東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第五十二話 隠者舞う月夜

 長く続く冬、というよりは、春が奪われていたというのが正しいか。

 生命の息吹萌ゆる春が死んだ者達の住まう世界に集められた異変から十日ほど過ぎた今、幻想郷の何処を見回しても春らしい景色が見られるようになっていた。どこもかしこも白一色で、冬妖怪が元気すぎて疲れると愚痴った風景は解け消えて、代わりに幻想郷の空に見られるのは舞い散る春色の吹雪。これに乗るのは当然春らしい桜の匂いだけで、黄泉路へと誘うような妖しさはない。

 そんな舞い飛ぶ花を付けない種類の木々も、枝の先には若々しい新芽を芽吹かせて生命力を見た目から教えている。濃い緑色になり始めた葉の群れなどにも小さな虫がたかるようになった季節。時折降り出す(にわ)か雨は春らしい紅雨というよりも次の季節に翠雨に感じられてしまうが、暦の上ではそんな走り梅雨が降る月日を迎えているのだ、ある程度は致し方ないのだろう。

 

 不安定な天気模様の幻想郷。

 それは地底の世界でも同じであった。

 たまに地を濡らす驟雨(しゅうう)のせいで桜は既に葉ばかりとなっている地底世界、見られる景色も花を愛でる賑やかよりも、いずれ落ち枯れる葉のようにしんと静まる雨上がりである。普段は騒がしい旧地獄街道も雨では客の入りが悪く、店は開いていても客引きは通りにいない。呼び込む客がいないのだからそれで当然で、開けているのは天気に関わらず訪れる馴染みの客が来るからだろう。客足のない地底の繁華街、そんな閑古鳥を飼い始めたメイン通りの店に同じく、開店休業している店が裏通りにもあった。判じ絵の看板が濡れないように、表に立て掛ける形から、(とも)る行灯とともに軒先に吊るし、下げるようになった看板を見て、湯気立つお茶を啜る女がいる。

 名の通りの色みのドレス、その裾を僅かに濡らした者が、湯のみを少しだけ傾けて口に含む。暖かな茶が喉を過ぎるとふぅと視線を上げて、ちらりと見える羊の看板を見ている。

 

「今日は静かですね、珍しい日もあるものだ」

 

 土間と座敷の上がり口、段差部分にはしる上がり(かまち)に腰を下ろし店先を眺む紫に、景色に似合う少し冷えた声をかけるここの店主。紫が持参した新茶とは別の、黒みが強く、華やかに香る酒を背の低いグラスに注いで少しずつ口に含むアイギス。

 

「寝起きなのよ、少し呆けているの」

 

 紫の背後でカロンと鳴る、グラスに入る小さな氷が動いて澄んだ音がした。

 まったりとした空気が流れる店内。異変を終えたばかりの今。もう少し張り詰めた雰囲気があっても良さそうに思えるが、紫からすれば友人に何事も無く終わった事に安堵する時間であり、一方のアイギスからすれば仕事の中休みという時間である。今のように降ったり止んだりしている雨音を肴に、それぞれが何もしない事を味わっていた。

 

「寝ぼけている者ははっきりと返答致しませんね」

 

 アイギスがダークラムのグラスを傾け、はっきりと言い切る。

 態度も雰囲気も普段使いの静かなものだが、その言葉だけはっきりと、紫に少し言いたい事がある、聞き取り方に寄っては機嫌を損ねるような事を先の声色で述べている。紫が店を訪れてからずっとこんな事を言っている店主、数日前には自分から鬼に殴りかかり、派手な喧嘩をし始めたというのに、今日は打って変わって口だけで文句を言っていた。

 

「機嫌を治してと依頼すれば、普段通りになってくれるのかしら?」

「そのお仕事を私が受けると?」

 

「受けてくれない?」

 

 敢えてアイギスの顔を見ない紫、畳の目を白い指先で数えながら、受けてくれないかと少し幼気な声を作って身を捩る。共通の友人が消えるかもしれない、そう語った時の鬼気迫るような雰囲気は全くない姿でアイギスに願う。

 紫がかる金の瞳、それをあざとい上目遣いにして見つめているがアイギスは一切反応しない。無言の時間がしばし流れる、僅かに汗を掻くグラスの中に薄いグラデーションが出来上がった頃、沈黙となった店内に代わり、羊の見ている窓の外がポツポツと鳴り始める。

 

「また降り始めましたね」

 

