ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~   作:nozomu7

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泥棒の王

 その後、キリトとリーファは《決闘(デュエル)》を行い、無事に和解した。

 

「えーっと、ど…どうなってるの?」

 

 後からやってきたレコンが、疑問を浮かべる。それに対して、リーファはさも当然であるかのように言った。

 

「世界樹を攻略するのよ。あたしたち5人とあんたを合わせた6人で」

「そ、そう……って……ええ!?」

 

 レコンは大きな声を上げる。

 

 無理もないことだ。数々の種族がレイド単位で挑戦して幾度も敗北したグランドクエストに、ワンパーティーに満たない人数で挑戦しようとしているのだから。

 

「ユイ、あのガーディアンとの戦闘で、何か分かったか?」

 

 キリトの声に、その胸ポケットからユイが姿を現す。

 

「ステータス的にはさほどの強さではありませんが、出現数が多すぎます。あれでは攻略不可能な難易度に設定されているとしか思えません」

「確かに、一体単位ではとても弱かったんですけれどね……広範囲を一気に殲滅できる魔法ってないんですか?」

 

 シリカの言葉に、リーファは首を横に振った。

 

「なくはないけど、それは自爆魔法とか、あるいは高い火属性系魔法スキルを持つ人だけね。少なくとも、私達じゃ無理よ」

「つまり、総体では、絶対無敵の巨大ボスと一緒ってことだな……」

「でも、パパたちのスキル熟練度があれば瞬間的な突破は可能かもしれません」

 

 ユイの言葉にキリトは頷いた。

 

「皆、すまない。もう1度だけ、俺のわがままに付き合ってくれないか?」

 

 キリトの言葉に、全員が頷いた。

 

「最初から、そのつもりですよ」

「お兄ちゃんを、取り戻すからね!」

「そうね。今度こそ」

「あたしに出来ることなら何でもする。それとこいつもね!」

 

 リーファがレコンの肩を肘で突いた。

 

「ええ~……。まあ、僕とリーファちゃんは一心同体だし」

「調子のんな!」

 

 レコンの言葉にリーファがツッコミを入れ、全員が笑った。

 

 全員が円陣を組む。中央に手を重ねる。その上に、妖精の姿をしたユイが乗った。

 

「ありがとう、みんな。ガーディアンは俺とシリカ、ユウキとランで引き受ける。リーファとレコンは、後方から俺たちをヒールしてくれ。後方からのヒールだけなら襲われる心配はないからな」

 

 キリトの指示に全員が力強く頷く。

 

「よし、行くぞ!」

『おーっ!』

 

 彼らは再び扉を開ける。

 

 4人が飛んでいくと、一斉にガーディアンが現れたが、その全てが次々と斬り捨てられていく。

 

「すごい……」

 

 その戦闘に、思わずレコンが呟いた。

 

「ユウキとランの《絶速剣》は言わずもがな、シリカちゃんは、あのユージーン将軍を倒すほどの腕前を持っているわ……」

「ええ!?」

 

 ケットシーではかなりの腕前だとは思っていたが、まさか自分よりも年下であろう少女が、ALO最強を倒したというのだから、レコンの衝撃はすさまじかった。

 

「シリカちゃんが言うには、キリトくんはそれ以上、あれでもまだ本気を出していないって話よ……なんでも、本領は二刀流だって」

「ええー……あれってすごく難しいよね?」

 

 レコンは、疑わしい視線を向けた。

 

 しかし、この塔は彼らにそれ以上の余裕を与えてはくれなかった。ガーディアンは、頂上を目指す4人だけではなく、その後ろでヒールに徹している2人にも向かって来たのだ。

 

「嘘!? これじゃあ、前衛と後衛に分けた意味がないじゃない!」

 

 リーファとレコンは剣を抜くが、大量の守護騎士たちのせいでヒールし続けることが不可能になってしまう。

 

「レコン!」

 

 リーファが叫ぶ。

 

 その声にシリカが振り返ると、レコンは頂上目指して一直線に飛んで行った。

 

