東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第三話 悪魔な妹

 数日後、深夜の紅いお屋敷。

 その中央に向かい、ヒールを鳴らすどころか床を抜く勢いで強く歩むアイギスがいた。

 緩い螺旋状の階段を上った奥。

 普段であれば当主が座しているはずの部屋を目指して、口を横に結び虚ろな紅い瞳も強いモノにして歩んでいた。

 つい先程一度は離れた紅魔館。

 吸血鬼の姉妹に母の形見から誂えた揃いの紅いリボンを結び渡して、姉妹揃って父に見せるとはしゃぐ姿を見送り、お屋敷の門を出てすぐに大きな音が聞こえ戻ってきていた。

 親子喧嘩というには些か喧しすぎる音が数度響く、音とともに屋敷の中央から放たれる成長し浴び慣れた夜の王者の魔力。何がどうなっているのか全くわからないこの状況、それでも焦りを見せないアイギスが魔力を垂れ流す夜の王者の元へと進んでいた。

 

 主に嘆願し姉妹を守ろうとしたであろう従者達の亡骸を足元に見て階段を登っていく、あと数段も登れば部屋の様子が見える辺りに来て以前の嫌な記憶が蘇る。

 真っ赤な鮮血に染まってこそいないが豪華な装飾が施された扉がねじ曲がり、ひしゃげている光景を視界に捉えたアイギス。

 見知った者が見知った力を垂れ流す部屋の中へとアイギスが歩を進めると、そこには見たくない景色が広がっていた。白い皮膜の翼が捩じ切られて地を這う姉と、華奢な体の妹の首を左手に捕らえて掲げている紅魔館の現当主の姿がそこにはあった。

 乱心したらしい主の右手には、姉は右、妹は左にと、鏡に映らない二人でも合わせ鏡になるように結んだはずの二つの紅いリボンが握られている。コツコツと音をたて入室してきたアイギスの事に気づいてはいるが、紅魔の主が視界の正面に捉える事はなかった。

 

「スカーレット卿、貴方様は今何をされておいでですか?」

「アイギスか、妻が戻ってきたのだ…幼子の姿ではあるがこうして甦り私の元に帰ってきてくれたのだ!」

 

 当主の左手で掴み上げられ天上から下がる灯りに照らされるフランドール。

 灯りを透かして輝く金の御髪を見ながら妻が蘇ったという言葉を吐くスカーレット卿、娘を捕らえて離さない左の力は強くなる一方なのだが…手に掛けようとする娘を見る目は穏やかなもので、愛おしい誰かを見る眼となっている。

 

「主殿、奥方様は亡くなられたのです。今貴方様が…」

「亡くなられた? ちがうな、妻は殺されたのだよ…この悪魔に」

 

 愛すべき娘に見せる顔をしながら娘に対して悪魔と言い放つ、乱心した紅魔館の主。

 似過ぎている末妹の中に妻の姿を見つけたようだが、顔つきと言動は真逆となっていた。行動と言葉がつながらず支離滅裂を体現しているスカーレット卿…数日前に危惧した通り、壊れてしまったと確信めいた物を感じるアイギスが、頭を垂れて背で指を合わせた。後は指を弾けば全て済む、済むはずだったのだがアイギスよりも先に動いた者がいた。

 

『妻の帰還を共に喜んで欲しい』

 そんな言葉をアイギスに吐きながら、左手に力を込めていく夜の王。

 両手で首にかかる父の腕を取り、渾身の力を込めるフランドールだったが…幼い体の膂力ではなんの抗いにもならず、幼い吸血鬼の爪が些かばかり食い込むのみで引き剥がすには至らない。少しずつ抗う力を失っていくフランドールの手が父の腕から離れかけた時に、強い魔力が込められた赤い槍が、フランドールを掴むスカーレット卿の左腕に投げ入れられて綺麗に断ち切った。

 

「レミリア! 貴様、父に向かって二度も手を挙げるなど!」

「妹を守ると約束したのです、お父様。今のお父様は気が昂ぶり冷静ではありません、一度棺にお戻りくだされば…」

 

 折れた羽は一度目の反抗で折られたのだろうか?

