ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~   作:nozomu7

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儚き剣のロンド
剣の強化


「ふ……ふざっ、ふざけんなよ!」

 

 

 行く手で半ば裏返った絶叫が響き渡り、キリトとユウは足を止めた。互いに顔を見合わせた彼らは数歩スススと真横に移動し、NPC商店の壁に背中をつけて前方の様子をうかがう。

 

「も、戻せ! 元に戻せよ! プラス4だったんだぞ……そ、そこまで戻せよッ!」

 

 どうやら、その騒ぎの発信源は通りの先の大きな広場のようであった。彼らは自分たち――具体的にはユウの隣に立つ盾なし片手剣使い(ソードマン)キリト――にかけられた言葉ではないことを確認し、思わず安堵のため息をつく。

 

 2022年12月8日木曜日。

 

 デスゲームとなったSAOの正式サービス開始から32日目。そして、キリトが《ビーター》という不名誉な称号を得たことで今は亡きアインクラッド初のボス攻略リーダーであるディアベルを始めとした元ベータテスターを庇ってから、すでに4日が経過していた。

 

 そして、その間に既にボス攻略の1件は多少の尾ひれをつけてアインクラッドに響き渡った。そして、その中には姿も評判も黒づくめとなったキリトのことも。

 

 幸いなことに、このゲームにおいては無関係な他人のアバターの名前はプレイヤーの視界に表示されない。ゆえに、キリトがこうして街中を堂々と歩いていたところで彼が《ビーター》であることは、例のボス攻略に参加していた人がいない限りばれはしない。

 

 したがって、ボス攻略元参加者が確認されない限りには彼らが身を隠す必要はあまりなかったりするのであるが、それでも用心するに越したことはないのだ。

 

 彼ら2人がたまたま遭遇したマロメという村から北西に道を進んで、主街区ウルバスに戻ることを選んだのは、ポーションや携行食料の補充、そして何より――自分たちの武器に関して鍛冶屋に依頼するためだ。しかし、そんな風にアイテムの補充を行った後に武器の強化をするために鍛冶屋を目指していたところで、先ほどの叫び声が聞こえてきたのだった。

 

 ユウはひとまずぐるりと広場を見渡した。

 

 現在時刻は午後3時。普通に考えれば、攻略に命懸けで取り組んでいるプレイヤーたちはほとんどがレベリングやクエスト、そしてマッピングのためにフィールドへと赴いている《攻略どき》だ。

 

 しかし、彼の想像に反して街の中は意外にも混雑していた。それは、この街の転移門が開通する《街開き》からあまり日が経っていないからであろう。攻略のために日々戦っているプレイヤーの他にも、第一層突破の知らせを聞いて観光目的で転移しているプレイヤーだって多い、ということだ。

 

 そして、その人ごみの合間から見えるのは、三本ヅノのヘルメットをかぶった男が右手に持った抜身の片手用直剣であった。《圏内》故にいくらそれを振り回したところで誰もダメージは負わないものの(アイテムの耐久値は減少する可能性があるが)、絵面としては少々物騒ではある。

 

 しかし男は完全に頭に血が上っているようで、剣先を足元の石畳に叩き付けながら叫んだ。

 

「なんだよ4連続で失敗って! プラスゼロになるとかありえねーだろ! これならNPCにやらせたほうがマシじゃねーか! 責任とれよクソ鍛冶屋!」

 

 そしてその一方で、その罵倒を一身に受けたまま何も反論せずに困り顔でじっと立ってるのは、地味な茶色の革エプロンを装備した小柄な男性プレイヤーだった。見た目の感じでは、『ドワーフ』……いや、『ノーム』を連想させる。

 

 彼は《ベンターズ・カーペット》という、街中の路上で広げるとそこを簡易なプレイヤーショップにできる、駆け出し商人には必須のアイテムを広げていた。そして、彼の鉄床(アンビル)の上に載っているハンマー、固有名《アイアン・ハンマー》は鍛冶屋が使うものとしては、NPCが使う《ブロンズ・ハンマー》よりも要求熟練度が高い。つまり、彼はこの街にいるNPC鍛冶屋よりも熟練度の高い鍛冶屋であるはずだ。

 

 しかしこの状況は、そのステータスとはどうやら正反対の結果から生まれたようなのである。

 

「……なんなの、この騒ぎ」

 

 そこまで考えを巡らせたユウは、不意に後ろから聞こえた覚えのある声にビクリと反応し、キリトと共に顔をその主へと向けた。

 

 久しぶりに会った細剣使い(フェンサー)アスナは、やはりというかいつも通りの白いレザー・チェニックに薄い緑色のレザー・タイツ。胸には銀色のブラストプレートというアインクラッドには存在しないはずのエルフのような清冽とした装備とは対照的に、その頭には野暮ったい灰色のウールケープをかぶっていた。

