天気の荒れやすい夏場らしく雨降りの空。
それを眺める者は二人。
一人は幼い吸血鬼。
雨が降り始める前に外出した為、問題なく屋敷を抜け出る事が出来た者。
もう一人は背の高い悪魔。
振る雨を眺めながら日傘を差している。
出かける体で外に出た二人がしばし景色を眺めてから、雨空とは言えない幻想郷の空を飛び始めた、音もなく静かに振り続ける霧雨に濡れていく屋敷を背に向かうは神社。
2週間ほど前に幻想郷中を覆った赤い霧、紛うことなき異変となったアレを収めた巫女が住まう神社へと、粒の細かい雨を背にゆっくりと移動し始めていた。
飛ぶ二人の影が濃く見えるくらいに日差しが強い、だというのに気にせずに先へと向かう吸血鬼、レミリア・スカーレット。
その表情は季節が移ったように明るい。
が、同時に夏らしく荒れているようにも見えた。
「大丈夫‥‥よね? 練習したし、咲夜も残しているし‥‥あぁ、でも‥‥」
フワフワと飛びソワソワとするレミリア。
大きな期待を背中側に向けながら同時に不安も発している、目的地へと向かって飛びながら偶に振り返って、残してきた者を思う。
「気になるのなら屋敷に残ればよろしかったのです、外出までしなくともよろしかったのでは?」
「いいのよ、私がいない方があの子の好きに出来るでしょ?」
「いらしても好きにされていると感じますが、レミリア御嬢様がそう仰るならその通りに。それよりも何故私を? 十六夜様ではなくてよろしかったのですか?」
見返り背面飛行をしながらの会話。
日光の苦手なレミリアが昼間から出かける理由は妹、フランドール・スカーレットの為の物であった。
「咲夜にはもしもの場合の保険になってもらったのよ、あの子に時間が壊せるのかわからないけれど、少なくとも止まった時間の中では動けないと聞いているわ」
「なるほど、では今日の私は十六夜様に代わる鞄持ちでしたか」
「代わりじゃないわ、あの子は私の付き人だけど今のアイギスはスキマのお付きでしょ? ここで帰せば次はいつ来るのかわからないし、またいなくなられる前にデートでもと思っただけよ」
「その事ですか。お話してりませんでしたが、既に契約期間は満了しておりまして、今の私は八雲の使いではございませんよ?」
そうなの? と振り返るレミリアが付き人代わりのアイギスにトンとぶつかり見上げる。
顔を伺いつつ触れてきた幼子の体を支え手を取ると、レミリアの身体を不意に抱えるアイギス。
「ですのでお願いさえればいつでも駆けつけます‥‥しかし嬉しいですね、レミリア御嬢様から逢瀬のお誘いを受けるとは」
抱き上げた幼子に笑みを見せ、嬉しさも見せる悪魔。
手を取られ抱えられ、表情にクエスチョンマークを浮かべたレミリアだったが、過去そうされていたように抱き上げられると少し騒ぎ出す。
「ちょっと‥‥恥ずかしいんだけど」
これが話題に出ていた妹ならば素直に抱きついてくるが、主としてのプライドを得た吸血鬼は少しだけ気恥ずかしいらしい。
握られた手をほんの少しだけ振るい、抱きとめられた体も揺するが、その程度では解けない拘束。どちらも強い力で縛られているわけではない、ただ態度で恥ずかしいと伝えたかったレミリアだったが、その姿を見られアイギスに微笑まれた。
「レミリア御嬢様から誘ってくださったのに、何を恥ずかしがられるのです? 見ている者もおりませんし、偶のデートならばこれくらい良いではありませんか」
懐で揺れるレミリアの体を抑えるよう、アイギスが少し強めに抱き上げる。
レミリアが余計な仕草をしなければただ付いて来るだけだったろうに、変に気構えて見せるから完全にからかわれていた。
それでも悪い気はしない吸血鬼。
家督を継がされてからは不遜であれ。
高慢な夜の主たれ。
と、厳しい目でばかり見られていたが、父が存命だった頃、幼い頃は今のように抱き抱えられていた事もあるし、それを好ましいと感じていた事ある。
昔は素直に喜べたのに、何故今恥ずかしいのか?
