ソードアート・オンライン~竜殺しの騎士~ 作:nozomu7
「ゲート開通から5日で迷宮区到達、カ。ずいぶん早かったナ」
早々とお代わりを注文したアルゴの言葉に、キリトが頷いた。
「そりゃ、1層と比べればな」
1層の攻略に1か月もかかったおかげで、攻略に参加している人たちのレベルは、すでに10を超えている人も多いのだ。ベータテスターである彼らが言うことには、本来2層のクリア可能レベルは7か8だというので、クリアが可能かどうかという点で言えばすでに十分な戦力が集まっていると言える。
「ふぅん、今回の攻略だと10は行くわよね」
アスナの言葉に頷いたユウがちらりと視界の隅のパーティーゲージに視線を向けると、迷宮区の《トーラス族》(ミノタウロスのようなMob)をひたすらに倒していたおかげで、自分を含め3人ともレベルが上がっていた。キリトが14、そしてアスナとユウが12である。
「まあ、それでも気は抜けないだろうけどな」
ユウの言葉に、キリトが真剣な表情で頷いた。
「数値的なステータスだけ見れば十分に安全圏だけど……フロアボスには雑魚Mobの常識は通用しないからな……」
それは、1層のボス戦を思い出せば分かることだ。
第1層のボス《インファング・ザ・コボルドロード》と対峙した時、戦いに参加していたレイドの平均レベルは、ベータテストの時をはるかに上回っていたはずである。しかし、たとえあの場でキリト以外に見覚えのなかったカタナスキルを使われたとはいえ、一度はボス攻略は失敗だと思わされたあの絶望感は、記憶に新しい。
さらに、2杯目のジョッキの7割ほどを空にしたアルゴが、追い打ちをかけるように言った。
「それに、ここのボスはレベルよりも装備の強化が大事だからナー」
「そうなんだよなぁ……」
げ、とユウはその言葉に眉をひそめた。《強化詐欺》で一度剣を失ってしまっているため、強化にまるで余裕がないのだ。今度のボス戦、どうしようか……とユウは少しうなだれる。
しかし、この情報は近々人々の間に出回るだろう。そうすれば、強化に必要な素材を落とすMobは片っ端から狩り尽くされる可能性が高いし、そうすれば鍛冶屋だって……。
「「う……」」
思わずもらしたユウの声が、やはり同じことを考えていたらしいキリトと重なった。
件の強化詐欺をした《ネズハのスミスショップ》は、今日2層の主街区である《ウルバス》から迷宮区最寄りの街《タラン》まで移動してきたのは、単にほとぼりを冷ますためではなかった? そうではなく……需要が増加するであろう強化を狙って、再び詐欺を起こすことが狙いなのだとしたら――
「……アルゴ」
その考えを遮るように、キリトの声が割り込んだ。
「まずこれ、迷宮区1階・2階のマップデータ」
そして、その後にキリトが彼女に依頼をした。内容はもちろん、《レジェンド・ブレイブス》の調査だ。そして、さらにキリトが条件を付けるという。
「俺が彼らの情報を欲しがっていることを、誰にも知られたくない。彼ら自身には、特に」
しかし、この条件はアルゴの情報屋としての方針に反するものだ。『売れる情報は何でも売る』という彼女の辞書には『依頼人の秘密厳守』の文字は存在しない。したがって、通常このような依頼をすれば『あんたらの情報を欲しがっている奴がいるけど名前を買うカ?』と彼らに持ちかけるのだ。
