東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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第十四話 守護する者、堕とす者

 日が落ちて妖かしの時間となった幻想郷。

 夕日の明るさが沈み闇が主役となった幻想郷の中央に広がる瘴気漂う森から、更に東の方にある人の里。普段の人里であればこの時間は静かなもので、家族の語らいと夜警の者が歩く音くらいしか聞こえないはず‥‥だが、今晩はそのような静かな里の姿は見られない。

 今宵の人里は非常に騒がしくなっていた。

 騒ぎの原因は里の出入口を古い刀や農機具を手にした男と、姿を変えた半人半獣。

 皆が皆必死な形相で、普段の静かな里人だとは思えない姿となっていた。

 

「皆は纏まり北側以外の三方を、私は一人で北側にあたる。どんな相手かわからないが無理はせず、怪我を負ったら迷わず逃げろ」

 

 弱々しい武装をした里の男衆に指令を飛ばす、頭から立派な角を二本生やし、尾先が緑がかるこれまた立派な毛並みの尻尾を生やした半人半獣の麗人。武装した彼らも、指示を出している彼女、上白沢慧音も不慣れな指令と動きを見せている。

 

「慧音さん、今日は隠してもらえないのかい? 武器を取っても私らじゃ…」

 

 中年の男二人が揃って慧音に向かい乞うように言葉を吐く。

 普段は稗田の大邸に住み、田畑を耕すだけの小作人だが今夜はその鍬を手に持ち武装としている…が、とてもじゃないが刃として振るえるような雰囲気には見えない弱々しい里の男達。隠してもらえないのか、という問掛けに試しはしたが効果がないと、互いに会話の意味を理解し話していた。

 半人半獣である慧音はとある能力を有している。

 人の姿で過ごしている間は『歴史を食べる(隠す)程度の能力』を有していて、今夜のような荒事となる場合には、里が巻き込まれぬよう人里の歴史を食べ、なかったことにして隠していた。

 

「すまない、今の姿ではなかった事には出来ないんだ。最悪は私一人となっても構わない、皆生きる為頑張ってくれ!」

 

 変身前に気がついていればと、内心で後悔する慧音。

 謝りながら里の者達を叱咤激励し、不吉な音が響く北側へと走り始めた。

 今のような獣の姿。

 月に一度満月の夜にだけ変身する慧音の能力は、その姿と共に変じてしまう。

 ハクタクとして姿を変えた今の能力は『歴史を創る程度の能力』となり、歴史を食べなかったことにする事も出来ない。せめて里が滅ぶ事がないようにと、里に敵対者が侵入する事はない、という歴史を自身の住まいで記し、創る事しか出来なかった。

 

 人里の中を走りながら周囲を眺め、異常がないか確認しつつ走るハクタク。

 住まいの明かりが消され、なるべく音も立てないようにと触れ回ったからか、里内は静まり返っているが、その静かさが今の所での安全を語ってくれていた。ほんの少しだけ安心する慧音だったが、里の北門へと到達し確認するように少し飛び上がると、その安心は消し飛んだ。

 里に向かってくるナニカがいるのが慧音の瞳に映ったのだ。守るという強い決意が宿る瞳に写ったのは、慧音の瞳を揺るがせるほどの動く死体の軍団であった。

 

「あれは‥‥どこから? いや、それよりこの匂いは…」

 

 視界に映る死霊の軍団。列の先頭を歩く、綺麗に白骨化した者達はまだいい。酷いのは足を動かす度に腐りかけた肉を落としていくような者達だ。

 知識を司る神獣としての力を身に宿す慧音。他国にはキョンシーやグール、ゾンビといった死にながら肉体を持つ者達がいる事も知っているが、今視界に入っている者達はそういった種族的な者達ではない。一度終わり地に還るはずだった、普通の人間が誰かの手によって強引に呼び起こされて動かされているように見えてしまった。

 唯の見知らぬ死体の列、人里を脅かす敵対者としか捉えずに、相手の事など考えず薙ぎ払えばよかったものを、ほんの少しだけ死霊達に哀れみを覚えてしまう慧音。人の一生という、小さな歴史を閉じたはずの者達を、歴史の編纂者として見てしまい、酷く哀しい顔をしながら死体の軍団に突っ込んでいった。

