東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第三十話 増える月夜

 何かの侵入を防ぐように視界を霧が埋める湖。

 それほど広くはない湖だが、日中はかかる霧のせいで広く見られる池沼。

 今は夜間で霧も晴れ、その全貌を露わにしているから然程広くないとわかる。

 幻想郷にいつからあるのかわからないこの湖。

 いつからかこの地にあり、最初から霧を生じていたこの湖、その湖畔に土地ごとお引越ししてきたお屋敷がある。数十年前に突然に、周囲の土地ごと引っ越してきた赤い血のようなお屋敷……だったのだが、引っ越してきたその晩に盛大に破壊され、新しく修繕された部分は赤ではなく白い部分が多いように見られた。

 外壁を染めるための染料不足というのもあるが、この屋敷に住まう妹が母を思い出した事で少しは白い部分があっても、と駄々をこねたのが大きな理由らしい。

 赤七割、日光の加減次第では白六割くらいに見える色合いになった吸血鬼の屋敷。

 日中から紅魔館を眺む者がいた。

 

「ここまで近づいても警戒の色も見えない、本当に吸血鬼の居城?」

 

 霧の湖の周囲に茂る森。

 その緑の中に身を潜め紅魔館を探るように見つめる者が呟く。

 ろくに手入れもされていない汚れた銀髪を目深に被ったフードに隠し、同じく決して綺麗とはいえない衣服を着ている人間が、視界に写る赤っぽいお屋敷の感想を述べていた。

 首の部分だけが止められる作りの黒いコート、というには随分と端々が切れているがフード付きのコートを羽織り、顔も身も夜の闇に隠して探るこの人間。

 名もない子供が綺麗に晴れた月夜に身を潜めて、魔の者しかいない屋敷へと近寄り動いていた。

 

「まぁいい、私が考える事でもない」

 

 数日前の昼間からこうして探るこの人間。

 見た目は10歳になったかならないかくらいの子供である。

 口調こそ大人びているが声色もまだまだ幼く、人里で遊びまわる童子共と大差がないような体つきの人間が屋敷を望み呟いていた。 

 

「考えた所で聞いてくれる相手もいない…」

 

 するすると音なく動く子供。

 何度か門番に気が付かれて、潜んでいる辺りを凝視されていたりするのだが、一瞬にして姿を消して門番が寝こけた頃にまた現れるを繰り返していた。

 その力を今も操り発現させたのか、門番の警らから逃げた時と同じく音なく姿を消していった。

 

~少女行動中~

 

 屋敷の中は随分と騒がしくなっていた。

 機嫌を損ねた吸血鬼が暴れまわっている。

 一度は収まった妹の狂気が再度現れて暴れまわっている。

 妖精メイドが仕事の名目で邸内を荒らして回っている。

 といった荒々しい騒ぎ方ではなく、キャイキャイとはしゃぐ幼女の声で騒がしくなっていた。

 騒ぎの中心にいるのは吸血鬼、その妹。

 数十年前の引越し時には単独で分身となった喜びの感情、それが再度現れたのかという勢いで全身から喜々とした雰囲気を放つように、背に生やした宝石を輝かせ飛んでは抱きついていた。

 抱きついては離れ、再度輝いては抱きついてと落ち着きなく飛びはしゃぐ姿は、ある意味で気が触れたと言えるかもしれない。

 

「お気持ちは嬉しいのですが、もう少し落ち着かれては如何でしょうか? フランドール御嬢様」

 

 はしゃぐ妹、フランドール・スカーレットに飛びつかれて苦笑しながらも、少し嬉しそうな顔のまま窘めるのはアイギス。

 いつかのお引越し、今では『吸血鬼異変』と呼ばれるようになったあの騒ぎの後、何度か訪れているがその度にフランドールには抱きつかれ今のような顔を見せていた。

 

「イヤ!」

 

 嬉々と輝く翼に負けないくらい瞳を輝かせて、全力でアイギスに抱きつくフランドール。

 加減などないままに抱きついて、アイギスの体の何処かからミシッという音がしたりしなかったりするくらいの勢いである。

 正面から抱きついて短い幼子の腕をアイギスの脇腹へと回す妹君、黒いスーツの背中側までは回らない腕でしがみつくため結構な力でくっ付くが、肋あたりから鳴るミシッという音はそれが原因のようだ。

