夜を統べる王者が住まう、いや、住んでいた血のような赤のお屋敷紅魔館。
そのお屋敷の一階。
中央にあるダンスホールの中心で、踊るように槍を振るう小さな次期当主がいた。
幼い体の倍はありそうな朱色の槍を振るっては、真っ黒な、闇夜のような色合いをしたスコップに弾かれて体毎飛ばされている。
雑に捌かれて飛ばされているのがこの屋敷の主になるであろう吸血鬼レミリア・スカーレット。
未だ幼い身でありながら、この屋敷と愛する妹を守るという大役を、乱心し死んでいった父から押し付けらてしまったこのお屋敷の長女である。
そんな吸血鬼の長女が何故吹き飛ばされているのか?
答えを言ってしまえば簡単な事で、屋敷を守るように依頼した相手と手合わせをしては毎回手酷くあしらわれているからであった。
父が死んでから十数年程が過ぎた今、一日置きにお屋敷の盾役に挑んでは毎度床を舐めさせられていた。
額に汗を浮かべて床に這い蹲る次代の主。
そんな吸血鬼を見下ろしているのは、スーツの上着を脱いでベスト姿の女。
黒いスコップを柄の中央で携えて、左手を背に回したままで余裕を浮かばせている。
普段よりも緩められたネクタイをヒラヒラとさせながら、淑女のような笑みを浮かべたままで全力のレミリアをあしらう羊の悪魔。その振り方ではなりませんねと、レミリアの槍捌きに対して苦言を呈し続けているアイギス=シーカー。レミリアが主として成長し一人でも畏怖と成るまでの間、屋敷の盾を務めている長命な悪魔である。
そんなアイギスに手酷くあしらわれては牙を見せて吠えるレミリア。
パカァンという軽快な金属音と共に弾き飛ばされた紅い槍を再度顕現させて、屋敷の壁や床を縦横無尽に奔り飛んで少しずつアイギスへと狙いを定めていく。
身に纏う薄いピンク色のドレスがブレて、一本の斜線と見えるような速度で動くレミリア。
360°を飛び回りながらアイギスの背中側に回り、アイギスの巻角のある角度、視界の外でちょうど死角となる角度から渾身の力を込めて槍を上段から振るうが、アイギスが片手で持っているスコップで軽々と受けられてしまった。
楽々と受けられてしまいレミリアの奇襲は失敗したかのように見えたが、それでも笑みを浮かべる幼い吸血鬼、その笑みはギリギリと押している手応えを感じた事から生じた笑みであった。
レミリアがアイギスの手ほどきを受け始めてから今日まで、互いに獲物を向けて力と力のぶつけ合いになる事などはなかった。
先ほどアイギスが述べた助言の前もそうだったが、挑み始めてから今の今までは何を振るっても一撃で槍を弾き飛ばされて、そのまま地を這い翼を踏まれてばかりだったレミリア。
アイギスが片手しか使っていないとはいえ、私でも少しはせめぎ合えるようになったのかもしれないと感じていた。
笑みを浮かべてアイギスを睨むレミリア。
血を吸うのに適した鋭い歯を見せながら全体重と腕力を以ってアイギスに槍を向け続け、少しの間続けられたつばぜり合いに高揚感と緊張感を覚えていた。
口を開いて吠えながら振るっている槍が、少しだけアイギス側に傾いた事で笑みを強くしたせいか、覚えていた高揚と緊張が高まり乾き始めていた下唇を小さく舐めてしまった。
「笑む余裕などありませんのに、舌舐りまで見せてはよろしくありませんね」
嬉々とした笑みを浮かべるレミリアに対して一言苦言を呈するアイギス。
レミリアの勢いと全体重、全ての膂力を片手で持ったスコップで受けながら小さく窘めてゆっくりと片足を引いてスコップを斜めに傾けた。
固められたスコップの上を耳が痛い金属音をかき鳴らして滑る紅い槍、スコップの足をかける部分まで滑り落とされてそのままアイギスに槍を捻られた。
強く握ったままの槍を離さずに体毎回転させられたレミリア。
手ほどき時には必ず見られる、無様に地に伏せる格好になったレミリアの片翼に向かい勢い良くスコップを突き立てて、チョロチョロと飛べないようにと床に貼り付けにするアイギス。
両手で上半身だけ起こしてアイギスを見上げ歯を食いしばっているレミリアに、今日の手合わせのお終いを態度で告げる容赦の無い黒羊。
