東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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一部グロテスクな描写がありますので、苦手な方はご注意を。


第二十三話 恐るべき穴の怪、暗い洞窟の明るい糸

 どこまでも続くような穿たれた穴。

 真上に上った太陽の光が途中から届かなくなる程の深い大穴。

 いつからここで口を開けているのか、知る由もないが穴の縁が緑で覆われてしまうくらい、自然の一部と見えるくらいには古くから空いている穴なのだろう。

 見れば見るほど深い穴、よくよく見れば横に広がる枝穴も数多くあるようでそちらもアイギスの心を擽ってしまう。

 

「堀跡もこちらは新しく見えますし…横穴であれば怒られはしないでしょうか?」

 

 縦に伸びる大穴。

 途中途中に大きな回収ネット、落下する何かを途中で遮り助けるように見られる。

 飛べない者が落ちた際に拾い上げる命綱?

 烏天狗なら兎も角力なく飛べない妖怪もいる妖怪の山、そういった者達を拾い上げる保険のような物かと一人納得し更に下へと降りていく黒羊。

 妖怪の賢者が言うには、極稀に自殺志願に山を訪れる人間もいるという話だ。

 天狗が侵入制限している山にどうやって人間が入り込むのか?

 迷い人ではなく自殺志願と言い切れるのは何故か?

 わかっていながら放置するのは何故か?

 色々と思うところがある八雲紫の物言いだったが、降りる途中で不意に覗いた穴の中にその答えが横たわっていた。

 

 張られた蜘蛛の糸の影には、乱雑に転がる無数の白骨死体。

 綺麗に喰われ白骨化した人間だった誰かの体、一部が欠損している者が多く、全身揃っている白骨死体は一体もないように見える。

 失っている部分は首が多いが、モノによっては腕や足などがない状態。

 切り口も鋭利な何かで断ち切られているように見られた。

 が、死体の事などは気にせずに嬉々とした顔で穴を眺め、スコップを顕現させてソワソワし始める素晴らしき穿孔者。

 

「ここだけ、少しだけであれば許されますよね」

 

 頭のない白骨死体を眺めつつ一人呟く墓守。

 骨に話しかけたわけではなく、単なる独り言である。

 大穴の入り口で一度思い出してしまった自身の気に入る暇つぶし、少しだけと自分を納得させる事を呟き、何も考えず唯無心で横穴を壁へと戻し始めた。

 

 そんな穴埋め羊が二箇所目を埋め立てて三箇所目ももうすぐ壁に戻る頃合い。

 アイギス以外誰もいなかったはずの大穴の中、ゆっくりとした動きを見せる者がいた。

 緑色の瞳でアイギスの背を見る者。

 せっせと穴を埋め立ててスコップでパシパシと壁を叩くいい顔の羊を、白の髪留めで纏めた緑色の短いツインテールを揺らす少女。

 見慣れないあれは誰だ?

 友人が掘ってくれた餌場を埋めるあれは誰だ?

 そんな事を考えながら、餌場にいるしあれも餌でいいかと携える鎌に力を込めた。

 ゆっくりとした振り子の軌道で揺れていた木の桶、その桶の内に収まる少女が縁に手を掛け自身の妖気を流すと振り子軌道が大きくなる。

 一度高々と下がってから、重力と妖気の勢いに乗った桶が風を切り、一直線にアイギスの背へと向かい動いた。

 少女の妖気が込められた鎌が振りかぶられて勢いに乗り、斜め上から首目掛けて振り下ろされる…が、その鎌は首を狩らずに弾かれた。

 背で動く誰かに気が付いたアイギスが振り向き、自身の象徴、大きなアモン角で鎌を受け弾いたのだ。妖気を纏う鎌を弾いても欠けもしなかったアイギスの角だったが、生える頭の方は別で首を傾けるだけでは勢いを殺しきれず、首を断たれはしなかったが体は勢いを受けて壁に打ち付けられた。 

 

「出会いから随分なご挨拶ですが、聞いていた通りでありがたいですね」

 

 打ち付けられた壁の土をパラパラと底へ落とし、衣服に着いた汚れを少し払うアイギス。

 結構な勢いで土壁に打ち付けられたが、大したダメージはないようだ。

 ぶつかり汚れてしまったスーツの左袖など、左半身を払ってから握っていた鎌と両手を振っている少女に声をかける。

 