 

「そう強く抱きつかれては、さすがの私でも壊れてしまいそうです。落ち着かれないのでしたらせめて力を緩めて頂けませんか?」

「イヤったらイヤ!!」

 

「そう仰らずに、我儘を仰られるのであれば壊される前に帰ってしまいますよ?」

 

 ミシッからメリッに変わった内の音。

 体内で鳴るその音を聞いてからフランドールにお願いを述べるアイギス、体を傷つけられているというのに随分と悠長だが、日が悪かったと諦めているから窘める程度で留まっていた。

 数度気が触れた吸血鬼、安定しない力を持ったままの妹が満月が過ぎたとはいえ満月に近い十六夜に、気が触れる事もなくただ嬉しげに飛び回っている姿。

 それを見て感じるのは、成長した嬉しさやこの地に慣れたという事。

 痛いは痛いが良い感情の方が強いらしい。

 

「壊れないくせに‥‥でもいいわ、久々にお泊りしていくって言うし、我慢してあげる!」

 

 フランドールがはしゃぐ理由はこれであった。

 仕事だのなんだのと難癖付けて。顔を出したとしても日帰りで帰っていたアイギスが、今夜は泊まっていくと伝えたものだから大はしゃぎとなっていた。フランドールからすれば久々に遊べると楽しげだが、アイギスは今日も正しく仕事として紅魔館を訪れていた。

 雇い主から受けた今日の依頼はひとつ。

 もうすぐ広めるルールの為に吸血鬼に贈りモノをした、今晩辺りには訪れてくれるだろうから、上手く話が纏まるか見届けてきて欲しいという物だった。

 

「はい、久しぶりですし楽しい夜を過ごしましょうか。フランドール御嬢様もレミリア御嬢様も楽しく…他の者も楽しく過ごせる夜と致しましょう」

 

 腹に顔を埋めるフランドールを抱き上げて、両手で強かに抱きしめるアイギス。

 近くなった妹の耳に楽しく過ごそうと述べると、キラキラと目を輝かせてアイギスの頬に自身の頬をすり寄せてきた。

 擦り寄ってくる幼女の匂いと感触を嬉しく思いながら、今夜はどういった意味合いで楽しい夜になるのかと色々と期待して、フランドールを抱き上げ何をしようかと楽しげに話すアイギスであった。

 

~妹様遊戯中~

 

 紅魔館の地下深く。

 充てがわれた部屋で妹蝙蝠と羊の悪魔が戯れ始めた頃。

 赤い屋敷の中でも小さな戯れと呼べるような事が起き始めた。

 誰もいない部屋の戸がいきなり開いたり、急に閉じたり。

 掃除という名の悪ふざけをする妖精メイドがいきなり倒れて目を回したりと、なんだかよくわからない事が少しずつ起こり始めていた。

 

「なんでしょうか、見知らぬモノの氣を感じはするけれど飛び飛びで感じ取れるとは。イマイチ掴みきれないですね、この騒ぎに関係……するんだろうなぁ」

 

 倒れて伸びる妖精メイドを数人、肩や両手に抱えて歩くこの屋敷の警護役が呟いて屋敷内を歩いている。

 夜間になり主である吸血鬼達が目覚めた今の時間帯はお勤めを終えて、自室で休むか地下の図書館で書物を読んでいるのが常なのだが、今日は書物ではなく荷物を抱えていた。

 

「しかしあれですね、あの方が来るとなにかしら騒ぎが起きる。アイギス様が何かを起こしているわけではないけど、それでも毎度賑やかになるなぁ」

 

 追加で寝ていたメイドを拾い、雑に食堂へと投げる美鈴。

 食堂から続く宿舎がメイド達の寝床であり、そこまで運ぶつもりだったようだがさすがに人数が多く、一回休むだけで死にはしないし、これでいいやと投げていた。

 アイギスが来ると騒ぎが起こるなんて独り言を言っているが、かつては自分もその騒ぎの一人だった自覚はあるのだろうか?