当然ながら彼らよりも高い金額を出せば名前を伏せておくことはできるが、どちらにしろ『誰かが《レジェンド・ブレイブス》の情報を集めようとしている』という事実は露見してしまう。そして、彼らの悪事を暴こうとしている今、それは避けたい。
すると、アルゴは自分の金髪の巻き毛を手でいじりながら悩んでいたが、しばらくすると「ま、いっカ」とあっさりと言った。ユウはその返事に拍子抜けしたが、さらに彼女は付け加えた。
「でも、これは覚えておいてくれよナ。オネーサンが、商売のルールよりもキー坊への私情を優先したってことをナ」
しかし、その言葉を聞いたアスナから、めらっと抑えきれない何かの感情をまとったオーラが発生した。思わず硬直する男たちを差し置いて、アルゴは少女へと話す相手を変える。
「んデ、アーちゃんも何かオイラに依頼があるのカ?」
10分後、酒場を出た彼らは再びタランの村の東広場へと戻っていった。しかし、ユウはそこでとどまらずに装備強化に必要なアイテムの収集に出かけ、キリトとアスナは夕食を食べながら鍛冶屋を監視して《強化詐欺》の手法を暴くことを考えることとなった。
そんなわけで、ユウは再びソロでMobを片っ端から狩っていた。
「はあっ!」
気合いの入った叫びと共に、ユウは牛に向けて両手剣ソードスキル《アバランシュ》を発動する。上段に剣を構えダッシュと共に振り落す技だが、単純である一方で剣の重さが利用されるので威力も高い。
迷宮区に
「ふう……やっぱり、最初からこっちのほうが良かったかな」
ユウがそう言ったところで、ふと視界の端でアイコンが点滅しているのを確認した。メッセージの知らせであることを確認したユウは、近くの安全地帯へと足を向き直し、その途中でもう1体の牛人を屠った。
「差出人は……キリトから?」
ユウは首を傾げるが、直後その内容を見て思わず駆け出していた。なぜなら、彼からのメッセージにはこう書いてあったからだ。
【強化詐欺の手口が完全に分かった】
「キリト!」
全速力で《ウルバス》まで走ってきたユウは、街の入り口でわざわざ待っていてくれた友人たちに声をかける。そして、慌てた様子で思わずキリトの両肩を掴んで言った。
「あれを分かったって言うのか? 結局、どういうことなんだ?」
「お、落ち着けよ、ユウ。気持ちは分からなくもないけどさ」
キリトのその言葉に、ユウは決まりの悪そうな表情をして数歩下がった。すると、その横にいたアスナが真剣な表情で言う。
「ユウ君が言っていた、《ナタク》がヒントになったそうよ」
「そうか……」
「ユウ」
キリトも真剣な表情に切替える。
「俺たちは、これからネズハのところへ行くつもりなんだ。だけど、その前にユウには話しておくよ」
「分かった……頼む」
3人は東広場からしばらく離れた場所まで来ていた。まだ他の人たちに話を聞かれるわけには行かないので、周囲を入念に索敵した上で、キリトが話を切り出す。
「まず、ユウが言っていたよな。《Nezha》は《ネズハ》ではなく、《ナタク》という中国の英雄だって」
「ああ……やっぱり、それが関わっていたのか」
「俺はそれをアルゴから再び教えられたとき、ある可能性に気が付いたんだ」
その言葉にユウは眉をひそめる。
「可能性?」
「ああ、それはな……」
キリトは一瞬ためを作った後、ユウにも思い浮かばなかったそれを言った。
「ネズハが、本当は鍛冶屋ではなくて、戦闘職になりたかったのではないか、という可能性だ」
その言葉に一瞬ユウは呆けた後、すぐにはっとした表情になった。
(……どうして俺は気が付かなかったんだ!?)