「あの子……自爆するつもりだわ!」

 

 ランが叫び、そしてついに現れた《竜人シグルズ》こと、ユウへユウキと共に突撃する。

 

「シリカちゃん、キリト君と頂上を目指して!」

「お兄ちゃんは、ボクと姉ちゃんでなんとか抑えるから!」

「……はい!」

 

 純粋な実力で言えばユウの方がはるかに格上だった。しかし、ランとユウキは双子ならではの阿吽の呼吸、巧みな連携攻撃によって彼を足止めする。

 

「バカ、相当なデスペナルティ―があるはずなのに……」

 

 リーファが、リメインライトと化したレコンを見て呟く。その先に見えた光へと向かってキリトとシリカが突撃する。

 

(間に合って……!)

 

 全速力で2人は守護騎士の間を飛び去って行く。しかし、その光は守護騎士によって、再び隠されようとしていた。

 

 その時。

 

 わぁぁああああ……!

 

 妖精。妖精。妖精。

 

 大量のシルフと、飛竜に乗ったケットシーの部隊が、塔の入り口から押し寄せる。

 

「すごい……」

 

 リーファの周囲にいた守護騎士たちが、次々と切り捨てられていく。

 

「すまない。装備を整えるのに少々時間がかかってしまった」

「虎の子のドラグーン部隊も出陣だよ!」

 

 領主のサクヤとアリシャが、リーファの元へとやって来た。

 

「サクヤ、《竜人シグルズ》は《絶速剣》の2人が抑えていてくれるわ。守護騎士たちの方に集中して、今は」

「分かった。とにかく、あのスプリガンとケットシーの2人を行かせればいいんだな?」

 

 彼女の言葉に、サクヤは快く頷いてくれた。

 

「ドラグーン隊、ブレス攻撃用――意!」

「シルフ隊、エクストラアタック用意!」

「ファイヤブレス、撃て――ッ!」

「フェンリルストーム、放てッ!」

 

 飛竜がその口から炎を吐いて敵を焼き尽くし、シルフの剣先から出た風の槍が、ガーディアンを貫く。

 

「全軍……突撃!」

 

 二種族の精鋭たちによって、一気にガーディアンがその数を減らしていく。ここに来て、数の暴力によって支配されていた塔の中の勢力図が逆転した。

 

 2人で戦っているシグルズに対しても、徐々に魔法での援護が入るようになる。

 

「……っ!」

 

 すると、彼は戦闘から離脱し、頂上を目指すキリトとシリカを追いかけはじめた。

 

「お兄ちゃん!」

「行かせないわ!」

 

 2人は全力で追いかけるが、恐らくは元からの基礎ステータスが違うのであろう。全力で飛んでも、その速さは追いつかない。

 

「リーファさん、剣をキリトさんに!」

 

 シリカが叫び、リーファは反射的にその声に応えていた。自分が腰に差していた太刀を、全力で彼に向かって投げる。

 

 キリトはそれを掴むと、これまで以上の高速の剣閃で、周囲の守護騎士を両断した。

 

「すごい……」

 

 これが、兄が隠していた切り札だったのだろうか。

 

「ユウ、悪いが先に行くぞ!」

 

 暴力的なまでの腕力で振り抜かれる大剣を、キリトはいなし、そして彼に向かって2本の剣で突撃する。二刀流重突進技《ダブルサーキュラー》だ。

 

 その衝撃で、初めて《竜人シグルズ》は後退する。そして、その後ろから絶速の剣閃が次々と繰り出された。

 

「キリトさん、シリカさん、行って!」

「お兄ちゃんは、ボクたちが引き受けるから!」

 

 その言葉に押され、2人は飛び出した。

 

 雄たけびを上げ、大量のガーディアンで埋め尽くされ壁のようになったその天井を、一気に突き抜ける。

 

 そしてその壁が途切れたその瞬間、突然キリトの剣先が頂上に衝突した。ゲートだ。シリカは上と下が逆さまになったような奇妙な感覚に襲われた。

 

