女体化して女子大に飛ばされたら初恋の人に会えたけど、面倒な運動にも巻き込まれた。 作:斎藤 新未
理解が追いつかなかったものの、ようやく合点がいった。
椿が、チョコレートに睡眠薬をしこんでいたのだ。
「チョコ、嫌いだから」
「好きだったはず」
「…今は嫌いで」
「まあいい」
椿はそう言うと、くるりと踵を返し、つかつかと研究室の前を離れていく。
「どこに行くんですか?頭上げて歩いてるの、危ないですよ」
俺の声を椿は全く無視し、講義室Aの方へと歩いて行ってしまう。
予感はあった。
アキさえも取りみだすこの状況の中で、椿は恐ろしいほどに冷静だった。
この場からなんとか逃げだそうと翻弄する俺たちを監視するかのように、いつもそばにくっついていた。
自分は何もしないのに。
ここにじっとしていることはできず、椿を追いかけた。
椿が入っていったのは、講義室Bだった。
アキたちを眠らせて、これから何をするというのだろう。
この場所に、何の用事があるというのだろうか。
講義室Bを覗くと、椿は教壇の脇に転がっている金庫に鍵を差し込んでいる。
その様子を隠れて見ていると椿が俺を見ずに言う。
「なぜ何も言わないの」
俺は言葉を選び、言う。
「言うことがないからです」
すると椿はフッと笑った。
「まあ、そうね。私がアキたちを裏切ったのは一目瞭然だからね」
「犬なんですね」
「トーコは違うの?」
「違いますよ」
「…犬だと思ってた」
金庫が開き、椿が手にしていたのは、A4サイズほどのアタッシュケースだった。
「それは、何ですか」
「そんなところに突っ立ってないで、こっちに入ってきな」
「でも」
「外部の見張りに見られるのも嫌だから」
俺は椿から目を離さぬよう室内に入り、静かにドアを閉めた。
室内はカーテンがしっかりと閉められており、外からは少しも見えないようになっている。
椿が口を開く。
「パソコンというものを、見たことはある?」
「パソコン?」
「ああ、知らないでしょ」
その逆だ。
この世界にはパソコンすらないと思っていたが、あったことに驚いているのだ。
椿がアタッシュケースを開くと、片面はキーボードになっており、もう片面はパソコンの画面になっているようだった。
慣れない手つきでようやく電源ボタンを見つけ、電源をつけた。
「パソコン、あったんですね。しかもそんなタイプの」
椿は目を見開き、俺を凝視する。
「なんだ、知ってるんだ」
「あ、ええと」
「使ったことは?」
「…あります」
「ふぅん」
椿は訝しげに俺を覗きこんだが、すぐに口を開く。
「なら、教えてほしい」
「何をですか」
「パスワードを入れろって出てる」
「いや、それは俺はわからないです」
「なんだ、わからないんだ」
「いや、パスワードはその所有者じゃないとわからないですよ。あ、でもちょっと待てよ」
俺は二日ぶりに触れるパソコンに懐かしさを覚えながら、椿に近づく。
椿は、パソコンの中身を見られることに対し少し警戒心を示したが、しかし俺が慣れた手つきでキーボードをたたき始めると、感心した様子でパソコンを俺に託した。
子どもの頃に、父親が使っていたパソコンのおさがりを使っていたことがある。
あの頃のパソコンは、パスワードを忘れてしまったときでも、秘密の質問なんかではなく、直接起動させる方法が あったはずだ。
まさか、こんなところで俺のオタク知識が役立つなんて。
「トーコ、あんた、本当にただの大学生?」
「そうですけど」
軽快にキーボードをたたく俺に向かって椿は戸惑いながらも興味深々に話しかけてくる。
「どこで、パソコンに触れる機会があるの。これはまだ、日本でも2台しかないのに」
俺の手が止まる。
「2台…?」
「ええ。国会に一台と、そしてここに一台」
俺は、とんでもないことをしてしまったらしい。
青ざめたときには、遅かった。パソコンは「ブイーン」と音をたててホーム画面を映し出す。
「…なんで知ってるの。パソコンの起動の仕方を」
「……」
どう説明したらいいのかわらかなかった。
まさか、「平成27年から来た」なんて言えないだろう。
