ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~   作:nozomu7

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挑戦と衝突

「強くて、綺麗な人でした」

 

 珪子は、自分が見た彼女の印象を語る。

 

「スピード型の戦闘スタイル、という点では私と同じでしたが、その敏捷値(アジリティー)とレイピアの正確さ(アキュラシー)では、到底叶いませんでした。《閃光》という二つ名がつけられるほどに」

 

 愛剣《ランベントライト》を振るう彼女は、たとえ薄暗い《迷宮区》の中でも輝いているように見えた。

 

「ですが、キリ……和人さんの前ではすごく女の子らしい一面もあって……あと、裕也さんは、明日奈さんに対して、友人としてだけではなく、時には兄のように接していたと思います。まあ、明日奈さんが、藍子さんに似ている、とも言っていましたから」

 

 そのあたりが原因なのだろう、と彼女は言っていた。

 

 現に、裕也が兄として一家を支え続けていたその貫禄は、到底彼が明日奈のひとつ年下だとは思えないものだったのだ。もっとも、ゲーム脳な状態になっているときは除くが。

 

「裕也さんの話では、2人が明日奈さんと出会ったのは、ゲーム開始から1か月ほど後の第1層フロアボス戦だそうです」

「え!? 《アインクラッド》って、確か100層まであったよね? なのに、第1層攻略まで1か月もかかったの?」

 

 木綿季の言葉に、珪子は首を縦に振って肯定した。

 

「はい。私は《はじまりの街》を出るまでにかなり時間がかかったので、その頃のことは伝聞でしか知りませんが……第1層がクリアされてからは、1週間前後のペースで2層、3層……とクリアされたそうです。何しろ、第1層ではプレイヤーも不慣れでしたので」

 

 そのボス戦でレイドリーダーであったディアベルが死に、そしてキリトは《ビーター》を名乗ることとなったのだが、シリカはそれを省いた。

 

「先ほど、《迷宮区》に《アイアンレイピア》で潜っていた、という話がありましたが……《アイアンレイピア》というのは、《はじまりの街》で手に入る店売りのレイピアです。簡単に言えば、《細剣》スキルで『レイピア』を選んだ人の初期装備ですね」

「え、まさか……その初期装備でボス戦に挑んだんじゃないですよね?」

 

 藍子は、冷や汗を掻きながら訊く。普通のMMORPGから考えても、明らかに自殺行為だと分かるものだった。

 

「さすがにそれはしません……と言いたいのですが、和人さんが、慌てて新しい装備に変更させたそうです」

 

 つまり、キリトが発見していなかったら、彼女はそのままの装備でボス戦に挑んでいた可能性もある、ということになる。あの状況で、誰も気づかないとは思いたくないが……実際、キリト以外に気が付く可能性があるとしたら、ユウしかいなかっただろう。

 

「綺麗で強いのに、危なっかしい人、というのが、最初の印象だったんだと思います。私が明日奈さんに出会った時は、既に2人はよく知った仲になっていましたけれど」

 

 といいますか、いつになったら付き合い始めるのかなぁって、思ってました、と珪子は言った。

 

「……そうなんだ」

 

 ありがとう、と直葉は珪子に言ったが、その表情はどこか優れないままだったのが気になった。

 

 

 

 

 

 帰宅すると、既に午後3時になっていたので、彼女は慌てて《ナーヴギア》を被った。

 

「リンク・スタート!」

 

 宿の部屋は男女別で3部屋に分かれたので、シリカの隣にはユウキがいた。次の部屋にリーファとラン、その次の部屋にキリトがシリカから借金して部屋を借りた。

 

 ラン曰く「VR世界だからって、家族でも恋人でもない男女が同じ部屋で寝たらダメ」とのこと。ごもっともである。

 

「じゃあ行こっか、シリカ」

「うん」

 

 ユウキと、そこに来たランと一緒に、シリカはリーファを連れてきたキリトと合流すると、5人で《アルン》の街中に繰り出した。

 

「すっごくにぎやかだね!」

 

 リーファの言った通り、街中が活気づいていた。

 

 さらに、それまでの道程で見てきた様子とは異なり、ここでは種族関係なく、誰もが仲良くしていた。種族が異なるプレイヤー同士で、カップルになっている人たちもいる。

 

 しばらく階段を上ると、その目の前に現れた。

 

「世界樹……」

 

 白い、巨大な木が、その天空の彼方までそびえ立っていた。

 

