ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~   作:nozomu7

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和解

 キリトもアスナもクラインも、1層の頃からの、約1年半もの付き合いであるユウが、今までに見せたことのない様子に戸惑っていた。

 

 その一方で、シリカは怒鳴りつけられても、凄まじい迫力で怒りの矛先を向けられても、そこに寂しような笑顔で愛竜と共に立ちはだかり、その場を去ろうとはしなかった。

 

「ユウさん」

 

 シリカは、怒りの形相で自信を睨みつけるユウに対し、真正面から対峙して話す。

 

「確かに、私はまだレベルは低いです。レッドプレイヤーと戦えるとも、思っていません。ですが、それでも、ユウさんの力になりたかった」

「……言ったはずだ。《攻略組》の俺のレベルと、中層プレイヤーである君のレベルでは、差がありすぎる。まして、君はオレンジプレイヤーとすら戦ったことがない。違うか」

「私も、ユウさんの言っていることは間違っていないと思いますよ。ユウさんが、私のことを心配して言ってくれているってことも、分かります」

 

 でも、と彼女は続けた。

 

「いつまでも、守られる女の子には、なりたくないんです。中層のアイドルプレイヤーなんてものでは……あなたの隣に行くことはできませんから」

 

 ほとんど告白に近い言葉を受けて、ユウはしばし言葉に詰まった。

 

 相棒(キリト)と異なり、ユウは鈍感ではない。それは、他人の気持ちに対してもそうであるし、自分の気持ちに対しても同じだ。

 

 はっきり言ってしまえば、ユウはあの一件の後、すぐに自分の気持ちに気が付いていた。この少女に対しては、どうしても気が緩んでしまう、その理由を。

 

(だけど)

 

 ――認めるわけには、いかない。

 

 ここに来て彼女を阻んでいたのは、ユウがこの世界に来るまでの3年間。自分の母親が完全に倒れてしまい、動けなくなってしまってから、彼に残された物は少なかった。

 

 ありていに言ってしまえば、家族の思い出が残る家と妹2人だけ。

 

 NPOなどの支援は幸い受けることができているし、家族の遺産や保険金も残っているため(SAOが購入できていることからも分かる通り)金銭面にそこまで不自由はなかったりするのであるが、お金があるから大丈夫であるわけではない。他にも大変なことなど山ほどある。

 

 紺野裕也は、それを既に小学校高学年の時からやってきたのだ。

 

 今までも、ずっと自分は『守る』側であった。

 

 しかし、シリカの言葉を受けて、ユウは――いや、ユウだけでなく、キリトも、言葉にしたシリカも気が付いた。

 

 今までに、彼が『守られる』ことはあったのであろうかと。

 

 ある程度のことは、キリトもシリカも話を受けている。そして、その少ない情報からも、彼の性格と照らし合わせて考えれば、ある程度想像がついてしまう。

 

 ユウに対する周りの人の評価は、日頃は冷静で、そして気遣いのできる勇気と優しさを兼ね備えた少年。だからこそ、彼に対する気遣いは後回しになりがちだ。

 

 シリカは、初めてその領域に踏み込んだのかもしれない。

 

「シリカ、お前の考えは、とても尊いものだと思う。上っ面だけの、薄い言葉だけじゃないってことは、俺にも感じられるから」

 

 ユウは、顔を伏せたままそう言い、しかし続けて言った。

 

「だからこそ……危険な目に合わせるわけにはいかない。悪いが、これで主街区に跳んで、自分のホームに帰るんだ」

 

 ユウは自分の腰についているポーチから《転移結晶》を取り出す。

 

 本来、これは必要のないことだ。この《十字の丘》にはMobが出ることはなく、そこに安全マージンなど関係ない。危険性があるのは、レッドプレイヤーがいたというその事実だけだ。それももはや過去のことで、ここで再び《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》が出てくる可能性はほとんどないと言っていい。

 

 しかし、無理やりにでもユウはここで彼女と別れる必要があった……。

 

「それは、嫌です。ユウさんの頼みであっても、聞けません」

「シリカ……!」

 

 ユウは、ただただまっすぐで純粋なシリカの視線に、思わず無意識に、一歩後ずさりをした。そして、そのことに衝撃を受ける。

 

(どうしてだ……!)

