東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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~中休み 休暇先は地の底で~
第二十一話 染まる色


 少し前には悲鳴で騒がしかった人間達が住まう土地。

 囲われた狭い土地の中に纏まり、皆で集まって協力しながら生きている幻想の里に生きる人間達。元を正せば何処か山深い地にあった集落に生きた者達の子孫らしいが、今この里に生きる者達は皆幻想郷生まれの者達で、外の世界を知るものはいない。

 種族人間で外の世界を知る者は、その短い生と繰り返される転生から真っ当な人間とは呼びにくい者くらいだろうか?

 月夜には姿を変えてしまう半分獣の人間も知っているかもしれないが、彼女の場合は半分獣なのでこの場合は含まずにおこう。もう一人半分人間半分妖怪という男もいるにはいるが、あの男は人里住まいというよりも里に商い修行に来ている手合で、住まいは魔法の森近くに構えている。

 そんな外住まいの半人半妖も里住まいの半人半獣も、転生を繰り返す短命の女も、今日は一箇所に集まっていた。

 

「この辺りで一息入れましょう、麦茶が入りましたよー」

 

 パンパンと華奢な両手を叩く娘。

 紫色の綺麗な髪と飾る花飾りを揺らし作業者達の声をかけている。

 あまり大きな声が出せない為両手を叩いて休憩を知らせるが、背も低くても小さい為に叩いた両手の音も小さかった。

 

「皆! 休憩だ! 一息入れよう!」

 

 小さな声と叩いた手の音を聞いていた者が代わりに声を張る。

 よく通る澄んだ声色、立ち姿に似合った声色で代わりに休憩を伝える半人半獣の女性。

 両手を頭上で叩いて先ほどの少女よりも遠くへ音を響かせる、里の守護者と呼ばれるようになった上白沢慧音。

 そんな慧音の声と柏手の音にぞろぞろと集まり始める里の男衆。

 皆が皆汗を掻いて、額や腕が時偶に光らせていた、ぞろぞろと集まり各々が日陰や近くの誰かの家へと入っていく中、小さな少女と慧音の側で愚痴る男がいた。

 

「頂くよ、やっぱり力仕事は僕向きではないな」

 

 グラスに注がれた麦茶を一気に煽り、カランと氷の音を立てる男。

 皆と同じく汗を掻いているが他の男達よりは疲労の色が見えにくい男、かけている眼鏡の奥に見える瞳も然程疲れていないように見える。

 

「向き不向きは終わってから考えて下さいね、霖之助さん」

 

 空いたグラスにおかわりを注ぐ少女。

 グラスとともにタオルを手渡しながら男に向かい霖之助さんと声をかけている。

 この男こそアイギスが初めて里を訪れ、種を購入する際に接客してくれた半人半妖の男、森近霖之助である。

 普段は静かに店番しているが、今日は珍しく屋外で汗を流し、慣れない力仕事に精を出していた。

 

「やれやれ、阿弥は人使いが荒いね」

 

 タオルを受け取り首にかけて、二杯目の麦茶を口に含む霖之助が少女の名を呼ぶ。

 名前と共に軽口を言われた少女、阿弥と呼ばれた華奢な少女が慧音と共に長腰掛けに座る、二人掛けのそれに並ぶもう一つに霖之助も座って、三者がそれぞれに同じ相手を眺めていた。

 三人が見つめる先には白いタンクトップ姿、下半身は膝丈のハーフパンツに切られたもんぺを履く誰かがいる。

 褐色の肌に汗を光らせて、偶にタンクトップの胸元を摘みパタパタと風を送る女性…紫の命により人里での工事の手伝いをするアイギスの姿があった。

 

「あの方、良く働きますね」

 