 

 もっとも、それはやむを得ないことではある。もしも彼女がそれこそエルフかと見紛うような美貌を露わにしてしまったとしたら、周囲の観光客たちが放っておかないだろうからだ。

 

「やあ、アスナ。久しぶり……でもないか。2日ぶり」

「おう、アスナ」

「こんにちは、キリト君、ユウ君」

 

 所詮はアバター名であるから《君》づけをする必要は全くないのであるが、どうやら彼女曰くそこは譲れないものがあるらしい。そのくせ、キリトが呼び名を《アスナさん》に改めようとした時は「面倒だからいらない」とのことだ。

 

 妹に限らず女性心理とは難しいものだ、とユウは思いつつ、未だ騒ぎが収まらない鍛冶屋とプレイヤーを見ながら簡潔に状況を説明した。

 

「あの騒ぎはさ、あそこで喚き散らしている三本ヅノの人が自分の武器の強化を依頼したんだけど……4回も連続で失敗した結果、+4から+0になっちまったみたいなんだ。だからまあ、声を上げたくなるのも分からなくはないんだけどな……」

 

 ユウがぼやくように呟いた最後の言葉に、キリトも頷いて同意した。すると、アインクラッドの中で最も早く正確な女性細剣使い(フェンサー)は(ここに最も美人と付け加えたくなるが、男2人が自主的ハラスメントコードに抵触するので省いた)、ひょいと肩を上下させて言う。

 

「失敗の可能性があることは頼む方も承知しているはずでしょ。あの鍛冶屋さん、お店に武器の種類ごとの強化成功率一覧を張り出しているじゃない。しかも、失敗した時は強化用素材分のアイテムの実費だけで手数料は取らないって話よ」

「え、ほんと? そりゃ良心的だな……」

 

 確かに、とユウは多少の驚きと共にキリトの言葉に同意した。強化の時にはアイテム分の実費さえ取れれば、一見鍛冶屋にデメリットはないように見える。しかし、実際の所未だプレイヤー鍛冶屋が少ない上に、アイテムの収集には手間だってかかる。どう考えても、鍛冶屋にとっては損なのだ。

 

 最も、損だと言うのはもちろん強化に失敗した三本ヅノにも当てはまる。それは持ち込んだ素材アイテムが失われたり、あるいはその実費分のコルが失われたというだけではない。もっと重要なことがあるのだ。

 

「多分、最初の1回目で失敗したからさ。頭に血が上ったまま、立て続けに強化に挑戦しちゃったんじゃないかな……。おまけに、+4が+0になったということは、あの《アニールブレード》はもう2度と強化できないし」

「2度と? ……そうか、《強化試行上限数》ね」

 

 ユウの言葉にアスナが納得したように言った。

 

 キリトは、自分の背にある《アニールブレード》を指さしながら言う。

 

「《アニールブレード》の強化の上限数は8回。つまり、4回の強化と4回の失敗で使い切っちゃったんだ」

 

 そうなのだ。

 

 この世界においては武器に限らず、あらゆる強化可能な装備品には《強化試行上限数》が設定されている。”可能”ではなく”試行”、すなわち、失敗してもその数値は減少してしまうのだ。

 

 さらにいやらしいというか、強化の成功率は努力次第でプレイヤーの手で操作が可能なのだ。鍛冶師のスキル熟練度はもちろんのこと、強化に際して使用するアイテムを質的量的に奢れば奢るほど、その成功率が高くなるのである。

 

 ちなみに、一般的にプレイヤーの鍛冶屋は成功率7割を目安として強化依頼料を設定する。したがって、残りの3割を引き当てる可能性を避けたいのであれば、追加料金を払って添加材を大量に使用してもらえばその3割は2割、1割と減っていく。どんなに添加したところで99%を上回ることはないが、そこまでいけば失敗する人は(よほどの不幸の星の下に生まれていない限り)いない。

 

「……なるほどね。それはまあ……確かに、荒れる気持ちも少しは分かるわ。ほんの少し」

「まあ、頭に来たんだったら、追加で素材や料金を消費してでも成功させればよかった、とも言えるけどな。でも、いくらなんでも4回連続失敗は……」

 

 ユウがそこまで言った時、喚き続けていた男の声が途切れた。どうやら、彼の仲間が宥めようとしているらしい。

 

「……ほら、大丈夫だってリュフィオール。また今日からアニブレのクエスト手伝ってやるから」

「1週間頑張りゃ取れるんだからさ。今度こそ+8にしようぜ」

 

 仲間の言葉を受けたリュフィオール氏は、ようやく気が静まってきたらしい。肩を落としつつも、広場を後にしようとする。

 