 すると……いつまで経っても、ゲートが開かないことに気が付く。

 

「どういうことだ? ユイ!」

「はい!」

 

 キリトの言葉に、彼の胸ポケットからユイが現れてゲートに触れた。

 

「これは、クエストフラグによってロックされてるものではありません! システム管理者権限によるものです!」

 

「ど、どういうことですか!?」

「つまり、この扉はプレイヤーに絶対に開けられないということです!」

 

 嘘……とシリカの声が周囲に響く。

 

 つまりグランドクエストなど、初めから用意されていなかった、ということだ。《光妖精族(アルフ)》への転生など、そもそも存在しなかった。

 

 あまりにも酷すぎる。

 

 このゲームのそもそもが、須郷が結城明日奈を幽閉するための世界でしかなかった、ということの証明のようであった。

 

 次第に、周囲に大量の守護騎士が降りてきた。2人は前後の道を完全に塞がれた形だ。

 

「キリトさん」

「分かってる。ユイ、これを使え!」

 

 キリトはポケットから1枚のカードを取り出した。

 

 この妖精の世界には似つかわしくないそれは、システム管理用のアクセスコードだ。

 

「コードを転写します!」

 

 ユイがそれに触れると、しばらくしてゲートが開き始める。

 

「転送されます、捕まってください!」

 

 彼女がそう言った直後、守護騎士をかき分けて3対の妖精が舞い降りた。

 

 激しく剣を打ち鳴らしているのは、《竜人シグルズ》と《絶速剣》ラン&ユウキのコンビだ。

 

「ランさん、ユウキさん!」

「シリカさん、危ない!」

 

 シグルズがその魔剣《フロッティ》をシリカに向け、それを2人が庇うようにして受ける。奇しくも、その3人の体がシリカに触れたその瞬間、転送は行われた。

 

 

 

 

 

 彼らの意識が戻った時、そこは白一面で覆われた通路の中であった。

 

「パパ、シリカさん、ランさん、ユウキさん、大丈夫ですか?」

 

 ユイの言葉に頷く。彼女の姿は小さな妖精から、SAOのときと同じ10歳程度の少女の姿へと変化していた。

 

「ああ……大丈夫」

「はい」

 

 キリト、シリカに続いて、ランとユウキも体を起こした。

 

「あ、あれ? ユイと一緒に転送されたのは、俺とシリカだけじゃなかったのか……?」

 

 キリトが双子姉妹の姿を見て、目を丸くしていた。どうやら、最後の一瞬でシリカに衝突していたのは見ていなかったらしい。

 

「ユイ、ここは?」

「わかりません……マップ情報がないようで」

「アスナさんの場所は分かる?」

「はい、かなり……かなり近いです。あ、こっちです!」

 

 キリトの言葉に悔しそうになった彼女であったが、それでもランの言葉にすぐに本来の目的を思い出す。

 

 ユイの後について行くと、しばらくしてユイが1つの壁の前で止まった。彼女がその壁に触れると、その壁が消滅して、彼らは新たな通路へと出る。

 

 そして、その奥へ行き再び壁を取り払うと、そこは空の上であった。

 

 ALOプレイヤーの誰もが憧れた、《世界樹》の頂上。

 

 そこには、空中都市など存在してはいなかった。

 

「そんな……」

「こんなの、酷すぎます……」

 

 ユウキとシリカが衝撃の声を上げる。

 

 1年以上もの長い間、ALO全プレイヤーを騙してきたのだ。

 

「皆さん、行きましょう」

「ああ」

 

 それでも、ユイの言葉で気を取り直し、枝の中央にある小道を走る。

 

 しばらく走って行くと、その先には鳥かごがあった。現実世界の《ダイシー・カフェ》でエギルに見せられた、あの写真にあるものと同じだ。

 

 そして、その中に1人の女性がいた。

 

 長い、艶やかな栗色の髪。

 

 その美貌のエルフは間違いなく……

 

「ママ!」

 

