東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第三十一話 気分新たに

 紅魔館の正面玄関。

 四方を壁に囲われたこの屋敷で唯一中へと歩める門が、屋敷の正面にある。

 往来に不便な造りではあるが、この屋敷の者やこの屋敷に通う者達はほぼ飛べるので、この壁に壁としての機能は必要なかった。

 屋敷を建てたかつての主が世間へ力を示すために、己の根城を確固たる物にするためにわざわざ作った壁で、言うなれば唯の見栄である。

 見栄の為に作られた壁と門であったが、いつからかここを自分の持ち場と考える者がおり、その者が守護するようになってからは正しく壁や門として機能するようになった。

 その守護者だが、今は門にはいない。 

 

「さて、どうしようかな?」

 

 姿のない屋敷の門番、紅美鈴の声がする。

 その声は門を潜ってすぐに見える噴水の側から聞こえてきた。

 腕組みして首を傾けて、何かに向かって話しかけている。

 

「良し、バッサリといきますか」

 

 組んでいた腕を解き、目の前で日光に輝く銀の髪に手櫛を通して、持っていたハサミをくるくると回してから、持ち上げた髪に刃を入れはじめた。

 数度動かしては迷いなくバッサリと断たれていく銀の髪。

 楽しげに切る美鈴とは裏腹に、切られる側は真剣な表情をしている。

 

「あ、動いたら危ないですよ」

 

 ひざ下に届くくらい長く、伸ばしっぱなしだった銀髪が切り落とされていく。

 散髪のために少しだけ濡らしているからか、少女の首には少し重いようで、切られる度に髪とは逆側へ頭を動かしている。

 

「頭が軽くなるの始めてだから」

 

 他者に髪を梳かれるのも切り整えられるのも初だという少女。

 十六夜咲夜が美鈴に向かってモジモジとしながら口を動かした。昨晩レミリアから付けられた名前に美鈴が漢字を当てはめたこの名が、これからの彼女の名前となった。

『咲』だけ漢字を変えたのは花のように咲いた笑顔が可愛かったから。

 少し気恥ずかしそうに、照れながらもそのような事を美鈴が話していた。

 今は楽しげな顔の美鈴だが、その時の恥ずかしそうな顔は咲夜の方に移ってしまったようだ。

 表情を隠すように俯いてモジモジとしているが、既に髪は切られ、その表情を隠す事はできなくなっていた。

 

「そうですか、ならこれからは私がいつでも切ってあげます。これでも結構器用なんですよ?」

 

 櫛も使わずにハサミ一本でサクサクと切っていく美鈴、恥ずかしそうに俯く咲夜を見つつ朗らかに笑んで、髪を払いながら不意に頭を撫でている。

 バサバサっと髪を払われて、その度にちょいちょいと撫でられて、昨晩の風呂場の時のように小さく頬も赤くなっていく咲夜。

 

「後は前ですね。さぁ、下向いてないでこっちを向いて」

 

 頭頂部を払った手で咲夜の頭を持ち上げる美鈴。

 慣れてない撫でくりのせいですっかりと借りてきた猫のような咲夜。

 犬っぽいかと思えば次には猫っぽい、可愛い生き物だと内心で思いつつ、笑い顔のまま美鈴が咲夜の側頭部辺りの髪にハサミを当てると、刃を閉じる前に咲夜の姿が消えた。

 

「逃げ足が早いなぁ、でも切りますよ」

「切ってもいいけど、少し残して」

 

「少し残す?」

 

 逃げておきながら自分で戻り、美鈴の前に座り直す咲夜。

 美鈴の側頭部で揺れる編上げを見ながら自分の髪を持って、美鈴の顔を見つめ始めた。

 昨晩の風呂から随分と懐いたようで、部屋も用意されたが寝床を共にした二人。

 美鈴とおそろいにして欲しいと言う事を言葉にはしていないが、それでも態度からお揃いにしてほしいと語っていた。

 

「おねだりしてくれればいいですよ、お揃いにしてほしいって言ってみてください」

「おねだりってなに?」

 

