学園アリス If   作:榧師

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脈動

学園の夜闇にふと人影が二つ姿を見せる。突然そこに現れた彼らは、行き先は決まっているとばかりに足を進めていく。森の奥、巡回の目さえ行き届かぬような場所へ。

月明かりが照らすそこでは金髪の教師が一人たたずんでいた。鳴海だった。

 

「久しぶり、柚香先輩」

 

柚香は返事をしなかった。足を進め、後輩の真正面に立つ。ずい、と半ば押しつけるように手にした袋を鳴海に渡す。

 

「今まで私が盗んだアリス。学園の子のも入っているわ。あなたのクラスの子のも」

 

 Zにはもういられない、いるつもりもなくなった。だからもう、Zの命令で盗ったアリス石は無用のものとなった。それでも入れるアリスがあるのだから、志貴に入れるなりして使う道はあった。それを実際に提案されて、柚香は首を横へと振った。罪もなく闇も知らない学園の子供たちから盗りたくない。

 そういう思いにさせたのは誰か。

 

「先輩」

 

 鳴海の声が柚香の意識を引き戻した。

 

「学園に入るなんて危険を冒して来た理由は何?」

 

 気づいたのは偶然を積み重ねた結果だ。鳴海が起きていたから。柚香が直感のアリスを持っていたから。巡回に気づかれなかったから。アリスによる呼びかけに答え、鳴海が来なかったらどうなっていたか。

 問いの形を取りながらも、鳴海の言葉は確信を帯びていた。あの子のことだろう。無言の問いに心中で頷きながら、柚香は口を開いた。

 

「教えてちょうだい。今の状況を」

 

 

 

「――蜜柑は?」

 

 目が醒めて開口一番、蛍が言ったのは親友のことだった。彼女の知る蜜柑ならば、誰よりも早く駆けつけてくれるはずだった。涙を流してみっともない顔をして、自分のことのようによかったよかったと繰り返すはずなのだ。だが、実際はどうだ。

 

「あんた達がいるのに、どうして蜜柑はいないの」

「佐倉は・・・・・・」

 

 流架の言葉に続きは来なかった。俯いた瞳がためらうように揺れている。嫌な予感が蛍の胸に去来した。

 

「蜜柑が?」

「・・・・・・」

「言いなさいよ」

 

 おい、ととがめるような声を上げたのは棗だった。流架を困らせるなと言いたげな視線を、蛍は睨むように受け止める。

 

「知っているんでしょ。何があったの。私が眠ってるときに、何をしたの」

 

 どうせこいつらが関わっているのだ。棗と流架。蛍が来る前から何かしら親交があったのか、こいつらは何かと蜜柑のことを気にかける。私の知らない蜜柑を知っている。認めたくない事実。

 棗は何も言おうとしない。まるで喧嘩の原因を言おうとしない子供のように、唇を硬く噛みしめている。認めたくないと固持する態度に、嫌な予感だけが募っていく。予感だけが募って事実が知らされないなど、拷問に等しい。何かが確実あったのだ。

 膠着状態の病室を救ったのは昴だった。見かねて棗と流架に退出するよう促す。

 

「2人とも――特に日向。くれぐれもおかしなことを考えるなよ」

 

 釘を刺すように言ったが、果たしてそれが棗に通じるかどうか。溜息を吐きながら振り返れば、妹の鋭い視線が待ち受けている。

 

「何が、あったの」

「佐倉は本部にいる」

 

 佐倉蜜柑は学園を脱走した。彼女を問題児とし、矯正のために初校長下に置かれた――実質、幽閉のようなものである。なぜ彼女だけかと言うことについては、脱走の主犯であるという名目だった。後の3人は常に監視されているはずだ。

 それを聞いた蛍は自分を責めた。蜜柑が学園を出てZへ向かったのは、蛍のせいだ。自分が怪我をしなければ、こんなことにはならなかったのに・・・・・・。

 

「自分を責めるな。いずれはこうなると、皆が思っていた」

 

 お前なら知っているだろう、と言われて蛍が思い出すのは盗聴器で集めた情報の数々だ。蜜柑の幼少期の幽閉、初校長の彼女への執着。学園へ何事もないように通っていても、初校長は常に蜜柑の動向を探り、必要以上に外と関わりを持たぬように細心の注意を払っていた。そうはいっても、なぜ蜜柑がそこまで執着されるのか、蛍には分からなかった。想像もつかない。

 自分は何も知らなかったのだ。知っているつもりで、根本的なことを知らなかった。

 不意に昴の手が伸び、蛍の頭に置かれる。蛍がおどろき顔を上げた。腕に遮られて、兄の表情は分からない。

 

「お前が無事でよかった」

「にい、さん」

「大丈夫だ。すでに高校長が手を打ち始めている。今は耐えるときなんだ。どれだけ時間が掛かっても、必ず佐倉を助ける」

 

 昴の視界には、過去の情景が浮かんでいる。髪の長かった高等部の柚香と、特力の教師だった先生。彼らが目指し、達することができなかったことを、今ならできるかも知れなかった。

 

 

 

 三ヶ月、と柚香は言った。

 

「できる限りアリスを集める。高校長にも連絡を取って、作戦を練る。そうして」

 

 あの子を助ける。

 それは初めて、柚香が娘のためにすることだった。初校長を倒すために独りでいると決め、娘を一人の老人に預けた遠い日。もうあの子は娘ではない、非アリスの幸せな子であると。そう思い続けて生きてきたのに。幸せになっているとばかり、考えて、慰めとしていたのに。 

 ――あいつは初校長のものになってる。

 赤目の少年の言葉は、柚香の中で弾け、心の歯車を動かした。私は、あの子を、蜜柑を初校長のものとするために手放したのではない。

 

「――初校長は私が始末する。私が、殺す」

 

 硬い意思を秘めた顔に、志貴は何も言うことができなかった。

 


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