東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第四十四話 座して待ち侘び、立ち奪う

 下品な笑いと賑やかな呼び込みが聞こえる。

 酒を煽っては笑う者達と、それらを煽って一儲けしようと考えている住人達の声、旧地獄街道のメイン通りに屯する彼らが、地底の喧騒を囃し立てている。

 ワイワイと、がやがやと、殴打する音までが時偶混ざり地底の名物街道の音を作っていく。

 いつかの誰かの喧嘩が原因で派手に崩れ、後にその誰か達の復旧工事によって蘇った、綺麗に整備された穢れに満ちる地獄街道、今日も今日とて騒がしいと、通りを練り歩く鬼が周囲を眺めて進んでいた。

 手入れなどしていないのに輝く長い金髪を寒風に揺らして、通りのど真ん中を我が物顔で進む怪力乱神の鬼、空もないのに降る雪も、それを運びながら袖も揺らす冷えた風も気にせずに、素肌を晒す肩で風を切り歩んでいた。

 通りの左右から声を掛けられても見もせずに一箇所へと進み向かう彼女、目的地は彼女が一日の殆どを過ごしている地底世界の入り口近く、少し高い位置にある地底の酒場である。

 他にも何件か酒場や、アルコールを提供する店はある。

 が、彼女がいるのは常にここで、酒場と呼ぶのもここだけであった。

  

 カランコロンと下駄を鳴らし、空いた右腕から垂れる鎖もチャラチャラと鳴らす彼女がガラッと戸を開けると、何も言ってこない店主が視線と会釈だけで挨拶をする。

 目が合った店主に右手の指先だけで挨拶を返し、何かを受け取る鬼の女。

 客と店員という間柄ながら会話もないというのは不自然だが、彼女がここにいるのが自然になり過ぎていて迎える言葉も訪れた言葉も必要はなくなっていた。

 無言のままで店内の奥座敷、もはや彼女の私室と呼んでもいい部屋へと歩を進め、笑い声が聞こえる辺りまで行くと、何も言わずに閉められた仕切り戸を開けた。

 

「お、やっと来たね。今日は遅いねぇ、勇儀」

「遅くはないかと、私達が早く来過ぎてしまっただけです」

 

 座敷の奥から聞こえていた声の主、その内の一人。

 鬼と似た色合いの金髪を店の明かりで光らせる土蜘蛛少女が、既に空いたおちょこ三本を摘んで揺らし、先に飲み始めていると伝える。

 そしてもう一人、ヤマメと並んで座る黒羊も軽い会釈をして後から訪れた部屋のヌシ、星熊勇儀を迎えた。 

 

「アイギスの言う通りさね、ヤマメ達が早いのさ。全く二人して、折角のお披露目だってのに先に飲み始めるやつがあるかい」

 

 並ぶ二人の対面に腰を下ろし、両足を揃えるような科のある座り方をする勇儀。

 同時に右手に持っていた瓶も下ろすと、チャポンと水音が瓶の内から鳴った。

 

「酔うほど飲んじゃあいないよ、なぁ、アイギスちゃん?」

「駆け付け三本といったところですのでまだまだ、楽しみもあるとの事ですし」

 

 座った勇儀に声をかけ、音のした瓶を見る二人。

 視線がすぐに移ってしまうと、それも面白くないのか僅かに顔を強張らせる鬼の四天王。

 

「二人共あたしと飲むって事よりこっちのが楽しみだってか、折角めかしこんできたってのにそっちには何もなしかい、あぁ?」

「着崩して着るのが勿体無いくらいに上等な物に思えますが、そうされている方が星熊様らしくて良い、酒気に負けない色香も漂っておりますしお似合いですよ?」

「だってさ、褒められてよかったじゃないか」

 

 悪態をつくと視線が勇儀に戻る。

 ヤマメは笑っておどけるだけだったが、アイギスの方は素直に感想を述べていた。

 派手さはない青の着物だが質は良く手入れもされている、そんな上質な着物を崩して、肩を出し乳房も見えてしまうのではというくらいにはだけさせて着る勇儀。

 5寸はありそうな幅の太く赤い帯も前で結っていて、さながら遊女や花魁のような様相だが、それが勇儀には似合うと話し視線も顔ではなく零れそうな胸元に向かっている。

 

「うむ、アイギスはそれでいい。でもヤマメはダメだ、お預けだね」

 

 同姓で風呂場でも良く一緒になるケンカ相手。

 裸体など互いに見慣れているが着衣だからこその色香もあると視線で語られて、噓も感じられないしこの一言でコイツはまぁいいかと、強張る顔を普段のものへと戻した鬼がアイギスを強めに引っ張る。

 二対一で座る形が逆になると、一人になったヤマメにお預けだと話して瓶を揺すった。

 

「はいはい、綺麗綺麗」

「雑だねぇ、もっとマシな言い方ってのがあるだろう?」

 