 ユイが真っ先に、その女性に声をかけた。その声に反応し、彼女も顔を上げる。

 

「ママ!」

 

 その顔は多少変更が加えられてはいるが、間違いなくアスナのものだった。

 

「ユイちゃん!」

 

 ユイは鳥かごの入り口を取り払うと、自分の母親へ飛びついた。

 

「アスナ……」

「キリト君……」

 

 キリトも、再会を噛みしめるようにゆっくりと彼女へ歩み寄り、そして抱きしめた。

 

「ごめん、遅くなった」

「ううん……信じてた。きっと助けに来てくれるって」

 

 キリトの謝罪に、アスナは綺麗な笑顔で答えた。その後、彼女はキリトの後ろにいる3人へ視線を向ける。

 

「シリカちゃん、だよね。あと、そちらの2人は?」

「アスナさん、はじめまして。ユウの妹の、ランです」

「双子の妹の、ユウキです!」

 

 その言葉を聞いて、アスナは驚いたような表情になった。

 

「ユウ君の、妹……」

「はい。あと、ここにはいませんが、キリトさんの妹も協力してくれたんですよ?」

 

 シリカが笑顔で答える。

 

「さあ、一緒に帰ろう。ユイ、アスナをログアウトさせられるか?」

 

 キリトが訊くと、ユイは首を横に振った。

 

「ママのステータスは複雑なコードでロックされています。ログアウトさせるにはシステム・コンソールが必要です」

「それなら、私、ラボラトリーでそれらしいものを」

 

 その時、キリトが背中にある2本の剣に手をかけた。その雰囲気からあまりよくないものを察したシリカも、腰の短剣に手を伸ばす。

 

 しかし、彼女の手が剣の柄を握るその直前に、鳥かごが消え、周囲が暗闇と化した。

 

 ユイが焦ったように叫ぶ。

 

「皆さん、気を付けて、何か……よくないものが……!」

 

 しかし、彼女がその言葉を言い終わる前に、その体に紫電が走り、そして彼女は消えてしまった。

 

「ユイ?」

 

 しかし、キリトが彼女の名前を呼んだ次の瞬間、アスナ以外の4人全員が地面に倒された。そして、その前に竜の羽根と尾を持つ亜人が現れる。

 

「ユウ……さん……」

 

 しかし、彼は無感情な瞳のまま言葉を発した。

 

「オベイロン様。侵入者を捕まえました」

「ご苦労様。いやあ、驚いたよ。鳥かごの中にゴキブリと子猫が迷い込んでいるなんてね」

 

 粘つくような、聞いているだけで嫌悪感を覚えるような声がした。そこには、緑色のトーガに身を包んだ男だった。

 

 妖精王オベイロン。それはすなわち、この無茶苦茶なグランドクエストを生み出した本人であり……すべての元凶・須郷伸之であることに他ならなかった。

 

「須郷! がっ!?」

 

 キリトがその名前を憎しみと共に呼んだ次の瞬間、その腹に衝撃が加わった。

 

「口を慎め。小汚い蠅が」

 

 その言葉に、全員が驚愕の目で声の主を見る。

 

 あのユウが、床に這うキリトの腹を蹴りあげ、汚い言葉で罵った。その事実が信じられなかった。

 

「キリト君! ユウ君、やめて!」

 

 アスナが悲痛な声を上げる。

 

「どうだい、桐ケ谷君? 次のアップデートで導入予定の重力魔法なんだけど、ちょっと強すぎるかな?」

 

 オベイロン――須郷はその足でキリトの頭を踏みつけ、意気揚々と話す。

 

「桐ケ谷君、いや、ここではキリト君と呼んだ方がいいかな。どうやってここまで登って来たんだい?」

 

 須郷はキリトの背中の鞘から黒い両手剣を抜き、振り回す。

 

「飛んで来たのさ、この翅で」

「ふん、まぁいい。君の頭の中に直接訊けば解かることさ」

 

 須郷は、驚愕的な言葉を口にした。

 