 すると、罵倒を受けているときからリュフィオールが慰められている間までずっと沈黙で耐えてきた鍛冶屋の少年が、おずおずと声をかけた。

 

「あの……、ほんとに、すみませんでした。次は、ほんとに、ほんとに頑張りますんで……あ、もう、ウチに依頼するのはお嫌かもしれませんけど……」

 

 少年のその言葉に、男は彼を振り返って見ると、力のこもらない声で言った。

 

「……あんたのせいじゃねーよ。いろいろ言いまくって、悪かったな」

 

 だが、その後に鍛冶屋は彼に取引を持ち掛けた。+0になった《エンド品》の《アニールブレード》を、8000コルで買い取りたいと言ったのだ。その言葉に、リュフィオールたちだけでなく周囲の人間もざわめき立った。

 

 なぜなら、クエスト報酬である《アニールブレード》は約1万6000コルの値打ちがあるが、その半額と言っても《エンド品》の値打ちはさらにその半額の4000コルを下回るのである。

 

 その破格の申し出にユウたちが感心しているその目の前で、リュフィオールたちは顔を見合わせた後に頷いた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、今度は俺たちが強化に挑戦する番となるわけだが……」

 

 鍛冶屋の周囲から野次馬がいなくなった後。円形広場の反対側のベンチに3人が並んで腰を掛けたところで、ユウが話を切り出した。すると、アスナが口を開く。

 

「キリト君だけじゃなくて、ユウ君も強化の依頼に来たの?」

「ああ……ていうか、どうしてアスナがキリトの予定を知っているんだ?」

 

 その言葉に驚く2人であるが、彼女はキリトに呆れた表情と視線を向けると、解答を言った。

 

「一昨日の夜にマロメの街で会った時、東の岩山エリアで《レッド・スポテッド・ビートル》狩りしに行くって言ってたのよ。なら、片手剣用の強化素材集めに決まっているじゃない」

「お……おお」

 

 思わず感嘆の声を上げるキリトに、アスナは鋭い視線を送った。

 

「何? その反応」

「いや、ほんの4日前まで、パーティーメンバーの名前表示すら見つけられなかった人の言葉とは思えなくて……あ、ひ、皮肉じゃないよ。マジで感心したんだ」

 

 それって、素で馬鹿にしているってことじゃないか? とユウは思ったが、口には出さずに心の中にしまう。すると、アスナは微妙な表情ながらもやや語調を和らげた。

 

「最近、いろいろ勉強しているから」

 

 その言葉に、キリトの表情も明るくなった。

 

「そうか、うん、そりゃいいことだ。MMO世界じゃ、知識があるのとないのとじゃ何をやるにも結果が全然違うからな。知りたいことがあったら何でも訊いてくれよ、なんせ俺は元テスターだからな、10層までなら全街の商品ラインナップからMobの鳴き声までバッチリ網羅……」

「キリト!」

 

 ユウは極力大声を出さないように、しかし強い口調で彼の言葉を遮った。

 

「キリトが何を思っているのか、どんなことを感じているのかは知らない。だけどな、俺とたいして年の変わらないお前が、元ベータテスター何百人の罪とその責任を負おうだなんて、考えるんじゃない。そもそもが、あれは筋違いなんだからな。それに……俺やアスナの意志だって尊重してもらいたいもんだ」

「そうよ。あなたがやった無茶に関しては、あなたの決めた選択だからわたしは何も言わないわ。でも、それならわたしたちの選択だって尊重してよね。他人に何を言われようと、わたしにとってはどうでもいいこと。あなた友……仲間だと思われるのが嫌なら、最初から声かけたりなんかしないわ」

 

 彼に続くアスナの言葉に、キリトは「……まいったな。全部お見通しか」と呟く。降参、とばかりに軽く両手を上げるキリトを見て微笑む彼女は続けた。

 

「あなたがアインクラッドのプロなら、ずっと女子校育ちのわたしは心理戦のプロよ。アバターの顔色読むことくらい朝飯前だわ」

「そ……それはお見逸れしました……」

「だから、そろそろ教えなさいよ、あなたたちが武器強化をためらっている理由。実は、わたしも今日、あの鍛冶屋さんにこの剣の強化お願いしようと思って来たのよね」

「「え……」」

 

 その言葉に、キリトとユウが彼女の腰に差されている象牙色の鞘に納められた細剣を見る。緑色の鍔を持つ《ウインドフルーレ》は、強化を重ねれば3層の中盤まで使えるほどのレアアイテムであるらしいが……。

 

「それ、今+4だっけ?」

 

 キリトの言葉に、アスナが頷く。

 

