というわけで3分割の最後です
翌朝、今日も今日とて海の上での走り込みを終えた兼一は、修行道具である地蔵などを地下倉庫のとある一角に隠すように片付ける。昨日の朝は時間がなかったため、適当な場所に隠していたが放課後にこの場所に片付けている。さて、この地下倉庫、物騒な東京武偵高でもとりわけ危険な場所であるのだが、その理由の一端に兼一の修行道具の数々が含まれたことは言うまでもないだろう。
寮に戻り、汗を流していると寝室の方が騒がしくなる。
お腹を空かせたアリアが、キンジに朝食を用意しろと言って一悶着おきているらしい。それを察知した兼一はため息1つ、風呂から上がるとなおも不毛なやり取りを続けている様子のキンジとアリア。それを尻目にキッチンに向かい朝食の準備をする。調理を初めて3分、部屋に空腹を促進させる甘美な匂いが充満する。
「2人とも、簡単なものだけど出来たからそれ食べて早く出なさい。時間はそんなにないよ」
その声の後、準備を終えた2人がのろのろとテーブルに集まり、3人で食卓を囲むのだった。
「片付けはしておくから、いってらっしゃい。乗り遅れたらシャレにならないでしょ」
前日の爆弾騒ぎによって、自転車がなくなったキンジは乗り遅れると本当にシャレにならない。始業式から続けて遅刻するという、不名誉極まりないことをなすことになる。
……まあ兼一は高校入学1ヶ月で遅刻魔の異名を得そうになっていたが。
そんなこんなで2人を送り出し、片付けを済ませて扉に手をかける。すると、狙い澄ましたかのように携帯が震えた。
「新島のヤツ……頼んでもないのに余計なことを」
悪友からのメールの題を見て、そう兼一はもらした。書かれている内容は、頼んでもいなければ伝えてもいないはずのアリアの情報であった。どんな手を使って兼一の現状を知ったのかは分からないし、兼一自身知るつもりもないが、やはり驚きを禁じ得ない。また、その内容もどうやって調べたのか分からないがアリアの個人情報を事細かに記している物であるのは、開くまでもなく分かり切っている。この男新島春男に隠し事をすることは、息巻く達人の前から逃げるくらいに難しいことである。
けれど、兼一は開かない。
「今はまだ必要じゃないよ」
消えそうな声で呟くと扉を押し開けた。
武偵高は特殊な学校ではあるが、一応は高校に分類される学校であるため、とりあえず午前中は一般科目の授業も行われる。そして、午後一番である5時間目はそれぞれの専門科目に分かれての実習を行うことになっている。
「それじゃ俺は依頼にいってくるんで」
そう言って校外に出るキンジだったが、探偵科の専門棟を出た所でアリアが待ち構えていることをまだ知らない。アリア対策のために離れようとしたことが裏目に出てしまった。
「ねーねー、ハマくん。キンジとアリアって実際のところどうなの?」
兼一の後ろから理子の声がする。理子の疑問は、ある意味学校全体とまではいかないが、一部界隈ではもっともな物である。それを裏付けるかのように、周囲の生徒達は聞き耳を立てる、あるいは兼一の近くにやって来た。
「どうって言われてもね……今のところは特に何もないよ」
どう答えたものかと思案顔をしながら出した答えは、そんなありきたりのものだった。そんな当たり障りのない回答に、周りが納得するはずもなく不満が漏れ聞こえる。
「まったく、君たち一応は探偵科でしょ? なら、自分で調べなよ」
そんな声など当然気にするはずもない兼一の一言。その言に1里以上あるようで、生徒達は教室を後にし各々が自分のすべきことに向かう。
「それで理子ちゃん、実際どうしたの?」
教室から兼一と理子以外の姿がなくなると改めて声をかける。昼下がりの温かな風が長い金糸を揺らす。
「べっつにー。キーくんと一緒の部屋のハマくんなら、2人の関係について知ってるのかなーって思っただけだよ」
無邪気な笑顔を浮かべ答える理子を見て、兼一はぽつりと漏らした。
「君も……か」
「なにか言った?」
風にさらわれた声は理子の耳に届くことはなかった。兼一は軽く首を振り席を立つと、理子を置いて外に向かう。
放課後、園芸部で育てている花壇に水を撒く兼一。今日から恐山に合宿へ行っている部長の白雪の花壇にも忘れずにする。
(どうして、若い子が焦らなきゃならないんだろうね)
