第四十二話 春を詠う
綺麗に整えられた御影石の欠片たち。
揺蕩う湖面を描いたようにランダムながらも画一性の感じられる地面。
それを眺める位置取りで並んで座る三色の妖怪。
左から順に高貴さや妖艶さを現す紫色の金髪美人、その隣には淡い風合いと少しの冷たさが見られる水色の和服美女、最後の右端には一部鮮烈な赤が見える黒い麗人。
色合いも雰囲気も、種族も違えど互いに仲の良い友人達が整えられた枯山水を眺め、和やかに話をしていた。
会話の内容はつい先程まで見ていた少女達のお戯れ。
綺麗な宝石羽を輝かせ、甘いキャンディーのような弾幕を放ったり、揺らめく炎のような筋の太いレーザーを横薙ぎにしていた吸血鬼と、それに向かって破魔の弾幕と炎に負けない魔力の光線を吐き出していた人間の少女達。
どちらも一歩も引かずに楽しそうに。
場合によっては死ぬかもしれないというのに、三者とも恐れを見せずに色取り取りの弾幕を放ってはキャッキャと屋敷の中で戯れていた光景を話していた。
「感想は?」
「甘そうな弾幕だったわね」
左の美人が問いかける。
紅白と黒白二人のコンビが勝ちを収めた弾幕ごっこ。
それを写していたスキマを閉じ平手を見せてどうだったか促すと、華麗な遊びだと聞かされていた弾幕ごっこを見たいと話していた、真ん中の美女が感想を述べた。
「甘くはないかと、痛いだけでしたね」
「そうなの? それは刺激的だわ」
話された感想に右端の麗人が物言いを付けた。自身が浴びた経験から甘さはない、相手を倒すために放った通りきちんと痛いだけだったと伝える。
けれどそれも受け流された、刺激的だと口にしてたおやかな笑みを浮かべる。
フワフワと捉えにくい態度で両端の友人達と語らう白玉楼の主、西行寺幽々子。
「刺激的ねぇ、それだけなのかしら? 我関せずといった風に見えるのだけれども」
このままでは話が進まない、そう感じた左端、八雲紫が聞く。
浮世から離れて久しい幽々子に見せた顕界で流行らそうとしている弾幕ごっこ。
紅魔館の面々が上手く幻想郷を脅かしてくれたお陰で、山の天狗や河童達など、動きの悪い古株連中まで少し興味を示した此度の遊戯。
華麗で派手なこの遊びを同じく古い友人はどう感じたのか?
はぐらかすような感想ではなく、真面目な意見として聞いてみたいようだ。
「そうよ、我関せずだわ。だって私は関係ないもの、お誘いだってなかったし今のも見せてと言わないと見せてくれなかったのでしょう?」
クスリと笑んでからプイと顔を逸らす幽々子。
紫からは見えない右側の麗人、アイギス側へと顔を向けると、そのままペロッと舌を出し少しだけおどけてみせた、楽しそうな遊びだというのに最初に私のところへ話を持ってこなかった。
冥界の管理という大事な仕事がある幽々子だったが、60年周期の花の異変でもなければそれほど忙しくなる事もない、寧ろ暇な時間が多く遊びに飢えている。
それを知っていながら遊びの誘いをしてこなかった親友にほんの少しだけ意地悪をしたらしい、茶目っ気たっぷりな亡霊姫。
「悪かったとは思っているのよ? でも誘えなかった理由というのもあるのよ……」
表情を隠された紫だが、これがただの悪戯だというのも長い付き合いから感じ取っていた。
そして長い付き合いだからこそ最初に誘えなかったと、二人に聞こえないくらいの微かな声量でポツリと、唇をわずかに動かして何かを言った事だけ分かるように話していく。幽々子の後頭部から視線を動かして見つめる先を変えたスキマ妖怪、その目には枯れたように見える大きな桜の木。
「あの枯れ木が何か?」
「西行妖がどうしたの?」
「なんでもありませんわ、それよりもやってみたくなった? お試しに私とやってみる?」
視線に気づいたアイギスが視界に映る枯れかけた桜を尋ねると、その視線を追った幽々子も同様に問掛けたが、欲しい答えは述べられない。
返ってきたのは紫らしくない雑なはぐらかし方。
あからさまな逸らし方で幽々子の興味を別の方向へと動かそうとし始める。
「紫と?‥‥今はまだいいわ」
「あら、刺激的な遊びは嫌いだった?」
「草案を考えた妖怪の賢者様とやっても勝てないもの、やるならきちんと教わってから楽しみたいわ」
話がズラされた、緩い表情をしながらも一つの世界を任されている白玉楼の主がその事に気がつかないわけはない、けれどズラされた部分の修正をしようとはせずに紫の話した事にだけ返答をしていく。思惑があって話の筋をズラすなら認識力の境界を弄んででも動かす紫、誰にも気が付かれずに水面下で事を成す賢者がわざとらしく話を逸らすのは、本当に聞かれたくない事だというのも長い付き合いから理解しているようだ。