 

 肩を揺らし、骨を鳴らし、歩く死者の列の先頭が土煙とともにはじけ飛ぶ。

 舞い上がった土煙と共に粉々に粉砕されていく、西洋の刀を携えたスケルトン。

 腐敗した百鬼夜行の一番前、真正面から突っ込んで蠢く骨達を吹き飛ばしたワーハクタク。

 死者の軍団の中に、彼女を討てるような者はおらず、慧音が渾身の一撃を振るう度に列が乱れはじけ飛んでいく。

 

「恨むなら術者を恨め」

 

 返答などない、それでも再度の死を迎える者達へ追悼の意を込めて言葉を吐く慧音。

 一言吐いて先頭の者達から豪快に吹き飛ばしていく、可愛らしい赤リボンの結ばれた角で地面ごと突き上げて粉砕し、固く握った拳で可哀想な死者達を弔っていく。

 揺れ動きほんの少しだけ赤く灯る瞳と目が合う度に、歯を噛み締め豪快に散らしていく慧音だったが、ある程度暴れた後に守り続ける後方が騒がしくなってきていた事に気が付いた。

 

「里が!? 妖怪相手であればまだ良かったが‥‥相手がコレでは彼らには無理か」

 

 正体のわからない妖怪を想定し、怪我をしたら下がってくれと伝えていたが、痛みも感じない、心もない死者が相手になるとは思っていなかった。心ある妖怪相手であればすぐに殺されるか、誰かが犠牲になっている間に逃げられる者が出る。冷たい考えだが里の全てが滅ぶよりは良い。

 今の姿、妖怪らしい冷えた思考でそう考えたがそれが逆に働いてしまったようだ…意思なく動かされる者が蹂躙することを楽しむ事などはしない。唯列を成す死体を増やそうと里の者を殺めるだけ、体力の尽きない意思なき者相手に、里に篭もり専守防衛するという手は悪手であった。

 

「一度引いて体勢を整えるべきか?」

 

 言った通りに一度動きを止める慧音だったが、次は別の理由で動きが止まった。

 列の先頭をあらかた吹き飛ばした慧音だが、第二陣が目に止まると引くに引けなくなってしまった。先陣を務めてきた、肉体はとうの昔に滅んだスケルトン達は粉砕し土へと還らせたが、後に続く者達はドロドロとした腐肉を持ったままに見えた。

 見慣れない衣服の切れ端を纏ったままに、腐敗臭と死臭を漂わせ、歩く度に地に腐肉を遺して向かってくる。

 

「コレと皆を遭わせるわけには!」

 

 人間でも鼻につくほどの腐敗臭。

 それを漂わせる軍団の列が慧音に迫る。

 眉間に皺を寄せきって匂いに耐え地を掘り返して死者を埋葬していく慧音だが、次第に掘り返す度に埋めた相手が掘り起こされるというくらいに、埋めるスペースがなくなってきていた。

 致し方なしと古い様相の剣と同じく古い見た目の円盾を顕現させて、両手で携え切り込んでいった。一太刀振るい薙ぐ度に手に感じる崩れる肉の感触、同時に飛び散る腐りかけた肉を避けるように盾を構え避ける。先ほどの地を掘るような面での攻撃ではなく、まとめられても数体程度という効率の悪くなってしまった。

 それでも力の差は変わらない。慧音が死者に飲まれる事などは実力差から考えてありえないが、率の悪い慧音が払う勢いよりも列の進む勢いの方が増し始めてきていた。

 

~少女奮闘中~

 

 北側の出入口を一人守り続ける慧音、なぎ払う剣や相手を叩き潰す盾の動きに迷いはないが、その瞳には若干の疲労が見えていた。

 里が騒がしくなった事を気にして、少しずつ後退しながら腐敗者達を切り飛ばしていたが、終わりの見えない終わった者達の列を払う度に、その臭う血肉を僅かずつだが浴びていた。匂いには麻痺し既に気にならないようになっていたが、着ている衣服や膝裏、膕窪(よほろくぼ)の辺りにまで届く長さの、緑のメッシュが入った長髪に腐肉が飛び着く度に、嫌な顔をして死体達から目を背ける。

