ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~   作:nozomu7

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消え散る剣

「こんばんは」

 

 ユウが声をかけると、鍛冶屋はその顔を上げた。ずんぐりとした骨太な体格と実直そうな丸顔をしたそのプレイヤーは、近くで見るとより一層ドワーフを思わせる。

 

「い、いらっしゃいませ」

 

 少年は素早く立ち上がると、もう一度頭を下げて言った。

 

「お、お買い物ですか? それともメンテですか?」

 

 ――え? とユウは思った。

 

 キリトから得た情報によれば、この第二層で重要となるのは武器の強化であるはずだ。というのも、この層から阻害(デバフ)系の攻撃をする敵Mobが第一層に比べると増えるので、そのために自分たちの装備の阻害対抗値(デバフレジスト)を上げておくことが望ましいらしいのだ。

 

 そして、今は第二層転移門開通から既に4日。最初の3日間を《体術》スキルの獲得に費やしたキリトとユウの例外を除けば、攻略に参加しているプレイヤーの多くはその情報を知って、腕が立つと評判の鍛冶屋に装備の強化を依頼してきているはずである。

 

 だから、彼の口から出てきたの言葉に『強化』の2文字がなかったことに驚いたのだ。

 

「武器の強化をお願いします。《スタウトブランド+4》を種類は丈夫さ(デュラビリティー)、素材は上限まで持ち込みで頼む」

 

 ユウが言うと、しかし鍛冶屋は常に不安そうにしているその表情を、ますます困ったようなものにしてしまう。

 

(……さっきのことを気にしているのか?)

 

 先ほどのリュフィオールの1件を気にしているのだろうか。だとすれば、あまり良くないタイミングだったのかもしれないと彼は思うが、しかし今更撤回するのも気が引ける。

 

「……分かりました。それでは武器と素材をお預かりします」

 

 彼はそう言って幅広剣(ブロードソード)と素材をユウから受け取るものの、やはりというか、一向に困ったようなその表情を崩さない。それを見たユウは、彼に対する警戒心を上げた。

 

(……何か後ろめたいことでも隠しているのか?)

 

 そう考えるユウだが、それでも依頼を撤回しようとはせずに依頼料金を支払った。

 

 そして、鍛冶屋はまず鉄床(アンビル)の奥に設置されている携行型の炉に右手を伸ばした。携行型の物は大きなもの、つまり槍などの長物武器(ポールアーム)や金属鎧は作ることができないが、露店の商いとしてはこれで十分なのだろう。

 

 鍛冶屋はポップアップメニューで携行炉の設定を操作された後、ユウから受け取った素材がその中に入っていく。そして、炎がその色を変えた。ここまでで強化の準備は完了となる。

 

 そして、ユウの剣は鍛冶屋によって鞘から引き抜かれ、その刀身を炎の中に入れられた。やがて剣全体が輝きを放ち始め、そしてそのまま鉄床の上に移動してハンマーが振り下ろされる。

 

 カァン! カァン! というリズミカルな金属音と共に、鉄床からオレンジ色の火花が散る。その様子をユウは見ていたのだが、最後の方になって自分が強く手を握りしめていることに気が付いた。

 

(……不安になっているのか?)

 

 どうやら、リュフィオール氏の1件で、自分の心配性が滲み出てしまっているらしい――そう考えた彼は、自分を自嘲した。

 

 この不安には、まったく何の根拠もないのだ。強化素材はフル投入である上に、NPCよりも腕の良い鍛冶屋、それも攻略の第一線に立っているプレイヤーの間で話題になっている鍛冶屋に自分の剣を任せているのだ。

 

 そして、強化に必要な回数である10回目の打撃がユウの《スタウトブランド》に加えられた。すると、鉄床の上にある幅広剣がいっそうまばゆい光を放つ。

 

(失敗するはずがない!)

 

 ユウはそう心の中で叫び、手を握りしめたまま歯を食いしばった。

 

 そして、その直後。

 

 彼の愛剣《スタウトブランド+4》は清々しいほどの金属音と共に、切っ先から柄に至るまで無数の青いポリゴン片へとその姿を変えて四散した――。

 

 

 

 

 

 その光景に、ユウだけでなく鍛冶屋の少年も数秒間動くことができなかった。

 

 沈黙を破ったのは、剣を壊した張本人。

 

「す……すみません! すみません! 手数料は全額お返ししますので……本当にすみません……!」

「い、いや、ちょっと待て!」

 

 ペコペコと頭を下げる彼を見て呆然とした状態から復活したユウは、思わず大声を上げた。

 