もっと、根本的なことから考えるべきだった、とユウは己のミスを痛感した。
英雄と同じ名前を名乗ろうとしているのであれば、普通は最前線に出て戦うことを心から望んでいると考えるべきであるのに。
とすると、さまざまな疑問が一度に解けていく。
「つまり……あいつは《鍛冶》系統のスキル以外に、戦闘系のスキルも持っていると考えるべきで……」
「そう。ここで重要となるのが、スキルModの」
「――《クイックチェンジ》か」
ModとはModifyの略であり、各種スキルを上げていくと一定数値ごとに取得が可能になる、いわば『スキルの強化オプション』のことだ。
たとえば、《索敵》スキルの場合は熟練度50で最初のModを獲得できるようになる。《同時索敵数ボーナス》だとか《索敵距離ボーナス》などスキルを直接的に強化するものもあれば、以前ユウが《体術》スキルを獲得する直前キリトを探そうとした時の《追跡》のような派生スキルも存在する。
そして、《クイックチェンジ》はほとんどの片手武器で最初の方から取得できるModである。本来長ったらしい手順のかかる、自分の装備を変えるのに必要な操作を、事前に設定しておけばメニュー・ウィンドウのボタン1つで瞬時に武器の換装が可能となるものである。
しかし実際には、現在のところこのModを取得している人間は少ない――いや、ほとんどいないと言って良いだろう。なぜなら、キリトが以前言ったように、このModが必要となるのはスナッチMobが出てくるようになってからであるためだ。
だけど、キリトは知っていた。《クイックチェンジ》は細かな設定が可能であり、どちらの手にどの武器を装備するか、自由に選ぶことができるのだ。そう、それこそ――直前に装備していた同種の武器をストレージ内から自動的に選択することも。
「鍛冶屋に武器を渡した状態は、すなわちフィールドで仲間と武器の貸し借りをしたときと同じ……《
キリトの説明で、ユウはようやく全てを理解した。
「つまり……」
まず、ネズハは客から武器を渡されることにより《武器手渡し状態》をつくり出す。そして、素材が炉の中に入れられた時に強い光と共に色が変わる、例のミスディレクションの瞬間に入れ替えるのだ。武器を握った左手の人差指で、カーペットの上にびっしりと並べられた売り物の下に隠したメニューウィンドウのショートカットアイコンを押して、《クイックチェンジ》を発動することによって。
これで、すり替えの件については理解した。しかし、砕けた剣についてはアルゴから次のような情報が手に入ったそうだ。
『厳密な失敗ペナルティとしてなら、武器破壊はまず間違いなく起きナイ。ただ、強化を試みて必ず結果が破壊になる場合はアル。それは、
ここで思い出されるのが、初めてネズハを見た時の、リュフィオール氏の1件だ。鍛冶屋は最後に、残った《エンド品》の《アニールブレード》を買い取った。それも、NPCの2倍もの相場で。
「つまり、あれは後ですり替えるための《エンド品》を用意するという、次の詐欺に向けての仕込みだったという訳か……じゃあ、後はどうやって証明するんだ? まさか、詐欺をさせたその場で《全オブジェクト化》を実行するわけじゃないよな?」
「まさか。こっちも《クイックチェンジ》を使用すればいいんだよ」
その言葉に、なるほど、とユウは頷く。
そんな訳で、それから彼らは今までに増して迷宮区に引きこもるようになった。狙いはもちろん、キリトの《クイックチェンジ》取得だ。そのため、彼らがそれを実行するのにはさらに2日を要した。
もっとも、その過程でちょっとしたレア武器がドロップしたり、20階建ての塔のマッピングがかなり進んだりした。マッピングデータは例のごとく情報屋に無料譲渡したのだが(キリトを始めとして、かなりのプレイヤーは『マッピングデータで商売をする気はない』とのこと)、そのせいでリンド隊とキバオウ隊はあまり気分が良くないらしい。まあ、現在全暫定的ギルドの中でトップである彼らよりも先を行っているプレイヤーがいるのだから、当然のことなのかもしれないが。
そして、《片手剣》スキルの熟練度を100まで上げて《クイックチェンジ》を取得したキリトは、変装のために安物のグレートヘルムやガントレットをNPCの店で購入して装備すると、さっそくネズハの店へと行った。ユウはというと、すぐそばの建物の2階でアスナとその様子を見ている。
変装したキリトが鍛冶屋に話しかけ、そして剣の強化を依頼する。そして、ネズハは一連の動作を丁寧にこなしていき、その途中で一瞬剣が点滅した。
