ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~ 作:nozomu7
うわああああ、というような叫び声――あるいは悲鳴がボス部屋を満たした。
レイドメンバーの全員が目を見開き、あるいは縋るように武器を握りしめている。誰もが何の行動も起こせなくなっていた。
リーダーの喪失……いや、死。
それが、彼らの心を打ち砕いている。
普通に考えれば、『ボスの使う武器とスキルが事前情報と異なっている』『リーダー喪失』という大きなアクシデントが2つもあったのだから、今すぐにでも撤退をするべきなのであろう。だが、キリトが真っ先に逃げようとしないことを、ユウは察していた。
恐らく、彼はあのカタナスキルを知っている。そして、その知識とベータテストの経験を踏まえたうえで、すでに安全な撤退は不可能だと分かっているのだ。
そして何より、多くの死者――それもレイドリーダーを含む死者を出してのボス攻略失敗などが知られれば、もう二度と人々が攻略に挑まないようにすることが考えられる。それはすなわち、この世界から脱出するための明確な方法である『アインクラッド完全攻略』への道が完全に閉ざされることに他ならない。
しかし、ここまでしてデスゲームを実行した茅場晶彦は、外部からの介入を徹底的に妨害するだろう。そうなれば、数年などでは外部からの助けなど望めない。デスゲームそのものに失敗した生存者8000人は、仮想世界の戦士ではなく虜囚として、何らかの『結末』が訪れるまで第1層に閉じ込められることになる……。
そんなことを考えたユウの思考を、2つの音が遮った。
1つは、スキル後硬直から脱した獣人の王が、再び動き出した音。そしてもう1つは、キリトのすぐ横で膝をついて呆然と失われた騎士の名を呟いているキバオウの声だ。
「なんで……なんでや。ディアベルはん……リーダーのあんたが、何で最初に……」
そこで、キリトが何かの言葉を言おうとして呑み込んだのを見た。
恐らくは、ディアベルの最後の突撃、それには何か別の意味があったのだろう。あるいは、彼はユウの疑惑通りベータテスターで、LAを無理に狙ったことをキリトに死に際に白状した……のかもしれない。
しかし、キリトは代わりにこう言った。
「へたっている場合か!」
その言葉に、おなじみの敵意がキバオウの眼にかすかに湧いた。
「……な……なんやと?」
「E隊のリーダーのあんたが腑抜けていたら、仲間が死ぬぞ! いいか、センチネルはまだ追加で湧く可能性が……いや、きっと湧く。そいつらの処理はあんたがするんだ!」
「……なら、ジブンはどうすんねん。1人とっとと逃げようちゅうんか!?」
「そんな訳あるか。決まってんだろ……」
キリトは、その右手の剣をがしゃりと鳴らして握りしめると、未だ立ち上がらないキバオウに対して言い放った。
「――ボスのLAを取りに行くんだよ」
恐らく、それが彼が最期に残した言葉。自分の死を感じ取っても、ディアベルが最期に臨んだのは『撤退』ではなく『血戦』だった。
キリトのその一言で、ユウは理解した。そして、覚悟を決めた。
「俺を忘れてもらっちゃ困るぜ、キリト」
キリトと同じように、彼も己の剣《スタウトブランド+4》を握り直すと彼の隣に並んだ。すると、キリトが隣に立つ少女の方を振り向いたタイミングで、しかし先にアスナの声が発せられる。
「わたしも行く。パーティーの仲間だから」
その決意のこもった言葉に、彼は反論しなかった。
「……分かった、2人とも頼む」
3人足並みをそろえて、広間の奥に向かって走り出す。怒号と悲鳴が絶え間なく響くその先では、前衛たちが死人こそないものの、そのHPを半減させていた。リーダーを失ったC隊に至っては2割を下回っており、このままでは明らかに危ない。恐怖心から逃げ惑うだけのプレイヤーもいて、そもそも戦闘にすらなっていなかった。
だが、そのパニックを一瞬にして沈めたのはキリトの言葉でもユウの行動でもなかった。
アスナが、今まで一度も手放したことのなかった、激しくはためくフーデッドケープを邪魔そうに掴むと、一気にその体から引きはがしたのだ。
今まで隠されていたその顔。その艶やかな栗色のロングヘアが部屋の松明の光を受けて煌めき、そしてボス部屋のうす闇を明るく照らした。懸命に武器を振るっていたプレイヤーも、あるいはただ混乱の中で逃げ惑っていたプレイヤーすら、その場にいた誰もがその凄絶なる美しさに目を奪われ沈黙した。
その時、キリトの張り裂けんばかりの声がボス部屋に響いた。