「こ、こんなのおかしいだろ? 確か、出回っている情報では、強化失敗のペナルティは《素材ロスト》《プロパティチェンジ》《プロパティ減少》の3つしかないはずだろ……!」

 

 そう。ユウの言う通りなのだ。

 

 このSAOというゲームにおける武器の強化というものは、その失敗の代償に設定されているものは《+数値はそのままで強化素材のみが消費される》《+数値の内容(プロパティ)が入れ替わる》《+数値が1下がる》の3種類でしかないはずである。

 

 つまり、強化に失敗しても、最悪でも彼の剣は《スタウトブランド+3》でなくてはならない。しかしその一方で、目の前で起きた現象もまた事実であるのだ。

 

 彼の言葉を聞いた鍛冶屋はペコペコと下げ続けていた頭を起こし、そろそろと顔を上げた。しかし、以前としてその視線を地面へと向けたまま、か細い声をもらした。

 

「あの……、正式サービスで、4つめのペナルティが追加された……のかもしれません。ウチも、前に1度だけ……同じことがあったんです。だから、確率は、すごく低いんでしょうけど……」

 

 そう言われれば、ユウが返す言葉はなかった。システム的にありえない現象などこの世界では起こりようがないし、そうなれば少年の言う通り正式サービスにおけるペナルティの追加があったとしか考えられない。

 

「……分かったよ。また素材集めたら、強化のためにここに来るから」

 

 彼はそう言ってメニューウィンドウを出すと、空欄になっている右手の装備欄の所に予備の武器である未強化の《スタウトブランド》を入れた。すると、音を立てて彼の背中に幅広剣が出現する。

 

 そしてユウは、今までの物とは今ひとつ頼りない新たな相棒を背中に背負ったまま鍛冶屋を後にした。

 

「はあ……」

 

 ため息をつきながら彼は、これからどうしようか、と考える。

 

 背負っている剣の固有名はつい1,2分ほど前まで装備していた物と全く同じである。しかし、その性能はまるで違う。鋭さで2回、丈夫さでも2回強化された剣はその攻撃力も耐久度も2ランク上回っている。今からNPCの店に行ったところで、あれよりも強い剣は売っていない。

 

 つまり、これからこの剣の強化をしなければならないのであるが、今の攻略のペースだと恐らくは2週間とたたずにボス戦に臨むことになるであろう。当然ながら攻略がスムーズに進むのは良いことなのであるが、その時彼自身がその中に入ることができるかどうかには疑問が残る。

 

(――まあ、やるだけやるしかないか)

 

 そう考えたユウは、いつも戦っている場所よりも危険性の低い、Mobのポップ率が悪い場所で戦うことにした。

 

「はあっ!」

 

 彼はようやく使用できるようになった連続技である《バーチカル・アーク》を、牛型のモンスター《トレブリング・オックス》に向かって繰り出す。それだけで敵のHPが半分ほど削られるが、今までは7割近いダメージを与えていたことを考えると、どう考えても効率は悪化しているだろう。

 

 ――ならば、他の方法で埋め合わせるまで。

 

 1匹目をポリゴン片へと変えた後にそう考えたユウは、2匹目の牛の蹴りを躱した後に《バーチカル・アーク》を繰り出す。当然のごとくダメージは約半分であるが、ソードスキルの終了とほぼ同時に剣を持っていない左拳を構えた。

 

 ズガッ! という音と共に、打撃が《トレンブリング・オックス》に加わった。体術スキル基本技《閃打》。敵のHPがさらに2割ほど減少する。

 

 それを確かめたユウは、再び繰り出された蹴りをバックステップで躱し、体を前傾させて《レイジスパイク》を放つ。雄牛がポリゴン片へとその姿を変え、四散していった。

 

(これなら、それほど変わらない効率で戦うことができるか……)

 

 彼はそう考える。

 

 その後も続けて狩りを続け、そのついでに素材アイテムを集めること約1時間半。そろそろ終わりにしようか、と考えた時に、彼は遠くからこちらへと向かってくる友人に出会った。

 

「あ、キリト! アスナ!」

 

 少し離れた場所からユウが手を振ると、その声に気が付いた彼アスナは相変わらずのウールケープ姿で手を振ってきた。キリトは女子と(あるいはアスナと)2人でいたことが若干気恥ずかしいのか、少し居心地が悪そうに手を上げた。

 

「ユウ、どうしたんだ? 確か、今まではもっと別の狩場を使っていたはずだろ?」

 

 キリトは最初にそう言った。そこで、彼は鍛冶屋で起きたことを簡単に話す。

 

 すると、黒づくめの少年は顎に手を当てて唸った。

 

