ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~   作:nozomu7

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《笑う棺桶》討伐戦
かたき討ち


 第55層主街区《グランザム》。

 

 この街には《アインクラッド》最大級のギルド《血盟騎士団》の本部が存在する。

 

 最前線が第71層まで進められたある時、この街の広場に大勢の《攻略組》のプレイヤーが集まっていた。

 

「これより、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐会議を始める」

 

 《聖竜連合》のギルドマスターの一言で、場の空気がさらに引き締まる。

 

 そう……今回の目的は、被害が拡大している《笑う棺桶》を、ここで一網打尽にしておくことなのだ。

 

「まずは……すでに分かり切っているやつも多いだろうが、連中の主要メンバーについて説明する」

 

 そこに貼り出されているのは3枚。

 

 リーダーの《Poh》。武器は大型ダガーに分類される魔剣《友切包丁(メイトチョッパー)》。武器だけでなく、PoHの戦闘能力事態も極めて高い。その上、少なくとも三ヵ国語を話せ、強烈なカリスマ性を持っている。

 

 まさに、レッドギルドの首領としてふさわしい能力を備えていた。

 

 特徴は武器の他に、黒いポンチョを目元まで深くかぶっていることだ。三カ国語を話せるらしく、日本語に英語やスペイン語のスラングの混じる喋り方をするのも特徴である。

 

 その情報から、ユウやキリトは第2層のことを思い出していた。

 

(やはり……『強化詐欺』の1件の黒幕)

 

 結果として死者に直結はしなかったものの、危うく前線が崩壊する可能性すら存在した。一種の《扇動PK》とも呼べる手際であったことを思い出し、ユウは奥歯を強く噛みしめる。

 

 次に、《ザザ》。通称は、赤目のザザ。

 

 仮面の奥の目を赤く染めており、武器は刺剣(エストック)を好んで使用する。殺した相手のエストックを奪ってコレクションしているらしい。口調は、言葉をひとつひとつ短く切りながら話す。

 

 最後には《ジョニー・ブラック》。

 

 頭陀袋のような黒いマスクで顔を覆い、子供みたいな態度と外見を持つ毒ナイフ使いだ。Pohに対しては盲目的といっても良いほどの信頼を置いている。

 

 彼の《鎧通し(アーマー・ピアース)》の前に、何名のプレイヤーが倒され、殺されていったのだろうか。

 

 これで幹部は以上であるが、そこで話が終わるかと思ったその時、さらに追加で話があった。

 

「さらに……これは未確認の情報ではあるが、今年の春ごろ、数か月前から新たな槍使いが幹部クラスの連中と共に行動している、との情報が入っている」

 

 つまり、あの3人に肩を並べるほどの実力者が、さらにもう1人追加されている可能性がある。

 

 その情報に、集団がざわめきだした。

 

(槍使い……)

 

 そのことに、ユウは心にざわめきを覚えた。つい最近、リズベッドからこう言われたことがあったのだ。

 

『そういえば、この間シリカとレベリングをしていたときにさ、あんたのことを尋ねてきたプレイヤーがいたわよ?』

『え、どんなやつだ?』

『残念でしょうけど、男だったわ。両手槍使いで、実力はそれなりにありそうだったわね。ただ、人と話すのは苦手みたいだったけど』

 

 おかげで、一瞬オレンジプレイヤーかと思ったわ、とリズベッドが話していたことを、ユウは鮮明に思い出す。

 

(……いや、偶然だろう)

 

 確かにユウはオレンジプレイヤーを牢獄送りにしたりしているし、何よりトッププレイヤーであるので、彼のことを恨んでいるレッドプレイヤーがいてもおかしくない。しかし、だからといってリズベッドやシリカと接触して、彼女たちが何もされずに質問だけされたというのは、理屈に合わない。

 

(そいつはきっと、レッドじゃないだろうな。そもそも、カーソルがオレンジになっていたら、絶対にそのことを伝えてくるはずだ)

 

 そう自分に言い聞かせると、ユウはキリトやクライン、エギルと共に、解散した会議場を後にした。だが、嫌な予感がするのを、ユウは感じていた。

 

 

 

 

 

「……なあ、お前らはどう思っている?」

 

 会議場からしばらく歩いたところで、第1層からの付き合いである3人に、ユウは話を切り出した。

 

 その言葉に、3人は深刻そうな表情で振り返る。

 

「……どうって」

「殺せるか?」

 

 キリトの言葉を遮るように、ユウは単刀直入に短く問いを発した。

 

「おい、ユウ。それは」

 

