東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第二話 吸血鬼の親子

 出産とともに亡くなられた奥方様の墓の前、静かに佇み瞳を瞑る夜の王達を、少し離れた位置から見つめている羊がいた。

 何処から見ても紅く見える吸血鬼の住まうお屋敷、紅魔館から少し離れた小高い丘の上、立ち並ぶ巨木のお陰で日中も日陰になるこの丘が白い墓石の下で眠る者が好んだ場所だった。

 

 丘の上から望む星々や、遠くに望める中世の城を好みここから良く眺めていた吸血鬼姉妹の母。金の長い髪を風に靡かせて夜の美女が遠くを眺む姿。

 そんな立ち姿にひと目で惚れて、どうにか妻として迎えたいと思い悩む姿を見せてくれた主。夜を統べる王でありながら、愛情といったモノを強く持つ主の命により、紅魔館御用達の墓守がお屋敷の中ではなくこの地に墓穴を穿ったようだ。

 

 言葉なく墓標と向き合い佇む二人の背を見つめているアイギス。父である当主の手を握り、白い墓石越しに遠くを眺めている吸血鬼の長女の中に、亡くなられた奥方の姿を見つけていた。

 夜の闇の中でも目に留まる白い皮膜を持った翼が亡くなられた奥方様に似ていて、白い帽子を被り遠くを見つめている背中も幼い頃のこの子の母に似ていると感じていようだ。

 二人が静かに佇む姿を暫く見ていたアイギスだが、お嬢様の翼が風に揺れ、2度ほど羽ばたかれたのを機に、一人闇の中へと姿を消していった。墓石も棺も丁寧に埋めたが棺の中には母の遺灰もない、そんな事は知らない幼い娘の背を見ているのが少し辛くなり、一人静かに墓所を離れた。

 

 一人戻ったのは吸血鬼家族が住まうお屋敷。

 いなくなった母の代わりを務める為に店ではなくこちらに戻った。などと、だいそれた事をするつもりではなく、ただ遺品の整理を再度してみて何か遺っていればと考えただけであった。

 奥方様が亡くなってから4年ほど経った今、新たな遺品が見つかる事等ないように思えたが、母の名残を目にした事で一つ宛てがあったのを思い出す。主と奥方様の結婚式で使われた紅いドレス、その時にブーケを纏めていた紅い紐が捨てられず遺っているはずだなと、奥方様の物が多く遺された衣装箪笥の中を探すアイギス。

 

 ゴソゴソと数段を開けては奥まで探していくと、引き出しの奥まった辺りに、大事そうに箱に仕舞われた真っ赤なドレスと紅い紐が見つけられた。白が好きだった奥方様だったが、スカーレットの名になるのだからと用意されたこの紅いドレスだけは大事そうにしていたなと、ドレスを撫でて、紐を手に取り、一人笑んでいた。

 

 物探しに随分と時間が掛かったようで、紅魔館の正面ホールから幼子の楽しそうな声がアイギスの耳に届く。強い癖毛と大きな巻角に隠れてほとんど見えないが、頭の上に生えた羊らしい細めの尖り耳が楽しげな妹の声とそれに返答する姉の声を聞いていた。

 

「おとう様、おねえ様おかえりなさい。 アイギスはいっしょじゃないの?」

「先に戻っているはずだけど、あ、こら。待ちなさいフラン」

 

 母の墓前から戻った姉と父に挨拶だけは済ませた妹。

 アイギスがいない事が気になるという妹の声色には、亡き母を思う感情は感じられない。顔を知らぬ母の墓参りなど、妹からすればつまらぬ物以外の何物でもないのだろう。そんなつまらぬ事よりも、月に一度程度来ては、仕事を終えた後に構ってくれるアイギスの方が楽しみで気になる事だと声色が物語っていた。

 奥方様を知る屋敷の者からすれば冷酷だと感じられるが、アイギスには我儘というよりも無邪気だと捉えられる声、何も知らずにはしゃぐ楽しそうな声がアイギスのいる部屋にまで聞こえてきていた。

 