 アイギスの声色が若干穏やかなモノになる。

 ポツリと言うと立ち上がり、そのまま奥へと消えていった。数秒過ぎるとカランと鳴って、空いたらしいグラスに数杯目を注いで戻ってくる。少し前の春雪異変時に切り出しておいた天然氷、飲み仲間の皆と共同して用意したソレを鳴らし、グラスを傾けながら戻ってきたほろ酔い悪魔が、未だ上目遣いを続けている誰かの横に腰掛けた。

 

「さて、今日の来訪は何用でしょうか?」

「やっと話をしてくれるのね、機嫌を直してもらえたのかしら?」

 

 真っ直ぐに伸びたアイギスの背筋が紫の視界に入る。

 傾いたりせず隣に並んだ事で機嫌も真っ直ぐに戻ったのか、ソレを聞いてみる紫だったが‥‥

 

「今だけです。通り雨の中追い返すのは気が引けますので、過ぎるまではお客様扱いでもしてみようかと思ったのですよ」

「そう、なら ()らずの雨が降り止む前に話してしまいましょう。まずはそうね、伝言から」

 

 ただの通り雨、時期に降り止む。それがわかっているから短時間だけ付き合ってあげる、そのつもりだった悪魔とは別に、遣らずの雨などと宛てがって自分の立場を少しでも良くしておこうと笑う紫。これから話すモノで下手を打てばまた機嫌が傾く、その為に先んじて保険を打った。

 

「言伝など、どなたから‥‥」

「済まなかった」

 

 誰から何に対しての謝罪か、思い当たる節のないアイギスが、視線を紫からグラスの縁へと移す。それを横から見上げる紫が悪戯に笑う、幼さも我儘さも見られるような作った高い声が小さく漏れると、真似た声色のまま伝言の続きを話す。

 

「が、気に入らないのはてめぇだけじゃない、私も同じだ、木偶の坊!……ですってよ」

 

 紫の口からてめぇなど出ると思わず、アイギスが静かに傾けていたグラスの動きが静止する。溶けた氷が涼しい音を立てると、普段使いの声と顔になり、形の違う悪戯心が含まれた笑みへと変わった。

 

「ご自分で仰れば宜しいのに」

 

 鬼は嘘を嫌う、勇儀と親交のあるアイギスもそれは理解している、だからこそ謝罪に対して何かを言うつもりはなかった。だが、誰の口から伝えるのかでも意味合いが変わるのが言葉だろう、紫ではなく本人から言ってきてくれれば自分も頭を下げたかもしれないのに。そんな事を考え、肌の色に近い酒を口に含む。

 

「そうね。でも顔を合わせるのが気恥ずかしい、それくらいには悪いと思っているのよ、きっと」 

 

 アイギスからの言い分としては然程間違っていないが、紫にも伝言を引き受けた理由があるにはあった。春を預かっていて欲しい、そのかわりある程度のことには目を瞑る、そんな約束をあの鬼としていたようだ。その口約束には異変を起こしても黙認するし、やり方も度を超えなければ好きに任せるという意味合いも含まれていた。

 終わらない冬の最中に萃香が起こした、続く酒宴という異変。内容自体も可愛いものだし起こす事自体は構わないが、ここに少しだけ紫の誤算があった。異変は妖かしが起こし、人間が解決するものだ、だというのに萃香は地底の連中だけに向けて異変を起こした。

 その部分について、ある程度のルールは守ってくれ、異変を起こすのであれば妖怪だけに向けた物ではなく人間に対しても起こしてくれと、紫が少し諭した結果が萃香の謝罪に繋がるらしい。傲慢な鬼が謝罪など似つかわしくないが、曲がったことが大嫌いという習性から見れば案外似合うのかもしれない。

 

「あの方の言い分はそれとして、誰が悪いと感じているのか、そこには言及しないでおきましょう。今はお客様ですし」

 

 空けたグラスを両手で握り、紫は見ずにグラスの底を見つめる黒羊。

 全ては読みきれないが、藍を寄越さず紫自身が赴いて語った事からなんとなく察したようだ。悪いと思いながら顔を出さない、伝言で済ますというのも、個体差はあれど真っ直ぐなあの種族らしくないと見知っている。ならば伝言を言い出したのは紫から、そしてあの鬼の言葉に重ねて言いたい事でもあるのだろう。そう邪推していた。

 

「優しい店主さんね、それじゃあ優しいうちにご機嫌伺いもしておきましょうか」

 