 

「取り敢えず見回りでもしますか、ナニカがいるのは間違いないし……匂いからすれば野良犬っぽいんだけど、迷子なら飼ってもいいなぁ…御嬢様方、犬って好きだったかな?」

 

 開いていた食堂の扉を閉じて、屋敷の警護に動き始めた美鈴。

 メイドを運ぶついでに感じた氣がある食堂へと顔を出し、色々と話して気が逸れている素振りを見せていたが、この食堂の奥に隠れ身を潜めていた侵入者には気が付かなかったようだ。

 気を感知出来る美鈴が気がつかないとは、どういった者だろうか。

 

「あの方? ‥‥吸血鬼の屋敷でその名は‥‥? まさか、ね。あの女からは何も聞いていないし、あれはただの民間伝承のはず‥‥それより犬って、犬……」

 

 時計を持つ自身の腕を嗅ぐが、よくわからない顔をする子供。

 数日間も風呂に入らず過ごせば匂いもしよう、ついでに言えば普段から綺麗にされてはいなかった人間だ、慣れてしまい良くわからないのだろう。

 それはそれとして、美鈴の残した言葉から何かが思い当たる侵入者だったが、この者の物言いからもある程度察することが出来る。

 

 どうやら誰かに雇われてここに送り出されたらしい。

 この侵入者の記憶を辿るなら依頼人は日傘を差した金髪の女で、紫色のドレスを着ていたようだ。どこかの貴婦人のような出で立ちで現れ、口元を和風の扇で隠したままこの侵入者に吸血鬼退治を依頼した。

 正確に言えば妖かし退治を生業とする者達を悪戯に滅した胡散臭い女が、運良く最後に残ったこの子供を拾い上げ、祝福儀礼を施した銀の武具を押し付けて、ちょっとやんちゃしてきなさいと屋敷近くに放っただけである。

 前述した贈り物とはこの人間の事のようで、人間と妖怪が対等に争う、もとい遊ぶためのルールを広めるために吸血鬼の屋敷に人を入れるとどうなるのか、八雲紫はその辺りを見たかったようだ。

 運がいいのか悪いのか、この子供は体よく紫に拾われて利用されることになった。

 相手から考えればなんとも不運だが、それでもこの子供にとっては幸運か。

 ボロに近い服と一切れのパン、寝泊まりする屋根をくれていた大人は死に絶えたが、死んだおかげで持ち得る力を利用していた者達からは開放されて、上手くやれば自由も得られるチャンスが与えられたのだ。

 

「それでも裏付けにはなるか、忘れられたっていう伝承の悪魔、その名を話す従者がいる屋敷‥‥ここの主が吸血鬼である証拠としてあの女に話すには都合がいいわ」

 

 養う、というよりもこの子供を飼っていた大人達の口調を真似て、その者達から得た中途半端な知識を呟く子供がまた小さく呟いて姿を消した。

 黒いコートに隠した唯一の愛用品。

 腕の中で輝きを放つ銀の懐中時計を開き、秒針を少し見つめてから匂いだけを残して忽然と姿を消していた。

 

 そんな外の世界から届けられた贈り者が屋敷の中をうろつく中。

 屋敷の主は地下にいた。

 目覚めてから感じる屋敷の中の匂い、数日風呂にも入っていないような獣に近い匂いと、それに隠れている芳しい匂いを感じ取り、その原因を探っていた。

 寝起きでまだ朝食も済ませていない屋敷の主レミリア・スカーレットが、友人で地下の大図書館の主パチュリー・ノーレッジに見せつけながら左手に天球儀を浮かべていた。

 

「うーん? 確かにいるんだけど操ろうとすると場所が変わっているのよね、忽然と消えて別の所に移動している感じがするわ」

 

 左手に浮かぶ運命の輪を眺めながら、首を傾げて悩むレミリア。

 屋敷の中に突然現れた美味しそうな青い果実を探そうと、その者の運命を操るつもりで寝起きから手の平の上でグルグルと輪を回しているが、どうにも掴みきれないでいた。

 

「瞬間移動、空間移動といった転移魔法を短距離で使い続ければ出来なくもなさそう。魔女であれば可能だろうけど、匂いは人なのよね?」

「美味しそうだから間違いないわ。ちょっと臭うけどジビエだと思えば問題ないでしょ」

 

「悪食癖がついても知らないから、それよりもどうやって捕まえるの? いたりいなかったりするんでしょう?」

「待っていれば来るわ、そろそろここへの階段に気がつくはずよ。匂いも近づいてきているしコレにもそう出ているわ」

 