 エギルはそこまで言いかけたが、口をつぐんでしまう。ユウは、自分の言葉を続けた。

 

「分かっているだろうが……あの会議のように、《攻略組》全員で取り囲みさえすれば、あとは相手が勝手に降伏してくれるとは思えない。最悪、捕まるよりもHPが全損するまで戦うことを選ぶやつだって出てくるだろう」

「そんなこと……」

 

 キリトはそこまで言いかけて、やはりエギルと同様に口をつぐんでしまった。

 

 ユウの言葉は全く正しい。しかし、そこには若干の自棄がはらんでいるように聞こえた。

 

「ユウ……」

「別に、自虐的になっているわけじゃないさ。だけど……『そういう可能性』を考えて覚悟しておかないと、『また』大切なものを失ってしまうんじゃねえか、って思ってな」

 

 ユウは乾いた笑顔でそう言った。

 

 その表情を見て、キリトは考える。『また』というその言葉に込められた意味を。

 

「じゃあ、寝坊とかするなよ」

「そっちこそ」

 

 ――討伐作戦の決行は明日。

 

 

 

 

 

 翌日、午後1時に再び彼らは《グランザム》の広場に集まった。

 

「コリドー・オープン」

 

 《聖竜連合》のディフェンダー隊リーダー、シュミットが《回廊結晶》を掲げてコマンドである言葉を口にした。結晶が砕け、代わりに転移ゲートが姿を現す。

 

 《聖竜連合》、《閃光》のアスナを筆頭とした《血盟騎士団》の大ギルドが入っていったその後に続いて、残りのプレイヤーがゲートをくぐっていく。

 

 ゲートの先は、洞窟だった。

 

 ユウは完全習得した《索敵》スキルを使用してみる。しかし、この場所にはいないようだった。

 

「よし、いくぞ」

 

 一同は神経を研ぎ澄ませながら、そのまま前へと進んでいった。

 

(……逆に襲撃される可能性もあるか?)

 

 これだけの大人数だ。特に物陰に隠れているわけでもないため、ある程度近づけばすぐに《索敵》にひっかかるだろう。

 

 しかし、アジトにこもっているメンバーばかりではないだろう。だから、十分な戦力が相手にあるとは思えない。

 

(だけど、相手は命を軽んじる相手。戦闘に勝算は関係ないだろう)

 

 自分の命すら顧みず、ただ1人でも多くの相手を屠ることを考えて特攻をしてくる可能性も……考えられなくはなかった。

 

 その時。

 

 

 

 ――ギャアアアア!

 

 ――出たぞ!

 

 

 

 悲鳴。

 

 それに続く叫び声。

 

 それと同時に、《索敵》の中に大量のプレイヤー。

 

(これは……)

 

 誰かが叫んだ。

 

「囲まれた!」

 

 その通りだった。

 

 ユウはためらいなく、己の剣を抜くと、目の前に迫ってくる敵に対して振り下ろした。刀と両手剣がぶつかり、鍔迫り合いになる。

 

「ユウ!」

「こっちは気にするな! 敵に集中しろ!」

 

 キリトに対して叫びかえすと、ユウは自慢のSTRで強引に敵を押し返す。

 

(情報が洩れていたのか!?)

 

 《浮舟》で自分の姿勢を崩そうとしてくる相手に対し、ユウは両手剣カウンター技《テンペスト》を胴体に叩き込む。

 

 しかし、相手はそれを気にせず《緋扇》の3連撃をユウに切り刻んだ。

 

(今だ!)

 

 ユウはその攻撃を受けながら無理矢理剣を上段に構え、技後硬直(ポストモーション)の一瞬で相手の手元に剣を全力で振り下ろした。

 

 《ディスアーム》。

 

 キリトの《武器破壊(アームブラスト)》と並んで、敵を無力化させるという点ではこの上ない技である。

 

「終わりだ、降伏しろ!」

 

 ユウは敵を《アストラル・ヘル》で切り刻んだ上で、体術スキル《水月》を叩き込んで地面に倒すと、その喉元に剣を突きつけた。この状態で上位技《メテオフォール》を発動すれば、ほぼ確実に相手のHPを全損させることができる。

 

 地面に倒れたままその剣を見ていた刀使いであったが、《クイックチェンジ》で現れた刀を握ると、ユウの両手剣を横に薙ぎ払い、そのまま心臓へと突き刺そうとする。

 

 ユウは、反射的に動いた。

 

 両手剣を放り捨てると、体を横にずらす。自分の右肩が切り裂かれるのにも構わず、左手で貫手を構えた。

 