 躾にしては荒々しいと感じるアイギスが数歩当主に近づくが、そんな黒羊を無視してレミリアに黙れと叫び、娘の言葉を跳ね除ける乱心した偉大なる主。

 切り飛ばされた腕を一瞬で再生し、床に落ちたフランドールは見えないといった動きで、そのまま左手に魔力を込めレミリアの体躯以上の魔力光を垂れ流し始める。

 夜間の吸血鬼の力。

 暴威としか呼びようのない魔力の奔流がレミリアに迫る前に、アイギスの指が小さく鳴った。

 魔力の音にかき消された指を鳴らす音が響き切ると同時に、レミリアに向かい迸っていた紅い魔力の渦が横合いから何かで抉り穿たれたように瞬時に消えた。

 

「レミリア御嬢様もお転婆が過ぎますが、それは子の戯れと済ませられましょう…ですが、先ほどの御力は親が子に向けて放つにしては少々お痛が過ぎるように見受けられます」

「親が子を好きにして何が悪い? 死んだ妻が戻ってきたのだ、子などこれからいくらでも増やせよう。私から妻を奪ったソレなどいらぬのだ、邪魔をするというのならお前であろうと…」

 

 喉を抑えて床にへたり込む妹を見下して、いらぬ子だと言い切る父。

 再度魔力を高めアイギスに向けて溢れんばかりの力を滾らせる父親、いらぬと言い切った時の顔は以前と同じ、幼い頃に見ていた子供が我儘を言う時の顔で…その評定のままアイギスに向かい力を行使した。

 紅い二本のリボンを鼻に近づけて亡き妻の残り香を嗅いでいる暗君と成り果てた者、いつも通りのアイギスであれば既に力を行使していて愚かな父は消え失せていただろう。

 すぐに力を行使出来なかったのは主が壊れたきっかけを作ったのは自分なのかもしれないと感じられたからだ、姉妹の為に良かれと思い誂えた揃いのリボンが、綻びかけていた主の精神を穿ったのではないか?

 私が余計な事をしなければ…このまま討たれたならば、坊ちゃまと御嬢様方が家族としてやり直すきっかけくらいにはなるだろうか?

 迫る紅い魔力光に対して、構えるでもなくただ立ち尽くし終わりを迎えようと考えるアイギスだったが、その終わりはアイギスに届くことはなかった。

 紅い魔力の波がアイギスに届く前に紅魔館の屋根を突き抜ける形で天へと軌道が逸れていったのだ、放たれる魔力の源を睨むアイギス。

 睨む先には、肘に燃え盛る杖のような剣のような何かが突き刺さり肘から先をかち上げられた紅魔の当主の姿と、父に刃を突き立てる吸血鬼の妹の姿があった。

 

「妻の顔で、妻の姿を見せて私に刃を突き立てるのか…フラン! フランドール!」

「わるいことなんてしてないのになんで怒るの!? 私もおねえ様も…アイギスもわルイコとなンテしてナいノに!」

 

 亡くした奥方様と幼い次女を混同しながらも、次女の名を呼んでは怯み怯えを見せる当主。

 真っ直ぐに見つめることが出来ない愛娘から真っ直ぐに見据えられて、竦むようでは…子も妻も、屋敷も守る為に坊ちゃまと呼ぶのをやめろと言ってきたのではなかったのかと、言葉にせず嘆くアイギス。

 

「フランドール御嬢様、良かれと思い勝手をしたアイギスが悪いのです。そのお力、放つのであれば私に向けられるのが筋かと」

 

 虚ろな赤い瞳を細くしているアイギスが力の矛先を逸そうと言葉を放つが、父の狂気を浴びて感化されたのか、全く聞き入れられず、寧ろフランドールを追い立てただけとなってしまった。

 調子の外れた口調で畏怖の象徴である父に対して、顔を背けずに物を言い放つフランドール。

 

「アいぎスはわるイこトシテないもん! わタシもわるクない!」

 