 悪食と窘められつつもレミリアは特に気にせず輪を見つめる。

 先程から少し回っては止まってを繰り返していた運命の輪、その指針が大図書館の扉方向を指して、時計の秒針のようにカチッと音を立てて止まった。

 早速来たのか、と扉を振り返るレミリアだったが、振り返った瞬間にはキラリと輝くナイフが数十本は刺さり、お? と言葉を発しながら床に傾き始める。

 

「レミィ!?」

「まず一人、次いで…魔女、か?」

 

 ハリネズミのようになったレミリアに手を伸ばし、体を浮かせて後方へと下げるパチュリー。

 魔法を行使しながらナイフを放った方向を睨む魔女。

 その視線の先には誰もおらず、投擲してきただろう敵の姿は見られなかった、だが警戒は解かず自身の周囲に5つの魔導書を浮かばせて全てを5色のクリスタルへと変化させていく。

 くるくると回るクリスタルが5つの方向を警戒するように動くと、パチュリーの周囲にも先ほどのナイフが展開された……音もなく作られたナイフの檻、その全てが一斉にパチュリーに向かって飛ぶが、青い何かに阻まれて魔女には刺さらず宙で止まった。

 

「詰めが甘い、でも手段は魅力的ね。どうやったのか聞きたいけれど、姿を見せてくれそうにはないわね」

 

 無色透明の水の泡のような結界に刺さるナイフを抜き取り、侵入者の詰めの甘さを述べつつ手際の良さだけは褒める魔女。

 レミリアを移動させた瞬間から元素を操り自身を守るバリアのような水の結界を張っていたようだ、時折煌めいて見える泡の中で周囲を見渡すパチュリーが、敵の次の手を考えていた。

 

「まず、というのだし全員が標的なのだろうけど…そっちはマズイわ、どこから迷い込んできたのか知らないけれど、怖い目にあっても知らないわよ?」

「……下に行ったの? 怖い目って、どちらも怖いわね、確かに」

 

「今の貴女も大概怖い見た目よ? 祝福儀礼までされた銀の刃物を受けているのに、随分と余裕ね」

「満月が過ぎたとはいえまだ十六夜よ、これくらいどうともないわ。それよりもこの猟犬ね、視る限りプレゼントらしいんだけど、噛み癖から直さなければいけないみたい」

 

 顔面、その瞳に刺さったナイフを抜きながら起き上がり、パチュリーに向かって軽口のような事を話すレミリア。

 図書館内に四色のクリスタルを飛ばして敵の探知し始めたパチュリーが、匂いの続く一箇所を見つめてポツリと呟いた後、起き上がってきたレミリアにも呟いていた。

 魔女の見つめる先は地下へと続く道、同じくレミリアも修復した瞳で階段を見つめる。

 美鈴の警戒を抜け、レミリア・パチュリーに気が付かれずに行動し更には攻撃までして姿を消した何処かの誰か、意外と面白いモノを寄越してくれたと、侵入者のこれまでの運命を視たレミリアが頷き笑んでいた。

 スキマが送り込んできた者。

 案として固まったスペルカードルールの最終的な様子見としてわざと送り付けてきた人間。

 手酷く相手をしては紫にどう見られるかわからない。

 そんな事を輪の中の景色から読み取り、食うよりもそれを逆手に取ってスキマに見せつけようという魂胆も見え隠れする笑みであった。 

 

 

 一方レミリアを針のむしろとした子供は足音を殺しつつ階段を降りていた。

 投げ込んだ本数から一匹は仕留めた、魔女も逃げられるような隙間はなかったし、あの魔女の動き方からすれば攻めるよりも守りに強い者だと認識し、逃げながら手を考えているようだ。

 

「退路の確保が済んでからナイフを回収、邪魔をするのならあの魔女も…いえ、無理な話ね。私の邪魔が出来る奴なんて…」

 