そして、剣に向けてハンマーが振り下ろされる。システム上に規定された回数を叩けば、結果は変わらないというのにもかかわらず、彼は1回、2回と丁寧にこなしていく。まるで、意図して砕かれてしまう剣を悼むかのように。
そして、剣が破砕し、「すみません!」という声が聞こえた直後、キリトが言う。「いや、謝る必要はないよ」という言葉の直後、呆然と凍り付く少年の前で、頭から順に装備が解除されて見慣れたものに変化していき、そしてネズハの目が大きく見開かれた。
「……あ、あ……あなたは、あの時の……」
「悪かったな、変装みたいな真似して。でも、顔を見られたらあんたが依頼を受けてくれないと思ったんだ」
そして、キリトが《クイックチェンジ》を発動すると、その右手の中に
徐々に肩を落としていったネズハが、やがてがくりとうなだれる。しかし、一言二言何かを呟くと、右手から落ちたスミスハンマーにも目もくれずにいきなり走り出す。
それを見たアスナとユウは、ほぼ同時に窓から身を乗り出した。2階の高さから《圏内》特有のノックバックなしで飛び降りるには少々
ネズハの進路を防いだ彼女は、毅然とした表情で言い放つ。
「あなた1人が死んでも、何も解決しないわ」
その言葉にユウは頷くと、普段は柔和な笑みを浮かべているその表情を厳しいものに変えてネズハを見る。すると、彼は2人の視線から逃れるように視線を背けると、張り詰めた声を絞り出した。
「……もし、誰かが僕の詐欺に気付いたら……その時は、死んで罪を償おうって、最初から決めていたんです」
「今このSAOにおいて、自殺は最も重い罪だ。それは今までのように、鍛冶屋に依頼する剣士たちを侮辱するだけではない。全プレイヤーを裏切ることと同じだ」
感情を押し殺すかのように淡々と告げられたユウの声は、彼の目の前でいっそう身を縮こませるネズハだけでなく、その隣で聞いているキリトすら背筋に寒いものが走るものだった。声色からは感情が感じられないはずなのに、今までの1か月のどの時よりも彼から感情があふれ出しているように感じられるというその矛盾する感覚があった。
しかし、縮こませていたネズハの体が弾かれるように顔を上げた。
「どうせ! どうせ僕みたいなノロマはいつか必ず死ぬんだ! モンスターに殺されるのも、自殺するのも、早いか遅いかだけの違いなんだ!」
その言葉を聞いた3人は一瞬静寂――したわけではなく、唯一キリトだけがふふっと堪え切れなかったように小さく笑った。その様子に、ユウとアスナがじろりとキリトを睨み、ネズハは不思議そうに彼を見つめる。すると、彼は自分の不謹慎な態度を謝罪するかのように両手を上げた。
「ごめん、君の言葉を笑ったわけじゃないんだ。そっちのお姉さんも、ほんの1週間前に、今の君とほとんど同じことを言ったもんだからさ……」
「「え……」」
彼の言葉に、ネズハだけでなくユウも思わずアスナの方へ振り返る。そして、ネズハは何度か息を吸い込んだ後に言った。
「あの……あなたは、前線攻略集団のアスナさん……ですよね?」
「え……?」
今度はアスナがぱちぱちと瞬きした。
「何で知っているの?」
「そりゃ、フーデッドケープの
「……そ、そう」
ネズハの解説を聞いた彼女は、実に複雑そうな表情をした。すると、キリトとユウが彼女へ言う。
「その変装が早くも記号化しちゃってるみたいだな。《灰ずきんちゃん》みたいな通り名が付く前に外した方がいいんじゃないか?」
「大きなお・せ・わ、よ! わたしはこれが気に入ってるの! あったかいし!」
なら、春になったらどうするのか、とはさすがに2人とも紳士として聞かなかった。その代わり、ユウがネズハに尋ねる。
「アスナを知っているなら、俺たちのことも知っているのか? 特に、そっちにいる黒づくめのキリトだけれど」
「え、ええと……いえ、知りません。すみません」
自分たちの知名度を知るための質問ではなく、《ビーター》とその仲間であることが知られているかどうかという確認だったので、ユウはほっとする。一方、その隣に立つキリトは少々肩を落としていた。そんな彼を、アスナがからかうが、そのやりとりを無視して、ユウが訊いた。
「訊きたいことはいくつかあるが……とにかく、教えてくれないか? 君の全てを。このようなことをした経緯や、《レジェンド・ブレイブス》との関係。そして何より、どうして《ナタク》たる君が鍛冶屋をしているのかを」
最後の言葉に、彼はそれまで伏せていた目を大きく見開いた。