 体術スキルゼロ距離技《エンブレイサー》。

 

 敵のHPが全損し、その体がポリゴン片となって砕け散る。

 

 ユウにとっては、始めての『殺し』だった。

 

 しかし、目の前で消えていった男よりも自分の剣を拾い上げると、他の討伐隊メンバーと戦っているレッドプレイヤーへめがけて、後ろから麻痺毒付きのピックを3つまとめて投げつけた。

 

 投剣スキル《トライシュート》。

 

 突然目の前の敵が倒れたことに驚く面々であったが、その後ろに刺さっているピックを見ると、すぐにロープを取り出してメンバーの拘束にかかった。

 

「すまん、助かった!」

「気を抜くなよ! 少しずつ減ってはきてるが、それでもまだいるからな!」

 

 ユウが辺りを見渡してみると、キリトが《赤目》のザザと剣を交えていた。しかし、その後ろから1人の槍使いが迫る。

 

「キリト、後ろだ!」

 

 その言葉に彼は反射的に身を翻すと、敵の槍初級スキル《ソニック・チャージ》を回避する。その硬直を狙ってユウが《イラプション》を叩き込もうとするが、ザザが横から《パラレル・スティング》を放ってきたので、ユウはソードスキルを中断して、剣を防御に当てた。

 

 キリトがその隙を狙って《ヴォーパル・ストライク》を放つが、ザザは身を捻ってかする程度にそれをやり過ごすと、槍使いがユウに向かって《ツイン・スラスト》を放ってくる。

 

 ユウとキリトは、背中合わせにそれぞれ槍使い・ザザと相対した。

 

「キリト、ザザの方を頼めるか? スピードタイプは相性が悪いし、湾刀(タルワール)はラフコフ幹部レベルとやり合うには、実力が足りない!」

「ユウ、任せとけ! 死ぬなよ!」

「そっちこそ!」

 

 キリトがザザに向かって攻撃を開始すると、槍使いは再び攻撃を放ってきた。今度はソードスキルではなく、通常攻撃だ。

 

 ユウはそれを躱すと、体を回転させて斬撃を放つ。それを敵はバックステップで躱すと、その隙をついて《ソニック・チャージ》を放ってきた。

 

(少しずつ、確実にHPを削っていくタイプか)

 

 レッドプレイヤーとしては珍しいが、決していないわけではない。しかし、ラフコフのような実力の高いレッドプレイヤーほどその傾向は低いので、意外だった。

 

 ユウはカウンター技《テンペスト》を敵の胴体に叩き込むが、相手もなかなか実力が高いようで、繋ぎで放った《水月》を受けると、その勢いを利用してユウから距離を取る。

 

(厄介だな。……堅実な上に、対応が柔軟だ。レッドプレイヤーにこんな奴がいたとは)

 

 もしかすると、こいつが例の新しい槍使いなのかもしれない。

 

 ユウはそう考えると、より一層神経を研ぎ澄ませて敵に集中した。

 

 すると、そこで男が口を開く。

 

「……貴様が《竜騎士》か。確かに、噂通りの実力はあるらしいな」

「話をするほどの余裕はあるのか。だったら、《黒鉄宮》で他の奴らと話をしていろよ」

 

 ユウはわざと獰猛な笑みを浮かべてそう言った。

 

「言っておくが、俺は容赦しないぞ。命の危険を感じれば、お前を葬る」

 

 相手に対して気迫と覚悟を見せ、戦意を削ぐ。あるいは、動揺させる。そんな意図で強気の発言をしたユウであったが、その返答は全くの予想外のものだった。

 

 

 

「……だろうな。お前は昔もそういう奴だった」

 

 

 

『昔も』。

 

 その言葉にユウが眉をひそめていると、目の前の男は目元までかぶっていたフードを取り払った。

 

「え……?」

 

 ユウは、思わず剣を構えるのも忘れてその相手を見ていた。辺りの音が遠ざかっていくのを感じた。

 

「お前は」 

「そうだ。雨宮亮だよ……もっとも、こっちのプレイヤーネームは《レイン》だがな」

 

 楽しそうにそういう人間は、ユウ――否、紺野裕也も知っている顔だった。

 

 正確には、決して忘れられない顔だった。

 

『こいつの妹って、やべー病気なんだぜ!』

 

 かつて、突然教室に響き渡ったその声を、裕也が忘れたことは一度もない。

 

 雨宮亮。

 