 やはり、約300人のSAOプレイヤーがゲームクリア後も目を覚まさないのは、彼がサーバーに仕掛けを施したからであったのだ。その彼らを実験台として、人間の記憶及び感情を操作する技術を開発し、それは8割がた出来上がっているのだという。

 

「ここまで言えば分かるだろう? そう、この《竜人シグルズ》こそが、その研究成果なのさ」

 

 研究成果。

 

 その、どこまでもユウを都合の良い道具としか扱っていない須郷に怒りを覚えた彼らは剣を握るが、再びユウが動いた。

 

 その巨大な剣で、4人をまとめて殴り飛ばす。

 

「お兄ちゃん……!」

「やれやれ、どこの子猫かと思っていたら、思い出したよ。確か、デスゲームの終盤で裕也君とずっと一緒にいた、シリカ君だね? それで、彼の妹たちもついてきたわけだ」

 

 須郷は、面白いおもちゃでも見つけたかのように、気味の悪い笑みを浮かべる。

 

「しかし君たち兄妹も、随分と災難に見舞われる人生を送っているようだねえ」

「……あなたは!」

 

 須郷の言葉にランが激昂し、そのレイピアを突き出す。しかし、この重力の中で動かされたそれはあまりにも遅く、その剣をユウに弾き飛ばされた後に、顔を蹴り飛ばされた。

 

「お兄ちゃん、やめてよ……こんなの、あんまりだよ……」

 

 ユウキは、目に涙を浮かべて彼に懇願する。だがそんな彼女すら、ユウは冷ややかな視線で見下ろした。

 

 須郷は紺野家の事情について何かを知っているようだが、怒りの形相で睨みつけるランを楽しげに見下すばかりだ。

 

「この重力の中で動けるとは、大したものだね。だけど、無駄無駄。今の彼は、僕の忠実なる下僕なのさ」

「あなたは……この卑怯者!」

 

 アスナが叫ぶ。

 

「あなたがしたことは絶対に許されないわ!」

「誰が許さないのかな? この世界に神はいないよ。この僕以外にはね!」

 

 須郷はアスナを鎖で宙づりにした。

 

「さて、向こうが楽しんでいる間に、こちらもパーティーを始めようか! ああ、ユウ君、余計なギャラリーが入らないように、彼らの口を黙らせておいてくれるかな?」

「須郷……かはっ!」

 

 命令を受けたユウが、キリトを再び蹴り飛ばす。

 

 あまりに残酷なその光景に、ついにユウキは泣き出してしまった。ランもまた、歯を食いしばっているものの、涙がずっと止まらなくなっている。

 

 そんな彼らを見て、須郷が再び命令する。

 

「そうだなあ。じゃあ、シリカ君には最後のお別れをさせてあげよう。せっかくなんだから、憧れの人の手で全てを終わらせてあげるよ。シグルズ、シリカ君をたっぷりいたぶってやれ!」

 

 その命令を受けたユウは、無機質な瞳を宿したまま、シリカの場所までやってきた。そして、剣をその体に突き刺す。その痛みを、彼女はまた歯を食いしばって耐えた。

 

「っ!」

 

 さらに続けて、仰向けの状態のまま重力魔法で動けなくなっている彼女の上に、ユウは馬乗りになる。そして、彼女の顔面に、左右の拳で順に殴り始めた。

 

「ユウ君、やめて!」

 

 必死に声を抑えているシリカに代わるように、宙づりにされたアスナが悲痛な声を上げる。

 

 顔面を襲う痛みが、次第に彼女の精神を奪っていった。

 

 アインクラッド第35層《迷いの森》で彼に出会ったことも。その後、《圏内事件》の捜査をしている彼を心配して、第19層《十字の丘》まで走って行ったことも。その後恋が成就し、彼のお陰で最前線で共に肩を並べて戦ったことも。

 

 その後の数々のデートも。毎日のように添い寝をしていたことも。

 

 その全てが、夢のように儚く消えていくような感じがした。

 

