学園アリス If   作:榧師

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脱走

 本部のどこか、ひっそりと隠されるように細い通路がある。人一人がやっと通れる程度に狭く、照明一つなく暗い。地下へと続くそれがあることすら、本部に出入りする人間の多くは知らない。それは学園の淀みへの道だった。

ペルソナはほぼ毎日ここへ足を運ぶ。何年も何年も。地下に行き着くといくつもの分厚い扉がある。壁で区切られた殺風景な部屋の中では、誰かしらがひっそりと息を潜めているのだった。アリス実験の実験体、アリスが不安定で常に暴走している者、捕らえた反アリス集団の構成員――

 あるいは、学園に反抗的と判断された子供。

 ひとつの扉の前でペルソナは立ち止まり、ノックせず部屋に入った。部屋に残る僅かな血臭に眉をしかめる。

 

「ペルソナ」

 

 佐倉蜜柑。唐突に初等部から消えた彼女は、三ヶ月もの間、この部屋にあった。5歳の時から住んでいた部屋ではない。私物を持つことも本部内を歩くことすら禁じられ、一日中ここにいる。ひたすら任務と訪れる者との対話のみを繰り返して。

 

「また吐血したか」

 

 蜜柑の服の袖には点々と紅が染みついている。

 

「ついさっき初校長が来はったんよ。そこまで多かった訳やないんけど」

 

 ――そろそろかもしれへん。

 そのつぶやきが何を意味するか、ペルソナに分からぬ訳がなかった。彼女自身も意味を承知して言ったのだ。彼女の頭は、目は現在ではなく、己の将来を見据え、受け止めていた。淡々と恐怖も怯えもなく。

 

「――ペルソナ。考えてくれた?」

 

 ペルソナが蜜柑を見返す。

 ・・・・・・一月ほど前のことだ。幽閉されてから黙々と日々を過ごしていた蜜柑は、唐突にペルソナに言った。

「脱出を手伝ってくれへん」と。

 

「・・・・・・気でも狂ったか」

「正気のつもりや。あんたらから見ればどうかはわからへんけど」

 

 理由を蜜柑は言わなかった。ただ協力を頼むのみ。この厳重な結界の部屋から出るなど、独りではできない。だが、この地下の管理者ともいえるペルソナの力があれば、後ほど疑われようとも脱出はできるはずだった。

 

「別に学園そのものから出て行こうとは言ってないんや。ただ、ここから出たい。それだけや」

「何を企んでいる」

「すべて終わらせること。ウチのお父さんも、学園を変えようとしてた。あんたを救おうとしてた」

「・・・・・・」

「あんたがウチのお父さんを殺した。初校長に命じられて。でもお父さんは、あんたを恨んで何ていなかった。腐敗のアリスをもつあんたを疎んでなんていなかった」

「お前に何が分かる」

 

 鋭く言われて蜜柑は苦笑した。確かにその通りだと。

 

「過去を見たからといって、全て分かるわけあらへんもんな。お父さんの気持ちなんて、ウチもあんたももうわからへん。けど・・・・・・お父さんはあんたも含めて、学園を変えようとしていたはずや。今も、高校長や、先輩たちが裏で動いてる。ウチはその手助けをするだけや」

 

 穏やかな口調、迂遠な言い方の反抗声明。しかしそれをペルソナは密告しなかった。そのまま一ヶ月間、2人の間でそれは話題に上らなかった。

 

 

 

「私は、何をすればいい」

 蜜柑が軽く目を見開く。数秒後、満面の笑みを浮かべた。

 

「初校長の部屋に行くのか」

「その前にしたいことがある。ペルソナ、脱出した後、準備をしてほしいことがあって」

 

 蜜柑の計画を話す口ぶりは淀みがなく、長い間温めてきたのだと分かる。数十分のの打ち合わせの後、ペルソナは部屋を出た。また後に、との言葉を残し。それに蜜柑は笑みで応えた。ぎゅっと、拳を握りしめる。

 

 

 

 数時間後、月が血相を変えて知らせを伝えた。

 

「佐倉蜜柑が脱走を・・・・・・!」

 

 初校長室は西へ落ちかかった夕日で橙に染まっている。

 長い長い夜が、始まった。

 


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