 ポツリと呟いたのは阿弥。

 皆が休憩する中で一人休まず動く黒羊を見て、見たままの姿を述べた。

 当然疲れはするが普段の荒事に比べれば疲れる内に入らないと、休憩を告げる声も聞こえていたが気にせず一人で柱を立て打っていた。

 彼女が立てている柱は建物の外、軒を支える部分。

 里の中央にある稗田のお屋敷に並ぶように新しく建てられる学び舎、その基礎工事が数日前から始まっており、里の者達だけでは捗らないだろうと八雲が遣わせた助っ人職人代わりのアイギス。

 母屋はすでに建っていて、後は外の軒や外廊下など外観工事くらいで人出はいらないように思えるが、行けと命ぜられた為素直に手伝いに来たようだ。

 

「来てもらっているのだし、私が話してくるよ」

「あ、私も行きます」

 

 席を立ち小走りで進む慧音、その後を追って同じく小走りで動く阿弥。

 初対面の阿弥や追い返すように接客した霖之助よりも自分が適している、そう考えアイギスに歩み寄ろうとしたが、初対面という事は阿弥も用事があって当然だと思う慧音。

 追ってくる阿弥を待ち二人並んで声をかけた。

 

「アイギス殿、少し休まれては? そう急ぐ必要もありませんし」

「お気になさらず、疲れる程の仕事でもありませんし力仕事は向いておりますので」

 

「ですが…あまり汗を掻かれるとその、透けてしまって」

 

 慧音と阿弥の視線がアイギスの顔から下がり胸で止まる。

 見つめる先はタンクトップが張り付いて綺麗にラインが見えていた、無論下着はつけているがその花柄の、オレンジに近い赤の下着が綺麗に透けていて、誰が見ても色も形も確認できるような状態であった。

 見えた所で減る物ではないし、隠れているのだからとそれも気にしない羊の悪魔…タロットの誘惑や肉欲ではないが、それを充てがわれ司ってもしかたがないというくらい、健康的な透け具合で目立っていた。

 

「アイギス殿は気にしないでしょうが、回りの男衆…特に既婚者がですね」

「…なるほど、そちら方面で堕とすのは別の者ですし、少し休んで一旦着替えましょうか」

 

 慧音の見る先を見るアイギス。

 二人の視界には住まいの中で妻に頭を小突かれる中年の男と、慌てて視線を逸らす若い男達が見えた。男達から慧音に目線を戻すと、申し訳ないと何故か謝られる。

 謝罪を受ける事などないが、言われる通り今は確かに透けていて、形や大きさまでがくっきりと分かり男の性を掻き立てるような状態だと自覚する…あの淫魔の手口にもこうした濡れ姿を見せて堕とすモノがあったなと思いだし、苦笑していると別の者からも声をかけられた。

 慧音の横から掛けられた少し気弱に感じられる声色、視線を下げて見ると紫色の髪と濃いピンクの花をあしらった髪飾り、髪色に似た色合いの瞳を持つ少女が見上げていた。

 

「でしたら一旦我が家へ来ませんか? 着替えるにしても外では、その…」

「お気遣い感謝致します、初めてお話される方だとお見受けいたします、アイギスと申しますれば…以後お見知り置きを」

 

 いつもの仕草、格好こそタンクトップにハーフパンツだが指を伸ばした右手を胸元に添えて深々と頭を垂れるアイギス。

 少女の身長に合わせて深く礼をすると綺麗なレースがあしらわれた下着まで見えて、それを確認しデカイと一言だけ呟く阿弥…頭を垂れたまま身長の事かと納得する黒羊だったが、阿弥の視線は汗が貯まる谷間にあった。

 思考を切り替えた阿弥からも紹介があり、それぞれ自己紹介を済ませると、誘ってきた少女が先に歩きその後を羊の悪魔が追う形で移動していった。

 

~少女移動中~

 