 その男は……自分の妹たちをどん底に突き落とし、そしてユウがあらゆる卑怯な手を用いて、学校の居場所を奪い去ったやつなのだから。

 

 かっ、と頭に血が上るのを、ユウは感じた。

 

 強く奥歯を噛みしめるが、ゆっくりと呼吸を整えながら深呼吸していく。

 

「雨宮……いや、レイン。後悔をしているか?」

「しているさ」

 

 ニヤリと笑いながら、レインは槍を構えた。

 

「お前を、どん底の恐怖に叩き落とせなかったってことだけが、唯一心残りだったんだよ!」

「なら、どうしてレッドギルドになんか入った!」

 

 槍と両手剣が迫り合いを起こす。

 

「俺を憎んでいるだけだったら、人を殺す必要なんかなかったはずだ!」

「俺は協力しただけだ。直接敵のHPを全損させたことはねえ。殺しの処女は紺野裕也って決めていたからなあ!」

 

 両者が同時に互いの刃を弾くと、そのまま次々と刃を交えた。鋭く、速く突き出される槍を両手剣が防ぎ、うまく体の回転などを利用し、相手の槍の刺突の隙を狙って斬撃を繰り出す。

 

「まったく、あの時以来顔を合わせてすらいなかったからよ……こんなところで再会できると知った時は驚いたぜ! しかも、《攻略組》の《竜騎士》サマだとよぉ!」

 

 レインは斬撃を多少受けながらも笑みを浮かべながら、少しずつユウの体に突きを食らわせていった。

 

 この時点で、両者のHPはほぼ互角だった。防具の性能は、ユウの方が高いはずなのに……。

 

「冥土の土産に教えてやるよ。俺の槍《アポーステート》は《友切包丁(メイトチョッパー)》と同じ、正真正銘の《魔剣》なんだ。武器の性能なら1枚も2枚もこちらが上手なんだよ!」

 

 レインはユウの攻撃を受けながらも、《ツイン・スラスト》を決めた。与えたダメージと喰らったダメージが明らかに釣り合っていないことに、ユウは焦りを感じながら歯を食いしばった。

 

 

 

 

 

 

 雨宮亮にとって、紺野という3人兄妹は『嫉妬の対象』であり『憎むべき相手』であった。

 

 もっとも、後者は雨宮自身の行動の結果も大きな原因であったので、自業自得であるとも言えた。しかし、理屈では『理解』できても、心では『納得』できないのが人間というものである。

 

 彼の両親は、小さいが会社を経営していた。経営はそこそこに順調で、少なくとも彼らの一人息子である亮を甘やかし、好きなおもちゃをたくさん買い与えることができる程度には裕福であった。

 

 そんな中で、彼の行動原理はただひとつだった。

 

『好奇心』。

 

 純粋であり、それは同時に恐ろしいものでもあった。

 

 だから、小学6年生のある時、両親がふと話しているのを聞き、つい調べてしまったのだ。

 

『なあ……今度、亮のクラスに一緒にいる紺野って子なんだが』

 

 たまに家にやって来る部下の前では堂々としているくせに、母の前になると態度が小さくなる父親が、いつになく真剣な口調で言ったのを、亮は聞いて立ち止まった。

 

 決して聞き耳を立てるような趣味は持ち合わせていないのだが、たまたまその時立っていた廊下ならば、リビングにいる両親に勘付かれることなく、話を聞き取ることができた。

 

『ええ、あの子でしょう? ……ほら、妹が病気になっているって子』

 

 病気、という言葉よりも、紺野に妹なんていたんだ、ということを亮はまず思った。

 

 病気だなんて大変そうだな、と考えたのもつかの間、さらなる衝撃が亮を襲った。

 

『しかも、現代の医療では完治する見込みがないっていうじゃないか……うちの子に感染しなければいいんだが』

 

 今思えば、無知で無責任な大人の何気ない一言だったのだろう。しかし、『感染』という言葉は、亮に恐怖と好奇心を抱かせてしまった。

 

 それが教室でのあの発言につながったのだ。

 

 ひとつ言っておくと、彼は決して裕也を追い詰めるような意図を考えていたわけではなかった。彼からすれば、クラスメイトのその日の髪に少し寝癖があったことをからかう、とかその程度に考えていた。

 

 その程度にしか考えていなかったのだ。

 

 しかし……その直後から、裕也を取り巻く環境が一変した。

 

 廊下を歩いていれば水をかけられる。酷い時には突然殴られたり蹴られたりする。

 

 筆箱が壊されている。

 

 椅子と机がどこかへと片づけられている。

 

 その上、教師すらそれを見て見ぬふりを決めていた。

 

 小学生に向けるには大きすぎ、そして純粋すぎる悪意。その様子を見ながら、亮はそれ以上は『傍観者』に徹していた。自ら引き金を引いたにも関わらず。

 

(俺は本当のことを言っただけだ……そうだろう?)