考えながら少しだけの羞恥心を見せたが離されない為、もういいやと開きなおる。
「抱き抱えられるなんて、いつ以来なのか覚えてないわ」
アイギスの言う通り誰も見てはいないし、偶にはと少し甘えを見せた、振り解く
「御嬢様方が転居されてきたあの晩以来ですね、さして昔でもないはずですが?」
そうだっけと顔に書くレミリアに、そうですと返事述べて目まで瞑って微笑むアイギス。
瞳を閉じて思い出すのはあの夜の事。
今のように吸血鬼を抱き、紫には渡さないと宣言した夜。
あの晩は意識なく静かに抱かれてくれたのに、今日は随分と忙しない。
あの晩は脅されただけのだったような、と難しい顔や考える顔へと変えて悩んでいるレミリアを見つめ、左手に握る日傘を首と肩で挟みわざと日陰の部分を減らしていく。
ほんの少しだけ日が当たり、レミリアの翼から焦げる煙が立つと、カッと照る白い日差しから逃げるように、減らされた影を求めて幼い体をねじ込んだ。
少なくなった影部分となっているアイギスの右肩へ、頭をグリグリと押し付け、いきなり何をするのかと騒ぐ日光嫌い。
「焦げたわ‥‥今の、わざとでしょ?」
「仰る通り、故意的なものですが、何か?」
キッと見上げるレミリアに瀟洒な笑みでそう返す黒羊。
窘められてばかりの相手を窘められる絶好の機会を得た、そう感じたレミリアがわざとだと突いてみたが、言う通りだと返されてしまい繋がる言葉を吐けなくなってしまった。
静かに顔を見上げるだけとなった吸血鬼、それの臀部を右腕に乗せクッと持ち上げ寄せる日除け役の悪魔が更なる悪戯をした。
まだ足りないと日傘をズラし、更に影を小さくして顔を見る。
またやられると察したレミリアが眉尻から眉根へと上げる位置を変え、空いていた両手をアイギスの首に回す、そこまでしてようやく影に収まることが出来た。
「最初から今のようになさって下されば、つまらない悪戯など致しませんのに」
妹の姿と瓜二つに見えるようになると悪戯を止めた黒羊。
アイギスの狙い通りの形になってから日傘の角度を戻して影を広げる、けれど広げた影にレミリアを離すことはなく、寧ろ腕の力は強く硬くなった。
口で言って甘えてこない相手に実力行使で甘えさせた不器用な保護者役が、我儘な吸血鬼の上を行く我の強さを見せると、諦めた吸血鬼が昔の姿を取り戻し話す。
「……だって今更な感じがするじゃない、屋敷に居た時もいつもフランの事ばかりだったし‥‥騒ぎの時にも見てくれなかったし」
押し付けた頭をプイと左に、そっぽを向いて話す吸血鬼。
赤い霧の異変、巷では紅霧異変などと呼ばれるようになったあの時も、レミリアの側にはおらずフランドールの近くにだけいたアイギス。
騒ぎを起こして見事にやりきった後は賞賛してくれた黒羊だったが、紅魔館内にいながらレミリアの晴れ姿は見てくれていなかった‥‥結構頑張ったのに見られなかった、屋敷の主はその事がご不満のようだ。今度はムスッと、いささか頬を膨らませて睨む幼子。
住まう屋敷の中ではあまり見せない子供の表情で睨んでいるが、その視線は全く通じていない、フフッと笑い痛くも痒くもないと示すアイギス。
笑われた事が不服だと更に頬を膨らませるレミリアだったが、アイギスの背中越しに見えた屋敷周辺の光景、霧のような雨だったのが少し雨脚が強くなったのが見えると、ここで言い負かされている場合ではないと気がついた。