しばらく上手いウソを探していたが、椿は特にそれ以上問い詰めるようなことはせず
「じゃあ、これを消す方法はわからない?」
と画面の中にいくつもあるひとつのフォルダを指差した。
そこには、「共成5年度人口削減計画書」と書かれている。
「これを?」
「うん。消す」
「ちょっと待ってください。人口削減計画書って、千鶴が言ってたやつですか?」
「そう。このパソコンには、国家機密がつまっている」
なんということだろう。
こんなにもすぐ近くに、俺たちが探していた国家機密があったというのか。
しかもこんなに小さな、パソコンの中に。
「なんで、こんなところに国家機密が」
「核兵器に関する会議はマキナエがいるこの大学で行われていることが多い。これを持ちだすこともできずに、ここに保管するようにしたらしい」
「危険すぎる」
「普通はそうだよね。でも、パソコンなんて他の連中は見たことがないから。これはいわば金庫よりも硬いシェルターみたいなものなの」
「じゃあ、あの研究室には何があるんですか?」
「それは私も知らない。ほら早く、消して」
俺は椿に言われた通り、削除の手順をふむ。
「でも、これを削除して大丈夫なんですか?持ってこいって言われてるんですよね?」
「まあね。でも、持ってこい、としか言われていない」
思わず、笑ってしまった。
「椿さん、やりますね」
「これくらいやらせてもらわないと。日本の、いや世界のお偉いさんたちはどうかしてる。こんな計画、消しちゃえばいいんだよ」
画面に「削除」マークが出る。
そこをクリックしながら思った。
いくらここで削除したとしても、もう一台にデータが残っている可能性は高いし、そもそもデータを消しただけではこの計画が消えることはないだろう。
「計画は実行されるかもしれない」
俺の心を読むように、椿が言った。
「でも、何もせずにはいられない」
全く、その通りだった。
「バレたら怖いですね」
「その時はその時。でも私はパソコンなんて使えない。そして、この日本でもパソコンを使えるやつは限られた人数しかいない」
椿が俺を見つめていることに気づいたとき、「削除が完了しました」という文字が出た。
「消えたね」
「そうですね」
椿は電源ボタンを押し、一仕事終えたようにその場に座り込む。
俺も、その横に静かに腰をおろした。
「私がここから出たら、この大学は爆破されるよ」
きっとそうなんだろうと思っていた。
「逃げられないよ」
それも、なんとなくわかっていた。
「子どもの頃、同じような光景を見たことがあるけど、あの時もたしか日本は変わらなかった」
「同じようなというと?」
「デモをして、バリケード封鎖をしている大学生たち」
「あの頃も、そんなことありました?」
「…それが、どこをどう調べてもなかったんだよ」
「……」
「でも、私はたしかに、子どもの頃にテレビで見させられていた。母親の先輩が死んだっていう、デモの映像を。たぶん、録画したものだと思うけど」
「死んだんですか?デモで」
「国会議事堂でデモをして、その中で一人、機動隊との衝突で死亡したんだ」
身体中から、脂汗のようなものがにじみ出るのがわかった。
「それ…」
俺の声は震えていた。
「それ、安保闘争のときの」
「安保闘争?」
「1960年の」
「…何もないんだよ」
「え?」
「私も調べた。でも、何もなかったんだ」
どういうことだ。
絶対にこちらの世界では起こっていないはずの安保闘争の記憶が、椿にはあるのだ。
「他には、何か覚えてますか」
俺は、自分がこちらの世界に来た何かのヒントになるのではと思い、必死に椿から聞きだそうとした。
椿はしばらく考えこみ、そして突然歌を口ずさみ始める。
「戦争を知らずに、僕らは育った」
俺も、聞いたことのある歌だった。
「知ってます」
「本当に?」
「はい、知ってるんです!」
「これ、子どもの頃母親がよく口ずさんでいた歌で、でも私たち戦争ばっかり経験しているのに、なんでこんな歌があったんだろうって、ずっと不思議に思ってたの。初めて会った、知っている人に」
少しの希望が、確信に変わった。