「何を聞いて来たのか知らないけどさ、そっちこそ随分な事してくれるじゃない!」

 

 硬い物を叩く音を鳴らし弾かれた鎌。

 それを強く握っていてまともに衝撃をもらった少女の両手。

 衝撃から痺れた両手をブンブンと振る桶入り娘が強気に述べる。

 からすれば覚えがない事で、何の事かと鎌を弾いた角を撫でつつ考えるが、桶妖怪の視線から横穴を埋めた事がこの少女の言う『随分』に当たるのかと気が付いた。

 不機嫌そうな少女を警戒しつつ周囲を見れば、まだ一つ二つ、多くて三箇所くらいだろうと考えていた横穴跡地だが、この高さでは3つ目というだけで上の方は穴がない。

 少しだけのつもりが確実にやり過ぎで、怒られても当然である。 

 

「折角掘ってもらったのに、狩場兼餌場をどうしてくれるのさ!」

 

 ご機嫌斜めな木桶の少女が文句と共に炎を発現させる。

 何もない空間にポツポツと灯る青い炎、少女のいる周囲から頭上にまでポツポツと、穴を埋め尽くす勢いで灯るのは少女が操る鬼火であった。

 

「ウィル・オ・ウィスプ? いえ、見た目からすればランタン持ちの蕪妖怪といったところでしょうか」

 

 灯る炎が妖怪のそれだとわかると、少女の正体も妖かしだったかと納得し、見知った魔物に宛がうアイギス。

 今でこそカボチャが主流のランタン持ちの呪われ人、松明持ちのウィリアムことウィル・オ・ウィスプ。またの名をジャック・オー・ランタンだが、アイギスの生まれた地では古い伝承通り蕪で伝わっており、ハロウィンともなると未だに蕪でマスコットを作り飾る地域もある。

 この少女も緑の頭に白い着物で蕪の色合いに似た姿。

 宛てがうには悪くないと思い述べてみたようだが、少女の方は気に入らないようだ。

 

「誰が蕪か! こっちは伝統ある釣瓶落としよ!」

 

 回りの鬼火で暖められたかのようにプンスカと怒り出す釣瓶落とし。

 ツルベとは何だったか?

 井戸に吊るされた水汲み桶と言われればわかるが、古い言い回しである釣瓶をすぐには理解できなかった異国人。

 怒りとともに落とされた鬼火の滝がアイギスに振り落ちてくる。

 

「伝統なら蕪の方もそれなりにありますが、この場では然程大事なことでもない、か」

 

 振り子のように規則正しく揺れながら落ちる鬼火。

 途中で合流し大きくなったり、壁に当たり小さくなってみたりと、動きとは違ってサイズはランダムになりながら黒羊に迫る。

 獣であれば嫌う火だが彼女は元羊の現悪魔だ、恐れもせず顔色も変えず、両手の指を鳴らして鬼火を穿ち消し払う。

 

「な! ちょっ!」

 

 数度なる指鳴りの音。

 鳴る度に消えていく鬼火の滝を見て驚く少女だったが、驚いている間に自身も真っ直ぐに落ち始める。繋がる先の分からない自身が収まる釣瓶の紐、それを穿たれ自由落下し始めたようだ。

 飛べばいいはずだが、消された鬼火と伸ばそうとしても伸びない釣瓶の紐に驚く方が先であった。振り子のように揺れる少女が真っ直ぐに落ちていくと、途中で釣瓶に紐が掛けられ縛られる。

 

「キスメ? なにやってんだい?」

 

 釣瓶を縛った紐、白く光が当たれば輝くような絹糸のような紐。

 それは蕪の少女を捕まえた、金髪の少女の指先から伸びているように見えた。

 自称釣瓶落としの少女をキスメと呼んだ女、落下していく桶入り娘を指先から一本の糸を伸ばし、腕も指もしならせずに捕まえた少女。

 

「わっかんないよ! いや、アレよアレ! アレが 縄張り荒らして襲ってきたの!」

 

 何故落ちたのかはわからないが、何故こうなったのかはわかる木桶がアイギスを指差し襲われたと騒ぐ。指を差されたアイギスが金髪の少女に気がつくと、小さく会釈してから緩々と高度を下げてきた。

 

「アレって…見慣れない妖怪さんだねぇ、どちらさんだろか? パッと見だけなら牛っぽいか? 角あるし。でも牛って蝸牛(かたつむり)みたいな角だったっけかな?」  

 

