東方穿孔羊   作:ほりごたつ

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~プロローグ~
序章 羊な店主


 深い霧かかる宵の口に、コツコツ。足音を立てて鳴らす者が一人。

 綺麗に敷き詰められた石畳の道を黒いハイヒールで歩く者。

固い偶蹄目の蹄で歩いているような、乾いた音をハイヒールと石畳から鳴らして、夜を迎え始めた町の外れを歩いている一人の女がいた。

 

 細身の黒いパンツスーツを身に纏い、赤地に黒のタッタソールチェック柄の長袖Yシャツを着こなして、細めのネクタイまでにも黒を指し、全身真っ黒と言える女。夜の闇に紛れるような格好で軽快に歩いているが時たま立ち止まり、後方を気にしているような仕草を見せている。

 立ち止まる際には右手で握った、持ち手の部分が捻れた象の牙ような誂えになっている愛用のスコップを石畳に穿ち、地に突き立てて、霧の奥深くにある真っ赤なお屋敷を焦点の定まらないような赤い瞳で見返していた。

 

「視線を感じますが、女の夜歩きを見つめるなど……種族としての性分でしょうね、致し方ないのでしょう」

 

 立ち止まり振り向いては、クルクルと癖の強い肩にかからないくらいの長さの黒髪を掻きあげてみたり、頭の両サイドから生やした大きな巻角を撫でてみたりしている黒い女。

 象牙色でエスカルゴの殻のような巻きのある、彼女の象徴である羊の巻角を撫でて独り言を呟く。遠くから感じるような彼女の周囲で烟る霧そのものから感じられるような、曖昧だが慣れ親しんだ妖かしの視線を感じながら少しずつ目的地へと歩みを進めていた。

 

 コツコツ鳴らしていた足を止めたのは一軒の店舗前。

 普通の人間でも訪れる事が出来る、町の中心部からそれほど遠くない辺りに構えているここは彼女の店だ。細身の彼女には重たく感じられそうな厚い一枚板の正面扉の取ってに手をかける。その扉のドアノブに掛けられた分厚い木の板、描かれた『シーカーズ・コフィン』という文字から看板だろうか、ソレをCLOSEDからOPENへとひっくり返して、無人の店舗内へと歩んでいった。

 

 店内は暗く、昼間でも灯りを灯さないと奥まで見えないような造りで、彼女のように慣れた者や夜目の利くような者でないと灯りなしには過ごせないような店だった。

 灯りがなくとも彼女は慣れきっていて支障はないが、開店した事を外に知らせるように天上から下がった取り外し可能な小さいランタンに火を入れると、揺れる灯りが店内を薄暗く照らし始める。

 

 ランタンの淡い光に照らされて少しだけ明るく見える彼女の褐色の肌、髪も肌も身に着ける衣服も黒ばかりだが致し方がない。彼女は黒羊から成り果てた妖かし、住まう地域の伝承に宛てがうなら悪魔と呼べる種族なのだから。

 少し話すと彼女は元々唯の黒羊。野生の個体ではなく人に家畜として飼われていた唯の羊だったのだが、大昔にある儀式に捧げられてから悪魔として身を成してそのまま長く過ごしているらしい。人が文化を持ち、発展し始めた今では『黒ミサ』や『サバト』と呼ばれようになった人間の儀式、その儀式に使われる贄として選ばれ、悪魔に捧げられて以来今のような姿となっているようだ。

 今の儀式なら山羊を贄とするのが常だが、彼女が生まれ羊として生きていた時代には確立された儀式の様相が決まっておらず、グルグルと巻いた角と体毛の黒が禍々しい、悪魔らしく見えるという些細な理由だけで彼女が選ばれた。よくわからないままに儀式で捧げられて首を落とされ棺に収められた彼女、羊の悪魔が商売などしているのもそんな儀式の流れがあった事が関係しているらしい。開店準備をし始め、スーツの上着を脱いで入り口横のコートハンガーに掛けて、三つ揃えのベスト姿となった羊の女性、今でこそ穏やかに暮らしているが大昔は人を襲い荒れていた頃もあったと少しだけ過去を話した事があった。

