東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第四十三話 開花を惟う

 赤や黄に色めいた木々を木枯らしが撫でた季節は過ぎて。

 静かに吹く北風だけでも冷えを感じられるようになってきた空気。

 冷たい空気と相まって、辺りに見られる白景色からも寒さが目立つようになり始めた幻想郷。数日前までは雪が降るには温かい気温だったが、今年も姿を見せた冬妖怪が目覚めの一息を地に放つと、その力を受けて白く化粧し始めた幻想の箱庭。

 毎年恒例の動き話す寒季が今年も訪れて、正しく冬と呼んでいい気候を迎え始た箱庭の空に、バサバサと黒い外套をはためかせるアイギスがいた。

 白玉楼での異変見物以来地底の住まいから出てこなかった彼女が、今日は久々に地上世界の冬空を飛行している。二つの世界の出入口である大穴から静かに現れ、妖怪の山から南へと向かって移動している現在の彼女、今回は友人からの呼び出しに応じて姿を見せていた。

 

「やはり怒られるのでしょうか?」

 

 珍しくハァと、気弱な息を吐く。

 見た目夏らしい肌の色から吐かれるのは真逆の白い息。

 モヤっと広がり、一瞬だけ顔をぼやけさせるとすぐに消えた。

 

「投げたわけではないのですが、そう捉えられても致し方なし、か」

 

 吐き出した息をすぐに追い抜いて、目的地の方向を見る。

 僅かに目を細め眺めているのは、冬らしくない花の香りが流れてくる南の地上。

 

「争い事にでも繋がれば身体を暖めるのに良い‥‥けれど、そうはならないのでしょうね」

 

 僅かに口を開いて小声でごちる。

 ふわりと鼻をくすぐり始めた嗅ぎ慣れた香り、偶に自分の衣服からも漂わせている清楚で柔らかい、鈴蘭のような香りを嗅ぎとる。口内と鼻孔から感じ取った香りからは、華々しいモノと同時に好ましい魔力の流れも感じている。深く地に根を張り揺るがない、巨木のような感覚すら覚えられる力強い魔力の流れを身に浴びて、出来ればこれが発散される流れの方が好ましいと考えるが‥‥今回の呼び出しからは、そうはならないだろうと確信していた。

 

「愚痴をこぼしていても何も解決致しませんし、向かいますか」

 

 この先で待っている友人の顔を想像しつつ、太陽光を受けて白く輝く花畑へと身体を傾けていく。こちらお見もせずに辛辣な物言いで迎え入れてくれて、その後はもっと厳しい事を楽しそうな顔で話してくれるのだろうと、飛行速度を幾分早めた。

 話の内容が楽しい事かどうかはさておいて。

 

「さて、今日はどちらにいるのか‥‥」

 

 見つめる先に花畑が見られるようになると、少しの覚悟を示すような独り言を呟いて、花畑の奥へと進んでいくアイギス。匂いも魔力も強く感じられる地へと降り立つと、丘の中央、何もなさそうに見える空間に出入口と見られるゆらぎが現れる。

 夢や幻の世界へ続いている、そのように見えるゆらぎへと慣れた調子で歩んでいく黒羊。先に見える湖の中に館を見つけると、ひとりでに開いた門戸を潜り、少しだけ立ち止まった。所々が剥がれて見える青いタイル張りの床、その上に佇みアイギスが何かを待つ。数秒ほど待つと、こちらへ来るように誘う道標が現れた。

 タイルから浮かんで見える案内代わりの星形の標、それが進む方向は長く続く廊下、館のエントランスから奥へと進むと、廊下の中ほどにある魔法陣を堺に青から赤へと色合いを変える床面。住まう主とは違ってコロコロと表情を変える館内を、先を教えてくれる標の後に沿って高い踵を鳴らしていく。

 少し進むと一つの扉を前にして立ち止まったアイギス。扉の奥から漂う、彼女に向けて強く発せられている花の香りを、スンと鼻を鳴らし吸うと、中指で四回ほどドアを叩いてから開いた。

 

「遅いわ、すぐ来なさいと伝えておいたのに」

 