 会釈したためか特徴的に見えたらしい、アイギスの大きな角。

 高度を下げて近寄ってきた黒羊に向かい、牛やら蝸牛やらと言い出して独りでに悩む金髪の少女。暗い土壁に馴染み溶けこむような焦げ茶色のシャツと、それよりもワントーン薄い茶色の広がりあるジャンパースカートを着ている妖怪少女。スカートと一体に見える上着部分には胸から腹に掛けて6個の大きなボタンがあり、それが特徴的に見える衣服に身を包んだ明るい女が一人悩む。

 

「偶蹄目と括れば一緒ですが、正しくは羊です。その少女に襲われたのは私の方なのですが、縄張り荒らしは否定できませんね」

 

 家畜仲間ではあるが牛ではない、そう訂正しついでに襲撃も訂正する元羊。

 縄張り荒らしは嬉々とやらかした為否定できなかったが、他の勘違い部分はきっちりと訂正するアイギス。

 丁寧な物言いが気になったのか、指先から垂らす糸を巻き取りキスメ入りの桶を片手に下げて、茶色の女性が口を開いた。

 

「ヒツジってのがわからないけどまぁいいさ、地上の妖怪がこっちに何の用だい? 取り決めを知らないわけじゃあないんだろう?」

 

 荒らされたというよりは壁として整えられた辺り、横穴が空いていたはずの壁を見上げつつ地上の方も見上げる少女。

 焦げ茶のリボンで纏めたポニーテールを左右に揺らして、随分と埋めてくれたもんだと苦笑し、用事は何かと問いかける。

 が、言われた方のアイギスは首を傾げて悩んでいた、取り決めがあるとは一言も聞いていない…言い様から地上と地底の間の事であるとはわかるが、ある事を知らないはずがない地上の管理人兼雇い主は何も話さなかったと悩む。

 

「取り決めとは? 新参者ですし、初めてこの地に来たもので…詳しい事は何一つ知りませぬ」

 

 少し困るように眉尻を下げるアイギス、その物言いに嘘はない。

 この地に古くから住んでいる天狗や花の妖怪からすれば新参者であり、地底へと繋がるこの大穴にも初めて来たアイギス。

 取り決めの事も聞いてはおらず、知らないと素直に述べた。

 

「新参者で初めて来た、か。来てそうそう縄張り荒らしとは豪胆だねぇ、地上との取り決めは後で教えてあげるから、まずは地底(こっち)のルールを覚えてもらおうかね」

 

 キスメを下げていた糸をプツリと断って切り離す少女。

 落ちていくキスメに片目を瞑って何かのサインを出す素振りをしてから、瞑っていた金混じりの茶色い瞳を光らせる。

 暗い大穴の中で揺らめいて光る瞳、服のボタンもほんのりと灯って、その見た目は闇夜に隠れ蠢く捕食者、生物に例えるなら蜘蛛の顔のようにも見える立ち姿となった。

 

「わかりやすそうで小気味良い、ご教授願います」

 

 対するアイギスの瞳も光る。

 闇夜に浮かぶ8つ目に対してこちらは二つだけ赤黒く、少しだけ横に広がり伸びる光。

 返答を受けて動き始める土色の蜘蛛。

 ほとんど光が届かなくなった闇の中、音もなく動いて指先から糸を伸ばし奔らせる。

 細いがしなやかで断ち切ることが難しい糸、最初の数本は顕現させたスコップで受け避けたアイギスだったが、糸が絡んだスコップが強引に力で引っ張られるとすぐに手放した。

 この場での敵対者。

 土色をした蜘蛛のような少女はその見た目通り種族土蜘蛛、名を黒谷ヤマメ。

 鬼と共に恐れられ、鬼を討った日本の武将に討たれる伝承が残る程の大妖怪である、怪力を誇りながらも糸を操る巧みさも見せる蜘蛛女。

 

(すき)? 変わった獲物を持ってるねぇ、縄張りを埋めたのはこれかい」

「誰かにも言われましたね、切って突くには十分なのですよ? ついでに掘って埋めても出来る、言う事なしの逸品です」

 