「武器が……破壊?」

「俺もおかしいと思っているんだけどな。でもまあ、システム上不可能な現象が起こるはずはないから、新たなペナルティが追加されたのかなって」

 

 ユウの言葉に、アスナも不安そうな表情に変わった。

 

「じゃあ、その剣は……」

 

 アスナがユウの右手にある幅広剣を見つめると、ユウは曖昧に笑って言った。

 

「まあ、予備の《スタウトブランド》なんだよ。ついでに言えば、未強化品」

 

 その言葉には、2人とも驚いているようだった。+4と+0ではその性能は雲泥の差である。驚くのも無理はないだろう。

 

「……明日から、素材集めの手伝いするよ」

 

 そう言ったキリトの言葉に、ユウは首を横に振った。

 

「いや、さすがにそれは悪いよ。その代わりと言っては何だけど、素材を集めるのに効率の良い場所とか分からないかな」

 

 アルゴに訊けば済むことなのだろうが、それをすると確実に情報料を取られる。彼女では同情まではしてくれるにしろ、さすがにタダにはしてもらえないだろう。そのようなことをすれば、情報屋としての公平さに反するからだ。

 

 キリトからいくつかの情報を教えてもらいながら歩いていると、彼らは主街区ウルバスに辿り着いた。

 

 現在時刻は午後7時。フィールドに出ていたプレイヤーたちが一斉に戻って来る頃合いだ。今日の生還を喜んでいるためか、道行く人の誰もがどこかほっとした表情を浮かべている。ユウもいつもならこのくらいにフィールドから戻って来た時には、同じように今日の生還と戦果を思い浮かべて口元を綻ばせ、夕食でもしているのだろう。

 

 しかし、今はそういうわけにはいかなかった。

 

「……俺、この時間にウルバスに戻ってきたの、今日が初なんだけど……いつもこうなのか? もしかして、今日ってなんかの日だっけ?」

 

 キリトの言葉に、ユウは疲れ切った頭を動かす。たしか、12月8日はこれといって特別な日付ではなかったはずであるが……。

 

 すると、代わりに黒い片手剣使い(ソードマン)に答えたのはアスナだった。

 

「ここ数日は、ウルバスもマロメもだいたいこんな感じだと思うけど。きみ、昼間だけじゃなくて夜もどこかに隠れていたの?」

「隠れていたと言えばそうなような違うような」

 

 キリトがあやふやな答えを出すが、ユウはもちろんその理由を知っている。というか、自分も彼と同じ状況なのだ。すなわち、エクストラスキルである《体術》を獲得し顔のペイントを消し去るべく、夜になっても街に戻らず、山で大岩を相手に素手で奮闘していたのである。

 

 しかしその事情を知らないアスナは、いっそう胡散臭そうな表情になって言った。

 

「だから、気にしすぎだって言ったでしょ?」

 

 彼女の言うとおり、先ほどから道行くプレイヤーも変装などを一切施していないキリトの姿を見ても、罵倒どころか視線すらいちいち動かそうともしない。もっとも、それは自分たちの生還への喜びでいっぱいで、一々気にしていられないからだろうが。

 

「……っていうかさ、キリト。街の人がにぎやかにしている理由はお前にあると思うんだけれど」

 

 ユウの言葉に、キリトが仰天する。アスナも彼の言葉に同意するようにうんうんと頷いていたが、その反応にあきれ顔になった。

 

「へ? お、俺が?」

「はー……あのねえ、なんでみんなが笑っているかなんて、少し考えれば分かることでしょ。ここが2層だからに決まっているじゃない」

「……その心は?」

「別に、謎かけでも何でもないわよ」

 

 そんな漫才みたいな(あるいは出来の悪い学生と優等生の)やりとりを繰り広げている彼らであるが、ユウはその横で、自分の剣の強化のことを考えていた。そんな彼を放ったまま、2人の少年少女の話は続く。

 

 ようするに、第1層を突破できていない間は、本当にこのゲームをクリアできるのかということに対して、多くのプレイヤーが(攻略に参加していた人たちでさえ)疑問を抱いていた。しかし、ついに1層のボスが、しかも最初の挑戦で倒されて最前線が第2層に進んだのだ。

 

 つまり、このデスゲームの攻略を進めることは十分に可能であることがはっきりと示されたのである。

 

「……もっとも、ボス戦でどこかの誰かが踏ん張ってくれなかったら、この光景は存在しなかったでしょうけどね」

 

 すると、ようやくキリトもアスナの言わんとするところを理解できたようで、しかしそのまま反応に困ったようにしばらくの間黙っていた。そして、1つ咳払いをした後にようやく口を開く。

 