「もうなんでもいいわ、さっさと行きましょ、フランに癇癪を起こされそうで……それはイヤ!」
腕の中イヤと騒ぐ我儘なコウモリ。
姿はそれぞれ父と母に似ていて姉妹ではあまり似ていないが、抱き上げた際の重さや物言い、見上げてくる角度までそっくりだとアイギスが気付く。
やはり姉妹か、血筋は争えないと古くからこの一族を知る悪魔が笑って話す。
「畏まりました。では急ぎますので、このまま向かうと致しましょう」
急ぐつもりで畳んでいた翼を開こうとしたレミリアだったが、その白い皮膜が広がる前にギュッと抱かれてしまう。
誰にも見られていないから素直に腕の中にいられた不遜な夜の王。
それだというのにこのまま向かうと、抱き上げられたまま神社を訪れると、離してくれない悪魔にそう言われ強かに焦り始める。
離せ降ろしてと騒いでいるが、まるで聞こえていないように無視して空を進むアイギス。
腕の中でこう騒ぐのも懐かしいと、昔の姿を思い出しながら部分的に降る雨を背に快晴の中、東へと飛んだ。
~御嬢様搬送中~
東の端を目に教える大きな鳥居が二人の視界に入る。
幻想郷と外の世界の間に建つという神社。
異変時の出会いでは不遜な化け物を演じてみせた相手に抱かれたままの姿を見られる、アイギスのことだからこのまま境内まで真っ直ぐに飛ばれる‥‥抱っこされて来るなんて、そんな風に笑われる未来を予見したレミリアが致し方無いと覚悟を決めた。
が、読んだ未来は訪れなかった。
鳥居が見えると神社内に向かわずに、神社の参道、長めに続く石階段の途中に降り立つ黒羊。
地に降りるとレミリアも降ろされた。
「ここから先はお一人で」
「一緒に行かないの?」
久しぶりに見るアイギスの頭頂部、頭を垂れて先へは一人で行けと話すアイギスの頭にレミリアが疑問を投げかけた。
ここまで一緒に来ていながら顔を出さないのはなぜ?
八雲の使いとして過ごしていた頃はここの巫女達とも顔合わせをしていたはず、先代や先々代とはスキマを通して知り合っていたアイギスが断る理由、それがレミリアにはわからなかった。
「楽しいデートはお終いです、他の女と会うのなら私はきっと邪魔になる、ですのでここでお暇致します‥‥またそのうちに、レミリア御嬢様」
反論は聞かず振り返り、カツカツと鳴るハイヒールがレミリアから離れていく。
石段をある程度下ると立ち止まるアイギス、瞳を瞑って聞き耳を立てると背後から聞こえたバサッという翼の音が立てた耳に届く。
小さくなり次第に消えた羽ばたく音を聞き届けた後、しばしその場で立ち止まり、空を見た。
「いつも妹君の為に動いているのは私だけではないでしょうに、姉妹愛が強すぎるのも困りモノですね‥‥そんなところが良いところでもあるのですが、しかし久しぶりでした」
見上げる空から少しだけ視線を傾ける。
視線の先は自身の右肩、つい先程まで抱き上げていた吸血鬼の姉の体温が残る辺り。
いつも『フラン』の為と言ってきた姉の温もりを感じつつ考える。
『フラン』ではなく『私達』の為、そう言われていたら己はどんな風に感じたのか?
素直に嬉しがったのか?
昔のように、突き放し不器用に否定したのか?
