東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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~出会いを交わす~
第二十九話 研ぐ庭師


 

 地底の湯煙が届かない地上の更に上。

 正確には上ではなく世界がちがうと述べるべきだろうか、地底深くで起きた喧騒や、地上で暮らす者達の笑い声も届かない世界。

 アイギスが今いる世界は夏の暑さや冬の寒さとは縁遠いような世界。

 長く続く階段とその先に立つ日本屋敷だけが人工的な建造物に見える場所、その屋敷の庭園に広がる枯山水を望める縁側にアイギスの姿があった。

 今日も今日とて休暇中の御庭番。

 胡散臭い雇い主からまた休みを押し付けられたのかと思われそうだが、今日は違っているようだ。

 

「休みに付き合って頂いて申し訳ありません」

 

 外廊下兼用の縁側に座るアイギスが、誰かに話しかける。言いながら見つめる先は視界に広がる優美な庭園ではなく、持ち込んだ木桶に水を張り丁寧に砥石を動かす老紳士の手先。

 シャリシャリと静かな音を立て、話しかけられても無言のまま何かを研ぐ妖忌の姿をじっと見ていた。

 

 今日のアイギスは言う通り暇を潰すつもりで白玉楼を訪れていた。

 クビになって暇というわけでなく、気に入った者がいる地底で過ごしそのまま暫く帰ってこなかった御庭番にどうせならと定期的な休暇を設け、休みの間は好きに過ごすようにと紫が命じたようだ。好きに過ごせ等と危なっかしいが今の黒羊からは荒事の匂いは感じられなかった…血気盛んな者達と楽しめ、御庭番としてそう命じられての休みではないのだから荒れる事などはない。 

   

「手練れておりますね」

 

 老紳士の動かす砥石と、磨かれて光っていく自身の愛用品、旧都の復旧工事の際に刃毀れするほど使ったノミが磨かれていく様を見て関心の声を呟く黒羊。

 胡座をかいて座っており、その足の間には妖忌の髪色と似た色合いの髪と結んだ黒いリボンを少し吹く風に揺らして、アイギスの下腹辺りに顔を埋めて眠っている幼子がいる。

 小さな両手を強く握ってネクタイを握り離さない幼女。

 その周りには妖忌と同じ半透明の霊が漂っている。

 

「包丁や枝切り鋏もこうして研ぎます故、こちらこそ孫の面倒を見て頂いて。子守りが得意だとは思いもしませんでしたな」

 

 研ぎながらチラリと胡座に収まる子を見る妖忌。

 豪の者らしくない慈しむような瞳で子を見てから、そのまま視線をアイギスの顔へと上げていき好々爺らしい顔つきのままに話している。

 

「寝ているだけで面倒など、それに得意とは申しませんが慣れてはおります、お孫様とは違って半霊ではなく翼を生やした者達相手でしたが」

 

 妖忌から胡座の幼子へと視線を下げるアイギス。

 淀んだ瞳にはスヤスヤと眠る幼子が写っており、どこの子供も揺れる物を掴んで離さずに眠るなと、慣れているという翼を生やす幼子を思い出しつつ話していた。

 

「気弱で人見知りする子なのですが、初対面だというのに泣きもせず静かに眠っておる。アイギス殿は昔から謙遜ばかりを仰られますな」

「謙遜も何も、私は何もしておりません。寄って来たから座らせて放っておいたら眠っただけです、眠たくなる理由はわからなくもないですが」

 

 妖忌が悪戯に目を細めて昔の事を例えに話す。

 出会いから謙遜しその後に驚かされた黒羊の手腕、それを思い出しながら、人見知りが激しく見知らぬ他人の前で眠る事などない孫娘が不用心に寝る姿を見て、アイギスのあやす業だと勘違いしていた。それを訂正するように何もしていないと返す布団代わりの悪魔、事実何もしておらず、好奇心に負けた孫が見慣れないアイギスに寄っていき肩に跨って角を掴んだり、揺れるネクタイで遊んだ後に電池が切れたように眠っただけだ…眠くなる理由はアイギスが角を撫でている事で伝わったようだ。

 

「そういえば羊でしたな、妖夢も数を数えられるようになったという事か。いよいよ隠居が見えてきた気がしますな」

 

 妖忌の手元からチャポンという音が鳴る。

 たゆたう水面が乱された木桶からの水音が庭に広がると、研いでいたノミの刃先を濯いで持ち上げそのまま淡い太陽に透かすように見つめる。

 淀みなく光る刃先を見つめながら、嗄れた声でそれらしい事を呟くと手ぬぐいで水分を拭き取リ始めた。

 

