ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~ 作:nozomu7
さすがに道端で話すには長すぎるだろう、ということで、ネズハに露店の全ての商売道具を《ベンターズ・カーペット》に収納させた後、4人は広場に程近い空家の一室に場を移した。
「……まさか、そんなところにまで、気づくなんて……」
恥じるように下を向いた彼に、ユウは苦笑いをして言った。
「俺も大概オタクだからな。神話とかに関しては特に。だけど、《レジェンド・ブレイブス》の連中は君のことを《ネズオ》って呼んでいたからさ。あれはつまり……彼らにも教えていないってことだろ? 君の名前が、正真正銘の勇者であることを」
「ええ、その通りです……」
今度は、ネズハの肯定の返事を聞いたアスナが尋ねる。
「じゃあ、あなたにも何か目指すべきものがあったのでしょう? そのために戦うべき何かが。だって、あなたは自分の足で《はじまりの街》を出たのだから」
すると、彼は視線を落としたまま沈黙した。その心境について考えあげくねていた3人であったが、少ししてから気がつく。ネズハの視線の先、彼の足についているものが、日用品のシューズではなく戦闘用の防具であることに。
やはり、彼は1度勇者になることを目指し、しかし何らかの理由で夢に破れたものだったのだ。
「……確かに、ありました。目指していた物が」
そう言ったネズハの瞳の中には、諦めの色だけでなく小さな灯が光っているようだった。しかし、それを否定するかのように彼は首を横に振って続けた。
「でも、もう、消えてしまったんです。この世界に来る前に。それよりずっと前……ナーヴギアを買った、その日に。……僕は……最初の接続テストで、FNC判定だったんです……」
その言葉に、ユウは驚いた。
FNC……フルダイブ
VR機器というものは、本来個人的にチューニングを施すことが望ましいようなデリケートな機械だ。
しかし、民生用として何万台と発注される《ナーヴギア》においては、そのようなことはできない。そのため、最初の接続においては、マシンに搭載された自動調整機能によって、初回の長く退屈な接続テスト及びキャリブレーションをする必要があるのだ。
そして、ごくまれに発生してしまうのが、彼のようなFNC判定。場合によってはフルダイブそのものが不可能なケースもある。もっとも、今回のSAOにおいてはダイブできないような重度のFNCだったほうが良かったと言えるが。
「……僕の場合は、聴・触・味・嗅の四感は正常に機能するんですが、肝心の視覚に影響が出てしまって……」
そう言いながら、彼は目の前に置かれたお茶のカップに手を伸ばした。アスナが用意してくれたものであるが、彼はいきなり把手を掴むようなことはせずに、手前からそろそろと指を近づけ、その先が触れてから慎重にホールドする。
彼は、この電脳世界においては遠近感が正常に機能していない。
ネズハはお茶を一口飲んだが、それをソーサーに戻す時も、非常に慎重にカップを運んでいた。
「僕には、
彼が強化の工程を丁寧にこなしていたのは、砕いてしまう剣に対する申し訳なさだけでなく、そういった理由があったのだ。
だが、これでは彼の名前と鍛冶屋という職業との食い違いしか説明できない。すると、ユウが再び質問を重ねるよりも先にネズハが話を続けた。
「……《レジェンド・ブレイブス》はもともと、SAO正式サービスの3か月前に出た、ナーヴギア用のアクションゲームで組んでたチームなんです」
一本道の向こうから迫りくるモンスターを、手に持った剣や斧でひたすら斬りつけて得点を競うという単純なゲーム。しかし、奥行きの分からない彼はモンスターの接近を許し、武器を空ぶってばかりであった。
そして、ネズハはチームの足を引っ張っているにも関わらず、それでもチームの誰も抜けることを勧告しないことで、そこに留まり続けた。なぜなら、彼ら全員はSAOに参加することが決定していたからだ。
確かに、この世界は『はじまりの日』以前までネットゲーマーの誰もが憧れ、手に入れようと躍起になっていたものだった。ユウにしても、ダイブさえできるのであればたとえFNC判定でもこの世界に足を踏み入れていただろう。
3人の沈黙をどのように解釈したのかは分からないが、ネズハは何度目かの自嘲的な笑みを浮かべた。
彼はこのゲームの前までは、他の勇者、それこそオルランドやクフーリンのような知名度の高いものを使っていたという。しかし、それを《Nezha》と変え、『ナタク』と読ませずにネズハのままで放置したのは、彼らに対する追従、おべっかだった。みんなみたいな英雄の名前は使わないから、仲間のままにしておいてくれ、という……。
「由来を聞かれたときは、本名のもじりだって答えました。もちろん、嘘です。みんなにネズオ、ネズオって呼ばれながら、内心では僕の名前だって英雄なんだぞって思ってたんです。ほんとに、どうしようもないですよね……」
そんな内罰的な彼の言葉を、3人は肯定も否定もしなかった。しかし代わりに、室内でもフードをかぶったままのアスナが彼に尋ねる。
「でも、SAOがデスゲームになって状況が変わったのね? あなたはフィールドに出るのをやめて生産職になった」
鍛冶屋ならば、フィールドに出ずとも仲間のサポートはできる。しかし、どうしてそこから詐欺にまで話が飛躍したのか?