「全員、出口方向に10歩下がれ! ボスを囲まなければ、範囲攻撃は来ない!」
キリトの指示に、混乱から立ち直った人々が一斉に3人の横を後ろへと駆けて行く。当然ながら、コボルトの王もそのプレイヤーたちにとどめを刺すべく、体の向きを変えた。
3人と1匹が、正面から対峙する。
「アスナ、ユウ、手順はセンチネルと同じだ! ……行くぞ!」
名前を呼ばれた美貌の少女はちらりとキリトの方を見たが、しかしすぐに視線を前方にもどした。
「解った!」
「了解!」
前方では、コボルト王が今まで両手で握っていた野太刀を右手1本で握り、左の腰だめに添えて居合の構えを見せた。それを確認したキリトが、その体を倒れんばかりに前傾させて剣を構える。
「う……おおっ!」
その次の瞬間、ボスの《辻風》とキリトの《レイジスパイク》が衝突した。剣技相殺時の衝撃で、互いに2メートル以上ものノックバックを引き起こす。
その生まれた隙を、2人は見逃さない。
「セアアッ!」
「おらあっ!」
アスナの《リニアー》とユウの《レイジスパイク》が、コボルト王の腹を左右から攻撃する。4段目のHPゲージが、はっきりと減少をみせた。
「……次、来るぞ!」
キリトがソードスキルを発動し、ボスのカタナスキルと相殺する。彼はただソードスキルを発動しているというだけでなく、威力を増強するために発動時に意図的に体を動かし、その威力をブーストしているようだ。
しかし、その手のシステム外スキルは、ハマれば強力な反面失敗した場合のリスクも大きい。実際、ユウは練習をしているものの、《スラント》などの一部のスキルを除けば、未だに成功率が心もとないのだ。そのため、ユウは今のところ、実戦においてはある程度の余裕のない限り使用していない。
しかし、15回目か16回目にキリトのそれが途切れた。
「しまっ……!」
「あっ……!」
彼は毒づいたが、すでに上段から振り下ろすかのように思えたボスの野太刀がくるりと反転し、下からキリトを切り上げた。同じモーションから上下ランダムに発動する技《幻月》が、彼の予想の軌道を外れたのだ。
一撃で彼のHPが3割以上も減った。
「くそ!」
ユウは《バーチカル》をコボルト王に繰り出すが、しかしタゲはそのまま移動せず、高く掲げられた野太刀が血の色のライトエフェクトを帯びた。あれは、先ほどディアベルにとどめを刺した技《緋扇》。アスナが突進を敢行するが、間に合わない。
「ぬ……おおおっ!」
キリト! とユウが叫ぶよりも先に、太い雄たけびと共にアスナの頭上を巨大な武器が緑色の光を纏って通り過ぎて行った。エギルの放った両手斧スキル《ワールウィンド》がボスの野太刀と衝突する。ボス部屋全体に走るような衝撃が生まれ、コボルト王が大きくノックバックをするが、エギルは数歩下がっただけで踏ん張った。
彼は振り返り、床に跪いたままコートのポケットを探るキリトを見ると、にやりと笑う。
「あんたがPOT飲み終えるまで、俺たちが支える。ダメージディーラーにいつまでも
「……すまん、頼む」
エギルのB隊を中心として、回復を済ませたものたちが復帰してきたようだ。そのことを確認したキリトが、大声で叫ぶ。
「ボスを後ろまで囲むと全方位攻撃が来るぞ!」
キリトがボスの動きを見て指示を出し、それに合わせてエギルたちがガードをするという行動をしばらく繰り返す。そして、ボスの
もちろん、2人ばかりがダメージを与え続けているだけでは、コボルト王が彼らを集中攻撃してしまう。したがって、壁役のエギルたちが《
要素のどれか1つでも破綻すれば、その瞬間崩壊する危うい戦闘。それを5分近く続けたあとに、ようやくボスのHPが残り3割を下回り、最後のゲージが赤く染まった。
だが、その瞬間、一瞬気が緩んだのか壁役の1人が足をもつれさせた。何とか転ぶことなく踏みとどまったが、しかしその場所はボスの後ろだった。
ボスが跳び上がり、全方位攻撃《旋車》を発動しようとする。
「「う……おおああッ!」」
キリトとユウが、ほぼ同時に床を蹴りだした。2人の体が斜め上空へと砲弾のように飛び出す。上空へと軌道を向けられる片手剣突進技《ソニックリープ》だ。
鮮やかな二筋の黄緑色の閃光がアーチを描き、ソードスキル発動寸前のインファングの左腰をとらえた。クリティカルヒット特有の小気味良い音と激しいライトエフェクトが発生する。
そして次の瞬間、ボスの巨体はバランスを失って無防備な状態で背中から床へと叩き付けられた。
「ぐるうっ!」
手足をばたつかせるが、なかなか起き上がれない。人形モンスター特有のバッドステータス《