武偵高に通っている時点で、将来もその道を進もうと考えている人が多い中でも、アリアをはじめとする一部の生徒達は生き急いでいるように兼一の目に映る。けれどそれを止めることは、所詮他人であり、また生徒でしかない兼一にできることではない。そのことが酷くもどかしく感じている。
「いたいた、たまには一緒に帰りませんか兼一さん」
キンジの声に、軽く手を上げ返事をするとじょうろを片付ける。待たせては悪いと思い急いで。
すると、兼一の姿がある場所に風が吹く。次の瞬間にはキンジの隣に立ち、
「お待たせ、じゃ、帰ろうか」
と言って歩き出す。
それを目にしたキンジは何も言うまいと、固く口を閉じていた。
兼一の感覚ではこれが急いだ結果であるが、世間一般では急いだどころの話ではない。高速移動もいいところだ。
(いい加減見慣れたけど、やっぱり心臓に悪いから止めてほしいぞ)
文句を胸の奥で吐きだし、兼一の背中を追うのであった。
「遅いわよキンジ」
2人が部屋に入る時にテレビの音が聞こえたことから予想はしていたが、そこにはアリアの姿があった。諦めていないことは理解していたが、まさかここまでするとは考えていなかったキンジは頭を抱える。
「今年の台風はすごいね」
そんなキンジを余所に兼一はニュースを聞きながら部屋着に着替える。制服のシャツを脱ぐ時、アリアの顔が真っ赤になり何か言っているようだが反応することなく着替えを続ける。
目の前で着替えられたことにより、あたふたしているためアリアは見落としていたが、細身である兼一の筋肉の発達の仕方は尋常ではない。文字通り鍛え方が違うのだった。
兼一の着替えが終わるころには冷静さを取り戻していたアリア。今日も今日とてキンジの説得を敢行する。
「そういえば……本当に犯罪者を取り逃がしたことがないんだってな」
「あたしのこと調べたのね」
自分のことを調べられて何故だか分からないが、嬉しそうにしているアリアは言葉を続ける。
「でも、この間生まれて初めて取り逃がしたは。しかも2人も」
「へー、すごい人もいるみたいだね」
兼一が素直に感心の声をあげる。その言葉をアリアは睨みつける。
「あんたたち2人よ」
悔しさをにじませるように静かでありながら、どこか隠しきれない喜びを持った声でそう告げた。
「だから、調べたの。私から逃げたその実力が本物かどうか。偶然なんて言わせないわ! キンジの実力の裏は取れた! 兼一の実力も私が実感した! それに、あたしの直感に狂いはないわ!」
悲鳴のような叫びであった。その言葉の裏側に何があるかは分からないが、兼一とキンジに必死な思いだけは伝わった。
「……今はムリだ」
けれど、キンジは切って捨てる。苦しそうなその声は、アリアの思いの深さを感じたからに他ならない。
「今はっていうことは、何か条件があるのね。言いなさい! 協力してあげるから」
「アリアちゃん落ち着いて」
顔を赤くするキンジに代わり兼一が告げる。キンジのヒステリアモードのトリガーは『性的な興奮』である。アリアは当然そのことを知らない。だから止めなければならないのだ。それがキンジのためであり、アリアのためでもある。
「なんでもしてあげるから! 教えて……教えなさいよ!」
けれど、アリアは止まらない。一歩また一歩とキンジに詰め寄る。
そんなアリアの様子に中てられたのかキンジの体中の血液が熱くなる。このままではまずいと思ったキンジは、アリアを押しのけ白旗を上げる。
「……1回だけだ。強襲科に戻って最初に起きた事件を1回だけ、お前と組んで解決してやる。だから、転科はしない。自由履修で強襲科の授業を取る。兼一さんもいいですか?」
「うん、構わないよ」
「それじゃ、お願いします。それで、俺が譲れるのはここまでだ」
兼一の同意も得てそう宣言する。
「……それでいいわ。約束通りこの部屋から出てってあげる。あたしにも時間がないから、その1件で見極めることにするわ。でも、約束しなさい。その1件目がどんな大きな事件でもよ」
ここで飲まなければ間違いなくダメになると理解したアリアはその条件を呑む。
「わっかたよ。そっちも約束しろよどんなに小さな事件でも1件だぞ」
「ええ、ただし手抜きしたら風穴あけるわよ」
「ああ、やれるだけの全力は尽くすさ」
トランクを手にしたアリアが玄関に向かうのだった。
講義がそろそろ始まり就活も慌ただしくなっていくので、今の内に進めるところまで進めたいですね
そんなわけで後編でした。
それではまた何時になるかは分からない次回で会いましょう