東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第四十話 騒ぎの後で

 つい先程まで赤い霧が全天を覆い、紅の夏霧となっていた幻想の空。

 激しく飛び交っていた赤い弾幕も針も札も、放つ者達が空の舞台から降りた今では、争い事などなかったと言わんばかりに見られなくなっており、森に住まう野鳥の鳴き声と揺蕩う湖面の水音が聞こえるくらいの静けさとなっていた。

 静寂と日常を取り戻した幻想郷の夜。

 音と同じく、染まっていた赤も忘れたようにうっすらと白み始めた空には、微かに見える夏の大三角形や宵から明けへと意味合いを変えた明星が浮かんでいる。

 後一刻も過ぎれば星も見えなくなり、屋敷の主が憎む朝日が登り始める時間。

 日を嫌い陰らせたその主が、意識なく誰かの腕の中にいた。

 

「負けちゃいましたね、いやいや、この地の人間は手強い」

 

 幼い吸血鬼を抱き上げる妖怪が、目覚めない主に話す。

 腕の中でスゥスゥと寝息をたてる幼い主にニコリと笑んで、今回の異変の感想を述べるのは屋敷の門番紅美鈴。巫女と争い負けてから暫くは瞑想するように浅い眠りについていたが、レミリアと巫女が最後の舞台で舞い始めた辺りに目覚め、その姿を見上げていたようだ。

 

「御嬢様まで綺麗に負けたし、これで異変はお終い‥‥ってならないんだろうなぁ」

 

 真っ赤な舞台を彩った一人、夜の王が引き起こした真っ赤な舞台の幕引き役を務めた博麗の巫女、美鈴自身も負かされた相手が飛び消えた南東の方角を見上げ呟く。

 主を拾い上げた紅魔館の庭先に立ち、見つめる先を屋敷の門へと向けていく。

 

「今回は個人的な来訪だと言っていたけど、あの方が来ると毎度賑やかで飽きない‥‥のはいいんだけど、その度に誰かに侵入されてる気がするなぁ」

 

 レミリアを抱く右腕を少しよじって、主が落ちないように少し強めに抱く美鈴が、開いた左手で頬を掻く。巫女の針で傷つき薄い線傷が見える頬をポリポリしつつ考えているのは、異変の前に門前で話した相手とそれに飛びついた二人の事。

 咲夜が屋敷に侵入してきた夜にも現れ、今回の異変が始まる前にも現れたアイギスと、楽しい異変(遊び)に混ぜてもらえなかったもう一人の主人フランドール・スカーレットの事を思う。

 

「アイギス様は上手くやったかな? あの人不器用‥‥いやいや、変なところだけ放任だからなぁ、妹様にキッカケだけ作って後はよろしくとか言ってそうだわ」

 

 見てきたかのようにアイギスの行動を呟く。

 美鈴の予想は大方当たっている、レミリアが外で戯れていた最中、大図書館での騒ぎの後でそのものズバリの事をパチュリー相手に話していた黒羊がいた。

 今は妹に連れられて紅魔館内を彷徨いているようだ、何やら難しい顔をしているようだが、それは後述するとしよう、美鈴が動きを見せたようだ。

 

 よっと声を発して主を抱き抱え、拾い上げた紅魔館の庭先に立ったまま屋敷の門をチラリと見ている華人。

 充てがわれた自分の持ち場を見つめ、もう少し本気で門番をした方がいいのかと考えているが、太陽が登り始めた事で寝苦しいのか、ぐずつくようにウゥンと寝言を吐く吸血鬼の顔を見てその考えを改めた。

 

「むしろ逆かな、もっと手を抜いたほうが良さそうだ」

 

 腕の中で眠るレミリア、その表情は非常に明るい。

 寝ているというのに楽しげに笑っているような、穏やかだが何かに満足したような顔つきで眠りについている。

 異変を起こして愉快に楽しんで。

 侵入者に盛大に負けて。

 見に纏うドレスもボロボロたというのに、それでも楽しそうな顔で眠るレミリア、そんなやりきった顔の幼子を見て独り言を続ける屋敷の年長者。

 