 少しずつ感情が昂ぶり始めて言葉も乱れ始めた悪魔と呼ばれた妹。 

 明らかに様子がおかしいと感じられるが、何をどうすればいいのかなどこの場の誰にもわからなかった。歪な吸血鬼へと変じてしまったように見えるフランドール、雰囲気までも変わり甘えたな幼子という姿から、気が高ぶりすぎて我を忘れたように成り始めていた。

 フランドールが炎の剣を抱えていた両手を離すと、怯んだままでいる父に向けてゆっくりと右掌を向けていく。

 

「フランドール御嬢様、お控え下さい。それ以上癇癪を起こされるのならばアイギスがお叱りせねばならなくなります」

 

 あの小さな右手が握りこまれればどうなるのか。

 5年前、生まれた時に小さな手を強く握りこんでいた赤子姿の妹君を思い出すアイギス。

 強く窘めても言う事を聞かず、右掌に瞳のような方陣を浮かべゆっくりと握りこんでいくフランドール。

 潰されかけた喉では上手く話すことが出来ず、辿々しい発音で父への思いを言い放った、その後に続くおとう様なんて大きら…という言葉を遮るように小さくアイギスの指が鳴る。

 

 穿たれたのは瞳柄の方陣を浮かべていた幼子の掌。

 小さな掌の中央を綺麗に穿たれて方陣は消え、フランドールがグッと握り込んでも全てを破壊する力は現れなかった。

 フランドールの力に怯えをみせていた、偉大であるはずの夜の王が握りこんだ拳を少しずつ開いていく娘に迫っていく、後2歩くらい進めばフランドールの首に手が届く、それくらいの距離になった頃再度アイギスの指が鳴った。

 パチンと鳴るとぐらりと片膝を着く紅魔館の現当主、娘に向かい踏み出した足を穿たれてバランス悪く前のめりに倒れこんだ。

 

「フランドール御嬢様も坊ちゃまも我儘が過ぎますね、レミリア御嬢様を見習い我を抑え他者を守るという心も覚えるべきかと」

 

 両膝を折り内腿を床にペタンと付けて座るフランドールと、無様に伏せる、坊ちゃまと呼びたくなかった主の間にスコップを突き立て持ち手に両手をかけるアイギス。

 態度こそ怒りを見せる姿で二人の間に立ち、悪戯し過ぎた幼子を叱るような粛々とした声色で二人に対して姉を習えとお説教を垂れ始めた。

 

「坊ちゃま、奥方様は亡くなられま…」

 

 フランドールの名を呼んだ事でまだ間に合う、当主は壊れきってはいないと考えたアイギスがまずは親から叱り始める。

 親になったのだからなどと甘かった、そう考えていた自分の事も窘めつつ、怯え顔の子に戻ってしまった当主を諭していくアイギスだったが、途中で言葉を止めてしまった。

 アイギス越しに末妹を見る当主の瞳に今まで以上に強い怯えが映ったからだ、当主の逆側にいるフランドールの方へと視線を流し睨むアイギスの紅い瞳、見つめる先はフランドールの穿たれていない左掌だった。

 片手を穿ち一度止めた事でフランドールを後に回しても大丈夫、残った手も一瞬で穿つ事が出来ると確信していたアイギスだったが、その考えは愚策以外の何物でもなかった。

 両者の間に立ち仲裁すると姿勢で示したアイギスだったが、気が触れてしまったように感じる二人に対してそれは無意味な姿となっていた。

 

 ほんの数秒。

 スカーレット卿の臥せる側である右側に右目だけを流して、妻は死んだと説き始めた瞬間、アイギスの左の視界の端でキュッと幼子の左拳が握り潰された瞬間――

 アイギスの隣で這い蹲っていたスカーレット卿の体が、一瞬膨れてはじけ飛んだ。

 大きな血袋となり直ぐに爆ぜた夜の王者、部屋の全域と室内にいる三人を真っ赤に染め上げて大きな体は飛び散った。

 