 取り上げたスコップを手にし、ちょいと見つめてから膂力で柄を握りつぶすヤマメ。

 自身の掘った横穴を埋めてくれた獲物、それを取り上げて軽々潰すと声を出して陽気に笑った。

 それに対して再度スコップを顕現させたアイギス、体が隠れるほどの本数を空中に現して自身の周囲に展開し、勢いを付けて投げ、蹴り飛ばし始めた。

 ヤマメの体や頭目掛けて風切り音を立てて突き進むスコップ、だがヤマメは避けもせずに両手の指先から伸ばした糸で絡めとり、勢いを殺してからアイギスに向けて投げ返す。

 器用な糸だと感心し瀟洒に笑むアイギス、その笑みを見てヤマメも更に笑った。

 

「ルールも知らない新参者だって言うから喰っちまおうと思ったが、存外やるじゃぁないか! ヒツジの姉ちゃんよ」

「お褒めに預かり感謝の極み、貴女様こそ期待以上で堪りませんね」

 

 カンカンと金属音がやかましい中話す二人。

 投げ込む勢いも投げ返す勢いも変わらずに笑み嗤ったままに話す妖かし達だったが、受け止め投げ返す側に少し動きがあった。

 

「なんだい、余裕がありそうだね! ならもうちょっと本気で行くかね!」

 

 戦闘前のようにヤマメの八つ目が妖しく輝く。

 何をするのかと少し身構えるアイギスが目を細めると、その目からたらりと何かが流れる。

 手勢は衰えさせずに、小指で垂れた何かが残る頬を撫で確認すると、赤い血混じりの膿だと確認できた、目に続いて唇や腕等にも症状が現れ始める。

 気がつけば、いつの間にか手先等にも多くの丘疹が見られるようになり、スコップを握る指先や首等、毛のない肌の部分にポツポツと丘疹が出来始める。

 

「これは…? 何を…?」

 

 粘膜部で出来た丘疹は腫瘍となり、そこからは血が流れ始め、鼻や口腔内も少しずつ侵され始めるアイギスの体。 

 少しずつ発熱もしているようで、上がる体温と気道を塞ぎ始めた血混じりの膿のせいで呼吸も厳しい物となる。何処かの魔女のようにヒューヒューとなるアイギスの呼吸音、さすがに息が続かねば手勢も衰える…投げ込むモノよりもグジュグジュとした膿などを吐く方が多くなり肩で息をし始め血反吐を吐く悪魔。

 

「やっと効いたか、妖怪相手だと時間がかかって困りもんだ」

 

 楽しげに嗤ってアイギスへと糸を奔らせるヤマメ。

 最初に瞳が光った時には既にヤマメの能力は発動していたようだ、彼女が操るのは『病』それも感染症をメインに操る『病気(主に感染症)を操る程度の能力 』といったものだ。

 妖かし相手には効きにくいらしいが、時間をかけて中て続ければ、生き物上がりの妖かしであれば病気にもなるだろう。

 

 ヤマメが体に教えてくれた今現在の地底のルール。

 一言で言えば弱肉強食で済む。

 弱者はただの獲物であり、強者はそれを好きにできる捕食者であると、この蜘蛛は家畜上がりに教えてくれた。 

 それを正しく伝え復習するように、強者となったヤマメが強靭な糸で張った巣に縛るアイギスを叩きつけ、そのまま四肢や首、体を締め上げる。

 

「病気持ちは喰っても不味そうだけどさ、ヒツジってのが旨いのかは知らないし興味もある。ここで味わっとくのも一興さね」

 

 貼り付けられ獲物となった黒羊に向けて言葉を放つ捕食者。

 四肢に奔らせる糸をクッと引くように指を握りこむと、強く締めあげられて肉に食い込み断ち切っていった。

 バラバラと落ちるアイギスの四肢や体、残ったのは二の腕から先がない短い腕と、脇から上しか残されなかった体の少しと頭だけ。

 

「年経た羊は癖が強い、そのお口には合いそうにないですね」

「死ぬ間際の冗談にしちゃ面白いじゃないか、その辺は喰って判断するさ…餌は黙ってるといいよ」

 

 体の殆どを失いながらも血反吐と軽口を吐くアイギス。

 黙っているようにとヤマメの糸がアイギスの血塗れの舌に伸ばされて、クッと引かれて差し出される。差し出された舌に指先を伸ばすヤマメ…牛と呼んだからタンでも味わうつもりだったのか、スッと右手が伸ばされて糸が奔ると舌を断ち、首も落とした。

 底に向かって落下していく首を見送り、舌を摘んでいる中指と人差し指を頭上に上げて垂れる血を舌先へと持っていくヤマメだが…数滴味わったくらいですぐに足元を睨み始めた。