「良い勢いと牽制でした、死角から飛び込んで来たのも悪くないかと」
「もう! おっきい角で見えないはずのになんでわかるのよ!」
「仰る通り角の辺りは見えませんが、魔力を垂れ流したままでは死角に入ろうとも無意味ですね」
黒く強い癖のある髪の横、人間であれば耳がある辺りより少し上から生やす大きな巻角を片手で撫でてから、レミリアの翼に突き立てていたスコップを自身の魔力へと戻すアイギス。
そのまま地に伏すレミリアを抱き起こしてパンパンとドレスを払う。
二、三度ほど優しく払い、忘れないうちに今日の復習を致しましょうとレミリアに問いかけるが、手応えを感じたという嬉しそうな吸血鬼の返答を聞いてそれも駄目だと窘め始めた。
「先ほどの俊敏さと迷いのない槍捌きは良い攻めでした」
「でも…」
「でも、ではありません、本日はこれにて終い。この後はいつもの様に、私を討つ為の術を練るのが宜しいかと」
嬉しそうな顔でアイギスを見上げていたレミリアに向かい、次回の手合わせまでに対抗策を講じるように宿題を課すアイギス。
宿題を課せられたレミリアが嬉々としていた顔から答えが欲しいという表情に変わるが、アイギスは甘えを見せず、これ以上言う事はないというようにレミリアの肩を掴み、くるりと体を反転させた。少々強引に回されて口を尖らせたレミリアだったが、反転させられた体を自身で回してアイギスへと再度向き直る。
「また内緒なの? 教えてくれれば早いのに」
「盾役という仕事を受けていなければ少しくらいお教えしてもよろしかったのですが、今のアイギスはレミリア御嬢様の盾なのですよ? 盾の仕事は守る事と存じます」
振り向いてアイギスに歩み寄るレミリア。
アイギスの手の届く距離まで足早に近寄り、巻角を見上げながら何故教えてくれないのかという疑問を投げ掛けている。
それに対して凛とした態度で返答してみせるアイギス。
未だ幼い未来の主が己の力で妹を守れるようになるまでの間、屋敷や吸血鬼の姉妹を守る盾としての役割を依頼として受けた商売人。
仕事として受けた以上それはきっちりとこなすつもりでいるが、それ以外の部分は依頼の範疇外と捉えているようだ。
「そもそも鍛錬は依頼内容に含まれておりません、これは互いに暇を潰す為のアイギスからのサービスなのです。此度の依頼内容はお屋敷も御嬢様方もお守りするというもので、それ以上でも以下でもないのですよ」
先ほどレミリアをあしらっていた時から笑みを変えないアイギス。
問いかけてきたレミリアに依頼の内容とその仕事に対する姿勢を言い切ってから、脱いでいたスーツの上着に袖を通して緩めていたネクタイを締めた。
仕事外の時間は終わり、これからは依頼された仕事をしてくると引き締めた態度でレミリアに伝えて頭を垂れた。レミリアからの返答も待たずに踵を返して、コツコツと床を鳴らしながらダンスホールを後にするアイギス。
もうすぐ朝日が昇り始める頃合い、吸血鬼の時間が終わり人間や他の生物のほとんどが目覚め活動を開始する時間となり始めていた。
コロロと小さくお腹を鳴らしながら紅魔館の入り口近くに置いたソファーに腰掛けるアイギス。
吸血鬼であれば血を食事としてそれで満ちる事も出来たのだが彼女は純粋な悪魔である、眠りにつく屋根は同じだが食事まで吸血鬼とは行かず、最近はアイギスの食料となる者達も訪れなくなってきていた。
アイギスが好んで食すのは畏怖や恐怖といったモノ、モノというよりも感情と言った方が正しいだろうか。先代当主が亡くなられてから数年間は、毎日毎晩と言っていいほど、他の地域を治める吸血鬼連中が刺客を放ち幼い吸血鬼姉妹を狙いに来ていて、その度にアイギスに食料を届けてくれていたのだが…紅魔館を落とすために用意した駒。
その尽くが穿たれて、遺された遺体の一部だけが放った貴族の屋敷に届けられた。
綺麗に中身を繰り抜かれて、中身がなくとも動き出しそうな、剥製以上の素晴らしい出来栄えになっては、放った屋敷に届けられるという異様な事が続いたせいで、十数年経った今は静かになってしまっていた。