「こうしてほしい、そうしてほしいと誰かに願う事です」

 

 年長者が子供を諭すように、柔らかい表情のままで少し背を丸めて顔を寄せる美鈴。

 根が真面目で今のような悪戯に近い言い方をしないのがこの武人だが、人間の子供だというのにお願いも、誰かにねだる事も知らなかった少女に教えるため、敢えてそうしたようだ。

 気を操る能力を持つ拳法家、気を使う事も得意らしい。

 

「……にして」

「ん?」

 

「お揃いにして!」

 

 少し近寄った美鈴の顔を俯いたまま、目だけで見上げて、子犬のような瞳で言われた通りにねだる咲夜。

 よく出来ましたと頭を撫でて、自身の編上げと同じくらいの長さで咲夜のもみあげあたりを切り、チョチョイと編みあげると、片方の編上げからリボンを解くとそれで結んだ。

 肩にかからないくらいに切り揃えられ、銀のボブカットとなった咲夜の頭に美鈴と同じくらいの編上げが結われて揺れる。

 視界の端に映る三つ編みに何度か触れて、揺れる動きを確認してから眼の色を変えて美鈴に飛びつく子供、本当に可愛い生き物だと飛びかかられた美鈴も楽しげに笑っていた。

 

~少女破顔中~ 

 

「十六夜咲夜、ね。良い名前だと思いますわ」

「私もそう感じます、紅様によく懐いているようで、これから館内の仕事が手解きされ、組手などもされるようです」

 

 スキマに映る赤いお屋敷を見ながら、よくわからない地に建つ屋敷で話す者達が二人。

 見ているスキマの中では庭先で花を植えた後、そのまま噴水の前で手合わせをし始める楽しげな顔の武人と、汗をかいて真剣な表情で動く咲夜の姿が見られた。

 

「無事受け入れられたようですし、あの子がもう少し育ったら始めてもらってもいいかもしれないわね」

 

 人と妖怪が血を流さずに笑い合う光景を見つめてから、何も書かれていない見本のカードへと視線を流して淑やかに笑む八雲紫。

 これから広めるルールの為の布石として、拾い上げて利用した人間の少女が無事受け入れられた事で任せても大丈夫だという確信を得ていた。

 アイギスからの報告も悪い話はなかった、それどころか紅魔館の主が少しずつ成長していると、幻想郷に馴染み漢字の意味を理解して名づけたと聞いて良い環境になってきたと感じていた。

 

「あの人間は素敵な贈り物となりました。感謝致します、紫様」

 

 吸血鬼の姉妹に代わり深々と頭を垂れるアイギス。

 状況から言葉の通りの謝辞だと思われるが、期待を裏切るなという報酬に対しての謝辞でもある。

 そんな事をわざわざ言う事など普段ではないのだが……

 

「雰囲気からまるで最後の挨拶ね、契約更新は出来ないという事かしら?」

 

 重そうな頭の角を畳につくスレスレまで下げているアイギス、その肩に手を添えて紫が契約更新と口にした。

 紫が話した通り残り数年で最初の契約期間である300年が経つ頃合い、後の事を考えれば契約を続けて手綱を締めておきたい、以前の紫はそう考えていたが今は違うようだ。

 

「お望みであれば更新し、今まで通りに過ごしますが如何なさいますか?」

「更新前に一つ伺っても?」

 

 畳に向かって、なんなりと、と返答する雇われ人。

 何を聞かれるのか、と少し考えたようだが穏やかに話す紫の声色と、肩に置かれた手の暖かさからそう悪くない事を質問されるとこちらも確信を得ていた。

 

「アイギス個人に問います、ここは良いところかしら?」

「良い場所だと感じますね」

 

「言い切ってくれるのね、嬉しいけれどその心は?」

「良き闘争相手もいますし、愛おしい者もおります。そして良き友人と呼びたい者も眼前におりますので‥‥暮らしても悪くない、良い場所だと思えますね」 

 