 少しの家具とカチャリと陶磁器の音を鳴らして迎えてくれるここの主。 

 猫足の丸テーブルと揃いの椅子に腰を下ろして、足を組んだまま見もせずに放った言葉は遅いという一言。アイギスが共通の友人(八雲紫)から『太陽のような女性から呼ばれている』と聞かされたのは、地底世界でも雪がちらつき始めた今朝の事、そして今の時間は正午前といったところ。たかだか数時間で、それも地底の繁華街から訪れてきたにしては早いと思えるが、夢幻の館の主からは遅い動きだと感じられたらしい。

 

「寄り道もせずに向かってきたのですが、それでも遅いのでしょうか?」

 

 出足からのお叱りを受け、アイギスが予想通りだと苦笑を見せる。

 開けたままだった扉を閉めて中へと歩み隣に立つ、そのままで次の言葉を待っていると、しなやかな指先でトントンとテーブルをつつく日華の妖かし。

 まずは座りなさい、返答はせずに人差し指だけでそう示した。

 

「遅いわね、何処にいても来いと言われたらすぐに来なさい」

「また無茶を、出入口は妖怪の山にしかありませんのに」

 

「ないなら作ればいいのよ、掘り返すのも真っ直ぐに向かうのも得意なのだから」

 

 アイギスが隣に座ると配膳される花柄のソーサーとカップ。

 空のカップを手に取りながら無茶を言うなと返したアイギスに向かって、紅茶が淹れられたティーポットを見せつけ、無茶ではなく無理を言ってくるチェック柄の少女、風見幽香。

 

「得手ですがそういった事はあまり‥‥」

「紅魔館ではそうしていたじゃない、距離が違うだけでしょう? あの姉妹の為には出来て私の為には出来ないって事?」

 

「あれは‥‥」

「していたはずよね?」

 

 何かを言い返そうとしても、その度に幽香から口を挟まれる。

 唇キュとむすんでろくな反論も出来ないでいるアイギス。

 他にも何かを言ったようだが返ってくるのは『していたはずよね?』という問い掛けのみ。言葉を返す事を許されない黒羊がむぅと、なんとも言えないぼやきを吐くと楽しそうに頬を綻ばせる花の女王。可憐で華々しい笑みを浮かべ、フフッと声を漏らすと満足したようで、眉尻を下げ顔から困っているとわかる悪魔に配膳した空のカップに茶を注いだ。

 

「理不尽だとか、そう言い返してもいいのよ?」

「何もなければそう言いますが、今日の呼び出しは私が悪いと考えますので、なんとも」

 

「殊勝な事ね、まぁいいわ。取り敢えず冷めないうちに」

 

 茶が注がれても香りも味も楽しまずにいたアイギスに、右手の平を見せた幽香が促す言葉を届けられた。茶よりも呼び出しの内容に興味がある客人という名の弄られ役だったが、カップに注がれたもてなしの為の物に視線を落とすと、形はともかく友人からの歓待であれば快く受けようと考えなおしたらしい。

 カップを口元へと運ぶ、少し水面が揺れるだけで軽やかで甘い香りが立つ、しばし香りを楽しんで口に含むと甘い香りと甘くない味わいが舌と口内に広がった。

 僅かに感じられる渋みや苦味が程よく、味わいのアクセントを楽しむと下げていた眉を戻し唇の端を僅かに上げる、紅茶に煩い地域生まれの雌羊。

 

「酷く言われると理解しているのに、これがあるのも覚えているから、急な呼び出しでも素直に来てしまうのかもしれませんね」

「褒めてもダメよ? これはこれ、あれはあれだもの。地底に引っ込むのも良いけれど、手入れの仕方くらい仕込んでから引っ込みなさい。あれではあの子達が可愛そうだわ」

 

 アイギスが席に着き、もてなしを受けるとようやく話された今日のお呼び出し理由。

 歓待を褒めた相手は見ずに、出窓に飾られた鉢の中で咲き誇る花を眺め語る幽香、何処かで群生していた生き残りの紫色の花を見つめ、可愛そうだとわずかに傾いだ。

 花と羊が縁側で並びマヨヒガで眺めていた花。

 今ではマヨヒガで見られなくなった花。

 あの屋敷の管理人がアイギスから橙に移るまでの間、手入れをする者が誰もおらず、残っているのはそこに見える鉢植えの花と、どこにあるのかわからない紫の本邸のモノくらいになっていた。

 屋敷の持ち主は兎も角、式の方は手入れぐらいするのでは?