 あの木の頂上までたどり着けば、その種族が《光妖精族(アルフ)》に転生できる……とされている。しかし、オープンしてから1年経過した今でさえ、そのグランド・クエストは一度もクリアされていない。

 

 その後は、ひたすら雑談をしながらその中央へと向かっていた。

 

「あ、あのゲートをくぐれば、《世界樹》の根元、《アルン》の中央市街よ!」

「あ、やっと戻ってきたよ」

 

 リーファが目を輝かせ、ユウキとランは懐かしそうにしている。彼女たちは、この辺りをホームとしていたらしい。

 

 そして全員でそのゲートを潜り抜けた瞬間、キリトのポケットからユイが顔を出した。

 

「ママが……ママがいます!」

「「「「え!?」」」」

 

 ユイの言葉に、キリトとシリカ、そしてランとユウキも声を上げた。

 

「間違いありません、このプレイヤーIDは、ママのものです。ユウさんのIDも、同様に確認できました!」

 

 彼女は、天空を指さす。

 

「座標は……まっすぐ、この上です!」

 

 その言葉を聞くや否や、キリトとシリカは一斉に飛び立った。リーファたちの制止の言葉も聞かず、ただまっすぐに《世界樹》の上を目指す。

 

 しかし、雲の上に出た次の瞬間、見えない障壁に激突した。

 

 シリカも目の前で、火花が散る。

 

「シリカさん、気をつけてください! そこから先に行くには、グランド・クエストを攻略するしかないんです!」

 

 もう一度飛び上がろうとしたところを、ランとユウキに取り押さえられた。

 

「ご、ごめん」

「お兄ちゃんは、ドームの中である程度の高さまで行けば、会うことができる。だけど、解放するためには、この世界樹の上に行ってみるしかないんだよ!」

 

 年下であるユウキの言葉に、シリカは自分自身の無力さと情けなさを感じた。

 

 全身に漲らせていた力が抜けていき、シリカはそのまま落下するかのように、地面に着地した。しばらくして、そこにキリトとリーファが落ちてくる。

 

 キリトの手には、1枚のカードが握られていた。

 

「キリトさん、それ……」

「ユイが確認したところでは、システム管理用のアクセスコードらしい。これを使えば、なんとかなるかも」

 

 ならば、あとはドームの中を突破するだけである。

 

 彼らは、そのままグランド・クエストの入り口まで移動した。

 

 そこには、巨大な扉の両脇に妖精の騎士の彫像が一体ずつあった。扉に近づくと彫像が動き出し、持っている剣を交差させる。

 

『未だ天の高みを知らぬ者よ、王の城へ到らんと欲するか』

 

 『グランドクエスト《世界樹の守護者》に挑戦しますか?』とメニューが出た。それを確認すると、5人はイエスのボタンを押した。

 

『さらばそなたが背の双翼の、天翔に足ることを示すがよい』

 

 扉が開かれる。

 

 中央まで歩いて行くと、真っ暗だったドームの中が光に照らされた。ドームの最上部を彼らは見上げる。

 

「シリカ、行くぞ!」

「はい!」

 

 2人は、同時に飛び立った。

 

「ちょっと、2人とも!」

 

 ユウキとラン、リーファも、慌てて飛び立つ。

 

 その直後に、周囲の壁一面にある水晶のような青白い光の窓から、騎士のようなMobが現れた。あれが、《ガーディアン》なのだろう。

 

「そこをどけぇぇぇぇ!」

 

 その言葉と共に、彼は剣を一閃する。すると、一撃でガーディアンは燃え尽きた。

 

(予想よりも弱い?)

 

 そう考えた次の瞬間、その考えが甘いことを知る。

 

 周囲に貼られている無数の窓から、大量のガーディアンが出現したのだ。

 

(数が……多すぎる!)

 

 シリカは手の中にあるダガーを握り直す。そして、近づいてきたガーディアンの首をはねた。

 

 背後から迫ってきたガーディアンを蹴り飛ばすと、その反動で他のガーディアンの懐に飛び込み、肩にダガーを突き刺してそのまま袈裟切りにする。

 

 一瞬できたその隙をついて、一気に飛び上がる。どうやら、シリカよりもキリトの方が脅威と判断したのか、彼の方にガーディアンが集中しているようだった。

 

 それでも、自分が一度突破してしまえば、それでグランドクエストは終了するはずだ。そう考えたシリカはそのまま頂上へ突き進む。

 

 だが、その前に一つの影が現れた。

 