 地下へと降りる最中フードを外して顔を見せる子供。

 少し汚れているが顔立ちは整っていて、綺麗に手入れをすれば十二分に輝くような女性に育つ、そんな事を想像させる凛とした顔つきの少女が呟きと共に足を止めた。

 正面から階段を登ってくる誰かがいる。

 コツコツと足音を立てて登ってくる者。

 場所からすれば確実に屋敷の者。

 すなわち敵だと感じ取り、残り少なくなった銀製のナイフを構えて、その者が視界に入る瞬間を待った。響く足音が近くなる、後数歩登れば影が捉えられる…少女がそう感じた瞬間に、暗い地下の闇の中に赤黒く光る横長の瞳を視た。

 

「人間? あぁ、紫様の仰られていた贈りモノという…」

 

 見えた瞳の主、低い声の女が話す最中で言葉が聞こえなくなる。

 話している最中で銀のナイフが額、喉、胸の中心とそれぞれに刺さっていた。

 赤黒い光が消えてほっとする少女だったが、その体が倒れ崩れずに踏み止まった事で再度警戒し、一度引くように階段を登り始めた。踵を返して逃げ始めた少女が足を踏み出すと、パチンという音が狭い階段の中で響く。

 音が鳴ると階段状に削られた石段が穿たれて、少女の足元を安々と掬った。

 

「足場が!?」

「手癖が悪い子ですね、少し躾が必要でしょうか?」

 

 喉に突き刺さるナイフを抜いて、喉と口から地を流すアイギスが少女に向かって手を伸ばす。

 額と胸に刺さったナイフはそのままに、生き物であれば確実に絶命している見た目で、怯んだ少女へとゆっくり歩んでいく。

 が、手が届く前に少女の姿が忽然と消えた。

 

「いない? 手品で……」

 

 また話す途中で言葉が遮られた。

 懲りずに喉や首に刺さる銀のナイフだったが、今度は刺さったまま事などなかったかのように動くアイギスが少女の動きを捕らえた。

 先ほどアイギスに穿たれ抉れた部分。

 階段があった辺りで右手にナイフを構え、左手で懐中時計を開いている少女に、千切れそうな首を回して微笑みかけるアイギス。

 

「なんで!? 止まってないの?!」

 

 開いた時計のスイッチ部分をカチカチと鳴らす少女。

 その時計を使って何かをしたいようだが、少女が今立っているその部分では何も発動しないように見えた。

 

「何をしたのかはわかりませんが、その場所では何も起こりませんよ?」

 

 冷や汗を浮かべる少女に一歩近づいて、首や胸、額に刺さるナイフを抜きながら穏やかに話すアイギス。

 時計を弄り突如消えては現れる少女、時間でもどうこうしているのかとそれっぽいあたりをつけて、その力が発動しない理由を簡潔に述べ始めた。

 

「貴女様が立つその抉れた部分にはもう何もないのですよ、私が穿ちソコに穴を空けましたので」

 

 再度指を合わせ、捨てたナイフの刃先を穿つアイギス。

 普段は見える物体を穿ちわかりやすいが、今日はよくわからない状態であった、彼女は空間でも時間でもそこに在るなら穿ち掘り返すと豪語している。今の物言いからすればこの少女の立つ位置はアイギスに穿たれた、そこにあった空間も時間も穿たれて穴が空き無くなった、それ故何も操れなくなったという事らしい。

 少女の上下する胸を視る限り空気は残っているように見える、デタラメな能力でデタラメな発現だが、事象の境界を操る隙間妖怪もいれば、よくわからない力で空間ごと殴り抜ける鬼もいる幻想郷だ、この地であれば然程デタラメではないのかもしれない。

 

「吸血鬼の屋敷にいて、穿つ‥その角‥あれはただのお伽話でしょうに!」

「お伽話とは一体何の事やら、もしかするとそのように伝わったという事でしょうか? その辺り、是非とも詳しく聞きたいですね」

 

 まだ降りられる地下へと汗を飛ばしながら降っていく少女。

 アイギスが穿ち抉った部分から身を動かして再度時計をカチッと鳴らす、その瞬間から少女の姿は消えたが……階段の続く先からアイギスに言ったよりも酷い声色で叫びが聞こえてきた。

 少女の瞳に映ったのは、恐らくだが宝石羽を生やした幼女四人のバラバラ死体。

 一人は瀕死で生きているが、他は中身もぶち撒けているような状態で部屋の塗料になっているような状態だ、それを見て声を立てずにいられるほど少女は成長していなかった。

 