 

 自分は、妹よりも年下かもしれないこの少女に、敵わないと思っているのか。

 

 そう考えた瞬間、金属の音が丘に鳴り響いた。ユウが背中の剣を引き抜き、地面に突き立てたのだ。

 

「退く気がないのなら……力づくでも、君を排除する」

 

 ユウの宣言に、周囲のプレイヤーの間で衝撃が走った。

 

「おい、ユウ!?」

「ユウの字、テメエ何言っているのか分かってんのか!」

 

 思わず、その場にいる全員が怒鳴った。

 

 無理もない。この世界のHPはすなわち命を数値化したものと言ってもいいのだ。しかも、ユウとシリカの間にあるレベル差は20以上。その上、ユウは一撃の威力を重視する両手剣使いであり、一方でシリカは敏捷値(AGI)寄りのステータスを持つダガー使い。

 

 万が一連撃技のソードスキルでクリティカルヒットでも出れば、その1回のソードスキルで彼女のHPが全損する可能性すらあり得る。

 

 だが、ユウは、自分の武器をアイテム欄(ストレージ)の中で最も攻撃力の低い両手剣に変えた。一応、安全策は敷いてあるようだが、それでも完全とは言い難い。

 

 そして、メニューウィンドウを操作すると、彼女に《決闘(デュエル)》の申し込みをする。

 

【Yuu から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか? YES/NO】

 

 その表示を見て、シリカは一瞬顔を強張らせた。そこで、キリトが剣を抜く。

 

「ユウ! いい加減に――」

「やめて、キリト君」

 

 やめろ、と言いかけた彼の言葉を、アスナが遮った。驚きの表情で彼女の顔を見ると、真剣な表情で問いかけられる。

 

「ねえ、キリト君。もしも、君が……仮に誰かと結婚したあとになって、相手の隠れた一面に気付いたとき、どう思う?」

 

 この状況で何を言っているんだ、と一瞬思ったが、そこでキリトは気が付く。

 

 先ほどのグリムロックだけでなく、今のシリカが(もっとも、キリトは彼女のことを知らなかったが)、まさにその状況なのだと。

 

 彼女の『中層プレイヤー』という立場を考えると、過去にユウがシリカを救ったことがある、と考えるのが妥当である。多分、その中で彼女はユウに対して都合の良い幻想を抱いていたはずだ。

 

 しかし、今のユウはその時とは恐らく、似ても似つかない態度で彼女に剣さえ向けている。それなのにも関わらず、シリカはそれも真正面から挑もうとしてる。

 

 それが、果たしてどれほどの覚悟を抱かせているのか……。

 

 キリトはしばし考えると、シリカを見る目が変わった気がした。

 

 会うのは初対面だが、中層のアイドルプレイヤーであることは知っていた。しかし、実際には1人の少年に対して、唯一救える可能性を持つ少女となっている。

 

(頼む……)

 

 キリトは、ほとんど祈るような気持ちで返事をした。

 

「俺は……ラッキーだった、って思うかな。だって、その人の知っている部分はもう好きなんだから、今まで知らない部分も好きになれたら……」

 

 ――2倍じゃないですか。

 

 キリトがそう言った次の瞬間、いつの間にか始まっていたカウントダウンが0になった。

 

 2人は同時に地面を蹴る。

 

 ユウが選んだスキルは両手用大剣の上段ダッシュ技である《アバランシュ》。その突進力から繰り出される一撃の威力は絶大で、少なくともシリカのダガーでは、ガードしても武器ごと弾き飛ばされてしまうだろう。しかも、射程距離の大きいこの技は、回避されても突進によって距離が出来るためにプレイヤーが体勢を立て直しやすい。両手剣使いならば《決闘》の場ではまずこの技を使うが、彼のシステム外スキルによる運動の増幅は並のプレイヤーを大きく上回っていた。

 

 対し、シリカが選んだスキルは《ラピッド・バイト》。短剣中級突進技で、硬直が少なく連撃スキルに繋げることができるが……ここでは悪手だ、とキリトは思った。あのソードスキルではユウの一撃に対抗することはできないし、武器の間合いと射程距離の双方に劣っている以上、どれほどAGIを全開にしても、先を制することができるとは思えない。

 

 だが、そんな彼の予想は大きく外れることとなった。

 

 キィン、という音と共に、ユウの大剣の軌道がわずかに逸れたのだ。

 

(今のは……《武器落とし(ディスアーム)》?)