 肩に置かれたままの紫の手、それに自身の手を添えて頭を上げたアイギス。

 個人として問われた事で、雇われからアイギス個人の姿勢へと変えるように面を上げて紫を見つめた。扇で隠されていない顔に向かって瀟洒に笑み、素直に述べた。

 

「そう、ではもう一つ‥‥もしここを、幻想郷を壊せと、そう依頼を受けたらそれを成そうとするのかしら?」

 

 肩に置かれている手に少し力が入る。

 押さえつける程でもなく、殺気などが込められているわけでもない、ただ真剣な質問をしていると知らせるために紫が少し力を込めた。

 

「紫様から壊してほしい、そう依頼されれば全力を以って壊しましょう。この返答では不服でしょうか?」

 

 表情を変えずに淡々と話すアイギス。

 訪れてすぐはタダの箱庭、妖怪が妖怪のために築いた小さな箱庭としか思えずそれほど興味もなかったが、この地を愛する紫の命やお出かけ、偶の休暇の際に出会ったこの地の者達と信仰を深め、ここで暮らすのも悪くないと感じ始めていた。

 外に出れば暇を持て余す終われない暮らしが待っているが、ここであれば、気が向けば殺し会える相手が大勢おり、その者達と気軽に会う事も可能だ。

 外では感じられない充実感や高揚感、絶頂感を感じる事が出来る良い相手達。

 そんな者達と別れるなど、今のアイギスには考えられなかった。

 完全に自分の為だが、種族柄致し方ない思考だろう。

 

「なるほど‥‥ではアイギスとの契約更新はなしとします」

 

 紫から依頼されれば破壊する。

 そう言い切ったアイギスの顔を眺め、以降の契約更新はなしと決めて肩に置いていた手を引いた。言い方からすれば紫以外からそれを依頼されたとしてもそうはしない、そのような事を含めて言っているように取れるアイギスの返答。

 紫が真剣に問うて真剣に返されたが故に、その言葉を信用する事にしたようだ。確証などない唯の口約束、だがアイギスから話された口約束だからこそ紫は信じる事にした。

 

「畏まりました、ここまで長きに渡るご利用誠に感謝致します。残り10年もない雇用関係ですが、何卒最後までご贔屓に」

「こちらこそ最後までよしなに。さて、残る数年ですがまだまだ働いて頂きますわ。つきましては今から霧の湖近辺に行ってもらいたいの」

 

「構いませんが、どういったお仕事でしょうか?」

「あの近辺に宵闇の妖怪がいるのよ、その者にコレを渡して使い方を教えてきて欲しいの」

 

 スキマを開き腕を入れてゴソゴソと探る紫。

 目当ての物が出てくる前に、標識や墓石など余計なものが色々と出てくるが、ある程度弄った後で、何も書かれていない新品無地のカードが取り出された。

 

「スペルカード? 使い方などは私もよくわかっておりませんが?」

「難しい事なんてなくってよ、これはただの紙だもの。これに名前を書いて、それに因んだ弾幕や技をこれから見せますよとわかればいいだけの紙よ」

 

 紫の手持ちにあるのは、何か呪のような文言が書かれた紙帯で纏められた白いカード。

 紙帯のせいでそれらしく見えるが、形式上そう見せているだけで実際は紫が言った通りのただの紙ッペラである。

 使い方も紫が言うまま。

 これはただ宣言する為のカード。

 弾幕や技はそれぞれが持つ力をカードに描いたように表現するものだ。

 強さよりも美しさに重きを置いた戦いの為のアイテム。

 血生臭い争いを減らす為のアイテム。

 

「加減させるような拘束力などはないのですね、ルールを破ったらどうなるのでしょうか?」

 

 この地の争いを血で血を洗う殺し合いから、楽しめる遊びへと変える為の物が紫からアイギスへと手渡される。ペラペラと数回扇いで両面を見た後に、本当になんの効力もない紙のカードだとわかり、カードの感想を述べつつルールを破った際の罰則を伺っていく。

 このルールが広まり布かれれば、真っ先にルールを破りそうな位置にいるのが、友人達の中で数人浮かぶ為聞いているようだ。

 