「そもそも、詐欺は誰のアイデアだったの? あなた? それともオルランド?」
彼女らしい、核心を正確に貫くような質問にネズハはしばし口をつぐんだ。しかし、そこから出てきた言葉は思いもよらないものだった。
「僕でも、オルランドでも……他の仲間でもありません」
「「え……じゃあ、誰が……」」
彼らの予想通り、ネズハは最初、戦闘職を目指していた。この世界で唯一飛び道具として使えるスキル《投剣》――だが、投げナイフのストックが切れれば、投げられるのはフィールドで拾うことができる石だけだ。しかも、それでははっきり言ってほとんどダメージを与えることができない。
ネズハは熟練度を50まで上げたところで戦闘職を諦めた。そして、その時の話し合いはかなり険悪な雰囲気だったそうだ。
「誰も口には出しませんでしたけど、ギルドに僕を抱えているせいで出遅れたって、みんな思っていたはずです」
ネズハを《はじまりの街》のおいていこう、と誰かが言い出すのを誰もが待っているような雰囲気になっていた。するとそのとき、話し合いをしていた酒場の中にいたプレイヤー(ネズハはずっとNPCだと思っていたらしい)が近寄ってきて言ったそうだ。
『そいつが戦闘スキル持ちの鍛冶屋になるなら、すげえクールな稼ぎ方があるぜ』
キリト、アスナ、ユウの3人は思わず顔を見合わせた。まさか、この巧妙な《強化詐欺》のトリックを考え出したのが、《レジェンド・ブレイブス》以外のプレイヤーだったとは……。
「だ、誰だ、そいつ?」
「名前は……分かりません」
名前も教えず、それ以降一度も会わず、本当に《強化詐欺》の手法だけを教えると情報料も取らずに立ち去った。しゃべり方も奇妙で、黒エナメルの雨合羽みたいなフーデッドマントを、かぶっていたという。
フーデッドマント……SAOを含めファンタジー系の世界の装備としてはフード付きのものは珍しくない。実際に、キリトの隣にいるアスナもフード付きのケープをすっぽりとかぶっている。そして……彼女は『あったかいから』などと言っていたが、当然ながら本当の理由は防寒ではない。
顔を隠すこと、である。
すると、アスナはふんと小さく鼻を鳴らした後にその頭を覆う装備を解除した。栗色のロングヘアと透明感のある白い肌が、まるで自ら発光しているかのごとく輝きを放つ。
「その黒ポンチョ男だけど……」
「あ……は、はいっ」
目の前の少女の美貌に見とれていたネズハは、キリトの言葉に慌てたように返事をした。
「そいつ、マージン……つまり強化詐欺で得た利益の分け前の受け渡し方法は、どういうふうに指定したんだ」
もしも分配が手渡しならば、その現場を取り押さえることができるはず……しかし、そんな3人の幻想は一瞬で砕かれた。
なんと、分け前の要求は一切なかったという。純粋にアイディアの提供のみで立ち去って行ったのだ。
ただ、唯一それ以外で話したことがあったそうだ。
「やっぱり詐欺は詐欺ですから、最初はオルランドたちも否定的な反応だったんです。そんなの犯罪じゃないか、って。そしたら、あいつがフードの下ですごく明るく笑って……」
わざとらしくない、映画の中のような、綺麗な笑い方をして言ったそうだ。
『ここはネトゲの中だぜ? やっちゃいけないことは、最初っからシステム的にできないことになってるに決まってるだろ? ってことはさ、やれることは何でもやっていい……そう思わないか?』
「そ……そんなの詭弁だわ!」
ネズハの口が閉じられるよりも早く、アスナが叫んだ。
「だって、それなら、他人が戦っているモンスターを横から攻撃したり、トレインしちゃったモンスターを押し付けたり、そういうマナー違反もやり放題になっちゃうじゃない! いえ、もっと言えば、《圏外》じゃあ《