 小気味よい声を聞いて甘美に浸っていると、上から降りてきた屋敷の主と魔女が合流する。

 聞こえてきた声を確認してからアイギスに歩み寄ってくるが、胸に穴の開いたスーツや血塗れの襟元を見てから、やっぱり怖い目の者に会ったんだなと納得し頷いていた。

 

「あの人間は?」

「また派手に刺されたのですね、それでもレミィよりはマシか」

「あの少女でしたら高揚し過ぎて分かれた妹君と対面されております、久々に見た異能な人間が面白くて少し遊びすぎましたね」

 

 先頭を歩き問いかけるレミリア。

 その一段後から別の事を問いかけるパチュリー。 

 二人にそれぞれ返答して、祝福儀礼の施された刃で刺された額などを撫でるアイギス。

 並んで地下へと歩んでいく魔物三人。

 足音鳴らして降っていくとフランドールの部屋で行き詰まり、復活する兆しを見せた吸血鬼の妹から逃れようと階段を上ってきた人間と対面したが、その少女は意識を穿たれて登る途中でふらりと倒れた。 

 

~少女失神中~

 

 ちょっとした追いかけっこが行われた屋敷。

 鬼役だった者が途中から追われる側になるなど、少し歪な鬼ごっこではあったが、歪な悪魔を交えたお遊びとしてはそうなっても仕方がない。

 そう思えるくらいに最後はあっさりと終わった捕物だった。

 屋敷の主レミリア・スカーレットが芳しい匂いだと評じたあの少女。

 あの後は捕まり匂いから喰われたのか?

 と獲物として見られればそう考えらるが、喰われるという事はなく、今は屋敷の皆と一緒にいて身を清められるのを待っていた。

 

「喰われる‥‥」

 

 屋敷の主は流水が苦手だという割に何故かある大浴場。

 丸く大きな湯船が中央にあり、その周りには体の洗い場兼獲物の洗い場がある。

 その洗い場の端で小さくなりポツリと呟いたのはあの時計を持った少女だった。

 

「何か言いましたか?」

 

 木で作られた和風な椅子に座る少女。

 その後ろから声をかけるのは屋敷の警護役兼使用人兼門番兼料理長の紅美鈴。

 何時寝ているのかというほど色々と任されている彼女が、縮こまる少女に声を掛けた。

 

「何も……」

「人外しかいませんが皆さん良い方ばかりですよ、食べられなくて良かったじゃないですか」

 

「綺麗にされたら喰べられる……」

「食べませんよ、レミリア御嬢様も仰っていたじゃないですか。人間の割りに面白いから飼ってやるって」

 

 丸まって猫背になる少女。

 気落ちして、まるで地獄の底にでもいるかのような声色で話すが、同じ椅子に座った美鈴が両足を開き子の背中にピタリとくっついて頭からお湯をかけ始めた。

 ゴボゴボと何かを言う少女の事は気にせずに、数度頭からお湯を被せてそのままワシワシと頭と髪を洗っていく。

 

「泡立ちが悪い、何日くらい野宿してたんですか?」

「今日で7日」

 

「どおりで、犬と間違えるわけだ」

 

 優しく笑みながら獣臭い少女を洗う美鈴。

 一度では泡立たないほどに汚れた灰色っぽい髪をすすぎ、再度泡立てて楽しげに洗っていく。

 コレでもかとシャンプーを手にとって少女の頭をマルマルモコモコとさせていくと、それを見ていた湯に浸かる者達が何を遊んでいるのかとジト目やら笑顔やらで見始めた。

 

「また贅沢に使って」

「汚れを落とすのなら泡は多いほうがいいけど、あれじゃ逆に落としきれなくなりそうね」

「アイギスみたいな頭だね」

「あそこまで丸くモコモコでは‥‥モコモコでしょうか?」

 

 屋敷と書庫の主達が遊ぶ美鈴をじっとりとした目で眺めている横では、四肢をバラされた後だというのに楽しげに笑う妹と、その妹の背もたれ代わりになっているアイギスがやや不機嫌な顔で湯に浸かっていた。

 四人が見つめる先では数回ほど頭から湯を掛けられても逃げようともしない、屋敷でただ一人の人間が小さくなっている。

 

「さぁ次は体です、ちょっと立ち上がりましょう」

「体は自分で…」

 

「いいから、お姉さんに好きにさせなさい」

 