 そう思えるが、主から『忘れていなければ手入れぐらいしに来るでしょうし、放っておきなさい』と命ぜられ、出来る式が手を出せないでいる間にほとんどが枯れてしまったようだ。植え、手入れをしていた元マヨヒガ住まいの黒羊も忘れていたわけではなく、自分が原因で行う羽目になった地底での復旧工事から手を離せず、気にしながらも手入れ出来ないような状態だったらしい。

 

「忘れていたり、放置していたというわけでは‥‥いえ、言い逃れは致しません。報いを受けよと仰るのならそのように致しますが?」

 

 物憂げに窓辺を見つめる赤い瞳に、少し黒ずむ赤の目を持つ者から謝罪代わりの提案が言い出される。

 二人にすれば好ましい提案。

 どちらも地を好み、血を好む者達。

 一度始まれば両者ボロボロになり、自身の血液なのか返り血なのかわからないくらいに赤く染まる二人、先ほど幽香の口から次いで出た紅魔館ではじゃれ合うだけだった、そしてあの日以降戯れていない。争わず語らうだけで済む日も多くあるアイギスと幽香だったが、両者共に最近は暴れていない。暗然とした顔でいる幽香の機嫌も戻せる良い案で、自身の好ましい流れにもなると読んだアイギスが血生臭い逢瀬をしないかと臭わせる。

 

「ダメよ、今はそうする気にならないわ」

「何故でしょう? 我ながら悪くない誘いだと思えるのですが?」

 

 カチャと鳴る幽香の手元。

 会話を進めながら飲み干したカップを置いて、互いに好ましいと思えた提案を断る。

 まさか断られるとは思わなかったアイギスが素直に疑問を呈する、赤い瞳や身に纏うチェック柄等そこそこの共通点がある二人、その共通点には手強い相手との争い事という物もある。だというのに、デートのお誘いは歯牙にも掛けられずに断られてしまった。

 断る理由がわからず角を撫で返答を待つ羊に、空になったカップに両手を添える花が返答を述べた。

 

「外は寒いわ、これではすぐに冷めてしまう。それは暖かくなってからにしましょう」

 

「身体を動かして温まる、というのは‥‥」

「ダメね、温める気にもならないし今日は気分が乗らないのよ。冷え切ってしまったモノって好きじゃないの、それも美味しくなくなったでしょう?」

 

 言いながらアイギスのカップへと視線を落とす幽香。

 つい先程まで湛えていた湯気は消え、すっかりと冷め切ってしまった紅茶を見つめられ、撫でていた指先を立てポリポリと掻きはじめるアイギス。冷めた紅茶を口に含むと香りは閉じていて、温かであった頃に比べると楽しめない、言われた通りの美味しくないモノに変わっていると理解できたようだ、代わりに強く感じるようになった渋みを味わい瞳を瞑る。

 寒さで冷えてしまって興が乗らないと言ってきた相手、姿は添えたものであるというのに言う事はつれない事だと、瞼の裏で考えて含んだ紅茶を奥へと流した。

 

「では幽香の話した通り、春先にでも」

「そうね」

 

「春が待ち遠しいですね」

「そう、ね」

 

「‥‥約束ですよ?」

「しつこいわね、あまりクドいとそっちの熱まで冷めてしまいそう」

 

 それは困ります、寛雅(かんが)な面持ちでそう返すアイギス。

 ならしつこくしない事、と幽香からの返答が届くと無言で頷き待ち座して街侘びる姿勢を見せた黒羊、普段は誰かの言う事を聞く事などあまりない我儘な悪魔であるが、今回は素直に折れた。ここで食い下がるよりも後にあるお楽しみの為にほんの少しだけ我慢だと、話の取っ掛かりに使われた妹コウモリを真似るようだが‥‥それでも約束ですよ、と僅かに欲を見せてしまい、しつこい、クドいなどと言われている。

 またも苦笑を浮かべたアイギスだったが困り顔ではなかった。

 強かに窘められても微笑む事が出来る、それくらいに春先が待ち遠しいと感じ、窓辺で開く花越しに外を眺めた。 


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