「アイギスが楽しめるというだけね、会ってもらうつもりの者にもルールは伝えたけれど首を縦に振ってくれないの。体に教えてきてくれていいから宜しくね」

 

 珍しくニコリという明るい笑みの妖怪の賢者だが、話す内容は物騒だ。

 直接こうしろとは言ってこないが、ルールを破れば今日のように体に教えていい、そのようにルール制定者から言われたアイギスも嬉しそうに笑む。

 ニコニコと笑む二人、気安い友人のように互いに笑んでいるがどちらも胡散臭いものとしか映らない。力尽くで従わせてこいと言い切る雇い主と、その物言いに迷いなく頷く雇われ人。

 もう直この関係も終わるというのに、きっと最後までこうなのだろう。 

 

「畏まりました、今から向かえばよろしいのでしょうか?」

「アレは夜の方が元気だから暗くなるまでは…そうね、散髪でもしてきたら? 気にしているんでしょう?」

 

 開いたままの紅魔館上空に浮かぶスキマ。

 その先ではおおまかな形に切り揃えた後、最後の手直しを終わらせる寸前の美鈴と、整えられていく自分の髪を見て、嬉しそうに笑んで終わりを待つ咲夜の姿が見える。

 美鈴にでも貰ったのか、咲夜の三つ編み二本には華人服とお揃いの色をしたリボンが結ばれていて、動いてはそれが揺れるのが楽しいようだ。

 見た目も種族も違うが姉妹が遊んでいるような、出会いからたった一日しか経っていないというのに本当によく懐いたらしく、これが終わればまた飛びつきそうな未来が見える景色。

 

 だがその未来は訪れない、散髪を終えた瞬間を見計らいスキマに入っていく者がいるからだ。

 紫が見つめるスキマTVに黒い姿が映る、散髪の為にかぶっていた古いシーツを剥がされた咲夜が美鈴に飛びつく前に、アイギスの足音に気がついた美鈴が振り向く姿が紫の視界に収まった。

 

「私が願えば、ね。契約を終えても期待したままでいてくれるという事かしら‥‥友人から期待されているのなら、裏切るわけにはいかないわね」

 

 スキマに映る今の雇用者で後の友人を見つめ呟く紫。

 紫がかる金の瞳には、表情も動きも止めた咲夜に微笑みかけてシーツを受け取り自ら被るアイギスが映る、バサッと羽織る姿を見て羊なのに白が似合わないとクスリと笑んだ。

 閻魔様の心配は杞憂になる、杞憂にしてみせると映姫の前で話した時以上に気合を入れる紫。

 生中継される後の友の散髪を眺め、バッサリ刈られたらいいわと呟き笑んでお茶を啜った。

 

~少女毛刈中~

 

 霧の晴れた湖の湖畔。

 近くの魔法の森を背に、紅魔館を正面に見る形で、ちょうど湖の真ん中辺りで夜間に見つめ合う二人がいる。

 両者共に闇夜に目立たない二人。

 片方はまだ目立つ部分が多いか、黒いスカートに黒いベスト姿だが着ている長袖のシャツは白で髪は黄色みの強い金色、瞳と同じ色合いの赤いネクタイとリボンも闇夜に目立っている少女だ。

 湖上で止まる姿も両手を広げ伸ばしたような、十字架に磔られたように見えなくもない姿で浮かんでいて、伸ばした指の先には渡された白いカードを挟んでいる。

 もう一人は真逆で、肌まで黒くて灯りのない夜ではよく見えない、けれど黒いスーツの中に着ているシャツとその瞳は赤く、その部分だけが浮いて見えて見方を変えれば目立っていた。

 

「ご理解頂けたでしょうか、ルーミア様」

 

 昼間切られた髪を揺らし話す悪魔。

 後ろから前に下がっていくボブカットを夜風に揺らすアイギスが問い掛ける。

 癖の強い髪のせいで綺麗に切り揃えられたとはいえないが、普通の鋏で器用に毛量も減らしてもらいスッキリと随分落ち着いていた頭になった。

 広がったり内に入ったりしているのはご愛嬌として、首側から顎先に向けて毛先が長くなる髪型が新しい黒羊の髪型のようだ。

 結構気に入っているらしく、ちょいちょいと弄りながら話していた。

 