 今し方死んだ者、感染症を発症させて仕留めたはずの相手の魔力が再度現れるのを感じ、首が落ち消えた先を睨むと一瞬光った逆さまの五芒星に気が付いた。

 

「もしかして余裕があったのはこれかい? あれで死ななけりゃ化け物なんだが…」

 

 一瞬見られた赤黒い光、すぐに消えたが魔力はその光の辺りに感じられる。

 下方を睨んだままのヤマメ、その耳にパチンという音が届く。響いた音を警戒するように両手を構えてみせるが、その右腕は穿たれて消えていた。

 

「お!? なんだってんだこりゃぁ!?」

 

 痛みもなく消えた自身の右腕、それを怪訝な顔で見て騒ぐヤマメ。

 視線を下と右腕交互に向けていると、隣に見えるヤマメの張った蜘蛛の巣にかかる獲物、残ったアイギスの体の一部の後ろにも先ほどの方陣が浮かぶ。

 方陣から噴き出す瘴気が体を包むと、首が落下していった方へとヤマメの糸を穢しながら進んでいく。

 進んでいく先には、首だけとなり落ちたはずの、発症し死にいくだけだったはずの黒羊が全身を取り戻し佇んでいた。

 

「嬉しい驚きですね、一度殺されるとは思いませんでした、貴女様は良い(かたき)…私も少しばかり本気を見せますので、是非ともその身で味わって下さいまし」

 

 ヤマメを下から見上げて、ヤマメ以上に酷い顔で嗤うアイギス。

 口角は歪み歯も見えるがその口元は血反吐で穢れ随分と汚い、頭は元々残っていたモノなのだから致し方ないが、それを差し引いても酷く歪んだ笑み。

 完全にやる気を見せたアイギスが先ほどのように無数のスコップを顕現させる、対するヤマメも穿たれて右腕を一度切り落とし、新しい腕をズルリと生やす。

 蜘蛛である彼女なのだ、手足と呼べるモノは8本くらいはあって当然だろう。

 

「参ったな…正しく化けもんだったってか、喰ってる余裕なんかなかったねぇ」

 

 自分も正しく化け物であるヤマメが愚痴を吐き、指先から糸を垂らす。

 先ほどと同じ手を見せるアイギスに同じく、ヤマメも両手の指先から糸を奔らせゆらゆらと漂わせる。

 同じ手なら捌ける、そう考えるヤマメの瞳にアイギスの瞳やシャツ以外の赤が揺れて映った。

 顕現させたスコップ、その全ての柄を撫でて轟々と燃やし始めるバフォメット。

 

「おっとぉ、こいつは聞いてないなぁ…ちぃとばかり相性が悪いねぇ」

 

 暗いはずの大穴がアイギスを中心に明るくなる、話す間にドンドンと数が増えていく灯り。

 愚痴を吐いて苦笑いするヤマメを余所に、その愚痴を燃やすように数を増やしていく炎。

 三本目の燃え盛る角を燃え上がらせて、スナップを利かせヤマメに向かい無数にぶん投げ始めた。

 

「話しておりませんでしたが、上手に焼く事も出来る愛用の逸品です」

 

 持ち手の象牙色の部分以外が燃えていて高速回転しているスコップ、燃える丸鋸の刃と化して糸を焼き切りガンガンぶん投げられる。

 壁に刺さっては燃え上がり、ヤマメの体を掠っては血飛沫飛ばして傷を焼いていく。

 糸を伸ばし体を引っ張ってみたり、ランダムに飛んで躱すヤマメだが、壁に刺さり燃え上がるスコップが無数に増えて、糸を伸ばす先が次第に減ると飛んで逃げるだけにならざるを得なくなる。

 逃げ方がわかりやすくなると、攻める動きが少し変わった。

 右手ではスコップを放りつつ、左手の指は何度となく打ち鳴らし、飛び逃げる蜘蛛を追い込んでいく黒羊。

 数本の手足を犠牲にして下方へと逃げるヤマメだが、アイギスが攻めたまま追いかけ続けて、穴の底で待っていたキスメが二人の姿を捉えると青い顔をし始めた。

 

「おおぅ…私はおっかないのに喧嘩を売ったんだろうか?」

 

 少さな声で愚痴るキスメ。

 彼女の瞳に写ったのは、所々燃え上がる大穴の壁とその火の手を増やし続けるアイギス。キスメが引く程の酷い笑みでヤマメを追いかけ、追い詰めていく姿。

 逃げるヤマメも額に汗して糸ばら撒いているが、殆どが焼け断たれていくのみで、アイギスを止めるには至らなかった。

 

「ヤマメ、ご愁傷様…取り敢えずあれだわ、えらいのが来たって知らせないと」

 

 両手を合わせてからぼそっと呟き逃げ翔ぶキスメ、変に冷静に見えるのは標的が自分からヤマメに移っているからだろうか、それとも伝える予定の相手なら問題なく処理すると信じているからだろうか?