 半分は獣で、普通の人間よりは荒事や死体に慣れている慧音でも、今のような状況には慣れていなかった。それでも腐り落ちる列の先頭を食い止め払い続けるが、次第に少しおかしいと気がつき始めた。一度断ち切ったはずの者が切られた部分以外、腕や足、下半身を何処かに捨て置きながらもズルズルと列に戻り慧音に向かい這ってくる姿が見えてしまった。

 

「完全に消すか、焼き払うかでもしない限りダメか…妹紅でもいれば」

 

 慧音が互いに慕う友人の名をポツリと呟く。

 妹紅と呼んだ友人は炎の化身と言っても過言ではない者、彼女がいればこの者達も……と、他の手を考えられるくらいに死者達の動きが鈍くなり始めた。

 列を成していた者達のほとんどが慧音に切り払われて、這ったり転げて移動するようになり、ほんの少し行進速度が緩くなったようだ。少しの間なら離れても、そう考え踵を返し全力で里へと戻る慧音だったが、戻った先の、別の出入り口では地獄絵図が広がっていた。

 

「そんな……」

 

 慧音の視界の先には里人が里人を襲い始めるという異様な光景が映る。

 数人ではあるが、死者に喰われ貪られた後が見える里人が、他の者達に手を伸ばし追い立てる姿がそこにはあった。今まさに襲われている男、慧音に乞うような物言いをしてきた稗田の使用人が、今日の昼間には一緒に働いていた男に襲われている。

 歩く死人と成り果てた元里人を盾で殴りつけ、魔物となった男を飛ばし使用人を逃がすがトドメを刺すことは出来なかった。

 

「何故こんな事に‥‥」

 

 盾で殴られ上半身と下半身が分かれた男が、上半身だけで慧音に迫る。

 ズリズリと音を立て、まだ赤い血を垂れ流し、ナメクジのように這った軌跡を地面に描きながら半獣の足元へとたどり着くが、それでも慧音は動けない。つい先程、里の中で慧音に弱々しい顔を見せていた男が今無表情で、見えていない瞳で慧音の顔を見つめながらネジ曲がった両手を伸ばした――その瞬間に男の姿が綺麗に消え失せた。

 目の前で何が起きたのかわからない叡智の神獣。先ほどまで男がいた足元、綺麗に半円を描いて削り取られたような地面を見て、そのまま地面の続く先を見ると誰かの姿が視界に収まった。

 

「あの洋装はアイギス殿…何故里に、いや、理由はいい。あの数を一人で相手取るのはいくら妖怪といえども…」

 

 そう考え、今見ている東側へと動き出そうとしたが、足を止める慧音。

 慧音自身が体感した不死者を蹴散らすための面倒臭さ、蹴散らす際の心境。

 その辺りを鑑みてアイギスに手を貸そうと半歩ほど足を出したが、慧音の心配はいらぬものとなってしまった。

 慧音の視線の先には、不死者の群れに向かい悠然と歩くアイギスが映る。

 獲物も無く無手で歩むアイギスが、おもむろに両手を死者の列へと掲げ指先を鳴らし始めた。

 此処から先は唯の処理と呼べるものだった。

 アイギスが悠然と歩き死者へ向けて指を鳴らす、それだけで列が穿たれて消えていく。

 ゆっくりとしたリズムで足を動かして、歩く度にパチンと響く指の音。

 時には両手を揃えて、時には両手を左右に開いて。

 不死者がいる位置へと指先を向けて対象と指先が合うと鳴らされて。

 ゆるい足運びだが、慧音にはアイギスが踊っているように見えて目を離せないでいた…

 アイギスの指が鳴らされる度に夜の人里に少しずつ静寂が戻っていく。

 東側の不死者達の殿が慧音の視界に収まると同時に、最後の指鳴りが響いて北側以外の三方全てが静まり返った。静寂が訪れたのを確認すると何事もなかったかのように歩き、慧音のいる里の中央へと向かってくる無手の踊り手。