 綺麗に張り替えられたばかりに見える畳の上に立つアイギス。

 通された和室で少しお待ちくださいと言われ、言葉通りに佇み待っていると白い布を携えた少女がパタパタと廊下を歩く音がする。

 走っている感じではないが何処か急いでいるように感じられる足音、変わった歩き方をする少女だなと考えるだけで、それ以降は思考せず阿弥の帰りを待っていた。

 

「お待たせしま…やっぱり大きい」

「大きく見えるかもしれませんね、ですが私の国であればこれくらいある女性も偶におりますよ」

 

 それぞれがアイギスの見た目の事を話し、噛み合っているように思えるが何処かで噛み合っていない会話をする二人。

 着替えの為に招かれた稗田の屋敷内で汗に濡れたタンクトップを脱ぎ、タオルで汗を拭いてからそのままの姿でいたアイギス。

 阿弥も幼く見えるが二十歳を迎えるくらいの年齢らしく、自身の小さな体と比べて色々と大きなアイギスを羨むような目で見てから、他国生まれであればもう少しと気を落としかけていた。

 

「稗田様、それは?」

「そうでした、取り敢えず着る前にちゃっちゃっと巻いてしまいましょう、万歳してください」

 

 少し俯き、ますます小さく見える阿弥が持つ幅のある白い布、サラシを携えてこれから巻くので万歳しろと話す阿礼乙女。

 バンザイとは? と首を傾げているアイギスに両手を上げてと再度伝える阿弥だったが、仕草も表したせいで持っていたサラシを放り投げる事になった。

 

「あ!…やらかした、換えを持ってきますのでまたお待ちいただいても構いませんか?」

 

 転がり広がるサラシを追いかける阿弥、逃げる巻物を追いかけて捕まえた先でそう述べる。

 口にするものでもないのだから換えなど必要ないと思うが、床に落ちた物を連れ込んだ女性の肌に巻くのは気が引けるらしい。

 アイギスからの返答を待たずに雑にまとめたサラシを持って立ち去る人間の少女、人に恨みしかないアイギスにしては人間と仲よさげで違和感があるが…紫から聞いた彼女の生い立ちから普通の人間ではないと捉えているようだ。

 実際には転生を繰り返すだけの人間、人格を変えずに短い生を生きるだけの人間なのだが、真っ当な命を生きられない阿礼乙女に対しては、先ほどの半人半獣や半人半妖に近い感覚で接する事が出来るようだ。

 

「足音は生き急ぐ姿に似たのでしょうか? 焦っても変わらないと思えるのは私には終わりが見えないからなのか…よくわかりませんね」

 

 パタパタと去った阿弥を考える。

 雇い主から聞く限りでは、後十余年もすれば一端は終わりを迎えるという少女。

 代々続く纏めもの『幻想郷縁起』に囚われたと言っても間違いではない少女の事を少し考え悩んでいる、終わりの見えない者。

 終末が見えれば急ぐ理由も理解できるか、だが終わりを迎えるつもりはないと自問自答を繰り返していると再度足音が響いてきた。

 パタパタからバタバタへと変わった騒がしい足音が部屋の障子前で止まる、見えるシルエットは肩で息をするように上下していた。

 

「おま…たゼェしました」

「そう焦らなくとも、息を整えて下さいまし。はしたなく見えてしまいますよ、稗田様」

 

 勢い良く障子を開けると、息を荒らげて勢いなく歩み入る阿弥。

 アイギスにはしたないと言われれても、いいから早くバンザイしろと荒い息遣いで吐く。

 着替えくらいで急かすような事はないと思えるが、彼女には着替えを手早く済ませてしまいたい理由があった。

 先日の里の襲撃、あの晩に不意に現れほとんどを消してから、自身も忽然と姿を消した見慣れない妖怪…出来れば少し話して幻想郷縁起に書き記したいと考えている。

 焦る理由は目を離せばまた消えると考えているからだろう…それともう一つ、阿弥として会ったのだから阿弥として記しておきたいという気持ちも少しだけあるようだ。

 