彼女の言葉は、そこで途切れた。
誰かが少女を止めるような言動を取ったわけではない。しかし、『その先』を口にするのが怖かったのだ。言ってしまえば、まるでそれが現実になってしまうかのような感じがしたから。
キリトの指先が振れたことで、アースから静電気が抜け落ちていくように強張っていたアスナの体から力が抜けた。
その様子を隣で見ていたユウは、気を取り直して彼に質問を重ねる。
「そのポンチョ男が言っていたのは、それだけなのか? もっと詐欺を煽るようなことは」
しかし、ネズハたちが頷くと「グッドラック」と言い残して立ち去り、二度と顔を見せなかったそうだ。
「……今にして思うと、ちょっと不思議なんですが……あいつがいなくなった後、ギルドの雰囲気が変わってて……みんな、やれるんならやっちゃうか、みたいなノリで盛り上がって」
そしてネズハ自身も、役立たずのお荷物になるよりは詐欺の主役になって金を稼いだ方が良い、と思い始めた。しかしそう言った直後、彼はぎゅっと目をつぶり口元を強張らせて話す。
「……でも、初めて詐欺を実行した日……」
すり替えたエンド品とは知らない目の前の剣が砕けた時の客の顔を見て、絶対にやってはいけないことなんだとようやく気づかされた。しかし、その1回でやめようと思っても、ギルドのメンバーが奪った剣を見て喜ぶ姿があって……。
そこまで話したネズハは、いきなり自分の額を激しくテーブルに打ち付けた。現実の世界でやれば血が流れてもおかしくないくらいの勢いであったが、《コード》に保護されているネズハのHPが減ることはない。
今までに騙し取った剣のほとんどは
しかも、彼の罪を告白すれば多くのプレイヤーからどのような《罰》が彼に与えられるのかは想像もつかない。
だが、このまま何もしないわけには行かないのも事実で――
「……ネズハ」
するとその時、ユウ、アスナと同じように沈黙していたキリトが口を開いた。その言葉に、鍛冶屋はテーブルに押し当てていた額をほんの少し持ち上げた。
「レベルは今いくつだ?」
「……10、です」
「なら、まだスキルスロットは3つだよな。取っているのは?」
「……《片手武器作成》と《所持容量拡張》、それに……《投剣》……」
「そうか。……もし、君にも使える武器があるって言ったら、武器作成を……鍛冶スキルを捨てる覚悟はあるか……?」
その言葉に、ネズハは目を大きく見開いた。
2022年12月14日、木曜日。デスゲーム開始から、38日目。
前線攻略集団のプレイヤーはついに迷宮区を突破して第2層フロアボスの待ち受けるボス部屋へと到達を果たした。
そして、今回ボス戦に参加するプレイヤーの総数は47人。前回の参加者から命を落とした騎士ディアベルと、彼の死にショックを受けた何名かのプレイヤーが抜けた一方で、
レイドの詳細は、まず今は亡きディアベルの副官を務めていたシミター使い・リンドが指揮する青グループの《ドラゴンナイツ》(ナイツは分かるが、ドラゴンがどこから出てきたのかは不明)。そして、キバオウ率いる《アインクラッド解放隊》。第一層ボス戦にて《最後の
「あと1人いれば
キリトの言葉に、2人が頷く。
「そうね……。彼、やっぱり間に合わなかったのね」
「ボス部屋到達まで結構早かったからな。さすがに、あのクエストを3日でやるのは厳しいよ。鍛冶屋だったんじゃ、
アスナに続けてユウがそんなことを言ったら、少女はフード越しにじろりと2人を睨んだ。
「何せ、どこかの誰かさんたちでも2泊3日コースだったんですものね」