「決まっていたとはいえ御嬢様を降せる人間が本当にいるとは思わなかったし、そういった手合との出会いは大事なものですよね。さすがに素通しは出来ないけど少しくらいは‥‥出会いは多いほうがきっといいはず」

 

 レミリアのやりたいようにやって、最後には負ける事まで決まっていた此度の異変。

 シナリオ通りの流れではあったけれど、プライドの高い紅魔館の主がそれを楽しみ、利用しようと動いたのが美鈴にはとても良い事だと思えていた。

 利用しようという者までも利用して自身の糧とする、糧にしようとした愛しい小さな主、負け試合の最中でも自身の為に動こうとするその貪欲さが良いと、仕える主を再評価していた。

 初めて姿を見た時の事を考えれば、こんなに大それた事が出来るとは思えなかった幼い吸血鬼。

 紅魔館のダンスホールで行われた生誕記念のパーティー、あの時には父と母の背に隠れていただけだったのに。あの頃のビクビクした姿はもう見られないなと、少し懐かしんで幼子の顔を見る門番。

  

御嬢様(こちら)は満足したみたいだけど、あっちはまた泣いてるんだろうなぁ。いつも通りメソメソしているんだろうけど、どうやって慰めるべきか」

 

 主の可愛らしい姿を思い出すと同時に、もう一人の可愛い者の事も思いつく。

 屋敷に現れて十年、寝食も仕事も、鍛錬も共にして今では立派なメイド長となった可愛い人間の姿を想像している。

 人間にしては強く異能な力を持った十六夜咲夜、ただ強いとは言っても二十年も生きていない彼女、美鈴から見ればひよこに毛が生えたくらいにしか見えない瀟洒な従者。

 今頃赤っぽい瞳を更に赤くさせて屋敷の何処かで泣いているのだろう、そんな事を考えつつ門から屋敷の入口へと視線を流した。 

 

「全く、本業以外で忙しい‥‥でもいいかな、通した私が悪いって事で。さて、お天道様も上ってきたしお屋敷に戻りましょうかね」

 

 東の空を横目で見て、屋敷の玄関内へと進んでいく美鈴。

 屋敷から見て東北東に見える妖怪の山、その稜線が明るく輝く。

 ここでぼんやりしていると主が焦げてしまう、ただでさえ忙しくなりそうなのにこの上文句を言われてはと、少し早足で屋敷の中へと歩み消えていった。

 

 日が当たらぬように窓側を避け、屋敷の内側を進み主をベッドに寝かせると、そのまま邸内を確認する武道家。廊下や部屋のあちこちに一回休みに入ったメイド妖精がいて、これはまた大変だと溜息をついて妖精を担ぎ端に積んでいく。

 少し進んでは山を築き、また進んでは小山を盛っていく、ある程度の数を纏めるとキリがないからもういいやと、二度ほど手を叩いて残りは放置し歩き始めた。キョロキョロと屋敷の中を見回していくと、屋敷の螺旋階段を登る途中のもう一人一人の主と、そのお供を見かける。

 

「妹様、とアイギス様。こちらにいらしたんですか、咲夜さんは見かけませんでしたか?」

 

 問いかける美鈴にフランドールが少しの仕草を見せた。

 両手の甲を目の下に宛てがい、グシグシと擦るジェスチャーをしてみせると、美鈴にニンマリとした笑みを見せる悪戯な吸血鬼。

 

「膝抱えてたよ、早く行ってあげたら?」

「ワインカーヴ(貯蔵庫)にいらっしゃるようです、声だけ聞こえたのでそのままにして来ましたが、お連れしたほうがよろしかったのでしょうか?」

 

「やっぱりあそこですか、ありがとうございます。あ、御嬢様を主寝室にお連れしたんですが、カーテンを締めたか忘れてしまって‥‥良ければ確認しにいって頂けませんか?」

 

 構いませんという返答が話されると、争いで破れ赤い髪が見える帽子を脱ぐとペコリと一礼し、そのままアイギス達に背を向けて歩んでいく美鈴。

 妖怪の割りに礼儀正しい武人、品行方正な美鈴が自身で確認には行かずに他者に願う事など殆ど無かったが、探し人が見つかってそれなりに気が急いているらしい。慌てているというよりも、早くあやしてやりたいといった感情が見て取れる足の早さでその場を後にした。

