霧の湖に突如現れた屋敷。
そこを中心として騒がしくなった昨晩。
屋敷の地下から屋根までを使い皆が暴れた酷い夜。
そんな夜から数時間が過ぎた今、喧騒が去ったはずの時間帯なのだが、静寂を取り戻してもいいはずの屋敷では静寂を感じられなかった。
騒がしい理由は屋敷の中で忙しなく働く自然の権化達のせい。
送り込まれた理由や、着込んでいるメイド服姿から便宜上働くと伝えたが、一度でも働いた事がある者から見ればとても働いているとは思えない状態に見えるだろう。
モップを持ち水分を含ませて床を撫でつけるだけの妖精や、びしょびしょなままの雑巾で窓の真ん中辺りを濡らすだけのメイドはまだマシだ。彼女達は埃を濡らして飛ばさないようにしている、そう考えればまだ掃除をしていると考えられなくもない。
酷いのは調度品に手を伸ばし場合によっては投げて遊び始める者達だ、彼女達は掃除をしているとは考えられず唯煩いだけにしか見えない。
穿ったものの見方をすれば不要品を処分しているとも取れなくはないが…
「煩いですね」
ガシャンパリンという楽しげな音が響く屋敷、紅魔館の主をベッドに寝かしつけた者がポツリと呟く。
時間は正午を少し過ぎた頃。
吸血鬼という種族柄昼間は行動出来ない幼子、レミリア・スカーレットを寝かせて、もう一人の吸血鬼は片手で抱き上げたままの女が音のする謁見室の方向を見る。
「これでも目覚めないとは…お疲れ様でございました、御嬢様方」
薄く赤みがかった色合いのベッド。
レミリアが着こむドレスの色に似た白いベッドの端に腰掛け、眠り姫となった姉と抱いている妹を見比べてまた独り言を呟いているアイギス。
眠り姫を横たえた際にかけた朱色の上掛けはベッドの端の方で丸くなっている、寝相が悪く感じられるが疲労困憊の割には元気だと、それを直し笑んでいるだけの黒羊。
枕もベッドから離れ、先ほどアイギスが睨んでいた方向の壁に当たり落ちたが、これは眠り姫ではなくもう一人が投げた物だ。
枕を投げた者は腕の中で半覚醒してはいるが、うつらうつらと船を漕ぐ妹の方。
「煩いよぉ、寝られないよぉ…」
ブツブツと文句を言いながら眠たげな瞳を擦るフランドール・スカーレット。
姉よりも先に寝た、正確には意識を断たれたからか、姉よりはほんの少し長く睡眠時間が取れていて中途半端に目覚めている。
けれど、吸血鬼からすれば真夜中過ぎともいえる時間帯の今では、睡眠欲に抗う事が出来ず…騒ぎに対して愚痴を吐きながら、顔をアイギスの肩へと押し付け静かになった。
「自室にお連れするよりも、一緒に眠って頂いた方が…」
言いながらフランドールをベッドへ降ろそうとするが、ネクタイとスーツの襟を強く握られ離せない。
フランドールからすれば長く会いたいと想っていた相手、そう呼びはしないが母や姉に近い感覚を覚えているアイギスと会えたのはつい昨晩の事。
その出会いから先ほどまで我慢し続け、自分から飛びつく事はしなかったフランドールが、眠る中我慢を忘れ想い人を逃さないような態度を示していた。
タイを握りしめる幼子の手を見て苦笑し、致し方無いと呟いて抱き上げたまま主の部屋を出る黒羊…向かう先は妹に充てがわれた部屋のある地下、そこへと続く大図書館。
姉妹を寝かせる為に一度分かれた八雲紫と、書庫内で会う手筈となっていた。
向かう途中モップ掛けや窓ふきに懸命に勤しむ妖精メイドを見てしまい、ため息をついていたが、紫が修繕の為に送り込んだのだから癖は強くて当然と、何も言わず息だけ吐いて廊下を歩んでいく。歩きながら時折壁沿いに蟹歩きをしたり、少し飛んで天井すれすれを移動するアイギス。
「我ながらやり過ぎたのかもしれませんが、相手が幽香だった割には形があるだけマシでしょうか」
先程から独り言を吐く悪魔な羊。
壁添いや天井近くを移動したのは抱く妹に陽の光が当たらないようにと、どうにか残った日陰部分を選んで移動していたからである。
屋根の修繕は一番最初に行われ、次は外壁という順番で補修工事が始まった為、雨漏りや上からの日光はどうにか遮られるようになったが…外壁の修繕は中々進まないでいた。
外壁の被害状況が一番酷いのだから致し方無いとは思えるのだが、日が昇り屋敷の全容がわかりやすくなった今、改めて見直すとたった二人でじゃれ合った割には酷いと、残る部分が少ない壁やガラスのない窓枠を眺め考える屋敷の破壊者であった。
喧嘩を売ってきた幽香が悪い、と買った側のアイギスが自己完結しながら足を動かす。
屋敷がこうなった原因の一人が真面目に考え込んでいた為か、気が付かぬ内に地下へと降りる階段前へと着いたのだが、此処から先も荒れていたなと一人苦笑する荒れた原因。
「ふむ、藍様も楽しんだご様子、叱られていた理由はこれらが原因でしょうか?」
見慣れた図書館の扉が焼け落ちて、綺麗な穴が空いている。
その跡を指でなぞっていく中で一つ思い出す。
そういえばあの晩、あれから魔女はどうなったのだろうか?