今なら前者かもしれないなと、右肩を少し撫でてから、音のしなくなった鳥居の方向を振り向く。
「もういいなら送るわ、それとも会っていく?」
姿を見せずに声だけが聞こえる。
聞き慣れた女の声が聞こえると、鳥居とアイギスの合間に瞳が蠢く空間が開く。
「紫様も一緒に会うというのなら会いましょう、ダブルデートに興じるのも悪くはないと‥‥」
「まだ霊夢と顔合わせする気はないわ、それにダブルデートなんて野暮よ? 初々しい子供でもなし、逢瀬なら私達だけでも良いとは思わなくて?」
言葉を遮られたアイギスがレイム? と呟く。
傾いだ羊に今代の巫女よと話す紫。
あぁ、と納得し紫から視線を鳥居へと移すと、視界の端に雲がほとんど見られない青い空とぽつんと浮かぶ暗雲が見えた。
「あの子、少しは上手になれたのかしら?」
「当たりどころ次第では死なない、その程度には加減できるようになられましたね」
視線を交えず言葉だけを交わす二人。
方や暗く雨音立つ方向を、もう片方は空を見つめる黒い女を眺め、それぞれが同じ相手の事を考えていた。
「そういえば謝辞も伝えておりませんでした、妹君へのご好意感謝致します」
「私は一緒に見ていただけよ? 感謝される事などしていないわ」
素直に礼を述べてみたが礼はいらないと突っ返されて、思わずやれやれと小さな息を漏らすアイギスだったが、言われた紫はただ静かに微笑むだけ。
素直に願いを聞き入れなかった友人が素直に礼を述べた、それが面白く感じられてフフッとアイギスとは別の息を漏らす。
主従の関係にあった頃は両者同じように笑い、別の事を考えていた二人、その二人が今になって表情を別にして考える事を同じにするようになった。
「感謝を伝え悪戯に笑われるとは、損をした気分ですね」
「あら、まだ儲けたいと言うの? あまり儲けてしまってはあの雨雲が荒れてしまうわ、それは困るだろうと思いましたのに」
異変の前、地底での話を持ち出す紫。
風が吹けば桶屋が儲かる、それを返して桶屋を儲けさせた紫が再度ソレを引っ掛けて語り、いつの間にか取り出した扇子で雨雲をパタパタと扇ぐ。
扇がれたせではないのだろうが、紫の手の動きに呼応してゴロゴロと音が鳴り始め一筋二筋と雷光が横に奔り始める雲。
魔女の放った雨雲が本気を出し始めると、その雲に向かって飛び立った二人の人間が見られた。
「さて、楽しく遊ぶだけとなってくれれば良いのですが」
「霊夢は死なないと保証してあげるわ、もう一人はわからないけれどね」
「ではもう一人の少女は私が保証致しましょう」
「あっちの人間を? ただの道具屋の娘に何があるのかしら?」
「逃げられてしまった事があるのですよ、足の早さを保証致しましょう」
わざと逃したとスキマから覗いていた紫は知っている、だが否定せずにゆっくりとした瞬きをして肯定する紫。
形はどうあれアイギスから逃げ切った結果は彼女の自信になる、根拠の無い自信は厄介でやたらに強く、やたらに壊れにくいと精神的な生き物である紫は理解していた。
厄介で後が楽しみな只の人間を作ってくれたものだと楽しげに笑む。
「後は若者達だけにして私達は行きましょ? デート先は何処がいいかしらね? そうね、こちらは暑いから少し涼みにでも行きましょうか」
紅白と黒白が飛び去った空から更に上を見上げる。
高々とした夏空を眺み、そのまま涼みに行こうと紫が扇子を持つ左手でスキマを開き、右手をアイギスに差し出す。
「涼みに?……顕界の次は冥界、御嬢様方の次は西行寺様でしょうか? 利用するばかりではなく貴女様も動かれた方が宜しいかと存じますよ」
雨雲を眺めていたアイギスが紫の手を取り言葉を返す。
先ほど溜め息を漏らした顔、やれやれという呆れ混じりの笑みで他者を動かしてばかりの友人に語りかけるが、口調や雰囲気からは注意するような感覚は感じられない。
感じられるのは友人同士が楽しい遊びを前に話す雰囲気だけ、次の遊びの話をしようとスキマを開いた友人にアイギスが少しの軽口を吐いただけであった。
「気が向いたら私も遊ぶかもしれないわ‥‥それより早く行きましょう、幽々子も弾幕ごっこを見たいって言うのよ。妹さんの晴れ姿、一緒に見ながらのお酒なんていいと思わない?」
会話の繋がりを断つように、つなぐ手を強かに引いてスキマの中へとアイギスを誘う紫。
断るつもりなら振り払える、それくらいの僅かな力しか込められていない手だったが、なんとなく離さずに、そのまま手を引かれスキマへと進んでいく黒羊。
幻想郷へ迎え入れられた際には、仕事の依頼という形で誘われただけ。
少しの好奇心と少しの腹の足しの為に受けた仕事‥‥だったというのに、今では手をとってもいいかなと思うようになった羊の悪魔。
小腹が空く事も多いけれど、今の暮らしも悪くはないと、着いた枯山水の庭で感じていた。
久々におまけ.txtを読みました。