「レミリア御嬢様に聞かれずに済んだのは良いのですが…さすがに
スーツ越しに自身の腹を撫でて誤魔化そうとするアイギスだが、本人の言う通り、数年間まともな食事を取らておらず、さすがに堪えているようだ。
サービス等と言って言葉を濁し、次代の当主から少しの畏怖の念を頂いてはいるが、最近は恐れや恐怖よりも高みを目指す向上心が強くなってきてしまい、長女から向けられる感情程度では間食にもならないようになっていた。
このお屋敷にいるもう一人の吸血鬼からも畏怖や恐怖を頂ける事もあるにはあるが、次女からは畏怖というよりも親しみというか情愛というかそういった感情ばかりが伝わってきてしまい、こちらも食事とは呼べなかった。
再度グルルと鳴るアイギスの腹。
一度店に戻り町の住人でも襲って喰えば多少は楽になるかもしれない、そんな事も考えてしまうアイギスだが、元々が羊で草食だった彼女である。
捧げられた恨みから人を襲い物理的に喰らっていた時代もあったが、喰っても喰っても減らないどころか増える一方の口に合わない餌には飽いていて、今更喰ったところで足しにならないと考えていた。
「選ぶ余裕は…あるかもしれませんね、久方ぶりの食事の機会…3人? いや、4人でしょうか?」
ソファーに腰掛けたまま、瞳を瞑り外の音を捉え始めたアイギス。
このお屋敷に向かってくる足音と歩く者達の布の擦れる音を捉えていた、背の高い者が3人、小柄で背の低い者が1人ほどの小さな集団。
日の登っている日中にこのお屋敷に向かってくるお客人は限られている。
来るとするならば、肝試しに来ては帰れなくなる町の子供かそれを探しに来た町の大人、もしくは町人の依頼を受けて吸血鬼を狩りに来たハンターくらいしかおらず、今回のお客様は動き方から前者だと感じられた。
「味に期待は出来そうもないですが、腹の足しにはなるでしょう」
変わらずソファーから動かないアイギス。
視線を天井から正面の大きな扉に動かして、久々に食事の機会が来たと静かに胸踊らせていた。
ギィっと扉の蝶番が鳴り外からの来訪者がお屋敷に足を踏み入れたとわかると、深く腰掛けた姿勢から浅く座る体制に座り直して扉を望む黒羊。
二枚の扉の内右側が開くと、二人の男が屋敷に足を踏み入れてきた。
「女性の頭に羊の角? いや、この穢れは…悪魔!? 落ちぶれた吸血鬼の屋敷のはずだ!? 誰もいないはずではなかったのか!?」
「吸血鬼の屋敷にいる有角の悪魔、バフォメット…貴様『弄ぶ墓守』アイギスか!?」
言葉を最後まで聞き終えた後にパチンと指の鳴る音が屋敷の玄関ホールに響く。
音が響いてから直ぐに正面の扉を開いた男達の胸から上が失くなった、血も流れずに丸く失くなった男の体がもう一人の男、同じ様に穿たれた男の腹に当たると、扉を支えにするように中途半端に引っかかってしまう。
体を傾けた男達の穿たれた胸元からは、体と同じ形に抉れた書物のような、何かの力で祝福されていると感じられる本が落ちて、紅魔館の正面玄関を紙で埋め尽くした。
「弄ぶとは心外ですね、墓守として弔う際には心からお悔やみ申し上げておりますのに」
言葉を聞くための耳は頭毎穿たれてすでにない男達、唯の独り言として誰にでもなく訂正する言葉を紡ぐアイギス。
パサっと床に広がり散らばる聖なる紙片、足元まで広がるゴミを眺める紅い瞳。
どうやら本日のお客様は唯の町人ではなく聖職者連中のようだと理解し、それならばありがたい、美味しい部類の人間たちだと、久々の食事がよいモノになりそうだと感じ始めていた。
「な!? 何が!?」
追加で入ってきた三人目、低い声の人間が穿たれた仲間の遺骸を見て何かを発しかけるが、その言葉の途中で再度アイギスの指が鳴った。
指の鳴った反響音と共に男の下半身、足首から下が穿たれる。
その場から逃げるには不便な足の形になった男。
全力で逃げ出す事も出来なくなった男の方は一旦放置するアイギス。
「楽しみは先に楽しむ事にしているのですが、お一人足りませんし、そちらの方を見つけてから戴くことにしましょうか」
もう一人は何処へ行ったのか?