「あの、稗田様? そう抱きつかれてはさすがに…汗を掻いた後ですし」

 

 バンザイするアイギスに正面から手を回す阿弥だが、結構な身長差があるせいで阿弥の両手がアイギスの体を回り切らないようだ。

 アイギスに抱きつく形で指先を伸ばし頑張るが、どうにも届かず四苦八苦している。

 

「汗臭くはないですよ? 寧ろ花のようないい匂いがします」

 

 汗臭くないはずはないが、それを感じさせないくらいに花の匂いが強いと語る抱きつく少女。

 原因は身に付けている下着。

 その柄と香りから語る必要もなさそうではあるが敢えて述べる。

 幻想郷に着の身着のままに近い形で訪れたアイギス。

 ある程度の物は八雲紫から支給されるが身に付けるもんぺやタンクトップから分かる通り、半分遊ばれているように取れなくもない。

 下着もその類に漏れず、支給される物はアイギスの趣味とはかけ離れた物が多かった…それでも仕方なく身に付けていたのだが、今日のように汗かいて透かしていた雇われ人の姿を見た香りの元が、お古で良ければと時期を見て寄越してくれるらしい。

 雰囲気も似れば趣味もサイズも似たらしい。

 こちらを貰えるようになってから、八雲から届く下着は封切られる事すらなくなった。

 では話を戻す。

 

「すいません、回してもらってもいいでしょうか?」

 

 自身で巻くことを諦めた少女が申し訳無さそうに願ってくる。

 背に回したサラシを受け取り前に寄越せと仕草で伝えてくるが、背中側に立った方が楽に回せるのではないだろうか? 

 急いでいるというのなら手早く済ませる位置に移動すべきと考えられるが、この少女は立ち位置を変える事はなかった…前から抱くように捕まえていれば消えない、そんな思惑もあるのかもしれない。

 

「キツくないですか?」

 

 少し離れてアイギスの顔を見上げる阿弥。

 巻いたサラシの話であれば胸元を見ながら離せばいいのに、今更になって気にするようにわざわざ顔を注視している。

 八雲の式によくわからない方だと評されたアイギスが、よくわからない娘だと考えながら巻かれたサラシに指を通し、具合の確認をしていた。 

 

「問題ないかと、では工事の方に戻りましょうか」

 

 事は済んだ、とすぐに替えのタンクトップを着て部屋を出ようとするアイギスだが、立ち止まったまま少し手を伸ばす少女に気が付くと振り向き止まった。

 行かないのかと阿弥と外を二三度見比べる黒羊、アモン角の巻が見えたり顔が見えたりしていると阿弥が手を下げ話し始める。

 

「あの、良ければ少しお話しませんか?」

「工事が済んでからでは遅いのでしょうか? 後少しで終わる気配もしますし、その後で良ければお付き合い致しますよ?」

 

「終わった後はスキマに回収されて消える、慧音さんからはそう聞いていたのですが?」

 

 足を止めて見上げてくる華奢な女性。

 顔にはちょっとした疑いというか、疑惑というには可愛さが強い表情が浮かんでいる。

 百年以上幻想郷で暮らしていながらアイギスが里に訪れるのは今日で三度目、一度目は買い物をしてすぐに帰った為慧音と霖之助以外とは話しておらず、里人から見慣れない妖怪がいると見られただけだった。

 二度目は先日の騒ぎの夜。

 あの晩は確かに仕事を終えてすぐに回収されたが、時間に追われなくなった今は回収はされないだろう…遣わされた際にも帰りは好きにと命ぜられていた。

 

「帰りは好きに戻れというお話ですので、私の気分次第となります…行こうと考えていた先は夜にならないと楽しめませんし、それまでは時間もありますよ」

 