 見られていた事に気がつくと、右手を胸に当てて綺麗に頭を垂れた。

 

「あんな風にパチンパチンって聞こえたら、死体共が消えたんですわ」

 

 足を止めアイギスを見つめていた慧音に数人の男達が歩み寄り説明していた。 

 アイギスから里の男衆へと視線を移し説明を受ける慧音。

 声をかけてきた男達の方を見るとその背後には、南と西へ走っていった者達が集まり周囲を警戒するような姿勢を見せていた。

 入り口を守らずに里の中央へ集まる皆。よく見れば住まいに隠れていろと伝えた者、女子供の姿もその一団の輪に集まっている。

 何故出てきたのか?

 守り手のいない入り口から攻められないのは何故か?

 考えても答えの出ない慧音が、里の者達へと歩み寄り、安否の確認をしながら話を聞いていた。

 

「そうか、他の二箇所もアイギス殿が…私のいる北側以外全てを守ってくれたというのか」

 

 骨の軍勢は鍬や鋤で叩けばどうにかなったと述べる男達。

 だがそれに続くゾンビなど、肉を残しながら動く者達相手は吐き気が勝り抗うことなど考えられず、吐きながら少しずつ下がったらしい。怯える彼らが里の出入口まで下がり、引き下がれなくなった頃、里人の集団に不死者の列がなだれ込もうとした頃合いに、突如空間が裂けそこからアイギスが現れた。里人とゾンビの列、死の川と呼べる勢いがある者達の間に降り立ち、里人を襲おうとしていた者達を指を鳴らし死者を穿ち、下がるようにと穏やかに伝え逃してくれたのだそうだ。

  

「指を鳴らすだけで死体共が消えるんです。よくわかんねぇけどすげえや、あの姉ちゃん」

 

 鋤を肩に担ぐ若い男が空いている手で指を鳴らす。

 この場にそぐわない明るい音が周囲に響く。

 明るい表情で指を鳴らすその男が何故か可笑しくて、慧音も小さく笑みを見せる。

 濁った色合いの腐った血肉で服も髪も汚れ綺麗とは形容しがたい見た目となっているが、その笑い方はいつも里の者へと見せている穏やかな笑顔だった。

 

「これは上白沢様、こちらにいらっしゃるという事は北側は既に終わりを迎えたという事でしょうか? 三箇所とも本命がいませんでしたので北が本命かと考えましたが、そうでもないようですね」

 

 村人に笑顔を見せる慧音の背にアイギスの声がかけられる。

 歓談するような状況なら既に終わったのだろう、そのように感じたアイギスが慧音に話しかけた事で、未だ落ち着いている場合ではないと思い出したようだ。

 笑みを飛ばし焦るような、真剣さを取り戻した表情で北側の入り口へと向かう。その横にはまだ終わっていなかった事に感謝し、少しだけ楽しそうなアイギスの姿が見られた。

 

「いない‥‥あれほどいた不死者が綺麗に消えている…ここもアイギス殿が?」

「いえ、こちら側は上白沢様が向かったと聞きましたので最後でいいと判断しました。私は何もしておりませんが?」

 

 慧音とアイギス、二人で顔を見合わせて互いに問掛け合っている。

 けれどどちらも手を下していない、慧音は途中で離れ、アイギスは他の三方を回っていたため、ここ北側には回っていない。

 ならば誰がアレらを片付けたのか?