「ご謙遜、そっくりそのままお返しします。貴方様程切る事に特化した方もおられませんのに、未だ錆びついてもいらっしゃらないのに隠居などと仰られては、楽しみが減ってしまいます」

「お褒めいただくのは有り難い、されど年には勝てませぬよ。本気で振るえば痺れを覚える我が手、これではアイギス殿を断ち切るなど無理な話…もう少し早くお会い出来ていれば」

 

 刃物の扱いに長けた老人の手にある研がれ磨かれたノミ、一度刃毀れし切れ味の悪くなった自身のノミを見つめてアイギスが述べた。

 長く使い込まれた物が磨かれて研ぎ澄まされた、錆も見えなくなりまだまだ使えるようになった古い刃物を日に透かす妖忌へと視線を移し、蘇った刃物と並ぶ者のいない剣客を見比べて話すが言われた側は蘇るには年を召し過ぎたと考えている。

 

「老いるという感覚はわかりかねますが、その剣技を妖忌殿で絶やされてしまっては困りますね」

 

 一本目を研ぎ終え二本目に手を伸ばす妖忌に向かい我儘を言うアイギス。

 妖忌の放つ哀愁など気にもとめずに自身の今後の為だけを思い言葉を返した、一本目よりも傷んで見える二本目のノミの持ち手を握り、回しながらトントンと木槌で金属部分を叩く音が鳴り終える。

 チャポンと落ちた外した刃先を見てから、これは研ぐよりも交換した方が早い、そう考えた名剣士がアイギスの我儘に返答し始める。

 

「伝える術も相手もいるというのは嬉しいもの、なれどその相手が気弱では全てを切れる者になれるかどうか」

 

 ノミの持ち手と刃先を分けたまま研がずに手渡すと、開いた両手で孫娘の髪を撫でる爺。

 穏やかな顔つきでゴツゴツとした手で優しく撫でる、本当に愛おしいというのが伝わる姿で孫に触れてその嬉しさを表す妖忌だったが…言葉からすると少し悩んでいるようだ。

 この子の親は剣を学ばなかった、切れぬモノなどない父を持つ娘は切るモノなどないと言い切り、刀ではなく別の道を歩んだようだ。

 そんな娘の地を引く孫、遊びに来ては小さな玩具の刀を振り回し、電池の続く限りちゃんばらをするなど剣術に興味があるようには見えるが…伝えていいのかわからないといった状態らしい。

 

「気弱でもよいではありませんか、それくらいの方が逃げ時がわかる。それに、わからないと仰るなら刃を合わせれば良いのでは? 妖忌殿のお言葉をお借りするならば、いざという時には切ればわかるのでしょう?」  

 

 切ればわかる、それを己の価値観だと考える妖忌に対し宛てがうアイギス。

 妖忌が何を考えて孫を撫でるのか、ちゃんばらごっこに興じる孫娘をどうしたいのか、そんな事はどうでも良く唯自身の後の楽しみへと繋がるように煽り半分で言っただけである。

 完全な自分の都合、それしかないアイギスの言葉であるが妖忌には別の意味合いにも感じられたようだ…寝こける孫を預かるというようにアイギスへと両手を差し出す庭師の翁。

 ネクタイを掴んでいるままで胡座の上で寝る孫を、タイを解いて抱き渡した。

 

「切ればわかると常々考えておきながら自身の迷いは断ち切れない、面目ない姿を見せましたがお陰で踏ん切りが付きもうした…爺のように悩んだ時には切ってわかる事が出来るよう、そう成れるように伝えてみるのも良いのかもしれませんな」

 

 妖忌が孫を抱き上げ笑みを見せる。

 皺の目立つ目尻に更に皺が増えるとすっきりとした面持ちになる。

 迷いを断つ刀を振らずとも自身の迷いを断った剣士、やはり並ぶ者がいないと再認識したアイギスが孫と爺二人を眺め小さく頷いた。

 

◇◇◇◇◇

 

 少し時は流れ、悪魔の胡座と庭師の両手で抱える事が出来た娘も少しは育った。

 幼い頃は唯のちゃんばらごっこだったモノも今では一端のちゃんばらと見えるようになった、素人目から見てもまだまだ祖父には程遠い動きに見えるが、それでも刀に振り回されるから、刀を振るうくらいには育っったようだ。

