女体化して女子大に飛ばされたら初恋の人に会えたけど、面倒な運動にも巻き込まれた。 作:斎藤 新未
夢でありますように。
起きたら、安本に誘われたアパートで目覚めますように。
うざいやつらばっかりでいいから。
また、目立たない場所でただ息をしているだけでいいから。
全身全霊で願いながら、ゆっくりと目を開ける。
目の前には、木端微塵になったマツリの服の破片が転がっている。
窓は割れてイスや机がそこら中に倒れ、赤いものが飛び散り、荒れ果てた講義室が広がっていた。
やはり、夢なんかではなかった。
目を覚ました瞬間に、これほどまでの絶望に襲われたことはあっただろうか。
講義室内は皮肉にも、カーテンの隙間から穏やかな朝日がそそぎこんでいる。
長い夜が明けてしまった。
橋野井は、「夜明けまでにここを出ること」と言っていた。そうでなければ、アイリのようになると。
そろそろ警察という名の殺戮軍隊も、動き出している頃ではないだろうか。
早くここを逃げださなければ、俺たちは間違いなく殺される。
窓際に座りこんでいる、アキ、園子、椿、カレンに目をやる。
みんな、疲れ切った様子で黙りこみ、それぞれがどこか一点を見つめているようだった。
あれ?あと一人いたような…
と思ったとき、かすかに、すぐ近くから誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。
ギンッと痛む頭をゆっくりと持ちあげて、できる限り視線を泳がせてみる。
すると、俺が寝ている頭側、すぐそばで千鶴がひざを抱えて泣いていた。
しばらくの間、名前を思い出せずに彼女のことを見つめてしまった。
千鶴は俺の視線に気づくとビクッと身体を震わせたが、すぐにまた元の体勢に戻った。
そして抑揚のない声で口を開く。
「おはようございます」
「…おはよう」
「身体、大丈夫ですか」
「うん、まあ」
「怒ってるでしょ」
「え?」
「私のこと」
しばらく何のことか記憶の糸を手繰り寄せ、アキが俺を裏切り者だとののしったときにゲバ棒で不意打ちをくらったことを思い出す。
「ああ。あれは痛かった」
「違いますよ、そのことじゃないですよ」
千鶴に関する記憶の糸は、そこでプツリと途切れている。
アパートにいたときも一言もしゃべらなかったし、いたことすら気づかなかったほどだ。
恐らく、俺ではなくトーコとのやり取りの中で何かがあったのだろう。
「俺、どうも記憶喪失らしくて。だからたぶんそれ、覚えてない」
俺はつとめて明るく言う。
しかし、千鶴は俺の顔を見て目を丸くした。
「本当に、覚えてないんですか」
訝しげに俺を覗きこむ。
「うん、ない」
千鶴から目をそらし、頭を床につける。
ひんやりとした床は、ズキズキと痛む頭に心地よかった。
「拳銃ですよ」
千鶴の、囁く声が上から降ってきた。
拳銃。
トーコのポケットに入っていた、あの拳銃のことか。
思わず、もう一度頭を持ちあげていた。
「あの拳銃が、どうした」
俺の反応が、あまりにも意外なものだったのだろう。
千鶴は俺の顔を穴があくほど見つめたが、すぐにクククと笑い始めた。
「何がおかしいんだよ」
「本当だ、本当に覚えてない」
気持ちの悪い笑い方をするヤツだった。
ひとしきり声を押し殺し肩を震わせて笑うと、もう一度俺を凝視して言った。
「あれ、私から取りあげたんですよ、トーコさん」
言葉を失ってしまった。
拳銃と千鶴がまず結びつかないだけでなく、トーコが千鶴から拳銃を奪ったという事実。
トーコは、拳銃を手にして何がしたかったというのか。
しばらく頭の中を整理して、順を追って質問してみる。
「その拳銃は、どこで手に入れたの」
「もらったんです。おじさんに」
「おじさん?」
「警察のおじさん。私も、売春組織に売られた犬ですから」
ああ、もう脳みそが限界だ。
もう一度頭を床につけ、爆発しそうな頭を冷やしてみる。
視線の先、アキたちは相変わらず虚空を見つめて、じっと黙りこんでいる。
俺たちがひそひそと話をしていることに、全く気づいていないようだった。
「マツリが言ってた、あれと、同じ?」
ようやく口を開いてみたが、何をどう質問したらいいかわからず、うまく言葉を選べない。
しかし千鶴はタガが外れたようにペラペラと話し始めた。
「まさかマツリさんも犬だったとは、知りませんでしたけどね。私たち犬は、お互いのことを知らないんですよ。変な趣味のおじさんもいますからベッドで他の女の子と一緒になることもありますが、犬はしょせん犬です。相手のことなんて覚えていません」
なんて声をかけたらいいんだろう。
マツリや千鶴は、俺たちが想像もつかないような生活を、今まで送ってきたのだ。
「マツリさんは頭がいいから武器の密造に関われたけど、私は頭も悪いし要領も悪いから身体をもてあそばれるくらいしかできなかったんです。それでも、戦争になったときに家族を守れるならそれでいいかなって。我慢、してきたんですよね」
千鶴は、真顔だった。
真顔なのに、とめどなく涙があふれている。
まるで心を持たない石造が涙を流しているようで、これ以上触れてはいけない領域がそこにはあるような気がした。
「拳銃、いざというときのために持っておいたんですが、トーコさんが、見つかったらアキさんに何をされるかわからないから私が持ってるって。言ってくれたんですよ。千鶴は元々大人しい子なんだから、持ってることがバレたらあまりにも怪しまれるよって。でも私だったら、なんか持ってそうでしょ?って、そう、言ってくれたんですよ?」
