静かな時間の流れを表現するって難しい……
ほのぼのした雰囲気が出せていたら良いなと思います。
風格がある訳でもない、古びた木製の戸がガラガラッと音を立てる。
「ただいま~」
「お、お邪魔します……」
二人の声だけが玄関先に響く。
矢野はいつも通りに、鈴は恐縮した感じで中へと入っていった。
玄関も、そして居間へと続く廊下も静かだったが、矢野は居間の襖の取っ手に手を添えた。
襖を開けた、その瞬間――。
「あら武、おかえり――ん? ところで、後ろの子、誰なんだい?」
矢野と矢野の母親が鉢合わせする形となった。
そして静寂の時を破ったのは、矢野の母親。
綺麗な姿勢であるが、まだどこかぎこちないお辞儀で鈴は応える。
「あ、あの……猪狩鈴といいます」
「まぁ! あなたが猪狩さん!? あなたの記事を見る度に喜んでいたのよ? うちの息子がっ」
ぺこりと頭を下げる仕草の可愛さに、あどけなさが残る表情に矢野の母親の興奮のスイッチが入ってしまった。
「ちょっ! お袋!?」
このままで母親の長話が続いてしまう――!
そう、第六感的なもので感じ取った矢野は慌てて二人の間に割って入る。
「まったくなんだい? 騒々しいわねぇ、これからが本題だっていうのにねぇ。私は矢野陽子、あなたは……鈴ちゃん、でいいのかしら」
「あっ、はい」
母親・陽子の穏やかな笑顔に、鈴は思わず首を縦に振って答えてしまう。
「じゃあ、鈴ちゃん、もうそれなりの時間だしうちで晩ご飯食べていきなさいな? いつも多めに作ってるから量的なことなら大丈夫だからっ」
「ハイっ! よろしくお願いします!」
鈴の嬉しそうな受け答えに陽子も満足したのか、着ていた割烹着の紐を締め直しながら台所へと消えていった。
(まったく、騒々しいのはどっちだよ……にしてもやっぱり俺の母親か、考えることまで同じとは)
親子の思考が似てるって怖い。
そんな風に思いながら母陽子の居る台所にげんなりとした視線を向ける矢野であった。
包丁のリズミカルな音が響いてくる中、居間に取り残された二人は、ほんの少しお互いを意識したが……。
「このまま立ってるのもなんだし、座ろうか」
「そう、ですね」
居間の丁度真ん中辺りにある大きめなちゃぶ台の近くに二人は座る。
沈黙の時間。
だけどどこか和やかな時間が二人を包んでいた。
「――でさ、バッティングのことなんだけどっ」
「はい?」
唐突な質問にきょとんとする鈴。
そんな鈴に気づいたのか気づいていないのか……。
矢野は矢継ぎ早に言葉を続けた。
「さっき河川敷で教えてもらった、ミートする瞬間の左足なんだけど――」
二人の背後の襖が矢野の言葉を遮るかのように開かれる。
「そろそろメシの時間だなぁ……てっ、武帰ってたのか」
そこから現れたのは矢野の父親だった。
「おんやー? そちらのお嬢ちゃんは、友達か? お前にしちゃあ珍しい」
「か、か彼女は~っ」
突然の父親登場により矢野はテンパる。
そんな矢野を余所に鈴は緊張しながらも名前を名乗り、母・陽子の時と同じく、今度は座布団に座ったままお辞儀をした。
「あ、あのっ、私は猪狩鈴といいます」
「おぉ! あんたが噂の鈴ちゃんだったか!! 武の奴から聞いてるぞ? 凄い活躍だそうじゃないかっ!」
仕事から帰ってきたばかりなのか、額から溢れる爽やかな汗をタオルで拭いながら鈴のことをまじまじと見つめる矢野の父親。
「だが本人がこんなに可愛らしいとは知らんかったが? ガハハッ」
「いえ、そんな大したことないです、はい……」
矢野景雄と名乗った矢野の父親の高笑いに思わず恐縮してしまう鈴だった。
ふと、鈴は柱に掛けてある時計を見上げる。
「あっ! ……あのぅ、電話貸して、いただけませんか?」
「ん、大丈夫だよ? 電話は玄関上がったすぐのところにあるよ」
家族が心配しているかもしれないから――。
そう事情を説明した鈴は電話を借りに一旦玄関の方へと行き、慣れた手つきで自宅の電話番号を入力していく。
トゥルルルルル――。