「全員――
「お……オオオオ!」
今までずっと壁をしてきたエギルたちが、これまでの鬱憤を爆発させるように叫んだ。斧、メイス、ハンマーなどの武器が、無防備なボスに向かって次々と振り下ろされる。
だが、彼らが次のソードスキルを発動するよりも前に、コボルト王が立ち上がった。それを見たユウは、すぐに頼れるパーティーに向かって叫ぶ。
「キリト、アスナ、行くぞ!」
「「了解!」」
打てば響く答えに、ユウもキリトも思わず頬をほころばせた。
前方では、エギルたちが再びソードスキルを発動したところであった。しかし、その攻撃を喰らっても、獣人の王はそのまま起き上がる。そして、そのまま先ほどと同じような垂直ジャンプのモーションに入った。
このままでは、ボスの《旋車》によって全員が切り倒されてしまう。しかし、それよりも前に3人がボスに向かって肉迫した。
「行っ……けえッ!」
3人が床から思い切り跳び上がる。
まず、男2人よりも先にアスナの渾身の《リニアー》がボスの左脇腹に命中した。その後に続けて、ユウの《バーチカル》が、敵の右脇腹を切り裂く。
そして、キリトの剣がボスの右肩から腹までを切り裂いた。
残りHP、1ドット。
「お……おおおおおっ!」
次の瞬間、キリトの渾身の叫びと共にその剣が跳ね上がられた。V字を描くように放たれたのは、片手剣2連撃技《バーチカル・アーク》。
HPを失ったボスは叫びをあげた後にその野太刀を手放す。そして、ついにその体を青いガラス片に変えて四散させた。
後方で暴れていたセンチネルたちは、ボスの消滅と共に消え去ったようだった。
そのことをユウが確認した時、部屋の中の色が変わった。松明の炎の色が、暗いオレンジから明るいイエローへとその色彩を変えた。
それまでのうす闇が明るい光に照らされて行く中で、しかしその静寂を破ろうとするものはいなかった。最後方のE・G隊は立ったまま、中陣のA・C・D・F隊は片膝立ちの状態で、そしてエギルのB隊を主にする《最後の壁》たちは床に座り込み、周囲を見渡していた。
誰もが、攻略成功への期待と、そして『ベータテストとのちょっとした違い』の発生に対する警戒を深めて行った。
しかしその時、アスナの白い手がキリトの右腕にそっと触れると、構えていた剣を降ろさせた。栗色のロングヘアを微風に揺らすその美貌をキリトは呆然と見つめていたが、彼女は嫌な顔一つせずにその視線を受け止めた後で、言った。
「お疲れ様」
その言葉に、キリトだけでなく周りでその様子を見ていたユウやエギルたちもまた、ボス攻略の終わりを確信した。すると、次の瞬間新たなメッセージたちがレイド全員の視界に映り込んできた。
獲得経験値。分配されたコルの額。
それを見たレイドメンバーたちは、その表情を胸がはち切れそうな様々な思いで歪めた。そして一瞬の溜めの後で、わっ! と歓声が弾ける。
「よっしゃあああああ!」
ユウも、思う存分に叫び、そして周囲の人間と抱き合い、肩を背中を(相手のHPが減らない範囲で)叩き、拳を合わせ、仲間と健闘をたたえ合い、勝利の喜びを分かち合う。
そして彼らと離れて未だにその場から動こうとしないキリトの下へ向かうと、そこではエギルが彼に話しかけようとするところであった。
「……見事な指揮だったぞ。そしてそれ以上に見事な剣技だった。コングラチュレーション、この勝利はあんたのものだ」
途中の英単語を見事な発音で言ってのけた巨漢は、にっと笑ってキリトに拳を差し出す。そして、キリトは褒められることに慣れていないのか「いや……」と口ごもっていたが、それでも拳を合わせようとその右手を持ち上げた。
だが、その時だった。
「――なんでだよ!」
泣き叫ぶようなその叫びが、ボス部屋を再び静寂の中に引き戻した。全員が一斉に声の主に振り返ると、そこにいたのは軽鎧姿のシミター使いの男だった。名前は……確か、リンドとか呼ばれていたような、とユウは思い出す。
「――なんで、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!」
この男はC隊、すなわちディアベルがボス攻略を始める以前からの仲間の1人であった。ユウが視線をその男の周囲へ走らせると、他のメンバー4人もまた顔をくしゃくしゃに歪め、中には泣いている者もいた。
「見殺し……?」
キリトが、訳が分からないといった様子で呟く。意味が分からないのは、ユウもまた一緒だった。しかし、その男は続けて言う。