 魔剣《フロッティ》を携え、他のガーディアンとは異なる、実体を持つ翼と尾を備えた、竜の姿を持つ妖精。

 

 竜人《シグルズ》。

 

 ユウが今、押し付けられている役割だ。

 

「ユウさん……ユウさん! 私です! シリカです!」

 

 シリカは、変わり果てた姿の恋人に呼びかける。その声が聞こえたのかどうかは分からないが、シグルズは反応した。

 

 ただし、シリカを倒すべき敵として認識する、という形で。

 

「きゃあ!?」

 

 一気に間合いを詰めてくると、かつての《アスカロン》と同じく、冗談のように大きなその武器が振るわれる。シリカは反射的にガードしたものの、想像以上の力で吹き飛ばされてしまった。

 

 その間には、どうしたわけかガーディアンは彼女を攻撃せず、一直線にキリトの方へと向かっていた。どうやら、シグルズと戦闘しているプレイヤーはあまり攻撃しないようだ。

 

 だが、それは決して楽観できるものではなかった。『彼1人』を倒すには、辺り一面を埋め尽くすような守護騎士を全て相手することと変わりない、ということを、暗に示すものだからだ。

 

「ユウさん、ユウさん!」

 

 シリカは、ひたすらその斬撃を防ぎ、躱しながら呼びかける。だが、彼の表情は変わることなく、一切の温度を感じさせなかった。

 

 ユウは今、正真正銘のイベントMobになってしまっている。

 

 シリカは、かつての浮遊城でそうしたように《ラピッド・バイト》の構えを取り……そして、その体勢で硬直した。

 

(ユウさんを……斬る?)

 

 できるわけがない。

 

 自分が最も愛しいと思う人を。求めてやまない人を。

 

 刃を向けることなど、できるわけがない――

 

「――っ!」

 

 その一瞬の隙に、間合いを詰められた。湾曲した大剣の中で杭のように飛び出した刃が、シリカを殴りつける。そして、彼女はそのまま壁に叩き付けられた。

 

 さらに、シグルズはそのまま彼女を突き刺す。そして、それをつまらなそうな表情で眺めると、剣を振り回してシリカの体を地面に投げ飛ばした。

 

 シリカの視界を炎が覆い、《You are dead》の文字が出る。

 

 シリカは死亡した。

 

 

 

 

 

 この世界では、死んでも幽霊として残るんだな、とシリカは思った。

 

 周囲には大量の守護騎士が飛んでいるが、彼らはシリカを無視している。HPがゼロのプレイヤーにMobが興味を示さないのは当然のことなのであるが、VR世界で死ぬのが初めての彼女にとっては、異様な光景に見えた。

 

 まるで、夢の中にでもいるようだ。

 

 ユウは竜人シグルズとしての役割を果たしたためか、再び上へと戻っていく。やがて周囲の守護騎士も、次第に周りの窓の中へ消えて行った。

 

 そんな中、ふと見るともうひとつ黒いリメインライトが空中から落ちてきていることに気が付いた。間違いなく、あれはキリトのものだろう。

 

(キリトさんも、失敗したんだ……)

 

 だったら、仕方ないかもしれない。

 

 そんなことを、シリカは考えてしまう。

 

 自分は何者だというのだ。《ビーストテイマー》《竜使い》などと言われたところで、それは単なる、プログラム上に設定された乱数で選ばれた偶然に過ぎない。あのとき第35層《迷いの森》でユウに出会わなければ、自分の傲慢さと迂闊さで死んでいた、哀れでマヌケな犠牲者の1人になっていた人間なのだ。

 

 自分はキリトのような、《アインクラッド》最高の反応速度なんてない。

 

 自分はアスナのような、《アインクラッド》最速の刺突なんて放てない。

 

 自分はユウのような、《アインクラッド》最巧の剣戟なんて、はるか遠くに及ばない。

 

 ユウに会わなければ、ただの、少し運が良くて、そしてどこにでもいる、無知で愚かな少女でしかない――それが自分だ。

 

 そんな女の子が、あんなに輝いていた人を救おうだなんて、傲慢にも程がある。

 

 暗い想いが、自分の心を埋めていく。支配される。

 

 その時、急に視界が暗くなった。

 

 そして、一気にその体が地面まで落下していく。そして、気が付いた時には、明るい光の中に放り出されていた。

 

 ランが、何か呪文を唱えている。そしてしばらくすると、自分の体が蘇生した。水妖精族(ウンディーネ)だからこその、蘇生魔法だ。

 