 二人で少し話していると、誰かの気配を察知するハクタクとバフォメット。

 互いの角に振動を感じて同時に飛び、遠くを眺むと夜空に浮かぶ小さなシルエットと、血や肉、泥や土をベタベタと落とす大きなシルエットが夜の道に浮かんでいた。

 一歩足を動かす度に地を揺らし、地を汚す肉をまき散らす大きな死体の集合体。

 

「がしゃどくろだと!? ならあの横にいる女は滝夜叉姫だとでも言うのか?」

「ガシャドクロ? タキヤシャヒメ? どちらも存じ上げませんが、あの飛んでいる女、あれは良く存じておりますよ」

 

 日本の妖怪にあてがえば確かにがしゃどくろと呼べる者が二人の視線の先にいる。

 慧音はそれに習い、がしゃどくろの隣の女性を滝夜叉姫と呼んだが、アイギスには女の正体はわかっていた…何故幻想郷にいるのかはわからないが、何度も顔を合わせている同族だ、間違えようがないだろう。

 

「思わぬ邪魔が入ったようだけどこれで…ってアイギス!? なんであんたがここにいるのよ!」

 

 女の方もアイギスに気が付く。

 腰の辺りと頭から生やした翼を羽ばたかせて、がしゃどくろよりも先んじて動き、アイギスと慧音の顔が見える辺りまで近寄ると何故お前がここにいるのかと騒ぎ始めた。

 

「まさか幻想郷で貴女と見えるとは、名無しでは留まらずついには忘れられたのですか?」

 

 騒がしい女、小悪魔に名を呼ばれたアイギスが返答する。何百年ぶりに顔を合わせるのか覚えていないが、互いに忘れない程度には顔も中身も知っているようだ。

 喚く小悪魔に対して笑んだまま嫌味を述べるもう一人の悪魔。

 

「うっさい! 今は名前だってあるんだから!」

「ほぅ、どのような? 私もそう呼んで差し上げます、光栄に思いなさいな」

 

 絶対に教えない!

 更に騒いで体を翻す、そのままランダムに飛んで操るがしゃどくろの影へと隠れた。

 真っ直ぐに飛び戻らないのはアイギスの能力を知っているから故か‥‥冷静に考えればがしゃどくろも意味がないが、そっちには気が付かなかったのだろうか?

 

「知り合いか、話しだけで引いては……」

「くれないでしょうね。アレはいたずら好きで後先を考えない、隙あらば心を堕とそうとする淫魔です、甘い顔はしないほうが良いですよ」

 

 誰が淫魔か、とがしゃどくろの後ろから騒がしい声がする。

 だが、大きな骨の軋む音にかき消されて良く聞こえず、会話の邪魔だとでもいうようにアイギスが指を鳴らした。音が響くとがしゃどくろの髑髏から下が地面ごと穿たれる。

 一瞬で消えたように見えるがしゃどくろと、音を鳴らしたアイギスの指を交互に見比べる慧音だったが、成された事に対して説明される事はない。

 

「丁度残ったようですし、少し伺うとしましょうか」

 

 死体の集合体が穿たれた跡地。

 丸く窪んだ大地にドサリと音を立てて落ちた何かに向けて歩むアイギス。

 ふわりと浮いてそのまま一足飛びで落ちた何かを元へと降りると、地に降りる勢いを乗せてそのままヒールが刺さるように踵で踏みつける。

 げふぅ! と下品な言葉が聞こえるが、痛みからというよりも踏み抜かれて単純に重いという事に対する文句といった雰囲気の乗る声色。

 

「ちょっと! 何踏んでんのよ! これが久々にあった同族にする態度なの?」

 

 右の脇の下から左の腰骨辺りまで、綺麗に弧を描いて穿たれて、残った上半身だけで文句を言ってくる死霊術師。アイギスに踏み抜かれているのは残っている右の肩辺り、人であれば心臓を穿たれ右肩が踏み抜かれている状態だが、文句を言うほどに元気だ。

 力が制限されてしまったとはいえ、小悪魔も種族悪魔ではある。人間とは多少作りが違うのか、それとも穿たれる事に慣れていて傷として認識しないようになったのか、そのあたりはよくわからない。

 

「同族? 私が知る名無しはもっと艶めかしい体つきでした、格好ももっと派手で今のようなちんちくりん‥‥もとい慎ましやかな体ではなかったはずです」 

 