「そうだろ! だってアンタは、ボスが使う技を知っていたじゃないか! アンタが最初からあの情報をつたていれば、ディアベルさんは死なずに済んだんだ!」
その言葉に、レイド全体でざわめきが起こる。
そして、その直後。キバオウの指揮していたE隊の中の1人がキリトの近くまで走ると、右手の人差指を突きつけて叫んだ。
「オレ……オレ知ってる! こいつは元ベータテスターだ! だから、ボスの攻撃パターンとか、旨いクエとか狩場とか、全部知ってるんだ! 知ってて隠してるんだ!」
その言葉に、しかし驚く人間は少なかった。恐らく、彼が初見のはずのカタナスキルを見切った時点で、ベータテスターであることはばれたと悟っていたのだろう。
すると、憎々しげな表情をするシミター使いが再び何か叫ぼうとする前に、エギルと共に最後の壁を務めたメイス使いが律儀に右手を上げてから発言した。
「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはベータ時代の情報だ、って書いてあったろ? 彼が本当に元テスターなら、むしろ知識はあの攻略本と同じじゃないのか?」
「そ、それは……」
E隊メンバーが押し黙ったことを見て安堵のため息をつきかけたユウであったが、シミター使いは依然として憎悪あふれる一言を口にした。
「あの攻略本が嘘だったんだ。あのアルゴって情報屋だって元ベータテスターなんだから、タダで本当のことなんか教えるわけなかったんだ」
その言葉を聞いたキリトは、苦い表情で沈黙している。そして、その様子を見たユウは、背後にいたエギルとアスナの声と同時に言葉を発した。
「おい、お前……」
「あなたね……」
「テメエ、さっきから……」
しかし、その言葉の先が紡がれることはなかった。キリトが3人を両手の微妙な動きで制したからだ。彼は、ふてぶてしい表情をつくると肩を竦め、冷ややかな表情でシミター使いを見つめて無感情な声で告げる。
「元ベータテスター、だって? ……俺を、あんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな」
その一言で、場の空気が凍り付いたような錯覚をユウは覚えた。
「な……なんだと……?」
「いいか、よく思い出せよ。SAOのクローズド・ベータテストはとんでもない倍率の抽選だったんだぜ。受かった1000人のうち、本物のMMOゲーマーが何人いたと思う。ほとんどはレベリングのやり方も知らない
彼の言葉を、43人のプレイヤーたちは黙り込んで聞いている。
「俺はベータテスト中に誰も到達できなかった層まで上った! ボスのカタナスキルを知っていたのは、ずっと上の層でカタナスキルを使うMobと散々戦ったからだ。他にもいろいろ知ってるぜ。アルゴなんか、問題にならないくらいにな」
彼の言葉に対し、全員が騒ぎ出した。その内、ベーターとチーターという音が混じり合い《ビーター》という単語が生まれる。
「……いい呼び名だな、それ。そうだ、俺は《ビーター》だ。これからは、もう二度と元テスター如きと一緒にしないでくれ」
キリトは最後にそう言うと、ボスのLAなのであろう黒いロングコート、《コート・オブ・ミッドナイト》を装着した。そして、彼は裏切り者の黒いコートを翻してボス部屋の奥にある扉へと向かって行く。
「2層の転移門は俺が
エギルとアスナは、そう言い放つ彼を、何もかも分かっている、という表情で見送っていた。それが、最善の選択肢なのかどうか――ユウは一瞬判断に困ったが、それでも自分なりの行動をとることにした。
「キリト!」
彼は、叫ぶ。あまり大声ではなかったが、静まったボス部屋の中にその声はよく通った。
誰もが、驚いたようにユウに注目する。しかし、彼はそれに臆することなく言葉を続けた。
「テメエ、後でじっくり説教してやるから、2層で待っていろよ! 俺が納得するまでじっくり話を聞かせてもらうからな!」
その言葉にキリトは目を見開いていたが、わずかに口元をほころばせると、ボス部屋奥の扉を開き、その奥へと踏み出して行った。すると、アスナがその後を追おうとする。
しかし、それをエギルとキバオウが呼び止めた。彼らはしばらく話していたが、最終的に彼女に伝言を託すと引き下がり、再び少女は扉へと向かい、そしてその奥へと消えた。
「さて、と」
先ほどのやりとりのせいか、何人かのプレイヤーがユウを注視している。だが、彼はその視線を気にせずにボス部屋を入り口の扉から飛び出して行った。
目指すのは、《トールバーナ》の街にある転移門。何よりもまず先に、第2層で友人を捕まえるために、ユウは走り出した。