淫夢へと誘う小悪魔を尾で堕とし、甘美な悲鳴を上げさせていた傾国の九尾八雲藍。
はしたないと紫に窘められて、小悪魔を激しく突き立てたり揉みしだいていた九尾を下げてシュンとする姿は、中々に滑稽で面白く見えた。
話を戻して、藍に場を預けてその後は地下から地上に出てしまったため、その後がわからないアイギス。堕とされた魔女というのもそれらしく見えるし淫靡でいいかもしれない、とクスリと笑みつつ扉に空いた穴を潜っていく。
大きく切り取られて空いた穴を潜ると入り口でカツカツという足音が止める。
黒く濁った赤目に写り込むのは、本来なら理路整然と並んでいた本棚が、誰かに強く押されて大きくずれ込み、酷い場合は横倒しとなっている景色。
床面も茶色の水で濡れた形跡があり、所々に埃が纏まり溜まって濡れていた。
「妹様が静かに…どうにかなったのですね」
アイギスの見つめる視界の外、頭上から安堵しきった声が聞こえそちらを見上げる。
見上げる先にはフワフワとローブを揺らして降りてくる者がいた、顔には疲労感が見える魔女、首周りに何かの跡が残るレミリアの親友パチュリー・ノーレッジ。
スッとアイギスの横に降り立つと、抱かれているフランドールの顔を見上げてからアイギスの顔に視線を動かした。
「紫様との会合が済みましたら書庫内の整理をお手伝い致しますので、まずは終わらせてしまいましょう」
見上げてくるパチュリーに笑みを見せ、後の整理を約束する悪魔。
敵対者として訪れたのだから手伝いなど、と思われるがアイギス自身が派手にやり過ぎたと感じている上に、魔女からも書庫に対する叱責がなかった為手伝う気になったようだ。
感情のない、糧の得られない死体という獲物から、恐怖や畏怖を得られる魔女へと獲物が変わった事で珍しくやる気を見せ、ここではっちゃけたアイギス。
出てきた瞬間から疑いの理由とされた小悪魔を地形毎攻め落とし、それを見たパチュリーから発した畏怖や恐怖の念を腹に収めた今はほぼ満腹に近い…幽香と楽しくじゃれ合った後、寝落ちする寸前のレミリアからもデザート代わりに恐怖が届けられた事で、今の彼女の肌はツヤツヤで機嫌がいい。
「屋敷の主であるレミィではなく、私が席についてよろしいんでしょうか?」
「宜しいのですよ、貴女様も書庫の主なのですから…屋敷の主とは疲労が癒えた頃に再度お話されるようですので」
不安げな顔でいるパチュリーの肩に空いた手を置くアイギス。
その表情には笑みが張り付いている。
紫と会話をした際にある種の保険といえる手は打った、そこから鑑みれば此度の侵略を咎められる可能性は低いだろう。そう理解しているアイギスが肩に手を置いた事で、パチュリーの表情に若干の明るさが灯る。考えが伝わるなんて便利な事はないが、畏敬の念を覚える者に主と呼ばれ、肩を支えられた事で多少の自信を取り戻したようだ。
笑みも自信を取り戻す理由にあるのかもしれないが、この笑みが会合の中身に向けたモノ、紫が屋敷の者に何を話すのか、そちらに期待しての笑みだとは気が付かれなかった。
肩に触れた手を引いて先に歩き出すアイギス。
所々に水溜りが残る床からコツコツ、偶にパシャリという音を立てながら書庫の中心へと歩む。背後を追うように少し浮いて、ほんの少し咳き込む素振りを見せては隠すパチュリーを連れて大きな机に向かうと、机を挟む形でスキマが開く。
見ていたかのような丁度のタイミングで現れる雇い主とその式、二人に仰々しく頭を垂れてから地下へと進む階段につま先を向けると、雇い主から同席しろとの命が下された。
「御嬢様を寝かせた後では遅いのでしょうか?」