 

 開店した目印であるランタンに火を入れてすぐ、重たい扉がギィっと鳴る、開店したての彼女の店を訪れた夜のお客様がいるようだ。店主が扉に目を向けると、先ほど霧に成り視線を寄越していた者と同一の魔力の流れを感じさせる男が一人入り口を抜け姿を見せる。

 今夜一人目のお客様、そして顔つきや雰囲気から今宵一人目で今晩最後の商談を語る事になるだろうそのお客様をもてなそうと、カウンターに備えられた椅子を引いて促す店主。

 訪れた背の高いお客様が身につけていたハットをコートハンガーに掛けて優雅に腰掛けた。それから慣れた仕草で腰を据えると軽く足を組み、両手も合わせて、纏う物を変える。

 訪れた男が話す姿勢を見せると、迎えた彼女もカウンター越しに座り見合う。妙齢の女性にしては背の高い彼女よりも頭一つ大きな容姿淡麗な青年と目が合うと、丁寧な挨拶の後に商談が始まった。

 

「これはこれは坊ちゃま、こんなに早い時間からご来店とは。何かお急ぎですか?」

「いい加減坊ちゃまはやめてくれ、今は私が当主なのだ。そろそろ覚えてもらたいものだが」

 

 店舗の奥、裏庭の材木置場と繋がる辺りを見ながら坊ちゃまはやめてくれと口にする背の高い男。人間であれば一瞬で魅了される美貌と強大な魔力を見に宿す美丈夫が、羽織るマントが床に触れても気にせずに椅子に腰掛けて、女に対し今は私が当主だと語る。

 この男こそ遠くに見える紅いお屋敷の現当主であった、彼がわざわざこの店に来るのは稀だ。普段であれば店主である彼女を呼び出して屋敷で話すのだが訪れる場合もあるにはあった、それは大事な案件を抱えている時、自ら姿を見せる際には必ず理由があり、店主に正式な仕事の依頼をしようとする日は当主自ら来訪していた。今晩もそういった理由で訪れたのだろう。

 

「そのように仰られましても、ヨチヨチ歩きの頃にはおしめを替えた事もあるのですよ? 私や先代の後をついてヨタヨタと歩いていたイメージが強くて、中々」

「父上は既に亡くなったのだ、それに私も直に親となる。いつまでも幼子扱いは控えていただきたいのだよ、アイギス=シーカー」

 

 苦笑する美丈夫がアイギス=シーカーと呼んだ者。

 羊の悪魔がこのお話の主人公であり、この店舗の女主人である。

 穏やかに語りつつ、開店準備のために棚や引き出しから鋏やナイフに裁縫用の針、先の曲がった鉤棒や天然炭酸ナトリウム等趣味の一貫も含めた仕事道具を店舗のカウンターに並べ始めたアイギスだが、子が生まれると聞きカウンターから坊ちゃまと呼んだ者へと視線を移した。僅かな困り顔を見せて話す美丈夫の口元で目立つ牙を眺め、淑やかに笑みながら、子の生誕を祝福し始めた。

 

「左様ですか、それはそれはおめでたい。いつ頃に?」

「後一月もすれば臨月となるだろう」

 

「……なるほど、それで私の元へ早い時間から訪れたと。生まれる前から子煩悩なのは先代に似られましたね、良い事です。親になるというのならもう坊ちゃまとはお呼び出来ませんな、スカーレット卿」

 

 スカーレット卿と呼ばれると背筋を伸ばす美男子。彼こそが亡くなられた先代から家督を継いだ男、遠くに見える紅いお屋敷『紅魔館』を収めるこの地の夜を統べる王、吸血鬼の長とも呼べる程の大妖怪である。