「下手な事を言って取って食われるなんて私は簡便だっての、アイギスちゃんは知らないけどさ」

 

 勇儀から瓶へ、瓶からヤマメへと、コロコロと動いていた皆の視線が次はアイギスに向けられる。

 酔うほど飲んではいないというのに下世話な話を振るヤマメ。

 喰いたい時に喰って寝たい時に寝る、やりたい事が出来たなら好きな時にそれをやる、自分に正直で、ある意味素直な地底の妖怪を体現するようにそれらしい事を言ってのけると、振られた相手もそれに乗る。

 

「私は出来れば殿方相手のほうが、その角には興味がない事もないですが」

 

 自身の角を撫でつつ勇儀の角を見つめるアイギス。

 着物から溢れる勇儀の生足にも触れ、固く逞しいと体感し知っているソレなら、なんて悪ノリをしてみせると、カコンとアイギスの角に勇儀の角が当てられた、左右に少し揺れる羊の頭。

 ボケに対する勇儀からのツッコミが入ると三人が笑い、話の本筋が本題へと向かっていった。

 

「冗談は後だ、さぁさお立ち会い。今度のやつは当たりかハズレか、どちらだろうねぇ」

 

 持ち込んできた瓶に勇儀が借りてきた升を突っ込む、店主から預かったものはどうやらこれだったようだ、タポンと音を立てて瓶の中身をすくい上げると少し目を細めソレを睨む。

 

「見て何かわかるのでしょうか?」

「わかるわけないねぇ、いいから早く飲めっての、何格好つけてるんだかね」

 

 店の明かりを反射させてキラキラと光る水面を勇儀が見つめていると、側でソレを見ている二人が小声で話し始める。

 ガヤが煩くなり始めると、少しだけ格好をつけ浸っていた勇儀が、グイッと升を煽り、黙る。

 

「黙ってないで、なんか言いなよ、ねぇ?」

「先程から、なんでもかんでも私に振らないで下さいまし」

 

 雑に話を振るなと言った割に気にする素振りのアイギスを、ヤマメが無言のまま横目で見る。

 勇儀程ではないがアイギスも酒好きではある、吸血鬼のお屋敷で長女が生まれた夜にもブランデーを嗜む程度には酒を好む、そんな酒飲みには日本酒も合っていたようで、今日のようにヤマメ達と酒を飲む日も多いようだ。

 

「それで、味はいかに?」

 

 空になった升と瓶から香る酒精に感化され、黙る勇儀にアイギスが問いかける。

 やっぱり気になるんじゃないか、そんな事を横目で伝えるヤマメをよそにして勇儀の顔色を伺っていくと、瓶と同じ香りを口から吐いて同時に感想も吐いた鬼。

 

「悪くないが、物足りん」

「悪くないけど物足りない? 楽しみにしていた『酒虫』だろ? 何がダメなのさ?」

 

 味自体はまずくはない、ニカっと嗤う勇儀の表情からも先に述べた感想からもそれはわかる。

 だが、普段の豪快さは見られず明るく笑うだけで、それに続くはずの勇儀らしい快活な言葉は出てこなかった、その姿をヤマメが不思議に思って問掛けた。

 

「そうだねぇ、角がなくて丸すぎるって感じか。あたしはもっと雑味があったり、よく言えば複雑な味わいが好みなのさ」 

 

 感想よりも少し詳しく話す、そうして勇儀が瓶の中を覗き込む。

 瓶の底には髭を生やしたサンショウウオのような生き物が静かにいた、酒の中を偶に動いて水面をたわませる生き物、勇儀の同族の言葉を借りれば『手のひらサイズの黒くてヌメヌメした可愛い虫 』といった姿。

 ヤマメの言った『酒虫』とはコイツの事で、今日はこの酒虫が作り出した酒のお披露目という名目での宴会であった。

 

「養殖物には難しいのかねぇ、かといって鬼の国まで行くのも手間だし。萃香のやつ、あたしの分も捕まえてきてくれないかねぇ」

 

 ポツポツとぼやき、升を瓶に突っ込んで、開いたグラスに酒を注ぎ振る舞い始める鬼の頭目。

 この地底世界にいるもう一人の鬼の名前を出して、代わりに行ってきてくれないかと呟いている。姿こそ見たことはないが最近頻繁になり始めた宴会、頻度で言えば週に一度はある宴会の席で良く聞く名前をアイギスが呟いた。

 

「そのスイカ様ですが、どなたなのでしょう? 度々お名前は耳にしますが」

「その辺にもいるんだろうけど、顔出さないねぇ。萃香ってのはもう一人いる鬼の四天王の事さ、こっちが力の勇儀ならあっちは‥‥幼女って言えばいいのかね?」

 

 注がれた酒を含みつつ話す二人。

 違いないが本人の前では言うな、言うなら酒の感想にしてくれと、升で酒を煽る勇儀がヤマメを窘めるが、文句でも言えば来るんじゃないかなんてヤマメが逃げると一瞬止まり、笑い出した。