「剥がせない妹をどう寝かしつけるのかしら? 一緒に添い寝してくるから、起きてくるまで待てとでも?」
今の主八雲紫と、書庫の主パチュリー。
二人の会話には然程興味が無いアイギス、話し合い決めた後の事にしか興味が惹かれない為、どちらかといえば幼子の寝顔を見ていたほうが面白い。そういった考えの元席に着かず立ち去ろうとしたが、少し不安げなパチュリーの表情と、魅了するように笑む紫の表情を見た事で、命ぜられた通り席に着き静かに二人を見る姿勢を取った。
「幻想郷へようこそ、歓迎致します。紅い屋敷の住人さん、私は八雲紫と申します、この地の管理人を務める内の一人ですわ」
「貴女の事は調べたから知っている、それ以上は必要ないわ…パチュリー・ノーレッジ、この大図書館を屋敷の主から任されている者よ」
「そう、では藍ともう一人も紹介する必要はありませんわね」
「えぇ、見知っているし体感したから必要ないわ…盛大な歓迎感謝、八雲紫」
扇で表情を隠す紫から始まった会話、その内のパチュリーの一言で藍の九尾がピクリと揺れる。敬愛する主を呼び捨てにした侵略者である魔女、式である藍にすら届かない、この場での弱者と呼べるものが主を呼び捨てにした事が気になったらしい…が、何も言わず姿勢も変えない藍。例え気に入らなくとも会合の席に着いた主の邪魔はしない、そういった姿勢を崩さずに無言で佇む事の出来る良い従者であった。
「では単刀直入に申し上げます、此度の侵略、本当に成せると考えて訪れたのでしょうか?」
扇で一二度仰ぎ、一瞬だけ表情を見せた妖怪の賢者。
その口元は歪みも振るえもなく、ただただ表情のないように感じられる唇が見えただけ。侵略者に対して何の感情も抱かない、といった態度ではなく『普段よりも少しだけ騒がしい夜があっただけで、侵略者などいたかしら?』
一時は結界を乱され気も乱されたが、今の紫には冷静さと妖艶さしか見られない。
そんな冷酷な顔の紫の口調を借りれば、そういった事を言いそうな口元が見られた。
「イエス・ノー、はっきり言えというなら私はノーと考えるわ」
「移動する手段を全て任された貴女がノーと言う、どういった意味合いで仰るのでしょう?」
質問された事にはっきりとノーと答えたパチュリー。
アイギスがいなくなった後、藍から質問攻めにされその全てが紫に伝わっていた。
頷き少しの呼吸が出来るだけのスキマを残し、尾で締めあげられて転移の方法や此度の来訪理由など色々と話したようだ、首の跡は締めあげられたその名残だろう。
ローブを脱げば四肢にも跡がありそうではあるが、こうして冷静に会話出来て藍を見ても同様しないのだから、小悪魔のようにはされなかったようだ。
そんな冷静さを見せる魔女が問に答える。
「そもそも侵略はレミィ、主が考えたついでの思いつきだったのよ…本命はそっち、アイギス様と妹様を会わせるに事あったの」
既に伝えた来訪理由を再度話す魔女。
再確認というよりも直接聞かせたい者がいると考えた紫が、それを話しやすいように促した。パチュリーが文言を述べ訪れる理由となった二人を見る、紫も僅かに顔を動かして侵略される原因となった者を見つめている。
が、両者に見られても表情も態度も変えない本命で原因となったアイギス、何か言う事はないかという空気の中、素知らぬ顔で眠るフランを見つめ淑やかに笑んでいるだけ。
同席しろという命を守り足を組んで座っているが、何か話せとは命じられていない為余計な事は口にしない。
「幼稚な思いつきで襲われ、数を減らした者達がおりますが…そちらについてはどのように考えているのかしら?」
少しは動揺するか?