 先の流れからすればアイギスの我慢と八つ当たりの原因を作ったのは紫。彼女も萃香や幽々子、アイギスに対してほんの少しだけ申し訳なかったという気持ちがあった。

 全てを語らずとも頼める、期待に答えてくれる友人達、心を許せる親しい者達を利用し、表には出ずに画策してばかりだった者。それが今までの彼女であったが、その友人が手段を間違え、それに憤り、まかり間違えば消えてしまうという状況にまで陥った。これは自身の甘さが招いたと何かやりきれない部分があるようだ。結果的には振り舞わされ、しまいには代理での謝罪までさせられる事になった現状、それも利用し少しでも感謝と謝罪を、と赴いたのが今日である。

 伝言に乗せた謝罪を伝え取り敢えず要件は済ませた。後は雨が上がる前、アイギスの機嫌が傾く前に帰れば、と考えたが‥‥顔に貼り付けた心から別の事を思いついたようだ、紫が微笑んだままにアイギスを誘う。

 

「お詫びではないけれど……デートをしましょう、アイギス。今ならばそうね、桜が見頃だわ。お花見に行きましょう」

 

 誘いながら畳の流れに添わせていた手を伸ばす、そのまま褐色の手を取ると背面にスキマを開いた。紫が倒れスキマに沈む、話ではなかったのか、そう考えながらもしかたがないと諦めたアイギスが身を委ねる。二人の体が瞳蠢く空間に沈みきると、最後に残った二つのリボンが霞んで消えた。

 

~少女移動中~

 

 暖かな空気が流れる空にフォンとわざとらしい音が鳴る。

 音と同時に空が割れると、一人だけそこから姿を見せた。

 一緒にスキマに入ったはずの紫はおらず、無理矢理連れ出されたアイギスだけが幻想郷の夜空に放り出された。何処にポイ捨てされたのかと、周囲を見渡す大きなアモン角が、少しずつ消えていく雲霞から漏れる月明かりに照らされる。

 唐突に連れ出されたのは何故か? と、夜に輝く瞳に映った神社、つい最近酷い見た目にしてくれた相手がいる場所を見ながら、紫の意図が読めずに悩む。

 

「強引に連れ出しておきながら放置するとは、そういった趣味は‥‥する側であればわからなくもないのですが」

 

 ブツクサと文句を言うと視界に留まる青白。

 つい最近訪れた地ならいても当然だが、何故これがここにいるのか?

 手を伸ばせば触れる距離で漂う霊体を見ていると、下の方から声がした。

 

「アイギス? ひょんなところから現れてどうしたの?」

 

 ゆったりとした姿に似合う声、天冠を春風に揺らして見上げる少女がアイギスに声を掛けた。亡霊だというのに神社の縁側で寛ぐ少女、その隣に降りていく。

 

「また妙なところでお会いしますね、西行寺様。顕界に降りていらして大丈夫なのですか?」

 

 返答しながら軽く頷く、連れ出したのはこの方の相手をしろ、正確に述べれば様子を見てくれという事かと理解した。それなら一言伝えて欲しい、そうも思うがすぐに思い直したアイギス。こちらは雨模様ではないし、客でないならこれ以上考えてあげないと、地底での会話を思い出していた。

 

「隔てていた結界も壊れてしまったし、きっと大丈夫よ。久しぶりね、妹ちゃんの勝負以来?」

 

 久しぶりという言葉に黒羊の大きな角が傾く、つい先日顔を合わせたばかりというに、フランドールの弾幕ごっこを見た日以来だと話すのは何故なのか?

 悩んでいると幽々子の視線の先から見つめてくる従者がいた、目が合うと美しい礼をして半霊を頭の上に移動させる、そのまま空に向かい昇らせ薄れさせた少女。あっちはあっちで妙な事をすると、半霊の昇る姿を見て、見上げる角度がキツくなっていくアイギスを、幽々子が笑った。

 

「頭が重いんだからあんまり見上げると倒れちゃうわ、眺めるならこっちにおいでなさいな」

 

 重いのは頭ではなく角だ、そういった文句を言いたげな顔の角度が下がる、その顔に向かい幽々子が微笑みかけ少し青みのかかる指先を動かした。座る縁側の隣をトントンと、か細い指二本で叩く。促された場所へアイギスが腰を下ろすと、丁度目の前には九割ピンクに緑が僅かばかりとなり始めた桜の木。少し前に見た墨染の桜よりも当然小さいが、手入れもなく、生やしっぱなしの状態から咲いた花には生命力が感じられた。