 木桶が逃げる先は暗い洞窟だというのに人工的な明かりが見える辺り。

 地底世界の入り口である、誰かが佇み妬み続ける橋の奥であった。

 

 逃げたキスメを余所にして、未だに逃げる黒谷ヤマメ。

 強靭に練り上げた糸を穴の壁に向かい幾重にも奔らせて、向かってくる燃え盛る丸鋸を防ぐが、左手を突き出して真っ直ぐに突貫するアイギスが触れた瞬間穿たれた。

 綺麗に真円を開けられた強靭な蜘蛛の巣、そこから現れた先ほどまでの獲物が、土蜘蛛の顔面を捉え握りしめたまま地面に突っ込む。

 結構な土煙を立てて揺れる地面、図書館の時といい今といい、真っ直ぐ何かに突っ込むのが好きなアイギス…これでは牛と間違われても仕方がないと思える。

 

「ようやく捕まえました、残念ですが楽しい喧嘩もこれにて終いですね」

 

 土煙舞う中で話すのは低く冷たい声。

 ヤマメの腹にヒールを刺し、スコップは右の肩口に深く突き刺してその柄に両手をかけて立つアイギス。

 話を終えて口内に残る血反吐を吐くと、踏まれる側が覚悟を示した。

 

「参った参った、お手上げだ! 刺されて上がらんが私の負けだわ」

 

 刺さるスコップを見ながら間際の冗談を返すヤマメ。

 ルールなのだから仕方がないと潔さを見せる、とそれを聞いたアイギスが表情を変えた。

 楽しい喧嘩を終えていつもの顔、瀟洒で落ち着きのある笑みを覗かせる、表情を変えると刺したスコップを魔力に戻し、踏んでいた足も腹から退けた。

 

「なんだい? トドメはいいのかい?」

「上との取り決めとやらを教えて戴いておりませんし、私は肉は余り…逃げる貴女様から頂けた分でいい具合に腹は満ちましたし、これ以上食しても太りそうで困ります」

 

 土煙を浴びた体を払って両手も払うアイギス。

 払いながら、血と膿混じりの痰を吐くと、ヤマメが朗らかに笑い立ち上がった。

 病を操った時のように一瞬瞳が輝くと、熱が引き体の調子が戻る感覚を覚える黒羊…自分も大概だとは思うが、病を操れるのも大概だなと感じて笑んだ。

 

「教えたらサヨナラしそうだし、負けた手前だ治しといてやるよ」

「サヨナラ? それは残念です、幽香の他にも良い喧嘩友達が出来たと思いましたのに、つれない方ですね」

 

 ヤマメの返答を聞いてから落ち着いた表情で言葉を返すアイギス。

 この少女と同じ様に楽しく殴り合える幽香の名を出してみると、そっちには反応を示した。

 一応蟲の範疇に入るヤマメ、花の妖怪とは面識があるらしい。

 

「幽香ってあの花のかい? こりゃあ狙う獲物を間違えたわ、キスメにえらいのを押し付けられちまったよ」 

 

 えらいのと言われ訝しむアイギス。

 この場で話してはいないが今の立場は休暇中の雇われ者だ。

 どちらかといえば偉くない部類に入る彼女。

 また勘違いされているのかと、訂正しようか一瞬悩むが、八雲の名を出さずに話す言葉も見つからない。

 思い悩む黒羊だったが、その悩みは明るいヤマメの笑みに消された。

 何を悩んでいるかしらないが、そう悪い意味じゃない。

 笑顔のままでアイギスの肩を叩く新しい喧嘩友達にそう言われ、それならいいかと納得する外国産の妖怪。どんな意味合いがあるのか気にせずに、二人並んで色々と話しながら人工的な灯りに向かって歩み始めた。

 




ヤマメの糸を何処から出すか、悩んだのは内緒です。

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