そんな淡い期待は消えた紫が、別の方向から魔女とアイギスを揺らす為の話を述べる。
侵略が主題ではなかったという割に、数を揃え人間の里を襲い被害者を出した事実は変わらない、それに対してはどうするのか?
ついでの思いつきで襲われ、数を減らしてしまった大事な『食料』をどうしてくれるのか、そんな事を聞き出す腹積もりのようだ。
「それについては心から謝罪するわ、アレはレミィの考えではあったけれど…アレらは本来攻める手段ではなく屋敷を守る為の駒だったのよ、攻め手となってしまった原因はコイツ」
スッと伸ばされる魔女の右腕。
何かを掴むような中途半端に開かれた右手に一冊の本が収まる。
書の表紙には六芒星が描かれていて、これが原因だと言ってはページを開き、誰かを呼び寄せた。
「お呼びでしょうか、パチュリーさ…またアイギスがいるの…って藍様もいらっしゃるの!? なんでこうなってるのよ!?」
「原因はコイツ、到着時の揺れで開いた正面扉からそのまま飛び出していったあの死体達、その回収を任せたのだけれど…あのまま打って出るとは思いもしなかったわ」
「使役する者を操れないとでもいうのかしら? それほどの者には見えないのだけれど?」
大図書館の何処かで何かをしていたような姿、山積みとなった十数冊の本を両手で抱えた小悪魔が、パチュリーの側に呼び出されギャアギャアと喚き始めた。
そんな煩く騒ぐ小悪魔を親指で指して、コイツが勝手にやってしまったと述べるパチュリーだが、その言い分は紫には通らない。
使役し従者とする者が主の命以外で動くはずがない、事実紫の式である藍は紫の命であれば何事でも行うし、命があれば本人が成したくともしない…小悪魔を堕とした際には式が剥がれかけ昔の姿を見せていただけで、あれを紫が命じたわけではないとここで少し訂正しておく。
「操りきれない、というのが正しい見解でしょうか」
ここまで無言を貫いてきたアイギスが不意に話す。
藍に睨まれ振るえて、同時に何かに期待し話せないような状態の小悪魔に代わり、種族としての在り方を述べるもう一人の悪魔。
「八雲様方のように縦の主従ではなく、あくまでも契約の上で成る主従関係なのですよ…私が紫様と交わした契約と同じく、この者もノーレッジ様と対等な契約を結び、そう願われて仕えているのです」
「このような、いうなれば小者のような力しか表せない者がアイギスと同じだと?」
酷く冷たい目で小悪魔を見る紫。
身形こそアイギスに似ているが感じられる力はか細いモノで、とても何かを成せるようには感じられない。こんな小者が紫の認識を阻害する魔法を操る主、パチュリーの思惑の外で動いたところで何も出来はしない、そう確信する紫だったが、アイギスからの物言いはもう少し続くようだ。
「私と同じ古い悪魔ですが、今は真名に縛られ宿す力を発揮できない状態…大きな地下水を有していますが、汲み上げられるのは小さなポンプ一つ、そのような状態だと思って頂けると伝わりやすいでしょうか?」
日ノ本の妖怪とは違う西洋の悪魔の在り方。
その形から現状こうなっているのだと、誰よりも古い付き合いがある悪魔が小悪魔の説明を話す。それを受けて少し考え、何かに納得するように瞳を瞑り長い睫毛をゆっくりと上下させた紫。
「力を発揮できないのであれば制御する事も可能、そう考えられるのだけれど」
アイギスの言う通りであれば操れない理由にはなり得る。
力を有しながら発揮できない、ある種の封が課された状態にあるから力は感じられないが、本来であれば魔女を超える力を宿す古い悪魔、だからこそ操り切れないと話すアイギス。
だが、紫は納得はしきれず追加の疑問を問掛けた。
「縛るのは力のみで性格までは縛れませぬ、こいつの性格は以前に里で述べた通り…里の騒ぎはこいつの思惑だと私からも断言出来ます、罰せられるなら如何様にも…殺しても、操られても死にはしませんが」
パチュリーの言う事を聞かないのは、彼女のイタズラ好きで後先を考えない性格からであり、その部分は力ではなく在り方なのだから縛れない。
追加の情報を話しながら、好きにしていいと、境界を操ったところで滅びはしないと自信を持って話すアイギス。
本に封じられ、その本が世界に散らばりあるだけ存在する小悪魔と、一度首を落とされ生を終えた羊から成り果てたアイギス。