 そんな彼を気安く坊ちゃまなどと呼ぶ厚顔無礼なアイギスだがこれにも理由があった。彼、スカーレット卿が幼い頃より身を預けている棺桶を誂えたのは他ならぬアイギスだからである。先代が全盛期を迎える前から付き合いのある棺桶職人で羊の悪魔アイギス=シーカー、スカーレット卿が物心がつく前より存在し、齢数千年だと本人は言っているが、詳しい所は話さないのが彼女という悪魔であった。

 

「言うまでもないのだろうが、一つ誂えては戴けないだろうか?」

「スカーレット卿、お客様が一商人に媚びへつらってはなりませぬ。紅魔館の主として不遜にお話しくださいまし」  

 

 青みがかったヴァンパイアの銀髪がランタンの灯りで輝き美しさを増している。

 そうして穏やかな表情のままでアイギスに仕事の依頼をするが、頼むのではなく申し付けろと言い返された。『紅魔館』というその名前だけでもこの周辺一帯を畏怖させる化け物の巣窟、その屋敷の主として、誰が相手でもそれらしい姿勢を示せというアイギスからの小さなお節介である。

 

「‥‥私から言い出したのにこれではかたなしか。ではアイギス、子の為の棺、全霊を持って誂えよ」

「畏まりましてございます、サイズは貴方様の幼き頃と変わらずで宜しいですね? 貴方様のお子なら育つまで千年はかかるのでしょうし」

 

 組んだ手に少し力を込めて尊大に命を下す夜の王。大袈裟な態度で注文した彼に対して淑やかな笑みを変えず承るアイギス。

 羊の浮かべる笑みの裏には過去の事、スカーレット卿の棺を誂えよと申してきた先代の姿を思い描いているようで、思い出を懐かしみながら優しく笑んでいた。

 そんなアイギスの笑みを見ても不遜な態度を変えないスカーレット卿だったがしばらくすると、余計な事は早く忘れてくれと、聞き取れないくらいの声で漏らしてしまう。

 

「たどたどしい足取りで私の後を追ってくる愛らしいお姿を忘れる事など出来ませぬ。それに、椅子を引かれ促されて素直に座ってしまうようではまだまだ」

「もてなしを無碍にするのは――」

「マントを引きずったまま座るなど紳士とは言えませぬよ? コートハンガーもあるのですから……身形よりも御子の事で頭がいっぱいだというのは素晴らしい事だとは思いますが、今後は身形や態度も気になされた方が宜しいかと」 

 

 普段であれば礼節を重んじる吸血鬼で、椅子を引かれたとしてもマントを羽織ったまま腰掛けてしまうような事のないスカーレット卿だったが、今回は余程嬉しいらしく身形などは後回しになってしまったようだ。

 幼い頃から互いに知っていて、何かの祝い事や棺の新調の際には館に姿を見せていたアイギス。彼女に対し、この地の夜を治める偉大な吸血鬼といえども、ただの商人としてよりも縁遠く年の離れた身内といった雰囲気を感じているのだろう。

 嫌味な注意をされて訝しげな表情でアイギスを見つめるご当主様だったが言い返しはしないようだ、ここで言い返したところで他の事、幼少時代にアイギスに対して行った可愛い悪戯を掘り返される運命でも見えたのか、それが嫌なのか、わからないが強くは出ない。

 

「う~むぅ、アイギスの前だといつまでも幼子だろうか? これでは妻にも子にも示しがつきそうにない」

「これから示せるようになれば宜しいのですよ、先代も貴方様が生まれるとわかった時には慌てておりました。それこそマントもハットも外さぬほどに」

 

 淑女のような笑みを絶やさずに紅魔館の当主からコートハンガーへと赤い瞳を揺らしていくアイギス、父よりは冷静なようだとアイギスの視線にあるハットを見つめて呟くスカーレット卿。

