女体化して女子大に飛ばされたら初恋の人に会えたけど、面倒な運動にも巻き込まれた。 作:斎藤 新未
「透、透、と、お、るー!」
大学の正門を出ようとしている俺の背後に、今日もまた安い焼酎で潰したダミ声が浴びせられた。
振り向くと、全身迷彩柄に身を包んだロン毛のトドのような男が、俺に向かって転びそうになりながら走ってくる。
一年生の中でも有名な左翼男、安本だ。
今日は会いたくなかった。だって、今日はアマゾンで注文しておいた漫画の新刊が届く日だから。
美少女戦士カラキダヨーコ。
コミケで出会った当初から、メジャーデビューした今でもこの作品の大ファンなのである。
しかし、見つかってしまったのだから仕方ない。
うんざりしながらも、それを表情に出すことなく真顔を貫く。
「なんで逃げるんだよ。お前みたいなやつがいるから日本はダメになるんだよ」
安本の理不尽な罵詈雑言をスルーする能力は、この半年間でだいぶ身についた。
確かに、俺は大学デビューに乗り遅れた。
講義室ではいつも左の窓側一番前をキープしている。
友だちができないというか、誰かが声をかけてくれるのを待っていたのだが、みんなシャイなのかなかなか声がかからず、今に至る。
安本も、俺と同じたまだ。
ただしこいつの場合は、自分から寄っていっても逃げられてしまう。
だからまあ、話を聞いているふりくらいなら、してやってもいいと思っている。
「で、なかなかレベルの高いAVが手に入ったから見にこいよ」
「……。しょうがないなぁ」
美少女戦士とてんびんにかけたが、ギリギリ三次元に軍配があがった。
最近興味が薄れつつあったが、まだ、生身の女性にも興味はあるのだ、俺は。
安本のことは、別に嫌いじゃない。
ただ、とにかく暑苦しい。
「もう一度安保闘争みたいな大規模な事件を起こさないと、日本はダメになるんだよ!いいのか集団的自衛権を認めて!」
言わんとしていることはわかる。
でも、俺たちが動いたところで何も変わらないということを、こいつはわかっちゃいない。
安本の父親やおじさんは、「学生運動」を本格的に行ってきた世代らしい。
安本が、学食で缶チューハイ片手によく言っていた。
俺も、フォークソングが好きな親父から、学生運動について何度か話を聞いたことがあったが、今を生きる俺にとって、学生運動なんて遠い昔のおとぎ話でしかなかった。
ヘルメットをかぶりゲバ棒を持って、機動隊と戦いながら「革命」を叫ぶ、だと?
俺は見たことがないけど、ゲバ棒というのは角材に釘を打ちこんで作る金のかからない武器のことらしい。
そんな痛そうなものを振りまわすなんて、なんて野蛮で、なんて非現実的な人たちなんだろう。
だから初めて安本に出会ったときは、衝撃的だった。まだこんなヤツが存在していることに、ほんの少しの感動を覚えたほどだ。
絶滅危惧種を見つけたときのような、そんな感動。
でも、もう時代が違うんだよ、と言いたい。
というか、そもそも、何かを変えるために動くとか、面倒くさい。チャンネルを変えるためにリモコンに手を伸ばすことすら面倒くさいのに、世の中なんて変えられるはずがない。
学生運動とか関わりたくないし、できれば家で猫を愛でながら漫画を読みふけりたい。それだけで俺は幸せだし、十分平和だ。
なんてことは、もちろん言えない。言ったら面倒くさい話が倍増するだけだから。
だから俺は、安本の話をいつでも右から左に受け流す。
「は?ここ?」
安本に連れてこられたのは、大学の真裏にある築50年はたっているであろうボロアパートだった。
たしか、安本は駅前に住んでいたはず。
「そうだ、ここだ。さあ入れ」
安本がドアを開けると、玄関とも言えないコンクリートがむき出しのスペースに、何人もの靴がぐちゃっと置かれているのが目に入った。
10人、いや、20人程はいるだろう。
室内から男たちのがなり声が聞こえ、なんだか、ものすごく嫌な予感がした。
「俺、帰る」
と言ったときにはもう、安本に室内に押し込まれていた。
嫌な予感は見事に的中。
2DKくらいの間取りいっぱいに、安本のような暑苦しい男たちが集まっていた。
中央では、ヒゲをはやした30歳くらいに見える男が仁王立ちし、木の棒を振り回しながら演説をしている。
その周りにひざまずくような格好で男たちが群がり、口ぐちに何かを叫んでいる。
「そうだそうだ」とか、「ひっこめ」とか、いろんな怒号が飛び交っていて、誰が味方なのか敵なのかがまったくわからない。
人の隙間を縫うように、タタミの上に銀色の灰皿がいくつも置かれ、山いっぱいのタバコが差し込まれ、室内は煙と、怒号と、熱気に包まれていた。
俺の、AVは?
