日は暮れ、夜の闇が深まりつつある。生徒たちが知らぬところで、本部周辺では未だ初校長一派が蜜柑を追跡し続けている。
この密かな騒動に、今介入しようとするものがいた。
高校長室に荒い足音で近づき、音高くドアを開ける。本来底にいるはずのない者達――柚香と志貴の姿が入ってきても、高校長は眉一つ動かさなかった。学園の結界に穴が開いた。そう報告が来たのは、数十分前のことである。忍ぶことなく行動したあたり、よほど気がせいているのだろう。
「高校長、どういうことです?」
柚香の声には焦燥が、顔には責めるような色がにじみ出ている。志貴に声をかけられ落ち着こうとするものの、それでも感情の高ぶりを押さえられていない。
予定では、時期がきて初校長の警戒が薄まったら、蜜柑を学園から脱出させる手はずだったのだ。それが、その当人が突然脱走してしまった。高校長にも、予想外のことだったのだ。
「私にもわからない。何を思って、あの子がこのような行動に出たのか・・・・・・」
初等部生は、初校長の管轄である。いくら親族といえど、高校長が蜜柑の身柄を要求するのは難しかった。闇雲に動いては彼女の身を救えない。中校長にも協力を求め、初校長と会談を続けていたというのに。
高校長が苦笑した。
「どうやら、あの子から信頼を得ることができなかったようだ。我が弟を――あの子の父親を救えなかった私では」
「・・・・・・我々が動いていると考えぬほど、彼女は馬鹿ではないでしょう」
ずっと無言でたたずんでいた昴が口を開く。それは高校長へのフォローというよりも、単なる事実確認だった。
「彼女なりに考えて、この行動に出た。何を考えてまでは推察できませんが、ひょっとしたら佐倉は――」
柚香は唇をかみしめた。昴が言わなかった言葉の続きを、考えたくなかった。なんとしても、あの子を救わなければ。もう失いたくない。
「蜜柑がどこにいるか、見当はついていますか」
「初校長室」
言葉は背後から投げかけられた。驚いて振り返る。昴がため息をついて、苦り切った声を上げた。
「なぜここにいるんだ、蛍」
「外があまりにも騒がしくて、目が覚めてしまって」
初等部も大変だったわ、と蛍は言った。突然の外出禁止令、教師達は説明をしない、むしろ彼らもとまどっているようだった。みんなまた侵入者が来たのではと騒いでいた。
「どうやってここに」
「私のアリスを知っているでしょう。こんなに楽に入れるとは思いませんでした。よほど混乱しているのね」
「すぐに戻りなさい。下手に踏み込むとどうなるか、この前わかったはずだが?」
「ええ。・・・・・・たっぷりと」
年不相応なほろ苦い微笑が浮かぶ。あの事件が親友を幽閉する引き金となってしまった。調べになどいかなかったら。自分が怪我をしなければ。たとえ誰よりも情報を集められても、便利なメカを作れても、彼女は無力だった。
蛍が柚香へと向き直る。一歩二歩と距離を縮められ、柚香は複雑な表情をする。その彼女の目が見開かれた。
「――蜜柑を、助けてください」
蛍が頭を下げたのだ。
「あの子はもう、何年も育ててくれたおじいさんと会っていない。会うことすらあきらめてる。血の繋がったあの子の家族は、高校長とあなただけなんです」
私は、と一度言いよどむが、言葉は続いた。
「あの子が何か覚悟しているのをずっと前から知っていた。あの子は自分から初校長のそばにいる。彼を止めようとしている。身体の事もあるのに。私はわかっていたのに、止められなかった。何もできなかった。だから」
助けてあげて。
力強く、柚香はうなずいた。