 全くと言っていいほど凹凸のない胸や腰を眺め、鼻で笑うアイギス。

 以前の姿であればアイギスに劣らないどころか勝る姿をしていた。

 透き通る絹のような肌に大きな胸、ハリのある尻や綺麗にくびれた腰などまさしく淫魔といった体躯をしていた。

 それが今や……

 

「余計なお世話! 依代が小娘だったのが悪いのよ! 格好だってあんたに似せて形取られただけだっての! いいからさっさと殺りなさいよ! こんな体もあの屋敷にも未練なんてないんだから!」

 

 残った右肩を踏み抜かれ腕も動かせず、口と頭くらいしかまともに機能していない小悪魔。

 さっさと殺せと言うがそれはこの場の形だけの話だ。

 この悪魔は宿る魔導書が全て消えない限り死にはしない、仮に紅魔館にある魔導書が燃え尽きても死なず、何処か別の場所、例えば別の世界、外の世界の薄い書物でも残っていれば滅する事などはない。アイギスが崇拝され続ける限り終わらないのと同じ様に、小悪魔も同じくそういうモノだった。

 

「お望みとあらば、次は昔のような体で顕現出来るといいですね…虚無の淫魔さん」

 

 虚無って、何処見て言ってるのよ!

 それが小悪魔の残した遺言となった。

 小悪魔の胸を眺めながら踏み抜いている右肩を中心に穿ち、その体を言った通り虚無へと還したアイギス。久々に顔を合わせた同族の言葉を噛み締め、少し考えていると、訝しい顔で二人のやりとりを見ていた慧音から問掛けられた。

 

「随分あっさりと、同族で顔見知りではなかったのか?」

 

 半人半獣の慧音に同族らしい者はいないが、里の人は慧音の事を頼り慕ってくれている。

 そんな人間達を自分と同族だと捉えている慧音、だからこそ一度死んで操られている死体達にも少しの哀れみを覚えた。自分であれば確実に躊躇する同族殺しをあっさりとこなすアイギスが理解できなかった。 

 

「あれは殺しても死にません、私達を葬るのなら私達を知る全てを消さねば意味が無いのです」

「それはどういう…同族というのは同じ種族の妖怪という意味ではないのか?」

 

「この国風に言うのならばそれで宜しいですが、正確には違いますね。それより里に戻らなくとも宜しいのですか?」

 

 騒ぎの原因は一旦葬った。

 だが召喚者がまた呼び出せば何度殺しても何度でも現れるだろう、得意だという誘惑の手法と同じく生き方もねちっこいのがあの小悪魔だ。何度なく殺し合いその度にどちらか、ほとんど小悪魔が一旦堕ちるという形になっているが、それを繰り返してきた悪魔二人。

 アイギスに堕とされると、呼び出されるまで書の中で過ごすという退屈地獄に落とされる。一方小悪魔に堕とされると快楽の海に沈められ、満足するまで他者を求め彷徨うハメになる…過去何度か小悪魔に破れ堕とされた事があるアイギスも類に漏れず、柄にもないような姿になった事があるがそれは割愛する。

 一言だけ言うならば、偶にならいい、という事だそうだ……話が逸れ始めたので本題に戻る。

 

「そうだな、今日は助かった。皆も貴方に感謝していた、アイギス殿も良ければ一緒に…」

「折角のお誘いですがお断りいたします、それに感謝は私をココに届けた者になさって下さいまし。私は命を受けたに過ぎません、それでは縁あればまた」

 

 一緒にと手を差し出す慧音。

 一時の共同戦線を張った半人半獣ともう少し話してもいいと感じていたが、そうはせずに胸に手を当てるいつもの仕草で頭を垂れた。

 そのまま面を上げる事なく、パクリと開かれたスキマに飲まれていくアイギス。

 この場での仕事を終えて届けた者が回収に来ただけなのだが、八雲の操るスキマに何の畏怖も抱かずに飲まれていくアイギスを慧音は捉えきれずにいた。何も言わずに里の危機を救ってくれて信用は出来る、が、昼間に見た笑みを思い出すと全てを信じるのは危険だと思える。

 契約という言葉に課せられた縛りを知らない慧音は、複雑な気持ちで里へと急ぎ戻っていった。


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