 

 そう考えて逃げていた。恐らく、罪悪感というものを本当の意味で知ったのはこのときだろう、と亮は考えている。

 

 しかし、さらに予想がつかなかったことが、のちに起きた。

 

『紺野君は、親の都合で夏休みのうちに転校していきました』

 

 2学期の始業式の日、突然担任からそれを告げられ、そして紺野裕也が使っていた机は撤去された。始業式の後、妹2人がいたクラスをそれぞれ訪れてみると、そこにあった机がビニールに包まれた状態で昇降口の外に置かれていた。

 

 感染を防ぐため、らしい。消毒もしたそうだ。

 

 亮はそれに寂しさを覚えていたが、他人の心配をしている場合ではなかったことを、その日の内に知った。

 

『でもさ、裕也のやつも大変だったよなー』

 

 午前授業が終わり下校時刻になったとき、廊下から聞こえたその言葉に、まだ教室にいた亮は思わず立ち止まった。

 

(何言っているんだ……こいつ?)

 

 率先していじめを行っていた連中の1人だった。亮にとっては、3年生の頃からよくつるんでいた友人の1人だった。

 

『だってさー、亮のやつがあんなことを言ったからさ、他の奴が便乗したわけだろ?』

『そうそう。別に俺たち裕也をいじめるつもりなんかなかったのにさー。でも、亮のやつは何も悪気はなさそうだったじゃん? 俺たちが止めるのもな、って思っちゃうよな』

『だよなー、あいつ結構わがままだし。「もう二度とゲーム貸さねえぞ!」とか言ってきそうだしな』

 

 亮はその場に立ち止まったまま、その言葉を呆然として聞いていた。

 

『でもさ、本当にいい奴だったよな。なんだかんだ言って、俺たちのことを許してくれたし』

『さすがに亮のことは許さねえみたいだけどな』

『当然だろ。まあ、俺もこれをきっかけにあいつから離れられるかな』

 

 3人は笑ってそう言いながら離れていった。

 

 亮はふと振り返って、教室にいる人たちを見た。

 

『本当、紺野君のこと、残念だったよねー』

『そうだよね。下級生の面倒見もいいし』

『だよな。学級委員とか、面倒な仕事よく引き受けてくれていたから、スゲエ助かっていたのに』

 

 誰もかれもが、この場にいない男の話をしていた。自分たちがしていたことなど、忘れたかのように。

 

 亮の立場が2か月前の裕也と入れ替わるまで、そう時間はかからなかった。唯一異なるのは、裕也のようにこの学校から離れることはできないということだ。

 

 そんなある時、解ったことがあった。

 

『亮、お前、俺たちにどう思われているか分かってないだろ』

 

 かつて親友だった奴が、薄気味悪い笑顔を浮かべながら、そう言ってきた。

 

『裕也の仇なんだよ、お前は。俺、裕也と別れるときに、仇を取るって約束したからな』

 

 その後、同じように話す奴が現れた。

 

『かたき討ち』を口にする奴は1人から2人になった。

 

 その週末には、2人が4人になっていた。

 

 その月末には、20人に膨れ上がっていた。

 

 ひと月経つころには、クラスどころか学年単位にまで広がっていた。その中には、下級生も若干名入っていた。

 

 ようやく、亮は理解した。

 

 ――仕組まれていた。

 

 転校するまでの間に……裕也は悪意の芽を撒いていたのだ。それも、完全に逃げ道を塞ぐ形で。

 

 それ以上に恐ろしいのは、裕也の人脈だ。いや、人心掌握術とでも言うべきか。

 

 相手が求めていることをさりげなく感じ取り、確実に信頼を築き上げる。どんな人間とでも友人関係を築き、そして相手の思考を時間をかけて、自分にとって都合のよい味方になるように仕向けていた。

 

『亮! 聞いたけど、アンタあの病気のお兄さんの子をいじめたんですって?』

 

 ――お前らも、あいつのこと不安そうに話していただろうが!

 

 両親にそんなことを言ってもまったく通用しなかった。

 

 結局、小学校の卒業式には仮面の笑顔を貼り付けて主席した。

 

(いつか、この敵を討つ)

 

 その執念を、胸に抱いて。


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