 そんな無邪気さであふれる妹を窘めたのは5才年上の姉。

 本来であれば父親が叱り窘めるのだろうが、数年経った今も妻を殺した事を咎める当主は次女に心を開ききれず、事務的な対応をしては妹が悲しい顔になるだけで、その度に暗い顔になるフランドールをアイギスは何度も見ていた。

 親となる前であれば『坊ちゃま、紳士として女性を悲しませるのは……』などと窘めても良かったのだが、子を守る側になった、偉大でおらねばならぬ父に対して唯の商人が何かを言うなど出来ないと感じているようだ。

 他者の尊厳を尊重し死後を弔い続けてきたアイギスらしい考えの元に黙り続け、スカーレット卿自らが次女も守るべき者だと気が付く事に期待していた……のだが、最近の接し方は特に酷く見えてまっていて、機会があれば一言くらい、アイギスはそう考えていた。

 

「アイギスみつけた! かえってきたのになんでおしえてくれないの!」

 

 夜に輝く宝石のような羽を使い、軽快に飛びながら近寄る妹様。

 アイギスを囲み周るように飛ぶフランドールだったが、アイギスが片手を差し出して正面へと降りるように促すと、示された通りに正面に回り、楽しそうな瞳で巻角を見上げた。

 それからアイギスが中腰になり、フランドールの帽子へと赤い紐を宛てがってから、よくよく見られる前にスーツの内ポケットへと隠す。

 仕草から何かを隠したというのはわかるが何を隠したのかまではわからないフランドール。中腰でいるアイギスの内ポケットに手を突っ込もうと頑張るが、何度か手を払われて諦めたようだ。

 そういった姿に、性別こそ違えど血は争えないなと、大昔に悪戯してきた現当主の姿をフランドールの仕草の内に見たアイギスが、ペシンと悪戯っ子の尻を叩いた。

 

「いたっ! なんでたたくの!?」

「悪さをなさったからですよ、他人の胸元に手を伸ばすなど淑女のなさる事ではごさいません」

 

 指先三本でフランドールの尻を叩いたアイギスが、フランドールと視線を合わせるように膝をつく。膝立ちになってもまだアイギスのほうが視点が高いが、フランドールは生まれてからまだ五年ほどしか経っていない本当の幼子だ、ある程度は致し方無いだろう。

 膝立ちの姿勢からかかとに尻を付けて、更に小さくなりフランドールと並ぶ視点になったアイギスが、フランドールの両手を取り優しく諭し始めた。

 

「見た目や仕草はお母様そっくりですのに、なされる事はお父様そっくりです」

「どっちの方が似てる? おとう様?」 

 

「髪色や立ち姿はお母様の幼い頃に良く似ておいでです、髪を長く伸ばせばお母様と瓜二つと言ってもいいくらいですね」

「おかあ様ばかりなの? おとう様に似ているところはすくないの?」

 

 機械的な対応しかされなくとも、絵の中にしかいない母よりは毎日顔を合わせられる父の方が大事らしい、自身の中に父はいないのかと切ない表情でアイギスに問いかけるフランドール。

 そのような事はございませんと反論するアイギスだったが、泣き出しそうな今の顔も先ほど周囲を飛び回っていた時の楽しそうな表情も奥方様の面影ばかりが見えてしまい少しだけ困った。

 けれど、似ている部分が少しでもあるのなら喜んでくれるかもしれない、合わせて窘められれば良いと一つ思いついたアイギス。

 

「活発さはお父様と似ていらっしゃいますよ、お父様も幼い頃はアイギスの胸や尻を撫でる悪戯小僧で困りました……お転婆なのも元気で良いとは思いますが、度が過ぎるとお父様と同じ様にアイギスに泣かされるやもしれません」

「おとう様もさっきみたいにペシンてされたの?」

 

 忘れられないくらいに何度も、とワクワク顔のフランドールに述べるアイギス。

 スカーレット卿がフランドールと同じくらいの年齢だった頃の話をしては、その度に尻を叩き泣かしたと話すと、フランドールの顔に少しの驚きが浮かんだ。

 そのまま、驚く顔も幼かった頃の父に似ているとアイギスが伝えると、更に驚くような顔を見せてはしゃぐ。お屋敷に戻ってきたアイギスを見つけた時以上に、全身で喜びを表すように、アイギスの周囲を飛んで、踊るように回る吸血鬼のお姫様。