二人のやり取りを見ていたアイギスだけが何やら言いたそうだ素振りだったが、話題の中心にいた幽々子がそれでいいのならと、余計な事は言わずに枯れた桜の木を眺めるだけで過ごしていた。
場の空気を気にせず猛進する事が多いが、読む事も一応出来る年配の悪魔。
「ではゆっくりと練習しましょう、スペルカードも考えなくてはね」
「一枚は考えてあるのよ、カードにそれらしい事を書いておくのよね?」
いつの間に、と呟く紫に誘われなかったから暇だったのと再度文句を放って笑う幽々子。
クスっと声を漏らしてから、考えたという言葉を謳う。
――ほとけには 桜の花をたてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば――
私がこの世から去ってしまったならば、その時には桜の花でも備えてください。
もし私の死後も思い、弔ってくれる人がいるというならば。
そんな意味合いが読み取れる歌。
枯れかけた桜を眺める屋敷に住む幽々子、彼女が自身の持ち得る『死を操る程度の能力』にかけて読み上げたある歌人の歌。昔の歌人が詠んだ歌を口ずさみ、悪くないでしょうと笑んだまま、桃色の髪を揺らして紫に感想を尋ねる幽々子だったが、問われた紫はほんの一瞬押し黙ってから、いい歌ねと返していた。
誰がどう見ても何かがあると分かる素振りだが、幽々子はこれも気に留めないようだった。
そんな姿を晒すなどこのスキマ妖怪らしくないのだが、敢えてそれは見ないと知らせるように動きを見せた幽々子。素直に褒められて嬉しくなったのか、庭先でこんな演出はどうかしらと、背に大きな扇子を背負って華やかに輝かせた。紫と幽々子二人が揃って持つモノ、それと同じ柄の扇を反魂の蝶で形取る。
「美しい演出だと感じます、そうは見えませんか? 紫様?」
「‥‥そうね、良い案だと思いますわ、形だけではなく次は弾幕も考えないと‥‥」
反応のない、出来なかった紫にアイギスが助け舟を出す。
内情を知らず、聞こうともしない黒羊に問われた事で少し余裕が生まれたのか、幽々子の背で輝く扇と同じ物をパチンと開き表情を隠し、いつもの姿を取り戻した。
見慣れた姿を二人に見せると誰かのように指を鳴らす、音が響くとスキマが開きそこから二匹の妖獣が現れた、金色に輝き揺れる九尾とその隣に黒黒とした二本の尾を持つ黒猫が姿を見せる。
「二人共、幽々子の練習に付き合ってあげて」
「心得ました、まずは私から。形や加減に慣れましたら橙にも行わせましょう」
両手を組んだいつもの姿勢で深々と礼をして紫と幽々子の二人に話す、八雲の忠実なる式。
ふわりと浮かびいつでもどうぞと目を輝かせると、幽々子が藍を追うように空中に舞った、二人を見上げその後に紫とアイギスの二人をチラリと見た橙という黒猫。
藍が見つけた藍の式、紫から見れば式の式という少しおかしな立場だが‥‥かわいい藍が見つけた者なら何も言うまいと、こちらに来るようにとポンポンと黒い膝を叩く。
叩かれた黒い膝の持ち主も一瞬紫を見た後で、同じように膝を叩いた。
以前に住んでいたマヨヒガの新しい住人だと藍からは聞いている、同じ天井を見上げる者なら取り立てて拒否する理由もない。
胡散臭い笑顔と瀟洒な笑顔の二人が促すと、弾幕を放ち始めた藍を見てからその膝へと向かって歩み始めた。
~反魂蝶飛翔中~
白玉楼の枯れた庭で黄泉路へと誘う蝶が舞う。
放ったのは言わずもがな。
淡い桃色や霞む水色の蝶達、八雲の式達と行った数度の弾幕ごっこでその扱いにはすっかりと慣れたここの主。初めての練習から暫くの時が流れ、顕界では寒さが厳しくなってきた季節だがこの冥界では季節の移り変わりは然程関係ない。
年間通して変化が見られない気温に気候、まるでここの主を季節にしたように変わらない、動きの見られない冥界の景色、弾幕ごっこに慣れすっかりと手練となった今の幽々子もそれに習い変わらずまったりとしていた。
ここの従者から見る限りいつでも遊びに混ざれるくらいとなってはいたが、八雲の者達が帰った後でも、何度かこの従者と戯れただけでそれ以上をしようとはしない、縁側から腰掛けて景色を眺むだけの亡霊の姫。毎日が暇だと語り、それを理由に紫にゴネて見せたはずがそれでも動かないなど‥‥鍛錬や研鑽した力を試してみたいとは思わないのだろうか?