 真っ赤な返り血を肩の辺りに浴びるフランドール。

 その左手も右手と同じく穿たれていたが、目線をフランドールからスカーレット卿へと移していたせいで、アイギスの能力はフランドールを止めるには至らなかったようだ。

 消えた父と左手に空いた真円の風穴。

 アイギスのスコップにかけられた両手の上側、指を鳴らした後にそのまま緩く握っている、真っ赤に染まったアイギスの右手を見比べているフランドール。

 父の返り血をアイギス越しに程々浴びて少し濡れたフランドールが、視線を泳がせて口をパクパクとさせながら、何が起こったのか、私は何をしてしまったのか、幼い頭で理解しようと必死に瞳を惑わせて情報を取り入れようとしていた。

 

「申し訳ございませんフランドール御嬢様、先約がございましてアイギスめが横取りを致しました」

 

 フランドールと同じく父の返り血で染まるアイギスが、答えが欲しいというフランドールに向かい偽りの答えを述べる。

 彼女が何かをして主を滅ぼしたわけではない、視界に広がる血の海からアイギスの仕業ではないと、彼女の能力や力の扱い方を知っている者なら理解出来る。

 当主を殺めたのはアイギスではない、そう理解出来る者が部屋に一人いた。

 

 愛する妹の破壊の力で爆ぜた父がいた辺りと。それを自身がやったと述べるアイギス、二人の立ち位置を見つめて顔を動かしているレミリアがそうであった。

 けれど表情は理解や納得といった理知的なものではなく、困惑しているというものだった。

 フランドールよりは成長し物事を判断する思考力も身に付き始めていたが、それが余計に働いて正しい答えから離そうとしているようである。

 レミリアの赤い瞳に映る光景はアイギスのやり口ではない。

 ではないが、口を開いても何も発さない妹の両手はアイギスの手により穿たれている。

 破壊の力を行使する両の掌を失った妹がいる今の状況から、本当にアイギスに父が殺されたのかもしれないと惑い、その可能性も考えてしまっていた。

 

 レミリアの瞳に映る光景から得られるのはアイギスが妹に述べた物とは違っている、そう考えたいがそう理解するにはレミリアには疑問ばかり浮かんでしまっていた。

 先約とはなんだ?

 幼い頃から見知った父を迷いなく殺せるのか?

 殺した相手の娘に対して横取りなどと、態々怒りを買うような事を言うのは何故なのか?

 アイギスを否定したい部分と肯定したい部分が鬩ぎ合い、疑問しか浮かばせられないままで困惑の表情を浮かべるレミリア。

 困惑の表情を浮かべるレミリアとは対照的に、アイギスを真っ直ぐに見据えるフランドール。

 

「ヨコドリ? おとう様はドコ? ドコへやったの?」

「フランドール御嬢様に成り代わりアイギスがお父様を葬りました。横取りなどという粗相、大変失礼致しました」

 

 両手を大袈裟に振るい雄弁と語るアイギス。

 フランドールが父を殺めた事実を歪め、私が奪ったと嘘をつく。

 父殺したという事実を横から掻っ攫ったアイギスに対して、言葉とは呼べない声で叫び、穿たれた両手でアイギスに向けて炎の剣を突きつけるフランドール。

 両手で振り上げられる燃え盛る剣を、同じく燃え盛るスコップで受けると甲高い金属音が鳴り響く。全力で振られた剣を全力で、真正面から打ち返したアイギス。淑やかに笑んだままスコップを振りぬいてフランドールの両手を肘から曲げる、関節の曲がる方向とは真逆に曲げられたフランドールの両手。両の腕が逆に曲げられて動かなくなった事でやっと怪我をしたと認識したフランドールが泣き叫ぶ、喚くフランドールに向かい平手をかざしてアイギスが指を鳴らすと、糸の切れた操り人形のようにフランドールが床に臥した。

 

「な!! フラ‥」

「意識を穿ちほんの少し眠って頂いただけですよ、レミリアお嬢様。明日にはお目覚めになられますのでご安心を」

 

「でも起きたらアイギスと…」

「少々強引に穿ちましたので、目覚められた時には今の事を覚えていないかもしれませんね」

 