「紫から聞いてるから知ってるわ、面倒臭いルールが出来るってお話でしょ?」

 

 ふよふよと漂いつつ会話するルーミアという少女。

 目的もなく漂って、腹が減れば人を喰う。

 人間の子供と変わらない小さな体ながらその食欲は旺盛で、自分よりも大きな獲物を多い晩であれば数人は食す彼女。今日はアイギスに付きまとわれてしまいまだ食事にありつけていない、その為声色にも態度にも早くいなくなれという態度が見え隠れしていた。 

 

「面倒臭いですか……確かに、人に付き合って差し上げなければならない分手間でしょうね。ご不満ですか?」

 

 落ち着かない態度に不満の色が見えるルーミア、ふよふよと好きに漂っているくらいだ、何かに縛られるのは嫌いなのだろう。妖怪の賢者を呼び捨てで呼べるくらい古くからこの地にいる妖怪、力はないなどと妖怪図鑑には記されているが食べるだけで全力を出す者もいない。

 実際の所はどうなのだろうか、少し楽しみなアイギス。

 

「不満、食べちゃダメって話じゃないけど名前とか考えなきゃならないんでしょ? 面倒くさ~い」

 

 両手を広げてくるくると回り、ルーミアの浮かんでいる周囲に闇を散らしていく。ズモモと広がりを見せる暗がり、霧の湖の湖面が見えなくなるほどに大きく広く拡散し、月明かりも届かなくなった。闇の中でルーミアの動きを見ていたアイギスだったが、宵闇の妖怪の姿が見られなくなると少しだけ笑み始めた。

 

「面倒事はなかった事にする、そういった事でしょうか?」

「そ~なのよ、このカードも見なかった、紫の話も聞かなかった事にすればいいって思いついたの」

 

 アイギスが問いかけると、闇に紛れ姿をなくしたルーミアの返事だけが聞こえる。

 声の聞こえる方向に顔を向けると、その方向から何も書かれていないスペルカードが数枚飛んできた。見なかった事にするとは、受け取らなかった事にして知らん振りを決め込むという事らしい。暗い闇の湖面へと沈んでいくカードを見ていると、アイギスの背後から忍び寄る何かが現れた。

 

「腹ペコだから狩りに出る前に少しだけ‥‥イタダキマス」

 

 背から近づき大口を開けるルーミアがアイギスの左肩に齧り付く、少女の口に生やすには鋭い、牙に近い鋭利さを持った歯で服も骨も気にせずに強引に噛み千切った。

 ミチミチという千切れる音が鳴り、体に歯形を残して消えた黒羊の肩。

 脇部分に残る少しの肉と皮膚だけでぶら下がる腕を見て、ヤマメよりも先に喰われるとは思わなかったと、感心するように鼻を鳴らして肩を戻すアイギス。

 遠くではぺっと、口から吐き出す音だけがした。

 

「マズイわ」

「食べておいて吐くなど、失礼な御方ですね」

 

「おやつにもならない」

「本当に失礼な御方だ、少し窘めて差し上げます」

 

 聞こえてきた声に返答し、バラリと周囲にスコップをばらまく。

 そのまま全てに炎を灯すが、燃え盛る音が立つのみで周囲が明るくなる事はなかった。

 

「無駄よ? ここは私の闇の中だもの」  

 

 猛る炎の音の中に少女の声が混ざる。

 カン、カコンという音がした後に再度アイギスに迫る黒い影。

 今度は正面から迫り、アイギスの眼前まで肉薄すると頭を齧れるくらいに広がった赤い口がアイギスの視界に入った。

 先ほど噛み付いて残る血と唾液が糸を引いている口が開かれ、羊の頭を飲み込む勢いで閉じられるが、肉を裂く音はせず、代わりにガチンという硬い物に歯を立てる音が響いた。

 アイギスが頭を横に向けて角で歯を受け、硬さで勝ったようだ。

 