「あ、母さん? 鈴だけど、電話するの遅れてごめんね?」
数回の呼び出し音の後に電話に出たのは、どうやら鈴の母親だった。
「実は、急に友達のお家で夜ご馳走になることになって……うん、ちゃんとお礼言うね? ……分かった、帰りは気をつけるっ。うん、じゃあ切るね?」
話し終え受話器を置く鈴はどこか晴れやか。
その表情だけでも母親の返答が良いものだったと分かるほどであった。
「ほっ……父さんまだ帰ってなかった! 帰ってたら絶対大目玉だもん」
一瞬だけ身震いを覚える鈴だったが、これからやって来るであろう一時に心躍らせながら居間へと急ぐ。
居間へと続く襖の前、そこはもう既に別世界のようだった。
「わっ……いい匂い~っ」
今まで経験したことのない食欲をそそられる香りに、無意識にお腹にさすりながら襖を開けた。
「あら電話はもう済んだ?」
「はい、事情を説明して遅くなるって伝えましたっ」
待ちきれなかったのか、言うなり鈴は素早くもといた座布団の上へと滑り込んだ。
「凄いです……っ。私、こんなに美味しそうなご飯久しぶりですっ!」
大きめのちゃぶ台の上に並べられたものに自然と瞳は輝く。
そこに並べられていたのは白く輝くご飯に美味しそうな香りを纏う湯気を立ち上らせる味噌汁。
鮒の佃煮や沢庵漬け等がそこに彩りを加えていた。
「そうかい? たまーにこんな大きい焼き魚か肉か、うちではこれが普通だよ、ガッハハハ!!」
目の前の皿に乗せられていた鯖の塩焼きを箸で持ち上げて豪快に笑う景雄。
「そこは威張って言うことじゃない気が……」
半ば諦めているように矢野はため息を漏らすしかなかった。
「はいっ、これは鈴ちゃんの分! ご飯ならまだあるから、おかわりしたい時は遠慮なく言ってね?」
「ハイ!」
どこか上機嫌な陽子からご飯がよそわれた茶碗を、鈴はその小さな手で受け取り……。
全員にご飯が行き渡ったのを確認し各自箸を手にした。
「いただきま~す!」
矢野一家にほんのちょっと遅れて鈴も「いただきます」と照れ臭そうに呟いた。
白いご飯を口に運ぶ。
今度は音を立てないように豆腐とわかめが入ったお味噌汁をすする。
大根おろしがまるで雪のようにふんわりと乗せられていた鯖の塩焼きにも自然と箸が伸びた。
「んんっ……美味しい!!」
そう一言呟いた。かと思うと、そこからは黙々と箸を進めていく鈴なのであった――。
食後、暫く他愛もない話題で盛り上がっていたが、もうこの時間が来てしまった。
「暗くなって色々と危ないからな、武! しっかり送ってってやんな?」
別れの時間。
「またいつか来てちょうだいね!? 鈴ちゃんにあんなに美味しそうに食べてもらって、お母さん嬉しいんだからっ」
「ったく、言われなくてもそのつもりだっての」
陽子と景雄の言葉を背に二人は堤防へと続く階段を上っていく。
そして帰り道、気付けば二人は隣り合って歩いていた。
「矢野さん、改めてご馳走様でした! 美味しかったです、ホントに――」
「そっか、そう言ってもらえると俺も嬉しい、というか一番喜んでたのはお袋か」
笑顔であり、それでいてどこか切ない雰囲気を漂わせていた鈴。
そんな笑顔を多少は気にはなったものの、自分の気のせいだと思い矢野も笑顔で応えた。
堤防を歩く二人を照らすように輝く夜空の月。
「にしてもさ、鈴ちゃんがあんなに食べるとは思わなかったよ」
「…………育ち盛り、ですから」
鈴の頬は青く白い月明かりとは反対に、少し前までその空にあった夕陽の色のように赤く染まっていく。
恥ずかしそうに答える鈴の様子に、矢野照れ臭くなったのか、それ以降二人は何を話すでもなく。
鈴の行く方へと、ただ、ただ歩いていった――。
しばらく、そんな空気が続いていた。
そして近くの公園が見えてきた頃。
「矢野さん……一緒の練習、とっても……楽しかったです」
「うん? 俺もだよ」
前を向いて立ち止まったままの鈴に矢野はそう答えた。
「お願いが、あるんです」
(勇気、出さなきゃっ――!)