 消えもしないし時間もある、それを伝えると阿弥の紫の瞳に光が宿る。

 人間との会話に興じるなどらしくない、襲うなという縛りがあるにしても随分とらしくない対応をしていた。

 恨み憎む人間に対して親切心を見せるアイギスだが、年を召していると言う割に幼く見える姿が見知った誰か達とダブって見えてしまうのと、前述した唯の人間と見られない事が相まってこんな対応をしていた。

 ちなみにこの少女と出会った事で後々人間に対する評価が少し変わるのだが、それはまた別の話である。

 

「では工事が終わったら再度我が家でお話を…そうと決まったら行きましょう! さっさと終わらせてちゃっちゃっと戻ってきましょうね!」

 

 言うが早いかパタパタと急ぎ足で歩み、アイギスを追い抜いて部屋から廊下へと去っていった屋敷の主。

 どこの主も慌てやすいなと、夜に訪れる予定だった赤い屋敷の主を思い出し一人笑む黒羊だったが、遠くから聞こえる早く来て下さいという物言いが、主ではなく妹の方に似ているのかもしれないとも感じさせた。

 人間にも面白いのがいる、長く生き永く憎む中で感じる初めての感覚を覚えながら、届けられた声を追うように屋敷から歩み出た。

 

~少女工事中~

 

 戻ってみれば後片付けだけの状態になっていて、持ち込んだ仕事道具を革製のショルダーバッグにしまって終いという状況であった。

 少し長く話しすぎた、これでは遣わされた意味がないと考えるアイギスだったが、お疲れ様やらありがとうやら里の者達から色々と言われていた。

 何もしていないはずだと考えこむアイギスだったが、里の者達の感謝は夜の襲撃から救ってくれたという意味合いが強く込められているもので、今回の紫からの依頼はそれを知らせる為に遣わされたようなものであった。

 アイギス本人は仕事を成しただけとしか捉えておらず、感謝されても濡れ姿の方くらいかなと考えているが、紫の思惑としてはその部分には然程意味合いがなかった。

 

 八雲紫が紅魔館で魔女に向けて話した事。

 互いに相容れない者同士が住まうこの地、あちらを立てればこちらが立たずで済まさずにどうにか両者立てられないか?

 そう考えた紫が試験的に試したのが、人を憎みながらも人から糧を得て満ちるアイギスを里に送るというものであった。

 先日の襲撃時には依頼の条件通り里の内では人を襲わなかった悪魔、では荒事のない場面ではどうかと、仕事の依頼にかこつけて少し試してみたようだ。

 結果は成功といえるだろう、透けた服を鼻の下伸ばして見てきた男衆にも、屋敷に呼ばれ阿弥と二人きりになっても襲うような事なく平凡に過ごしたのだから。

 

 そんな平凡に過ごした悪魔。

 今は愛用品もしまい終えて再度稗田のお屋敷内にいる。

 阿弥の部屋の正面。

 庭に面した外廊下に腰掛けて日が暮れ始めた空を眺め、その下に広がる手入れされた庭園を眺めて、出された麦茶を味わっていた。

 

「お疲れ様でした、里を代表してお礼申し上げます」

 

 部屋に対して斜めに、廊下の屋根を支える細い柱に背を預けるアイギスに向けて、部屋の中から阿弥の声が届く。

 感謝される程の事はしていない、する前にやる事がなくなった為大した事はしていないと謙遜するように角を撫で小さく苦笑んでいた。

 

「さぁ、ここからは私に付き合ってもらいますよ? まずは私の事、八雲様から聞かれているでしょうか?」

「転生を繰り返し書物(かきもの)を続ける家系、そのくらいしか伺っておりませんが、他にも何かあるのでしょうか?」

 

「いえ、その通りでそれ以上は…書物の内容も聞かれていますか?」

 

 部屋にいる阿弥に向かい話しながら、足は庭先に投げ出して、右手だけを後手にして体を捻る黒羊。

 褐色の肌や髪に斜めから夕日を浴びて、日の当たる部分は普段より赤く、日の当たらない部分は影がさして余計に暗く見える肌。

 けれど瞳だけはいつも通り赤黒く、影が指している顔の中で唯一妖しく輝いているように見えていた…が、横に広がる瞳孔のせいで綺麗とは呼べず、寧ろ得体のしれないモノに見えてしまう。