 先代は先代、貴方様は貴方様なのだから、貴方様として子や妻に誇れる主におなりなさいと、弱気なことを呟くスカーレット卿に老婆心を見せるアイギスだった。

 

~少女製作中~

 

 時は流れて、紅魔館の主がアイギスの店を訪れてから暫しの夜を超えた頃、その真夜中。

 ばたばたと騒がしい紅魔館にアイギスの姿があった。吸血鬼に仕える従者が走る以上の早さで歩き回る屋敷の中で一人テーブルについて、優雅にブランデーを楽しみ賑やかな産声はまだかと楽しみに待っているようだ。

 命という名の依頼で作り上げた棺は十日ほど前に納品していて既に屋敷の中にある。ヨーロッパイチイという固めの木材を厚く贅沢に使い周囲を紅く染め光沢が出るまで磨きあげた小さな棺、依頼をしてきた当主が幼い頃に使っていたように似せて作ったが、中は少し違っていた。現当主は安眠できるように落ち着いた黒のベルベットで仕立て上げたのだが、今回仕立てあげたのは紅いベルベットで仕立て上げた、内も外も真っ赤な物だった。

 納品時にはさすがに派手だとクレームを付けられたようだが、名を表す赤、スカーレットを気に入らない事はないだろうと申し開きを述べると、娘なら赤でも良いかと納得していた。

 

 そんなお屋敷の主様も数時間前まではアイギスの視界の先、スカーレット卿の奥方様が詰めている寝所の前を行ったり来たりしていたが、少し前からその当主も寝所に入ったまま出てこなくなっていた。

 真祖のノスフェラトゥが出産に立ち会うなどあまりない事だったが、先代はもっと慌てていて生まれた子供以上に騒いで喜んでいたなと昔を思い出していると、赤子の泣く声が紅いお屋敷全体に響く。寝所の奥からよくやったという男性の声と穏やかだが少し疲労感のある女性の声、出産を受け持っていた従者達が忙しそうに動く音が聞こえる。

 

「無事に生まれたのならなにより。おめでとうございます、坊ちゃま」

 

 騒ぎが聞こえると誰にも聞こえない声量で、手にするブランデーグラスに祝辞を述べてグラスを小さく掲げた。赤みがかった琥珀色のアルコールを緩く回して少し含み、慌ただしい屋敷の中で一人落ち着き払うアイギス。しばらくそのまま過ごして慌ただしさが落ち着いた頃、寝所から薄いピンクのお包みに包まれた何かを大事そうに、愛おしそうに抱いた夜の王がゆっくりと歩んでくるのが見えた。

 先代の表情を思い出す現当主のご尊顔を見ながら、祝辞を述べようと立ち上がり穏やかに笑むアイギス、無事生まれたという嬉しさを隠さずに、顔をほころばせて話す当主にお疲れ様と労をねぎらった。

 

「労いなど、妻の努力なければ元気に生まれてくれなかったのだ。私は何も……」

「男親などそのようなものです。男はこれからが大変ですから折れぬよう先に労いを……御息女様の御生誕、誠におめでたき事と存じます、主殿」

 

「ありがとう。名は既に考えていたのだ、聞いていってくれるか?」

「勿論です、主殿に似た紅い瞳と美貌を持つ御息女様、御名はなんと付けられたのですか?」

 

 レミリア、レミリア・スカーレットというのが紅魔館の長女の名前だそうだ。

 うっすらと生える髪も父上に似た青みがかった銀色の髪で、紅魔館の明かりに照らされて顔は眩しそうだが髪が輝いてなんとも美しい。

 夜の王である両親の寵愛を受けてこれからどのように育っていくのか、期待に胸踊らせてレミリアお嬢様と呼ぶと盛大にぐずり始めてしまった。出会いからこれでは幸先が不安だと感じるアイギスだが、抱いている父もこうだった事を考えると、悪い出会いではないはずだと感じられた。

 




勢いに乗って二作品目。
プロローグ以降は出来上がり次第投稿致します。

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