 そんな少女が真剣を握りしめ、白玉楼の剣道場内で偶に来る稽古相手と対峙していた。

 

「ハァッ!」

 

 少し高めの声で低く唸る少女。

 祖父に似た色合いのボブカットの髪と祖父よりも濃い緑色のスカートをはためかせ、鋭い剣戟を何度も振るうが、先程から刀は空を切るばかりである。

 

「素振りでしょうか?」

 

 少女が振るう真剣をひょいひょいと交わし、時偶足をかけたりして捌く相手が軽口を吐く。

 軽口を吐いている者に向けて大真面目に刀を振るう少女が、煽られバカにされたと感じ両手にも瞳にも力強さを宿して突き進んだ。刀の切っ先を床スレスレまで下げて、強く踏み込んで間合いに入るとそのままの勢いを刀に乗せて切り上げるが、斬ろうとした相手は既にその場にはいなかった。

 

「あれ?」

 

 正面にいたはずの手合わせ相手、アイギスが消えると左右から上へと視線を流す少女。

 キョロキョロと視線を回し背後へと振り返ると、緩々と手を伸ばす姿が瞳に映った、この手に捕まれば今日の手合わせはおしまい。

 少女の刀がアイギスの体を断ち斬るか、アイギスが少女に触れその手に捕まえるかすれば終わる稽古。片方は真剣で真剣に攻め、もう片方は気楽な鬼ごっこくらいの感覚で相対している。

 その真剣な側の少女が伸ばされる手から逃れるように数歩下がって刀を握り直す、力強く握りしめ踏み込み一刀を袈裟から振り下ろすが、刀を振り切る前に肉薄したアイギスが柄頭を手の平で強かに押し返されていた。

 

「ちょっ! それは狡いです!」

「狡いも何もありませぬ、狙われる方が悪いのですよ」 

 

 両手で握りしめる刀を片手でらくらく押し返された少女が狡いなどといちゃもんを付ける。

 勢い良く振り下ろすはずがアイギスに安々と、少女の全力を何でも無いように返されてご不満といった物言いだが、そのイチャモンを叱責して次の言葉を吐かせない黒羊。

 

「そもそも私は無手、この場合真剣を振るう妖夢殿の方が狡いのでは?」

 

 振られるはずだった刀ごと緑色の少女、魂魄妖夢を大きく押し飛ばすアイギス。

 柄頭を押し返した平手のまま、それを妖夢に見せつけながら更に言葉を追加していく。追加された文言を聞いているのかいないのか、わからないような態度で再度刀を構える妖夢だったが先ほどの言葉もこの態度も布石だったようだ。

 アイギスが話している間に正面に立つ妖夢が増えた。

 追加で現れたもう一人の妖夢が、アイギスの角が生える側頭部側、死角から迫りその刀を構える。横から現れた妖夢が攻めるの見て、正面に立つ少し透けたような妖夢も刀を構え、くっきりした妖夢とは逆に正面からアイギスへと攻め走る。

 

「隙ありぃ!」

 

 テンポをずらした正面と死角からの二重攻撃。

 先にアイギスへと剣戟を奔らせたのは死角より迫る妖夢本体。

 声を発し己を奮い立たせて上段からの一撃を放つ。

 切れぬモノなどないはずの剣技がアイギスの頭部目掛けて振るわれるが、特に身構えることもなく頭に生やす角でそれを受け弾いてみせた。迷いを断ち切るはずの刀は大きく弾かれて少女の手元より離れる、くるくると回ってから床に刺さると、その刀は相対者ではなく床目の節を僅かに断つに留まった。

 

「良い手ですが、声を発しては意味がない」

 

 気合の入った言葉を吐いてしまい、奇襲にならなかったくっきり妖夢の奇襲攻撃。

 それを角で弾くと、弾かれた両手を持ち上げたままの本体に蹴り飛ばすアイギス。浮いた体を蹴られ体をくの字にさせて後方へと転がっていく本体と入れ替わりで半霊が間合いに入った。

 こちらは声なく攻めより、下からの切り上げを放つ構え。

 刀の間合いまで一歩というところで半歩踏み込み、刀の切っ先を天井に向かい振るう、が、その刀はアイギスの体に触れる事なく鼻先を掠めるだけに留まった。

 後ろに蹴り飛ばされた本体を意識した半霊の踏み込み、それが間合いを見誤り半歩分届かなかっただけのようだ。

 自爆とも言える妖夢の攻め手、だが相対するアイギスは手を緩めたりはしない。

 正面で刀を振り上げ止まった半霊のベストを強引に掴み、ギリッと握りこんで床に向かって叩きつける。背後から床へと打ち付けられカハッと息を吐いた半霊だったが、アイギスの拳は未だ開かれず、握った拳をそのまま腹に埋めるように押し込み捻り込んでいく。