っていうか何これ?
ドラマか映画の撮影か何か?
いろんな感情を通り越し、ポカンとしている俺を、安本は玄関のすぐワキに座らせた。
なぜか正座をしてしまった俺の耳元で、安本が興奮気味に囁く。
「明日、デモを起こすぞ」
どうでもいい。
心底どうでもいい。
どうでもいいから、早く家に帰って、猫をひざに乗せながら漫画を読ませてくれ。
俺はいつもにも増して、鼓膜にバリアを張った。
いつもにも増して、壁のシミを穴があくほど見つめた。
男たちは身ぶり手ぶりで、日本がどうなる、政治がどうなる、俺たちの将来はどうなる、と暑苦しく語っている。
全く、時代錯誤もいいところだ。
誰も俺のことに気づかないのが、逆に居心地が良いと思い始めてきたその時、壁のシミのななめ下あたりに、女の子たちが何人か固まっているのが見えた。
そして思わず
「ふへぇ!」
と間抜けな声をあげてしまっていた。
「どうした?」
幸いにも、この間抜けな声に気づいたのは安本だけだった。
「いや、なんでもない」
安本はすぐに、俺のことはもう見えていないかのように、中央の男に夢中になっていた。
俺は漫画みたいに、目をゴシゴシこすり、頬をつねってみた。
でも、目の前の光景は醒めることはない。
俺が座っている向かい側、ダイニングの奥の方に、中学のときに転校してしまった、花梨ちゃんらしき女の子が座っていたのだ。
ふわふわの天然パーマと、色白で華奢な体。
そしてあの頃よりもだいぶ育っている胸を、前に座っている男の肩越しに凝視した。
たぶん、花梨ちゃんだ。
いや、間違いない、花梨ちゃんだ。
花梨ちゃんもまた、安本同様、中央の男の演説に夢中になっているようだ。
なんで、あの花梨ちゃんがこの汚いアパートにいるんだ?
なんで、安本みたいに胡散臭い男を見つめているんだ?
胸が熱くなるような再会なのに、俺は戸惑いを隠せなかった。
もう一度確認するけど、本当に花梨ちゃん?
こっち向いて。いや、やっぱり向かないで…。
なんて思っている最中、俺の視線があまりにも熱かったのか、バチッと花梨ちゃんと目が合ってしまった。
花梨ちゃんの目は、徐々に丸くなっていく。
やっぱり、帰ろう。
そう思って立ち上がろうとしたとき、膝がガクン、と折れ曲がり、頭から畳に突っ込んだ。
突然のことで全く反応できずにいると、金属を擦り合せたような、甲高い音がキーンと頭中に響き渡る。頭が割れるように痛み、体中から汗が噴き出した。
なんだこれ。
安本、助けてくれ。
口だけ動かしてみたが、声にならず、まるでシャッターを閉めるみたいに、俺の意識は失われた。