女体化して女子大に飛ばされたら初恋の人に会えたけど、面倒な運動にも巻き込まれた。 作:斎藤 新未
「じゃあ、私そろそろ行くから。頑張って逃げだして」
椿はそう言うと、立ち上がろうとする。
でもここで逃がすわけにはいかない。
せっかく、何か知っていそうな人に出会ったのだから。
「待ってください。俺、まだ話したいことがあるんです」
「悪いね。こっちも、命がほしいから」
「…俺、平成27年という年号から来ました」
「は?」
案の定、椿はぽかんとして俺を見つめる。
しかし時間がない。核心だけを伝えることにした。
「本名は花田透。二日前、気づいたらあのアパートにいました。女になっていました。俺が生きてきた世界では、戦争はとっくの昔に終わって、日本人は平和に過ごしています。戦争はもう起きてません」
「戦争がない…?」
「はい、俺は、戦争を知りません。椿さんがさっき歌ってた歌、俺の世界の歌です。絶対にこっちの世界でそんな歌生まれるはずない。そうですよね?」
椿は、浮かせていた腰を、ペタンと降ろす。
「なるほど」
そして何度も口の中で「なるほど」を繰り返し、点と点をつなげているようだった。
正直、こんなにもすぐに受け入れてもらえるとは思ってもいなかった。
「信じてくれるんですか?」
考えこんでいる椿に恐る恐る尋ねると、
「私も、こっちで生きてきて、ずっと違和感を抱えてきたからね。ようやく、信じることはできないが納得する答えに出会った気がしてね」
たしかに、すぐに信じることなんてできないだろう。
でも、椿からなんとかヒントを引き出したい。
「その違和感がある記憶は、いつまであるんですか?」
「…小学3年の夏だよ」
ハッキリとした答えがかえってきて、面喰ってしまった。
「どういうことですか?」
「私は、小学3年の夏に倒れた。ずっと、寝込んでいたんだ。気づいたら、記憶が混濁しているし、こんな姿になっていた」
そしておもむろに口元に手をもっていき、マスクをはずした。
思わず、短い悲鳴のようなものが出てしまった。
口は、マスクでギリギリ隠れるくらいの位置まで避けていた。
唇と皮膚はただれ、本来の赤みはなく灰色や茶色に変色してしまっている。
椿はすぐに
「ごめんね、こんなものを見せてしまって」
とマスクをつけなおす。
「いえ。それより、それは」
「何かの薬を飲んでこうなったらしい。でも、それ以前の記憶が全くないの」
ピンときた。
トーコも、たしか「劇薬」を飲んだのではなかったか?
「劇薬?」
「さあ」
「教えてください!お願いします!」
俺の勢いに押されながらも、椿はブンブンと首を振った。
「知らないんだ、本当に。父親が何かを知っていたようだけど、教えてくれなかった」
間違いない。
トーコが飲んだ劇薬に、秘密が隠されているんだ。
俺が黙り込むと、椿はタイミングをはかったように立ち上がる。
「でも、そういう話は嫌いじゃない。ぜひ生き延びて、またその話を聞かせてよ」
椿は俺に背中を向け、そしてまた振り返った。
「これ、良かったら使って」
椿が手にしていたのは、拳銃だった。
椿は拳銃を握り締めている俺を残し、講義室をあとにした。
俺はしばらくの間、椿が去っていった後の講義室Bでじっとしていた。
一人きりになると恐ろしいほどの静けさが漂っていることに気づく。
普段はザワザワしているこの大学が、ここまでの静寂に包まれたことはあっただろうか。
立ち上がろうとしたその時、かすかに誰かがしゃべっている声が聞こえて、俺はさらに耳を澄ました。
それは、男の声だった。
この校内に、男がいる?
あまりにも予想外のことで、俺は恐怖に打ちひしがれそうになったが、その正体を確かめるべく、ほふく前進で声の方へと進んでいく。
声は、講義室Aからだった。
拳銃をかまえて、中を覗きこむ。
カーテンを締め切り、暗闇につつまれている室内は、ロッカが窓を破ったことで風が入ってきていた。
青白くなったアイリの遺体がすぐそばに横たわっている。
この中に男が…?
全神経を集中させてから、気づいた。
その声は、教壇の近くに転がっているテレビからだったのだ。
テレビはかろうじて映像を映し出しており、レポーターらしき男のシルエットが映っていた。
なんだ、驚かすなよ。
胸をなでおろし、拳銃をポケットにしまった。
カレンたちがいる研究室の前へと戻ろうとする。
しかし、レポーターの言葉に、耳を疑った。
「学生たちが所持していた爆発物の誤爆により、全員死亡したと伝えられている、花巻女子大学の正門前まで来ております」
全員、死亡?
「現場となった校舎ははるか遠くに見えておりますが、安全のためこれ以上近づけない状況となっています」
そのとき、ヘリコプターがバタバタと音をたてて近づいてくるのがわかった。
俺は中腰になり、これから起こるかもしれない何かに備える。
しかし、ヘリコプターの音は大学の屋上で止まり、そしてすぐにまた動き出した。
どういうことか考えあぐねていたが、恐らく、椿が迎えのヘリによって今飛び立ったのだろう。
俺ははじかれたようにその場から走り出す。
この大学から国家機密が持ちだされた今、ここを残しておく必要はなかった。
レポーターが伝えているように、警察側は本当に「全員死亡」にさせるつもりだろう。
早く、アキと園子とカレンを起こさないと、俺たちはすぐに末梢されてしまう。
中腰で廊下を走りながら、どれだけの機動隊が待ち構えているのかと、チラリと窓から大学の裏手を覗いた。
その瞬間、窓が割れ、風を切る音とともに壁に穴が開いた。
窓の外から、ずっと狙われていたのだ。
ドキドキする胸を押さえながら、外から見えないよう、這いつくばるほどにかがみこむ。
しかし今度は、講義室Aから爆発音が聞こえ、開いていたドアから、テレビの残骸が飛び散ってきた。
間違いない。
殺される。
かがんだ姿勢で、死ぬ気で走る。
背後から焦げくさい臭いが漂ってきて、振り返ると講義室Aから煙が上がったところだった。