 床に臥せる妹の元へ折れた翼で瞬動し、フランドールを抱えてアイギスを見上げるレミリア。

 抱える妹は力なく、だらりと腕を垂らしてはいるが息遣いは穏やかな物で、アイギスの言う通りただ穏やかに眠りについているだけに思えた。

 それでもアイギスが何故こんな真似をしたのかわからないレミリア、考える事も忘れて真っ直ぐにアイギスに問掛けた。

 

「覚えていない? それにフランの代わりなんて言ったのは…」

「生まれて数年程度で親殺しなど背負う必要はないのですよ。ですが、妹君が成長し背負えるようになったと感じられた時には必ずお返し致します、それまでは棺を背負う事に慣れた私のような者が背負えば宜しいのです」

 

「それではアイギスだけが…」

「私が余計な事をしなければお父様が乱心されるような事はなかったかもしれませんし、アイギスは一つ過ちを犯してしまいました…悪魔でありながら約束を反故にしたお父様を見逃したのです」

 

 レミリアの腕の中で穏やかに眠るフランドールを見つめて小さく呟くアイギス。

 子や孫というにはかけ離れすぎた年齢差があるが、見た目だけでいえば年の離れた姉妹に近い晩成した黒羊と吸血鬼の雛達。

 不器用過ぎるが妹を守り、父がこうなったのは私のせいだと言うアイギスにどう接していいのかわからないレミリアだったが、悲痛さを望ませる目つきで妹を見るアイギスを、この場では責められず言われた事を鸚鵡返しするしか出来なかった。

 

「お父様とのお約束? 見逃したって…」

「レミリア御嬢様がお生まれになる前に仰っておりました、いつまでも幼子のままでいるのはやめると。お父様は『悪魔』である私とそういった『約束』を交わしたのです」

 

 本来であれば契約の儀式を済ませて執り行う悪魔の契約であるが、成り立ちから代わりとして捧げられたアイギスにはそれは必要ないらしい。口約束でも文章での約束事でも、形式通りの契約でもアイギスが交わしたと感じられればそれは悪魔の契約としてアイギスの中では処理されるようだ。

 随分と乱暴な契約であるがお陰で良い面もある、乱暴で雑な契約の取り交わし方のせいか、約束の内容次第では破っても命を奪われずに叱られたり窘められたりする程度で済むこともあるようだ。そうでなければフランドールに潰される前にスカーレット卿は死んでいただろう、それくらいやんちゃでそれくらい我儘で…フランドールの持つ無邪気さを持っていたスカーレット卿であった。

 

「幼子のままでいるのはやめる?」

「はい、親となり紅魔の主として偉大と成る。私という悪魔とそんなお約束をしたのです。本来であれば先日幼子の顔を見せた時に葬り弔うべきだったのですよ…だというのに、私は一度見逃しました」

 

 血で染め上げられた二本のリボンを摘み上げて、あの日に手を下しておけばと後悔する黒羊。

 レミリアの前で初めて悲痛さを露わにし、粛々と言葉を垂れ流す。

 つまみ上げられて血を滴らせ始めたリボンを強く握り締め、数日前に訪れた際に見せた幼い少年だった頃の顔、当主のあの表情を思い出しながら静々と語るアイギス。

 ゆっくりと言葉を紡ぎながらレミリアに話していく。

 話しながら悲痛さをしまい込み、最後には淑やかに笑んで見せた羊の悪魔。

 レミリアの生まれる前の話で本当に約束を交わしたのかはアイギスにしかわからない事だが、アイギスとの小さな口約束を破って尻を叩かれた経験のあるレミリアには、悪魔として約束を重んじるアイギスの心情が少しだけ伝わったようだ。

 

「偉大になられた主様を見逃すなど…お父様の親でもないのに甘えを見せてしまいました。判断を誤った結果が先ほどの…私が成すべき時に成さなかった結果、フランドール御嬢様の手を汚してしまう事になりました」

 

 床に突き立てたスコップでアイギス自身から漏らした魔力を掬い、フランドールの両の手へとかけるような仕草を取るアイギス。

 逆に曲げられた肘は戻らないが、能力で穿たれた掌の穴は埋め立てられて綺麗に元へと戻っていく。

 荒事や残飯処理といった仕事姿を見せないようにしていたアイギスがレミリアに隠していた『何でも穿つ程度の能力』の応用を見せた、穿った穴はスコップを用いてアイギスの魔力で直接埋めれば平らにならせるらしい。