どちらも生死の内にいない者達で、操る生死の境目などがない者達…本との繋がりや信仰という繋がりを操り断てば今この場の二人は消せるが、別の場所で同じく開かれ崇拝されれば再度現れるだろう。人が生きて考える限り、生きもせず死にもしない悪魔二人が互いに目を合わせながら頷いていた。
「アイギスの話、全面的に信用は致しませんが納得は出来ますわ…その悪魔は以後屋敷から出さない、それを条件に里での事は目を瞑りましょう」
目を瞑るというよりも瞑らざるを得ない、そのような状況だが敢えて瞑ると述べる管理人。
滅ぼせないのでは討つ意味がない、討つ度にこの魔女が傷つき使い物にならなくなる事も藍から聞き知っていた紫、後々利用するために里での犠牲は見なかった事にすると決めた。
放っておけばそれなりに増える人間よりも、利用価値のある魔女に恩を押し付けたほうが良い、企む者ならだれでも思いつく事だろう。
「小悪魔はそれでいいとして、私やレミィ達の処罰は?」
「一人ずつお話します、まず守衛さんですが、友人の従者が気に入ってしまいまして…私から何かをする気はなくなりました、仕える者ですし彼女に責任はない為不問と致しましょう」
まず美鈴の無事が確約される。
話を聞いているだけのアイギスが小さく笑み、あの老紳士に気に入られるほど研鑽し武に磨きをかけたのかと、少しだけ感心していた。
「次はそちらのお嬢さん、気が触れて暴れておりましたが私の従者が抑えたようですし、アイギスに会いたいと考えただけでこの地を狙ったわけではない、ですので特にありません」
アイギスの肩で静かに眠るフランも特に処罰はない、そう言い切る紫。
むしろ面白い相手と見ているようだ、忘れられた地へと訪れて忘れていた記憶を取り戻した妹様。紫が言うには単純に我慢を続けて溜まった鬱憤が爆発し、幻想郷で溢れる魔素を使い、溜り爆ぜた感情が形取られただけの事だそうだ。
この地を囲う二つの結界には存在を歪めてしまうような効果はない。
管理人がそう断言した為、アイギスも納得しそれを信じているが…
「この地に慣れるまでは外に出さないほうが無難、と忠告もしておきましょう」
物言いを静かに聞いているパチュリーともう一人、アイギスに向けて忠告するスキマ妖怪。
この地の魔素に触れ気が触れたフラン、魔の者であるフランも慣れれば心地よい物と感じるはずだが、慣れない新天地の空気に慣れるまで外に出さないほうが良いと管理人からの言葉を受けて二人とも納得していた。
一度は静まった狂気ではあるが静まっただけで消えたわけではない、此度のように書庫が滅茶苦茶なるのは簡便だと感じるパチュリーも、自身の手で傷つけ場合によっては消さなければならない…そうなるのは嫌だと考えるアイギスも、互いに頷いていた。
「続いて主犯と手段のお二人ですが、貴女方には条件を付けたいと考えておりますわ」
不問とされた従者の二人、敵対しながらも忠告までされた妹と、屋敷の者達にとっては悪くない話が続いたがここで風向きが少し変わる。
纏う雰囲気を幻想郷の管理人からこの地で名高い大妖怪八雲紫へと変えて、パチュリーに禍々しい気を放つ紫。気を変えて述べた言葉は条件、荒事を届けたパチュリーと企んだレミリアには条件を課すと言葉を吐いた。
「条件? 処断されるというわけではない、と?」
放たれる殺気から責任を取らされて処断される、殺されても仕方がない、そう覚悟したパチュリーだったが条件と聞いて訝しむ。
「えぇ、外に戻せば消えいくだけの哀れな者達、そういった者達の為に作り上げたこの幻想郷…力を失い忘れられれば遅かれ早かれここに来るはずだった貴女方、けれど力を宿したままで来訪した、そう出来た貴女方には少し協力をしてもらいたいの」
扇越しに殺さない理由を語る紫。
『戻せば』と言い放ち、その気になればいつでも放り出せると含ませて話す。
扇の奥で目を細め、選択の余地はないと眼に宿るナニカをパチュリーへと放つ大妖怪。
見つめられるパチュリーもここでノーといえばどうなるか理解し、見つめてくる瞳から顔を背けられず逃げられないような状況となった。
背後に佇む藍も顔色を変えずに主を見ているが、もう一人の従者、仮初めながら紫に仕える形で雇われているアイギスだけが、紫を見つめて瀟洒に笑んでいた。