 

 それは、ユウの十八番であるシステム外スキルに失敗した時の現象に似ていた。あの技は、仮に失敗した場合、わずかに武器の軌道を逸らすにとどまることがある。その現象が、まさしく今起こった。

 

 しかも、シリカは命中とほぼ同じタイミングでその仮想の体を捻る。両手剣がわずかに彼女の左肩をかすめるが、それでも有効判定とはならず、そして彼らは互いに背を向けた状態のまま硬直に陥る。

 

 先にそれが解けるのは、当然シリカだ。

 

「やあっ!」

 

 ユウが剣を手放し《閃打》を放とうとするが、それよりも早く彼女の渾身の一撃が放たれた。ソードスキルにも頼らない、単純な刺突。しかし、それはユウのHPを確実に削り取る。

 

 宙に《決闘》のウィナー表示が躍った。

 

「ずいぶんと、強くなったようだな」

 

 ユウは、自分よりもずっと下のレベルである少女に敗北したにも関わらず、不自然なほど悔しさを見せない様子で言った。そこには、自分自身に対する苛立ちだけが含まれているように思える。

 

「私が勝ちました。ですから、これからはずっと一緒にいてくださいね?」

「……分かったよ」

 

 自分自身に対し命の危険すら迫っていたというにも拘らず、シリカは若干楽しそうにユウに言う。ユウは、もはや考えることを放棄している様子で、乱暴に返事をしていた。

 

 頭にピナを乗せたまま、シリカがユウの手を引き、彼もそれに抵抗することなく主街区へと去って行く。

 

 その様子を見届けてから、その場にいた全員が大きく息を吐いた。

 

「……ったくよお! ユウの奴、無茶しやがって! キリトにいつも口を酸っぱくしているくせに」

 

 最初にそう叫んだのは、クラインだった。続けて、キリトとアスナも同時にため息をつく。

 

「……本当に、珍しいよな。ユウが、あそこまで意固地になるなんて」

「それだけユウ君にとって、シリカちゃんのことが大切だったってことなんだわ、きっと」

 

 アスナはそう言うが、キリトはシリカの言葉を、心の中で反芻しながらユウのことを案じていた。

 

(……ユウ)

 

 あの少女に任せたものの、本当に彼の心は開かれるのだろうか。むしろ、あそこまで分かりやすい動揺を見せていたのだから、悪影響がなければいいのだが……。

 

「大丈夫よ」

 

 すると、アスナがキリトの不安を振り払うかのように言った。

 

「シリカちゃんならきっと、大丈夫よ。ユウ君のことが本当に大好きで……それで、こんなところまで追いかけてきちゃうような子だもの」

「……そういうものなのかな」

 

 キリトは、いまいち彼女の言葉を理解しかねているようだった。ここは、男と女の考えの差なのかもしれない。もっとも、恋愛経験が皆無のネットゲーマーである桐ケ谷和人には、そのことも分からなかったが。

 

「さあ、行きましょ。すっかり朝になっちゃった」

「前線から2日も離れていたからな……今の層は、今週中に突破しておきたいな」

 

 そう言って、朝日に照らされる森の中を歩き出した彼らであったが、キリトがふとその足を止めて振り返る。すると、朝日に照らされるグリセルダの墓標に、1人のローブを纏う女性が見えた気がした。

 

「行きましょう、キリト君」

「ああ」

 

 《黒の剣士》と《閃光》。

 

 1人の少年と1人の少女が、この時共に歩き始めた。

 

 

 

 

 

 ユウはシリカに連れられて、第35層《ミーシェ》の街にある、ある小さな宿屋の一室にやってきた。そこは、かつてシリカとユウが一つ屋根下で過ごした、あの一夜と同じ場所であった。

 

 彼女は大胆にも『一部屋だけ』を取ると、ユウと手をつないだまま(というか、もうほとんど腕を組んでいるような状態で)部屋の中に入った。

 

 彼ら2人は、部屋の中で向かい合ってそれぞれのベッドに腰掛ける。

 

 それまでずっと黙っていた2人であるが、そこでようやくシリカが口を開いた。

 

「ユウさん」

 

 その言葉に、ユウはビクリと顔を震わせた。彼はわずかに顔を上げたが、ちらりと彼女の表情をうかがうと、すぐにまた顔を俯かせてしまう。

 

 どうやら、《決闘》での敗北によるショックから、まだ完全に抜け出せていないらしい。

 

「俺は……」

「言いたくないなら、言わなくていいです」

 