 褐色の拳が1/4ほど腹に埋まり、妖夢の顔色が白く澄んだものから赤く、その後すぐに青くなり始めた頃、手合わせを見ていた審判役がそれまでと〆を告げた。 

 

「お疲れ様でした、妖夢殿」

 

 アイギスが腹に押し込んでいた拳を開き、その手を妖夢に向かって差し出すが手は取られず床で丸まってうずくまるだけの半霊。

 そのまま姿をいつもの半透明な物へと戻していく、そういえばこっちは半霊だったと思い出したアイギスが蹴り飛ばした本体の元へと歩む、がこちらも腹を抱えて丸まっていた。

 半身の腹は強めに拗じられ、本体も同じく腹を蹴られた剣客少女。

 抜かれる事などはなかったがそれでも結構なダメージらしく、手を取ることも返答することもできないようだ。やれやれと眉尻を下げ、丸くなる妖夢を抱き抱えて審判役の元へと歩むアイギス。

 孫を抱き上げ手合わせを見ていた妖夢の祖父、魂魄妖忌の元へと歩みそのまま手合わせの感想を述べ始めた。

 

「同じ力を発する半霊を囮に使うとは良い発想ですね、声を上げなければ尚良しというところでした」

 

 分身こそしなかったが同じ様に死角を狙ってきた誰か、数百年前に手合わせをし吸血鬼の姉を思い出しながら話すアイギス。

 あちらは高速移動からの奇襲だったがこちらは自身の半身を囮とした奇襲、レミリアとは違ってどちらも同じ霊力を纏う半霊と本体の攻撃はそれなりにいい手だったと関心し、ついでに助言も話す。

 無言のままに刀を振るえば届いたかもしれない、そのように褒めはせずあくまでも軽口での助言としていた。

 

「毎回孫の稽古にお付き合い頂いて申し訳ない」

「いえ、成長していく姿を見ていくのも面白いものです、こちらこそ良い暇つぶしになっておりますよ」

 

 腹を抑えて話せない孫娘を預かりながら話す妖忌。

 胡座の中に妖夢を収めて頭を撫でつつ軽い会釈をした、普段は妖忌自身が妖夢の稽古をつけているがアイギスが不意打ちで遊びに来ると、遊びと称してちょっと運動するのが習慣になっていた。

 妖忌が孫娘見せた剣技の数々。

 流派もない我流の剣技だが、それを覚えた妖夢が偶に来る、祖父と気安く話すアイギスに手合わせを願い出たのが始まりである。

 

「成長したと見てもらえるのはありがたい、ですが先ほど言われた事はご尤もです。声を発したのも気が逸れたのも、この子の未熟さ故ですな」

 

 態度は優しく、言葉は辛辣な爺。

 厳格な老紳士でこの屋敷の主も堅苦しくて苦手だと言うほどだが、まだまだ幼い孫にはほんの少しだけ優しく、ほんの少しだけ甘く態度では良き祖父となっていた。

 そんな祖父の胡座の中で抑える手を腹から顔へと動かした妖夢。

 優しい祖父の手に泣かされたわけではなく、敬愛する剣の師匠から冷たく言い切られた方がショックのようだ。

 妖忌の着ている着物を強く握りしめて、真っ直ぐに切り揃えられた前髪も肩も頭もプルプルと揺らし、グスッと声を漏らした。こうなると後はあやす爺と泣く孫娘になるだけで、暇つぶしとはいえなくなる、それを知っているくらいには白玉楼に顔を出しているアイギスが、魂魄の二人に頭を下げて剣道場を後にした。

 廊下を歩むとすぐに開かれる迎えのスキマ。

 気色悪い空間に踏み入ろうと片足を動かした時に、アイギスのネクタイの先が少し欠け落ちた。

 避けたつもりが少し切られていたようだ。

 ハラリと足元に落ちた布切れを拾わずに、廊下に残したままスキマへと消えた黒羊。

 これを見て気がつくだろう剣客が孫になんというのか?

 褒めて伸ばす事もするのだろうか?

 あの紳士の柄ではないか?

 いや、孫には甘いように見える、などと想像しながら冥界を後にした。


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