 

「内容までは伺っておりませぬ、その内容に何か?」

 

 脅したり怖がらせるような事は何もしていない、そのはずなのに何故か届けられる少しの恐怖心。

 それを感じて訝しむアイギスであったが、目と目が合うとすぐに逸らされた為、原因は私の瞳かとすぐに察することが出来たようだ。

 今更気にする事でもないが、やはり特異に見えるのかと少し座る角度を変えて顔に日が当たるようになると、届けられていた恐怖が薄れていく感覚を覚えた。

 

「幻想郷に住まう妖怪達を纏めておりまして、宜しければアイギスさんも書かせて頂けないかと…」

 

 表情が分かる角度になったアイギスを見て、すぐに昼間のような雰囲気を取り戻し饒舌になる阿弥。

 瞳の光も何も変わらない、座る角度を少し外に向けただけのアイギスの背に明るさが戻った声色で語りかける。

 

「用途次第、と聞けばお答えして頂けるのでしょうか?」

 

 妖怪を纏める本、そう聞いて少し考えてから返答する悪魔。

 アイギスの知るものでそういった物は魔導書、同族である小悪魔のそれのように実情と内容が咬み合わないまま書き記してある物も多い。

 そういった物は大概書いた者の偏見と偏った知識が混ざるもので、小悪魔を例に出せば、他者を堕とし死者を操る古い悪魔と濁して書いてある物である…快楽にと頭に書いてあれば勘違いもなかっただろうに。

 勘違いから生み出されたアイギスは勘違いや思い違いをされる事を嫌う、阿弥の言う物もそういった物であるのなら断るつもりでいるようだ。

 

「最初は対策本という物でした、幻想郷にいる数々の妖怪に向けた対策を纏めた物…中には人を殺め喰う事を目的とする者も多いので、そういった者達と出会った際逃げる為の手段を纏め書き認めていました」

「過去形ですね、今は違う物になっているという事でしょうか?」

 

 向かっている低く横に長い机から離れ、少し歩く阿弥。

 机の奥に誂えられた本棚に並ぶ数冊、同じ装丁がされた和本を眺めながら歩み、自身の書き記してきた本『幻想郷縁起』の事を語り始める。

 本棚の前で立ち止まると同じ想定の内の二冊を取り出して、著稗田阿一、そう書かれた古い字体に見える方をアイギスに手渡した。

 

「これから変える、という感じです、対策本から紹介本になると思ってくださるとわかりやすいですかね」

 

 本を手渡してアイギスの隣に腰掛ける阿礼乙女。

 渡された本をペラペラと捲り流し読みしていくアイギスだが、古い字体の漢字が多く殆どが読み取れないようだ。

 けれど読めなくとも問題はないように見えた、本の厚みに対して中身が少なく思える程の情報量しか書かれていないからだ。

 

「今ご覧になっっているのは二代目が書き記した対策本、こちらが私が(したた)めている物です」

 

 阿弥の説明を聞きつつ視線も感じながらペラペラと捲られるページ。

 だんだんと文字数が減り途中のページから白紙だけになると、パタンと閉じられたアイギスの手元の本。

 閉じられた本を阿弥に返すともう一冊、先程よりも新しく日にも焼けていない本を再度手渡されていた。

 褐色の指が書を開き、中扉もペラリと捲ると先に渡された本よりも随分と充実した目次が目に入る。

 

「今は里で暮らす慧音さんや商売される霖之助さんもいますし、聞けばろくろ首も隠れ住んでいるとか」

 