 

「わけも分からないまま拉致されましたが、良い風景が見られたのでヨシとしましょう」

「拉致? あぁ、紫に誘拐されたのね、私と同じだわ」

 

 桜を眺める被害者二人の会話、内容も同じ相手のことを話す会話。

 仕える式には結局断られた、誘惑・肉欲なども司る羊の悪魔が、式に振られた位で主に八つ当たりをするのも馬鹿らしいなと笑う。アイギスが景色に似合う顔で微笑むと、隣の亡霊も同じく笑む。人外二人が神社で破顔すると、視線の先がバクンと割れた。

 

「噂をすれば‥‥何をされているのでしょう?」

「今日はサボっていませんわ、キチンと働いていますわって見せてるのよ」

 

 カメラもないのに中継されるのは冥界の夜空、雲もない綺麗な空に浮かぶ紫が閉じた扇を持つ右手を軽く伸ばして、何やら唱えているような映像が見られる。

 彼女が何をしているのか、知る由もなくさして興味もないアイギスの頭が再度傾く。傾き近寄った羊の角を左手で撫でる幽々子は紫が何をしているのか知っているようだ。寝起き早々、と言っても起きてから数日は経っているが、それでも起きてからそれほど経っていない紫が行うのは結界の修復作業。

 

「紫様も働く事があるのですね、てっきり藍様に任せたきりなのかと思っておりました」

「任せっきりよ、普段はね。こっちも私と同じねぇ」

 

「こちらも?」

「そうよ、庭の掃除とか、私も妖夢に任せっきりだもの」

 

 優しい笑い声を漏らす幽々子、話しつつ自身に仕える従者を見る。

 そういえばなにか仕草をしていたな、とアイギスも妖夢を見つめる。頭の上がらない二人に見られ、主には未だ済んでいない庭掃除の事を話されて、立場をなくした妖夢が先ほど示した仕草のようにふわりと浮かぶ。そのままユルユルと飛び進むと小さくなっていった。それを見送った悪魔が、あの時のジェスチャーのようなモノはなんだったのかと、頭を傾けたついでに考える、しばし思案すると、あの動きと少しの会話から何か閃いた。

 

「つかぬことを伺いますが、異変の最中の事、西行寺様は覚えておいでで?」

「ふふ、さっきから同じことばかり聞くのね」

 

 傾いだ頭を戻すと、正中線にストイックさが見えるようになった黒羊。

 姿勢を正すと幽々子の手が角から離れる。あ、と小さく呟く幽々子だったが、それを気にせずに同じ結論に至った相手、隙間の中で誰かと会話をし始めた紫を見つめた。

 

「紫様にも同様の事を問われたのですね?」

「そ、難しい顔をして、覚えていないのね……なんて言っていたわ」

 

 アイギスが考えついた結論を含めて問う、それに対して似合わない、胡散臭そうな悪い顔をして、友人の言い草までも真似て話す亡霊姫。

 長く見てよく知っているからか、アイギスから見ても良く似ているモノマネ。その時の顔はこうだったと胡散臭くも悲しそうな、それでも嬉しいというような色々な感情が混ざった風合いの顔で語る幽々子。記憶は飛んだらしいが、その在り方も、雰囲気も変わらずに戻ってきてくれた親友。そんな相手に見せた読みきれない表情を幽々子が真似て同じ柄の扇を開くと、スキマの中の紫も同じく扇をパンと開いた。

 

「戦闘? 異変は終わりましたのに弾幕ごっこなど誰が‥‥ここの巫女殿ですか」

 

 紫のすぐ横を抜けていった封魔の針、あれを放つのはこの神社の巫女だったな、刺さると地味にクルものがあったな、と一度刺された黒羊が左腿をさすりながら呟く。

 

「他にもいるみたいよ? あの時に来た三人娘が全員で紫を退治するみたい、あいこばかりのジャンケンをしながら飛んでいったわ」

 

 読みは当たり、扇を開いて瞳だけに笑顔を表している幽々子がアイギスに伝える。

 言うと同時に銀のナイフとごん太のレーザーが紫に向かって放たれていった。それを表情一つ変えずに難なく避けて、お返しの弾幕を打ち返す大妖怪。

 

「ご友人が退治されるかもしれないというのに、何やら楽しそうですね」 

 