外見からは見えにくい耳と、正面玄関から差し込む昼間の太陽光のせいで瞳孔が縦方向に閉じている、虚ろな横長の紅い瞳で探し始めた。
「あ、悪魔め! 我々が討たれようとも神はお前を許しはしない!」
「貴方様方とは違いまして誰かに許しを請う事などありません、私は寧ろ請われる側ですので」
放置しようとした男がアイギスに向かい言葉を吐く。
述べている文言と着込んでいた白の法衣、首から下げた十字架から今日のお客人は聖職者だったのかと気づいたアイギス。
もう一人が見つかるまで放っておくつもりだったが、この男を餌にして姿の見えない最後の一人を釣り出そうと決めたようだ。
「しかし神ですか、身形と持ち物からすれば普通の神父でしょうか? てっきり悪魔狩り専門の聖職者連中かと思っておりました」
「我々は神の御心を伝え歩く宣教者、あんな奴らと神の御使いであるわれらを一緒にするなどと…」
「そのように仰られても、私から見ればそれほど差がないように見えますね。手段が違っているだけで、神に届ける信仰心の現し方が少し違うだけでしょう?」
悪魔風情が我らの神を語るな! という強い言葉をアイギスに向けて放つ神父。
両足首から下を失いまともに歩けないが、そこ以外の部分はまだまだ達者のようだが、何を言われても神に対して何の感情も抱かないアイギス。
彼らが崇め敬う神など悪魔であるアイギスから見れば成り上がっただけの人間で、他の人間と然程違いが感じられない者であった。
「少々煩いですね、御嬢様方の眠りを妨げてしまいそうです。やはり放置はよろしくない、油の強そうな殿方は好まないのですが…久しぶりの食事ですし、贅沢は言っていられませんね」
しょ、と二つ程語句を言い返してきた神父様の横に一足飛びで向かい、身構えた両手を優しくヒールで踏んでいくアイギス。
少しずつ体重を乗せて片方ずつめり込ませていく、大の男が小さく呻く中グリグリと蹄代わりのヒールを捻り穿っていく。
床とハイヒールの底が当たりカツンという乾いた音が小さく鳴ると、音と共に男の掌分ほど背の高くなっていたアイギスの背がいつもの高さに戻った、両手を貼り付けられても声を荒らげない神父様の頭を鷲掴み頭を持ち上げる褐色の悪魔。
久々のまともな食事を味わい、幸福感を覚えているアイギス。
今の心情と外見に似合った内君らしい笑みを浮かべたまま持ち上げた頭で光る瞳を指で抉り出す、さすがに声を我慢できず黄色い声で叫ぶ神父様、聞こえる声と垂れ流される感情のお陰で少しだけアイギスの腹も満ち始めたようだ。
男一人が発する死の恐怖で程々に腹も膨れたアイギス。
年経た男から感じられる油の強い食事はもういらないと掴んだままの神父の頭蓋を軽々握り潰す、骨の砕ける音と肉の弾ける音を聞いて笑みを強くした黒いスーツの悪魔がそこにはいた。
「死への恐怖、中々に美味でした。 さぁ、そこにいる貴方様も私の糧となって下さいまし」
まだ締まったままの扉。
男達に開けられなかった方の扉の外で神父様の断末魔を聞いて動けなくなっていた残り、最後の背の低い者に向けて願いを伝えるアイギス。
姿は見られていない、まだ気付かれていないと考えていた最後の人間が、断末魔から何かに恐怖した瞬間にアイギスへと察知されていた。
お願いをしても動かない人間の足元を指を鳴らし穿つアイギス。
不意に失くなった足元に綺麗に落ちていった人間、キャァという高い声から最後の一人の性別が知れた。
「これはこれは、シスターだったのですね。てっきり年若い、お付きの少年かと感じておりました」
アイギスの問掛けに無言を貫く修道女。
二次性徴を迎えるか迎えないかという頃合いのシスターを、落とした穴の上から見下ろして穏やかな笑みを浮かべているアイギス。
匂いを嗅ぐ限りでは雌の匂いがしない、だからこそ年若い少年だと錯覚していたが…こういった女の匂いがしない人間は決まって生娘で、シスターだというのなら確実に処女だろうと確信するアイギス。
それならば都合がいいと、シスターの頭に向かい雑に腕を伸ばしていく。
もうすぐ髪に手が掛かるという頃に逃げ場のないシスターが、アイギスの手に向かって胸から下げた十字架を押し付けるが、手にもアイギスの顔色にも何の変化も見られなかった。
「最近の教会では悪魔に十字架が効くと教えているのでしょうか? それとも教会で語られる悪魔には十字架が効くのでしょうか? …どちらであろうと構いませんね、教会に戻る事はないわけですし」
押し付けられる十字架を気にせずにシスターの頭を掴み、そのまま持ち上げてお屋敷の地下へと歩を進めるアイギス。
姉との暇潰しに興じた日は妹の機嫌が悪い、楽しげに争う二人の魔力にアテられて気が昂ってしまう事もあり、それを諌める為には腹を満たすか少し構って機嫌を直してもらうくらいしかなかった。今日は静かにしているようだが、寝られないとぐずり始めてもおかしくない頃合いが近づいていて、構うのも良いが腹ごなし代わりに妹君の相手をするには些か食し足りないと考えているアイギス。頬に手を添えて考える素振りを見せてすぐ、フランドールに処女の生き血を味わってもらいながら、私もシスターの恐怖にありつこう。
男という油の強い食事の締めには甘酸っぱそうな少女でデザートとしよう、久々に味わう食事にしては贅沢だと、アイギスは一人笑みを見せながら、落とされて少々の打撲をしただけの、無傷に近い修道女を掴みあげて地下へと歩み消えていった。