 少女の両脇に手を伸ばして軽々と持ち上げる美鈴。

 ちょっとだけ抵抗した少女の手が美鈴の頭にペチンと当たると、そのお返しと言わんばかりに脇をくすぐり始める拳法家。

 耐え切れず笑い声をあげる少女とそれを楽しげに見つめる美鈴、主の命を狙いに来た侵入者相手だというのにキャッキャッと楽しげな雰囲気である。

 

「それで、本当に飼うの? 特異な能力があるとはいっても人間よ?」

「飼うわよ? 人間にサボテンみたいにされるなんて初めてだもの、美鈴の時にも思ったけれど、私にない物を持っている者は手元に置いておきたいのよ」

 

 少女の笑い声が響く中、パチュリーからの問掛けに答えながらアイギスを見つめるレミリア。

 手の届くところにいて欲しいという気持ち半分、あれは私じゃ手に負えないという気持ち半分で見つめている。問掛けたパチュリーも笑う少女を見て少し考えているような表情だ、かつて人間に殺され焼かれていった両親の事でも思い出しているのだろうか?

 

「もう…本当に…ダメ…」

「やっと諦めた、最初から素直にすればいいのに」

 

 笑い疲れた少女が身を捩る事をやめ呟いた、そのままぐったりと美鈴にもたれかかる。

 抵抗を諦めた少女を抱いたまま丁寧に体を洗っていく美鈴、全身まるっと洗い終えて抱かれたまま美鈴ごとお湯を被る。

 

「楽しそう、アイギス、あれやって」

 

 背もたれ代わりのアイギスの胸をペチペチと数度叩いて、自分も丸洗いして一緒にお湯をかぶって欲しいとねだるフランドール。

 レミリアにしろフランドールにしろ湯船に浸かるなど自殺行為に思えるが、流れていなければ問題ないらしい。それでも川のような流れはないが多少の水流はあるはず、だがそれは『流れ』ではなく水の『動き』としか感じないため大丈夫との事だ。 

 同じ作りのプールも大丈夫だと姉妹共に言っていた、雑な認識力である。

 

「お断り致します、紅様かもう一人の悪魔におねだりされるがよろしいかと」

「なんで不機嫌なの?」

 

 ペチペチと叩かれながら完全拒否の姿勢を見せるアイギス。

 先程から濡れた髪を撫でてはつまんだりしているが、その表情は少しだけ不機嫌そうな眉根だけがほんの少しだけ寄って下がるような表情だ。

 フランドールにモコモコと言われたのが気に入らないらしい、羊なのだからある程度は仕方がない、そう思っていたようだが少女のモコモコ泡頭を見て思う所が出来たようだった。

 ちなみに美鈴と一緒に言われた小悪魔は端で壁に寄りかかりぐったりとしている、その子は私が洗うと下腹部と胸に手を伸ばそうとした瞬間から、首に落とされた美鈴の手刀によって違う世界へと旅立っていた。

 

「反対はしないけど面倒見られるの?」

「諸々は美鈴に任せるわ、屋敷の中の事でも仕込んでもらえばそれなりに使えるようになるでしょ。ついでに組手でもしてもらって猟犬から番犬にしてもらうわ」

 

 全部丸投げするつもり、そう述べたレミリアにパチュリーがため息を吐いて吹きかけた。

 幻想郷に来る時もパチュリー頼りだった紅魔館の主、従者も他人任せにするとは主としてどうなのか?

 そんな事を考えているようだが、それくらいに大らかだから私も受け入れられたのだったなと思い直して、湯船に浸かってきた美鈴と少女に視線を移していた。

 

「そういえばお名前は? 名無しでは呼ぶに困ります」

「名前、ない‥‥です」

 

 美鈴の隣で湯に浸かり、小さな体の顎先までを湯船に浸けて話す少女。

 綺麗に洗われた伸ばしっぱなしの銀髪を湯船に漂わせて、小さな声で名前はないと呟いた。外の世界でこの子を飼っていた連中は便利な道具、時を止めて色々と出来る道具としか見ておらず名前は与えられていなかった。