 彼女の視界の隅では、キリトもまた己の剣で、その体を須郷に貫かれている様子が映る。

 

 勇者は悪魔に敗北した。勇者の親友である最強の騎士は、悪魔の手先に成り下がった。

 

 そしてその最愛の竜騎士は、今、自分をここまでいたぶっている。

 

 未だに目が覚めていない彼に会える。その一心でここまでキリトについてきたシリカは、自分の心が折れていくのを感じた。

 

「ユウ……さん」

 

 ごめんなさい……。

 

 その言葉を呟いたかどうかすら分からないまま、彼女は最後の抵抗としてずっと敵を睨みつけていたその眼を閉じ、全身の力を抜いて、イベントMob《竜人シグルズ》になされるがままになった。

 

 

 

 

 

『逃げ出すのか?』

 

 誰かの声が聞こえた。

 

 以前に、何回か聞いたことのある声だ。

 

『そうじゃない……現実を認識するんだ』

 

 キリトの声が聞こえた。

 

『屈服するのか? かつて否定したシステムの力に』

『仕方ないじゃないか……俺はプレイヤーで、奴はゲームマスターなんだ』

 

 キリトの諦めの言葉に、シリカは同意した。

 

 ゲームマスターに勝てるプレイヤーなど、存在しない。いや、そもそも勝負にすらなっていない。

 

 だが、その声の主は言った。

 

『それは、あの戦いを汚す言葉だ。私にシステムを上回る人間の力を知らしめ、未来の可能性を悟らせた、我々の戦いを』

 

 その声の主を、シリカは思い出す。

 

 かつて浮遊城で圧倒的な力を持って君臨していた、聖騎士にして真のボス。

 

 史上最強にして最悪の男を。

 

『はたして、君は簡単に物事を諦めるようなことができる人間だったのかな? 大切な仲間を、駒にされているのに』

 

 彼女が顔を上げると、そこにはかつての聖騎士の姿ではなく、白衣のポケットに無造作に両手を突っ込んで立つ、天才科学者の姿があった。

 

『顔を上げたまえ、キリト君』

 

 

 

 

 

「おや? 変なバグが残っているようだね」

 

 剣を支えにして、重力に逆らい再び立ち上がるキリトの姿に、須郷は眉をひそめた。

 

 そのキリトの姿を見て、シリカもまた、腹に刺さる《魔剣フロッティ》の刃を握る。

 

 その手に全身全霊の力をこめる。すると、その剣がゆっくりと押し戻され始めた。

 

「システムログインID《ヒースクリフ》」

 

 キリトの言葉に、シリカは思わずその剣を掴み直す。

 

 その言葉は、アインクラッド第75層ボス戦にいたSAOプレイヤーならば、誰もが一生忘れることのできないプレイヤー名だったからだ。

 

「な、何? 何なんだそのIDは!?」

「システムコマンド、管理者権限変更。ID《オベイロン》をレベル1に」

「な、僕より高位のIDだと!? ありえない……僕は支配者、創造者だぞ! この世界の王、神!」

 

 キリトが淡々と命令文を紡ぐと、管理者権限が完全にキリトへと移行された。その様子に、須郷は混乱する。

 

「そうじゃないだろ。お前は盗んだんだ。世界を、そこの住人を。盗み出した玉座の上で1人踊っていた泥棒の王だ!」

「こ、このガキ……この僕に向かって! システムコマンド、オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!!」

 

 須郷は、システムに向かって命令する。だが、何も起こることはなかった。

 

 その様子を確認したキリトは、試しに叫んでみる。

 

「システムコマンド、オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!」

 

 すると、キリトの目の前に突然、黄金に輝く剣が出現した。その様子に、須郷は「な……」と言葉にならない驚きで後ずさる。

 

「コマンドひとつで伝説の武器を召喚か……さて」

 

 管理者権限の効果も確認したところで、彼には真っ先にやるべきことがあった。

 

 

 

「システムコマンド、モンスターID《竜人シグルズ》を完全開放!」


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