 

「確かに最近見ないねぇ、まぁ仕方ないか、あれは寒いのが嫌いだからな」

「火ぃ吹くくせに?」

 

「あれなんで覚えたか知ってるか? 寒いのがイヤだからだぞ」

 

 閉められた窓の外を見る勇儀とヤマメが、なんだそれとこの場にはいない鬼を笑う。見ている先では雪が舞い、暗く暖かな地底の世界を少しだけ明るく冷たくしている。

 カラカラと楽しそうに笑う二人を見て、何かを思いつくアイギス。

 

「来年まで振り続きそうですし、暫くお姿は見られそうにないですね」

「お? なんだい、ただの冬でただの雪だろ? 何かあるってのかい?」

「雪見て勇儀が笑ったからだろ、不意打ちで冗談言うなよ、アイギスちゃん。一瞬悩んじまったじゃないか」

 

 笑う鬼を見て吐いたアイギスの冗談、例えにされた鬼は気が付かなかったが土蜘蛛はほんの一瞬考えてから、アイギスの肩を叩いて軽く笑った。

 笑むヤマメと一緒にアイギスも微笑むが、その顔には冗談でいった事の裏にある物も出ているようだ、雪が止まねば春は来ない‥‥春が来なければ楽しい喧嘩も出来そうにない。

 早く暖かな季節になってほしい。

 鬼が笑う姿を眺め、角の取れた酒を飲む悪魔。

 自身も角が取れてきていると感じているアイギス、こんな暮らしも悪くはないが、血生臭い空気を好ましいと感じる自分も知っている。

 我ながら変な感覚だと自身の事を考えていると、開いたグラスに酒を注がれソレもまた飲み干した、飲めば角が取れてしまうのかも‥‥そんな事を考えつつ酒宴の場を楽しむ黒羊の姿を、外から眺める霧がいるとは誰も気が付いていなかった。

 

~少女飲酒中~

 

 酒虫の生み出す酒を楽しむ地底の皆を習うように、地上よりも高いところに住むお姫様も、少しの酒を嗜み書物を読み開いていた。

 白玉楼で過ごし始めてから身についた読書という趣味。

 偶に来る友人達と過ごす楽しい時間、ソレ以外で幽々子が楽しいと感じるのは、紫が寄越してくれる本や、屋敷に残された古い書物を読み解いている時間だけだった。

 今日もいつもの様に書見に興じていると、ずらりと並ぶ書架の更に奥からから、見た目から古いとわかる書物を見つけた。

 ボロボロになった表紙からはこれがなんの書物なのかわからなかったが、立ったまま読み進めていくと、何かを記録したものだと感じられたようだ。

 千年以上も前の事が記述されているらしく、言葉遣いや文字遣いも古いものだが、幽々子にはこれがすんなりと読めて、むしろ文字からは暖かな懐かしさのような物すら感じられていた。

 弱くなった紙を切らないように、優しく丁寧な手付きでページを捲っていく西行寺の姫、ある程度まで読み進めるとある文章に強く惹かれた。

 

――富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ――

――その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする――

――願うなら、二度と苦しみを味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ……

 

 ここまでは文字として読み取れたが、この先は文字が滲んでしまっていて読み取れない。

 一度書き上げた物の上から水を垂らしたように滲む文字、他の書物ははっきりと美しい文字で書かれているのにこれだけが何故?

 書を手に取る幽々子の脳裏に少しの疑問が浮かんだが、これを書き上げた者は既にいないのだから、考えてもしかたがない事だと思考を切り替え始めた。

 悩み顔から淑やかで、僅かに少女らしさが見える笑み。

 それは喜ばしい笑みであった。

 紫に対しての微かな嫌がらせと楽しいイタズラから始めようと思った異変。

 もう直に始める春を集めるという事。

 ただの思いつきだったはずが、この書に書かれた事を鑑みて、異変を起こすための別の理由も出来たと楽しそうに笑った幽々子。 

 今までは何故咲かないのか疑問に思うだけだった西行妖。

 その理由が封印されているからだと知り、同時に花を咲かせてみればその封印が解けるのではないかと考えたらしい、あの妖怪桜が満開になれば富士見の娘さんが死ぬと記述してあったが‥‥誰ぞ知らない相手が死んだところで幽々子には関係がない。

 寧ろ封印を解けば、結界の贄とされた富士見の娘とやらが見られるかもしれない。

 新しい楽しみが出来た、白玉楼の書架の前に立つ亡霊の姫が笑み詠う。

 

――ほとけには 桜の花をたてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば――

 

 紫達の前で詠んだ歌、ソレを再度呟いて、たおやかに笑んだ。




そろそろ楽しい闘争が書きたいのですが筆が進まず、お茶を濁して逃げまわっております。
何も気にせずに書ける厨二心が切に欲しい。

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