お暇なら何かされればいいのに、弾幕ごっこという
そう考える者がこの屋敷の庭先で枝葉を揺らしている。
動かない主の事を考えながらパチンパチンと、祖父が使っていた剪定鋏を使い庭木の手入れをする少女。人間の年齢に換算すれば60歳ほどになり、その見た目も幼さよりも可憐さや凛々しさが同居するようになってきた半人半霊が庭先で一人刃物を握っている。
「試してみたくならないのかな?」
パチンパチンと枝葉を落とす少女が、綺麗に整いつつある庭木を会話相手に疑問混じりの声で語る。祖父から受け継いだ庭師という仕事をこなしつつ、別の事を考えるのは魂魄妖夢。
十数年前に唐突に消えた祖父、魂魄妖忌が残した二振りの刀を背に担ぎ、その手にも残した刃物を持って読めない主の心を考えていた。
「妖夢、春を集めましょ」
悩み事をしている妖夢の背に不意にかけられる主からの言葉。
今の今まで考えていた主の心が妖夢に伝わったが、言葉の意味合い通りには伝わらなかったようで、何を仰ったのかと再確認するように振り向いた妖夢。
「へ? 今なんと?」
「春を集める、そう言ったのよ」
「‥‥春告精でも捕まえてくればいいのでしょうか?」
また思いつきで突拍子もない事を言い出した、そんな事が読み取れる目で振り返る妖夢だったが、主の顔を見て少しだけ頭に浮かんでいた呆れは消え失せた。
半人半霊の瞳に映る姿形は何も変わらない幽々子であったが、纏う雰囲気だけはいつも見せてくれている穏やかで好ましい顔つきではなくなっていた。生死の範疇からはずれて幾久しい亡霊姫、だというのに今にも消えてしまいそうな、儚げで朧気な、桜の花びらが散っては飛んでいくような
「あの妖精が姿を見せるのはまだ先でしょう? それにあの子が春を告げてくれてもあの桜は咲かないわ」
儚げな笑みで扇を開きパタパタと扇ぐ。
扇ぐ先には現した小さな蝶が数匹、ひらひらと飛んでは羽の末端から消えていく。
口調も声色も普段通りで何も変わったようには見られない、それなのに何故いなくなってしまうなどと感じたのか?
今まで支えてきた中で見たことがない主人の雰囲気を感じ取り、真剣な事を話されていると感じ取った庭師の剣士が一度深く目を瞑って開く。
「わかりました、全身全霊を以って春の回収に回ります。祖父から受け継いだこの楼観剣に、切れぬものなど‥‥」
「まだいいのよ? 冬を迎え始めた今じゃ春なんてどこにもないわ、もう少し季節が春に寄ってから始めましょう‥‥紫もゆっくりと、そう言っていたじゃない」
真剣な主の期待に応えようと心を入れ替え、戦いの場へと向かう姿勢を見せて妖夢が凛として問掛けたが、その口上は途中で挟まれ止められた。クスリと笑ってから、今し方まで纏い見せていていた儚さを消して、まだ動くには早いと背負う真剣を構えかけていた妖夢を諌める幽々子。
中途半端なところで止められて、やり場の無くなったやる気の行き先を何処へ向かわせたらいいのか悩むように俯く庭師、プルプルとし始めた可愛らしい従者を眺め、ウフフと声に出した微笑む姫様。飄々とした態度を取り戻した後で一瞬だけ枯れかけた桜を見ると、妖夢に気が付かれないよう目を細め、紫が気にしたあの桜になにがあるのかを考え始めていた。
胡散臭い友人は何も話してくれないし、一緒にいた比較的真面目な友人も、そこには触れないような素振りを見せた。二人だけ異変という楽しい遊びに首を突っ込んで、私だけ除け者。アイギスの方はあの時の紫の姿からそうしただけだと理解しているが、紫は何を思ってあんな態度を見せたのだろうか?
考えてもわからない事を悩み、その末に一つの答えとして導き出したのが先ほどの春。友人が気にしていたあれを咲かせてみれば、わからないことがわかるかもしれない‥‥曖昧な事ばかり話して本質はあまり語らない親友に、ほんの少しの意地悪をしてあげよう。
亡霊として過ごし始めてから、久しく覚えていなかったハッキリとした目的。それが久しぶりに出来た事に喜び、まだ咲かぬ桜の並木を眺め、一人だけ春めいたように笑む西行寺のお姫様だった。