矢野の隣にいた鈴は軽くスキップするようにして二歩三歩前に出る。
「これからもあそこで……練習しませんか?」
「え? 憧れの鈴ちゃんと一緒に練習できるんだもの、俺には断る理由なんてないけれど、でも、どうして俺なんかと?」
夜空を見上げながらそれを聞いていた鈴は、そのまま深呼吸を一つして――。
「凄く嬉しかったんです。矢野さんとああして笑いながら練習できて、あんなにご両親にも優しくしてもらって……毎日があんなに楽しかったらいいなぁって」
「……鈴ちゃん」
矢野はそれ以上言葉を出せないでいた。
何故なら……。
「今日一日だけど、矢野さんといて、分かったんです……矢野さんといると楽しい! 矢野さんといると、どんなに辛くても苦しくっても元気になれる! 頑張れるって!!」
月明かりのスポットライトに照らされながらくるりと振り返った鈴が――。
淡く、白く、神秘的に見えたからだ。
「鈴ちゃんにそんな風に言ってもらえて、俺も嬉しいよっ」
鈴の真剣な眼差しを矢野の真っ直ぐな瞳が見つめ返す。
「こんな俺でも誰かのために、元気の源になれてるのなら……」
自然と両手に力が込められていく。
「よーし! 俺の方は相変わらず部活の時間短いし、鈴ちゃんさえよければ……雨の日以外は可能な限り毎日やろうか!!」
「ハイっ!!」
さっきまでの真剣な空気はどこえやら。
今ここにあるのは、暗闇にも負けずに光り、弾ける二人の笑顔だった。
そんな笑顔も一先ず落ち着いた頃。
「矢野さん、私はここまでで大丈夫ですよ? 私の家、この公園の向こう側なので、公園を抜ければすぐなんです」
「本当に大丈夫? 夜の公園は危険だったりするし」
その答えは鈴にとっては複雑なものだった。
「だ、大丈夫ですって! 一気に走り抜ければ問題ないですからっ」
(矢野さんごめんなさいっ! その気持ちは凄く嬉しいけれど、このまま最後まで一緒にいると……私の家を見て、あの人の妹だってばれちゃうよ~っ)
言えない本心を心に抱えていたから。
「んー……分かった! 俺このまま公園の入り口でしばらく待ってるから、何かに巻き込まれそうになったら大声で叫んでね? 助けに行くからさ」
「本当にすみません、じゃあ、明日もまたよろしくお願いしますっ! また明日!」
そう言って鈴は薄暗い公園へと消えていった。
矢野は鈴が見えなくなるまでずっと見送っていた。
「また、明日、かぁ~。何だか夢みたいだ、あの鈴ちゃんと出会えただけじゃなく、これからも一緒に練習できるなんてっ」
その後、10分ぐらいその場にいた矢野。
あれ以来何事もなかったので、一応公園の中をランニングがてら見てまわり――。
それでも結局何もなかったから、そのままランニングしながら家路を急ぐのだった。
深夜クオリティすぎてすみません…(汗)
誤字や表現ミス、文章構成が多々あったので気付ける限り修正してみました><
読んで下さっている皆さん、本当にありがとうございます!
そして、新たにこの小説をお気に入り登録して下さった皆様方にもありがとうございます!
これから年末で色々と忙しくなり更新ペースは落ちるかと思われますが、長い目で待って頂ければ幸いです。