 先に目を通した本よりも増えた項目、幻想郷に住む妖怪達の他にも半人半獣や半人半妖、この地にある名のある名所までが書かれるようになっていた。

 書き方も対策というよりも、何処に行けば会える、こんな性格だ、と確かに紹介本に近い物となっていた。

 ここが危ないだとか、こうなったら逃げるだとか、対策本としての姿も残しつつ、書かれている者達がわかりやすいように、砕けた文体で各々が紹介してあった。

 目次には八雲の二人や花の妖怪など、見知った者達の事も書かれている。

 藍のページを少し読むと、真面目な顔した狐が真面目に油揚げを買いに来た、などと目撃証言までが書いてあり、その姿が想像できて思わずクスリと声を漏らすアイギスであった。

 

「フフッ笑ってもらえるようになったなら良かった」

 

 着ている着物の袖を口に当てて笑う阿弥、小花柄があしらわれた袖先辺りを揺らして楽しそうに笑んでみせた。

 後から手渡されたこちらが阿弥が書き、話してくれた書物なのだろう。

 楽しい紹介本を読みながら本棚に目をやるアイギス、左端と右端が抜けた同じ装丁の本が視界に写り、冊数から今が八代目なのかと気づいて再度書物を読み始めた。

 読み進めると見知った誰かの挿絵がある。

 挿絵の横には、太陽の畑で見かけたが笑顔が怖くてすぐ逃げたという目撃例が書かれていて、あの笑顔で振るわれる日傘は確かに怖いなと頷き、また笑った。

 

「いかがでしょう? 書かせてはもらえないでしょうか?」

 

 足を揃えて座る阿弥の腿に両手が揃えられる。

 そのままアイギスの顔を見上げて、下から覗き込むような形で書き記す許可を求めてきた。

 目撃証言は見た者の偏見と言える文言で、そういった事を嫌うアイギスであったが…書き方が上手で偏見というよりも冗談、もしくは文章の賑やかし程度にしか感じられず、紹介本として楽しむ為にこれくらいなら構わないかと考えていた。

 

「構いません、ですが今ではなくもう少ししてから書いて頂きたいですね」

「もう少し? 今ではなにかまずい事がありましたか?」

 

 書かれる事自体は構わない、けれど今ではなく後にしてくれと逆に願う黒羊。

 その言葉に今ではマズイ何かがあるのかと、疑惑の色を浮かべて聞き返す紹介本の筆者。

 

「問題というよりもそうですね、この地に馴染んでいない自分に気が付いたので…色々と逸話を増やし恐れてもらえるようになってから書いて頂きたく思います」 

 

 正直に言えば今でも構わない、そう考えているアイギスだったがわざとらしく理由を作り難色を示した。

 一時の断りをいれたのは、今書かれても外の世界の事ばかりになると気が付いた為だ。

 どうせ書かれるのであれば今暮らしている幻想郷での事を多く書いてもらったほうがいい、その方が読み手が想像しやすく畏怖や恐れを覚えてもらいやすいのではないか?

 そんな事を思いつき、少しだけ意地悪に笑んで阿弥を見つめる黒羊。

 不意に見せたアイギスの笑み、意地の悪い笑みを見上げている阿弥の顔には素直に不服と書かれている。

 だが不満を述べる事はなかった、お願いが断られたわけではなく後回しにされただけだと理解しているから、今不満を伝え嫌だと言われてしまうと旗色が悪いと考える阿弥。

 今の見た目だけなら旗色が悪いどころか、同じように夕日を浴びて赤みが強い顔色にしか見えないが、そう考えて文句は言わずに納得し、わかりましたと述べていた。

 けれど、阿弥からの色よい返答を受けても意地の悪い笑みをやめない悪魔。

 意地の悪い笑みといい、サラシの巻かれた今の姿といいらしくない色を身に纏うアイギス。

 彼女が人間相手に楽しそうに笑うのは、今の僅かな時間だけ相容れない人間と同じ色に染まっているからだろう。




異変も済んで少しまったり。

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