「そ、そっかー。じゃあ、その誰かさんは、食後にショートケーキ奢ってもらえるくらいの働きはしたってことだなきっと、うん」

「それはそれ、これはこれ!」

 

 その言葉を聞いたユウが、思わずといったように口をはさんだ。

 

「……ショートケーキ?」

 

 というのも、この世界においてスイーツというのは今のところ種類が少ないのだ。上層に行けばさらに多くの料理やスイーツがNPCレストランで食べることができるらしいが(自分で料理スキルを極めてフィールドで食材を集めるという方法もあるが、少なくとも今のところそんな趣味スキルを鍛える余裕はない)、少なくともユウにとってもっとも気に入った味は、今のところ第一層のクリームのせ黒パンである。

 

 だから、その情報は意外の一言だったのだ。

 

 すると、キリトは苦笑いをして言った。

 

「まあ、アインクラッドで初めて食べることができるスイーツになるだろうな」

 

 彼曰く、先ほどの《ウインドスワプ》狩りにおいて、先に目標の100匹のうち50匹を狩り終えた方が夕食(アスナの奢り)の後にデザートを奢るという賭けをしていたらしい。そして、キリトはその勝負で、奥の手の《体術》スキルを使ったのにもかかわらず1匹差で敗北してしまったとのこと。

 

 そしてそのデザートというのが、この街《ウルバス》のNPCレストランで食べることができる《トレンブル・ショートケーキ》であった。

 

「……なるほどなあ。俺も今度、コルが貯まって余裕ができたら食べに行こうかな」

 

 そんなことを呟くユウに、キリトは曖昧に笑って答えた。

 

「まあ、そうしてくれ……かなり高いけどな」

「へえ、どのくらい?」

「ウインドスワプ100匹狩りで稼いだコルの大半が吹っ飛ぶくらい」

「……マジで?」

 

 冗談ではない、とキリトの悲愴に包まれた目が語っていた。

 

 自身の懐事情を嘆いている友人にユウは、自業自得であるとは分かっていても少しばかり同情を感じずにはいられない。

 

 そんな話をした後にキリトはアスナと共にレストランへと赴き、ユウは自分の宿を探しに行った。

 

 

 

 

 

『ユウ、もしも《隠蔽(ハイディング)》スキルを持っているのなら、少し手伝ってほしいことがあるんだが。頼めるか?』

 

 そんなメッセージがキリトからユウの下へと届いたのは、それからしばらく経った午後7時半ほどのことであった。

 

 隠蔽スキルが必要な時点で、怪しさ満点(命の危険という意味ではなく、モラル的な意味合いで)なにおいがする文面だったのであるが、つい先日ゲットしたばかりの隠蔽スキルの練習にもなるだろう、とユウは二つ返事でそれを承諾した。

 

 ユウが指定された場所で合流すると、軽く言葉を交わした後でウルバス東広場のアーチ門を2人でくぐった。街灯のライティング効果範囲内を避けつつ移動し、広場東側に生える広葉樹2本にそれぞれ体を密着させて《隠蔽》を発動させる。

 

 ちなみに、現在キリトは《悪のビーター》の象徴とも呼べる《コート・オブ・ミッドナイト》を装着している。黒などの闇に溶け込む色は隠れ率上昇のマジック・パロティを持っているので、スキル熟練度の差と合わせて考えれば、恐らくユウの視界に表示されている《隠れ率(ハイド・レート)》の【58%】よりもさらに高い数値が表示されているはずだ。

 

 この程度の数値では、最前線に立つようなプレイヤーではまず十中八九見つかってしまう。そのうえ、街中でハイドするのは普通にマナー違反であるので、最近圏内でちょくちょく見かけるようになった風紀委員ふうの連中に見つかると少々……いや、キリトのことを考えるとかなり厄介なことになりそうだ。

 

 しかし、そのような危険を冒しても彼らは『尾行』を選択した。

 

 木の下で身を潜める彼らの視線の先では、午後8時になると同時に営業を終えた職人クラスのプレイヤーが、手早く店じまいをしている。無論、アインクラッド初の露店鍛冶屋ナタクのことだ。

 

 そう、ナタク。しかし、キリトにしてもアスナにしても、彼の名前は《ネズハ》だと勘違いしていた。

 

 確かにマイナーな名前である上に、もしも知っていてもアルファベットを読める人間などそうそういないだろう。ユウにしても、神話の類が兄妹揃って好きであったとはいえ、知っていたのは全くの偶然に過ぎない。

 

 だが、その名前が何か大切な意味を含んでいるような気がしてならない。どこか引っかかる、というのは、ユウにしてもキリトにしても共通している見解だったのだ。


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