「もう、シリカさん、危ない真似はやめてください!」

 

 目覚めて、開口一番に怒られた。自分の方が年上なのに……とシリカは肩を落とすが、反論できないのが悔しい。

 

 その隣では、キリトがリーファにアイテムで蘇生されていた。しかし、相変わらずキリトは《世界樹》の中へ進もうとしている。

 

「キリト君、待って! 1人や2人じゃ無理だよ!」

「そうかもしれない、でも、行かなきゃ……」

 

 頑なにグランドクエストを諦めようとしない彼に、リーファは悲しげな声を上げた。

 

「もう、もうやめて……いつものキリト君に戻ってよ……あたし……あたし、キリト君の事」

「俺、あそこに行かないと、何も終わらないし、何も始まらないんだ。会わなきゃいけないんだ、もう一度……もう一度………アスナに」

 

 キリトがそう言って再び進もうとした時、リーファの目が大きく見開かれた。

 

「……今……今、何て……言ったの?」

 

 その声は、震えていた。

 

「ああ……アスナ、俺の捜してる人の名前だよ」

「でも……だって、その人は」

 

 キリトの答えに、彼女が今までになくうろたえていた。その様子に、シリカも、ランも、ユウキも、彼らの様子を見守る。

 

 そして、

 

 

 

「……お兄ちゃん……なの?」

 

 

 

 え……と、シリカの口から言葉が漏れた。

 

 キリトのことをそんな風に呼ぶ人など、彼女は1人しか知らない。桐ケ谷和人の妹である、直葉だけだ。

 

「スグ……直葉?」

 

 キリト――否、和人がそう言った瞬間、直葉は口を手で抑えた。

 

「嘘……ひどいよ……あんまりだよ、こんなの」

 

 彼女はそのままリーファをログアウトさせた。和人は聞き入れられなかった制止の言葉をかけた姿勢のまま、その場に置き去りにされる。

 

「直葉さん……だったんですか?」

 

 シリカが言うと、キリトはうなだれたまま頷いた。

 

「すまん、みんな……話してくる」

 

 それだけ言うと、彼はログアウトしてしまった。

 

 衝撃的な展開が終わり、その場に少女3人が残される。

 

「キリトさん……大丈夫かな」

 

 シリカがそう言うと、ランも同意した。

 

「ええ、現実(リアル)では少し話した程度ですけれど……少し思いつめやすい人みたいですから、心配です」

「直葉も、和人とは少し距離を置いているみたいだったしねー。というか、あまり踏み込まないようにしているような?」

 

 ユウキの言葉に、シリカはなるほど、と同意した。快活、明朗闊達、といった言葉が似合う一方で楽天家なように見える彼女であるが、その反面観察眼が鋭いというのは、やはりユウに似ているな、とシリカは思う。

 

「とにかく、帰ってきたら話を聞いてみよう」

 

 

 

 

 

 ――桐ケ谷和人は、今住んでいる家の本当の子供ではない。

 

 住基ネットに抹消記録が存在することに気が付いたのは、10歳の時だった。

 

 別に、自分を育ててくれた今の両親が黙っていたことを、恨んでいるわけではない。しかしそのことを知って以降、彼は他人との距離が分からなくなっていった。

 

 この人は、本当は誰なんだろう?

 

 そんな疑念が常に心のどこかにあったことが、彼をネットゲームへ向かわせたひとつの原因なのかもしれなかった。誰もが、本当の自分など示す必要がない、仮想の世界。その中に、和人は耽溺していった。

 

 だが、SAOの中で、和人は……否、その世界にいる人々の多くは知った。

 

 現実世界も仮想世界も、本質的には変わらない。

 

 我々にできることは、自分が認識したものを受け入れることなのだと。

 

 何よりも、ユウ――紺野裕也が教えてくれたのだ。どんな世界であっても、人々の心というものは、本質的に変わることはない。その眩しいほどに輝くものも、そして同時に禍々しいほどに黒い部分も持ち合わせているのだと。

 

 彼は、あの世界に来る前からそのことを知っていたのではないか、と和人は思う。彼の経緯を藍子と木綿季から大まかに知らされた後に、そう考えるようになった。

 

 ――相変わらず親友は、俺の一歩も二歩も先を行っているな……。

 

 直葉の告白を受けてから、和人はそんなことを考える。

 