 当たればそれなりに酷い見た目になる、身に受けた結果からそれは知っているアイギスだったが、破邪の力は感じても所詮遊びの延長での事。あの程度では死ぬこともない、まだ終われないというのもわかった黒羊。

 私が終われないのだからあの胡散臭い友人もきっと終らない、まかり間違っても死ぬような事はない。隣に並ぶ自分よりも付き合いの長い友人もそう視て、戯れを楽しみ眺めているのだろうと、からかい気味に話すアイギス。

 

「楽しいわぁ……だって自業自得だもの、偶には痛い目にあったらいいのよ」

 

 扇を口元から外し、自分の顔でそう語る幽々子。

 紫もそうだが今隣にいるアイギスにもそう思っていた。隙間の中で動いている紫は何も話してくれなかった、アイギスは紫からお願いされて楽しい異変の最中にいた、私だけが除け者だった‥‥いや、記憶が飛んでいる事を問うてきて、それ以上の事は聞いてこない二人からすれば、未だ除け者扱いになっていると感じる。

 そんな風に考えて、からかわれた売り言葉に返す買い言葉に本心も乗せて話す。人間達と争い始めて少したった辺りから記憶が曖昧な幽々子。例えるなら悪い夢の中にでもいたような感覚だけを記憶していた。あれからどうなったのかわからない幽々子が目を覚ました時に妖夢から多少聞けた事、異変で傀儡と化していたらしい自分を止める際にアイギスは既に痛い目にあった、従者からはそう聞いていてアイギスはヨシとするけれど‥‥紫は未だに余裕顔でいる、幽々子はそれが許せずにいた。

 

――いい気味だわ。

 

 異変の最中に詠んだ辞世の句のように、声にはせずに呟く言葉。

 今のような関係、いつからなのか幽々子にはわからないくらい前から仲の良い二人。互いに無二の親友と呼び合える紫と幽々子だが、それ故隠し事は無しでいたい、無しとしてもらいたい、そんな幽々子の思いから出た言葉は、敢えて音にされなかった。何か考えがあって黙っていた、話してほしいが話せないから言ってくれなかった‥‥紫が自分の事を想ってそうしたのも理解しているが、それでも、と考えた辺りで幽々子の心が少し軽くなる。

 何故急に?

 深い思案の海から戻ると目に留まるのは、軽やかに響いたアイギスの指。

 

「何か?」

「なんでもないわ」

 

 隣を流し見てからスキマを眺める亡霊姫。私の方は見ていない、それをちらりと確認すると再度扇で表情を隠す。普段よりも目深に被った帽子と扇のお陰で、本当に目しか見られない姿となる。扇の奥で、聞かれなかったはず、見られなかったはずと安堵した後、アイギスに習い紫だけを見つめた。

 隠したことで少し安心したらしく、儚さはあるが何処かゆったりとした普段の幽々子の姿となると、アイギスの指が軽く鳴る…‥今も、先程もアイギスは能力を行使していない、眺める先で戯れる紫が偶にドレスを焦がされたり、愛用の日傘に穴を空けられていたりするのが小気味よく、紫の動きが大きくなるタイミングで指を弾いていただけだ。

 

「良い絵面ですね」

「そうねぇ、うちも綺麗だけどここの桜も綺麗だわぁ」

 

「そちらではありませんよ」

 

 幽々子が表情を隠した、それくらいの事には気が付いているが、その奥でナニカを言った事まではわかっていない、それでも隠したのだからなにかはあるだろう。そう見る黒羊が眺む先に人差し指を伸ばす。真っ直ぐに差されるモノはスキマの中で戦う誰かさん。三人娘の弾幕に押され始めた誘拐犯と、それをかばって先に撃墜された式達がユルユルと落ちていく絵面。促すと指から楽しそうな音を鳴らし、このまま手酷くやられて見せろと、愉快さを顔に貼り付けた。

 その顔を見た幽々子も同じく笑う、能力は行使せず指を鳴らしただけの穿つ者と似たように微笑む。アイギスが紫に向けてこんな顔をするなんて見たことがないけれど、それでも何か理由があるのだろうな、と穿つ者を穿った見方で思う幽々子。何も言われずに誘拐された仲間の事を考えつつ劣勢になっていく紫を見つめ続けた。暫く眺めた後、地底で寝ぼけているとのたまった妖怪が無様に落ちていく様が見られると、クスリと声を漏らした。良い夢でもみたかのような朗らかな声が聞こえると、隣のアクマも声を漏らした。


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