 与えられていたのはその者達への強い恐怖と殺しの業だけ。

 不満を言えば殴られて。

 汚い仕事を押し付けられて。

 手に入れた全ての物を掠め取られて生きていたようだ。

 能力を鑑みれば脱出など容易に思えるが、物心付く前からそう仕込まれていれば逃げるという発想は思い浮かばないのだろう。

 殴打などの暴力だけで済んでいたのがまだ救いか。

 

「名前ね、では私が名付けてやろう」

 

 レミリアが全くない胸を張り宣言する。

 悪魔二人と少女以外が全員レミリアを見つめ、誰が見ても不安という顔で屋敷の主を見つめていた。この屋敷の者達はレミリアの高尚すぎて理解し難いネーミングセンスを知っている、スピア・ザ・グングニルはまだいい。

 が、八雲紫から手渡されたカードに付けた名前は、こう、声高に宣言したりするには少しばかり格好が良すぎる名前ばかりとなっていた。

 そんな主の口が動く。

 

「そうね……サクヤ。サクヤ・イザヨイにするわ」

 

「おぉ、まだまともな名前」

「安直だけど、いつものよりはいいわね」

「今日の月夜と昨夜の満月からですか、いいですね」

 

 どうだという顔でふん反り返る姉。

 それを聞いてまだまともだと返答する妹。パチュリーと美鈴も同じく、予想以上にまともだったと感心しながらそれぞれが少女の顔を見つめていた。反応はせずに話だけ聞いていたアイギスも予想外だったようで、不機嫌顔は変わっていないが小さく頷いていた。

 

「さくや?…いざよい?」

「良かったですねサクヤさん、良いお名前だと思いますよ」

 

 顔を上げて付けられた名前を呟くサクヤ。

 隣にいる美鈴から名前を呼びかけられて、花の咲いたような笑顔を見せた。

 生まれ落ちてから初めてついた名前。

 それを呼ばれ始めて感じた暖かな感覚。

 それが何かはまだ理解できないのだろうが、人外しかいない風呂場で人情を感じ笑うというのも幻想郷らしくていいのかもしれない。

 

「お姉さんのお名前は?」

「お姉さんは紅美鈴です、よろしくお願いしますね」

 

「ホンお姉さん?」

「メイリンお姉さんですかね。サクヤさんとは逆で、文字も漢字というのが入っています」

 

 真面目に考える顔で美鈴を見上げるサクヤ。

 青い瞳で真っ直ぐに美鈴を見て悩んでいるが、この子の扱っていたナイフから察するに、この子もレミリアやアイギス達と同じく異国の出なのだろう。あちらの者達からすれば漢字などはわからないし、名前の姓名が逆だという事も違和感があるのかもしれない。

 

「カンジ…私もそれがいい」

「私の名付けに不満を言うとは‥‥躾が必要か」

 

 ふん反り返っていたレミリアが、サクヤに顔を近づけてその牙を光らせる。

 首元に向かって少しずつ動くレミリアの頭だったが、妹がレミリアの背におぶさって二人で湯船に沈んでいくと、ガボガボと底で文句を言っていたが、飛沫から逃げるように思わず美鈴に飛びついていたサクヤを見て考えを改めた。

 妹を引き剥がし顔を上げると美鈴を睨んだ。

 

「懐いたみたいだし、いいわ。何か考えてあげて」

「さすがにそれは出来ません、御嬢様に仕える身として拒否します」

 

「では言い換える、良い名を与えよ」

 

 言い切って一人で先に出て行く主。

 クスリと小さく笑って後を追ったのはパチュリー、素直じゃないなと考えながら、同時に身形に似合わない寛大さで良い友人だと感じているようだ。

 そのまま無言でアイギスも湯から上がる、それに続いて飛びついてくるフランドール。フランドールを背中に乗せたまま美鈴とサクヤそれぞれを見比べると、表情を変えて瀟洒に笑んでみせた。

 ビクッとして美鈴に隠れるサクヤ。

 自身の能力もナイフも通じない黒羊は正しく恐怖と映ったようだ。

 畏怖を感じ満足そうに笑んで湯から出るアイギスも、紫からの依頼は問題なくこなせた、レミリアも配下を想える良い主になったと感じているようだ。壁にかかる置物になっていた小悪魔を雑に掴んで、ズルズルと引き摺りながら浴場から去っていった。

 サクヤと美鈴だけが残された湯船から、少しの笑い声が聞こえた。


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