 歩き目指す場所は地下、正確には半地下というくらいの深さだろうか。

 大図書館へと続く下り階段を少し降り、途中にある木造の扉を静かに開けると、何処からか鼻をすする音が聞こえる。

 

「また泣いてる、ここに逃げこむのも飽きないですねぇ」

 

 悩みもせずにカーヴの奥へと進んでいくと、奥の小さなサイドテーブルで突っ伏す給仕服姿を見つけた。

 幼い頃、仕事や武術指南で叱っては時を止められ逃げられて、その度にここに来て同じようにテーブルを抱えていたなと、多少育っても変わりもしない人間に微笑みかける体術の師匠。

  

「泣いてなんか‥‥」

 

 テーブルから顔は上げるが、面と向かって話はしない咲夜。

 エプロンからハンカチを取り出して、ゴソゴソと顔を雑に拭う。

 化粧などしていない、する必要もないくらいに綺麗な肌だったが、今は僅かに赤くなっていた。慕う美鈴に頭を撫でられてヨシヨシと、小さな子どもをあやすような事をされてしまったせいだ。

 

「もう子供じゃないんだから、やめてよ」

「いくつになりましたっけ? 100歳? 200歳?」

 

「妖怪じゃないんだからそんなに‥‥」

「私は妖怪なので。それくらいの年でも子供な妖怪はいっぱいいますよ? その代表が近くにいるじゃないですか、だからいいんですよ、偶には」

 

 負けて悔しい時くらい、そうは言わずに偶にと濁す。

 美鈴の手がヨシヨシからポンポンへと触れ方が変わると、テーブルに押し付けていた拳骨を開いて代わりに華人服の袖を握りこむ人間の少女。

 キュッと握って自身の顔へと当て押し付ける。

 偶にはいいと言われたからか、最近はあまり見せなくなった甘え姿を見せて美鈴の袖を少しずつ濡らしていく。

 他の誰かの前では瀟洒な態度で望み続けている従者、十六夜咲夜がこうまで甘えるのは屋敷の中だけでも美鈴だけ、可愛い相手に頼られ甘えられて悪くないと感じニコニコと破顔する師匠役。

 あの方も吸血鬼姉妹に対してこんな気持ちでいるのかな?

 余計な事をしてみたけれど気がつくかな?

 断られていたら少しまずかったかもな?

 と、泣く咲夜を静かにあやしながら薄暗いカーブの天井を見上げた。

 

~メイドすすり泣き~ 

 

 少し時間が戻って、廊下の角を曲がり消えた美鈴の背を見ていた二人。

 静かに急いで進んでいった門番を見て二人で目を見合っていた。

 身長差のある二人の小さい方は、本来一番に心配されなければならない主。

 今この場にいるのが屋敷の主である姉であったなら、立場が云々なんて文句を門番に言っていたかもしれないが妹はその辺りは寛容、というかほとんど気にしていない。

 気にしているのは立ち振舞よりも感情のようで、心配症な門番が少し可笑しく、同時に心配されるメイドが少し羨ましくなり、隣にいる黒羊に飛びついた。

 

「ねぇアイギス?」

「なんでしょうか?」

 

「私が泣いたら心配?」

 

 フランドールの悪戯心がジェスチャーから問掛けへと変わる。

 幻想郷の魔素に当てられて、爆ぜる感情を表に出してしまった夜も気がつけば現れて、血塗れとなってもどうにかしてくれたアイギス。

 それ以前の外での暮らしでも、屋敷の守り手であったり見てくれない父に変わって保護者役まで引き受けていた黒羊、今までの態度から聞かずともわかるような事を先ほどの笑顔で問いかける。

 

「フランドール御嬢様が泣き出してしまいそうな時には、出来るだけ近くにいたつもりですが‥‥それでは伝わりませんか?」

 