「いったぁい!」

 

 一瞬だけ見えたルーミアの顔。

 両方の頬を抑えながらすぐに消えたが、自身の歯よりも硬いものを噛んだせいで顎にでも負担がかかったのだろう。闇の奥から何度かガチガチと歯を噛み合わせる音がして、その後でカコンという金属にぶつかる音と同時に、アッツイという文句も聞こえてきた。

 

「先程からの音と今の文句、もしや私と同じく見えていないのでしょうか?」

 

 度々ぶつかるスコップとルーミア、それと熱いという文句から何かあたりをつける黒羊。

 この読みは正解である、宵闇の妖怪ルーミアは種族通り闇を操りそれを好きに広げたり出来る妖怪。際限なくとは言わないが、本気を出せば霧の湖一帯くらいは全て真っ暗に出来るくらいの能力はある、が、完全な闇となるため一切の光は届かない。瞳に光が差さないのであれば物が見えないのは当然で、それは一応生物の形でいるアイギスにも、闇を操るルーミア自身にも該当した。

 

「見えないけど、嗅げばいいの。血の匂いは覚えたわ」

 

 あたりを付けて手を考える中、再度アイギスにルーミアが迫る。

 三手目は横から、牙を剥いて迫りアイギスの右手に噛み付こうとするが、大口を開けた瞬間に口内で顕現されたスコップで噛み合わせることなく止められた。ンガっと言いつつ後退するルーミアだったが、下がっていく途中でアイギスの指の鳴る音が数回響く。

 鳴り響く度に数箇所ずつルーミアの広げた闇が穿たれ、虫に囓られた葉のように湖を覆う闇がかき消されていった。

 

「暗幕だというなら取り払えばよろしい、簡単な事でした」

 

 虫食いの闇の中、体の両脇に燃えるスコップを回しているアイギスが現れる。

 炎から生じる上昇気流を受け、前髪と少し長めの側頭部の髪を揺らし、赤黒い瞳を輝かせて、暗幕の虫食いを指を鳴らして広げていく。

 だんだんと小さくなるルーミアの闇。

 ある程度闇の範囲が狭まると、顕現させた三本目の角を高速回転させて放り始めた。

 

「なに!? これなに!? あっつ!? あっついって!?」

 

 僅かに残る闇の中からルーミアの悲鳴に近い声が聞こえる。

 聞こえた声の方向に向かって集中して投げ込まれる炎上する回転ノコギリ。何にも当たらず湖に沈もうが、先の地面に突き刺さり地面や草を炎上させようが、全く気にされずにボンボン放られる燃えるスコップ。聞こえる悲鳴が悲痛な声に変わった頃、少女サイズの小さな闇に入っていくモノがスコップからアイギスに変わった。両手を横に伸ばしルーミアの飛行姿勢を真似たような体制で、闇に向かって真っ直ぐに突貫する黒羊。

 闇の中で左腕に柔らかな感触を感じると、ソレを右手で掴み上げ、そのまま地面に突撃した。

 

「追い詰められても能力を解かない気概は好ましい、ですがもう少し頭を使われた方が宜しいかと」 

 

 ズゴンと落ちた妖かし二人。

 ルーミアは力尽くで背中から地に伏せられて、アイギスは右手が折れるのも構わず地面にルーミアを埋め落とした。地に埋まるルーミアに大して助言のような皮肉を言うアイギスだったが、その言葉はルーミアには聞こえていなかった。

 偶にピクリと動くだけで返答はしない闇の妖怪。

 致し方なしとルーミアの体の上に予備のスペルカードをばら撒く黒羊、衣服や切ってもらった髪に付いた土や埃を数回払うと、迎えに開いたスキマへと消えていった。

 霧の湖で起きた短時間の荒事。

 これを見ていたのは三人。

 スキマの主とルーミアが捨てたカードを拾ってはしゃぐ氷の妖精、そしてその氷精の背に隠れついてきた緑髪の妖精だけであった。


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