 ユウが口を開きかけたのを、シリカは制した。

 

「でも、これからは一緒にいてください。この世界が終わって、ユウさんが、妹さんたちの所に帰ってからも、また私と、何度でも会ってください。これが、私の最後のわがままですから……」

 

 彼女は、彼をベッドに横たえると、その隣に潜り込んで部屋の明かりを消した。外はもうすでに多くのプレイヤーが活動している時間帯であるが、徹夜だった2人には関係ないだろう。

 

 2人は、やがて穏やかに寝息を立て始めた。そしてその間、彼らの手はずっとつながったままだった。

 

 ユウが目を覚ましたのは、正午を回ってからであった。まあ、ベッドに就いた時刻から考えれば当然のことであるし、実際シリカはその隣で穏やかで幸せそうな表情で眠っていた。

 

「シリカ……」

 

 さすがに、一度眠ると心の中の整理がある程度できていた。

 

 罪悪感と、淡い想いと、揺れる心と、それでも残っている確固たる信念と。一度目を閉じて考え直したユウは、その中で自分の選択を決めていく。

 

(いや、もう分かってる……自分がどうしたいのか、など)

 

 要するに、それを実行に移すだけの覚悟がなかっただけだ。

 

 そのことを自覚したユウは、体を起こして隣に眠る少女の頭を優しくなでた。

 

「ん、ん……」

「……悪い、起こしちゃったみたいだな」

 

 シリカが目を覚ましたので、ユウはそう言った。その声は、昨日とは異なり、かつての優しげなものだった。

 

「ユウさん……」

「昨日はごめんな。心配をかけちまった」

 

 久しぶりに見たこの少年の笑顔に、シリカは顔を赤くする。

 

 その表情は、どこか晴れ晴れとしたものだった。

 

「あのさ、昨日、シリカは言わなくてもいいって言ってくれたけれど……それでも、やっぱり伝えておくよ」

 

 ユウは、ゆっくりと話す。

 

 緊張で、手が汗ばみ、心臓の鼓動は自分自身に聞こえてくるようだった。それでも、ユウは言葉を紡ぐ。

 

「俺はさ」

 

 その声は、少し震えていた。

 

「俺は――――」

 

 そこから、ユウは1時間近くも欠けて胸の内を語った。

 

 ――父親に続けて、この世界に来る数年前に母親をも失ってからの、胸の中にある虚無感。

 

 ――それを紛らわすかのように、自分の妹を助けることに対して全てをつぎ込んでいたあの時。

 

 ――もはや敵と言っても良い親戚たちとの、わずか小学校高学年のころからの絶望的な、自分の家を守る戦い。実際に様々な手続きをしてくれたのは父親の友人であるという弁護士なのだが、それでも心労は並大抵のものではなかった。

 

 ――ついに妹たちが助かったその矢先に、この世界に閉じ込められたこと。

 

 ――この世界で暮らしていくうちに、徐々に心の中に増えていくその焦り。そして、その矢先にシリカとの出会いを果たした。

 

 始めは彼女と妹を重ね、この少女を守ることで満足感を得ようとしていた。そして、そのことを自覚して自分自身に嫌気がさした。

 

 そして……。

 

「俺は、シリカと一緒にいたい」

 

 最初の一言を口にすると、心の奥底から、次々と言葉があふれて止まらなくなった。

 

「好きな子と、ずっと一緒にいたい。もう、1人で何かを守り続けることには、疲れたよ……」

 

《アインクラッド》に入ってから初めて、ユウは弱音を吐いた。

 

 そのまま、彼女を引き寄せて抱きしめる。シリカはそれに抵抗せず、そして先ほどから煩わしく発生している《ハラスメント防止コード》の警告文を解除した。

 

 2人の顔が一度離れ、そして唇が重なった。

 

 再び顔を離した時目が合ってしまい、2人とも顔を真っ赤に染める。それを見て、お互いに笑い合った。

 

 青い竜は、その傍らで彼らを見守るように身を丸めていた。




前回はすみません。
素で予約投稿忘れていました。

さて、執筆の方が追いついていないので、またしばらく投稿できません。卒業研究と就活が忙しすぎる……


最後に。
いつから、ユウがこれでハッピーエンドを迎えられると錯覚していた?
……って感じです。具体的にはユイの話の前に《笑う棺桶》討伐戦やります。
先が長そう……

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