 

「フランドール御嬢様はお元気でいらっしゃいますね。生まれ時からお元気過ぎて、アイギスは気の休まる時がございません」

 

 長く生き過ぎているアイギスから見ても、あまりに衝撃的な生まれ方をした妹様。母の腹から出るのではなく母を文字通り失くして、随分と派手にこの世に生を受けた……酷く歪な誕生の仕方をした吸血鬼の末妹。

 あの時は少々驚いて碌に祝福も出来なかったが、今はこうして愛くるしい姿を見せてくれている。アイギスがフランドールと一緒に過ごす時間は月に一度あるかないか程度だが、訪れる度に今のようにくっついて離れず、アイギスが帰るかフランドールが眠りに着くまで一緒にいることが多くなっていた。妹を過保護過ぎる程に心配し寵愛する姉や、血が凍るくらいに事務的な接し方しか出来ないでいる父よりもアイギスに懐いている、そう言えそうなくらいであった。

 

「おとう様のおはなしもっと聞きたい、もっとお話して?」

「お父様からお聞きになれば宜しいかと、私がお話するよりも――」

「おねえ様とはお話するのにわたしには何も話してくれないの、なん回聞いてもおとう様はお話してくれないの」

 

 俯くフランドールを下から望むアイギスが紅い瞳が潤んでいる事に気づく。

 主の愛した奥方の名残を強く見せる幼い娘が、全くと言っていいほど構ってくれない父を思い、瞳を潤ませ涙はこぼさずに泣くのを我慢している姿。生まれた時のように力を現し我儘に暴れる事なく、ただただ我慢強く耐える妹の姿がアイギスの老婆心に火を着けたようだ。

 堪えるフランドールを軽く宥め、少しだけ時間を貰い、途中通り過ぎる従者に引かれ道を譲られるくらいの勢いでコツコツと歩み、紅魔館で唯一白が目立つ部屋を出た。

 

 主の居る謁見室に向かう途中、呼び止められて立ち止まるハイヒール。廊下の壁に掛かる蝋燭の灯りが映るほどに磨かれた床の上で立ち止まったアイギス。不意に呼び止めてきた、まだまだ幼いがほんの少しだけ目上の者らしい落ち着きさが感じられる声の主と少し話をするようだ。

 

「アイギス、フランを見なかった?」

「お母様のお部屋にいらっしゃいます。向かわれるのでしたら、アイギスは急用で帰ったとお伝え願えませんか?」

 

 小さな体にアンバランスに乗った幼子の頭を傾けるレミリア。

 フランドールが寝付くまでは一緒にいることが多いアイギスから、妹と一緒に夜を過ごせと言われるとは思っておらず、何かあったのかと心配する表情で首を傾げていた。

 子育てを放棄している父に比べて強い妹への愛を見せる姉。

 まだまだ守るとまでは呼べないが、常に気にかけて自身よりも妹の身を案じて見せる姉に、アイギスは今の当主よりも長女の方が上に立つ素養があると確信めいたモノを感じていた。

 

「何事もありませんよ、別件の依頼があったのを忘れていたと今頃思い出しまして、今晩はこのまま帰るつもりにございます」

「帰るの? フランにお別れは伝えた?」

 

「それが泣き出しそうなお顔を見てしまいどうにも言い出せず、出来ればレミリア御嬢様からお伝え願えませんか? 泣き出してしまいそうな妹君を慰めあやすのも姉の勤めにございますよ」

「私だと泣き止まない事が多いけど、アイギスはお仕事だものね。わかったわ、頑張ってみる」

 

「ご期待しております。上手くあやすことが出来ましたなら後日、アイギスから何かお贈り致しますので」

 

 母の遺品を収めた内ポケットに掌を当てて、瀟洒な笑みを浮かべたまま頭を垂れるアイギス。

 父や母、祖父の昔話などはわがままを言って何度か聞いているレミリアだったが、アイギスから何か物を贈られた事はなく、何が貰えるのかと問いかけていた。

 頭を垂れたまま内緒だと伝える従者のような従者でない黒羊。

 執事が礼をするような姿勢のまま再度妹君をよろしくお願い致しますと話すと、期待されていると感じたレミリアが自信を感じられる声で頑張ると返答すると少しだけ贈り物のヒントを話し始めたアイギス。