 くっつく妹の笑みに、少しだけ表情を崩すアイギス。

 首に手を回してダラっとぶら下がるようにいるフランドールの尻を片手で持ち上げ、いつもよく見る立ち姿で歩き、話している。

 最初はただの贔屓客の娘達としか見ていなかった。

 愛想を振り撒き見知っておけば後に良い客となる、そんな雑多な考えで姉が物心付く前から屋敷を訪れ語らい近寄っていたが、妹が生まれるとその算段はまるっと潰れた。

 誕生とともに母を壊し、その影響と姿で父を壊した妹。

 能力を体現したように周囲を破壊し始めた妹、その誕生とともに屋敷との関わり方を変えてきたアイギス。商人から盾へ、盾から今のような保護者役へと変わっていき、羊の悪魔が思い描いていた繋がり方とは別の関わり方で今に繋がっている。

 敢えて妹にかけて述べれば、関わり方を壊され続けてきた、そういえるのかもしれない。

 

「わかんない、ねぇ、心配する?」

「酷く心配すると思いますね、ですからそうならないようになさって下さいまし」

 

 珍しく素直に言い切ったと目を丸くするフランドール。

 自分から問掛けておいて驚きを見せるとはなんとも抜けた事だが、これくらい抜けた雰囲気のほうが今のフランドールには似合っている、そう感じて窘めもせずに笑むだけのアイギス。

 壊すのはいつでも出来る、ただ壊してしまえばそれでおしまい。

 そうはせず、色々な物を見て感じて、今までは見せなかった、見られなかった表情が増えていくことを喜ばしいと考えていた。

 幸い次の目標も見えている。

 目を丸くした後は表情を丸く、朗らかな顔で見つめてくるフランドールの片手に見える無地のスペルカード、これが上手く使えるようになればもっといい表情が見られるようになる。

 上手く使える保証などないのにそれでも確信を得るアイギスが、その確信を事実とするために眠りについたレミリアの部屋の前で立ち止まり、ノックをする‥‥前に妹が勝手に扉を開いた。

 

「お姉様寝てるの? 自分だけ楽しく遊んで疲れた?」

 

 吸血鬼の眠る昼間、寝ていて当然なのだが妹は何故か元気。

 手加減の練習で一度燃え尽きて変な時間に眠ったせいか、太陽が登り切った今の時間でも眠そうな素振りは見られずに、姉が眠るベッドへとダイブしていく。

 止まり木代わりになっていたアイギスがフランドールに続いて入室する、眠る姉とはしゃぐ妹を眺めてから部屋の奥を見ると、確かに開いていたカーテン。

 部屋の端の一枚だけが中途半端に開いていて、日が昇ってもレミリアの布団に日が差すことはない程度に開けられていた。

 

「別に噓でも構いませんのに」 

「なんか言った?」

 

 わざとらしく垂れ下がるタッセルを見て、締め忘れたのではなくわざと開けたなと、含み笑いを見せるアイギス。余計な気を回さなくとも今回はすぐにいなくなったりはしない。

 むしろ異変を起こし、見事にやりきったレミリアを褒めてから住まいに帰るつもりだったのにと、美鈴の下手な気遣いを笑う。

 

「何笑ってるの?」 

 

「なんでもありませんよ、あまり騒がれると起こしてしまいます、お疲れでしょうから少し静かに‥‥」

「イヤ! 除け者にしたコイツ(お姉様)なんて起きたらいいの!」

 

 口汚く姉をコイツ呼ばわり。

 普段ならそんな言い方はと窘めれる、それがわかりながら覚悟して言ったフランドールだったがアイギスからは叱りの言葉は飛んでこない。

 それどころか逆に、そういった考えならば良いと目で語り始めた。

 異変のついては褒めるつもりだがフランドールの扱いに対しては思う所があったらしい黒羊、以前は何も言わなかった為に妹の逆鱗に触れた姉、今回は言うだけ言ってお預けという形でフランドールを悲しませたレミリアを少しだけ叱る気があったようだ。

 紅魔館の主としたは賞賛し、姉としては叱責する。

 一人で飴と鞭をこなすつもりだったようだが、フランドールが自分から動きを見せたため今回はフランドールに全てを任せる気になったらしい。

 異変が終わり静寂が帰ってきた幻想郷だったが、異変の元凶である紅魔館は、まだまだ騒ぎが収まらなかった。


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