これから先に話す内容は何か、聞き逃さぬよう髪に隠れた耳に集中していた。
「人と妖かし、互いに相容れない者達が住むこの地。相容れないながらも人がいなければ私達化け物は存在できない、かといって何もせず人間をのさばらせると外と同じく消えていく…危ういバランスの上にこの地は成り立っているのですわ」
静まる書庫内で一人語る紫。
現した怪しさは影を潜めて、正しく管理人たる姿を取り戻して話す雰囲気に戻る。
コロコロと姿を変えてその心を掴ませない紫だったが、話す内容は本心に近いそれであった。イエスとは言わない、未だ侵略者である魔女にここまで話すのは、協力しないのであればこの地にいようといずれ消えると示唆するためでもあった。
ただでさえなかった選択肢が更に強調され、パチュリーの思考など関係なくその決定先が一つだけの答えに向く。
「言わんとする事は理解したけれど、具体的に私達に何を求めるの?」
「何をして頂くか、それは屋敷の主が目覚めた時にお二人にお話致しますわ…悪いようには致しません、むしろ研鑽できるような事となりますわね。この地を一度でも揺るがそうとしたその力、今後共磨いて確固たるモノとして私に見せてほしいのですわ」
怪しむ視線で返答するパチュリー、イエスとは言わずにその先の事を問い正すが紫を信用しての返答ではなく、逃げられないのなら先を聞こうという考えの元に返事をする。
この返答だけでも協力すると答えたようなものだが、更に餌を撒いて頭を縦に振らせる算段の紫。普段の会合、というよりも脅しに近い片方からの文言であればこれで終いとなるのだが、期待を裏切れない者が側にいるため正しく会合として終わらせたい。
そうする為にその厄介な契約者を利用する事にしたようだ、疑惑の眼差しを向けるパチュリーに追加を述べる。
「疑って当然、ですが嘘は話しておりませんわ」
「今更疑ったところで意味が無いけれど、話の真実味が増すのなら聞いておきたいわね」
「アイギスと契約を結んでいる、これでは疑いを晴らす理由にはならないかしら?」
少し悩み納得したように瞳から疑いの色を消していく聡明な魔女。
魔女の瞳を見て紫が扇で隠した口元が緩む、隠すそれを見られ真似られたかのように、紫を見つめていたアイギスの口元も緩んだ。
会いたいと願う妹の為計画した侵略行為、その行為のために手段と化し力を見せた魔女であればアイギスを知っている、ならば契約していると述べれば邪推し勝手に納得してくれる。紫が推測したその通りに魔女は納得し頷いた、悪魔の証明ならぬ悪魔を証明と立てた事で敵対者の疑いを晴らした妖怪の賢者…魔女を納得させてアイギスの期待を裏切らず楽しませた妖怪。
その頭脳も武器だと自称するくらいなのだ、これくらいは余裕でこなすのだろう。
その後は少し話してすぐに去った八雲の二人。
そうして地下の書庫で行われた今日の会合は終わりを迎えた。
残された魔女は緊張の糸が切れたようで、カグリと机に突っ伏して疲れた素振りを見せていた。もう一人緊張していた従者の方は随分前に緊張の糸が切れていたようで、床にへたり込み俯いて動かなくなっていた。
唯一固くならず場の雰囲気を楽しんだアイギス。
楽しげな笑みを浮かべクスクスと小さく声を発しながら、席を立ち歩き出す。
期待を裏切るどころか寧ろアイギスを利用して魅せた紫。
大妖怪八雲紫と対峙しながらも媚びず、大図書館の主らしい振る舞いで最後まで乗り切ったパチュリー。
紅魔館の者達に何をさせるのかは聞く事が出来なかったが、今回はこれで十分だというように、足音で軽快さを示すようにヒールを鳴らし地下へと歩み消えていった。
後日目覚めた屋敷の主と書庫の主、幻想郷の管理人とで話し合いがあったのだがその場は三人だけで話し合ったようだ。
屋敷の主を他所にトントン拍子で進んでいく幻想郷の新しいルール。
妖怪の賢者が話す内容に納得する魔女と、その話をわかったようなわからないような顔で聞いていた吸血鬼がいたとか、いなかったとか。
確かなのは、二人から蚊帳の外にされかけて放置されそうだった吸血鬼が『う~』と鳴いた事、それだけである。
吸血鬼異変はおしまい。
これから先は予定通りノープランで進みます。