 いずれ記憶も埋め立ててきっちりとお返し致しますと言い切り立ち去ろうとする動きを見せた。

 

「何処へ行くの?」

「穿ち封じたとはいっても記憶を失ったわけではありません、アイギスの姿を見て記憶が戻る場合もあるやもしれませんので…妹君が立派に育つまでこの地を離れようと考えております」

 

「そう…でも、今離れられては困るわ、お父様は召されフランを守れるのは私だけになってしまった、お父様がいないと知った者がここを落とそうとしてくるわ」

「そうですね、心弱い妹君を守れるのは貴女様だけとなりました。今後の事も仰る通りになるかと思います、正しい見解だと思われますが…」

 

 レミリアの言葉から思い浮かぶのはアイギスに狼男をけしかけてきた、嫌味に笑う吸血鬼の貴族。

 停戦し互いに争わない姿勢を見せていたのは、先代であるレミリアの父が強大な力を誇っていたからだ、そんな主がいなくなったと知れば、遺された娘毎この地を奪い領土を広げるだろう。

 レミリアもアイギスもそう考えており、今のままでは抗うことも出来ずに終わると二人とも理解していた。

 だが打開策はある。

 今レミリアの近くにはアイギスがいる、スカーレット卿を幼子程度に扱い一蹴出来るアイギスが近くにいて頼れる状態にある、レミリアにとって喜ばしい事ではあるが、諸手を上げて頼るわけにもいかなかった。

 アイギスの言う通りならば、フランの近くに身を寄せたままでは記憶が戻り妹までも壊れる恐れがある、万一妹とアイギスが争うことになればアイギスは躊躇せずに葬るだろう。

 一度父に対して甘えを見せ後悔したアイギスが、二度も同じ事をするとは考えられない…だがそれでもレミリアがアイギスを引き止めた、二人が争う事はないという確信を唐突に得られたのだ。

 

「アイギスの課した封は失われないわ、だから私達の側にいて欲しい」

「先程から何か雰囲気が…レミリア御嬢様、御力にお目覚めになられたのですか?」

 

「わからないけど、フランとアイギスが手をつないでいる姿が見えたの。怪我はしているけど二人とも無事なの、だから大丈夫」

「左様ですか、どういった流れでそういった運命になるのかわかりませんが、レミリア御嬢様がそう仰るのであれば心配する事もないのでしょうね」

 

 他者からすれば意味のわからない会話だが、自身の能力に目覚めたレミリアと先々代からスカーレット一族と関わるアイギスには会話の意味が理解できた。

 スカーレットの血を引く者はある能力に目覚める事が多い、先々代からは『運命』というものに関わる力を得るのがスカーレットの一族なのだとアイギスは聞いていた。

 レミリアの祖父は『運命を視る程度の能力』

 父は『運命を知る程度の能力』

 という、他者の運命を覗き見、知れるといった物でその力を行使し紅魔館を盛り立て続けて来たからこそ、今の紅魔館があった。

 

「ご開眼おめでとうございます、その御力があれば安々と命奪われる事はないでしょう。後は研鑽し力を確かな物へと昇華させていかれるのが宜しいかと」

「力を磨けって事よね、妹を守り私も力を得るために頑張る…主って大変なのね」 

 

「まだ主とは呼べませんな。失礼を承知で申し上げますが力も知識もない、幼い吸血鬼でしかないのです…ですが主たる者として持ち合わせるべきものは持っている、それを磨く準備を今から始めてはいかがでしょうか?」

「もっているモノ?」

 

「妹君を守りたいという意思、そのお心を確固たるモノにするために必要なのは研鑽するための時間。時間を得るには身を守る壁や盾がいる、私の名はなんと言うのでしょうか?」

 

 引き止められ直ぐに姿を消さなかったアイギス、そんなアイギスに対して主として一人でどうにかしようという尊大な姿勢を見せるレミリア。

 妹が出来たのだから目上の者になり守るべき立場になれ、というアイギスのお願いを覚えていてそれを成そうとする小さな主、その場で諭すだけのつもりで言った事を覚えていたという聡明さに関心を示したアイギス。