 直葉は、自分があの世界に閉じ込められてから、実の兄妹ではないことを知らされたらしい。そして、それから禁断の想いを抱えたことも、そしてそれを忘れるために想いを抱いた相手であるキリトが、よりにもよって桐ケ谷和人本人だった、ということだ。

 

(お兄ちゃんは、強いね……)

 

 向こう(ALO)で話し合おう、という言葉を聞いて、直葉はベッドの上で膝を抱えて蹲った。しかし、それでもずっと黙っている訳にもいかない。

 

 とにかく、彼女は再び仮想世界に入るしかなかったのである。

 

 

 

 

 

「はあ……」

「ため息、ついているみたいだね」

 

 ダイブするなりため息をついたリーファは、突然話しかけられた声に驚いた。

 

 目の前に来たのは、闇妖精族(インプ)の少女ユウキだ。

 

「ユウキ……」

「まあ、ボクも色々驚いたけど……まあ、早くキリト……いや、和人のところに行こうよ」

「ってことは、やっぱりユウキが木綿季なんだね……。で、ランが藍子で、シリカが珪子ちゃん、ってこと」

「はい」

 

 正解です、とシリカが言う。

 

「ランさんは、キリトさんの方に行ってます」

 

 ひょっとしたら、妹を大事にしないキリトさんを説教しているかもしれませんよ? とシリカは笑って言った。アスナに雰囲気・性格が似ている以上、あり得ることだと思う。

 

「でさ、どうするの?」

 

 ユウキはリーファにそう言う。その表情は笑顔のままであるように見えたが、その眼は一切笑っていなかった。

 

「……私」

 

 リーファは、流れる涙を手でこすりながら話し始めた。脳からの信号を基にアバターに感情が反映されるこの世界では、涙を我慢することはできない。

 

「私、お兄ちゃんのこと、傷つけちゃった……酷いこと言った……」

 

 彼女の弱音を、シリカは黙って聞いていた。

 

「お兄ちゃんは、話し合うなんて言ったけど……そんなこと、できないよ……」

「うん、できないと思うよ。今の直葉が、和人と話し合うことなんてできないと思う。そもそも、まともに話し合おうとしていないから」

 

 これまでのユウキには似つかない、その辛辣な言葉にリーファは口を閉じた。

 

「ユウキさん!」

「ごめん、珪子。でも、今ボク、ものすごく直葉に腹が立っているから」

 

 彼女はそう言って、リーファに鋭い視線を向ける。

 

「和人から、簡単なことは聞いたよ」

「だったら……だったら分かってるんでしょ! 私は、お兄ちゃんとは」

「兄妹じゃないから? だから、これまでの十何年間を全部、否定するの? それとも、直葉にとっての和人って、その程度なんだ?」

 

 ユウキの挑発のような言葉に、リーファは唇をかみしめた。

 

「その程度とか、そんなことない!」

「ないんだったら、どうしてその気持ちを伝えないの?」

「簡単に言わないで!」

 

 激しい感情に任せるように叫ぶリーファに対し、ユウキはどこまでも、まるでそれが当たり前であるかのように言った。

 

 

 

「直葉。ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ」

 

 

 

 その言葉に、リーファが止まった。

 

「ボクたちの家ではね、お兄ちゃんが決めたルールがあるんだ。『困ったこと、悩んでいることは、絶対に家族の誰かに話すこと』」

 

 それは、早くに親を亡くしたからこそ、裕也が定めたルールだった。

 

 両親という一家の大黒柱となる人物を喪った以上、兄妹3人で最大限に力を合わせても、家を守り続けることは難しい。しかも、親戚は協力的ではない。

 

 そのため、彼らの間では秘密も悩みも共有するのが必須であったのだ。

 

「だからさ、ぶつかるのを恐れないで欲しい」

 

 リーファはもう、黙って聞いていた。その様子を見て、シリカも言う。

 

「行きましょう、直葉さん。和人さんが、待ってますから……それに」

 

 そこで一度言葉を区切った彼女は、リーファに茶目っ気を含んだ笑顔でこう言った。

 

「どうしてももやもやしているのであれば、キリトさんと一度《決闘(デュエル)》をするっていう手もありますよ?」

 

 その言葉に、リーファは少しだけ笑顔に戻った。

 

「……シリカちゃんって、案外脳筋?」

「ひ、ひどいですよ!? ただ、ユウさん……裕也さんを私が追いかけた時には、そうしたなーって思い出しただけです」

 

 にこにこと話すシリカに、リーファもユウキも苦笑いを浮かべた。


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