む触れ合い方は禁じられていない。

 だから、大丈夫。

 今後争うことになったとしても約束を破った事にはならない。

 と、己の中で言葉を正当化し、含んだ紅茶とともにそれを腹に収めた羊の悪魔。

 気になっていた事も聞ける、そうしてじゃれ合えそうな相手も出来た、これは非常に喜ばしい、そのような歪んだ得心を行かせるといつもの瀟洒な顔に戻った。

 内心で考える事とは真逆の顔でアリスの帰りを待つアイギス。後日どんな話が聞けるのかと、浮かぶ人形に顔を合わせながら、冷めて渋みやエグみが強くなっている紅茶を飲んだ。人形ではなく主が淹れてくれるだろうおかわり、それに期待しカップを空けた。




異変も終わってほのぼのしつつ、新たな出会いもそこそこに

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。