「強化素材はどうするんだ?」

「えーと……《プランク・オブ・スチール》が4個と、《ニードル・オブ・ウインドスワプ》が12個」

「けっこうあるな。でも……+5の成功率は8割ちょっとか」

 

 ユウはそう言って首をひねった。すると、アスナは首を傾げて言う。

 

「賭けるには十分な数値じゃないの?」

「まあ、普通はそうなんだけど……さっきの一幕見ちゃうとなあ……」

 

 キリトも同じように首をひねっていた。

 

 確かに、純粋な確率で言えば8割強というのは十分に高い。しかし、先ほどの光景を見ると(もしも失敗してしまったら……)と思わずにはいられないのだ。

 

 だが、アスナは2人が先ほどから見つめている鍛冶屋を一瞥してから言った。

 

「コインの表が出る確率は、1回前の結果に関わらず常に50パーセントよ」

「いやまあ、俺たちだって頭では理解しているんだよ。この『嫌な流れ』には何の根拠もないってことぐらいさ」

 

 ユウはそう言ってため息をつく。

 

「なあ、アスナ」

 

 すると、キリトは体ごと横に向き直り、非常に真剣な声色と表情で言った。

 

「な……何よ?」

「成功率8割より9割の方が好きだよな」

「……それはまあ、そうだけど」

「9割より9割5分の方が好きだよな」

「……それもまあ、そうだけど」

「なら、妥協は良くないと思うんだ。どうせそこまで素材を集めたんだったら、もう一頑張りして9割5分を目指すべきじゃないだろうか」

 

 つまり、成功率を最大限にするために、《ニードル・オブ・ウインドスワプ》をさらに8個集めた方が良い、とキリトはアスナに言っているのである。

 

 すると、美貌のレイピア使いはとても胡散臭そうな表情でしばらくキリトの顔を見つめた後、不意に何かを思いついたように長いまつげをゆっくりとしばたたかせた。

 

 ――なんだか、キリトが墓穴を掘った気がする。

 

 そんなことを感じたユウは、彼らが話に夢中になっている間にそっとその場を離れる。そして、スキルスロットが4つに増えたことで身に着けるようになった《隠蔽(ハイディング)》スキルを、近くにある建物の壁に身を寄せることで発動した。

 

 そして、彼はその言葉を聞いた。

 

「ええ、確かにわたし、妥協は嫌いだわ。でも、口だけ出して体を動かさない人も同じくらい嫌い」

「……え?」

「そこまで言うからには、わたしが完璧を追及するのを手伝ってくれるんでしょうね、キリト君」

 

 こんな感じで、キリトはドロップ率わずか8パーセントの《ニードル・オブ・ウインドスワプ》集めに強制参加させられることとなったのだ。

 

 

 

 

 

「ユウの裏切り者ー!」という叫びを聞きながらアスナがキリトを伴って去って行った後の広場。そこにユウは佇んでいた。

 

 先ほども言ったように、彼の目的もまた、愛剣《スタウトブランド》の強化なのである。現在+4(2(鋭さ)(丈夫さ))であるそれを丈夫さにおいて強化するために今まで素材集めをしてきたのだ。

 

(――試すべきか、試さざるべきか。それが問題だ)

 

 シェークスピアの有名な台詞を頭の中で反芻しながら、彼は悩んでいた。

 

(どちらにせよ強化自体はいずれしなければならない。そして、プレイヤー鍛冶屋のほうがNPCよりも腕前が良いっていうのは分かっているんだけど……ああ、くそ。これなら気分転換にあいつらについて行けば良かったかな……)

 

 頭の中をぐるぐると回しながらユウは片手剣を手に悩む。

 

「う~ん……よし!」

 

 やっとのことで心を決めた彼は、迷いを振り切るように速足で鍛冶屋の下へと向かって行った。そして、《Nezha's Smith Shop》と書かれた看板の前で足を止める。

 

(Nezha……って、確か……哪吒(ナタク)? ずいぶんとマイナーな勇者の名前だな……)

 

 彼は妹と一緒に読んだ『西遊記』を思い出しながら、そんなことを思った。

 

 哪吒。ナタだとかナタ太子などと呼ばれることもあるが、蓮の花や葉の形の衣服を身に着け、円環状の投擲武器や魔力を秘めた布、火を放つ槍などの武器を持ち、二個の車輪の形をした火と風を放ちながら空を飛ぶ乗り物に乗って戦う。『封神演義』や『西遊記』などの民話や小説などでなじみ深く、道教寺院でもこのような姿で表される。

 

 なお、ユウは彼のことを勇者といったが、厳密には少年神である。彼にしても英単語を覚えていたのは、本のイラストに乗っていたその単語だけが読めなかったため、その時辞書で調べたから、という事情があった。


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