そう、ネズハが今ごろ必死になっているであろうクエストとは、例のヒゲ師匠の下で受けることができるエクストラスキル《体術》のクエストだ。
なぜキリトが彼にそれを勧めたのかというと、キリトが第2層迷宮区で拾ったレア武器は《投剣》以外に《体術》スキルも獲得していなければならないという珍種の物だったからだ。だから彼は、ネズハに《片手武器作成》を捨てることを要求した。
このSAOにおいては、一度スキルスロットからスキルを外すとその熟練度は0にリセットされてしまう。当然ながら、1か月鍛え上げたユウの《片手剣》もすでに使い物にならなくなっており、その代わりに今は《両手剣》が入っているというわけだ。
《所持容量拡張》ではなく鍛冶スキルを捨てさせたのは、現状のSAOで鍛冶と戦闘の兼職は危険すぎるからだ。フィールドに出るならば、スキルの構成からストレージの中身に至るまでのすべてを『生き残る』ことに費やす必要がある。もっとレベルが上がってスキルスロットに余裕でもできれば話は別なのかもしれないが、そんなことができるようになるのははるか先になるだろう。
しかし、キリトの言葉に彼はたった一度深呼吸をしただけで決断した。
『この世界で、剣士になれるなら、他の何も要りません』
彼はそう言った後、少し笑って『でもこの武器じゃ剣士とは言えないかもしれませんね』と言った。しかし、アスナが意外にも『ゲームクリアのために戦う人は誰もが剣士だわ。たぶん、純生産職でも』と応じていた。
「まあ、いちばん重要な目的は達しているからいいだろ。それに、次の層のボス戦に出る可能性もあるしな。もちろん、ブレイブス以外のところに入れてもらって……だけど」
ユウはそう言って、ちらりと《レジェンド・ブレイブス》のメンバーたちを見る。彼らは突然行方をくらませた仲間の1人を気にかけているのか、不安だけでなく不機嫌を混同させた表情をしていた。
いちばん重要な目的とはもちろん、ネズハに《強化詐欺》をやめさせることだ。それを達成しているから焦る必要はない。そして付け加えれば、何も知らずにいるブレイブスの面々の疑問を解消するつもりもなかった。彼らはそれこそ全プレイヤーにことが知られれば、そくざに《処刑》されかねないことをしたのだから。それも、ネズハ1人に負担させる形で。
「……それはそうとして2人とも。わたしたち、他人様のパーティー事情を心配している状況でもないと思うんだけれど」
「へ? なんで?」
キリトは疑問の声を上げるが、ユウは周囲を見渡すとすぐに気が付いた。
「現時点で青パーティーが3つ、緑も3つ。ブレイブスで1つ。エギルたちのところで1つ。これで計8パーティーだ」
「うっ……そ、そうか……」
慌てているキリトをジト目で見つめるユウであったが、アスナと共に一度ため息をつくと彼はエギルに声をかけた。
「エギル。すまないが、俺たちをパーティーに入れてくれないか? ほら、1層の時と違ってすでに8つのパーティーができちゃっているから……」
「おう、俺も今声をかけようと思っていたところだ。ちょうど俺たちの所が3人だから、こっちに入れよ」
前回の時エギルたちは4人だったが、1人が武器の強化に間に合わず(どうやらネズハとは関係なさそうで3人は安心した)辞退したらしい。その申し出にユウとアスナがお礼を言うが、キリトは戸惑っていた。
「でも、いいのか? 俺はほら、立場的に……」
ユウとアスナがため息をつき、エギルは肩を竦めつつ両腕を広げた。その手のジェスチャーを自然とやっているのも日本人離れしているが、その一方で完璧な日本語を話すので彼には不思議な魅力がある。
アスナがキリトを軽くからかった後、リーダーであるリンドが声を上げた。