 

「妹君とお揃いとなるようアイギスも精進致します、数日ほどお待ち下さいまし」

 

 妹とお揃いという餌に釣られて張り切り始めた姉。

 これ以上はお見せするまでは秘密ですと、優優たる態度でレミリアの両肩に両手を当てて体を回すアイギス。

 背で畳まれた翼のちょうど真ん中の辺りを優しく押して、妹の元へと向かうように促すと一度二度と振り返りながら妹のいる部屋へと飛び進んでいったレミリア。

 

 愛くるしい姉の姿を見られて穏やかさを取り戻したアイギスだったが、強く窘める気持ちは失くしていたが老婆心までは失っておらず、真っ直ぐに主の部屋の前へと迫った。

 ノックをして返事を待つと直ぐに入室の許可が降りる、静かに扉を開き奥へと進むと、大きな椅子に足を組んで腰掛けて、きれいなワイングラスを傾けている主。

 主に向かって仰々しく頭を垂れているアイギス、良いと言われるまで待っていると、良いという声はかけられずにそのままの姿勢で話が進み始めた。

 

「毎月アレの面倒を見させてすまない」

「愛しい御息女に向かってあれなどと何を仰られますやら、寂しがっておいでですよ。御身に似ているレミリア御嬢様ばかりを愛でたくなる気持ちもわからなくもないですが、もう少しフランドール御嬢様も見て差し上げては?」

 

「アレから何か聞いたか?」

「奥方様のような泣き顔を私に見せて、お父様は何も話してくれないと、そう仰っておいででした」

 

 主の座る椅子の隣に置かれた白のサイドテーブルからコトリと音がして、その音を聞いて返事を待たずに面を上げたアイギス。軽い微笑を褐色の頬に乗せて主に見せると、大きな背を更に大きく見せるように胸を張り気を張るスカーレット卿。

 当主が物心つく前から屋敷に出入りしているアイギスに対して見栄を張っても無意味だと知っているが、面と向かって言い返すには奥方様という言葉が重かったようだ、態度だけは大きく見せたが態度に見合う言葉は出てこなかった。

 けれど何かを言った所で無駄だっただろう、何を言っても無駄だとアイギスが表情で語っていたのだから。

 

「少しずつですが奥方様の面影が強く見えるようになってまいりましたね、今にも泣き出してしまいそうな顔など、奥方様の幼き頃そのままにございます」

「アレは似過ぎているのだよ、無邪気に笑う仕草も輝く金の髪も似過ぎていて…その度に思い出すのだ、アレに殺される瞬間の妻の顔を」

 

「痛ましい事でございました、良い生まれ方をされたとは申せませぬ、ですが…」

「アレの顔を見る度に爆ぜる妻の姿が思い出される…アレが私の娘だとは思えないのだよ…アレはなんだ? 歪で翼とも呼べないモノを背に生やし、妻の顔で私を見てくるアレはなんだというのだ? 知っているなら教えておくれ、アイギス」

 

 アイギスと名を呼んだ時の顔は凛とした父や偉大なる主の顔ではなく、幼い頃に見ていた悪戯してから叱られる前の少年の顔であった。

 本来愛すべき娘、それに対して妻の面影を見ては脳裏に浮かぶ娘に殺された母。

 殺された者が殺した者の中にいる状態に耐えられないという、偉大で強大であるはずの、そうあらなばならぬはずの屋敷の主。

『守るべき娘に対し今の坊ちゃまは』などと窘めるつもりで主に謁見したアイギスだったが、それを言ってしまえばそのまま当主が壊れてしまいそうで何も言えなかった。

 慰めようにも叱責しようにも良い言葉が見つからず、少年の顔で怯えを見せている主を真っ赤な瞳で見つめているだけのアイギス。

 その晩はそれ以上何も言えず、無言のままで主の部屋を出るしかなかった。


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