俺は何を言ったらいいかわからずに、開きかけていた口を閉じ、思いを巡らせた。
「トーコさん、ごめんなさい」
千鶴の涙が、俺の顔にも落ちてきた。
かける言葉はどうしても見つからなかったが、それでもひとつだけ聞いておきたいことがあった。
「なんで、このバリケード封鎖に参加した?やっぱり、俺が誘ったのか?」
千鶴はせきこみながら息を落ち着かせ、また抑揚のない声に戻り、言う。
「それもあったんですが、ちょっとだけ、何かを変えられるかもしれないと思ったから」
「橋野井に、国家機密を持ち出すように言われていたわけじゃ」
「ないです。私は何も聞いてません。私も、たぶんマツリさんも、何かを変えたくて参加した。ただそれだけです」
「じゃあ、橋野井が言っていたのはどういうことなんだろう」
「あの混乱の中で誰かがすでに持ちだしている可能性もあります」
「あのタイミングで?だって、研究室はたしか頑丈な鍵がかかってたはずだ。それを、あの中で持ちだすなんて」
「もう私たちしか残っていませんが、全員の死体を確かめたわけじゃないですよね。誰かが合いカギを託されていて、国家機密を持って無事に逃げ出せていたとしても、おかしくないです」
たしかに、千鶴の言う通りだった。
俺たちはあの混乱の中で、自分を守ることで精いっぱいだった。
マキナエが出入りしていたあの研究室は、凄惨なニトロの被害にあった講義室Cの隣にある。
あれからCについて俺たちは何も触れようとしなかったが、もしかしたら、誰かがあの時、研究室まで辿りつけたのかもしれない。
あらゆる可能性を考えていたとき、千鶴が予想外のことを口走る。
「それか、あの四人のうちの誰かですよね」
かわらず虚空を睨んでいるアキ、園子、椿、カレンを見る。
なるほど、これから研究室に向かう可能性もあるということか。
しかし、できれば考えたくなかった。特に、カレンについては。
「いいこと教えてあげます。おじさんたちが言ってたこと」
しばらくの沈黙のあと、千鶴が言う。
「一ヶ月後に、戦争が始まりますよ」
「……」
なんで、という言葉を飲み込んだ。
千鶴自身もきっと、戦争が起こることについて話すおじさんたちに、なんで、なんて聞けなかっただろう。
「もう、止められないです。私もよくわかりました。もう、止めることなんてできないんですよ」
千鶴は一気にまくしたて、そして息を整えてから言う。
「トーコさん、警察に降伏しませんか、一緒に」
「え?」
「もう国家機密が持ちだされているのだとしたら、いつ攻撃されてもおかしくないです。もう外は明るいから、窓から逃げたとしても、また撃たれて死にます。だったら、警察に助けてもらいましょう。私は、犬なんですもん。犬は、国家に守ってもらえるから犬なんです。だからトーコさんも、この際犬になりましょうよ、ね?」
千鶴はとんでもないことを口にしながら、しかし本気で俺を説得しようとする。
「犬の生活は、楽しいですよ。私からは何もしなくてもいいんですよ。遊ばれるだけなんです。じっとしていればすぐ終わりますよ。ねえ」
千鶴の熱い息が俺の頬を撫で、俺は重たい上半身を持ちあげた。
アキたちが一斉に俺を見るが、特に話しかけるでもなく、皆それぞれ視線をそらす。
あちらはあちらで、ぽつりぽつりと計画を練り始めたようだ。
耳を澄ましてみると、アキが
「まずは武器をここに全て集めよう」
と言っている。
これからどうするか。警察側とどう戦うか。そんな途方もない計画を、アキたちは企てようとしていた。
本当に、途方もないと思った。
外にはどれだけの警察が待機していて、どれだけの戦闘力をもって俺たちに臨もうとしているかはわからない。
しかし、何人かが狙撃されたところをみると、凄腕のスナイパーが数人いることは間違いなかった。
ヘタに動けば、俺たちごとき数分で全滅してしまうだろう。
ここは、立ち向かっている場合ではないだろう。
5階から逃げ出すのは諦めて、何人もの仲間が犠牲になったあのバリケードの山を越えて、1階に下りて校舎を抜け出すほかなかった。
ただ、1階から出られたとしても、校舎を抜け出せるか…
俺の思考回路を遮断するかのように、千鶴が入りこんでくる。
「犬になれば、家族も守ってもらえますよ。マツリさんみたいに武器製造とか、人体実験とかに参加させられることもありますが、それで命を落とした人は聞いたことがありません。ちょっと我慢すれば、私たちは守ってもらえるんです」
千鶴は、必死だった。
目は血走っていて、マツリの血だろうか、顔に血が転々と飛び散っていることにも気づいていないようだった。
この子はきっと、一人では何もできない子なんだろう。
誰かが指示を出して、それについていくことが当たり前。
それが、身体に染み込んでいるらしかった。
しかし、彼女のこれまでの生き方を聞かされると、それを否定する気にもなれなかった
辛い目にあってきたことはよく考えなくてもわかることで、そもそも、目立たないようにただひっそり生きてきた 俺が、何かを言う立場ではないだろう。
「どうですか、トーコさん。いい作戦だと思うんです」
徐々に興奮して声が大きくなってきている千鶴の気持ちを抑えるためにも、俺はうなづいた。
「そうだな。そうしようかな」
「本当ですか!良かった!」