 腕を組み腰を曲げて、妹を抱き座ったままでいるレミリアに近づき微笑みを見せる黒羊。

 運命が見えるというのならアイギスが動かずに待っている理由も見えるはず、フランドールと手を繋ぐ運命が見えるというのなら今は離れるべきではないと考えたアイギス。

 レミリアから聞きたい言葉を待っているという態度で、少しだけ挑発するような笑みを見せる羊の悪魔。

 暫く待ってもレミリアからの言葉は得られず、もう少し追加しようかとアイギスが口を開きかけた頃、幼いながらも尊厳さを宿す表情になったレミリアが返答を始めた。

 

「…アイギス、お願いがあるわ。妹を守り通す、そう言い切れる様になるまで屋敷を守ってはくれない?」

「レミリア御嬢様からのお願いですし、このまま素直に頷きたく思いますが…折角ですので少し練習をしてみましょう、今は形だけでも構いませんので不遜に言い放つ練習を致しましょう」

 

 以前は自身の店舗内で先代に向けて放った言葉を、次代の当主に噛み砕いて言い放つアイギス。

 父譲りの青みがかった銀髪が紅い屋敷の灯りで輝いて、幼稚ながらも美しさを魅せようとしているヴァンパイアの小娘、挑発する笑みを浮かべたままにいるアイギスに対して座ったまま、妹を抱いたまま翼を大きく開いてみせた。

 父譲りの髪と母譲りの翼を翻して、精一杯自身を大きな者へとしようとする小さな吸血鬼、後は先代と同じように頼むのではなく申し付けてくれれば。

 言葉にせず内で願うアイギスに対して、紅魔館という畏怖の象徴を受け継いだ幼きノスフェラトゥが、アイギスの細いネクタイを掴み顔を近づけた。

 タイを引いても悩み言葉を発さない次代の主。

 数分そのままの体制で過ごしてから、一度強く瞼を閉じてみせたレミリア。

 固く閉じられた赤い瞳が開かれるのを全く動かずに待ちつつづけている古い時代の悪魔、レミリアよりも黒みが強い、アイギスの赤黒い瞳に見られていては言い出しにくいのかもしれない。

 練習なのだから強張ることもないなと、緊張をほぐす用にタイを引いている小さな白い手に褐色の手を添えて頭を垂れた黒い羊。

 レミリアの眼前に二本の巻角が収まると、小さな咳払いの後、促された不遜さを身に付けて文言を吐いた。

 

「レミリア・スカーレット個人として依頼する。私が主として成るまで、我が願いが叶う時まで盾となりその力を振るえ。アイギス=シーカー」

「中々良い文言です、そうして少しずつ慣れていきましょう…そのご依頼、承りましてございます。終生の従者とは相成れませんが、御身が単身で畏怖と成れるその時までは…アイギスの名の通り、貴方様の盾となりましょう」

 

 気丈に振る舞えど未だ幼気(いたいけ)な幼女である小さな主。

 不遜であれとアイギスに促されネクタイを強く掴んではいるが、紅い瞳には今後を憂い不安で堪らないという思考が漏れている。

 タイを引かれ近づけられた幼子の顔を見て、何から始めるべきかと悩むアイギスだったが、まずはこの場を収めようと考えたようだ。

 母に続き父も失い、妹までも傷つく姿を見たレミリア。

 小さな肩に家督まで押し付けられてしまい、幼い体躯で受け止めるには酷な事が頻発しすぎている。長く続いた緊張に耐え切れず俯いてしまったレミリアの体を抱き、片手でも余る体躯の背を撫でるアイギス。

 右手と左手に姉妹をそれぞれ抱いてそのまま立ち上がるアイギス、姉に掴まれたままの黒いネクタイにはポツポツと染みが出来始めた。

 先々代に叱られて泣きついてきた先代と同じように、泣き顔は見せずに静かに泣く後の当主。

 主となられるまでは泣きついてきてもいいかと、血の海の中で思いに耽ていた。

 


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